『二度目の四国の旅に想うこと ②』

この日はちょうど、衆議院選挙の投票日でした。
私は旅の予定と重なることがわかっていたので、期日前に投票は済ませていました。
しかし、日本全国雪などで大荒れです。投票率は当然低くなるでしょう…
旅の間も、選挙のことが頭から離れることはありんせんでした。
日本の国を左右するような、大事なだいじな選挙なのだけれど、たとえ雪が降っていなくても、
投票率は低かったでしょう。
国民の想いを受け止める政治の受け皿がなく、国民があすこよりはこっちの方が
まだましかなあという消極的選択しか出来ないというのでは…。
しかし、それでも、政治に関心は失って欲しくない。
歴史を逆に戻っていくような政治を許してはならないのです。

…しかし。
旅をするとさまざまなことを、東京にいるのとまた違う感覚で思います。
一つの例が、あの米原あたりの雪です。
日本は、本当に南北に長い国土だなあということを実感する。
そうしてまた、南北に長いだけでなく、かつて、『表日本』『裏日本』と言われ、
今はそれが多少の差別意識を伴うことに配慮したか、天気予報などでは
『太平洋側』『日本海側』という言葉で表現されるようになった、日本の言わば
横幅部分での気候や風土の違いなどにも、深い思いを致してしまうのです。
この、『表日本、裏日本』という表現に関しては、私の12月15日の記事、『帰ってきました』に、
NANTEIさんから頂いた含蓄深いコメントと、それに対する私の返事の中で
触れていますので、よければお読みください。
簡単にまとめれば、私は、自分が東京、それも太平洋岸に住んでいるわけですが、
何の気なしにその側を『表日本』といい、日本海側を『裏日本』と表現して、
長い間、その表現に内包される差別意識に気づかずにいたということにあるとき気づいて
愕然としたことがあったのです。

ふだん私たちは自分の住む地域を中心にものを考えがちで、他の地域に住む人々のことを
あまり考えないものだということへの私自身の覚醒というか反省については、
こんな思い出もありました。

娘が中学1年生の時の担任は、地理の若い男性教師でした。 
年の頃は30少し過ぎ。いかにも教師として活力のある盛りのきびきびした歩き方と話しぶり。
ちょっと島田洋七氏に似たような体系と風貌だっかかな。
その先生による父母授業参観があるときあったのです。

教えぶりは、時折のたくまざるユーモアを交え、想像通り活発でいきいきしたものでした。
参観のお母さんたちの間にも、笑い声がしょっちゅう起こる。
『日本列島のおよその大きさをイメージするには、東京を起点にして北海道の端まで
直線でおよそ千キロ、南は沖縄までおよそやはり千キロと掴むとわかりやすいです』
などという説明を聞くと、自分自身は同じ中一の時、地理科の女教師のことが嫌いで、
地理という教科自体が苦手になった経験を持つ私も、『ほほ~っ!』と感心して、
ああ、こんな先生に地理習いたかったなあ!と思ったものです。

その時の先生の話に、日本列島が南北というか東西にも長いために、
日の出時間や日没時間が場所によってずいぶん違うのだ、というのがあって、
その時私は、37歳くらいでしたが、恥ずかしながら初めて、自分の長年の疑問が
解けたような気がしたのでした。

その疑問というのは、『どうも自分が子供の頃よりも、一日が短くなった気がするなぁ!』
という感覚でした。
自分が子供の時は、学校から帰って外に遊びに出て、夕方いよいよ暗くなって家に帰るまでの
時間がすごく長かったような気がする。しかし、娘の生活など見ていると、まあ、私立の小中学校に
通っていたということもあるのだろうけれども、どうも学校が放課して後の
子供の自由時間がなんだか短くせわしない気がしてしかたがなかった。
と同時に母親としての自分の夕方も妙にせわしなかったわけです。

それを私は、単に自分が大人になったせいかなと漠然と深く考えもしないでいたのですが、
その時先生の一言を聞いて、
『あ!そうかぁ!単純に、博多は日没が東京より遅かったんだぁ!』と、遅ればせながら
初めて気がついたというわけなのです。
私は子供時代を九州福岡市で過ごしました。
例えば、今日1月6日の日没時刻は東京は16:42ですが、福岡市では17:24です。
42分も福岡の方が日が暮れるのが遅いということになります。
42分! そんなにあったら、子供が外で遊べた時間も長く感じた筈です!!

その代わりにそう言えば、福岡は逆に日の出も遅いわけで、7:23です。
6:51に日が昇る東京と比べれば32分も朝が暗いということになります。
…そうだそうだ。高校の頃、冬の朝まだ暗いうちに起きだすのが厭だったなあ!
と思い出します。

ちなみに、今日1月6日、日本の主要都市で一番日の出が早いのが千葉市で6:49。
一番遅いのが長崎市で7:23。日本最西端の与那国島に至っては7:33です。
一方、日没が一番早いのは、札幌市で16:14。一番遅い那覇市は17:51です。
実に 1時間半近くも札幌の夕暮れは早い。
http://www.motohasi.net/SunriseSunset/JapanSun.php

こんなこと、日本各地に住んだことのある人や、よく旅行をする人なら当然のように
知っていることでしょうが、同じ地域にずっと住んでいる者は、普段あまり、他の地域の
夕暮れの訪れの早さ遅さのことなど想ってみないのではないでしょうか。
旅をして気づかされるのは、こうした、普段気付かない自分中心のものの見方のことです。
自分の生きている世界の感覚がすべてのようになんとなく思いこんで暮らしていても
何の支障もない。

こんなこともあります。
あるときネットで飛行機雲のことをなんとなく見ていて、日本からヨーロッパに行った人が、
飛行機雲が平行にではなく、縦横無尽に空に描かれているのを見てびっくりした、
という小さな記述を見たのです。
私もびっくりしました!
このサイトでした。写真映像見てください。動画も興味深いです。
http://teleradiology.jp/MRI/11_misc/AirTraffic/NetherlandsSky.html

私の住む多摩地区は、近くに米軍横田基地や厚木基地などもあり、一日中、実によく飛行機が飛びます。
夕暮れなど、赤く染まった空に、上空高く飛行機が平行に追いかけっこなどをしている
その航跡は実に綺麗です。
『平行に』…そう、日本の飛行機雲は、基本、長い日本列島に沿って平行に走っていることが
多いですよね。そうじゃない地域もあるのでしょうか…

さらに驚いたのは、上記のサイトだったか別のサイトだったか、コメント欄に、
『日本では飛行機雲を見たことがなかったが、ヨーロッパ旅行して初めて飛行機雲を見た』
と書いていた人がいたことです。
日本で飛行機雲を見たことがなかった??!!
そんなひとがいるのかとびっくりしました。
…しかし、考えてみれば、そのひとが住んでいる地域が、飛行機の航路にあたって
いなければ、そうしてそのひとが若くて旅の経験の少ないひとならば、飛行機雲を
一度も見たことがない、ということだって不思議じゃありません…
それはそこが市街地であるか過疎地であるかなどということとは関係ない。

現に、たまたまでしょうが、私のこの1泊2日の旅の間、私は結構外にいたのだけれど、
上空を飛行機が飛ぶのを一度も見ませんでした。
いや。そうだ!大阪あたりで、新幹線の中から低く飛ぶ飛行機を一機見たかな。
まあ、ほかのことに気を取られていたからかもしれないけれど、機影を見なくたって、
音くらいは耳に入って来たはずなのですが。

まあ、逆に言えば、私の住む多摩地区のように、米軍機が一日中低く飛んでいるというのも
異常なのです。

ところで、東京など首都圏の上空を日本の飛行機は基本的に飛べないということ
ご存じでいらっしゃいますか?
関西や九州など西日本から羽田に向かう飛行機は、そのまま空港に一直線に着陸せず、
グルッと千葉方面から回り込んで高度を下げる。羽田から西へ向かう場合も、
わざわざ東京湾上を旋回してから向かいます。
原因は『横田空域問題』というものがあるからです。
『横田空域』とは、東京・福生市にある米軍横田基地の上空を中心に広がる空域のこと。
戦後、連合軍が日本の空の管制権を掌握した後、日米地位協定に基づいて
そのまま米軍が管理することになった。現在、米軍管理下の「横田管制」が
空域を管理している。その管制空域は神奈川県や静岡県、北は新潟県まで
1都8県にまたがる。最高高度は2万3000フィート(約7000メートル)もある、
まさに「見えない空の壁」なのだ。』
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1412158842/l50 (週刊ポスト2014年10月10日号)

ね?びっくりなさいませんか?
東京の上空は、日本のものじゃないのです。
横田空域は、1992年に10%、2008年に20%と、段階的に日本に返還されてはいますが、
日本の飛行機は、緊急時以外は、その階段状に高度が設定された空域を、
迂回するか、北端の最も高い場所では約7000メートルに達するという空域の上を
飛び越えて通るしかないのです。

夕暮れ、いつも、白い航跡を残しきらきら機体を輝かせながら沈みゆく太陽に向かって
高く高く飛んでいくのを、私が『ああ、綺麗だなあ!』と思って見上げているあの飛行機たちは、
そんなふうに一旦東京湾上に出て、千葉の方を迂回してから、横田空域を避けるために
高く高度をあげて、あんな風に美しく飛んでいるのでしょうか…
そうかと思うと、こうやってブログなど部屋で書いていると、曇った日などびっくりするほど
大きな爆音に、なんだろう!と窓から外を見てみると、米軍のあれは輸送機でしょうか、
鈍い銀色というか灰色の少し小さいずんぐりした飛行機が、我が家のすぐ上空を
ゆっくりと飛んでいっているのが本当に近くに見るのです。

ね。
旅をしていると、いろんなことを考えます。
新幹線の中で、『そういえば飛行機見なかったなあ…』と思ったことから話が膨らんでしまいましたが。

旅をしていると、普段はあまり考えないさまざまな自分の偏向にも気づかされます。
私は、反原発の考え方に立って、ブログでもいろいろ書いています。
どうして、原発立地自治体の人々は、福島第一原発のあの事故を目撃していながら、
なおも自分のところの原発の再稼働を望むのか。
自分のところで、またあのような事故が起きないとはだれも保証できない。
福島の二の舞を演じたいのか!
私にはいつも、それが理解できないのです。

…しかし、ローカル線や新幹線でいろんな沿線風景を目にします。
本当にさまざまなところを…
おそらく昭和3,40年代くらいにはぴかぴかに新しく、地域の希望の産業だったに
違いない工場などが、外壁の滲みもそのまま、錆びた鉄骨構造をそのままに、
稼働しているのかうっちゃらかされているのかわからないといった眺めや、
前の写真記事で言ったように、畑中の一本農道を、小さなトラックが一所懸命走っていたりする…
疎林の小山にはさまれた日当たりの悪そうな三角地…。

ひとは、自分がいるそこで、生きていかねばなりません。
生きていくためには働かなければならない。働くところがなければならない。
何か産業を誘致したいと思っても、不景気や土地の条件などさまざまな要因で、
なにもどこも来てくれないという土地もあるでしょう。
原発誘致に走った村や町を、第三者でしかない私が、どうして責めることが出来るでしょう。

それでも。それでも、原発再稼働にも、まして新規に建設など私は今後も強く反対していきます。
いきはしますが、そこに、高いところから理屈を振りかざすようなそんな高飛車な態度は
こうやって知らない土地には知らない人びとの生活があるのだということを実感した
あとではなかなか取れないな、とも思ってしまいます。
畑に冬の日が柔らかく射していたりする。その畦道を一人でとぼとぼ歩いてくる老人。
柿の木がまだ赤い実を残している農家の庭。
セイタカアワダチソウらしき丈高い雑草が枯れて残る空き地に何台も置かれている古いバイク。
人々の生活が、そこにもここにもあります…

原発のようなものを誘致しなくても、日本の末端で暮らす人々までもが
その土地で安心して暮らしていけるような政治を、本当はしなくちゃならないはずなのです。

無論簡単じゃない。でも何とかやっていかなければならないのだと思います。
限界集落がどんどん増えて、街場でさえも商店街の空洞化が進む、この少子化先進国ニッポン。

東京だけが栄えてどうなるのでしょう。
富者にさらに富が集中する…富の偏在をますます進めてどうなるのでしょう。

旅をして感じるのは、また、人々のたくましさです。
どんな隅々にも誰かが住んでいる…
どんな寂しい山峡の道路にも、夕暮れ、なんとまあ2台3台と、ライトをつけて
走っている車がいる!
まあ、いろんな大小取り混ぜての工場のたくさんあること!

日本はまだまだ豊かなんじゃないかい?ともふと思う。

しかし、放っておいてはダメな問題は山ほどあります。
なんとかなるさ、ではすまない問題がこの国には山ほどある。
日本にまだ活気があるうちに、
真面目さとか勤勉とか正確な仕事ぶりとか、そうした日本人の美徳が
まだ政治の劣化によって崩壊しないうちに、
教育や言論といった、いわば国民の批判力形成の二本柱が、一部の政治勢力に
掌握されてしまわないうちに、
この国の体勢を、上からではなく下からの積み上げによって立て直さないといけないんだがなぁ…

…そんなことを、徐々に東京のあの、異常に明るくネオン輝く街に近づいていく
新幹線の中で考えていたのでした。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Re: ひげさんへ

ひげさん、こんにちは♪
小さなお姫さまのご誕生、心からお祝い申し上げます。
我が家の娘夫婦は、まあ割合晩婚ということもあり、子供を持つことを
あきらめています。従って、私のところには、小さなお姫様も王子様も
訪れてくれることはないのです。
小さい人がいれば、私ももう少し未来志向になるのかな、と思うこともありますが、
娘たちの選んだ道ですから、それはそれでいいのじゃないかと思っています。^^

横田基地の問題は、沖縄問題ほどではないにせよ、日米間の条約の不均衡の
一つの証でもありますね。『日本を取り戻す』という政権は、沖縄やこの
横田基地のような問題はそのままに、いったい誰から何を『取り戻す』というのでしょう。
きっと『国民』から『民主主義の諸権利』を取り上げて、戦前戦中の
『国粋主義的軍事国家のシステムを取り戻したい』ということなのでしょうね。

まあ、飛行機事故は発着時が一番多いそうですから、せめて市街地の住民を
巻き込まないよう、一旦海に出て、というのはそれはそれでいいのかもしれませんが、
そのことと、実は米軍の制空権があるからだ、ということとは話が別ですよね。

世の中には、普通に生活している国民があまり知らない、知らされていないことが
とっても多い。この引用した週刊ポストの記事にもそういう記述がありましたが、
一般国民は無論のこと、『政治家や官僚もタブー視して触れない』問題が
この日本にはたくさんあるのですね。
福島第一原発事故の作業員被ばくの実態、などということも、その一つかもしれません…
そうですか。ひげさんのお知り合いでいらっしゃるかたのご子息が……
私ね、あれだけの大事故。1~3号機までの爆発とそれに伴う放射能漏れ。
そこで作業していらした方々の被曝実態を誰も正確に把握できない、しようとしない
ということがどうしても納得いかないのです。
放射線による直接の死でなくとも、夏の盛りにあのタイベックを着ての作業、
それから、緊張や、当初の作業環境の劣悪さ(食事や休憩所、宿舎を含め)など
によるストレスや疲労が原因の死、なども、ちゃんと誰か第三者機関が把握できる
状態になっていないといけないと思うのです。
それらは明らかな労災であるにもかかわらず、実際の現場では、作業員に『わたり』の
身元のはっきりしない人々などもいることや、4次5次などという孫請けを超えた
下請けの実態の複雑さなどによって、作業員の被曝や健康の問題は、ほとんど
把握されていないのではなかろうかと思っています。
例え亡くなった方がいらしても、『心臓病の病歴があった』などということで
うやむやにされているケースも多いのではないでしょうか。

私の兄も、昔昔の話ですが、大学を出ていても職のなかった昭和30年代。
小さい妹の私などを支えるために大学中退していろんな職を転々としていた
ことがありました。今でいうところの『港湾労働者』…昔のことばで言うと
『沖仲仕』というのも随分やっていたと思います。

『渡り』の『沖仲士』というのは、どこか原発作業員に似ています。
私が原発作業員の方々の労働環境に、ひとごとでない危惧を抱くのは、兄の
姿を思うからかもしれません…

私は生まれは大分県ですが、少女時代のほとんどは福岡市で過ごしました。
昭和30年代と言うと、戦争も朝鮮特需による炭鉱ブームも去って、
あちこちで労働争議が行われていた時代です。三池炭田のストなどは
少女の私の耳にも届いてきました。高校の同級生などには、三池、筑豊炭田の
地区から通っている男子なども多く(工業高校でしたので男子ばかりでした。^^)、
どこか男っぽい気風を漂わせた男の子たちがたくさんいました。
今の草食系男子と言われるような男の子たちと随分違っていた気がするなあ!
武骨でそれでいて優しかったです。^^ 大人っぽかったしなあ…

話が逸れてしまいましたが、国民の知らないタブーはその他にもたくさん
あるのだろうと思います。
本来ならば、そういうところに切り込んでいくのがジャーナリズムの仕事なのでしょうが、
今は新聞などジャーナリズムが政治経済の網にからめ捕られて覇気がない。
政権によるジャーナリズム懐柔策と恫喝するにも似た報道への介入は、戦中と随分
似てきていますね。

ひげさんも天邪鬼。私も、です!(笑)
お写真に見る詩情…これからも楽しみに拝見させていただきたいと思っています♪




 


No title

彼岸花さん おばんです。

羽田を飛び立つ飛行機の機種がぐっと上がった様を見て、横田基地という存在を知りました・・・十数年前まで顔を真っ黒にして稼ぐだけの炭鉱夫でしたが、震災以降・・・考えさせられる事ばかりです・・・昔の同僚の息子が原因不明で遺体でかえってきました・・・どうやら事故後直ぐの発電所で働かせられていたようです・・・そんなことなどもあり・・・天邪鬼で行こうと思っております・・・。

北海道に来る時は汽車でしたが・・・・それ以来乗っていない・・・この雉で気がつきました。笑)

Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん、こんにちは!

お仕事で三度も高松へ。
ありゃりゃ。ほんとに夜のご活躍のお話で!(爆)
高松。いいところですよね。^^
食べ物も相対的においしいところなんじゃないかなあ。
昨年の旅から、ここで食べたものは皆美味しかったです!^^

おお!お嬢さま。
卒論がイサム・ノグチでいらっしゃいましたか!
すてきなテーマ選択ですねぇ!
感受性豊かな学生のころ、この瀬戸内の風景をしかもご自分のテーマとして
お訪ねになられたというのは、さぞかし心に深く焼きつくものであったろうと
お察しいたします。
私なども、この年でもなんだか一回で忘れられない土地となりましたもの…。^^

実はね、今回、私も、牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館、訪れたかったんですよ。
そのすぐ近くには、ジョージ・ナカシマ記念館と申しまして、やはり日系アメリカ人の
家具デザイナー、ジョージ・ナカシマの素晴らしい作品を展示した記念館があり、
ブログの別のお友達からも勧められていて、地図や乗り物の時間も詳しく調べて
みてたんですよ~。
けれども、なんせ一泊だけの旅で、しかも飛行機でなく新幹線利用。
乗り物に乗ってる時間の方が長いくらいのもんで、行ったらすぐ帰る、みたいな感じで
残念ながら脚を延ばせませんでした。

わたくし、恥ずかしながら、少女のころ、山口淑子こと李香蘭に似ているなどと
近所のおばちゃまたちなどから言われること多く、されども長ずるに従って
似ても似つかぬ者となり果て…(爆)。

旅で感じる郷愁というのは、いったいどういう心理なんでしょうね…
いつも不思議に思います。
現実の自分、というものの肉体が消えはて、いわば目だけになって…、
視線だけの存在になって、見知らぬ町の古い雑貨屋さんの引き戸を
がらりと開けてお店の中に入っていってみたり…、
あるいは、そうそうそうなんです。畑中にぽつんとあるセメント工場に働いている
女事務員が自分自身であるような、そんな錯覚…
夜汽車の窓から遠く見える山あいの一軒家にぽつりとともる明かり。そこが
自分の本当の家ででもあって、あそこにこそ自分の居場所がありでもするような…。

そんな不思議な懐かしさと共感に満たされるんですよね~~~……

旅のお勧め^^ いいですよね♪
子供が小さく、つれあいも元気な頃は、それでも夏などにはあちこちに行って
いましたが、つれあいがあまり歩けなくなってからは、私も外にあまり
出なくなりました…。
でも今回、一泊くらいならだいじょうぶと言ってくれたので、これから
少し、そうさせてもらおうかな、と。^^
泊がけでなくとも、日帰りならば、近郊にたくさんいいところはありますものね~。
都心のお散歩もいいし。
ただ、最近、冬になると足が痛くなることがあるので困るんです。
外反母趾気味なのかなあ。家にいると何でもないのですが、靴をきっちり履くと、
しばらく歩いているうちにとても痛くなる。見かけはなんともないのですが。
血液循環の問題かなあ。
夏場、サンダルだと平気なんですけれどね。
今度お医者さんに行ったら、相談してみようと思います。^^
そうして、師匠のように質のいいコンサートや展覧会、お散歩、楽しみたいです♪
お散歩の後のお楽しみ。^^ それもできるとなおいいんですけれどね。^^

ありがとうございます♪



こんにちは。

瀬戸内、高松、懐かしく拝見しました。
高松は三度、仕事で訪れた街です。
なんと穏やかなところだろうと、その都度思ったものです。
そしてぶらりと入った居酒屋で食べた〆鯖の、卒倒するような旨さ!
それまで頭の中にあった〆鯖のイメージがぐゎらりと一変したものです。
また人々の面倒見のいいこと!
料理屋の女将にタクシーでホテルまで送ってもらったり、
バーのお嬢さん方に「さぬきうどん」をご馳走になったり・・・
(あ、夜の話ばかりになってしまいました・笑)

話変わりますが、私の娘の卒論が「イサム・ノグチ」でした。
イサム・ノグチは生涯、瀬戸内海を愛した人で、
それは父・米次郎の詩集に詠まれた瀬戸内の情景に、
何度も涙するほど感動していたことがその理由といわれています。
実際にイサム・ノグチの墓も香川県牟礼町にあり、
その墓の前には「イサム・ノグチ庭園美術館」が開設されました。

娘が行った頃はまだ「美術館」は無かったのですが、
瀬戸内にはノグチゆかりの島や作品が多々存在し、
彼女は何度か通い、その都度感銘を受けていたようです。

そんなこんなが思い出されて、瀬戸内は私にとっても、
格別の場所になっています。

旅というのは仰るように、ある種の哀しみも伴うことが多いですね。
それは一体なんなのだろうか、よく言葉にできませんが・・・
多分、山間にこびりつくように建っている村落の暮らしや、
海べりに肩を寄せ合って生きている漁村、
畑のなかにポツンとあるセメント工場などなど、
もちろん居酒屋のオヤジさんも含めて、さまざまな人の生き方に想いを馳せ、
まさに一期一会の儚さを噛みしめることが多いからだと思うのですが。

旅とはいってみれば、人を切なくも愛おしく想わせる時空間なのでしょうね。

あまり旅をなさらないと聞きましたが、
年に一度は無目的な旅程を組まれるのも、
思索の大きな糧になるような気がします。

これは私の勝手な考えですが・・・^^

押しつけるようで申し訳ありませんでした。


プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード