『現日本国憲法を過去のものにしないために』



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なんというショッキングな写真でしょう…

じつはこれは、芸術作品です。



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10月2日。
銀座での展覧会に行ってきました。






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シャツやジーンズのような服がコラージュされているのですが、ご覧の通り
そのシャツやジーンズは銃弾に貫かれ、そこからは本当の人の体からのように
血のような赤い絵の具が流れ出ています……

絵具を叩きつけたような画面からは、『ワタシハニンゲンダ』という叫びが。





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十河さんの作品は、言葉が重要なモチーフになっています。
それも、ただの言葉ではない。

     『売国奴』・・・ 
           『非国民』・・・・・・




ああ!…
私たちの国では、かつてこのような忌わしい言葉が、日常的に、人々の口から
囁かれていたのです…


しかし。
私たちは、敗戦という痛い想いをして、もう二度と戦争などしない、
もう二度と他国を侵略したりしない、
もう二度と、『バイコクド』、『ヒコクミン』、などという忌わしい言葉を、同胞に対して
使うような時代にしない…
そう、誓ったのではなかったのでしょうか!?



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これが、…この展覧会タイトル。

『かつて 美しい 憲法が あった』…

私たちは、この悲しい言葉を、いつか、ひそひそと、囁くことになってしまうのでしょうか!
そうして、『ヒコクミン』 『バイコクド』 などという言葉と視線が、ひょっとして自分に
向けられてはいないか、と恐れて、そっと四囲を見廻してみたりすることになるのでしょうか…




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銀座から、日比谷公園は歩いてもすぐです。
この日は私は、展覧会のあと、日比谷野音での集会に行きました。





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8月30日や、9月18,19日前後に、反安保法制を叫んで日本各地で集まった
あの大勢の人々は、今はここにいません。
一部は今日もここにこうやって来ているけれど、その多くは、自分の生活に戻った…
…私もそうです。
でも、ここには今いなくとも、現政権に怒りを溜めた人々は、それぞれの場所で
それぞれに今も変わらぬ想いでいると思います。
反安保法制だけの問題ではない。原発問題、沖縄問題、被災地復興、TPPと農業問題、
派遣法と労働問題、秘密保護法とマイナンバー制度…オリンピック、リニア新幹線…
すべての問題が、ここに集約されている!
すべての問題の根は同じだ!
そのことに人々は気付いたのです。
国民の怒りは鎮静化したように見えるかもしれないけれど、そんなことはない。
人々は胸にその怒りのマグマを溜めている。





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私は。私もまた。
今の憲法を、本当に『美しい』憲法だと思っています。
自民党の改憲案と比べてみたとき、その美しさ、崇高さは際立ってよくわかるはずです。
世界に誇っていい憲法だと思う。
私たちは、この憲法までもを、この政権の元で、血にまみれさせるのでしょうか…

そして、ひそひそと、あたりをはばかりながら、
『曾て 美しい 憲法が この国にあった時代も あったのだ…』と
悲しくつぶやくのでしょうか………



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Re: ☆狩さんへ ②

できた~~~!
送れた~~~!(笑)

Re: ☆狩さんへ

☆狩さん、こんばんは♪

そうなんです。昨夜から何度も、漢字をカタカナにしたり文自体を一部削ったり、
ちょっとずつためしに変えてみては送信ボタンを押してみてたんですが、
どうしても不正投稿とジャッジされてしまう…
一度パソコン消してやり直してみたりいろいろしてみたんですよ。

ねぇ?ご覧になるとおわかりだと思うのですが、そんな問題になるような
言葉、使ってないですよね?
なにがいけないってFC2さんから怒られてんのかわからなくて。(笑)
長すぎるのかな~とも思ってバッサリ短くもしてみたんですが。
えっ?あれでも短い?!  ☆狩さんは驚いたりなさいませんよね。^^

☆狩さんもご自分のところへ入れない…そうですか。そんなことあるのかなあ。
どなたか他のかたのコメント欄に入れない、ということなどはおっしゃってるの
聞いたことあります。
FC2の側の問題なのか。いずれにしても気持のいいことではありませんね。
…こういう政権の元でですから、ネットの…ブログなどのチェックもこちらが
気がつかないように思いこみたがっているだけで、とうに監視の目は入って
いるのかもしれません…
確かそういう法律もとっくに出来ていたはずです…


☆さん。ありがとう。
そんなふうに言ってくださってほんとに嬉しいです。
此方こそ、☆さんの真意をわからないことなどありましょうか。

『権力者どもには遠慮なく暴言をぶつけてやれと
そんなことを奨励する人間ではないと、分かっていただけたらと思います。』

そんなふうに思うわけないじゃないですか。
いつも言うように、私は一度この方は、と信じたら、そのかたを信じ続けるです。
その人の部分を見るのでなく、その人を全人格として見るので、少々の
認識の揺らぎや齟齬にはあまり影響されないの。
その代わり、捉え方が大雑把かもです!(大笑)
それは私の本の読み方とか、映画などの見方にも共通してるかも。

> 世の中には言葉を奪われ、声を抑えつけられ、たったひとりでは、
> 何をどう考えてよいのか分からず、自分自身の問題さえ理解できず、
> 踏まれても蹴られてもおとなしく生きている人が、本当にたくさんいます。
> そういう一人が、なにかの拍子で目を覚まし、退っぴきならない状況で
> 踏ん張りながら、ついにぶつけた言葉が、どんなに拙い暴言であったとしても、
> 私は頭から、言葉狩りをしたり、たしなめたり、不快になったりせずに、
> まずはそれを受けとめたいし、そこに示された自尊心と勇気を、
> 真実で貴いものとして、積極的に評価したいと思うのです。
> これもまた小さな芽。踏みつけたり、摘み取ったりしたくありません。
> そういうことが言いたかったのでした。

このこと。しっかり受け止めさせていただきたいと思います。
そうして、私もまた、あらためて、自分もそうでありたいと思います。

言葉。ことば。……
これによって、人は思考し、人と語らい理解し合う。
私もまだ言葉の力を信じています。
(ちょうど奇しくも、一つ前にコメントいただいた方への返事にも同じことを
書いたばかりのところでした。)
短くとも、時につたなくとも、例えば、幼い子供の発するたどたどしい言葉でも、
哲学者の言葉と同じ重みを持つことはあります。

一方。
自分の思考を深め、相手の話すことや書物の言葉を、真に理解し合うためには、
おっしゃるように、『学生のころからの、文章を読み、文章を書く訓練は、
とても大切』だと私もほんとに思います。
言葉がやせ細っていくということは、思考がやせ細っていくということ。
さらには、感情の豊かさまでもが細って行きかねない危険もあると思っています。
今、この安倍政権がやろうとしていることの一つに、国立大学の文系学部の
縮小ということがありますよね。記事にも書きましたが。
とんでもないことだと思います。
なにも、大学、それも国立大学だけが、文系の学問をする場ではないでしょうが、
自分一人でだって学びは出来るのですが、
それを国が国家の方針として大学に押し付け、従わないものには交付金という
脅しをかけるというこの国の、教育や文化そのものに対する冒瀆。
それは、個人の学びなどの問題とは全く別の問題ですよね。
こんな文明国って他にあるでしょうか!
ただ経営的及び効率上の観点だけから、国家の方針としてそんな愚かなことを
打ちだしているのか。
それとも、文系の学問は、人間の思考を深めることを助ける学問である故に、
ものを考えない国民を作りだしたくて、そんな方針を採るのか。

ほんとに、腹の立つことばかりする政権です。


…そうですね。
星降る夜は、また戻ってきますよね。
2年や3年くらい星の降らない夜があったって、あきらめないようにしよう…

☆さん、ほんとにありがとう。
そうですね。それぞれの想いをあきらめずに語っていきましょう。
民のひとりひとりが発する言葉の力を信じたいですね。

さて~? 
このコメント送信できるかな~………






No title

ブログのほうにお返事をいただき、ありがとうございました。

そうですか。それほどまでに弾かれますか・・・・・とはいえ、
彼岸花さまが使用される言葉だって、私のものとほぼ同じでしょう。
私もずっと前、一時期どうしても送信できないことがあったのですが、
いまは全然ありません。それに「不正認定」されても、どこかひとつ
ほんのひとこと削除しただけで、すんなり通過することもあるので、
実際、なにがどうなっているのかは、よくわからないですよね。

わたしたち、そんなに物騒な話をしていたわけでもないのに・・・

一方で私はいま、自分のブログにアクセスできなくなっているんです。
もう数週間になりますが、人様のリンク表示を通して入っております。
なぜこうなってしまったかは謎ですが、また元通りになるかもしれません。
あまり気にしていませんが、なんだか気持悪いのは確かです。

お返事を読ませていただき、彼岸花さまのお考えがより理解できました。
そもそもこの程度のことで、私たちが齟齬をきたすでしょうか。
私のほうこそ反省しなければなりません。なぜなら、いま思えば、
モヤモヤしたこの気分を取り払ってほしい、身勝手な思いがありました。
たとえ一時とはいえ、悲しい気持にさせてしまったことをお許しください。

その上で申し上げるのは、虫がいいとしか言えませんが、
どうかどうか私のことも、権力者どもには遠慮なく暴言をぶつけてやれと
そんなことを奨励する人間ではないと、分かっていただけたらと思います。

しかし、言葉の問題それ自体は、深く考えさせられました。
ひとつには、つねに相手との関係を考慮しつつ、言葉を選び、
いやでも「忖度と斟酌」をしながら、慎重に会話をするしかない、
日本語の特殊性もあるのではないかと思うのです。

客観的な事柄を述べただけでも、使う言葉とその人の人格が、
即座に結び付けられて非難され、他の事柄まで全否定されてしまう。
それを怖れて、言うべきことも言えなくなってしまうことが、多いと思うのです。
人間に対しても、物事に対しても、自分ではない、第3者の目から見た、
客観的な捉え方をしない言葉(思考)は、論述とか批判には不向きなので、
なにか言おうとするときにも、ずいぶん不便で不自由だと思います。
学生のころからの、文章を読み、文章を書く訓練は、とても大切だと思います。
(だからこそ管理教育では、わざと疎かにされるのかもしれませんね)

世の中には言葉を奪われ、声を抑えつけられ、たったひとりでは、
何をどう考えてよいのか分からず、自分自身の問題さえ理解できず、
踏まれても蹴られてもおとなしく生きている人が、本当にたくさんいます。
そういう一人が、なにかの拍子で目を覚まし、退っぴきならない状況で
踏ん張りながら、ついにぶつけた言葉が、どんなに拙い暴言であったとしても、
私は頭から、言葉狩りをしたり、たしなめたり、不快になったりせずに、
まずはそれを受けとめたいし、そこに示された自尊心と勇気を、
真実で貴いものとして、積極的に評価したいと思うのです。
これもまた小さな芽。踏みつけたり、摘み取ったりしたくありません。
そういうことが言いたかったのでした。

星降る夜は、また戻ってきますとも。
言葉の力を信じて、それぞれの想いを語ってゆきましょう。

Re:hosiさんへ

どうやっても、どう変えても、まだ禁止ワードとか禁止表現にひっかかるのか、
返事コメントがFC2さんから拒否されます。
申しわけありませんが、そちらで返事させてくださいね。

Re: hosiさんへ

星さん。
昨夜から何度も、返事のコメント、投稿し続けているのだけれども
どの言葉がFC2の禁止コードに該当するのか、言い換えても、カタカナにしても
どうしても通らない。
何度、少しづつ変えて試みても、通らない。
だから、一旦、次の方へのコメント、アップしてみますね~。
それも通らないのなら、私の用語が悪いのではなく、機能の問題なのだろうと
わかりますので。

No title

ふたたび丁寧なコメントをいただき、ありがとうございます。

>私が、圧倒的権力を持っていて、国民を戦争にまで駆り立てる力も、そうしよう
と思えば持っている者の暴言悪行と、一般の庶民の、もうどうにもやるかたなき
想いから出た悲鳴にも似た悪口雑言・罵詈を、単純に同じだと思っていると
お考えでしょうか?
>政府権力と一般国民とは、その地位と権力の格差において圧倒的違いがあり、
決して同等、対等、平等ではあり得ない、ということを私が理解していないと
お思いなのでしょうか?

まさかです。そのことは、はじめてお話させていただいたときから今日まで、また水面下(でしかできないな本音)でも繰り返してきた対話のなかで、まっさきに承知していることです。でなければ、どうして私がコメントを寄せたりするでしょうか。

むしろその逆です。そういう彼岸花さまを存じているからこそ、最初にいただいたご返信のなかにあった、(特に問題があるとも思えない)「売国」と「建屋」の発言について、反省の上で引っ込めてしまわれたことが、私には意外に思われたのでした。もしかすると「忖度と斟酌」ムードのなかで、彼岸花さままで萎縮されてしまわれたのかなあ。あるいは、直裁にではなくとも、なんらかの圧力を感じておられるのだろうかと、いらぬ心配をしてしまい、あえて問題提起させていただいたのでした。

なぜなら「建屋発言」(と言わせていただきますが)を最初に「たしなめた」のは、ウッドスタイン氏でしたね。そのあと玄さまが反論されていたのを覚えているのですが、一読者としては、彼岸花さまが言論を、何歩か後退することになったとように思えて仕方がなかったのです。しかし今回、彼岸花さまなりのお考えは理解できましたので、これ以上わたしがどうこういう問題ではありません。

もうひとつ、わたしたちはもともと、ヘイトスピーチについて論じていました。ヒコクミンにせよハンニチにせよ、在日の特定民族への「シネ、コロセ」発言にせよ、なぜそういうことができてしまうのかと。ここまでは分かります。しかしそのあと突然、彼岸花さまは、自分のなかにも同じような心性があるとして、その例に、かつてご自身がなさった「売国」や「建屋」に関する発言を挙げられて、反省の材料とされました。わたしが違和感を持ったのはここです。

もし彼岸花さまが、ご自分の中にも、(たとえば)外国人やある職業の人々に対する偏見があり、かつて暴言をぶつけてしまったことを反省したい、というような内容を書かれていたのなら、すんなり納得できたのですが、「売国」「建屋」に関する発言は、多少辛口なものであっても、決して弱者、少数者に向けられるヘイトとは同格には論じられません。けれども何気に並列されてしまうことで、あたかも政府批判もヘイトスピーチも十把一絡げに否定し、「悪い言葉(表現)を使ってはいけません」というキレイゴトになりかねない。そこに彼岸花さまの真意があるのではないということが分かっているからこそ、私には余計に違和感が募り、釈然としないものを感じたのでした。

>それでは、『シネ!』という悪罵はどうでしょうか。
使ってはならない言葉は使うまい、と書いた私の念頭にあったのは、
実はその言葉なんです。

「シネ」「コロセ」については論外でしょう。こういう言葉は、他者よりも前に、自分自身の人間性を破壊してしまうものです。あるいは自分がすでに壊れていることに気付かないからこそ、こうした言葉を平気で使用できるのかもしれません。問題なのは、たとえ「シネ」「コロセ」とそのままの言葉で言わなくとも、「万死に価する」とか「切腹ものだ」「打ち首獄門にすればいい」などという暴言を、ネットや雑誌はおろか、名のある政治家や評論家でさえ普通に使っているのが、日本の現状だということです。最悪ですよ。

いまの日本で最も過激なのは在特会のヘイトスピーチですが、私たちだって日常的に、たとえば言論表現への圧力や統制を指して「中国や北朝鮮のようだ」と言いますし、安倍氏の独裁ぶりを指して「安倍さんがキムさんになる」、あるいは米の戦争に協力することで、「わたしがイスラム教徒だったら、東京でテロを起こす」と言ってみたり、どれも明らかな差別なのですが、わかりやすい例としてすんなり受け入れてしまうほど、ある国、ある民族、ある宗教への誤解や偏見は、わたしたちの周囲に瀰漫し、それがヘイトを生み出し、見て見ぬふりをさせてしまう土壌になっているということです。

どんな悪罵も少し表現を変えればいい、公共の場で用いなければいい。そんなものではないでしょう。最後には人間に共通するひとつの心性に行き着くと思いますので、法律以前にこれを、倫理や道徳によって制御することも大切だと思います。安倍氏だって、連日連夜ものすごい暴言をぶつけられているわけで、彼への好き嫌いより以前に、なんともおぞましい話だとは思っています。

>私が言いたいのは、国家権力に対し正義の立場を標榜する
一般庶民のこころにも、そういうものがあるのだ、ということです。
そして、自分の心の中にもそういうものが否定しがたくある。

ご指摘の通りなのです。私だって同じです。ただ、その地位や属性に関係ない人間共通の心性を理解しながらも、最高権力者に対する「安倍ヘイト」という概念は、成り立ち得ないものと私は考えます。ヘイトクラムとは一般に、「人種・宗教・性的指向・民族への偏見が、動機として明白な犯罪」として定義されていて、被害者は必ずしも少数者とは限りませんが、まずは社会的に差別されてきた側を、暴力や憎悪から守ることが目的だと思うからです。それを人間の心性ということで一般化してしまうと、かえって権利を奪われた側に一層の重圧を加え、一層黙らせてしまうのではないか・・・わたしが懸念するのはそこなのです。

わたしたちは、みずからの言論や発言に対して、責任をもたなければなりません。自分の発した言葉に問題があれば、それを吟味して反省すべきですし、場合によっては謝罪することも必要です。ですから彼岸花さまが反省なさった事柄については、ほんとうは私が何か口を挟むべきではないのです。どのような圧政者、差別主義者、暴漢に対しても、絶対に悪罵しない、暴言を吐かないという信念を持ち、かつ実行している人もいますが、私はそれにはまだまだ疑問があるので、今回も考えさせられました。

ただ最低限の線引きとして、地位や権力に物を言わせて、圧政を敷き、人々を苦しめる者たちやその所業については、被害者の側が悲鳴にも似た叫びで悪罵を吐くことは、奨励こそできないけれど、理解されるべきだと思っています。決して、「シネ」「コロセ」もふくめた悪口雑言罵詈讒謗の限りを、遠慮なく投げつけて叩きのめせと、あんなやつらに何を言っても悪いことなんてあるものかと焚き付け、扇っているのではありません。

弱い人はたいてい優しい人なんです。だから耐えて耐えて何にも言えない。どんなに被害を受けていても、「やめて」さえ言えない。「馬鹿」と口にするだけで自分を責めてしまう。しかも強い者には何も言えないけれど、より弱い者に対しては抑圧者としてふるまってしまうさえある・・・・・そういう例をたくさんみてきました。こういう雁字搦めの悪循環をなんとか打破できないものだろうか。ここに私の原点があるんです。

弱者が置かれたあまりにも不当な状況からの、まずは精神の解放(私は自分を守るべきなんだ。抗議すべきなんだという自覚)が大切で、言葉を発するのはその第一歩であると思っています。たとえそれがガス抜きのための、どんなに軽率な悪口あっても、言葉にすることで自分自身を確かめ、周囲と対話をはじめ、考えを深めてゆく機会になります。もしそのとき、「ばか、あほう、シネ、コロセ」しか言えないようなら、一切のコミュニケーションや、人間関係は不可能なわけですから、本人が自分の思いを伝えられる言葉を、一から学んでゆくしかありません。くじけず、あきらめず、続けていってほしいのです。私自身がいまこうして書いているのも、その学びのひとつだと思ってしているのです。

なお、彼岸花さまがデモの中で見かけた「安部シネ」というプラカード。以前ブログ記事でも読ませていただきましたが、ずっと気になっていたんです。ふつうの常識があれば、誰に対しても、いかなる理由であれ、「絶対に使ってはならない言葉」だと分かるはずですし、そんなものを掲げた瞬間、自分たちの本来の主張や運動の、意義や価値までも損なわれ、人間としても信頼を失うだけなのに、一体なにを考えているのだろうかと。たぶん何の考えもなくデモに紛れ込み、悪口を言って騒いでいるだけの野次馬か、でなければデモを貶める目的でやってきた、反安倍を装った回し者かもしれないと疑いました。正体はわかりませんが、その疑念はいまも手放していません。馬鹿馬鹿しくなってやめたのか、自然淘汰されたのか分かりませんが、いずれにせよ「シネ」「コロセ」などは、言論ではありません。

以上、久しぶりに長々と書かせていただきましたが、
まあこんな文章は、まだまだ短いほうですよね、私たちの間では。
誤解を与えるような書き方があったことを、お詫びいたします。
ヘイトの問題に関しては、私自身がまだ答えを見出していませんので、
いつか考えが変わるかもしれませんが、引き続き考察してゆきたいです。

なお、森の妖精アイさま、
前のコメントをお読み下さり、ありがとうございました。
彼岸花さまには、お世話になってばかりです。
ときどき、ブログを訪問させてくださいね。

Re: んさんへ

んさん、おはようございます。

民主党ね~~~。
私は、自民党に代わって政権をとりうる政党がないと、自民党の思い上がりが
やまないので、とにかくとりあえずは民主党に頑張ってほしい…その想いで
応援はしています。
そもそも我が家は、昔から、社共が力を合わせた状態というのが一番いいかと
夫が共産なら私は社会党、ときによってその逆、というように票を一票ずつ
分けて来たんですよ。^^
でも、社会党は内部の対立が激しく、またあろうことか村山政権で自民と
組むなどして、国民の支持をどんどん失って行き…
まあそれでも今でも私は応援はしていますが本当に情けない体たらく。
共産党はまた、筋を通す立派な正当なんですが、日本には共産党を
よく知りもせず忌み嫌い恐れる人々が多いので、一定の票以上は伸びない…。
(でも、今度の参院選に向けた戦い、共産党は柔軟路線を打ち出しましたね。
嬉しいことだと思います)
まあ、民主に頑張ってもらわないと困るのです。でもおっしゃるように
民主は自民党より自民党、というような議員から、左派もいる…
どうしても一枚岩で動くことができません。
民主党はそんな状態を続けていないで、二つに別れた方がいいと思いますね。
私は、自民を倒すためなら、今はみんな共闘して!と願う者ですが、
民主党は、前原、細野(日和見主義ですが)、野田、長島、安住…そこらへんの
自民寄りの議員はいらないから、出ていって欲しいです。
民主にはいい議員もいます。それらに頑張ってほしい。政権運営は不慣れで
TPP参加、原発事故後の対応などまずいこともいっぱいやりましたが、
今の自民党安倍政権よりははるかにはるかにましです。少なくとも
国民目線を持っていて、社会をもう少しはましなものにしようという意識はあった…。

次の参院選は、とにかく自公、次世代、改革、元気、維新の橋下派…これらを
落とすことです。
日本会議の連中を一掃し、改憲を阻止するためには、野党連合は絶対に必要。
自民を追い落とす、という目的が、野党自身をも変えていく。
国民の期待は自分等の側にある!という意識は、大きなダイナミズムを
政界に生みだす。その後のことはあとで考えればいいと私は思っています。

今のこの、国民の祈るような想いをがっちりと受け止められないのなら、
民主党は本当に終わりだろうと思います。

んさん。ありがとうございます。
なんか希望をすこしぐらい持ちたいですよね~~~!政治家しっかりしてくれ!

民主党といえば

そもそも、自民党で役職もらえなかったポンコツ議員が徒党を組んで自民党を飛び出したのが始まりだった様な?

それと、既存の野党から逃げ出したクズ議員が合流した「リアル烏合の衆」政党と自分は認識してますが。

未だ信用が戻りきらない惨状見てれば納得です。

まあ、たとえポンコツとはいえ野党キャパが無い現状では次期選挙では、がんばってもらわなきゃなんですが・・・

前回の自民党同様「お前らに全権委任したわけじゃないんだぞ!」と、ぎっちり釘を刺しておかないと、なにせ「ポンコツの寄せ集めですから」簡単に暴走しちゃいそうで・・・

えっ!自分ですか?幸い「ブレが今までは少な目の共産党」が毎回懲りもせず立候補してくれるんで(我が県は良い事なのか悪い事なのか?保守王国なんで野党は当選しないんだよなぁ)迷い無く投じてるんですが・・・

国民に不利益になりそうな情報全く出さない現政権、政権とっても空中分解しそうな野党連合・・・どっちも不安要素しか無いのは気のせいかなぁ?

Re: んさんへ

んさん、こんにちは!

> 一億総活躍・・・

ほんとに胡散臭いうたい文句ですよね!
わたしは、もろ、『一億玉砕』という言葉を連想してしまいました。

> 「国民精神総動員」とか?「進め一億火の玉だ!」とか?

ほんとほんと。
あのね。戦争末期の日本は、『最後の一兵まで』どころじゃない、
女子供まで本気で特攻攻撃させようとしていたんですよ。

もう、制海権も制空権もすべ て失っていよいよ本土決戦を覚悟した昭和20年
6月22日。『義勇兵役法』というのが交付され、その日のうちに施行されて
いるんですよ。

この『義勇兵役法』というのは、15歳以上~60歳以下の男子および、
17歳以上~40歳以下の女子に義勇兵役を課し、必要に応じて国民義勇戦闘隊に
編入できることとした法律です。年齢制限外の者も志願することができた。
もう、ろくな武器兵器もない中、一人一殺の肉弾攻撃を、女子供にさせようと
軍部は本気で考えていたのです。そのための法律を作ったのです。
少年や女たちに爆弾を背負わせて、敵の戦車のキャタピラの下に飛び込ませたり
女子供だからといって油断している敵の真ん中で自爆させたりしようとしていたのです。
この法律は『臣民の義務』とされていましたから、拒否することはできませんでした。

ナイジェリアのボコ・ハラムや、あのISILとなんら変わらない…

国というものは、そういうものですよね。
夢夢、国民の幸福と安全のため、なんて言葉は、そのまま信じていられないです。

北欧諸国の一部のように、国を信じられるような国だったら、どんなに
いいでしょうね。

TPPは確かに庶民にはありがたいこともあると思います。安いコメや
肉を買える。外食産業も潤うでしょう。
でも、それが、安全な食品かということはわからないんだなあ!
薬漬けとか、不衛生な環境で作られたとしても我々にはわからない…

そしておっしゃるように、食の自給という国家の根本をおろそかに
してしまうのが一番怖いですよね!
その他にも、ISD条項とか、怖い決まりがたくさんくっついています。

日本の農業林業などの問題は、本気で考えないと、ですね!

んさん。ありがとうございます♪ 


> TPPも良いような悪いような?
> 物価は下がるかもだが、更に国産の食糧自給欲は確実に減っちゃいますよね。
> 日本の食糧の低自給率、それをネタにアメリカなどが食料を輸禁なんかにしたら・・・
>
> たとえ貿易自由化されても食料自給率の維持増産も平行して続行しないと危険だよな。

Re: 森の妖精 アイさんへ

森の妖精 アイさん。こんにちは。
いえいえ。どうぞご自由に、ここで意見交換してください。^^

けれども、ここのコメントは、私のは無論(すみません。汗!)、
概して皆さんのも長いです。(笑)

でもね。人の意見を聞けば、自分の考えも返事しながらまとめることが出来るし、
まあ、根本的部分はなかなか変えられないにしても、いただいたコメントから
自らを省ることにはとても意味があると思います。^^

私こそ、アイさんが長年テーマとしておいでの問題には教えられることが
たくさんありそうです。
自然が大好きだと思っているし、実際、山で生まれた人間なんですが、
自然の植生のこととか、知識が殆どないですから。

私のブログも、もとはこんなガチガチなブログではなく、お花のことや
鳥のこと、好きなもののことなど割合幅広く書いていたんですが…。
今はほとんどこんな政治記事ブログですが、どうぞお気軽に遊びにおいで下さいね。

ありがとうございます♪





Re: ☆さんへ

☆さん、おはようございます。

ご意見ありがとうございます。

私が安倍氏らの行為を『国を売るような行為』と言い、まただいぶ以前のことですが、
原発推進してきた自民党や東電の幹部らに『あなたたちが建屋にはいりなさい!』
という言葉を書いたことなどに対して、悪くない、と弁護してくださること、
ありがとうございます。
民主党政権の頃、野田さんに対し『野田馬鹿』と書いたこともありますしね。^^
でもまあ、基本的に、なるべく極端な言葉は使うまいと思ったというただそれだけのことなんです。

☆さんのおっしゃることよくわかります。
そりゃ私だって、悪口雑言の限りをこの政権に向かっては投げつけたいです。
心の中では、かのご仁とその取り巻きがテレビ画面などに出てくると、いつも糞馬鹿野郎とか言ってます。^^

☆さん。
私が、圧倒的権力を持っていて、国民を戦争にまで駆り立てる力も、そうしよう
と思えば持っている者の暴言悪行と、一般の庶民の、もうどうにもやるかたなき
想いから出た悲鳴にも似た悪口雑言・罵詈を、単純に同じだと思っていると
お考えでしょうか?

私の書き方や例の挙げ方が悪かったのかもしれません。もし、私がそのように
単純に両者を比べて、虐げられた者たちの悲鳴に似た声に対してさえ、
そう言う汚い言葉は使うべきでない、と綺麗ごとを言っているのだと
受け止めになられたのなら。
でも、☆さん、ちょっぴり悲しいです。

政府権力と一般国民とは、その地位と権力の格差において圧倒的違いがあり、
決して同等、対等、平等ではあり得ない、ということを私が理解していないと
お思いなのでしょうか?
もし☆さんにさえそう思わせるようなことしかこれまで書いてこなかったのだとしたら…
私はこれまでずうっとここで書き続けてきたことに絶望してしまいます…

私がここで、おそらく読んでくれる人は、たまたま通りがかった人がいるにしても
固定的に読んでくださる方は、多分2,30人でしょう…それにもかかわらず
原発のこと、憲法のこと、戦争と侵略のことなど書き連ねているのは、
なんの力も持たない一庶民にすぎない私からの、権力者への精いっぱいの
抗議の想いからです。いわばやむにやまれぬ想いから書いている。
その私が、どうして単純に権力者の暴言と、力なき庶民の悲鳴とを同等に
扱ったりするでしょうか。
一票を投じる以外、政治参加の機会を持たない庶民が、デモで、集会で、
ビラで、投書で、…ありとあらゆる方法で政権批判をするのは、国民の正当な
権利です。
時には…もうそれしかないという究極の場合には、政権を力の行使によって
倒すしかない、という場合だって現実の世界にはありうると思います。
いいとか悪いとか言う問題を超越して、それは生きるものの必死の戦い
である場合もあるからです。

ただ…今がその時であるとは私はまだ思わない。
使わなくても済む暴言は、なるべく使わないでいようと思うだけです。
TPPという、『売国』というのに近い行為に対しても、『国を売る』という
表現は、まあ私にしてはぎりぎり使ってもいいかな、と思う言葉でした。
正直、おっしゃるように、この表現に対しては自分でもそう強すぎると思わないかも。でも、他に言いようがあるのなら、かつて日本人が同胞に対して投げつけたこのような忌わしい言葉を連想させる表現は、敢えて使う必要もないんじゃないかと私は思ったのです。

私の例が悪かったのかもしれないですね。
それでは、『シネ!』という悪罵はどうでしょうか。(FCさんが この漢字使うとアップできないようにしてしまう)
使ってはならない言葉は使うまい、と書いた私の念頭にあったのは、実は
その言葉なんです。
SEALDsが表に出てくる前の頃だったと思います。国会前のデモに参加している
若い人が掲げる、個人の作ったプラカードや垂れ幕に、『安倍シネ!』
というのがあった。私は写真や映像などで見ただけだけれど、「これは、
これはまずいな」と思いました。
新大久保などを威嚇街宣する例のヘイト集団。彼等が韓国の人々などに
対してこんな言葉を使いますが、それと同じ言葉じゃないですか。
同じ言葉でも、その立場の強い弱いによって使ってはいけない言葉、状況や
背景からぎりぎり許されるかなというものは確かにあるだろうと私も思います。
しかし、相手がどんな人間であろうと、『・・シネ!』という言葉は使っては
ならないと私は思います。そう言う言葉も、数ある言葉の中にはあると思う。

誰かに向かって、『シネ!』という言葉を投げつける心理は、あのヘイト集団の
『・・人、シネ!』と叫ぶ心理と違いがないように私には思われます。
国会前の人々が、言葉以外に闘う武器を他に持たぬ弱い立場の者であって、
相手が国会という権力の殿堂の、その頂点にいる人物であるからと言って、
『シネ!』という言葉を、例え本当にしねなどと思っていないにしても
投げつけるのは、やはり良くないと思います。

おっしゃるように、もう我慢ならぬ、武力革命しかない!政府転覆しかない!
とか、他国の侵略を受けて戦争!となってしまった場合は、もうぐちゃぐちゃで
綺麗ごとなど言っていられなくなるかもしれない。民衆の怒りは留めようが
なくなってしまっているでしょう。
だが、今はそこまで行っているのでしょうか。
安倍政権に私ははらわたが煮えくりかえるほど怒りを持っていますよ。
今に始まったことじゃない。第一次政権の頃から大っきらいで警戒していました。
今の状況は本当に深刻です。深刻だと思うからこそこうやって書いている。
だけれども、まだ、この国で民主主義は死んでしまったわけじゃない。
自由もないわけじゃない。その『民主主義』とか『自由』とかを守ろうと叫ぶ者が、
ヘイトスピーチと同じような言葉を使っていいとは私は思わないです。
相手の胸に銃を突きつけながら、『この野郎!シネ!』と叫ぶ。そのような時代に
まかりまちがってもしたくないから、今、まだ自由のあるこの時代になんとか
民主的方法をもってこの国を変えたいと願って活動しているのじゃありませんか?
それならば、やはり立場がどうであろうと使ってはならない究極の言葉、と
いうものはあるように私は思います。

最近では、若い人たちのプラカードに、『安倍シネ!』というようなものは
なくなっているように思います。だんだん学んで来るのだと思っています。

私はね、安倍さんも、その祖父の岸さんも大嫌いだったし大嫌いです…
しかし、それは政治家として嫌うのであって、彼ら個人のことは知らないから
好きとも嫌いとも言えない。
安部さんが、ああいう思想になったのは、祖父への想いが大きいのだということは
誰もがいうことですよね。
「どうしてああ凝り固まってるかなぁ!」と、政治家安倍晋三を憎むとき、
私ね。小さかったころの安倍さんをふと思うことがあるのです。
彼は、「小学校の頃、『戦犯の孫』とからかわれていた」と、いつかその伝記
というのかな(自伝ではありません)を読んだとき書いてあったことがあります。
安倍晋三って一体どうやってああいう思想になったのだろうと思って、吐き気をこらえて
安倍、岸関係の本を何冊か読んでみたことがあったのです。
岸さんがどういう人であろうと、その孫の、しかも当時幼稚園か小学生であった
晋三少年が、『戦犯の孫』などというそんな言葉を投げつけられるいわれは
ないじゃないですか。
無論、子供たちが自分で考えて言った言葉じゃないでしょう。でも、まわりの
大人たちが、「あの子は『戦犯の孫』だ」というのを聞いて、『戦犯』の意味も
知らず、子供らも晋三少年を指して言ったのでしょう。
これは『いじめ』じゃないですか。

私が言いたいのは、国家権力に対し正義の立場を標榜する一般庶民のこころにも、
そういうものがあるのだ、ということです。
そして、自分の心の中にもそういうものが否定しがたくある。
そのことへの戒めを、この玄さんへのコメントで、自分のこととして
ちょっと触れただけです。

庶民がもうどうしようもない国家の圧政と残虐に対して思わず発する命の言葉、
それまでをどうして私が否定することなどあるでしょう…

☆さん。いつもありがとうございます。
ご意見、ありがたく心に受け止めます。



なんだか・・・

一億総活躍・・・
太平洋戦争時にあったような、似たフレーズのスローガン(ぼそっ)
「国民精神総動員」とか?「進め一億火の玉だ!」とか?

確実に危ない思想が下敷きにありそうだ。
徴兵制は絶対に無いなんて言い張ってるが、既に嘘吐き政権の言う事は信用できない!
TPPも良いような悪いような?
物価は下がるかもだが、更に国産の食糧自給欲は確実に減っちゃいますよね。
日本の食糧の低自給率、それをネタにアメリカなどが食料を輸禁なんかにしたら・・・

たとえ貿易自由化されても食料自給率の維持増産も平行して続行しないと危険だよな。

No title

☆ さま
 今回のコメントは まったく同感❣ の思いで読ませていただきました。
 少し長かったけど。。。
 
彼岸花さん 
 ブログの記事そっちのけで コメントの感想交換でごめんなさい。
 いろいろ考えれる場を提供頂いていることに 感謝です。

言葉という問題

彼岸花さま、ご返信をありがとうございます。

>ただ私も心して反省したいと思うのは、玄さんへの返事にも書いたけれども、
TPPなどに関して、政府の行為を、『それは国を売るような行為だ』などと
言う表現を自分にもふと許してしまう、ということです。
こういう言葉を使う心性は、自分の中にもあるのか!と深く反省させられま す。
いくら安倍氏の政策が嫌いでも、その人格を否定するような言葉までは使うまい、
といつも心掛けてはいるつもりでも、怒りのあまりそれに類する文言をふっと
使ってしまう。
随分前のことですが、崩壊した建屋の中に、『あなたたちが入ってみなさい!』と
安倍氏や政府、東電幹部やなどに対して思わず書いたことがあって、たしなめられた
ことがあったけれど、それなども例えどんなに怒っていても、言ってはならない
文言だった、とその時深く反省したものです……

そうでしたか・・・。
わたくしが申し上げるのは、失礼に当たるかもしれませんが、
それでも、なにをどうして、そこまで反省なさるのでしょうか?
どこが、どのように間違っていたとの、ご認識なのでしょうか?
かつて戦中に、ある人々を売国奴、非国民と罵ったことと、
彼岸花さまが、TPPに関して、『それは国を売るような行為だ』と
ただしく指摘なさることが、いったいどう繋がるのでしょうか?

それでも一般には、人を傷つけ、貶め、排斥するような暴言は、
たとえどのような場合、いかなる相手であっても、決して使うまいという、
そのご決意については、彼岸花さまのご選択として尊重いたしますが、
しかしひとつだけ、ぜひ考えていただきたいことがあるのです。

政府権力と一般国民とでは、その地位と権力の格差において、
核兵器と虫ケラほどの違いがあり、決して同等、対等、平等ではなく、
等価、同列に考えたり、扱ったりしてはならないものです。
つまり決して、「おなじにんげん」では、ありえないのです。
彼らは実際に、わたしたち国民の、生殺与奪をほしいままにできるんです。
私達はただ、政府に逆らわない条件付で、生かされているだけの存在なんです。

そうした、甚だしい支配被支配関係の下での、圧制や暴政に対して、
国民が、みずからの生命と人権を守るために、政府に対して物申すとき、
TPPを「売国契約」、安保法を「売国法案」と、適切な言葉で指摘することに、
なにか問題があるでしょうか。山本太郎議員も、厳重注意を受けましたが、
「売国」という言葉そのものより、それがどのような文脈や論理のなかで、
どんな状況の下で、だれの、どのような行いを指して使われたかが重要です。

たとえば教師が、成績の悪い子どもに「馬鹿!」というのは、暴言ですし、
明らかな人格蹂躙、人権侵害です。けれども政府に抗議する者が、某人物に、
「馬鹿首相」という罵倒語を投げつけたとしても、その暴言にも関わらず、
そこにこめられた怒りと蔑みと、やりきれなさに共感する人は多いのです。
悪い言葉ではあっても、方向と評価においては間違っていないからです。

「成績の悪い子」や「動作の遅い子」と、「我利我利亡者」や「悪徳政治家」を、
同列にならべて、「人に向かって馬鹿と言ってはいけません」というのは、
私には受け入れがたい理不尽、不公正で、むしろ言葉への冒瀆に思えます。
物事の背景にある力関係において、被害者や被差別者、それに連なる者が、
加害する側に抗議する際、暴言罵声を発することは、お勧めこそできませんが、
じゅうぶんに許されるべきですし、理解されるべきだと思います。

たとえば、夫にも理解されず、孤立して育児に追い詰められた母親が、
わが子を虐待しても、私は決して彼女を、「ばか母」とは呼びませんが、
女でありながら、従軍慰安婦を否定するような政治家に対しては、
はっきり裏切り者の、女にあるまじき「ばか女」だと思いますね。

また世の中には、思うことや言いたいことが、どれだけあっても、
それを適切な言葉で、うまく表現できない人たちが大勢います。
「あべさんやばいよ」「あんなことやめてほしい」とは思っていても、
立憲主義が~、民主主義が~という話は難しいし、どうにもできない。
そういう人だって、政治に関心をもっていいのですし、安保法が成立したとき、
思わず「売国野郎!」と叫んだとしても、そのたった一言の痛切な想いは、
私なぞが書き連ねている文章などより、はるかに真実だと思います。

そういう、さまざまな事情を思えばこそ、もしそこに、
明らかに、国を売るような行為が行われたときには、それを指摘する
そのままの言葉を使って非難したとしても、すこしも構わないと思うのです。
なんらかの不正が行われた時、それを、暴言をもって指摘、非難することも、
決して間違ってはおらず、責められるべきでもないと思うのです。

政治家や東電幹部に、「建屋に入ってみなさい」というのも、
高線量の場所に行けというのが、実質なにを意味するかを考えれば、
言い過ぎだったと反省なさる、そのお気持は分かるのですが、しかし
彼岸花さまご自身が、そんな物騒なことを願っているわけではなく、
文章を読めば、責任ある者の責任の重さを、最高度に強い表現で
語っているだけのことであって、そのどこが問題なのでしょうか?

言葉というのは、ある単語の意味ではなく、その使われかたによって、
罵詈讒謗のなかに、真実や高貴さが宿ることもあれば、
美辞麗句のなかに、卑劣さや残忍さが宿りもする、不思議な生き物です。

まあわたしも、感情に任せて、下品な罵倒語は使いたくありませんけれど、
問題のある言葉は、それを使わなければ、それで済むわけではありません。
馬鹿というのはNGでも、ウマシカと言い換えればOKになるだけですから。

それよりも、たとえば「Viet fucking Nam」(糞ったれのベトナム戦争)という
きわめて強烈な言葉であっても、まずは、その背景や状況を理解して、
主張や内容がいかなるものであるかを受け留めてから、判断したいですね。
それこそが、言葉を用いる人間としての礼儀であり、教養だと思うからです。

Re: もうお一かたの殿方の鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。

ああ!そうおっしゃっていただけると、私もほんとうに嬉しいです。^^
ほっと安心いたしました。^^

真剣に語り合える相手がいて場もあるということはありがたいことだと
思っています。
実社会では、なかなか仕事がらみとかだったりして政治の話など持ち出せない
でしょうからね。そればかりじゃない、文学の話などでさえ、『青臭い』と
笑われてしまうことだってあるのじゃないでしょうか。
つくづくブログというものはありがたいなあと思います。いろんな方とこうして
お話が出来る…

『春風駘蕩のような男』で、大笑いしてしまいました。失礼お許しを!
いや、ほんと冗談でなくそう感じます。いいなあ!^^ 理想です!

自然の中にいるのはいちばんですね。
私は今日、娘夫婦がお世話になった群馬の老婦人から、今日、おうちの畑の
モロッコインゲンやじゃがいも、かぼちゃをたくさんいただいて、明日、
その方から習ったおじゃがの煮つけを作ってみようと思っているところです。
今回の旅で、その方に差し入れしていただいたそのお煮つけがめっぽう美味しくて、
ですね~。じゃがいもを一旦茹でてそれを大きな乱切りにして、油で焦げ目が
つくくらい素揚げするらしいんですね。そのからっと揚がったやつを、お味噌と
多めの砂糖、ほんの香りつけ程度の醤油を最後に、それらを煮からめるのです。
そんなシンプルな料理なのにほんとにほんとに美味しかったですよ。
でも、あの味が出せるかなあ!
…きっと、心からのもてなしの想いが加わってたからじゃないかな~、と
思っています♪ ^^

世界には、悲しいことが溢れていますね…
ああ、あのおばあちゃまのじゃがいも煮っ転がし。飢えたかたがたに
食べてもらいたいです…いけない…涙が出てくる…ほんとに美味しいんだもの…

鍵コメさん。いつもありがとうございます!









Re: MATZ-TSさんへ

MATZ-TSさん。こんばんは~。

お仕事お疲れさまです♪

そうですねえ。何かその後、朝日新聞など見てると、報道が薄味。
まあ、もともと濃くて熱くはなかったですが。^^
でも、本当はTPP一つ取り上げても、大変な問題ですのにね。
それなのに、新聞は全体にもう決まったような書きっぷりだし。
だって、これから、日本だってアメリカだって議会の承認名を得なければならない。
もっとも、今の日本の議会はただの政府方針承認機関になり下がっていますから
ほとんどあてにできない。でも、アメリカの方はそうはいかないと思います。
両方の側からTPP反対の議員がいますからね。
一つは、アメリカが譲歩し過ぎだ!と言ってTPP妥結を非難する人々。主に
共和党。もう一つは、これはアメリカの巨大企業による経済侵略だ、という
TPPの本質がわかっていて反対する人々。
民主党次期大統領候補のバーニー・サンダース議員のようなひと。
アメリカ次期大統領選は、これからどう動いていくのかちょっと興味深いですね。

はあ。それにひきかえ、日本の政治は。
極右の方に振れて止まっちゃいましたか~~~。この振り子、元に戻せるのかなあ。
本当に問題が山積しているのに、この政権は、馬鹿馬鹿しい空疎な謳い文句
掲げてみせるだけ。ほんと、安倍政権に反対とかそういうのを超えて、日本の
行く末が心配になってきてしまいます。

十河さんの作品。危機感ひしひしですよ~。
SEALDsの若者の大学(それも間違った大学に送っちゃったみたいですが。苦笑)
に脅迫状送りつけた者がいたり。その心性は、ここに書かれた言葉をかつて
ひそひそ囁いた人々の心性と同じですものね。
改憲なんて遠い話と、つい3年前まで思っていたのに、もう、その危険が目の前に迫っている!

そうですね。
自分の目線でしかものを見ていないと、他者の痛みもわからない。
立場を変えてみたら、自分たちがどんな気がするか、それを想像してみないのですね。
もし自分がヘイトをぶつけられてみたら…日本から出ていけ、などと言われたら…。
憎しみをぶつけられたら…。

そう、いろんな考え方はある。
そこで、相手の話も聞けるようなら、それはいいのですよね。
平行線をたどっても、相手の立場も理解しようと務めながら冷静な議論が
とことん出来るなら、話し終わって、何かは残る。それは相手に対する一種の敬意です。
そのお知り合いのかたとは、考え方は違っても、そうした冷静なお話が
成り立つのですね。^^

新聞ですか…
新聞ね。私、やはりとっても必要だと思います。それをここ数日で実感しました。
実は、9月19日、あの法案が成立しちゃってから、まあすぐ旅に出た、というのも
あるのだけれど、やはりがっくりは来てて、あれからこっち、そうですねえ…、
20日近くも、新聞手に取るのも虚しくて、朝夕刊とも全く読んでなかったんですよ。
ネットでは、一応その日にあったことはチェックしていたし、興味ある問題に
関しては、さらに関連記事読んだりもしていた。
でもね。やっぱり新聞読んでないと、何か、なんていうんですかね、全体図が
掴めない気がしますね。
自分にとって不愉快な記事でも、新聞は否応なしに目に入ってくる。
実はそれが大切なんじゃないかと思いますね。
ネットでは自分の関心のあるところしか原則として見ない傾向がありがちですから、
どこかバランスがぐうっと傾いてしまう気がする。そして、断片的なんですね。
新聞は、全体をつかむのにやはり大事だなあと思います。
論調の違う二紙くらいを読み比べるとさらにいいのでしょうね。
あと、新聞のいいところは、全体を見渡して、さらに余白を読みとる訓練が
出来ることかなあ。
これは書物についても同じことが言えるんじゃないかと思うんですけれど。
同じ文章を読むのなら、携帯でだって同じじゃないか、と思う方もいらっしゃる
だろうけれど、本が持つ余白とか、厚みとか重みって、なんか中味だけじゃない
違うものを伝えてくれるような気が私はするんだけれど。

18歳から選挙権というのは、良かったかもしれませんね。
ただ、SRALDsのような若者やそれに続くT-ns Sowlなどという人たちが
出て来たものだから、政府が慌てて、高校生の政治活動を制限したり
学校における政治教育の指導内容に文科省が強力に介入しようとしてくるのは
困りものですね~。中立と言うのでなく、いろいろな情報を与えて考えさせる
ということが大事ですよね。

いえいえ。また、お時間がおありの時、お立ち寄りください。^^
いつもありがとうございます!




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No title

彼岸花さん、今晩は。

ようやくひとつの仕事の目途がつき、一息入れています。

ただ、頭の片隅には、いつも、日本の今後を気にする自分がいる・・

日本が今進もうとしている道、安全保障、外交、産業、貿易(TPP)、エネルギー、どれをとっても、日本の将来に禍根を残す方向ばかり、という気がしています。

十河さんの展示:あって欲しくない世界・・ただ、近づいている気もする・・

===

その根源にあるのは、「自分だけ」「自国だけ」・・・という利己心。これは、色んな形で現れる。憎しみ、妬み、他人の(他国の)不幸を喜ぶ?そして他人の(他国)の評価を気にする、・・・ 自分を振り返ると、やはりそのような心は存在する。

集団になると、自国が「利己的」かどうか、は消えて、大勢に順応している心地よさに、真実が、広い世界が見えなくなってしまう。。。
極端な結果が、ヘイト、更に最悪、戦争という集団殺人への加担・・

そのような瀬戸際にあるような気がする。

===
私の周りにも、社会的にも個人的にも尊敬できる人で、しかし、隣国への差別的考えを真面目に語る人がおります。

ヘイトとの違いは、互いに理性的、論理的であることです。
その人とは、面と向かって真面目に対話ができるのです。これまで、侵略の定義や、日韓関係の今後などの堅い話もしてきました。

互いの考えは理解できたと思いますが、考えを変えるところまでは至っておりません。しかし、そのように理性と人の考えを真面目に聞くという態度であれば、どのような問題も解決の糸口は見つかると思うのです。

年配の方は、恐らく長年購読している新聞の影響、その系列の月刊誌などの影響はかなりあると思います。かくいう私も、比較しながら新聞を読んでいるつもりですが、影響はあるでしょうね(笑)。

最近の若い人は、新聞でもネットしか読まないから、そのあたりどうなんでしょう。

うちの子供に聞いても、友人間で政治の話などはまずしない、家でそのような話を聞いて育ったから、ついそのような話を出すと、浮いてしまう、とか言ってました。 全ての人がそうではないでしょうが・・・

私自身は、勇気をもって、率直に異なる意見の人と話をする訓練をしていくしかない、と感じています。ネトウヨと呼ばれる人と話をしたことはありませんが・・

選挙権が18歳に引き下げられ、主権者教育が議論されていますが、そのなかで、冷静に議論をする訓練がされれば、少しは変わっていくよな気がします。変に「政治的中立」に拘ると、面白くない勉強になるのでしょうが・・

憲法の話も書きたかったですが、長くなるのでこの辺で。。

いつも中途半端でごめんなさい。^ ^;;
 

Re:最初の鍵コメさんと同じ鍵コメさんへ

鍵コメさん。
ありがとうございます。
早速ご紹介くださったかたがたのところへお伺いしてみました。
皆さんすてきな方々ばかりですね。^^

おっしゃること、了解!です♪
ありがとうございます。こちらこそよろしくお願い申し上げます♪

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。

そうですね~。^^

次の記事また書きま~す♪

ありがとうございます。

Re: ☆さんへ

☆さん。こんにちは。

本当にどうして同じ人間をヘイト出来るのか、私にも全然わかりません。
☆さんに、いろいろ伺おうと思っていたところです。
その心性は、なにも今に始まったことではなく、幕末の頃にはすでにあった
でしょうか…
歴史の中で、その心性は、ときに表に目立って出てきたり、また首をすくめていたり
しながら、脈々と続いてきているのだと思います。今に始まったことではない。
今は、安倍政権誕生と同時に、表に出てきている時代なのでしょうね。
ほんとうに情けないことだと思います。

人間というものは、そういうふうに、自分と異なもの、理解のできないもの、
また勝手に自分が自分より下だと決めつけた者に対して、こうした言葉を
投げつける…そういう愚かな生きものなのでしょうか…
いや。鳩の群れなど見ていても、弱ったものを皆で寄ってたかってつつく、などという
行為が見られます。人間も、その同程度の生きものだということなのかなぁ。

『ヒコクミン』『バイコクド』『ハンニチ』…本当にいやな言葉です。
ただ私も心して反省したいと思うのは、玄さんへの返事にも書いたけれども、
TPPなどに関して、政府の行為を、『それは国を売るような行為だ』などと
言う表現を自分にもふと許してしまう、ということです。
こういう言葉を使う心性は、自分の中にもあるのか!と深く反省させられます。
いくら安倍氏の政策が嫌いでも、その人格を否定するような言葉までは使うまい、
といつも心掛けてはいるつもりでも、怒りのあまりそれに類する文言をふっと
使ってしまう。
随分前のことですが、崩壊した建屋の中に、『あなたたちが入ってみなさい!』と
安倍氏や政府、東電幹部やなどに対して思わず書いたことがあって、たしなめられた
ことがあったけれど、それなども例えどんなに怒っていても、言ってはならない
文言だった、とその時深く反省したものです……

…人間というものは、ごく脆いものですね。
かつて、それこそ、この『ヒコクミン』とか『バイコクド』などという言葉を、
当代きっての知性までが、自分では使わずともそれを黙認した時代があった…。
今、『かつて』と書いたけれど、ところがそれは過去のことではない。
今、この時代も、ヘイトを許してしまうこの日本……
昨年の朝日大バッシングに対しても、他の新聞などではっきりと擁護したものは
ほぼ皆無でしたね…
私もまた、黙り込んでいました…
黙り込むというのも同じ罪だと思います。
後藤さん、湯川さんの悲劇から、そのことをずっと考え続けています…

日本は、実は、全然変わっていないのでしょう。
☆さんが、今はリベラル的なとかそれに近い立場に立っていても、時代の空気が
大きく逆に変わって行けば、それらもごく脆く反対側になびくであろうことの
危険性、思想の脆弱さをよく指摘なさるけれども、他人のことは言えない。
自分もまた、自分に時代の空気に抗い続ける強さはあるか、と問うと、
まったく自信がありません…
だからこそ、まだ…まだ、言論の自由があるうちに、書くべきことは書き、
言うべきことを言いたいと願います。

この作品は、その、今も全然変わらない日本を、厳しく追及・告発している作品だと
思っています。わたしたちが当たり前の『平和な』日常、と思っているこの『今』も、
決して、そんなものではない。そこには大きな暗部が口を開けている。だのに
人々はそれを見ないのです。


☆さん。ありがとうございます。

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No title

ヒコクミン、バイコクドですか・・・ふるくさいですねえ。
いまでは「ハンニチ(反日)」が、最もリアルではありませんか。

「ハンニチ」ですと何か問題でも?「ハンニチ」はヒトデナシですか?
それより、「ハンニチ」の「ニチ」って、なんですかあ?
そういうこと、全然考えたこともない人が、実体のないレッテル貼りに、
「ハンニチ、ハンニチ」を繰り返したり、言われた側も萎縮してしまい、
「ハンニチじゃありません、アイコクシャです」って言い訳も見苦しいです。

ヒコクミン、バイコクドもそうですし、コクゾクとかもあったけれど、
こんな、反知性の象徴みたいなことば、よく平気で口にできますね。
少し考えるだけで、馬鹿くさくて、恥ずかしくなるものですが、
でもそれが時代の風潮になると、だれもが当たり前のように使ってしまう。
「ハンニチ」のなにが悪いんでしょう。わたくしはハンニチであります。

むかし・・・20年ほど前にアフリカを旅したんですが、そのときですね、
ルワンダという国では、わずか数ヶ月の間に、すさまじい大虐殺が起こり、
同国内に住むフツ族が、ツチ族の人々を50万~100万も殺しまくって、
ヴィクトリア湖は血に染まったんです。それまでは仲の良かった
家族や友人でさえ皆殺しにしたほどの、悪魔に憑かれたような事件です。
このとき殺戮を扇ったのは、ラジオによるヘイトスピーチでした。

私は、少し離れた国を旅行しながら、信じられないのと怖ろしいのとで、
失礼だけれど、そんなことをしたのは、無知な野蛮人だからだろうと、
近代教育を受けた人間、まして日本人には到底できんことだと、
ひどい差別だと思いながらも、自分を安心させるために騙しました。
けれども、いま日本で行われている、特定民族への差別と憎悪、殺人教唆は、
殺傷事件にまでは発展しないものの、憎悪と偏見のすさまじさにおいては、
ルワンダの虐殺にも劣らぬ蛮行で、そこには同一の精神構造があります。

ここ数年ですが、趣味の分野などで知り合った、ネットでの知人たちが、
それもごく常識的で温厚な、尊敬できる人たちが、急速にネトウヨ化して、
それこそ息でもするように、中韓朝へのヘイトで盛り上がっております。
そこで私も考えてみた。この人たちに必要なのは、知ること、学ぶことだと。
最初はそう思っていました。でもそれって、本当はぜんぜん違うんですよ。
どれほど事実を知ったところで、学んだところで、嫌なものは嫌だと。
知性でも理性でもなく、なにかもう不快でたまらず、がまんならんと。

この人たちに欠如しているものは、知識でも勉強でもなく(頭はいいので)、
人たる者の基本、人に対する根本のあり方、礼儀や倫理、自己統御です。
人を侮辱してはならない、見下したり、傷つけたり、差別してはならない、
誤解や争いが生じたら、どうやって乗り越え、解決してゆくべきなのか、
異なる相手にはどのように接し、共に生きてゆくかという、智恵や方法など、
ごく真っ当な人間としての精神の営為が、大の大人なのに理解できない。
その欠陥を補うように、自らを誇示できるヘイトが、魅力的なのでしょうか。
彼らの共通点は、自分こそ被害者だという壮大な妄想です。

朝鮮人や韓国人など大嫌いだという日本人は、普通にいることでしょうが、
でもニーメラーの警句を思い出すまでもなく、いまは特定民族に向いている
その生命を脅かす憎悪と攻撃が、いつどんな方向に突然向けられるかは、
分かったものではありません。政府に疑問を持つ、それだけでハンニチ認定。
いえいえ、わたしはアイコクシャ?茶色い朝が、東の空で爪先立ちですね。

それにしても、こんな陰惨な作品を見せ付けられると、やっぱり、
日本人にとっての『日本国憲法』は、「豚に真珠」だったとしか思えません。
豚は結局、這い出てきたばかりの汚泥に戻り、転げ回るしかないのでしょうか。

Re: わたしはLさんへ

おお!そうかそうですよね!^^

そうですとも。そうだそうだ!(笑)。
了解、です!

『連合』と民主党。う~ん…。困ったもんです。
そう言えば、昨日だっけな、連合の次期会長が決まりましたね。
どういう考え方を持った人物かな。

民主党はだめだなあ…!国会前で市民の前で野党党首たちが手をつないで見せた時の、
市民のどよめきと拍手をなんと考えてるんだろう。
一時がたんと減っても仕方ないから、民主党は右派と分かれなきゃだめだ。

それでもまあ、なんとか民主党もがんばらせなくっちゃ。
ほんと。どっかで鍛えなおしてきてもらいたいですね。

そうだ!ムシロ旗のこと書かなくっちゃ!^^






わたしはLEFTでっせ

組合じたいは絶対支持です,もちろんそこは,サヨクの原點は,勞働者のユニオンを組織する,という,とりあえず搾取の構造に対峙して弱者を救済する。そういう手段であったわけですし。どんな革命の第一歩も,そこです,日本のムシロ旗かかげた農民一揆もそうです,この精神は失われてはこまります!

ただ,ねー“至上”主義がいかんのですわー,

「連合」とれんごー民主はねえ,一年ぐらいインドの山奥でハンストでもしてでなおしてこいってなもんですよ!

Re: 玄さんへ

玄さん。お疲れさま。
いろいろ書かせてしまって、お疲れになったのでは?

でもおかげさまで、少し客観的に自分を見ることができました。

プラカードの件。そうか。やっぱりそっちの方ですか。^^

> ただ同じプラカードを掲げている,ことに全体主義を感じたんです,ていうか,
一抹の嫌悪感はサンデイカリズムをかんじたからです。組合っぽい威嚇的だなーとなーとw
>必ず極端と極端は,正反対の主張をしているつもりでもは同じことを無意識に
してしまう,という条理のようなものを感じたんです。

そうなんですよね~~~……
そこは悩ましいところであります。
おっしゃるように、『個』が孤独になって考える…その大切さはすごくよくわかるし、
私が、危機感を持ちながらもいまだにどこのグループにも属さないで、いつも一人で
デモにも集会にも参加するのは、それがあるから。
本質的に私も、一人を好むからだと思っています。
これまでいくつかの団体というか運動に顔出しはして見たけれど、そのかたがたの
優しさとかねばり強さとか持続する心の強靭さに感動しながらも、やはり自分は
外にいようと思った。外からの協力はいくらでもするけれど。

一方で、私はまた、数の力というものも無視できないでいる。
安倍政権は、数の力で、ここまでのことをやり遂げてしまいました…
それに対抗するのは、やはり数の力が必要だ。それを痛感します。ほんと痛いほどに。
毎回、国会前に行った報告を書くとき、参加者が警官隊の誘導、もしくは
参加者自身の体力とかグループで来てるからとかの諸事情で、国会周辺の道路に
散り散りに位置して、航空写真を撮った時、その人々の姿は木立の陰に隠れて
見えない…。それをいつも残念がるのは、『これだけの人が集まっているんだぞ』
ということを可視化させて、国会内にいる人々(与野党双方に)見せたいと
願うからです。
私がよく使う表現をまた使ってしまうけれど、『殆ど悲鳴のように』
「みんな、この1,2時間だけでも正門前に集まろうよ!!!!」と思う。

国会前にどれだけの人が集まろうと、結局それでは何も変わらないじゃないか!
60年安保…あれほど人が集まってもなにも変えられなかったじゃないか。
そう冷笑的に言う人もいますが、私はそうは思わない。
今回の全国的デモも、各地で何百回行われようと国会前に何人集まろうと
結局安保関連法案は通ってしまった。けれども、この動きは、やはり何かを
確実に変えたと思います。
わずか十数人くらいの、秘密保護法に関する集まりから始まったSEALDs。
それが今、全国の若者を動かす力に膨れ上がった…
国会前だけじゃない、人口わずか500人の街で20人の小さな、だけど熱い
デモが起こる……
『数』の力も相まって、『個』が動きだした実感があります…。

群れることを本質的に嫌いながらも、数の力はやはり大事。
私の中でそこのところは今のところ惑いつつも迷いはない、かなぁ。
おっしゃることすっごくよくわかるんですよ。こういう運動自体が、ある種の
同一化への脅迫性を持っていること…。それから、『集まる』ということが生みだす
一種の陶酔性の危険やいやらしさ…。それへの反発もよくわかる。
普段なら私も最も嫌いなことです。
ただ…。今は、私は敢えてそれもする、というところ、かな。
とにかくどんなことしても、安倍政権がこれ以上勝手をするのを止めたいから。
だからね。本来あまり好きじゃないものでも、同じ方向を向いているならば、
今は一緒にやっていきたいと思う。維新の一部でさえ。

全体主義かぁ…
うんうん。運動というものはすべからくそういうところに陥る危険ははらんでいますねぇ。
目的がどうであろうと。
でもね。私が今、願っているのは、人々に、とりわけ若い人々に、『成功体験』
をさせたいってことなんじゃないかと、いつも思います。
それは、あの原発事故が起きて、その次の冬かな。今井一さんという人が
『原発国民投票』の運動を始めたんですよ…。
私は、その都民版、『原発都民投票』のための署名集めに街頭に立ちました。
私は、国民投票に、今の時点では反対です。今の日本国民は、投票率を見ても
わかるとおり、自分の一票と政治の関係を自覚していない。そんな中で、
目的が改憲…それも自民党案による改憲など、あり得ません!
『原発国民投票』は、その改憲のための国民投票に抵抗感をなくす、という
危険性があるんじゃないか、と思った。
それなのになぜ、署名集めに参加したか、というと、負けるわけにいかなかったからです。
東京都という大票田で、原発をどうするかという都民投票を行う。それには
都議会での決定がまず必要です。その都議会に原発の稼働の是非を問う都民投票
条例の制定を求める請願する…そのための署名集めでした。…ややこしい。
都民有権者の2%だったかな、の署名が必要だった。2%と言えど大変でしたよ。
でも是が非でも集めたかった。
それは、東京都の試みが失敗すれば、住民投票しようと準備している他の
都市の出鼻をくじくことになるし、何より原発を推進するあらゆる一大勢力に、
『そら見たことか。東京でさえ署名が集められない、国民というものはほんとは
原発の是非になどそんなに関心がありゃしないんだ!』という赦しを与えるわけに
いかなかったからです。
そしてね。何より、この署名に参加してくれた人々みんなに、
『やればできる!』という達成感を味わってもらいたかったからです。
思えば、60年安保のあの大きなうねりから…70年代全共闘運動が
あさま山荘事件や仲間を殺し合うなどという悲惨ともなんとも言いようのない
結末を迎えて、学生運動やあらゆる政治活動が衰退~消滅していってしまいつつある
この日本にあって、束の間のそれも脱原発の前の前の前の…段階のような
請願のための署名集めであろうと、何かこうした運動を達成させる、という喜びや
やりきった感、を参加した人々に味わってもらいたかったのです。

そのこと自体何かの成果は得られなくとも、その経験はきっと次の動きに
つながって行くと思ったから。
そこでぽしゃってしまうのと、一定の結果を得る、ということは大違い!だからです。

私が、SEALDsや、ママさんたちなどの運動を温かく見守り背後や側面から
応援したいと思ったのは、若い世代に、どのような形であれ、政治運動に
関わる経験と、一定の成果と、それをやり遂げたという達成感を、同じく
経験してほしかったからです。
今は実を結ばない…なんの結果も生みだせないかもしれない…でも、この経験と
ノウハウ、そしてある意味充実した日々は、きっときっと彼等の大きな財産に
なると思ったから。
それは、SEALDsなど以外の初めてのデモ参加者、全国の運動、に関しても同じです。

この晩、同じプラカード掲げていた人々ね。その、なんというかなあ…静かな
充実感に満ちていた気がしたなあ。
全然目的は遂げられなかったんですけれどね、それでもこの人々は、
確固とした個の集まりだ、って感じがしましたよ。次に続く動きだ、と。

でも、そうね!
確かに、客観的に見ると、なんかおっかしいよね!^^
みんなが同じもの素直に持って、ミーアキャットみたいに同一行動してる
おかしさ不気味さは確かにある。^^
この中に『とにかく同一嫌い』の自分もいたのかと思うと、なんか、
玄さんがおかしいというのと違った意味で、昨夜、一人で笑っちゃいました!
そう。でも、
『必ず極端と極端は,正反対の主張をしているつもりでもは同じことを
無意識にしてしまう,という条理のようなものを感じたんです。』
という玄さんの言葉は、胸にしっかり刻みつけて、自分の戒めとしたいと思うわ。^^
しみじみと。ありがとう~~~♪

それからね。
サンディカリズムのことですが。この言葉知らなかったので調べましたよ~。(笑)
『労働組合至上主義』かぁ…。なるほど。
これに関しても私なりの意見はあります。
ね。玄さん。あなたと私が違う意見とか感じ方したっていいですよね。
あなたとは、そういうことも遠慮なく議論できる人間にわたしはなりたい。
まだまだ勉強不足で、丁々発止と行かないところが残念ですが。
でも、玄さんだから安心して違う感じ方も言えるのであって、そこはお互いに
気にしないことにしましょうね。

組合についてはねぇ…
私はまだ幻想に近い信仰を持ってるかな…
無論、『クミアイ』というものが内部にはらむ諸問題というか、いやな体質のことは
私も、直接は経験してないけれど、いろいろ話に聞く。
でもねえ。組合活動というものの歴史のことを想うと、まだそれを否定する気になれない。
いつもね、デモに行くと、たっくさんの組合の幟旗が立ってるでしょ。
私、何度行って、何度見ても、あの幟旗に感動しちゃうんですよ~(笑)
どこの組合旗でもいいから、後にくっついて歩きたくなっちゃうくらい。(爆)
それはおそらく、私が組合というものの暗部を知らないからということもあるのだろう。
けれども、もし、日本から、こうした活動が一切消えて、こういう幟旗掲げて
集まってくるおじさんたちも皆いなくなった…という日本の姿も想像してみる。
それってめちゃくちゃこわくないですか?

と言って、自分がそういう活動出来るとは、また、思いませんが。

『共産主義』もそうだけれど、『組合』も、その理念は決して間違ってない。
それを現実にかたちにして動かす人間が、その理念に追いついてないか、
自らの卑小な精神のゆえに歪めているのだと私はいつも思っています。

それから。カタカナとひらがな、漢字のことは、私の勝手な感じ方だから
笑って聞いてね。どれが上だの下だの全然思ってないですぅ。
私は漢字そんなに知らないけれど、漢字大好き人間だし、日本に三つの表記法が
あるってほんとに便利で賢いやりかただなあといつでも思います。
誰でしたっけ、日本語を仮名表記だけに統一してしまえと言ったのは?
日本語を止めて英語にしてしまえ、と言った人物もいたな。初代の文部大臣 森有礼だ!
かな表記論者は…、『かなのくわい』会長は 有栖川宮熾仁親王かぁ…
もっと私が『へええっ!』と驚くような人物がいた気がするがな。直近にも
誰かいませんでしたっけ?
ローマ字表記論者もいましたね。
私はこれらすべてに、「ぶぁか、ぶぁか、馬~鹿!」って悪口言いたいです。(笑)

さあて、っと。
もうすぐ午後3時。なんか食べたいな。
あたしね。すりおろしりんごも好き。病気の時、昔、母が必ず作ってくれたから。
熱のある体に、冷たいすりおろしりんごはなんとも甘く優しく、まさに甘露、
という感じでしたね~。
今はしょうがない、病気の時は、ごそごそ起きだして自分で作る。(笑)
あたしもりんご買ってこよう…

玄さん。私はこうして玄さんにいろいろ教えていただきながら議論するのが
楽しいのですから、どうか、遠慮せずに何でもお書きくださいね。
ただし、お疲れにならない程度にね。^^
いつもありがとうございます♪





No title

ただ同じプラカードを掲げている,ことに全体主義を感じたんです,ていうか,一抹の嫌悪感はサンデイカリズムをかんじたからです。組合っぽい威嚇的だなーとなーとw


必ず極端と極端は,正反対の主張をしているつもりでもは同じことを無意識にしてしまう,という条理のようなものを感じたんです。
わたしたちは,どんなときでもそうならないために,一人になってラデイカルに考えなければいけない,革新的かつ根源的に,です。孤独に考える時間もないといけないとおもうのです。

わたし奧田愛基のことばの事書いたでしょ,
非常にラデイカルでかつ青史にのこることばだって,異常なほめ方をしました。本心です。
孤独になってかんがえろ,と。
いまだかつて日本人のリーダーの誰一人いままでそれをいわなかったとおもうからです。少なくとも日本ではわたしは聞いたことがありません。
もっともかれは公聴会には自分は代表としてきたわけじゃない,という矜持をもっていましたから,リーダーという言い方はちがうかもしれませんね。


ひらがなは,漢字の簡略化ではないですか?カタカナはひらがなの簡略形ではないんでしょうか,万葉仮名は全部漢字ですし。
価値とか重みのちがいとかとくにないんじゃないでしょうか。
ただですねえ・・・ひらがなは女文字,という言い方がありますね。
真名文字は漢字,男手,です,仮名文字は,おんなて。という区別です。だから軍隊はひらがなはだめだったんではん?

ずっと記事を書いててすっかり昼夜逆転してしまいましたわたしも大好きな紅玉を食べてねま~す。

ひがんばなさん,ありがとう

Re: しほさんへ

しほさん。こんばんは♪

はい。十河さん。以前も展覧会にお伺いしたことあります。
昨年もお伺いするつもりだったのですが、体調悪くていかなかった。
でも残念ながら、全然お逢いしたことはないんですよ~。

かつて。そう。
『内閣法制局という組織もありましたね。』
…そう言われる時代が来るのだろうなあ。
内閣法制局については、内閣の伏魔殿だとか、いろいろ悪口も聞きますが、
(その組織の守りの堅さや排外性など…)少なくとも自分たちの芯の部分は
曲げない、そのことに誇りを持ち、またそれゆえに一目置かれる存在で
あったと思います。
安倍さんは、この組織にも手を突っ込んだ。
人事権を握っているゆえに、長官人事を自分の意のままに動く人(前長官)に変え、
内閣法制局の良き伝統を壊してしまいました。
横畠長官は、内閣法制局の歴史に悪い意味で残ってしまうだろうなあ。
自分を外し小松氏を外部から据えた安倍総理に、なんであれほど従ったんでしょうか…
あの方も、何やら悲しいひとですね。

ほんとね~~~。
自分が生きている間にこのような政権が生まれて、ここまで好きな限りの
改悪を進めるとは…。
小泉総理もひどかったですけれどね~。でも、安倍さんが成し遂げたことったら!
ふ~ぅ…
溜息しか出ませんが、まあ、それでも生きて行かなくっちゃならない。^^

りんごね。可愛いでしょう~?
こうやって丁寧にくるんでくださって。^^
もうないのでさみしい!

しほさん。ありがとう~♪
だいじょぶです。がっかりはしてるけど、まだ希望は捨ててない。^^
また、楽しくてほろりとする記事も書きますね~。
おやすみなさい♪






Re: 玄さんへ ③

さて。落ち着いて書けるな、っと。(笑)

順番に書いていきますね。
まず~。
『戦争ハンタイ!』というところなんですが、私は最初、玄さんが、戦争の
根源的な部分について問うていらっしゃるのか、と思いました。
即ち、こうやって『戦争ハンタイ!』とスローガンとして叫んでいるが、
それではこの人々は、自国防衛についてはどう考えているのか。
自国防衛のための戦いも否定するのか。9条を完璧に守って非武装中立を
貫く覚悟はあるのか。
そういうことなどを、問うていらっしゃるのかな、と思いました。
でも、今回のコメントは、そういう意味において、ではなかったようですね。

> 最初に感じていた違和感は憲法の解釈改憲に,反対だが,という議論をしたいひとが取り込めるのかな,というものでした。安倍のやり方に反対だ,という。ただ安全保障は必要だ,というひともいる。個別的自衛権で十分だ,というひともいる。
> でも時間的焦りのなかで,そんな生ぬるいこといってるばあいじゃない,いまにも違憲の立法が行われる,そういう危機感に変わっていった,そこはよくわかります。わたしがたしなめられたのは,いまはそんなこといってる場合じゃないでしょ,というものでした,その通りだとそのとき思いました。

なるほど。
あのね。それについては、一つ前にいただいた、んさんという方への返事も
合わせて読んでいただけると嬉しいです。

この夏、国会前にいた人々…そこには、沖縄の人もいれば、福島からの人々も
いるし、広島長崎の人々もいたし、あのおばあちゃまのような人もいたし、
組合関係の人々も当然のごとくいたし、ブーイングを浴びながら中核派の人々も
いたし、創価学会の人々もいたし、無論立憲主義の崩壊への危機感から
集まっていらした学者さんたちや学生たちもいたでしょうし、それこそ多くの
問題意識をそれぞれに持った人々がいたんですね。
この夏。それが一つの点で繋がった!
『反安倍』という想いです。

そうですよね。『戦争反対!』というひとつのスローガンが、それら全部の
想いを包摂出来るとは私も思いません…
『戦争反対』『徴兵制反対』というスローガンは、私にもちょっと飛躍しすぎな
感じはしていた…。安倍さんなどに『レッテル貼りだ』と言わせるような
極端さ、が確かにそこにはあるかと思います。自分で叫びながらそう思ってた。
言わば戦略的に、安倍政権を『戦争』と結びつけ忌避感を煽る、という
側面は確かにあったと私も思っています。
『戦争反対!』『誰の子も戦場には行かせない、殺させない!』という
スローガンは、確かにわかりやすくて、人のこころを掴みやすいですね。
でも、安保法制がすぐにそこに結び付くわけじゃない…
運動する人々は、それをわかっていて、それでもあのスローガンを
掲げていたと思います。ママさんたちなどには敏感にならざるを得ない
テーマですから。

でも考えてみれば、改憲などなかなかしようたって出来ないだろう、まだまだ
先の話だろう…と思っていたことが、現実にもう目の前に迫った問題となり、
解釈改憲によって現行憲法が現実的に死文化していく状況を見ていれば、
『戦争』『徴兵制』なども、自分には直接関係ない遠い先のことと
のんびり構えていてはいけないのかもしれない。
若い人々やママさんたちが、いわば肌で忌避感情を抱くように、『戦争』
『徴兵制(経済的徴兵制、も含め)』はすぐそこに来ているのかもしれません。

また、この平和ボケした日本では、『戦争』『徴兵制』反対を叫ぶのは
現実と乖離した運動に見えるかもしれないけれど、現実に自衛隊の若者たちは、
戦場と実際に言っていいところに送られている。そして日本が作り日本が
売買し送りだした武器が、遠いアジアの国々やアフリカで市民の殺戮にも
これから使われるのだと思えば、『戦争ハンタイ!』という叫びは、むしろ
現実をしっかり見ているが故の叫びであると言えるかもしれないです。
そういう人々も、あの中にはきっとたくさんいたと思う。

なるほど!おっしゃるように『アンチ・トータリタリズム』と言えば、
これらの人々の想いを大きくくくれるかもしれませんね。^^


ところで、『徴兵制』に関しては、私も若い人々が、安保法制を徴兵制と
直結させて、徴兵制を恐れる、というところへ情緒的に流れがちになるのには
「違うんだがなあ…」と思っていました。
だから、このブログで安部批判は随分書いていますが、徴兵制という論点から
その政策批判を書いたことは多分一回もなかった、と思います。
それは、まさに玄さんが書いてくださったのと同じ理由で、もし軍隊を持つのであれば、
『志願制』などではなく、『徴兵制』にすべきだと思うから。

>民主国家で徴兵制はむしろ當然です。アメリカのようにベトナム戦争終結の時点で
徴兵制を撤廃して,志願兵制度にした,戰爭頻発の原因です,アメリカで
あまり戰爭反対が起きない大きな原因です。当事者がへるわけですから。
>だから戦争するなら徴兵制でなければ法の元の平等を考えても民主主義国家
では当たり前です,だからこそ戦争反対の声もおきる。

と書いてくださった、まさにその理由で。
それと、『徴兵制がいやだ』ということは『じゃあ、志願制にして、
志願する者がいれば、彼等に国防を任せていられる。それで平気なのか?』
という問いに当然なりますからね。
今は、事実上自衛隊にそれを押しつけているわけですし。
まあ、それを問えば、日本がアメリカの核の傘の元で平和憲法を謳うことの
矛盾にも当然行きあたってしまいます……沖縄の犠牲にも……。

私ね。極端な話、自衛隊を持っていて、これから国がそれを自衛『軍』
と呼べるものにしていくのを国民が許すというのなら、我が国は韓国のように、
若い時期の一定期間若者を軍隊に入営させる、ということを義務化しなければ
いけないんじゃないの、とさえ以前から思っています。
軍隊を持つ、ということはそういうことだ、と思う。

極端、と言えば、どこにも捨て場がない原発の高レベル放射性廃棄物処分場の問題もね、
半分は電力会社が自社で責任を持ち、残りの半分は立地を認めそれによって
電源交付金などの恩恵を受けた自治体と、そこで出来た電力の恩恵を受けた
消費地がその電力使用量によって応分に負担する、ということにしなければいけない
のじゃないかと思っています。
まあ、その比率は均等割りでも、電力会社:立地自治体:消費地が
4:3:3でも5:2:3でもまあ、どういう比率でもいいですが。
そうでもしなければ、この国は原発を止められないだろうと思っています。
つまり、どこかの誰かがいやなことは金さえ出せばやってくれるだろう、
という発想ではなく、利益を受けたものが応分に負担する、ということにする。
それでなければ、危険な原発を持つということの本当の意味を国民は
本当には思い知らないと思うのです。
当然日本中に高レベル放射性廃棄物施設が出来るわけですから、事故の危険は増す。
でも、それが、原発を動かすということなんだ!ということは、そうでもしなければ
本当にはわからないんじゃないかと。
沖縄の基地負担もそう。
沖縄の負担は、日本全国の人々が均等に負担すべきだと思う。米軍に依存する
ことをこれからも選んでいくのなら。

でもね~~~。
戦争中は徴兵制だったわけですよ。徴兵制でも、実は公平ではなかったんです
よね~~~…。政府や軍高官などの子弟は、勤務地を、前線に送られないような
ところになるよう手をまわしてやることもできた…。無論そのような配慮を
本人が断ることもできましたが。
どこまでいっても、不公平とか不公正は留まることはないのかなあ。

…話がそれました…先に進まなくちゃ。

>ついに,FASCISMということばがはっきり提示されました。ついに。という氣分です
しかしおなじプラカードはありえない,そうおもってしまうわたしはおかしいでしょうかw。

というところの後半部もね、よくわからなかった。
それは、私がファシズムということをよく理解してないことが、意味が
今一つわからなかった原因だと思うのですが、こういう意味かなあ?

つまり、ファッショfascioという語は、もともとイタリア語で「束」を
意味する。そこから転じて、初めは「団結」「結束」などを表す語
として用いられていたのであって、今、『ファシズム』という語がなんとなく
表すような悪い意味の言葉では必ずしもなかった。
今、人々は、安倍さんの思想や手法をファシズムという言葉で批判し出した。
そのファシズム、という同じ言葉を書いたプラカードを、この写真の人々が
一斉に掲げているということが、つまり、これも一種の同一化の強制に
見えなくもない、ということがブラックジョークに見える、ということ?

いろんなことがわからなくってごめんね。これじゃ玄さん、冗談も言えないわね。
(笑)でも、教えて~~~。



>非國民と賣國奴が同列にならぶ。カタカナの意圖が痛痛しい。胸をつかれます

あ。ここのところは、二度目かな?にいただいたコメントで説明して
いただいて、玄さんの意図なさるところがよくわかりました。

ここも最初はね~。『非国民』と『売国奴』は、並べて論じられない性質の
ものなのかなあ、と、そこのところがよくわからなかったの。
説明伺って、玄さんがこうお書きになったわけがわかりました。^^
なるほど、『売国奴』は、国を売るほどのなにがしかの力を持った人物でなければ
その行為に対する一般人民からの悪罵の対象にはならないはずですね。
一方『非国民』という悪罵は、こちらが何もしなくても浴びせられるかもしれない。
本来、同一人物に対して使われるはずの言葉じゃなかったのに、先の戦争の
頃は、区別されずにあっちでもこっちでも使われていたのですね。

あとね。
カタカナのことに関しては、私は少し違う印象を受けたのよ。
私は、カタカナにちょっと忌避感情があるの。
これもちょっと玄さんご存じだったらお伺いしたいのですが、今は、普通
『仮名交じり文』と言ったら、漢字とひらがなじゃないですか。西洋の
言葉など外来語などはカタカナで表記するけれど、普通は漢字とひらがなだ。
ところが、昔の公文書などは、漢字とカタカナで書かれていましたよね。
軍の書類とか見るとそういうのが多い。また、軍人の日記なども、漢字と
カタカナとの仮名交じり文で書かれていたりする。
でもまあ、軍関係が全部カタカナの仮名交じり文だったというわけでもなく、
軍人勅諭などは平仮名の仮名交じり文だったようだから、軍イコール片仮名
交じり文というのは、私の思いこみかな。

あの、漢字と片仮名の仮名交じり文は、いつ廃止されたのでしょうか。
正式に廃止された、とか言うのでなく自然に消えて行ったのかな。
それはいつのことだったんだろう?やはり敗戦と同時くらいなのかな。
それとも敗戦とは全く関係なくいつしかそうなったのかな。
昔っからふしぎに思ってたのよ。

え~っ!今調べてみたら、今年2015年3月2日に、『法務省は商法改正案を
来年の通常国会にも提出する。…(中略)…
刑法や民法などは文語体によるカタカナの条文が順次改正され、平易な
ひらがな書きに変わった。今回の商法改正で基本六法はすべてひらがなに
統一される。』という記事見つけました!
え~っ。そうだったのかあ。

まあ。それは余談ですが。私には、カタカナの仮名交じり文というものに
偏見なのですが、どうも軍国主義のあの頃のイメージがあって、それで
十河さんも、カタカナを批判的意味をこめてモチーフになさるのかなあ、
ってなんとなく勝手に思っていたのよ。(笑)

ここら辺のところは一つの作品で、見る人によって受け止め方が違うのが
面白いですねえ。
玄さんの方が、心やさしいなあ。(笑)
十河さんが、もしこれごらんになったら、「勝手言ってらい!」と
お思いになるでしょうね。私は面識ないのですが。^^

閑話休題。
二番目にいただいたコメントについてですが。

>「戦争反対」のわかりやすさ力強さは必要だったと思います。
だから限られた時間でこのシュプレヒコールは意味があった,力があったと
おもうのですがしかし今,限られた時間の中で絶望の声を上げていた
あの切実な空間は,力を持ちえた空間,異常なパワフルな空間は終っては
いないでしょうか。あれを持続しなければいけないというと息切れして
しまいそうではありませんか?
>「戰爭反対」ということばは,・・・・・一端収めて,
>スローガンで集まる時期は・・・・そろそいいのでは,

そうなんです。
その通りなんです。
現にね。この展覧会のあと、日比谷野音での集会とデモに行ったでしょ。
参加者は主催者発表三千人ですって。
この数字。私は、もっと多かったのじゃないかと思っていますが、
それにしても、あの8月30日、また9月18,19日の頃の熱はありませんでした。
ちょっとさびしかったなあという印象でした。
私が寂しいと思う理由の一つはね、これが首都圏反原発連合の主催だった
からなんです。それで集まる団体が少なかったかなあ、と。
私はこうした運動の内部に直接タッチしていないので、各組織がどういうふうな
ところで連携したり反発しあってるのか全然知りません。
でも、twitterなどに、首都圏反原発連合のことが遠まわしに悪く書かれて
いたりすると本当に情けなくなります。
彼らは、3.11後、あんなにがんばってくれたじゃないか!
なにが気にくわないのか知らないけれど、まだこの時に至って
ケチくさい内部批判がもしかしてあって、それで集まる人が少ないの?
って、ちょっと思っちゃったのよ。
私の誤解かもしれませんが。

とにかく、今は分裂などしている場合じゃない。
あの国会の内と外とで『反安倍』『反安保法制』を叫んでいた熱気は…、
そうなの。時が過ぎてしまえば、持続するのは不可能だ。

でもね。次の段階に進まなくっちゃいけないんじゃないの?と
私などは思うんですね。
そう。まさに玄さんのおっしゃるように、スローガンで集まるのなどではなく、
次に何をするかということを具体的に詰めていかねば、という時だと。
目標は明確だ。
次の参院選で、改憲発議に必要な衆参両院それぞれの三分の二を改憲派に
与えることを阻止することです。
それには、国民の投票行動が無論一番に来るわけですが、野党が
選挙協力しなければ、それは叶えられない。
そこへ向けて、市民たちが運動できることをしていく…そんなに時間はないです。

と言って私にもいい知恵はないけれど、とにかく輪を広げていかねば。
ほんとに、各人が、自分の頭で考える…そして行動する…そうなって行かないと、
ですね。

ただ、この日比谷集会でね、数少ないゲストのお一人、中野晃一さんが、
とってもいいスピーチをしてくださったんですよ。
なんかね、ほろっとするような。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/268381

この集会自体も、人数は少なかったけれど、あの一体感は失われていなかったですよ。
ここに来ている人々は、揺るがぬ人々なんじゃないかなと感じた。

私ね。『ああ…人々はほんとに目覚めたんだなあ!』って、感じています。
安倍さんが、目覚めさせてくれたのかな。(笑)

あれから、ぜんぜん新聞読まなかった。
昨日、玄さんとこ行って、佐伯ケーシについて語ってらっしゃるの見て、
どんなこと書いてんのかな、って新聞、ほんっとに久しぶりに見た!(笑)

しょんぼりしてたけど、また元気出して書きます。
また、いろいろわかんないこと教えてね。

あ~っ!!!

>しかしおなじプラカードはありえない,そうおもってしまうわたしはおかしいでしょうかw。

ってとこ。私は深読みしてファシズムの文言にこだわったんだけど、
もしかして玄ちゃん、みんなが同じプラカード持ってるのが、単純に
おかしかっただけなの~???(爆)

考えてみりゃ、この図。ほんとに可笑しいですよね。
これね。会場の入り口んとこで配られるの。会場にいる三千人が、一斉に
こうやって掲げるんだよ~。
今までその可笑しさに全然気がつかなかったけど、言われて見ると
ほんと可笑しいですよねっ。
なんか、素直な小動物が一斉にこちら見てるみたいと言うかなんですか。
ほら、あれ。何てったかな、一斉に同じ行動するミーアキャット!(爆)
あ。あたしもいたんだっけ!(笑)

No title

彼岸花さん、こんばんは。
この方の作品、以前も紹介なさってましたね。
たしか…たぶん…

かつて…と言えば、内閣法制局もそう言われてましたね。
自分が生きている間にこんな戦争前夜のような政府が出現するとは!
安倍首相を後継者として指名したのは小泉元首相でしたね。
あの時から始まっていたのでしょうか?

一つ前のりんご達。
丁寧に巻かれて、可愛らしい。
りんごは医者いらずと聞きました。
彼岸花さん、ご自愛下さいね。

Re:玄さんへ

玄さん。いま私も一所懸命返事書いてるところでした。^^
あとで、そちらのお返事、読ませていただきますね。お手間とエネルギーかけさせて
しまってすみませ~ん。

玄さん玄さん。
そんなことこれっぽっちも思ってないって!(笑)
玄さんが、この十河さんの作品を素直に見てあのコメント書いてくださった
のだということ、私がわからないはずがないじゃないですか!^^

『むしろ作品をみてむねをつかれたのです』

とおっしゃる玄さんのお気持ち、最初からちゃんと伝わっていますとも。
また、この作品は、それだけの力を持った作品だと思います。

私がわからないから教えて~、と言ったのは、十河さんのこの作品とは全く離れて
玄さんのコメントの
『戦争ハンタイということばには違和感を感じつづけていました。』
という部分のね。『戦争』という言葉は、ここでデモ隊の人々に使われているより、
もっと深くて重い意味を持ってるんじゃないのか、という意味でおっしゃったのかなあ、
と思ったからなの。

つまり、『戦争』論、というところまで踏み込んで玄さんがおっしゃったのかな?と
私が勝手に思ったからなの。
「戦争に『正しい戦争』というものはあるのか」という重い問いとか、
「日本をどうやって守るのか」「日本の軍備をどう考えるのか」「非武装を
本当に貫けるのか」といった根源的で現実的な問いにまで踏み込んで、コメントの
この部分をお書きになったのかなあ、と思ったからなの。
これらの人々が『戦争ハンタイ!』と叫ぶとき、そこまで覚悟して叫んでいるのか?
という疑問を玄さんがここで抱いておいでになるのかな?、と思ったの…
それでお伺いしてみたのよ。

実は、そこのところが、私の一番弱いところだからなの。
おっと。二つの書きかけのコメントがごっちゃになっちゃうな。
続きは、玄さんのところのリベラルについてのお考えも読ませていただいて
別な方の返事で書かせていただきますね。

とにかく、ここではっきり言っておきたいのは、玄さんのこの記事に対する
コメントが、十河さんの作品に対する揶揄とか、私に対する批判とか、
そんなこと、誰も思っていませ~ん!ということよ。^^

私は、別なところで玄さんに教えてもらいたいことがあった、それだけのことなの。
『戦争』とか『ファシズム』とか、いわば根源的なところで、私が知識不足なところを
教えてくださ~いと言っただけですぅ。
それじゃまたあとでね。

No title

あ,すみません自分のほうのコメントの返事を先に書いちゃってます。
リベラルに対する思いについてはそちらで書いちゃってますので順序が違っちゃったかもしれません。


ついでにつけくわえさせさてください
この美術作品はわたしはすごいなあ,と思ってそれでそのインパクトにつられて書いてしまいました。
物議をかもすようなら本意ではありません。むしろ作品をみてむねをつかれたのです,作品を揶揄する意圖などありません。ほんとうにありません。
カタカナは今の情況を表しているんだろうな,とおもったんです。ただそれだけだったんです。ことばのなかみというより。そうおもってスクロールしたら

出てきた写真が,おなじプラカードをかかげた人人のそのことば,それがファシズム,というものだったのでこれは何か,ブラックユーモアかな,と。
もしこの画像群にタイトルをつけるならアンチトータリタリズムでしょ?というジョークのつもりだったんです。すみませんでした
不愉快になるひとがいるかな?という人に思い至りませんでした。削除してくださってもかまわないです

Re: んさんへ

んさん。こんにちは~♪

> 何はともあれ「安倍政権にNO!」じゃダメなんでしょうか?

そうそう。そうなんですよ~~~!
この夏、日本各地で声を上げ続けた人々、そしてそれを心で応援してくれた
人々の想いは、「安倍政権にNO!」の一言に尽きると、私も思っています。

玄さんへの返事にもまた書くけれど、その意味では確かに『戦争ハンタイ!』
スローガンだけでは、この夏の民衆の想いは、丸ごと捉えてきれていないと
私も国会前で叫びながら思っていました。
と偉そうに言ってるけど、私は体力ないですから、あそこでずうっと声上げ続けて
いたわけじゃなく、叫ぶのは若い元気な方々にお任せして、サイリウムだけ
振って、時々声を上げていました。省エネで(笑)。
コールを主導する若者がいろんなスローガンを叫ぶ中で、私が絶対反応してたのは、
『ア、ッべ、ハ!ヤッ、メ、ロッ!』(安倍は辞めろ!)っていうやつです(笑)。
この時だけは、私もまわりに負けないくらい大声出してた。

>まあ、自分も安全保障は不要とは思いませんが、でも手順はきちんと踏めよ!でしょ?

そうなんですよね~~。その通りなんです。
今、安倍政権に反対している人々の中には、さまざまに違う想いの人々が
いると思うんです。安全保障や改憲に対する考え、などに関しては、とりわけ
十人いたら十人の人がそれぞれ違う明度彩度を持っているんじゃないかと思います。
早い話が、この運動に火をつけてくれた立役者のお一人…あの三人の憲法学者の
人たちだって、小林節さんなどは、改憲論者です。
ゴーマニズムの小林よしのりさんなども今回は反安倍の言説をしているけれど、
もともとは右翼的?(作品を読んだことないので私、よく知らない)なのかな?
それでも、安倍さんのやり口はあまりにもひどい、この手法ですべてを
押し通すなんて許せない、という想いで、共に声を上げてらっしゃると思います。

それが。そうなんです。んさんのおっしゃるように、
>何はともあれ「安倍政権にNO!」
ってことで、今は共闘している。

だからね~。私も、そのゆるやかな連帯を今は壊したくないのです。
『安倍NO!』の想いで集結してきた人々ならば、右翼であろうが極左であろうが、
維新であろうが創価学会の人々であろうが、小沢一郎であろうが、改憲論者
であろうが(自民党改憲案でなく)とにかく大きくまとまりたいと思う。
そうしなきゃ、安倍政権を倒すことはできません!

私が悲しく思うのは、twitterなどで、これらのおのおのを内部批判する人が
いることです。曰く。『中核派がどうのこうの…』『SEALDsがどうのこうの…』
『首都圏反原発連合がどうのこうの…』『組合の幟立てた連中がどうのこうの…』
『小沢一派がまたどうのこうの…』『山本太郎がどうだのこうだの…』
『共産党はどうも…どうのこうの…』などなど……

そんなこと言ってる場合かッッッッ!!!!!!!!!!

と、私は叫びたいです。
内部批判や内部分裂は、安倍政権を倒してからにしてくれッ!
安倍的なものを、日本会議に属するような議員たちを、民主党であろうがなんだろうが
ことごとく落選させてからにしてくれッ!

まあ、思想の自由は守らなくちゃならないから、全員落ちろ!とまで言えないけれど、
(苦笑)とにかく、衆参両院において、安倍的なる人々が圧倒的多数を占めるような
状況だけは阻止しなければならないと思うのです。
自民党改憲案のあの醜悪さ。
それを成し遂げられるような状況…つまり、改憲の発議が国会で出来るような状況は
なにがなんでもまず止めなければならない。
それには、安倍的改憲派が(公明や大阪維新、元気、改革、民主なども含め)、
衆参両院で三分の二を占める状況をとにかく阻止しなければならない。

そこから先の話は、まずそれが成ってからにしてくれ!!!

私が、悲鳴のように叫びたいのはそのことです。

改憲の話も、安全保障の話も、それが成ってから、国民が自分の意志で、頭で、
じっくり時間をかけて議論していけばいい…そう思っています。

ねえ、んさん。国民の多くが望んでるのはそれですよね?
安倍政権のやり口は絶対まずいです。
絶対、という言葉は、普段はあまり使いたくないんだけど、安倍政権に対しては
使っちゃうよ(苦笑)。
立憲主義の破壊、民主主義の破壊、『知』の破壊、なんだもん。

んさん。いつもコメント、ありがとうございます♪
私もまた、ときどき頭を冷やしつつ、これからも書いていきますね~。^^

Re: 玄さんへ

玄さん。こんにちは~。
さっそく書いてくださったのですね。ありがとう。

あのね。皮肉に受け取るなんて、そんなことこれっぽっちもないのよ。
玄さんと私の間柄じゃないですか。皮肉とか当てこすりとか揶揄とか
そんなもの存在し得ないと思ってくださいね。
そうじゃなくて、玄さんが前回のコメントくださったその正確なところを
過たず受けとめたかったから、というだけのことなの。
ううん。玄さんに対してだけじゃない。
私は、自分の心持としては、いつでもどの方にでも、いただいたコメントに
私流の言いかたで言えば『ピンポイントで』返事を返したい、…
要するに、的外れな返事はしたくない、といつも考えて返事を書いているつもりです。

玄さんのコメントは、短いものでも歴史的な背景とか、含む意味が多いので、
こちらも基礎知識がないと、的外れな返事しか返せないことになっちゃう。
だから、玄さんがどういう意味でおっしゃったのかなあ、と確かめたかった
だけなのよ。
私はいつも真剣なの。そして素直なのよ。自分で言うのも可笑しいけれど(爆)。
だから、私に対して気づかいはなさらないでね。
いつだって玄さんの言葉は、まっすぐ受け止めたいと思っているのですから。

それじゃ、こっから先は、長くなりそうなので、一度ここまでの分、送っておいて、
続きを書きますね~~。^^

えっと・・・

何はともあれ「安倍政権にNO!」じゃダメなんでしょうか?

いろいろ数に任せて「ごり押し」どころか、ブルドーザーで近所の小川つぶしてドブ川作ろうとしてるのは見逃せません。

まあ、自分も安全保障は不要とは思いませんが、でも手順はきちんと踏めよ!でしょ?

散々デタラメ政策の種を撒き散らして一億総活躍・・・はぁ?意味わかんないですよ!

あ・・・煮立った頭じゃダメですね、また冷静になって出直します。

ついに。という氣分だったんです,それだけなんですが

最初に感じていた違和感は憲法の解釈改憲に,反対だが,という議論をしたいひとが取り込めるのかな,というものでした。安倍のやり方に反対だ,という。ただ安全保障は必要だ,というひともいる。個別的自衛権で十分だ,というひともいる。
でも時間的焦りのなかで,そんな生ぬるいこといってるばあいじゃない,いまにも違憲の立法が行われる,そういう危機感に変わっていった,そこはよくわかります。わたしがたしなめられたのは,いまはそんなこといってる場合じゃないでしょ,というものでした,その通りだとそのとき思いました。

 おっしゃるところの
>ただ…遠い将来、つながって行かないとは限らない。

それにつきます。そこを危惧して先回り,前のめりで反対する。切羽詰った気持ちがあった。その意味でたしかに「戦争反対」のわかりやすさ力強さは必要だったと思います。
だから限られた時間でこのシュプレヒコールは意味があった,力があったとおもうのですが
しかし今,限られた時間の中で絶望の声を上げていたあの切実な空間は,力を持ちえた空間,異常なパワフルな空間は終ってはいないでしょうか。あれを持続しなければいけないというと息切れしてしまいそうではありませんか?

「戰爭反対」ということばは,・・・・・一端収めて,

(戰爭賛成という人がいない中で,あまりにも中身がない。)

もっとラデイカルに,根源的に,という意味ですが,考える時間がやってきた,そのときアンチファシズムがでてきたすばらしいことだと思います,でも集会でアンチファシズムを叫ぶ発想はわたしにはなかったので虚を衝かれた,ということです。ただそれだけです。いやみにきこえたのかもしれませんが,いやみをいうくらいならすとれーとにいいますし。單にそれだけなのです。

これからそこを考えて行かなくてはと思います。スローガンで集まる時期は・・・・そろそいいのでは,という思いから出たんです。リベラルの大雑把過ぎると感じることばはいろいろありました,たとえば

徴兵制,民主国家で徴兵制はむしろ當然です。アメリカのようにベトナム戦争終結の時点で徴兵制を撤廃して,志願兵制度にした,戰爭頻発の原因です,アメリカであまり戰爭反対が起きない大きな原因です。当事者がへるわけですから。

だから戦争するなら徴兵制でなければ法の元の平等を考えても民主主義国家では当たり前です,だからこそ戦争反対
の声もおきる。そういうことも理論武装しなければいけない時期ではないでしょうか?徴兵制は厭だ,ということばはあまり使ってはいけない・・・,そんなようなこと,さまざまです,ひねくれてると思われるかもしれませんが。


それと
ふつー非国民,と売国奴って同じ人物の中にはありえませんよね。れ理性的にかんがえれば自己矛盾のことばですよね。でもそういうことばが一時どきに発せられる。おっしゃるとおりそんな人がいると思い込んで,人を監視しあったのがあの戰爭の時代ではないでしょうか。まったく同じ認識です。しかもあの時代にもどるな,というだけなら,漢字で非國民,賣國奴と書いたほうが復古をかもし出すじゃないですが,でもそこをカタカナで書いている,カタカナは,・・・・いかにもイマドキっぽいじゃないですかいかにも,それが痛々しいと感じたんです。単純なものです。
わたしの感じ方,をそのまま書いただけです

ふたつのことばそれぞれに思うところを書けば
売国奴っていうのは国を売る。しょみんの立場から言えば“うえにいる人たち”のことではないでしょうか,安倍のこと,まさにそれです。おっしゃる使い方は間違っていないとおもいます,使っていい,ということではありませんが。
ことばの意味としてはただしいですよね。わたしなどは非国民そのものですから国は売ってってもいいけどほっといてくれ,人の心は売れんぞ,と,そこまでも思ってしまいます。
国をしょってるやつが国を売ってしまうんです,いっぽう・・・・,

非国民,非国民なら非国民で差別する,無視する,せめてそれで終ればいいじゃないですか。それで,終らないのが日本だったなあ・・・・日本だなあ,ということです,国民になれ,さもなくば死ね。同調圧力というんでしょうか。わたしは今ひしひしとそれを感じます。とても息苦しい。


>今、いい意味でつながり始めている、

わたしもそうこの夏,ほんとうにそうおもいました,だからこそ同じことばを必要とせずつながりあっている姿を見たいな,そんな気分でした。
だからふっと,感じたんです。なにかおかしくないか?と
だからおかしいでしょうか?と書いたのです。おかしいのかもしれません。おかしいと感じるひとはほっとけませんか?
もっといえば,おかしい,と思ったことをくちにするより,黙ってスルーすべきだったでしょうか,別に彼岸花さんへの批判でも何でもありません,ただ虚を衝かれてでたことばです。ことばを発せざるを得ないようなただならぬものがかんじられた, それだけなんですが。坦直に過ぎたかもしれません。

Re: やっちゃんさんへ

やっちゃんさん。こんばんは。

> なので彼岸花さんの危惧はすでに世間に蔓延してると言えます。

うんうん。そうなのよね。
今に始まったことじゃないの。
むしろ、戦中から、戦後70年経った今でも、ずうっと水面下でこういう
考えを持った人々の流れは脈々と続いて来ている…
ただ、それが、その時々の時代の空気で、『今は分が悪い』と水面下に
潜って首をすくめているか、それとも『よおし、言ってやるぞ!』と、大っぴらに
発言や行動をするか、時勢を彼等も読んでいるのね…。
福島第一原発事故後は、さすがに彼等もシーンと静まり返っていたように
思います。
でも、その静けさの中で、私は、『きっと近いうち、この反動が来るだろうな』
と予感していたように思います。
安倍政権が誕生しなければ、その反動は、もしかしたら小さかったかもしれません…
でも、安倍さんは彼等のプリンスです。
そのプリンスが復活してしまった……
今、このような言論が目立ってあちこちで見られるになり、これまでブログなどでも
そういう自分の色を隠していた人々も、まあ、ある意味正々堂々と自分が
ネトウヨ的思想であることを表に出すようになってきたのは、絶大なる『安倍効果』、
と言えましょう。皮肉をこめていいますが。

問題は、これまでの日本は、そういう人々が例えば自分の気にくわないジャーナリストや
政治家などを恫喝したり脅迫したりするような犯罪行為に近いことがあると、
それを社会の不正義として諌めたり、まあ、馬鹿馬鹿しい!と無視したり、
という力も一方に厳然としてあったのだけれど、安倍首相誕生以来、
そのバランスが崩れて来たこと。

おかしなことがおかしいと言えなくなるような空気が次第に醸成されて行くのは
本当にまずいですよね。
私が危惧するのは、戦争や、戦後の日本の歩みなどを直接体験して知る人々もいなくなり、
ジャーナリズムが、今社会の木鐸としての働きを失って、
教育もまた、この政権の色に染められて行ってしまうと、…
もう、これまでのような振り子の揺り戻しの機能が働くなって、振り子が
振りきれてしまうことです。

人々が疑心暗鬼でお互いの顔色をうかがうような時代にほんとうになってほしいのか…
まさか、大げさな!と思う人もいるかもしれないけれど、
それは、案外簡単にやってくるような気がします。
大正時代辺りからの日本の思想の動きを辿って行くと、人々があれ?変だな
と気付いたときには、もう誰にも流れが止められなくなってしまっている…
日本にあれだけ多くの知識人だっていたのに、誰にも何も言えなくなる時代が
あっという間に来てしまった…!
そればかりか、自分から進んで挙国一致体制に取り込まれて行った人も多かった…

私たちは一度そういう経験をしている…
少しは賢くなっていると信じたいのよ。
でも、ひとりひとりが自分の頭で考えないで、どっちの流れにせよ時代の
空気に安易に流されているようでは、また同じことをしてしまう恐れはあります。

今、巨大に見える安倍さんらの一党は、実は国民の投票行動で、簡単に
引っ込んでもらうことが出来ます。
問題は、国民がその一票の力をまだまだ自覚してないことですよね。
そして、反自公の中核となる立場の民主党があれじゃあなあ。
参院選まで1年かあ…
ほんとに時間がないです。参院選のあとは、いよいよ改憲、だもん。

まあ、自分にできることやって行くしかないので、また書き続けようと思っています。
いっぱい書かなきゃいけないことがあるね。
綺麗な記事も書きたいのになあ…

やっちゃんさんのお気持ち。私も同じです。^^
なんか、どんどんおかしな国になって行くね。
ありがとう~~~!




Re: 玄さんへ

玄ちゃん。こんにちは。
前いただいたコメントに続く記事も返事もなかなか書けなくて(正確には、『書かなくて』
でしょうが。苦笑)すみません。
やはり、安保法制反対、安倍反対の意志は変わらないと思いつつも、その後の
民主党の対応などいろいろがっかりすることも多く(いまさら?ですが。苦笑)、
9月19日以降、苦い想いで新聞も読む気がせず、一種の思考拒否、逃避状態に
近いものに嵌り込んでいます。
参院選はすぐ来る。うじうじしてる場合じゃないぞ、と思うのですが、
じゃあ、どういう方法があるのか、と考えると、項垂れて立ち竦んでしまいます…

さて。いただいたこのコメントですが、玄ちゃんがこれをお書きになった真意というか
その底にある深い認識が、私の浅い理解では本当には把握できなくて、的外れの
返事書いちゃったりとかとか、極端な場合、まったく反対の意図に受け取って
返事書いちゃうかも知れないので、え~…

早い話が、「もちょっと詳しく説明してくだしゃい!」(笑)

> 戰爭ハンタイということばには違和感を感じつづけていました。
> まえのめりにすぎる,しかし「戰爭ハンタイ」でなければ,人は集まらない,そう若い友人にたしなめられました。

まずここのところ。玄ちゃんは、ここで、
『戦争』というものへの根源的な問いにまで言及していらっしゃるのかなあ?
それとも、国会前などに集まった人々の掲げる『戦争ハンタイ!』というプラカードや
シュプレヒコールの、その『レッテル貼り』的なと言ってもいい一種の軽さ、に対して
違和感や危うさを感じていらっしゃるということなのかなぁ?

前者の深い意味でなら、コメント欄で軽く済ませられる話題ではないからなあ。
戦争の歴史から勉強しなおさないと、安易にお答えできないなあ。
後者の危惧、という意味でなら、私もある種の危うさは感じます。
安倍さんがこれらのデモに対して、「『戦争』法案だとか、すぐさま『徴兵制につながる』
とか言うのはレッテル貼りだ!」とよく言うけれども、私も、この法案が
すぐさま戦争に導くとか徴兵制とイコールだとか、とは思っていません。
今のところは。
すぐさま結びつくようじゃそれこそ怖いのであって、そこに至るにはもっともっと
さまざまな段階を経ていくのだろうと思う。
ただ…遠い将来、つながって行かないとは限らない。
本当に怖いのは、こうしたものを許して行く国にだんだんこの国が変質して
行っていることであって、いつかごく近い将来、そういう気分がこの国に横溢して
それを当たり前と思うようになっていくこと。
わずか1年かそこら前、書店の一番入り口の目立つところに平積みなどに
されていた、嫌韓本や嫌中本…今はそれらが少しわきに押しやられて、SEALDs
関係の本や立憲主義などについての本が目立つところに来るようになっているという。
…その押し戻しの力を失いたくないのだと私などは思っています。
おかしいことはおかしいと人々が言える力と場を死守しないと、と思うのです。
政治家やジャーナリストの尻を叩くという意味もある。

そうしてそういうことの出来る若い人々を育てていっておかねばならない。
だから、SEALDsなどの若い人々が多少突っ走ろうが、それに水を浴びせかける
ようなことはしたくない、と、私個人は思っています。
大きく人を集めるには象徴的に目立つ言葉も時には必要だろうし、作戦が必要ですからね。
彼等はなかなかしっかりしています。

どのような人々も『反安倍(とそれが象徴するもの)』という同じ方向を
向いている限り、大きく団結したいと、私は願っている…
ですから、シュプレヒコールなどの文句自体は、私個人は実は毎回あまり気にしてない。
安保法制反対のデモだけど、いつも『脱原発』のタグとバッジつけたバッグで
参加しています。^^
『戦争ハンタイ!』と一緒に叫んでいるけれど、戦争そのものに反対している
というより、私は、安倍政権の象徴する反知性主義とその手法の醜悪さに
ムカついている気がするなあ。
…なんだかあまりコメントへのぴったりした返事になっていない気がするなあ?
こういうことじゃない??

とにかく私が今一番危機感を抱いているのは、言論の自由の委縮、です。 

>でもやっと。
>ついに,FASCISMということばがはっきり提示されました。ついに。という氣分です
>しかしおなじプラカードはありえない,そうおもってしまうわたしはおかしいでしょうかw。

ここのところがね、玄ちゃんがおっしゃることの意味が、私には正確につかめないの。
だから、もちょっと詳しく教えてね。お暇なときでいいですから。

>そろそろ孤孤の憤りの發出と根源的な戰いがはじまらなくてはとおもう秋です。

うんうん。ここの個所は、玄ちゃんの意図をまちがって浅く受け取りようなどがなく
私もほんとにそう思います。
巷のムードに押し流される国民では仕方がないのよ。
たとえそれが脱原発や反安保法制の空気であっても、その根っこに横たわって
いるものへの理解がない限り、おそらく浅い弱い運動に終わってしまうだろう…
しかし、今、国民の間に芽生えている諸問題への疑問は、その本質に
迫ったものであるように私は感じています。
急速に国民は学んでいると。自分の頭で考え始めていると……。
そして。
一つ強く感じるのは、その考える個個、孤孤が、根源的なところで
つながり始めてるんじゃないかなあ、ということ。
私は、3.11後の『つながろう、ニッポン!』みたいな同調圧力じみたものが
苦手で、『つながる』という言葉はあんまり使いたくないんだけれども、
でも、それは実は私の偏見であって、『食べて応援』とか『みんなで瓦礫処理』
のような同調圧力も確かにあった一方で、そういうものと関係なく自分の意志で
被災地に様々な救援に向かった人々が確実にいたわけですよね。
その、『考える個々』『行動する個々』は、3.11以降も、覚醒した意識のままで、
今も日本のあちこちに生きていると思うわけです。
それが、今回の反安保法制のデモへも同じ意識で臨んでいるんじゃないか。
戦争、原爆、水俣、沖縄、フクシマ、被災地復興、秘密保護法、安保法制…
それらが個々の運動でなくなり、特定の世代の運動でなくなり、個々人の運動でなくなり
…、今、いい意味でつながり始めている、と。

> 非國民と賣國奴が同列にならぶ。カタカナの意圖が痛痛しい。胸をつかれます

う~ん。ここのところも、もう少し詳しく教えてくだしゃい。

非国民と売国奴というものの間に同列に語れはしない差異があるという意味かな。

実は、ここん所は、私自身、玄ちゃんのおっしゃる意味とは別なことででかも
知れないけれど、自分で自分に『これでいいのか?』と問いながら書いたところです。

どっちもいやな言葉です。
ただ、『売国奴』という言葉に似た表現を、自分もしてしまってるんですね。
まあ、まさか自分自身では使わずとも、それに賛同の意を表すれば、自分で言っているのと
同じだ、という意味で。
それは、安倍氏の海外で発する言動に対して、『国を売るようなもんだ』という
文脈で使う…。例えば、TPPなどに対してですね。
でも、この言葉は、ほんとに、その意味するところも、歴史の上での使われ方も…
自分の思想に関係なく、ほんとにいやな言葉なんですよね~~~!
右だとか左だとか関係ない、単純に『国を売る』などという言葉で割り切れない
愛国的行為を指差して使われても来たことがありましたしね~…
『売国奴』という言葉の意味はとてつもなく重い。
だから、なるべく、例えどんな総理に対してでも(苦笑)基本的には使いたくない
ですね。
でもつい腹が立つとこの自分でさえ、それに似た表現を使っちゃうんだ。
その心性を怖いと思うんですよ。

とにかく、『ヒコクミン』も『バイコクド』も、本当にいやな言葉です。
次のやっちゃんさんへの返事で書こうと思っているんだけれど、こういう心性は
戦争が終わると同時に消えてなくなったわけでは決してない。
ここで急に復活した言葉でもないですね。
もうずうっと、戦中から、戦後70年経った今でも、なんかあると
こういう言葉がちょこちょこと顔を出すのですよね…
東日本大震災の被害の大きかった3県の瓦礫を、日本全国にばらまいて処理しようと
する…そのことに反対する人々に対しても『ヒコクミン』の言葉は使われました…。

日本人に限らず、人というものは時にあさましいものになり果てます。

日本が、そんな言葉で日常的に互いを監視し合う、そんな嫌な国に
二度となりませんように。
十河さんの作品は、ほんとに重いテーマをがっしりと扱っていらっしゃるなあと
思います…

とりあえず、思うままに書いてみましたが、『ここはこういう意味で言ったのよ』という
ところがありましたら、教えてくださいね。^^
ではでは。


No title

彼岸花さんこんにちわ!

戦争法案が可決されるず~っと以前から、
ネット上で、売国奴っていう書き込みがものすごく出てきてて、
やっちゃんは愕然としてしまいました。

あれは、、、たしかまだパソコン治してなくて、
何か月ぶりかでネットカフェでインターネット見た時でした。
かのノーベル賞科学者の益川敏英氏が
法案反対の考えを述べておられる記事に対して
たっくさんの書き込みがあって、
なんども益川氏を売国呼ばわりする書き込みがあって、
やっちゃんはもう驚きと怒りで、、、。

しばらくネットから離れてた間に世の中、
こんな事になってしまってるのか、、、と。

いわゆるネトウヨの人たちはああいう言い方をする。
なので彼岸花さんの危惧はすでに世間に蔓延してると言えます。
ですので最初、やっちゃんはブログ再開して
この問題にふれるのがかなり怖かったです。
またまたコメント欄で叩かれるのが、、、。
だから最初はずっとほのぼの記事書いてたように思います。
で、結局またまたブッチ切れてしまいましたが、、、(笑)。

昔、戦争に進んでいった時代も少しでも異にする人はみんな
売国奴呼ばわりされた。
心のささえはジョンレノンとオノヨーコかなあ、、、?
アメリカであの時代にベトナム反戦歌を歌い続けた彼らの勇気。
爪の先だけでもその勇気をもらってこれからも自分の考えは
貫きたいです。

アンチトータリタリズム

戰爭ハンタイということばには違和感を感じつづけていました。
まえのめりにすぎる,しかし「戰爭ハンタイ」でなければ,人は集まらない,そう若い友人にたしなめられました。でもやっと。
ついに,FASCISMということばがはっきり提示されました。ついに。という氣分です
しかしおなじプラカードはありえない,そうおもってしまうわたしはおかしいでしょうかw。そろそろ孤孤の憤りの發出と根源的な戰いがはじまらなくてはとおもう秋です。
非國民と賣國奴が同列にならぶ。カタカナの意圖が痛痛しい。胸をつかれます

Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん。こんにちは~。

はいっ!行ってきました~♪ ^^
昨年は行くつもりでいて体調が悪くなり行けなかったので、今年は
師匠のブログでお知らせいただいてから必ず行くつもりでいました~。
あ!1日でしたか。
私ももしかして師匠と知らず会場でばったり、などということがあるかも
(^^)などと思いながら出かけてみましたが、お会いできませんでしたね。

それにしても十河さんの絵、すごい迫力とそして強いメッセージ性を
持ってらして、それなのに、色調がとても美しいんですね。
だから余計に凄みが出るように思います…
お体…まだ個展会場に一度もおみえにならないのだ、と画廊のかたも
そのときおっしゃっていらっしゃいました…
ご友人でいらっしゃるので、NANTEIさんはご心配でしょう…

いえいえ。師匠は別な形で私など周辺のものをいつも触発してくださって
います。私も師匠に見習って、もう少し人生の幅を広げられたら、と
思うのですが、いつも思うだけでちっとも実行できません…
この頃は、新聞さえ読まないありさま。毎日何して過ごしてんだろうなあ。
なんだかぼおっと人生が過ぎていきますよ(苦笑)
あれも知らない…これも見なかった…私など悔いることばかりです……

でも、いい季節になりましたね~。
そぞろまた旅ごころを誘われます…。
ただ、少し外反母趾気味なのかなあ…日によって歩くと足が痛くなることが
あって、この日もなんと、画廊から三越にちょっと寄ってそこから日比谷公園まで
タクシーですよ!(笑)
結局この日は足に自信がなかったので、集会だけにして、そのあとのデモには
参加しませんでした。
足だけは丈夫でいくらでも歩くの平気だったのに、さみしいですぅ。

十河先生のこと教えてくださって感謝です。
いつも本当にありがとうございます♪



No title

ああ・・・!行ってらしたのですね!

2日でしたか。

私は前日の1日でした。

十河氏はもう画廊に来れないほど症状が悪いようです。

そんな中でのこの迸るような大作!

どんな言葉も出てきません。

そして私自身の無為をただただ恥じるばかりでした。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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