『 旅人追想 』  まれびと 其の三

前回、前々回と、『まれびと』をテーマに書いてきた。
この、『まれびと』と、『閉ざされた村、もしくは町』の人々との束の間の触れ合い、
というものは、昔から文学作品などや映画などにも題材として使われている。
オペラ『蝶々夫人』のピンカートンなども蝶々さんにとっては『まれびと』。
実在のラフカディ・ハーンやシーボルトなども、節子さん、お滝さんにとっては『まれびと』。

最近見た映画の『刑事ジョン・ブック/目撃者』。
警察内部の犯罪を目撃してしまった幼い少年を守るために、彼の生まれ育っている
アーミッシュの村に入り、そこに身を隠しつつ犯罪を暴こうともがく
刑事ジョン・ブックなどは、アーミッシュの人々にとって、
とりわけ、少年の母で、ひそかに彼と想いを交わし合うことになる美しい
アーミッシュの女にとっては、まさに『まれびと』。
キューバ革命の活動家の妻と、アメリカ人ギャンブラーの叶わぬ恋を描いた
『ハバナ』も、そうかな。
『カサブランカ』のイングリッド・バーグマン演ずるイルザも、
ボギー演ずるリックにとって、訪れて去っていく『まれびと』。
追い求めても手には入らぬ夢のひと、なのである。

土地に縛り付けられ、一生をそこで過ごす運命のもとに生まれた者にとって、
たまさかその地を訪れた旅人は、見知らぬ土地の話、遠い異国の香りを
運んで来てくれる、一種の異人である。
彼は、世界には、別な暮らし方、別な生き方があるのだよ、ということを
土地に縛り付けられたものに、垣間見せてくれる。
見知らぬ土地、違う暮らしへの憧れは、時に、そのまれびとその人への憧れに
姿を変えて、「この人が自分を見知らぬ世界へ連れ出してくれるかもしれない。」
という、恋心に変質することもありうるのではなかろうか。
しかし、『まれびと』は去っていく。『まれびと』は一つ所にとどまらないのである。
ラフカディオ・ハーンのように、節子さんと結婚して、日本の名を得、
日本という異国の地に住み着いても、『まれびと』のこころは、いつもたびびと。

まれびとが去っても、残された者の毎日の暮らしは続く。
でももう、それは、まれびとが来る前と同じではあり得ない。
いっそ外の世界など知らなければ、一生を同じ土地で暮らして安穏な気持ちで
いられたものを…。



『まれびと』というものを、私が体験的に実感したことがあるような気がするのは、
母の育ちを幼いころから聞いていたからかもしれない。

母は私が生まれた『上の屋敷』に嫁いでくる前は、そこからさらに車でも1時間以上かかる
深い深い山懐の村で明治43年に生まれた。
生家は、平家の落人の末裔と言われている旧家。
今ではどうなっているか知らないが、母が子供のころは数年に一度、直系の子孫の
名を書きこむ系図祭りが一族の者を集めてとり行われていたという。
蔵には、先祖の使用した鎧兜などが大切に保管されてあった。

母は昔がたりに、自分の生家のことをよく話してくれた。
古い大きな家。屋敷の裏手はものすごい急な崖になって下に落ち込んでいて、
崖には樹木がうっそうと茂って、あたりを小暗くしている。
その樹木の隙間から、崖の下を覗き込むと、恐ろしくなるほどはるか下に、
白く泡立つ急流が、まるで竜か何かの大きな長い生き物のように
音たてながら流れているのが見える。
その白い流れの水は、流れのすぐ上を飛ぶ小さな羽虫を落とすほど
夏でも冷たかった。手を入れると切れそうなほど冷たかった、という。
しかもそれは、炭酸を含んでいて、白く泡立ち、飲めばまさに炭酸水の味だった。

落人が隠れ住んだくらいだから、近辺にはその一族の者しか住んでいない。
訪れてくるものもめったにいない。
深い深い杉の林と急な渓谷と、僅かに一族の者が何代もかかって山の斜面を
切り開いて作ったささやかな段々畑と…。
そういう僻地の村で母は7人姉弟の次女として生まれ育った。
たくさんいる弟妹の守りで、母は小学校も半分くらいしか行っていない。
病弱な母親に代わって子守や家事をやる日と学校に行く日を、
長女と交代で日を決めて分担していたからである。

めったに訪なう人もなく、小学校すら毎日はいけない。
そんな『ケ』ばかりの日の母の暮らしの中で、わずかに訪れるささやかな『ハレ』の日。
そんな日の一つに、年に一度、大きな風呂敷に荷物を背負って、村々を訪れる薬売りや
呉服の行商の老人の訪れる日があった。
彼らが運んでくる、見知らぬ土地の話…。
特に呉服の行商人の来る日は、近在の女たちが母の家に集ってくる。
風呂敷包みをほどくと、そこにはありとあらゆる年代の人のための反物が
入っている。女子供向けの美しい反物もある。
盆、正月、そしていつか来る自分の嫁入りの日…
そうした数少ないハレの日のための櫛や笄の類の綺麗な装飾品も
彼は小引き出しに入れて運んでいる。
それは山育ちの若い娘たちにとってどれほどまばゆい憧れの品々であったろうか。

母は特別な美人、というほどではなかったが、若いころから山育ちにしては
日焼けもせず抜けるように色が白く、髪は豊かに黒く、眉は筆で描いたよう。
目は大きくはないにしても切れ長の涼しげな目で、まあ、そこそこに
美しかったようだ。

母はそんな山奥の村に娘として長じて、やがてある日、馬車に揺られて父のもとに嫁いだ。


その母の生家のあった山奥の谷あいの村を、なんと今回の旅で
私は車で通ることができたのである。姪夫婦が気をきかせてくれた。

ああ!
そんなところを訪ねる機会が生きているうちに訪れるとは思ってもみなかった。
その場所さえ私は正確に知らなかったし、家を継いだ叔父はもう早くに亡くなっていたので、
親せきづきあいなどというものは、母が生きていたころでさえなくなっていたからである。

母の話の通りに、それは急峻な谷あいの村であった。
深い杉やヒノキの木立。深くVの字型に切れ込んだ谷!
覗きこんだはるか下方に、母が言った川と同じかどうか知れないが、白く流れる渓流がある!
車が通る道は切り開かれてはいても、通りかかる車など一台もなく、
谷にもささやかに切り開かれた山の斜面の畑にも人っ子一人見当たらなかった。

私は写真を撮るのも忘れて、ただ立ち尽くしていた。
なぜか知らぬ土地、という気は全くしなかった。
母の気配がそちこちに残っているような気がしたのである。

小さな体に赤ん坊を背負い、山道を行く母の少女時代の姿が暗い林の奥に
見え隠れするような気がした。
小柄だけれど敏捷な、働き者の娘。山道もとっとと駆ける。
母の少し荒くなった息遣い、その軽やかな足音までがどこからか空耳に
聞こえてくるような気さえした…。

ああ。もうこれでいい!
故郷の廃家への旅は終わった!

…そんな想いを私はそこで味わった。

なんでその時写真を撮っておかなかったか、と後で悔やんだが、それでよかったのだろう。



母の人生…。


よくよく考えてみれば、誰か特定の資格なり資質を持つものが、閉ざされた村に
しがみつくように生きる人々にとっての『まれびと』になりうるのではなく、
私たち、人間という存在のひとりひとりが、実は、この世に稀有のごとくして
生まれおちた、そうしていつかここを通り過ぎていく美しい旅人、すなわち
『まれびと』であるのかもしれない……。


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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 朗さんへ

朗さん、ほんとですか!

そんなふうに思っていただけるなんて、
こちらこそ光栄です。
いや~、朗さんのあの文章、心にしみる文だな~と思って、
私も頑張ってみたんですけど、うまく思いが伝えられず。

自分の気持ちを素直に吐露する…、それが一番なんでしょうけれど、
私の場合、そうすると、途轍もなく長くなってしまいそうなので、やはり多少の
手は加えないとしようがないんです(笑)。

褒めていただいて、私も嬉しいです!
これからの励みになります。ありがとうございました。

実は

昨日の文章、随分と彼岸花さんの文章の美しさを真似ようと
試行錯誤した文章なんです。
なんだかとっても嬉しい朝!

Re: 朗さんへ

朗さん、ありがとうございます。

ネットというのは本当に、顔も知らない、声も知らない、
文字だけの会話のつながりなんですよね。
でも、不思議なもので、面と向かって話すより、本音が言える。
自分の弱みもさらけ出し、それでもなぜか、身がまえなくていい、
多くを語らなくても、わかってくれるひとがそこにいる。

では、本当のつながりか、と言えば、本当の名前も住所も知らないのだから、
どちらか一方が、ネットのつながりを切れば、それで関係は終わり、
すべては過ぎていってしまう。

確かに、ネットで知り合う多くの人も、どこかの異世界から、束の間、
私たちに授けられた、『まれびと』なのかもしれませんね。

朗さんのこの文章。とっても素敵なのに、私、それに美しく
答えることができなくて四苦八苦しています。

『今でも、ピーーーーーザーーーピーというモデムの接続音を聞くと
懐かしさと儚さが胸の中で騒ぎ始める。』

特にここのところがとっても綺麗で、ああ、いいなあ、と思ってしまいます。
そう。機械を目の前にしているのだけれども、なぜかすぐそこに、
相手の人の気配というか、笑い声や、ため息まで聞こえてきそうなんですよね。

いつもながらに

いつもながらに美しい言葉ですね。
私にとってのまれびとは、就職をした12年前。
始めて繋げたインターネットの世界の人々。
当時、ネットを通じて文章をリアルタイムで交換するチャットが流行しており、
寝る間を惜しんで、どこのだれかも分からない人とのたわいもない会話を楽しみました。

たまたま同じ時間帯に接続する人と、ほんの数度の会話の中でも信頼が生まれたっけ。
連絡先も、本名も。なんにも知らない文字だけの会話。
遠く離れた地域の人との会話に、胸が踊り、初対面の人との会話に不安がよぎる。
飾らず本音を話し合い、同じ時間を共有した仲間。

今でもふと思い出すのは、連絡先も知らない本名も知らない遠い地域のひとびと。
名前は覚えていないけど、なんとなく雰囲気と色を思い出します。

今でも、ピーーーーーザーーーピーというモデムの接続音を聞くと
懐かしさと儚さが胸の中で騒ぎ始める。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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