『『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ ②』

何か重大な悲劇が起きたとき…人は沈黙してしまいがちである…
私もまた、口を開く気になれないでいた…
おそらく、湯川・後藤さんの拘束、死のニュースの前で、多くの人がそのような想いを抱かれて、
深い憂いの底に沈んでおられたのではなかったろうか。

人が沈黙してしまう時…
そこには大きく言って次のような、7つほどの場合があるように思う。
本当はこれらの他に人が黙っている場合として、『そもそも興味が全然ない』
或いはまた『自分がその事件や問題そのものをある意味で肯定したり利用したりする側
にいるので口を噤んでいる』という状態もあるだろうが、これらはここでは除外する。


事態の深刻さの前に…うなだれて言葉など出なくなる、という状態である。
語りたいのだが、その事態について充分な知識がないために語れない、という状態。
知識はあっても、その事態があまりにも複雑に錯綜して安易な理解を阻むゆえに、
  安易には語れないと、自ら判断した状態である。

何かに遠慮して…何かを斟酌・忖度して、自ら黙り込む、という状態である。
なんらかの圧力を感じて、黙らざるを得ない、という状態である。
強烈な外力によって沈黙させられる、という状態である。
上記の4つのような事情を通り越して、ひとが、もうだめだ!何を言っても無駄だ!
  とあきらめてしまったときである。


…これらは、単独で、あるいは二つ三つ、もしかすると全部が重なって、ひとに
沈黙をもたらすものかもしれない。

太田光氏が『報道の問題として「黙ることが必要なときもあるんじゃないか」
とテレビで語った』
という、その真意がどこにあったのか、私も放送を聴いていないので
わからない。
だが、想像してみるに、おそらく、①、③、④の心理の重なったような状態の中での
発言ではなかっただろうか。
つまり、①あまりにも残酷な現実の前に言葉を失い、ただ項垂れてしまうという状態。
③事態の錯綜性のゆえに、今は語らないで見守っていようと自ら判断した、ということに加え、
④何かを忖度して黙る。或いは『語るな』という有形無形の圧力をどこかから感じて黙る、
ということの合わさったような状態。

それでは、高橋源一郎氏が1月29日の記事の時点で、
『黙ることが必要な時もある』
という太田光の言に、自分も『同じことを感じている』と書き、
また、『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』 と書いたのは、
いったいどういう気持ちだったろうか。推測してみた…。

それはまず第一に、
①『事態の深刻さの前に…うなだれて言葉など出なくなる、という状態』

に、氏も同じようにあったということだったのではなかったろうかと思う。
私がそうだったから…今でもそうだから…。
あの、並んだ二人の顔…。湯川さんの悲しげな顔……
最後の画像の後藤さんの憔悴しきった顔…あれはもう、あきらめた人の顔だった…
湯川さんと並んだ画像では、後藤さんはまだ、意志ある強い顔をしていたのに。
私は、湯川さんの…、彼の最後の姿まで見てしまった…twitterを見ているとき。
このような事態を知って、見てしまって…軽々にものが言えようか…
さらに。
政府を含め、概して海外の切迫して苛烈な事情に疎いところのある私たち日本人は、
「おまえたち日本国民もテロ攻撃の対象だ!」と『イスラム国』に名指しされて、
これまでどこか遠い国の関係ない出来事と思っていたテロ攻撃が、いつこれから
この日本で自分たちの身にも襲いかかるかもしれないと考えて震えあがってしまい、
それが事件についてものを言うことに憶病にさせた、ということが大きくあった
のではなかろうか。

『オレンジの「拘束衣」を着せられ、跪(ひざまず)かされ、自分の死について
語る男の声をすぐ横で聞かされながら、ふたりはなにを考えていたのだろうか。
その思いが初めにある。「意見」はその後だ 』


と、高橋源一郎氏が書いた、その茫然…喪心…蹌踉…適する言葉をなかなか思いつかないが、
私もまさにその、言葉を失ってただ立ちすくむ…その想いであった……。

二人の同胞の無残な死を衷心から畏れ悼む気持ちと共に、
私たち日本人がその中で育ってきた文化や制度…、それはそのかなりの大きな部分を
西欧的な価値観に負うものだが、それを100%否定して憎む者がいる、ということを
あらためて知ったことのショックもあったろう。
また、『直接怨みもないひとにかくも激しい憎悪を人間というものは抱けるものなのか!…』
という、人間のこころの深い闇を突きつけられたそのショックも大きかったと思う。
だが実は、戦争或いはそれに近い状態になれば、私たち日本人もまた、『イスラム国』の
過激派と同じような残忍な行為を自分が好むと好まざるとに関わらず犯すものでもある。
日本人に限らない、人間とはそういうものであるということを、私たちは、先の戦争中に
アジアの国々で同胞たちが行ってきたことを学び直すことによって何度でも
心に刻み直しておかなければならないと私は思う。


私が黙っていざるを得なかったもう一つの大きな理由には、
②『語りたいのだが、その事態について充分な知識がないために語れない』

ということがあったと思う。私にイスラム世界のことについて充分な知識がなかったということ。
漠然とした知識として知ってはいても、それについて書くには、書いた分量の10倍100倍もの
ある程度正確な知識を持っていなければ、またそれについての同分量ほどの考察を
した後でなければなかなか書けないものだ。
このような小さな、たかが一主婦のブログ記事といえども、憲法について書くとき…、
原発について…従軍慰安婦について書くときもすべて同じで、知識や考察を自分の内で
温め熟成させた後でなければ、なかなか思うことは書けないものだ。
…要するに、私はイスラムの世界について書けるほどの見識を持っていなかった。 


③ 『その事態があまりにも複雑に錯綜して安易な理解を阻むゆえに、
安易には語れない、と自ら判断した状態』

について考えてみよう。

②と違うのは、知識がないわけではない、いや、知識があるがゆえに、問題の複雑さが
よくわかって、それゆえ安易には語れなくなる、というところであろう。
高橋源一郎氏の文をさらに借りよう。氏は、

『同時代の誰よりも鋭く、考え抜かれた意見の持ち主であったにもかかわらず、
スーザン・ソンタグは、「意見」を持つことに慎重だった』

と書いた。そのスーザン・ソンタグの言う、
『意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である……
何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある』


という意味はどういうことだったろうか。そして高橋氏が
『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』と言っていることの真意とは
どういうことなのだろうか。

高橋氏も同記事で引用しているスーザン・ソンタグが2001年エルサレム賞受賞スピーチで、
語ったこと…
高橋氏の引用部分とはまた別の箇所であるが、そこで彼女は、作家が公に意見を述べることについて、

『情報は決して啓発の代わりにはならない。だが情報にまさりはするが情報に似て非なるもの、
つまり、知悉している状態、つまり、具体的な、特定の、詳細な、歴史的に濃密な、
直接体験によって得た知識は、作家が公に意見を述べるからには不可欠な前提だ』

といいつつも、
『作家は(こういう)意見表明機(オピニオンマシーン)で終わってはならない』と言う。
『作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や
誤った情報の共犯者になることを拒絶することだ。文学は、単純化された声に対抗する
ニュアンスと矛盾の住処である。
作家の職務は、精神を荒廃させるひとやものごとを
人々が容易に信じてしまう、その傾向を阻止すること、盲信を起こさせないことだ。
作家の職務は、多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに
見る目を育てることだ』
『文学の叡智は、意見をもつこととはまさに正反対の位置にある』

とも語っている。

高橋氏が、スーザン・ソンタグのエルサレム賞受賞のスピーチの言葉を引きつつ、
『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』と言っているのは、こういうこと
なのではあるまいか。
そのことについて『知悉していること』が条件なのだけれど、
知悉して、深い考察をして、自分の意見を持つにいたっているのだけれども…
それでもなお語れぬ時、語れぬことというのはあるのだと思う。

高橋氏やスーザン・ソンタグのこの例を、決して彼等が『知りつつ沈黙に逃げる』という意味で
私は挙げているのではないことをここでお断りしておく。
高橋氏は、すでに書いたように、3.11後、数多くの黙り込みがちな日本の作家たちの
中にあって、目立って数多くのことばを発し続けてくれている作家なのだ。
スーザン・ソンタグは、意見を言わないどころか、同じエルサレム賞の受賞スピーチで、
最後に、聴衆の前で、イスラエルのパレスチナへの無差別攻撃と、イスラエル人居住区建設を
はっきりと批判し、イスラエル軍の撤退が行われるまで、この地に平和は実現しない、とまで
厳しく語っているのである。
高橋氏もソンタグもどちらも、意見は言わない人々どころか、実に明確に意見を言う人々なのである。
ただ、一つの意見がときに思考の固定化につながりがちなことの怖さを知るがゆえに、
『作家がすべきことは、人を自由に放つこと、揺さぶることだ。共感と新しい関心事へと
向かって道を開くことだ』(ソンタグ)と信じるがゆえに、意見を持つということに慎重に
なるべき時もあるということを、また知る人々なのであろう。

ところで、私のような普通の人間にとってはこの③はどうなのだろう。
②で私は、自分がイスラムについてよく知らないために黙らざるを得なかった、と書いた。
しかし、そこでストップしてはお終いだ、と思ったので、あれから2カ月の間に
イスラムのこと、シャルリー・エブド等襲撃について書かれた本も一所懸命読んだ。
読んだけれども、少しは知ってきたけれども、正直言って、まだ書けない…。
世界の知、を集めても答えの出ない問題に、私程度の浅学の者がどうして意見など持てようか。

物事というのは、一つの面から見ては無論理解など出来ない。裏面があり、側面があり、
複雑な立体に例えるならば、隠れて見えない部分もたくさんあるだろう。
物事はしかし、そうした三次元の様相に、時の軸というものも加わる。
しかもそれは、時々刻々と変化していくものである。
その物事に対して、『意見を表明する』ということはどれほどか難しい。
仮に自分がどのような立場に立ち発言してみても、その行為や言葉は、他の角度から
見る人からすれば的を射ていないと思えるかもしれないし、何よりも自分が立脚点を変えて
みると今言ったばかりの自分自身の言葉を訂正せざるを得ないということもある。
見つめて自分でははっきりわかっているつもりのことでも、迷いが生じてジレンマに陥って、
何も言えなくなるということは起こりがちなことだ。

一つのわかりやすい例が…ここで既に私は、「これを例に挙げていいのか」と思って
もうすでにジレンマに陥っているのだが、福島の人々について語る時である。
原発のことは勉強して、かなりのことは表面的ではあるかもしれないが知っているつもりである。
だが、その私が、福島の人々のことを語るときにはいつも躊躇いを感じてしまうのだ。
とりわけ、『福島のものを食べて応援しよう!』などというキャンペーンの前で。
言い訳をするつもりはないが、私はもうじき68歳にもなるし、いまさら微量の被曝を
食べることによってすることを恐れているわけではない。
私が、素直に当時『食べて応援しましょう』と言えなかったのは、今も言えないのは、
それを認めることが、福島にこのようなことを引き起こした大きな国家的規模のものの
罪を覆い隠し、心の底から福島の側に立ちたいと願う支援者をなぜか選別する
踏み絵のように使われるのに我慢ならないからである。
その怒りの一方で、福島の人々に申し訳ない…という気持ちは今も私のこころを
引き裂いて無口にしてしまう…
それについては、過去の私の記事『不幸の均霑プロパガンダ』に寄せてに、詳しく書いてある。
この記事は、私の怒りの本質部分を扱った大事な記事でもあるので、興味のおありのかたは
ぜひどうぞ。

その中の一節は、今回のシャルリー・エブド事件や、湯川・後藤さんの件についても
考える時に、どこかでつながって共通している点があるように思うので、載せてみる。

『不幸の均霑プロパガンダ』は、至る所にあります。
それは一見、『思いやり』や、『公平』という美しい言葉で語られ、
私たちの心に忍び込んでくる。そうして、私たちの心を懐柔し、
本質を見えないように、批判の目を他へ移すように、論理のすり替えを巧妙に
行い、国民を分断していきます。』








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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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