『少女が母になること』  「愛しき(かなしき)もの」その五 

私は一年半前まで、ある小さな塾で生徒たちを教えていた。
その一人一人が、私にとっては可愛い生徒たちであって、
どの子が一番可愛いとかいうことは出来ないのだが、
約20年間の間には、やはり特に記憶に残る生徒というものが
何人か生まれるものである。

先日、そのうちの二人と会う機会があった。
M子とR子と仮に呼んでおこう。

M子もR子も、私が教えた中でも、とびきり優秀な生徒であった。
小学校5年生くらいの時に入塾して、以来、中学3年で卒業するまで、
かれこれ4年半くらい教えていたことになる。

単に成績がいいというだけでなく、二人とも本当に大人であった。
小さな塾のこと。生徒がそんなに大勢いたわけではなかったので、
大抵は成績別に2クラスに分けるのが常であったのだが、
彼女たちの学年は、二人だけが飛びぬけて優秀であったため、
彼女たち二人だけのクラスを作り、3クラスに分けていたくらいだった。

私はその頃主に英語を担当していたのだが、
中学1,2年生くらいまでは、まだ英文もごく簡単なものしか教えてないので、
どうしても、内容的に深い話はしにくい。
ところが、中学3年生くらいの、それも受験用の英文くらいになると、
それなりに内容的に面白いものも多く出てきて、
英語の授業から離れてつい、中に書かれていることについて
話が膨らんでいくことが多かった。
私はすぐ脱線する教師であった。

そこのところを二人はよくつかんでいて、授業に少し疲れてくると、
私をその脱線の方向に持っていくのが本当に上手かった。
さりげなく、中のある一点について質問してくる。
すると私はつい授業を忘れて、熱く語りだしてしまうのである。
高校受験でも、国語、英語、社会などには一般的な教養の幅の豊かさを
要求する問題が結構あり、雑談もまた、どこで役立つかわからないから、
まあ、良しとして、敢えて授業の形にこだわらないという気分も私にはあった。
二人はそれをにこにこしながら聞いている。
そのにこにこ顔で、私は自分がうまく乗せられたことにはっと気づくという具合。


かなり難しい問題を出しても、二人のこなすスピードが速いので、
用意していたものをやりつくし、時にすることが無くなってしまうことさえあった。
そういう時は、彼女たちのやりたいことを残りの時間にしていていいよ、
と言うこともあった。
すると、M子は大抵英語の問題をもっとやりたがり、R子は数学の宿題を
やっていていいか、と言う。
いいよ、と言うと、それぞれのしたいことを静かにやりだすのだが、
R子は難しい数学の問題を解きながら、私がM子にする英語の説明も
ちゃんと耳に入っているらしく、ときに代わりに答えたりする。
それは静かで、また活発でいきいきした、そうして信頼感に満ちた、
教師の私にとっても本当に楽しい時間であった。

その二人が結婚して、一昨年去年と、相次いで子供を産んだ。
M子は塾を卒業しても時々たずねてきてくれていたが、
いろいろなことがその後その身に起きたR子の方とは、実に9年ぶりの再会であった。

二人はすっかりいい母親になっていた。
M子の方は一歳の女の子。R子の方には二歳の男の子。
二人とも子育てはうまそうであった。
子供からけっして目を離さず、といって過干渉するでもなく、
ゆったりと大きく構えて子供を育てているようであった。

だが、それを見ている私の体は、「ああ、痛い!ああ、痛い!」と
悲鳴を上げていた。
この感じはなかなか人にわかってもらえまい。

それは、母親が娘に対してだけ抱く痛みではなかろうか。
まあ、この二人は私にとって娘のようなものだから。
 
それは、「ああ、この二人も、これから、私がこれまで辿ってきたような、
女としての道、母としての長い道を辿っていくのであろうか!」という、
体が痛く感じるような、いわば、憐れみと共感と愛しさのないまぜになったような、
複雑で説明しがたい想いである。

R子は背の高いほっそりした少女であった。学校の成績は美術だけが4であとは
オール5。体育祭のリレーの時はそのしなやかな細い体で、
どんどん前の人を抜き去っていくスポーツ少女でもあった。
そのノートの美しさ、見事さといったら!
しかし、彼女はその後、数々の悲しみを知る少女となってしまった。
心配する塾の教師達やM子とも会おうとせず、一人悲しみを抱えて
生きてきた。
そのR子が今、一人の子の母親になって、私達の前に戻ってきてくれていた。
顔立ちのあどけなさは昔とあまり変わっていなかったが、
腕が、やはり女らしく丸みを帯びてきているのが、私には愛おしく痛ましく、
長い間、放っておいたことを詫びて抱きしめてやりたいような気さえした。

M子は、日本人の女の子には珍しく、度胸のいい、弾けたところのある少女であった。
塾でクリスマスのパーティなどをすると、何か歌を歌ったり
即興で何かやらなければならないような罰ゲームをしたりすると、
大抵の少女がもじもじしてはっきりしない中、M子は明るく弾けて
なんでも率先してやり、場を盛り上げてくれるような少女だった。

後に彼女は演劇と声楽の道を選び、夢に懸けていたのであるが、
彼女は又恋多き少女でもあって、いくつか情熱的な恋をしたのちに、
(彼女は恋愛の相談にもよく塾を訪ねてくれていたので、私はその間のことを
割合聞かされていたのである)
初恋の人と結婚して、今母になって、やはり私の前にいた。
M子は素晴らしい声の持ち主である。
日本人離れした、胸の奥底から響いてくるようなメゾソプラノの声をしている。  
  

「ああ、痛い!ああ、痛い!」と、私の心が叫ぶ。

少女が母になること・・・・・。
それはなんて痛いことなのだろう! 

彼女たちが抱えていた夢。彼女たちが秘めていた可能性・・・・。
それをおそらく彼女たちはこれから数年間、あるいは一生、
封印して生きていくのである。

勿論、子供を育てていくことは素晴らしいことである。
そんなことは私自身経験して、百も承知である。

それでも、ああ、私の心と体が、「痛い、痛い!」と言う。  

人が生きていくことの悲しみと喜び。
少女が大人になり、人の妻となり、人の子の母となっていく・・・・
その過程で、彼女たちが捨て去る自分の夢や自由・・・・・

勿論逆に、得るものはとても大きいのである。       
それでも。
それは知りつつなお、私は母のように彼女たちを見つめながら、
自分の体と心に痛みを感じている。

M子よ。R子よ。
全てを手に入れなさい。
妻になっても、母になっても、少女の夢を忘れないで。
女としての喜び、母としての喜び、人間としての喜び。
そのすべてを欲張って手に入れなさい。
あなたたちならきっとできる。

R子よ。M子よ。
輝きを忘れないで。
人生に恋する心を忘れないで。

私はずっとあなたたちを見守っています。  
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

こちらのほうから失礼します。
とっても素敵な文章で、すっかり引き込まれました。
教え子が母になった。その事に幸せだけでなくむしろ哀れみのようなものを感じる。
人生の先輩として、先の苦しみが分っているだけに。

んー。そうですね。生きるって、いいときばかりじゃないんですよね、きっと。
若いときの夢も希望も、あきらめなきゃならないときがあるのでしょう。
でも、子育てが終わったときに、或いは気が付いたら、
そこからでもまだ遅くはない、そう思うのです。
何がやりたいのか、本当にやりたいのか。
自分の心に正直になるのは、時に痛みを伴うことがあります。
でも、それを見つめたらきっと、そこからまたはじめられるでしょう。
ましてや、優秀な頭脳の彼女達ですものね。
あー。羨ましいって思っちゃった(^^
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
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暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

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