『この国の行方 ④』 

政府の安保法制案の法的根拠としている今一つのこと、砂川事件判決について
進む前に、そもそも、集団的自衛権とは何なのだろうか。その歴史を確認しておきたい。


4.集団的自衛権ってどんなもの?

集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である。
国連加盟国のすべてには、国連憲章により自衛の手段として「個別的自衛権」と「集団的自衛権」とが
認められている。

「個別的自衛権」とは、単純に自国に侵略・攻撃してきた国などに対して、その侵略や攻撃から
自国を防衛し、反撃する権利。 わかりやすく言えば、『正当防衛』の権利に近いだろうか。
「集団的自衛権」とは、大雑把に言うと、密接な関係にある他国が第三国から攻撃された場合、
その被害国を支援したり、一緒になって反撃したりする権利。 わかりやすく言えば、
自分の親しい友達の一人が誰かから殴られている。その仲間でない第三者である『誰か』は、
次に自分たちに殴りかかってくるかもしれない。だからみんなで反撃しよう、ということか。

国連憲章第51条
『この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、
安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、
個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。(後略)』



5.それなのになぜ、日本は、集団的自衛権を行使できないの?

なんだ。やっぱり政府のいうように、集団的自衛権は、国連で認められているんだ!
じゃあ、なんで行使しちゃいけないの?

そこが問題である。
ご承知のように、日本は、日本国憲法で、『戦争の放棄』を謳っている。

日本国憲法 前文の一部。
『(省略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し』

第九条第一項 『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄
する。』
第二項 『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない
。』

この、日本国憲法の縛りは強い。なにしろ、日本の国のこれが『最高法規』なのだから。
しかし、こうやって憲法前文と九条によって、日本は戦争を出来ない、と縛る一方で、
実は憲法にはこういう条項もある。

第九十八条
第一項  『この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に
関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない』 
第二項 『日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。』


憲法は国の最高法規であって、その条項に反したことをしてはいけないとする一方で、
我が国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守すること、
とも書いてあるのである。

ここが、一番解釈の分かれることの一部でもあるかなぁ…
個別的および集団的自衛権を認める国連憲章は、まさにこの確立された国際法規であろう。
要するに、日本は、自衛権を行使してもいいのか、それともいけないのか。
自衛権行使容認派は、この第二項などを盾に取り、国連だって認めているのだから、
日本が自衛権という権利を行使しないのは、財産をもっていてもそれを使えない『禁治産者』
みたいなものだ、などという暴言もつい飛び出すほど、憲法の縛りがあることにイラつく。
自衛権行使反対派は、国連憲章は確かに自衛権を認めているが、それはすべての国が持つ
『権利として』認めているのであって、それを使うか使わないか、を最終的に判断するのは
それぞれの国であり、日本においては国の最高法規である日本国憲法が、『武力による威嚇
又は武力の行使は放棄する』と謳っているのであるから、自衛権もこれは使えないし使わない、
と、考える。

さて。ここで、私はわざと曖昧に『自衛権』という表現を使い、敢えて『個別的』『集団的』の
区別をしないで書いているが、ここに、実は、私の一番深い悩みはある…
つまり、私は、『個別的自衛権も日本は放棄すべき』と考えるのかどうか、ということだ。
憲法九条の第二項を素直に読めば、憲法は一切の国の交戦権をも否定し、いわゆる戦力は
一切保持しない、と言っているように思える…

つまりこれは、自衛隊を持つこともいけないということではないか。【自衛隊は今日本では
『軍隊ではない』とされていて、これに当てはまらない、と(無理矢理)解釈されている。】
また、交戦権はない、ということは、例えばどこかの国が、日本を攻めて来た時にも、
日本は丸腰で無抵抗を貫け、ということか。

……
正直言って、この個別的自衛権の行使については、私自身の考えはまだ揺れている…
若い頃は、『日本は一切の戦力を棄てて、絶対中立を保つべきだ』などと、考えていた。
だが…この問題は本当に、本当に難しい……
これについては思うところも山ほどあって、まだ自分自身の言葉に出来ていないので、
この記事では、『集団的自衛権の行使』ということに限って話を進めたいと思う。



6.憲法は解釈をしてはいけないものなの?


上記の例のように、日本国憲法にはきわめて大事なところで、極めてあいまいな
記述をしてあるところがあって、そこで、例えば、この集団的自衛権行使が可能かどうか、
や、自衛隊は違憲なのかどうなのか、などという極めて難しい、本質的で微妙な問題が、
それを扱おうとする人々の思想や立場によって、いかようにも拡大解釈~判断できる
ところを生んでしまうのである。
それゆえに、この九条のような曖昧な個所を曖昧でなくしよう、という改憲の動きは、
憲法施行後のこの68年間、常にあって、国を二分する議論になって揉めて来たのである。

憲法というものに限らず、およそ法令などというものでさえ、考えられ得る
すべての事態に対する細かい項目があって、こういう場合はこう考えてください、と
書いてくれてあるわけではない。
時には、句読点の打ち方一つ、或いは日本語が本質的に持つ曖昧性(主語をはっきり書かないなど)
で、いかようにも解釈できる、まったく反対の結論もそこから引き出せる、ということが
起きてくる。つまり、『解釈の余地』がどうしても入り込むものなのである。
これはしかし、日本国憲法に限ったことではなく、あらゆる国の法規・法律の文章に
起こりうることであろう。

…以上のように書いてきたからと言って、私が憲法の解釈を積極的に容認している、
というわけでは無論ない。
その矛盾点を自分で自覚しつつ、正直に私自身の考えを述べるならば、

誰が、どのように、解釈するか、ということが問題なのだ。
そうして、当然のことながら、法規解釈として法理に叶っているかと、いうことが
問題になってくる。
それが違憲でないことの証明。解釈の法的根拠。過去の判断との整合性など、いろいろな
条件が当然ながら満たされなければならないのだと思う。

そう。
そして。
一つこれこそ大事、と思うことを書き漏らしていた。
憲法にすべての細部を書きこむわけにはいかない以上、個々の条文に、解釈の余地の
あるところは存在してしまうだろう。しかし、
絶対に勝手な解釈変更を許さない、許してはいけない、という箇所があると私は思う。
それは、この日本国憲法の基本精神であるところの、『平和主義』『国民主権』
『基本的人権の尊重』に直接言及する個所である!










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Re: 何苦さんへ

何苦さん。
はいっ!彼岸花、復活ですぅ!
元気にまた、いろいろな記事書いていきますよ。

うんうん。戦争文学とか、『大雪と原発』みたいな記事も書いていきたいです。
『日蔭の村』は、昨年の2月『大雪と原発①』の中で触れたのでした~!
あれからまだ1年しか経っていないのかぁ…もう、2年ほども前のような気がします。

あの一連の記事は、自分でも集中してよく書けてたなあ、と今でも思います。
あの中には、私が課題として考えていることのほとんどすべてのことが
詰まっていました。
原発、六ヶ所村、戦争、満蒙開拓団、成田闘争、強制労働、貧困…

ちょうど昨日で、朝日新聞『プロメテウスの罠』の『希望の牧場』シリーズが
終了したところでしたね。
『希望の牧場』の吉澤正巳さんについてのあのシリーズ記事を読みながら、
自分の『大雪と原発』の記事のこと思い返していました。
我ながら、吉澤さんいちにんがその背に背負う国家の理不尽、というもののこと、
わりとしっかり書けていたよなあと思います。^^

また、花岡事件など、日本による朝鮮半島、中国などの人々の強制労働のことも
あの中で触れています。今回の『明治日本の産業革命遺産』の世界遺産登録の件
に関する一連の報道見ながら、これもまた、いろんなことを思っていました。
たとえ『負の遺産』でも、正々堂々と、自らの歴史の暗部を認めないでどうするんだ!
と思います。

『大雪と原発』の記事は、実は⑤を書くつもりでいたんですが、その⑤は、
麻山事件で〆るつもりだったんですよ~~~
昨年八月に書こうと思っていて、でも、なんだか昨夏はしょぼんとしていて
書けないままにすぎていってしまいました…そんな記事がいくつあることか…
そうそう。『忖度』の記事も途中で投げ出したままだなあ。

まあ、おいおいこれからまた、いろいろ書いていくつもりです。

『(何苦)ってね,「何をわざわざ」といういみなんですよ。へへ』

ああ!そうでしたか~!今日もどういう意味だろな、って、『なに、く』と、
キーボード打ちながらちょうど考えてたところでした。(よく使う人名漢字は
登録しときなさい?はいッ、そうなんですが…)
そういう意味でしたか~!
『何をわざわざ』…、そういうことでしたら、私も『何苦』ですね。(笑)
『何苦2号だ~!』(爆)


No title

うんうん。彼岸花さん復活ですね,本当に心のそこからうれしく思います,昨年いや一昨年かな「日蔭の村」のような記事かいてらした力強いあのころの彼岸花さん。
はい。はい。
いろいろ“そんたく”もありましょうが,つとめてことばにしていきましょう^^うれしいのですとても。(何苦)ってね,「何をわざわざ」といういみなんですよ。へへ

Re: 何苦さんへ



ズコ~ッ! (とずっこけた)(爆)

何苦さんのコメントの最後の一文のところで。^^

そうですよ~。
その日暮らしさんへの返事にも書きましたように、そんなに簡単に自分の考えを
変えるもんですか。
まだまだ記事は続くので、おいおい自分の考えを述べていくつもりです。

ただ、今までのように理想を語るのはまあ、簡単。言いっぱなしでもいいわけですから。
(行動するのはもっと難しい。それを持続するのはもっと難しい……)
語ることが説得力を持って人のこころにもしみ込んでいくようにするのが難しいんですよね~…。
そのためには、無論歴史をしっかり知っていなくちゃならないし、自分の語ること
書くことの背骨としての理論構築が、書く前にきっちりできていないとそもそも書けない。
それが私には難しいんです。
人に伝えるには、易しいわかりやすい言葉で語りたい。でも、易しい文章ほど
難しいですよね。自分がしっかりわかってないとそれが出来ません…
私はその段階にまだ自分で達していないなあと、書けば書くほど思ってしまう。
知識が足りないのも無論だけれども、自分自身の中で揺らぎもあります…

そのことをこの頃ますます感じるようになっています。
なんであたし、こんなことやってんの?という自嘲もありますし。(笑)

だから、ここにお書きくださったこと、とってもありがたいです。
とりわけ、

『やられたらどうしよう,と反撃しようと考えること自体,9条に反していませんか』

『民族が自衛するのは,権利ではなく,義務なのです,日本に限っていうならば,平和的手法によって』

の二文は、すっきり、ド~~~ン!と、胸に響くお言葉でした。

ここに書いてくださったことを頭に入れながら、また続きを書いて行ってみますね。
これまでに書いたことは、この頃私が考えていることのほんの一部です。
おいおい順番に書いていこうと思います。
実は、集団的自衛権のところは、まだ続きます。途中で憲法解釈のことなど
流れに乗って書いちゃったので、ちょっと中断しちゃっていますが。
そこに、今回、何苦さんがお書きくださったことのようなことを、入れていくつもりでした。
この次の次くらいの記事で、再びそこに戻って書きます。
(今書いてるところも、どこまでも膨らんで行きそうなので、なかなか集団的自衛権の
とこに戻れない…)

一番の山場は、砂川判決のことになると思います。そこになかなか辿りつけないけれど。
砂川判決は、今回の安保法制のことに絡んでも無論ですが、本当に大きな、戦後の
日本の諸問題を象徴していると思う。
どこまで書けるか書くか、自分でもわかりません。
今回の問題に関した部分だけで一応この一連の記事は終わりにするかもしれないし、
深く掘り下げようと思えば、それこそあのパケナム日記などのところまで行くかもしれない。
自分の気分のままに書いていこうと思っているので、まだわからないです。
それと体力気力ね。(笑)

何の義務感に駆られて、こんな記事書いてるんだか自分でもわかりませんが、
まあ、勉強すること自体が楽しくもあるし、
日本の近過去の現代史がどんどん歪められたり、ひとびとの記憶自体が風化していく中で、
かろうじて私など戦後の空気だけはおぼろげながら知っているから、まあ、自分の勉強も兼ねて
書き残しておくかな、と思っています。かな?(笑)
乞うご期待です~。

実はね。今週末ね、地元の9条の会に行ってみようと思っています。




とりあえず理想は理想。

こんにちは。わたしも下記コメントのその日暮らし樣の「そもそも軍備は」,というところに非常に共感を覚えます。

机上・・・のそれこそ空論といわれてしまうことを懼れずに書けば。

自衞權,ということばは本來的にまちがっています。民族,あるいは國家が自衛する,ということは権利ではありますまい。
本來“生存の理”,や,“民族自決権”と同義ではないでしょうか,日本人,日本国は侵略されたり存亡の危機に立ったことがないからそこまで言葉を厳密にとらえられていないのでしょう。

ですから
自衞權(個別的自衞權)というのはただしくは,選択権。
戰力,外交力,非暴力の抵抗,米軍に守ってもらう,「その代わり基地と金を提供する」という抑止力。片務,といわれますがそれだけの金,土地,沖縄の代償払っているのです。
さまざまある自衛の方法のうちのどれを撰擇するか,というハナシではないでしょうか。

日本は憲法で戦力の放棄をうたったのですから,憲法上は自衛隊は武力をもっても行使してもいけない,災害救助やボランテイアに徹するべき,そうしたうえで。全国で基地負担し米軍を金で雇う。
理想ですが,現實をすりあわせてこうしたやりかたをえらんだのでした。
そのための復興,平和な戦後,経済力というものがある。朝鮮戦争で,ベトナム戦争で日本がみぐるしくも金儲けに必死になったのは経済力をつけるためでしょう。

原則にたてば日本の憲法はそういうことではないですか。

自衛隊というのがあるのは百歩譲ってまだしも,あれほどの,軍事力戦力をもっていることがすでに違憲,ですから平和憲法を改憲しないのは憲法への冒瀆で,改憲するべき,という考え方は一定の理があるとおもいます。

日本は戰力保持を永久に放棄するほど,外交にも長けておらず,智慧もない,民は好戰的である,この現状なら戦力放棄をうたった憲法を持つべき資格はない。

こういう認識の下,そのうえで,わたしは,私の個人的理想は,
理念としての戦力永久放棄の九条を絶對支持します。しますが・・・・,現状は我々にはふさわしくない。

いまわたしたちは“九条” の理想からは遠いですがどんどんはなれていかない,これ以上遠ざからないためにギリギリギリギリ譲歩してやっている。
すこしでも九条の理想に近づきたいと愿うなら,個別もくそもありますまい,自衛隊の装備だけみれば世界有数です,(今の戦力的位置はよくわかりませんが・・・・)違憲状態です,

平和憲法の下で自衛隊が許されること自体,違憲なのに。

やられたらどうしよう,と反撃しようと考えること自体,9条に反していませんか?。

外交や豊かな経済力,政治力,民の力で自衛する義務を遂行する,こういう立場を理想としてそこにちかづこう,とするのが九条の精神です。自衞權なんて言葉をつかって向こう側にとりこまれるより,その,民族が選択した理想をけがすような,『自衞權』なんてことばは

・・・・といったところでむなしいですが
精神だけはゆずりたくありません。
私にとっては,個別も集団も,自衞權ということばは準侵略戰爭權,でしかありません。あるいは「武力反撃しこうして敵の武装解除」權,と,このように厳密に考えたいと思っています。

民族が自衛するのは,権利ではなく,義務なのです,日本に限っていうならば,平和的手法によって。
さらにいえば,日本は敗戦後,たとえ焦土にされても,滅びても侵略だけはしたくない,のみならず
やられてやりかえすこともしたくない,滅びるほうがましだ,という民意があったことを,
わたしはこのごろの朝日の夕刊の連載で知りました。之が理想の原点であったことも確信し,意を強くしました。このときには戰爭は悲惨だ,というだけではなく,“侵略”したことをたしかに反省した民の姿がそこにあった。戰爭,侵略の長さに比べてあまりに短い間の反省だったと思いますが

それでもそうした其の民意によってつくられた9条を自衞權なんてことばで台無しにしている,智慧を重ね深める努力もしないで,9条によりかかっていては先賢にもうしわけないです。

よけいなことを書いてしまいましたが。理想から離れてしまっては,あっさり行ってしまいます。
たとえ九条バカとさげすまれようと。あくまで逡巡なく理想だけは保持していてほしいです。


と書いたところで,彼岸花さんのお心を知りました。よけいなことでした。すみません (・ ・;)

Re:その日暮らしさんへ

その日暮らしさん。こんにちは♪
しばらく無沙汰してしまって申しわけなく思っています。
かれこれ1年半の…ようやく閉塞状況から抜けだしたようです。(苦笑)
その間は、みなさんへの訪問もどんどん間遠になりがちで……

第二次安倍政権成立後のこの国のあまりに急速な右傾化と、それに対して
闘いたくても大きな手段がない状況に、自分自身の老いの自覚と言いますか…
が重なって、「ああ…、もうどうしようもないのかなぁ…」としょんぼりしている
日が続いていました。
でも、その間も、いろいろ本は読んだり、考えることはしていました。

個別的自衛権…戦争のこと自衛隊のことなどについては、実は考えをちっとも
変えてはいません。^^
変わったとすれば、若い頃は、『戦争絶対反対!』とただ叫んでいた…、
その自分の考えの論理的理由づけとか正確な歴史の知識とかそんなものは抜きにして
ただ自分の直感というか本能的な膚感覚で、戦争を忌避していたけれど、
今、自分の老いを自覚するようになって、ただ言いっぱなしじゃしようがない、
後の世代の人々に、戦争の悲惨を、その悪を伝えていかねければならない、
でも、ただ『戦争反対!』と繰り返していても、現実には日本には軍隊以外の
何ものでもない自衛隊というものがある…その現実や、
敗戦後のアメリカによる占領から、実は社会制度的にも心理的にも少しも
抜け出せていない、いやむしろアメリカへの依存とすり寄りをますます卑屈に
強めていっているこの状況の中にあって、
若い人々に説得力を持って本当の戦争放棄を訴えるにはどうしたらいいのか、
それについて悩むようになってきているということなんです。

自分一人の人生としては、『日本はすべての軍備を棄てて丸腰になろう』
『戦争を許さない、戦争をしない国、戦争に加担しない国という理想を飽くまで
貫いていこう』というのを貫いていこうという想いはちっとも変わらないですが、
しかし、次に来る世代に対しては、理想を言いっ放しで去っていくのは無責任
なんじゃないか…、と思うようになったんですね。

でもねえ…その説得というか、理論の構築って、ほんとに難しいんですよね…
考えても考えても、どうしたらいいのかわからない。

戦後、日本の政治、防衛、経済から、それこそ法曹界、原子力発電まで、がっきりと
組込まれてしまっているアメリカの力、アメリカの影…そこから真に脱して
日本が本当の独立した国になるためには、どうすればいいのかなんて、あまりにも
問題が大きすぎるんです。
もう一つ、やはりこれもアメリカが中心ですが、この世界を席巻する何が何でも
ただ儲かりさえすりゃあいいという経済至上主義が生みおとしているさまざまな
ひずみや不幸、不公正…これも、相手が大きすぎて、その前でただうなだれてしまいます…

まあ、そんな、自分の老いとも重なる、絶対的な敗北感の中で、なんか書こう、
なんとか少しでも伝え残して行こうと足掻いているわけです~(苦笑)

個別的自衛権などの問題は、触れ始めるとどんどん問題が深く大きくなっていってしまうので、
今回はとりあえず、憲法解釈による集団的自衛権行使と憲法破壊に的を絞って
書いていってみようかなと思っています。
でも、それでも、私などには荷が重すぎて、ふうふう言いつつ書いているんですけれど。
ここからが山場ですので~。
あたしいったい、何、大変なことやってんだろ!(笑)

ありがとうございます♪ お声聞けて、勇気と元気をいただきました♪



でも、ここで書いているような問題は、結局殆どすべてがそこに集約されていく。



No title

彼岸花さん、こんにちは。
お待ちしていました!
彼岸花さんも星狩人さんも心を閉ざしてしまわれたのではないか、と気になっていたところです。

>『正直言って、この個別的自衛権の行使については、私自身の考えはまだ揺れている… 若い頃は、「日本は一切の戦力を棄てて、絶対中立を保つべきだ」などと、考えていた。だが…この問題は本当に、本当に難しい……』とお書きです。

集団的自衛権の行使に踏み出すことを目的とする新安保法案が提起され、その欺瞞性・不当性に対する闘いが行われているところです。
そこに、わたしのように「そもそも、軍備は必要か?」というような議論を持ち出すのは、賢明なことではないと思います。
ですが、戦争について考えるとき、わたしの問題意識はいつもそこへ回帰してしまいます。わたしもまた、この難題に悩まされています。(いま急いで考えるべきことでもないので、お返事は必要ありません。)

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん、おはよう~~~♪

だいじょぶだいじょぶ。
私にもよくわかっていません(笑)
難しいんだもの。あちこち確かめ確かめ必死で書いてる。

大変と言えば大変だけれど、でも書けるようになったから気分は楽かも。
言いたいこと山ほどあるのに、気分的に書けなくて内にくすぶっていた時の方が
精神的によくなかったなあ。^^
もう1年以上も、そういう状態だったもの。

今朝はゴミ捨てのついでに、お庭から、ささやかに咲いたダリアの花を
切ってきて、今花瓶に飾りました。^^
雨に打たれて、花の重みで折れちゃってたから。
そういうのも、記事にしてご紹介しますね~~♪

体はだいじょぶ。早起き早寝して、ケーキも作ったりしてきちんと
過ごしています。娘のアジアン風パンツも2枚縫ったよ。^^
アジアンというかなんというか、ゆったりすっごいぶっといやつ(笑)。
無地の楊柳?ワッシャ―?とかの肌触りのいい記事で。

ありがとう~~~♪


そうなの。

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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