『この国の行方 ⑤』

集団的自衛権に話をもどそう。
本当は、このシリーズ記事の、『この国の行方 ④』の、『4.集団的自衛権ってどんなもの?』
というところで、続けて書こうとしていたことだ。

集団的自衛権行使について議論するとき、その行使を容認する者も、行使は出来ない、
とする者も、集団的自衛権、というものが、国連憲章第51条で認められている、という
大前提のところから議論を出発させているように私には思えるのだ。
前者は、国連憲章で認められているのだから、と言い、後者は、国連憲章で認められていても、
日本には国の最高法規である憲法があって、そこでは9条で、『武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
と明記してあるのだから、
集団的自衛権行使は憲法違反である、と主張する。

今、もう明日中にも、戦争法案が衆院を通過してしまうかというときに、悠長に
集団的自衛権の考えかたの成立の歴史になど戻っていられるか!とも思うのだが、
案外、本質的な問いを含んでいるようにも思えるので、書いてみたい。


7.集団的自衛権の考えかたは、そもそもどうやって生まれて来たか。

以下の歴史の記述は、ほぼ全面的に下記のサイトの歴史記述を参照し、そこに私自身の
解釈を加えてあるので、私のバイアスのかからない客観的詳細をお知りになりたい方は、
原文をお読みください。およそ賛成の立場でも反対の立場でもないところから書いておられる。
『集団的自衛権の法的性質とその発達―国際法上の議論―松葉真美』

国連憲章のそもそもの原型は、1944年10月9日、米英ソ中の4か国による会議を経て
発表された「一般国際機構設立のための提案」、いわゆるダンバートン・オークス提案である。
ここで、国連の基本構想、例えば、
①五大国(米英ソ中仏)と6か国の非常任理事国で安保理を構成
広範な武力不行使の原則、
集団安全保障制度などという
集団安全保障と地域的安全保障について規定した、今の国連憲章第7章及び第8章の
基本構想がほぼここに提案されたのである。

だが実は、自衛権を規定した国連憲章第51条に相当する条項は、ダンバートン・オークス提案
にはまだ見当たらなかった。

翌1945年2月に米英ソの首脳が集ってヤルタ会談が開催された。
ここで、『大国の拒否権』の規定が取り入れられることが決定した。
それについて特に憂慮を示したのが、米州諸国であった。米州では、ダンバートン・
オークス会議のずっと以前から、平和と安全に関する地域的機構の設立に向けた
動きが進められていた。
地域的機構の自立を望む米州諸国は、1945年、チャプルテペック協定(Act of Chapultepec)調印。
米州のある一国に対する攻撃は、米州すべての国に対する侵略行為とみなす旨の
共同防衛体制の構築であり、侵略に対しては武力を含む防衛措置をとる、
ということが規定された。

しかしヤルタ会談において決定された安保理の表決方法では、拒否権を有する国は、
自らが加盟していない地域でも、地域的機構の強制措置を阻止することが可能となる。
つまり、5常任理事国の一致がない場合には、地域的取極や地域的機関による
強制行動は不可能という結果になることになる。
米州諸国は、そのような制度は、独力で他国からの攻撃を排除できる大国はともかく、
そうした力を有しない中小国の平和と安全を無視するものであるとして強く反対した

そしてその懸念は、1945年3月22日に相互援助義務を約束したアラブ連盟規約
(Pact of the Arab League)に署名したアラブ連盟にも共有されていた。

こうした動きの中、1945年サン・フランシスコで、国際連合設立のための連合国会議
が開催
され、ダンバートン・オークス提案が検討された。
米州諸国は、米州の地域的共同防衛体制の自立が国連憲章上保障されるのでなければ
会議から脱退すると強硬に唱え、会議は一時「ラテン・アメリカの危機(Latin American
Crisis)」とも呼ばれる現象に見舞われた。

そのため、修正案が、検討された。
最終的に第四専門委員会の最終報告書として提出されたのは、米国提案の、
『緊急の必要性に迫られた防衛活動に限り、安保理の事前の許可を不要とする』というもの。
これは集団的自衛権を規定した現在の国連憲章第51条とほぼ同一の内容であった。
その後、新条項は、国連憲章第51条として本会議で正式に採択された。

このように、国連憲章第51条、特に集団的自衛権は、地域的機構の自立の確保を目指す米州
諸国の動きに端を発し、最終的には、地域的取極の枠を超えて、武力攻撃の開始から
安保理による措置までの間隙を縫う機能として規定された。
集団的自衛権は、安保理を中心とした集団安全保障体制を維持しつつ、地域的機構による
防衛行動の自立性を保障するための「アイデア」であり、サン・フランシスコ会議で急遽
考案されたものだったのである。


さて。長々と、集団的自衛権の歴史を書いてきたが、みなさん、どう思われるだろうか。
私は、ある種の悲しみをもって、この歴史を読んだ。

断っておくが、ここで、『米州』と記されている地域は、アメリカ合衆国の州のことではない。
ここで言う『米州』というのは、南北の両アメリカ大陸、およびカリブ海を含む周辺の島嶼・海域の総称
である。

私は、集団的自衛権を認める国民憲章第51条が設定されたきっかけが、
五大国の拒否権に対する米州の懸念から生まれたと知った時、最初、心の内で
小さく『なるほどね!』と言ったのである。
私はその時点で大きな勘違いをしていた。
私は、アメリカという大国をすぐ傍に持つ中南米の弱小国諸国が、文字通りの大国である
アメリカがさらに拒否権を持つことによって、中南米諸国が自衛のために結束することにも
大きく干渉することを許してしまうという怖れから、チャプルテペック協定を結び、また、
サン・フランシスコでの国際連合設立のための連合国会議において、米州の地域的
共同防衛体制の自立が国連憲章上保障されるように強く求めたのだと思っていたのである。

『米州諸国は、そのような制度は、独力で他国からの攻撃を排除できる大国はともかく、
そうした力を有しない中小国の平和と安全を無視するものであるとして強く反対した』
という表現に、大きな読み違えを起こしてしまったのである。

だが、違っていた。チャプルテペック協定には、アメリカ合衆国も入っているのである。
すなわち、『米州』という定義には、アメリカ合衆国も入っている。
そうなると、話が全然違ってくる…。
アメリカ合衆国を含む米州諸国は、一体、五大国のいずれの拒否権を念頭に置いて
この、集団的自衛権につながる地域的共同防衛権を国連憲章に盛り込むことを
強く求めたのか?
…それは、ソ連相手、以外に考えられない。

実際、この1945年のチャプルテペック協定の概念は、1948年に調印されたボゴタ憲章に
ひきつがれ、1951年、米州機構(略称:OAS)という国際機関になっている。
南北アメリカの国々の平和と安全保障・紛争の平和解決や加盟諸国の相互躍進を謳う。
本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。 事務総長も、同機構の歴史上、米国が支持
しなかった候補が選ばれたのは歴代2005年チリのホセ・ミゲル・インスルサがはじめて、
というから、極めて大国アメリカの意向のかかった組織であったと言えるだろう。
ボゴダ憲章~米州機構は、当初、アメリカ合衆国主導の反共主義同盟の色合いが濃く、
アメリカによる中南米支配の道具と言われ、
『アメリカの共産圏に対する封じ込め政策の一環』とも言われていたという。
ケネディ政権の時のキューバ危機を思い起こす…。
だが、その後の米州機構は、そう単純な動きはしない。親米と反米との間で揺れ、
また、内乱や国境紛争、民族自決の理想との間で、複雑に揺れているように見える…
2011年12月には、 ベネズエラの呼びかけでラテンアメリカ諸国により、北アメリカ
(アメリカ合衆国とカナダ)を排除しキューバを受け入れる「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体」

が結成されている。
一方、1962年の決議で、米州機構から追放されたキューバ(2009年、キューバの復帰を認めて
いる)、とアメリカ合衆国が、今、和解の道を模索中であることは皆さんもご承知の通り。

さて。
このように、国連憲章に、個別的自衛権や集団的自衛権を明示する第51条が盛り込まれた
歴史を見てくると、そもそもの最初から、米英ソ中仏という五大国の思惑、とりわけ
アメリカ合衆国のそれが、大きく働いていたことがわかる。
(アメリカが敵対視していたソヴィエト連邦もまた、この集団的自衛権を、他国への
軍事介入の口実としていく…)
…こうして国連憲章に集団的自衛権が規定されると、北大西洋条約機構(NATO)
のような、この新しい自衛権を認める様々な相互援助条約が世界中で次々に締結
されるようになっていったのである。

さて。実際に、この集団的自衛権が行使されたと認められているか或いは当事者が
その行使の正当性を主張している例というのは、過去にどんなものがあるのか。



8.集団的自衛権の行使」と主張された主な軍事介入の例


● 1956年 ハンガリー軍事介入(旧ソ連)
● 1958年 レバノン軍事介入(アメリカ)
● 1958年 ヨルダン軍事介入(イギリス)
● 1964年南アラビア連邦軍事介入(イギリス)
● 1964年~75年 ベトナム戦争(アメリカ、)
● 1968年 チェコ侵攻(旧ソ連・ワルシャワ条約機構)
● 1979年 アフガニスタン戦争(旧ソ連)
● 1981年 ニカラグア侵攻(アメリカ)
● 1981年チャド軍事介入(リビア)
● 1983年チャド軍事介入(フランス、アメリカ)
● 1983年アンゴラ軍事介入(キューバ) 
● 1983年 グレナダ侵攻(アメリカ)
● 1988年ホンジュラス軍事介入(アメリカ) 
● 1990年~91年 湾岸戦争(アメリカ)
● 1993年タジキスタン軍事介入(ロシアなど)
● 1998年コンゴ民主共和国軍事介入(ジンバブエ、アンゴラ、ナミビア) 
● 2001年 アフガニスタン戦争(アメリカ、NATO)
● 2014年イラク軍事介入(アメリカ)

以上は、集団的自衛権の行使が国連安保理に報告された例である。
2014年、ISILに絡んだ、アメリカ軍によるシリア領内への空爆も、記憶に新しい…

こう、過去の集団的自衛権行使例とされるものを見てきて、いやでも気付くのは、
その行使国は、米ソ英仏という国連の五大国がほとんどであるということである。

ここに書いたように、そもそも国連憲章に51条として、集団的自衛権の考え方が
導入された時、それは、独力で他国からの攻撃を排除できる大国はともかく、
そうした力を有しない中小国の平和と安全を守るため、というところから議論された
ものであった…


しかし、これまでの例では、米ソ英仏の大国による行使例がほとんどであり、しかも、
その正当性が甚だ怪しいものがあるのである。
外部からの武力攻撃の発生があって、被攻撃国による正当な援助要請があるという
集団的自衛権の要件を満たしていたのかが曖昧な事例や、内戦や自由化、独立運動
などに第三国が介入したものではなかったかという点について疑義のあるものなど、
集団的自衛権の濫用が疑われる事例が少なくない。
集団的自衛権の名を借りつつ、実は支援を依頼してきた当の国への本格的軍事行動に拡大
してしまう例などもある。
チェコスロバキアへの、ソ連とワルシャワ条約機構の侵攻などがそれである。
 *チェコスロバキア動乱 - 1968年にチェコスロバキアで起こった自由化運動の
   影響拡大を恐れたソ連および東欧諸国によるワルシャワ条約機構軍が、改革運動を
   鎮圧した事例。ソ連は軍事介入はチェコスロバキア政府の要請によるものと安保理で
   説明したが、チェコスロバキア政府はこれを否定。

ベトナム戦争、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻、湾岸戦争、9.11をきっかけにした
アフガニスタン戦争……ここに列挙した数々の事例…そのどれ一つを取り上げてみても、
親密な関係にある友国を同盟国として共に守るとか、友国への第三国からの攻撃が
自国に及ぶ恐れがあった、などという明確な例が見いだせるだろうか?

大国による集団的自衛権行使は、実は、民主化の弾圧、旧植民地の利権欲しさ、冷戦の代理戦争…
などという、ゆがんだ理由に基づいて行われたものがほんとうに多いのではないか。
大国が他国に軍事介入する際の言い訳、として使われてきたことばかりなのではないか。

どなたかがどこかで書いていた。
「『集団的自衛権』というものは、『侵略』と『自衛』という、本来は絶対に両立しないもの、
それどころかむしろ正反対であるものを包含する概念になってしまった』
と。

そうして今…日本国憲法の縛りがあるゆえに、集団的自衛権の行使を70年近く
求めてこなかった日本が…安部内閣という一内閣の盲執によって、その衆参両院での
圧倒的多数の力を背景に、強引に、集団的自衛権を行使する国に、まさに変えられていこうと
している…
集団的自衛権を口実に、数々の不当で不毛な戦争や軍事介入をしてきたアメリカと共に、
日本もまたとんでもない泥沼に踏み込もうとしている…。

集団的自衛権は、安倍首相やその取り巻き連が言うような、『自然権』などでは決してない。
ここに書いたような諸国間の思惑と駆け引き…とりわけ米ソなど大国の思惑の
強くにじむものであり、しかもそれは安保理が紛争解決に乗り出すまでの緊急措置として
人間によって考え出されたされたものである。
自然権は、ひとりひとりの人間が、生まれつくとから持っている天賦の権(特定の天が与えた、
というような狭い意味の言葉ではない)、誰からも奪われることのない崇高な権利…
例えば人権のようなもののことである。

自民党改憲案を見ればわかるが、いたるところで、国民の、不可侵の諸権利を、
『公益および公の秩序』のために制限するような思考が盛り込まれている!
国家、というものの元に、自国の国民の権利を制限するような思想を持つ政権に、
『集団的自衛権は自然権』などと、私は言って欲しくない!
そのような思想を持つ政権が、本当に自国の国民の『平和と安全と幸福』を
守ってくれるのであろうか??!!
また、本当に、世界の人々の『平和と安全と幸福』に貢献していけるのであろうか??!!



                       *

                      【付記】


* 上記、チャプルテペック協定に参加した、『米州』の国々は、どこどこだったのだろう。
それがすごく気になっていた。が、英文資料に、それを見つけたので、ここに書きくわえておく。

アルゼンチン、ボリヴィア、ブラジル、チリ、コロンビア、コスタリカ、キューバ、ドミニカ共和国、
エクアドル、エル サルバドル、グアテマラハイチ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、
パナマ、パラグアイ、ペルー、アメリカ合衆国、ウルグアイ、ヴェネズエラ
                                         以上の20カ国

* なお、念のためつけ加えておくが、ここに五大国の一として言及されている中国は、
いうまでもなく、1971年までは中華民国(台湾)を指す。
中華民国は、1945年から、国連・安全保障理事会の常任理事国の一つであった。
1971年、国連総会にて、国際連合総会決議2758が可決され、『中華人民共和国を
中国の唯一の正統な政府とし、「蒋介石の代表(中華民国)」を追放する』としたため、
中華民国は国連と国連機関から脱退。以降、中華人民共和国が安全保障理事会の
常任理事国をも含む代表権を獲得して、今に至っているのはご承知の通り。





スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Re: しほさんへ

しほさん、こんばんは~!
そちらも、雨、ひどいのでは?

きっと我が家のダリアちゃんや百合ちゃんも雨に打たれてしょぼんとしてるなあ…
でも、植物たちは強いですからね。また頭をぐっと持ち上げる!

『この世に生まれてこのかた歴史の渦中にいるのだと思いました。
歴史に刻まれる大きな動きが有っても…
記憶に無い。
自身の個人的な事柄に関連づけて憶えててよさそうなのに…』

ほんと。私もそうなんです。
私ね、ブログ始めるまで、というよりは、東日本大震災とあの原発事故が
起きるまでは、あんまり社会のこと、自分に引き付けて考えないで、
どちらかというと、全てにぼ~っと生きて来たんです。
政治のことだけじゃなくて、街に流れてる音楽も、あるときから聞いてても
全然耳に入んなくなっちゃったし、映画もそう見るわけじゃないし、本も、
ドキュメンタリーものは割合読んでたけど、最近の小説はもう、全然読んでない!
ダブル村上あたりで、私の日本の小説読みはストップしちゃったの。

社会の動きも、そう、個々の出来事に漠然とした印象が残ってるだけで、
あまり細かい記憶がない。なんとなくの膚感覚が残ってるだけなの。
ただ…その膚感覚って、案外大事なのかなって、このごろ思うようになった。
理屈じゃない自分の価値基準みたいなのになってくれてるかなって思うの。
まあ…なんせ、もうすぐ68年も生きてることになるわけですから、
淡い皮膚感覚も、積みかさなりゃ、結構、頑強なものになる! ^^

MBSラジオの辺境ラジオ。ありがとうございます!
明日、聴いてみますね~~。いつもいい番組情報、ありがとうございます♪












Re: やっちゃんさんへ

やっちゃんさん、こんばんは!

返事が遅くなってすみませ~ん!

この記事紹介してくださってありがと~う♪
行使例のとこは、訂正しないですみそうだけど、ちょっと付記をつけました。
普段ならね、もっとよく調べて、長い記事を削って削って(それがあたしには
一番難しい!笑)、出来るだけこなれた文章にしようとしてみるんだけど、
今、戦争法案のことだけでも書くこといっぱい溜まっちゃってるから、なんだか
よくこなれないまま、次から次にとにかくアップしています。
読んでくださる方には迷惑な話だなあ!!v-436

やっちゃんさんの、すごくわかりやすくまとめてくださってるからありがたいですぅ。
いつも勇気をいただいています。

そうなの。多分、この雨の中、まだいる人たちがいるかもしれない。
若い子たちが精神的にも身体的にも疲れちゃわないといいんだけどね~。
まだまだ長い戦いになると思うから…。
無理な昂揚は、長くは続かないぞ、というのが、あたしの経験(苦笑)。
いつも長いシリーズ始めちゃ、仕上げないままで終わってるから(笑)。

そちらは雨はどうですか?
こちらは時折りものすごく雨が激しくなる。
早く雨あがんないかな、と思うけれど、そうしたら本格的な暑い夏だもんね。
夏生まれなのに、暑さにからきし弱いあたし。^^
あ。もうすぐ、60ン歳だ! (へへ、68歳になります。)

やっちゃんさんも暑さには気をつけてくださいね。ありがとう~~~♪

No title

彼岸花さん、こんばんは。
大変な準備を経て書かれた事と思います。

この世に生まれてこのかた歴史の渦中にいるのだと思いました。
歴史に刻まれる大きな動きが有っても…
記憶に無い。
自身の個人的な事柄に関連づけて憶えててよさそうなのに…

キャンドルナイトへのコメントが届かなかったみたいです。
ダリアが咲いてくれてよかったです。
更にもう一つ。
MBSラジオの辺境ラジオが更新されました。
よかったら聴いてみて下さいませ。

No title

彼岸花さんこんばんわ~。

今回の見事な記事、
1部ですが転載させて頂きました。
事後報告ごめんなさい~。

これだけ書かれるの、大変だったと思います。
お疲れ様です!

国会前の怒りはわたし達の怒り。
魂は共にあります。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード