『鳥の歌』 その一

昨晩もまた、上空を過ぎていく、ホトトギスの声を聞いた。

毎年ホトトギスの声を聞くたびに同じことを心配する。
彼は、恋人を見つけられるのだろうか、と。
おそらく我が家の上空を飛んでいるホトトギスは一羽の雄である。
彼が恋の歌を歌う相手の雌は、はたしてこのあたりにいるのであろうか。
彼は、姿のない恋人を、虚しく求めて飛び回っているのではないだろうか、と。

いのちの限りを尽くして歌っているような、その物悲しいほどの叫び声…



私の家の辺りは、緑は多いが、それでも、環境としてはやはり他の地域と同様、
さまざまな動植物の生息を許すような複雑性がなくなってきているように思う。
植物は、外来植物が古くからあったやさしい草を駆逐していっている。
虫もそれにつれて、数も種類も確実に少なくなっている。

ホトトギスはウグイスなどに托卵する鳥である。
これを残酷として、ホトトギスを憎む人もいなくはないが、
それがその鳥の習性であるならば、ホトトギスに罪はないものを。
でも、我が家の近くで聞く春のウグイスは、おそらくただ一羽。
同じ鳥であるように思う。
このウグイスがいなくなれば、ホトトギスも…
いやいや、単にテリトリーの関係で、一羽の声しか聞かないのだ、と思いたい。


私は自然は好きだが、ぼうっとしているので、科学的な観察ということができない。
いつも、勘で、自然の変化を感じるだけである。
私だけの感覚であるから、誤っていることが多いだろう。
それでも、案外的外れでない観察をしていることもあるのではないだろうか。

数年前、なんとなくなのだが、「最近、雀をあまり見かけないな」とふと思った。
自分がただ外に出なくなっているからなのかな、そう思って、深く考えないでいた。
すると、北海道でスズメの大量死、という新聞記事が出た。
北海道の雀の死も、はっきりとした原因は突き止められなかったようだし、
まして遠く離れた東京でのこと。まったく関係ないのかもしれない。
関係ないのかもしれないが、もしかしたらあるかもしれないではないか。
北海道の出来事の原因だって、はっきりとは解明されていないのだ。
案外私の直感は当たっていて、その年に東京でもスズメの数が
実際、減っていたのかもしれないではないか。
雀の数の統計が取られているわけではないようなので、
もしかすると私の直感も当たっていたかもしれない。

何にせよ、身の回りの、それまで親しんできた昆虫や鳥たちの声や姿が
見聞きできにくくなるというのは、寂しいことである。
レイチェル・カーソンの『沈黙の春』ではないが、あるときふと気づいたら、
鳥の声も虫の音もしなくなっていた、などということが起きたら、本当に怖いことである。

気候変動や農薬の影響などという、そういう怖いことではなくても、
ささやかな人間の行為によって、すぐに明らかに影響が出ることもある。

一つの例だが、私の長年の友であり、仇でもあるヒヨドリ。
これが我が家の周りであまり飛び回らなくなった。
原因はおそらくはっきりしている。
隣家の大きな、杏の木が切り倒されたからである。
一年前、我が家のベランダから見えた、春の景色。


2009_0321_124434-CIMG0250_convert_20100523145234.jpg


この素晴らしい杏の木はもうない。
根元から切られてしまった。
隣家の人は、広い庭も割合自然のままにしておく、やさしい植物好きなひとなのだが、
その隣人が、この3月。杏の花がもうすぐ開くだろうという時に、
木を切り倒してしまったのである。
驚いた私がベランダ越しに事情を聞くと、もう隣家の人は老夫婦だけになって、
庭の手入れも思うようにできない。杏も花のころはいいが、秋になると
大量の落ち葉を、隣近所にまき散らす。近所に迷惑をかける。
木の勢いも弱まって、去年は殆ど実をつけなかった。
だから、切るのだというのである。

隣近所、というが、我が家は、特に私は、落ち葉などちっとも気にしない。
毎年、見事な杏の花を楽しませてもらっていたのである。
誰か、違う隣近所から、落ち葉のことででも苦情が来た?

「もったいないですよ~。あんなに綺麗に毎年咲いてくれて、私、花の季節を
楽しみにしていたんですよ。」
そう、遠回しに、杏の延命嘆願を言ってみたが、木を切る作業は止まなかった。
がっくりしてしまったが、隣家の庭のことである。
切らないで、と私が強く言う筋合いのものではない。

切られた後の画像は、悲しいのでここには載せない。

そうして…、ヒヨがあまり来なくなったのである。
実はこの杏の木は、ヒヨの見張り場であった。
彼はいつも、この木の高い枝にとまって、キーヨ、キーヨ!と
テリトリー宣言をしていたのである。
そうしてそこから、我が家の窓をかすめるようにして、びゅんびゅん飛び回っては
他の鳥をことごとく追い払い(笑)、生まれたばかりの蝉を空中でキャッチして、
バリバリ食べたりしていた。
そのヒヨの鳥影が我が家の窓先をめったにかすめなくなってしまった。むろんその声も。

では、ヒヨがどこかへ行ってしまったのか、というとそうでもないらしく、
昨日、20メートルほど離れたお宅の、高い松の木で鳴いているのを見た(笑)。
まぁ。よかった!

それにしても、ヒヨの声の聞けない窓辺は寂しいものである。
まして、もし来年、ホトトギスの声を聞くことがなくなったら…
…そんな寂しいことはあってほしくない。


…そんなことを記事にしていた雨の日の今日。
ヒヨがびゅんびゅん、我が家の窓のそばを飛び回っていた(笑)。
雨をものともせず、キーキー鳴いて。
存外に、自然はたくましいものなんだな。
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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