『キャンドル・ナイト 55』

もう、55回目のキャンドル・ナイトか……

今日はどういうセッテイングにしようかなぁ…
もう、いろんな花が咲き終わって、これから咲くのは、菊たちだけである。
ホトトギスも秋海棠も終わってしまったし…

でも、先ほど庭に出て見ると、自転車の陰にこんな子が咲いていた。
小さな小さな朝顔。こぼれ種から生えて来たものらしい。
花の直径2.5センチほど。かわいい……

夜まで待つとしぼんでしまうだろうので、夕方4時半、早めにキャンドル
灯してみた……



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小さな朝顔も、小さなろうそくも、小さいもの同士で喜んでいるように見える。

花…いや、植物ってなんとたくましいのだろう。


昨日だったかな、私は朝方、NHKラジオで、こんな番組聴いた。
『花は咲けども~ある農村フォークグループの40年』

実はこれは、YBC山形放送局 が作り、2014年5月31日に山形放送で放送された
ラジオドキュメンタリーである。
そのドキュメンタリーが、2015年6月に発表された第41回放送文化基金賞の
ラジオ部門の最優秀賞に選ばれた。この賞は優れた放送番組に贈られるもの。
同作品は、同年のギャラクシー賞にも選ばれている。

その山形放送のドキュメンタリーをNHKが再放送したものを私は聴いたわけである。

その、ある農村フォークグループとは、山形で、もう40年も前に結成されたアマチュアの
『影法師』という名のグループ。山形県長井市を中心に、農業をしながら、
おじさん4人組が音楽活動をずうっと続けて来た。
『影法師』とはどんなグループだろうか。影法師のホームページを覗くと、こんな紹介を
自らしている。

田舎に身をおき、仕事を持って、そこで感ずる矛盾や怒りを歌の原動力として、演奏を続けている
日本で唯一無二の『叙事詩派フォークソンググループ』です。」

彼等が活動を始めた1973年というと、あのかぐや姫の大ヒット『神田川』が出た年である。
日本のフォークソングと言うと、『神田川』を典型としてすぐに『抒情的』歌詞が思い浮かぶが、
彼等は唯一無二の『叙事詩派フォークソンググループ』、と名乗るところが、何やら可笑しい。

彼等は、どんな歌を作り、歌うグループであるか…
それは彼等のヒット曲の一つ『白河以北一山百文』という歌の題名に、すでに
その志向、その主張が伺えようというものだ。

『白河以北一山百文』という言葉を皆さんご存じでいらっしゃるだろうか。
『白河』は福島県。東北本線で言うと栃木県宇都宮市と福島県福島市の間、
郡山よりは宇都宮寄り、ほぼ福島県の真ん中南端という辺りに位置する。
かつて奥州三関の一つ白河の関が置かれ、みちのくの玄関口として知られるところだ。
その白河より北は、一山が百文、ってどういうこと?

この言葉は、
「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」という意味。
戊辰戦争の折、新政府軍を率いる薩長土肥側が東北地方を侮蔑揶揄して用いた
表現である。白河が福島の端にあるということは、要するに白河を含む福島県から
北は、そんな値打もない地方だ、ということになる。

そんな侮蔑的表現をされてきた東北地方…
ああ……これを書きながら、私はまた、朝河貫一の父、正澄のことを想う。
二本松藩藩士。戊辰戦争の折、この白河、棚倉、郡山、安子ヶ島、二本松の深堀
と転戦した後、十六~十七歳の少年、隠居老人、戦い方を知らない役人などと
共に二本松で西軍に応戦するが、力及ばず城は落城。
明治政府となった日本。正澄は勉強して小学校教員となり、後の、日本人初のイエール大学
教授、朝河貫一を育てた人である。

私がこれまで書いてきた記事のあれこれが、この歌のタイトル一つに、ぎゅうっと
詰まっている気がした。
福島第一原発事故が無論そう。六ヶ所村がそう。満蒙開拓団がそう。
従軍慰安婦を典型とする貧しい農村地帯の少女たちの問題がそう、TPPも
原発労働者など出稼ぎ問題の労働関係諸問題も、…
沖縄問題だってそう…
これまで取り上げてきたテーマの殆どが、この歌の中に凝縮されている…。


東北人が『白河以北一山百文』というこの言葉を口にする時、そこには、ずうっと
中央から離れているというそれだけのことで、冷遇され続けてきた東北の人々の、
中央に対する反骨の想いを重ねているのだという…。

『河北新報』という、宮城県仙台市青葉区に本社を置く新聞社がある。
『河北』の名は、この「白一山百文」に由る。
明治維新以来、賊軍として軽視されてきた東北の歴史とともに、屈辱を忘れまい
とする 東北人の反骨の意思が込められているのだという。
東日本大震災以降、私はこの新聞社の記事を注目して見てきた…。
また、岩手県出身の日本の第19代内閣総理大臣、原敬は、雅号を「一山」と名乗ったが、
この『一山』もまた、『白河以北一山百文』の語から取ったもの。


さあ。影法師による『白河以北一山百文』という歌を聴いてください。





全編、批判の意味も込めて、山形県長井弁で歌われている。
一部歌詞を紹介しよう。

ゴミだて原発だて おめだのもんだも
そっちで何とが すんながスジだべ
ゴミにまみっちぇ 生きてみんだ
原発背負って 暮らしてみんだ


このように、山形の地に根ざして生きていきながら、中央と東北とのことごとくの
差別や不公平などを、このようにユーモラスに皮肉って歌っていた影法師であるが、
2011年3月。東日本大震災を経験する。

また彼ら自身の紹介文を引用しよう。
『3.11による原発事故が起き、私たちは首都圏と地方の関係、特に原発を
テーマに歌いながらこのような悲惨な状況を迎えてしまった事への無力感、
脱力感に襲われておりました。そして、忌まわしい事故から3年近くが過ぎ、
解決の糸口すら見いだせていないのに、世の中の流れは原発事故を忘れて
しまったような雰囲気が様々な手法で醸し出されています。
このような現状に私たちは「花は咲けども」という歌を作り歌い始めました。
原発事故によって故郷を追われた人たちの心、首都圏と地方の関係をテーマ
にしたこの歌を聞いた方々から共感の声を多数いただきました。』


あっさりと書いてある。
だが、ラジオドキュメンタリーは、もう少し深く彼等の内面の葛藤に迫る。
『白河以北一山百文』という歌の歌詞に見る通り、原発事故前から、原発が
抱える差別構造の矛盾を、歌い続けていた彼らであるが、あの2011年3月11日以降、
歌が歌えなくなってしまったのだという…新しい歌の歌詞も書けなくなってしまったという…

ああ……わかるなあ……
私もそうだった…。
言葉というものが出てこなかった…。音楽さえも、歌詞のあるものがいやで
聴きたくなかった……
多くの人が同じ想いに打ちのめされていたのではなかったろうか…

2年くらいしてから、と言っていたかな…
彼等は福島県飯館村と浪江町を歩いてみた。
そして、原発で被災した町や村というものは、なんとも言えないむなしい
想いの残るものだと実感する。

3.11があって後、テレビでは連日、被災地の人々を励ますための歌、
『花は咲く』が流されていた…
あの歌はメロデイも綺麗だし、被災地の人々をなんとか励まそうと作られた歌。
その歌を認めながらも、彼等は何か違和感を感じたという。とりわけその
アニメヴァージョンの映像に。
アニメで美しい花が咲いているところで、子供たちが遊んでいる図。
「これは本当のことではない!」と、彼等は思う。

福島の現実を、映した歌は作れないものか…

この、誰一人いない町や村に花は咲き誇っているけれども、そこで遊ぶ子供たちなど
居はしない。誰一人、いないのである!

そこまでラジオを聞いたとき、私は、もしかして彼等は、富岡町『夜ノ森』の桜を
ひょっとして見たのではないか、とふと思った。
『 キャンドル・ナイト 49』の記事でご紹介したことのある、この見事な桜を。
誰一人見てくれる人もない桜を。







続けて聴くと、やはりそうだった…福島第一原発周辺の土地の花という花が
見る人もなく春になると咲くのだけれど、あの夜ノ森の桜が彼等のこころを
とりわけ強く打ったのだ。

だが…。彼等は悩む。山形の自分たちが…即ち、外部の人間である自分たちに、
あの福島の現状を歌う歌を作り歌う資格などあるのか!と。
けれども、山形県長井市にも、福島から逃れて来ている人々がいた。
彼等はその人々に自分たちの深い疑問を訊ねてみた。
その中の一人の女性は、『聴きたい!』と言ってくれた。また、福島の海辺近くの
街で漁師をしていた男性は、歌を聞いた後、『ぜひこれを福島で歌ってくれ!』と
言った。
福島の人々に話を聞き、その実情を知れば知るほど、『もう福島の人々はなにも
語れる状況にないのだ』ということを彼等は知って行く。
避難する人と子供を連れて避難したくてもさまざまな事情から避難できない人々…
賠償金を町の境界線一つの差で受けられる人受けられない人…
その額の多い人少ない人…
そうした生々しい現実が複雑に絡み合ってごちゃごちゃに縺れて…
福島の人々自身は、何かを語れる状態ではもうなくなっている現実を彼等は知る。

『それなら、外部の人間である自分たちが、例え僭越と知りつつではあっても、
代わりに歌うしかないじゃないか!』、と、彼等は思うに至る…

そうして…。
福島の想いを忘れないでくれ。東京の電気を作るため、自分たちは少しも
使いもしない電気を作るために福島第一原発を引き受け、その事故により
故郷の大地を穢されてしまった福島の怒りと悲しみを、東京の人々はどう考えるのか!
と訴える彼等の歌は、地味な動きながら、今少しずつ全国に広がろうとしている…


聴いてください。.『花は咲けども』。










心ひとつに キャンドルナイト






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Re: stanislowskiさんへ

stanislowskiさん、今晩は。

一人って楽ですよね。
なんだか私も、ひとりになりたくなりました。^^
まあ、これまでも、いつも一人で行動してきたのだけれど。

難しいですねえ…
政治の話って…

それぞれが、いろんな方法を、出来るときに、いつでも、やっていけばいい
それでいいんだと思うんだけどなあ。
どれが正しい方法か、なんてことないんだもの。

『同じ方向を向いていてもペースや方法はそれぞれだから。』
『私自身、受け容れてもらいたいと考える一方で、自分と違うペースの人には合わせられないという矛盾。』

ほんとですねえ…
しみじみ思い知りました…

でもね、私、無念なんです。
原発のことも津波被災地のこともね。
あのあと、いろんな議論が起きたでしょう?
原発反対は、その時期は、人によって即時に止めようとか30年代までにとか
考えかたの相違はあったけれど、いずれ近いうちゼロにしよう、という
点では一致していたと思うんですね…。
それが、安倍政権になって、一気にもとに押し戻されてしまった……
福島の避難者は、どんどんもと住んでいたところへ戻されようとしている。
戻れば支援も打ち切られるのでしょう…
復興も、最初の内は、すごくいろんな希望が語られたけれど、今はもう
地元に放り投げたままですよね。

反対運動は持続することがすごく大事なんだけど、しかしその一方で、
タイミング、というものもある気がするんですね。
一気の勢いと、持続性と…矛盾するものが必要なので、なかなか
難しいのだと思う。
ただ、その時期を逃してしまうと、人々の勢いは徐々に失われ、あとは
そこであったことも、そこに住む人々も忘れさられていくだけ…
ということになってしまいがちだと思うんです。
責任の所在もほんとうには問われないままになってしまう…

『日本は原発無しで出来たじゃないか。』

ほんと、そうなんですよね。
川内原発だって再稼働の必要ないんですよね。
また、同じような過ちと悲劇を繰り返したいのかなあ…
使用済み核燃料だって、いったいどうするんだろう。日本中どこにも
高レベル放射性廃棄物の置き場、ないのになあ。低レベルのやつだって
どうしようもないのに。

原発なんか使わなくたって、日本は十分やっていけるということは、
この5年近くの経験でわかっているのに。地熱発電などは、ニュージーランドの
人々は不思議がっているという。『日本はあれだけの火山国で、地熱発電の技術も
持っているのに、なぜ原発がいるのか』と。
原発ゼロのニュージーランドの地熱発電所は、日本の技術なんですものね。
日本は、再生可能エネルギー立国だってできたのにな。

『優等生のデモじゃダメなんですかね?
定刻に始まり定刻に終了、ゴミも死者も出さない、予定調和の。。。』

私は、全然かまわないと思うけどなぁ。
ご老人も、赤ちゃん連れたお母さんも…、デモに来ている人はいろんな人が
いるわけだから、そういう人が来れなくなるようなデモじゃ、だんだん縮小して
一部の元気な人たちだけになってしまう。
と言って、過激な人々を排斥するのも私はしたくない。特定の旗持ってるだけで
帰れコールが仲間内から起きるとかね。
私が望むのは、ゆるやかで、しかし、大きな全国的運動です。


『明るく、楽しく、月や太陽のようになりたいんですぅ』

ほんとですね…
わたしも。
ほんとは、ささやかな花や蝶や鳥たちのこと考えて暮らしたいです。
小さな庭の花たち見てるときが一番幸せ。^^

stanislowskiさん。ありがとうございます♪
















No title

難しく考えすぎて。
自分もひとりでいるほうが楽でいいやってなりそうです。
同じ方向を向いていてもペースや方法はそれぞれだから。
私自身、受け容れてもらいたいと考える一方で、自分と違うペースの人には合わせられないという矛盾。

ブログに挙げましたが、原発なんてなくして欲しいと願う私に対して、それは賛成だけど少しずつというひと。
地震があるたび日本の家族が心配になります。人的な恐怖は耐えられない。
自分も自然の一部と認めそのように生きられたら、あるがままを受け容れられるかもしれない。

真理を見よう、知ろうよと考えます。
日本は原発無しで出来たじゃないか。
もっと立地条件を知って、マグマパワーをエネルギーに換える技術、知らしめて欲しいです。日本の国土の利点を知って行きたいです。

優等生のデモじゃダメなんですかね?
定刻に始まり定刻に終了、ゴミも死者も出さない、予定調和の。。。

すみません、また後ろ向きの自虐的な性格が出ました。

明るく、楽しく、月や太陽のようになりたいんですぅ。


Re:neronekoさんへ

neronekoさん。こんにちは。

ああ…こんなにあなたと私とで、想いを同じくすることは多いのになあ。
どうして政治問題になると、同じ方向を向いていながら、意見がかみ合わなく
なるのでしょう?(笑)

私に原因があるのかな…と自己嫌悪に陥ってしまいます…
あなたを悲しませてしまったのではと私も悲しいです。

さて。
『草刈は生き物たちの命を無駄に潰すだけなので反対です』
というところなど、私も同じ想いです。
我が家の裏手には、川があります。その川原は、私が買い物に行ったり
散歩したり、流星群の日には、寝っ転がって深夜空を見上げていたり
(そう言えば、明日明後日あたりからは、オリオン座流星群だ!)
私の大好きな川原なのですが、年に一度か二度、市かな?の草刈が
行われるのです。ぼうぼうと伸びた草が刈られて広々となった川原の土手は
気持がいいと言えばいいのですが、草刈が、もともとのこの川原の植生を
変える一因となり、そこに生息していた虫たちなどを駆逐するのであれば
問題ですよね。

私がここに引っ越してきた30数年前は、今のように定期的に市による草刈は
行われていませんでした。夏はサイクリングロードの両側にも丈の高い草が
生い茂って、夏の草むらの熱気を発していました。
それらの草むらには、美しい模様のカミキリムシや、ナナフシなどもいました。
大きな青大将が、のそりと道に這っていることもありました。
私は、そういう土手の道やその下のサイクリングロードが好きだった…

春は白い野茨の花が咲き、それらは秋には可愛らしい赤い実をつけました。
れんげ草もほんのちっぴりだけど生えていたし、私の大好きなホタルブクロも
見かけられました。土手にはナワシロイチゴの群落もあって、私はほんの少し
摘んでジャムを作ったりもしました。(急な斜面に生えていたので、
夫が土手の縁につかまりながら少し摘んでくれた。電子レンジでチンすると
ほんの少しの果実でもジャムが出来ますから)

そういう植物たちは、今すっかり消えてしまいました。
草刈のせいばかりではないかもしれない…それはわかりません。
河岸工事の影響などもあるかもしれないし、植生が変わるということには
いろんな原因が絡み合っているのだろうと思います。
でも、私には、その、市による定期的な草刈が始まってからのように思えて
ならないんです。
草を刈った後に勢いよく生えてくるのは、外来種の植物が多いように思われて
なりません。ブタクサ、オオハンゴンソウ、アレチウリ、…
アレチウリなどはものすごく繁殖力が強く、もう、その川原のあちこちで
ほかの植物たちを覆ったりしています。

生態系の仕組みって私にはよくわからないので、草刈りだけを悪者にする
ことはできないかもしれないけれど、私が30数年川原を見て来た変化は、
上に書いたような感じなんです。
だんだん季節ごとの植物層も単純化していって、散歩していても、「あ!こんなもの
みつけた!」という発見がなくなっていきつつあります…

『僕は、生物たちの美しさを知らないからだと思いました。
虫や鳥たちの美しさをほとんどの人が知らないんです。』

それは、ほんとに言えますね。
数年前、塾に勤めていたころ、他の教室で何やら大騒ぎしている…
行ってみると、1,2ミリしかないような羽虫が一匹、迷い込んでいただけなんです。
それを、中学一年生の女の子たちが気持ち悪がって、キャアキャア言って
逃げ回っていたのです。
私は、掌でかこって外に出してやりました。

自分が知っている以外のいきものなどや、園芸種以外の植物を『異物』と見る人が
増えているような気がしますね。例の川原は、市の職員が定期的に草刈りするだけでなく、
近所の人で自前の草刈り機で、川べりの土手の草がちょっと伸びてくると、
ブィ~~ンと、辺り一体の草を刈る人もいます。
そこのおうちの庭は、とても綺麗に管理されて雑草一本ない。^^
まあ、好みの問題ですので、それをうんぬんするつもりはないですが、
そういう人もいる。
あの、学研のノートの表紙写真から、昆虫が消えた、というのは、ごく1,2年
前の話ですしね。子供や先生が、虫を気持悪がるからだという……。
逆の立場からの批判を受けて、一部復活したようですが、時代の流れはそういう
ふうになっているのかあ!と驚いたことでした。
まあ、人間の生理的感情ですから、どうのこうのは言えないけれども、虫などを
好く嫌うというのも、教育による一種のインプリントであることは言えるかと思います。
お母さんが、虫を見て気持わるがれば、子供もまた同じ反応になりがち。
ただまあ、どうしても駄目、という方はいらっしゃるでしょうし、経験によって
駄目になった、という人もいるでしょうので、一概には決めつけられません。
蜂に刺されたことがあって虫一般を嫌いになったという子もいるかもしれないし。


しかしながら。
人間は、自らもまた、この地球上に住む生物の多くの『種』の一つにすぎない、
という自覚を持たない人が多すぎる気がします。
今は、身の回りの環境は人工的に整えられていることが多くなっていますから、
そして、食べものだってすでに人の手によって採取され加工済みとなったものしか
店で見ない、ということが多くなっているから、
自分たちの生命もまた、大地や他の生物たちと繋がっているのだ、という感覚を
持たない人間が増えていっているのでしょうね。

知らないものは『異物』とみなす心理の下地の一つがそういうところにあるかもしれません。
敷衍して言えば、外国の人々に対する心理にもそういうところがあるかもしれません…


話を先に進めて。…
『重要なのは、何をするか、ではないということです。
実際に何かをしなければならない、というのも強迫観念でしょう。』

『実際に何かをしなければならない、というのも強迫観念』というところは
賛成です。例えば、そのいい例がデモですね。
私は、デモの記事をアップすることが多いですが、それをアップする時、
『これが、デモに行けない人へのプレッシャーになっていなければいいが』
と、いつも考えて躊躇います。
行きたくてもデモに行けない、デモの効果を疑う、というひとだって、このブログを
見てくださる方々の中には当然いらっしゃるでしょうし。
私がそういう記事をアップするたびに、『ああ…行けなかった…』と、自分を
責める方もいらっしゃると思うのです。
それは、一つの強迫観念を私の記事が与えているということになるか、と自覚しています。

では、自覚しながら、なぜ記事をアップするのか。
それもまた、私の政治に対する抗議の表現の一つであるからです。
私は、このところ『忖度』について書いていますが、非常に普段『忖度』することの
多い性格です。あっちにもこっちにも忖度する…
でも、悪いと思う政治に対しては、私はやはり黙っているわけにはいきません。
それで、自分の意志表示の一つとして、デモにも行き、またその記事も書くのですが、
いつも、その自分の行為の人さまに与えるかも知れないプレッシャーには、
迷いつつ惑いつつ記事アップしているのです…。

だから、おっしゃるように、『実際に何かをしなければならない、というのも強迫観念』
というのは、本当にそうだといつも思っています。

ではそれでは、『実活動などしたら、それこそ逆効果だ』とまでは言いきれるかしら。
そこのところは、ご意見としてお伺いしておきますが。

実活動する人も、それはまた、その人の意志でやっているのですから、
それを否定することもないでしょう?

私は、AかBか、じゃないと思うのです。
自分の意志を表すために『集まる』ひとたちもいます。
集まるのが嫌いで、『一人で』行動する人もいます。
ネット上で自分の考えを配信する人もいます。
ネットもやらないから、友人知人などに口で考えを伝えるという人もいます。
neronekoさんのおっしゃるように、『行動』でなく、『思索』で、
本質をぐうっと見極めようとする人もいるでしょう…
それもまた大事なことだと思います。

みんなこれらが同時に行われたっていいんじゃないでしょうか。
一人のひとの中でこれらのいくつかが同時に行われることもあります。
ここに挙げた以外のありようだって、無論あると思います。
どれが正しくてどれが間違っている、なんて言えないと思うのです。

ひとりひとりが、自分の判断で決めていけばいいこと。

でも、その根底には、俗に言う『民主主義』とか、『国家』とか、
『金融資本主義の支配する現代』などとかいうものを、一度疑ってみる精神が
必要なのではないか。
その、『疑ってみる精神』ということに関しては、neronekoさんのご意見に、
私も全く賛成なのよ。
ただ、その表出のありようとか行動のありようとか行動の是非そのものに対する
考えかたが違うだけなのだと思う。

neronekoさん。
議論を投げださずに、こうやって再度のご意見をくださったこと。
ありがとうございます!
私の闘争的な態度があなたにご不快を与えてしまったかもしれないこと。
どうかお許しくださいね。^^








Re:鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。
コメント、ありがとうございます。

選挙のこと。
ご紹介の文章も読ませていただきました。^^

あのね。今、途中まで返事書きかけてたんですけど、これは、記事にして
オープンな形で、私の考えを述べさせていただく方がいいのかなって
思いました。大事なことですしね。

それで、今晩にでもまとめてみますから、いただいたお考えへの返事は
その中でさせていただけますか?
それまで少しお待ちくださいね。がんばって書いてみますから。
明日までかかるかもしれないけれど…

おことば。ありがとうございます。^^

No title

僕は近所の川でゴミを拾っていました。
人は自分の家の周りはゴミを拾いますが、川はそのままです。
環境問題としてゴミを拾っているわけではありません。
写真を撮るときにゴミが写り込んでしまうのが許せないからです。
だから、自分の家の前にゴミが落ちていても気になりません。
気が向いたときに拾います。
近所の川の絶望的に悪い環境が、ゴミを少し拾ったところで何も変わらないことも知っています。
ゴミを拾っても、次の日どころか、数時間後、いや、僕の見ていない隙の死角ですらゴミを捨てられてしまいます。
小さなゴミなら個人で拾うこともできますが、大きなものはどうしようもありません。
自治体はお金をかけて草刈りはする(草刈りは生き物たちの命を無駄に潰すだけなので反対です)のに、ゴミは拾ってくれません。
ついでに拾ってくれればいいのに。
心があまりにも荒むので、日課としてゴミを拾うことはやめました。

その原因はなんだろうと考えます。
利己主義?お金?モラル?

僕は、生物たちの美しさを知らないからだと思いました。
虫や鳥たちの美しさをほとんどの人が知らないんです。
存在すら知らないし、どうでもいいんです。
そりゃそうです。
学校では立派な奴隷になるための知識を教えてはくれますが、自分たちの周りにいる美しいものたちについては教えてくれませんから。


それで、思い知ったのは、重要なのは、何をするか、ではないということです。
実際に何かをしなければならない、というのも強迫観念でしょう。
僕は、今すぐ、個人としてお金を捨てなさいとか、みんなで協力して国家を転覆させなさい、と言っているわけではありません。
ただ、そういったものは人を抑圧するものでしかないということを知ってほしいだけです。
まずはそこからです。
そう考えている人たちは、実は結構多いということを僕は知っています。
教えられなくとも、気づいてしまう人が増えてきています。
彼らは集まったりしません。
実活動もしません。
ネット上で意見を表明するだけです。
実活動などしたら、それこそ逆効果だということを知っているのです。

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Re:森の妖精アイさんへ

森の妖精アイさん、こんばんは。

『それで あなたがたは 何をなさっているのですか?
 何をなさりたいのですか?』

ぐさっ!ぐさぐさっ!


^^

……まったくもってお言葉の通りです。
現状をなんとかしたいと思うなら、なにをするか、が問題ですね。
なにをしたいのか、がその前に来ますね。

私は、まずは、安倍政権を止めたいです。
でも、安倍さんを政権の座からおろしても、後に続く人物たちがいる。
ですから、与党が好き放題が出来ないよう、参院での与党多数をまずは阻止したい。
改憲などさせてなるものか、と思いますから。
来年の参院選に向けて出来ることはなんでもしたいです。
原発も、沖縄も、改憲も、区別せずに、共通の問題としていくつもりです。

自分がこんなことやってたっていったい何になるのか…
無力さに、身体の力がなくなってしまうこともあります。
…でも…。


『未来のために思いをいたす
 それは私たちに 生きものの種としての本能が未だ残っているからなのでしょう』

ああ…これはいい言葉ですねぇ……

私には、私の血を継いでいってくれる孫はいません。
私自身も、あと10年生きられるかどうか。
けれども、自分がいなくなった後も、自分の命を継ぐ者がいなくなった後も、
この地球は、出来得る限り長く長く、美しい星でい続けて欲しいと思います。

絶望しちゃっちゃいけないと思うのは、ただそのことのゆえかなあ…

まあ、自分にできること。これからも続けていくつもりです。

森の妖精アイさん。ありがとうございます。
素晴らしいシリーズ記事。しあげられたのですね。^^



No title

彼岸花さん
neronekoさん

 たいへん興味深くお二人の会話を読ませていただきました
 勉強不足で 中途半端な私には 当然全部理解できていませんが

 それで あなたがたは 何をなさっているのですか?
 何をなさりたいのですか? と
 お聞きしたいです
 言葉のやり取りだけでは 本当のところは見えてこないもの

 ずいぶん意見の違いがありそうですが
 実は日常生活では 同じような繰り返しをしていたり
 身近な他人たちに 同じようなはがゆさを感じて
 生活しているのではないかしら

 私たちの「違い」を 
 自分たちだけの保身・もうけ・繁栄に
 狡猾に使っている連中(あるいは社会のしくみ)に対して
 どうやって 変革の行動を仕掛けるのか
 共同の行動によってしか 解決はしていかないですよね
 意見の違いも 世の中のしくみも

 未来のために思いをいたす
 それは私たちに 生きものの種としての本能が未だ残っているからなのでしょう

 言い換えれば 目先の狭い範囲のことしか考えれない連中(社会のしくみ)は 生き残ってはいけないのでしょう
 
 資源が残っていたとしても 原発や戦争で地球は滅びに向かっています
 それは ヒトのまいた種で宇宙の奇跡の「歴史」を終わらせることで 悔しい限りですが 現状では仕方のないことかもしれません
 それでも なんとかなるかもしれないと・・・がんばり続ける人びともいます

 でないと生きていけませんもの

Re:しほさんへ

しほさん。こんばんは!

そうですよね、ほんとに毎月11日が、あっという間に来てしまう…
4年半以上経つわけですが、事態は良くなるばかりか悪くなる一方ですね。
川内原発、伊方原発…次から次に、再稼働が既成事実みたいになっていって
しまう…

志位さんの。了解です。私も見ますね。
志位さんは、党の綱領を凍結させてまで、安倍打倒でまとまろうと呼びかけている。
下手をすると、共産党員の党離れが進むかもです。それほど大きな賭け。

でも、社民、生活はともかく、民主党はあれはだめですね。
民主党の内にいる、自民と変わらない思想の連中。その人々が、共産との
連携には抵抗し続けるでしょう。まったく、時流の読めない人々。

『戦争法案を廃案にするのに何年もかかってはいけないと思います。』

ほんとほんとに。私もそう思います。この数カ月が正念場ですね。
法曹界を中心に、いろいろな動きをしてくれている人々がいます。
私も、出来ることなんでもやりたいです。
今度、地元の九条の会にも出ることにしています…

投票先についての考えかたの定まっていない人のこころを引きつけることが
大事ですよね。浮動票をどう獲得するか。

しほさん。いつもありがとうございます♪ 元気が出ます! ^^




Re:neronekoさんへ。

neronekoさん。
ありがとう。

そうですね。やめましょう。
実は私たちは、同じようなことを言っているのではないでしょうか。
違いは、そのひとつひとつのことに対する、危機感の深さ、ということかも
しれません。
あなたにとって見れば、私の認識など生ぬるいと思いになるのでしょう。

俗に民主主義体制、と言われるものには、数々の矛盾と問題があることは私も
知っていますし、それを万全のものとは思っていない。
金融資本主義の行きつくところに対する考え方は、ほぼ同じだと思います。
この世界が今のように資源を使い放題に使うということがどのような結末を生むか
ということに対する考えも同じです。このままではいけないなんとかしないと、
という危機感は私も同じなのです。
それから、前のコメントでは書いていませんが、『国家』に対する考えかたも
ほんとうは似ているのじゃないかと思っています。
『国家』というものがすることしてきたこと…。
それを追及するのは、私のブログのテーマでもあるのですから。

上に書いたようなことに対する私の基本的考えは、私のブログを見てくだされば
およそわかっていただけるはずなんだけどなあ!
そういうことばかり問題にしているブログじゃありませんか。

よく思いますよ。
とりわけ、宇宙から撮影した地球の画像などを見るとき…。
この、美しい地球で、人間という愚かな生きものは、いったい何をやっているのだろう、と。
ほんとうは、人間のひいた国境線など何の意味もない。
それなのに、その見えない国境などというものをめぐって、古来から人類は
ころし合いをしてきました…
そもそも、この地球の土地を所有しようとすることが間違っているのだと
思います。
『所有』ということがあるから収奪や争いは起こる。
金融資本主義は、その最たるものですよね。

私はね、neronekoさん。人類の未来にそう幻想は抱いていません…
人類は、きっと今のままの生き方をしていくだろうと思います。
無論、人類は創造性という力を持っていますから、ただ滅びるということは
しないでしょう。科学の力で例えば資源の不足、例えば食糧の不足、などを
解決していこうとするでしょう。
でも、その力は、この、病んだ地球のもたらす大危機…海面上昇や砂漠化
などと言ったものをまで克服できるのか、私も出来るなどとは思わないです。

世界自然保護基金(WWF)インターナショナルのジム・リープ事務局長は
言っているそうです。

『私たちは、あたかも使い捨てできる地球をもう1つ持っているかのような
暮らしをしている。地球が持続生産可能な量を50%も上回る資源を使い続けて
おり、このような生活を続けるのならば、2030年までに地球が2つあっても
足りなくなるだろう』

2030年と言えば、すぐそこです。
2030年にすぐそうなるとは思わないけれど、やがて…100年後、200年後…
資源がなくなる前に、愚かな人間は、奪い合いを始めるでしょう。
それはまず、富める者による資源の寡占、という形で表れてくると思います。
いや、もうすでに表れてきていますね。

neronekoさんが抱かれる危機感と絶望は、私も同じなのですよ。
そういう私の基本的想いについては、前のブログの終わりの記事のあたりでも
随分書いています…

ただ、それをじっと絶望しつつ見ているのか。
そうしたくないから、私はここでずっとあがいているんですけれどね~…。
原発問題は、未来の地球や人類に対する倫理の問題でもあります。
原発問題を考えて、どうして経済的側面にばかりに目を向けていられるでしょうか。
人間の生き方、という根本問題にまで踏み込んで考えざるを得ません。

戦争の問題…TPP…沖縄…従軍慰安婦…、貧困問題…、
私がここで書いている問題は、殆どが、国家というものが引き起こしたこと
引き起こすことへの批判です。

どれも手に負えない大きな問題。
私なんかが、ここで何を書いたって、デモにちょっと行ったって、何も変えることは
おそらく出来ないです。

でもね。絶望で立ち止まってしまえば、虚無に陥ってしまう。
だから、走り続けているのかもです。

neronekoさんを批判したり、拒否したりするつもりは全然ありませんからね。
いつでもまた、お話しさせてください。



もう…

彼岸花さん、こんばんは。
本当に彼岸花さんのキャンドルナイトではっと気付きます。
11日がいつの間にか過ぎてた!って。
本当に…もう!です。

志位委員長が外国特派員協会で記者会見のビデオを明日見ようと思います。
神保哲生さんのビデオニュースドットコムで見られるようです。
1時間以上かかりそうです。

テレビを見てないからでしょうか?
自民公明に対する他の政党が集まってるようには見えません。
戦争法案を廃案にするのに何年もかかってはいけないと思います。
もっと悪い事が起こりそうで怖いです。

No title

僕は言葉じりを捉えて否定しようとは思っていません。
根底からおかしいのでは?
考え直してみては?
と言っているつもりです。

だから、今回、引用スタイルでのレスはしませんし、レスをいただくことも望んでいません。


国家というもの、社会の仕組み(政治)というものがなければ人は生きられないのでしょうか。
お金がなければ生きていけないのでしょうか。
それらがなければ、命をつないでいくことはできないのでしょうか。
本当にそうなのでしょうか。

僕は歴史を学ぶ必要はない、と断言しますが、歴史にならなかった歴史は学ぶべきだと思っています。
例えばそれは、世界中に点在する打ち捨てられた遺跡が示唆することとか、人類が地球上に発生してから国家という抑圧政治システムがない期間の方がはるかに長いといったことなどです。
国家がなかったからこそ、お金がなかったからこそ、人類はながらく命をつないでこれた。
僕はそう考えています。


金利を生むマネーシステムを認めてしまってから、急速に世界は破滅に向かって進んでいます。
近代国家とは、このマネー(銀行家たちの不労所得と既得権益)を守る仕組みでしかありません。
民主主義もそこで与えられた欺瞞です。
多数決とは大事な物事を決めるのに最も用いてはいけない方法で、民主主義とはその多数決の隠れ蓑にすぎません。
多数とはいかようにも操作できるものです。
あたかも公明正大であるような顔で、これを信頼しない人を罵ります。
そして、洗脳はいつまでも続きます。

この世に腐らないものがあってはいけません。
価値あるものはすべて腐り、枯れ、死に、消えます。
腐らないどころか、金利まで与えられるマネーがいかに世界を破滅へと加速させる装置か。
理解はそんなに難しくないはずです。

Re: neronekoさんへ

neronekoさん。こんばんは。

う~~~ん…

困りました。私が何を書いても、あなたはその言葉の端を取り上げて否定
なさいます。書けば書くほどあなたによる否定が増えていくのであれば、
もう私は何も言えなくなってしまいます。

…それでも、お訊ねくださったことには、きちんと答えていきたいと思います。
以下、neronekoさんのご意見は『 』でくくり、自分の前のコメントの言葉は、
>印以下で表わさせていただきます。

まず。
>民主主義というものは、その内に多くの矛盾を抱えるものです。でも
>それを否定し去るほどの社会・政治システムの哲学を人間はこの先生み出しうるのか…


『民主主義という欺瞞を否定するのに、どうして「社会・政治システムの哲学」が必要になるのか、やはり僕には理解できません。
政治システムというものこそが人を不幸にするものだと僕には思えるからです。
また、哲学は政治システムを支えるものではありません。
その根拠や正当性を疑い続けるものです。』

これは、私が、『哲学』というとても意味の広い語を、不用意に使ったことが
悪かったですね。
ここで私が意図したかったことは、
『今の社会の仕組み、政治の仕組みは、あちこちに綻びが見えてきてしまっている。
「民主主義」と一般に名づけられた考えかたもそうだ。しかし、『民主主義』と
いうものを否定するその先に、いったいどのような社会というものがありうるのだろうか。
それを示すことのできる者がいるのだろうか?』

というような想いを述べたものでした。

民主主義、という言葉自体も、きちんと定義してから使うべきだったですね。
ここで、私がイメージしていたものは、主に、『民主主義政体』とりわけ
『議会制民主主義』に依るものと一般に理解されている政治形態のことです。

それが今、あちこちに綻びが見えてきている…

世の中にはいろいろな政治形態が歴史的にもまた現代の世界にもあります。
『民主主義政体』の反対語は『専制政治』などというものでしょうか。
『民主主義政体』は、その中でも、現在のところ、まあ最善に近いもの、と
みなされることが多いようです。
でも、それに反対する考えも当然ある。正解などないからです。
例えば、極端な例で言うと、ISなどは、そんなもの認めない。
『民主主義』などという言葉や概念自体が、西欧キリスト教世界から
発したものと考えるからです。
また、『民主主義国家』と名乗りながら、現実には独裁者が支配する国もあります。
一応民主主義が標榜されている国でも、日本に於けるように、与党が両院において
圧倒的多数を占め、立憲の府としての国会が行政府たる内閣の暴走を止められない、
などという問題も出てきます。選挙制度の問題によって、国民の投票で示した意志が
必ずしも政治に反映されない結果になることもある。
その他にも、数知れぬ矛盾や問題点が、民主主義政体のありようについて
指摘されるようになってきています。
その政体をいちおう採っている人々の中からも不満や批判となって噴き出している。
また明らかに、それ自体を根本から否定する人々も無論います。

この今の民主主義政体というものを徹底的に見直し改良して行けば、
よりましなものとなるのだろうか。
それとも、それ以外の方法というものがあるのだろうか?
いつか人間はそういうものを考えつくのだろうか?

というのが、私の発した素朴な疑問だったのです。


neronekoさんのご意見。
『民主主義という欺瞞を否定するのに、どうして「社会・政治システムの哲学」が必要になるのか、やはり僕には理解できません。』

neronekoさんは、
『政治システムというものこそが人を不幸にするものだ』と、お思いに
なるのですね。私も、その点では同感に思う部分も大いにあります。
しかし、それならば、どうしたら、人が少しでも不幸でない、より良い
政治システム…システムという言葉を避けるなら『仕組み』とでも言っておきましょうか…
よりよい政治・社会の仕組みを作れるだろう、と考えるのは、間違っているのでしょうか?

それではお聞きしますが、
neronekoさんは、なにを、どんな社会を理想と思っていらっしゃるのでしょうか?
neronekoさんのご主張を伺っていても、『これも反対』、『これも悪い』と
いうことはおっしゃいますが、それではなにを良しとするのかが
私にはイメージとして見えてこないのです…
neronekoさんの思う、理想の人間の社会というものは、どういうものですか?

なんとなく、ですが、ひょっとして、アーミッシュ、の人々のような、
生き方でしょうか?
彼らは原則として現代の技術文明を否定し、基本に農耕や牧畜を行い
自給自足の生活をしています。

この、いただいたコメントの後の方の部分などを拝見すると、アーミッシュの
生き方は、neronekoさんのおっしゃるようなものに近いのかなと思う…

『この地球の資源は「無限」です。
人間が生物として生きていくだけには充分すぎるほどの恵みがありますし、それは「永遠」に続きます。
「有限」なものは、本来、必要がないものです。』

などというところです。
アーミッシュのような生き方を皆がすれば、確かに、この地球の資源は
『無限』に近いでしょうね。

しかし。アーミッシュのような社会であっても、社会のルールや規範と
いうものはあるだろうと思います。そもそも彼らはキリスト教徒ですし、
厳しいアーミッシュ独自の掟というものがあるようです。

人間という生きものがある程度以上の数の集団になった時、そこに『社会』
というものが(呼び方はどうでも構いませんが)発生することまでは、
neronekoさんも否定なさらないでしょう?
するとそこには、その構成員を守り、まとめて行くための一定のルール、と
いうようなものが自然発生するのではないでしょうか。
強いものが弱いものを一方的にいじめないようにするにはどうするか。
何か集団行動なりなんなりするときに、その意思決定の方法はどうするか。
仕事の分担はどうするか。などなど……

これさえをも否定した集団は、ただの寄り集まりでしかありません。
国家のような大きな集団となった時、そこに一切のルールは必要ない、
となれば、それはもう、ある種アナーキーな状態ですよね。

人が集まって、その構成員が、出来るだけみんな、暮らしやすいように、生きやすい
ようなそんな社会にしようと目指すならば、そこにはなにがしかの『理想』
とか『理念』というようなものが、考える時の根底におかれるのでは
ないでしょうか。
それは、ときには、一番体が大きくて力のある者、知恵の働く者、などの
勝手なルール押しつけ、という専横、であるかもしれません…。彼もしくは彼ら
にとって都合のいいルールや仕組み。

つまり、良きにつけ悪しきにつけ、集団や社会が出来上がって行くときには、
何らかの理念がそこにあるのではありませんか? それが力のある一部の
人間にとってのみ都合のいい邪な理念であれば、それは他の者にとって
不幸な集団になってしまうかもしれません…。
それが、いいものであってほしいと願うのは、一応知的動物である人間の
大方の想いの自然に赴くところでしょう。
どういう社会がいいのかと考えるでしょう…
本来、理念としてのもともとの共産主義が目指したように、貧富の差や、
強者による弱者の搾取などない平等な社気がいいなあ、と考える人々もいました…。

私が、社会や政治システムを語るのに、(『哲学』という言葉はまあ選択が妥当で
なかったかもしれませんが)『哲学』という言葉を持ちだしたのは、そういう
意味合いがあったからです。
哲学という語は意味が広すぎるので、『思想』とか『理念』とかと言い換えても
構いません。


neronekoさんはおっしゃいます。
『また、哲学は政治システムを支えるものではありません。
その根拠や正当性を疑い続けるものです。』

確かに。そのことに関しては、半分賛成で、半分は疑問を持ちます。
『哲学』という語の使われる範囲がそもそも広いですから、なかなか
説明しづらいですが、私がここで本来『哲学』という言葉を使って意図しようと
していたものは、『政治倫理』というようなものです。
『政治哲学』という語は一般にももちいられるようですから、そう言っても
構いません。

おっしゃるように、哲学は、政治システムや社会のありよう…もっと
広く深く言えば、『人間の本然』というようなものを問うものだと思います。
人間がある社会システムを構成すれば、その根拠や正当性を疑うのも、哲学の
働きかもしれません…それはおっしゃるとおりです。

しかしながら、上に縷々書きましたように、社会を構成していく前に…
国をつくる前に、また、その過程で、『こういう社会にしたい』という
理念を抱く場合だってあると思います。
『こういう社会にはしたくない』と思えば、それは哲学の範疇の一つでもある
『倫理』の問題になって行きませんか?

neronekoさんは、あるイメージを国家(という言葉はお嫌いでしたね。
では、もう少し曖昧に、『社会』と言いましょうか)、に対し、お持ち
なのでしょう? 
ここでは否定的に、『こういうのはだめだ』という語り口でおいでですが、
「自分の想う『理想』はこうだ。」というものをお持ちでしょう?

哲学には、無論懐疑や批判という要素もありますが、『こうありたい』という
倫理的側面もあるはずです。それならば、
『哲学は政治システムを支えるものではありません』と言いきっておしまいに
なるのはどうでしょうか。

例えば、教育哲学、という分野などもありますが、これもまた
範囲が広いですが、原則的には、教育の目的、対象、方法などについて
分析・解明するだけでなく、教育と不可分の世界観や人間観を元に、
よりよい教育を目指して実践的な理論構築をしていくものでもあります。


話を先に進めましょうか。私の書いた言葉。

>金融資本主義のいきつくところはいったいどこか…
>
>いつも考えていますが、答えは出てきません…

に対し、neronekoさんは、

『考えてみても、そこから導き出される答えを拒否しているのでは?
と思います。
薄々気づいているのでは?
金融資本主義の行き着く先は破滅だと。』

と、疑問を呈しておいでですが、これはneronekoさんの誤解です。
私は、
>金融資本主義のいきつくところはいったいどこか…いつも考えていますが、
答えは出てきません…

と、続けて書いていますか?私が実際に書いたのはこうです。


>原発や基地を止めるにはほんとうにどうしたらいいのか…
>国家とは何なのか…
>民主主義というものは、その内に多くの矛盾を抱えるものです。でも
>それを否定し去るほどの社会・政治システムの哲学を人間はこの先生み出しうるのか…
>金融資本主義のいきつくところはいったいどこか…

>いつも考えていますが、答えは出てきません…


つまり、>いつも考えていますが、答えは出てきません…という文章は、
文の構造的には、その上の並列した5行の文全体を受けたものであり、
なにも、金融資本主義の行きつくところはどこなのか考えても答えは出てきません、
というふうに直前の一行だけを受けたものではありません。
そのために、5行の文に記した原発や基地、国家、などなどと
いう部分とは、わざわざ一行空けてあるではありませんか。

したがって、neronekoさんの、この部分の解釈は、少し、読解上
誤解です。
もう少しだけ、文句を言わせていただけるなら、私は、むやみに『…』を
意味のないところに使いません。
よく使ってはいますが、それは私が、そこに、『ある含み』や『思考の時間経過』の
ニュアンスを持たせたいときです。

>金融資本主義のいきつくところはいったいどこか…

と書いたとき、なにも私は、それを、『どこでしょうか?』という
ただの疑問として呈しているのではありません。

金融資本主義の行きつくところについては、私は、neronekoさんとおそらく
同じように、何の幻想も期待も希望も持っていないです。


次に行きます。

>私は、人類は、今のようなエネルギーもその他の地球の資源も使いっ放し
>というような生活を、このまま続けられるとは思っていません。
>政府や経済界などのえらい人々が言うような、右肩上がりの経済発展などが
>このまま続くなどというのはあり得ないと思っています。


『経済発展が続けば、そりゃ、いいけれど、という意味でしょうか。
僕は、経済発展そのものがいいものだとは到底思えません。
それこそ、人を不幸にするものでしょう。
ここにも考え方の相違がありそうですね。』

これも、neronekoさんの曲解です。
どうして私が、『経済発展が続けば、そりゃ、いいけれど』と、
経済発展を単純にいいものと言っているとお決めつけになるのでしょうか?
私のこの文章のニュアンスから、そのようなものがどうして感じられるのでしょう?
neronekoさんは、もう長いおつきあいじゃありませんか。
私の他の文もお読みになったことはおありかと思います。
私が、単純に、右肩上がりの経済発展を望んでいるなどと思いになるのですか?
それは、私にとって、あまりにも情けない、皮相的な解釈です。

私はね。人を見るとき、その人の全体図を捉えようと努力します。
その人の一部を切り出して、それでその人の全体を決定的に判断しようとは
思いません。
neronekoさんのことで言えば、知り合ってからもう5年くらいになりますか。
いろんなことをお話ししましたね。短歌のこと、猫ちゃんのこと…
写真のこと、鳥や蝶たちのこと…
そこで知っているneronekoさんが、私にとってのneronekoさんの全体図
なのです。無論ブログ上でしか存じあげませんから、その範囲でですけど。

その私にとってのneronekoさんが、議論でどのようなことをおっしゃろうと、
私は、その一語だけを切り取ってneronekoさんを判断したりしませんよ。


先に進みましょう。

『僕が考える金融資本主義がもたらす破滅とは資源の枯渇ではありません。』

『金融資本主義がもたらす破滅とは資源の枯渇である』
なんて、私はそんなこと一言も言いきってないけどなあ。どこに私、そんなこと書いてます?
金融資本のもたらすものは、資源の枯渇でもあるでしょう。しかしそれだけではない。
そんな経済的視点から見る問題だけでは決してない。私の考えも、
『金融システムによって身動きが取れなくなった社会が自ら崩壊していくことです。』
とおっしゃるneronekoさんのお考えに近いです。
人間が持つ善性というものが、今まだかろうじて残っているとすれば、
そういうものまでも崩壊していくだろうと思う。行きつつあると思います。
今どんどんひどくなっていっている弱者の切り捨て、などということが
常態化するだろう。
こんな話ご存じ?NHKクローズアップ現代で取り上げられた話題です。
2014年3月。アメリカジョージア州の議事堂で、新たな自治体の設立を
求める法案を巡り、議論が交わされた。アメリカの富裕層が、税金が
貧困層のためばかりに使われていると反発。みずからが住む地区を周囲と
切り離し、新たな自治体を作ろうという動きを強めているのだそうです。
つまり、金持ちだけの住む自治体を作りたいからそれを認めろ、と。
現実も、ここまで来ています…
ちなみに、『貧しい人々のために自分のお金を使うこと』に関して
『いやだ』と答えたひとは、先進国の中で日本が一番多い、という話も。
これは今、情報の出所が思い出せませんが…どこかに記録はしてあるのですが。

…人間精神の崩壊、というところまで行きつくかもしれませんね。


さて。そろそろ終わりにしましょう…


『だから、その虚構を信じるのはやめましょうよ。
と僕は言いたいのです。
「政治」に、それ以上の意味があるとは思えません。』

という結論部ですが、
そこは、neronekoさんのお考えはお考えですから、お聞きするだけです。
私もかなり人類とこの地球の行く末に絶望してますが、もう少しは
なんとか努力してみたい。
愚かな人類が、歴史に学べるとは思っていませんが、それでも、
『歴史に学ぶ』ことは大事だと思っています。
政治も、なんとか改善するために、自分に出来る抵抗はしていきたいと思っています。

neronekoさん。
ここでお互い、少し頭を冷やしませんか?正直言って少し疲れました…


最後に言っておきますが。
私は、あなたをいつでも友人だと思っているのです。




No title

>記事には出来ていませんが、私の中にも常にこの迷いはあります…
>原発や基地を止めるにはほんとうにどうしたらいいのか…
>国家とは何なのか…
>民主主義というものは、その内に多くの矛盾を抱えるものです。でも
>それを否定し去るほどの社会・政治システムの哲学を人間はこの先生み出しうるのか…


民主主義という欺瞞を否定するのに、どうして「社会・政治システムの哲学」が必要になるのか、やはり僕には理解できません。
政治システムというものこそが人を不幸にするものだと僕には思えるからです。
また、哲学は政治システムを支えるものではありません。
その根拠や正当性を疑い続けるものです。



>金融資本主義のいきつくところはいったいどこか…
>
>いつも考えていますが、答えは出てきません…


考えてみても、そこから導き出される答えを拒否しているのでは?
と思います。
薄々気づいているのでは?
金融資本主義の行き着く先は破滅だと。



>私は、人類は、今のようなエネルギーもその他の地球の資源も使いっ放し
>というような生活を、このまま続けられるとは思っていません。
>政府や経済界などのえらい人々が言うような、右肩上がりの経済発展などが
>このまま続くなどというのはあり得ないと思っています。


経済発展が続けば、そりゃ、いいけれど、という意味でしょうか。
僕は、経済発展そのものがいいものだとは到底思えません。
それこそ、人を不幸にするものでしょう。
ここにも考え方の相違がありそうですね。



>いずれ、人類は、この地球のありとあらゆる資源を使い尽くし、この大地や
>海の与えてくれる恵みを無尽蔵と勘違いしてむさぼり続け、この地球を
>生物の住めないところにしてしまうのではないか、と恐れています…


TEDでエレン・マッカーサーという人が同じようなことを話していました。
彼女は、ヨットでの無寄港世界一周レースで気づいたそうです。
この世界の資源は「有限」だと。
航行中、ヨットにはあらかじめ積んできた3ヶ月間の物資しかないわけですから。
経済も同じだと気づいた。
そして、彼女はヨットをやめて、自身の財団を作り、循環型経済を進めようといろいろなチャレンジをしています。
時間稼ぎにしかならないような小手先のリサイクルではなく、根本的に社会の仕組みを変えようと本気で取り組んでいます。

しかし、彼女も本質的には間違っていると僕は思います。
この地球の資源は「無限」です。
人間が生物として生きていくだけには充分すぎるほどの恵みがありますし、それは「永遠」に続きます。

「有限」なものは、本来、必要がないものです。

そう、根本的に社会の仕組みを変えるのには、もっと根本的に思考を変えなければならないのです。

ただ、彼女が気づいたこと(ちょっと的外れだけれど)と、そして、その変革のために自ら財団(彼女自身は労働者階級出身なので金持ちの道楽ではありません)を作って活動していることは素晴らしいと思います。
活動していることが素晴らしいのではありません。
こういった変革に、既存の政党、その他の政治団体はまったく役に立たない(というより、障壁にしかならない) と知っていることが素晴らしいのです。


僕が考える金融資本主義がもたらす破滅とは資源の枯渇ではありません。
金融システムによって身動きが取れなくなった社会が自ら崩壊していくことです。
世界中にある打ち捨てられた遺跡は、それを示唆するものなのではないでしょうか。
歴史を学ぶものは愚かだと僕は言いましたが、これはいわば歴史ではない歴史です。
次の破滅は、全世界規模で起こるでしょう。
そして、その破滅は、人間以外の生物環境にも壊滅的被害を及ぼすことは必至です。
人間だけ滅べばいいのに、と心底思います。
人間が作り出した虚構が、本当に価値あるものを取り返しのつかないかたちで破壊するのです。


だから、その虚構を信じるのはやめましょうよ。
と僕は言いたいのです。
「政治」に、それ以上の意味があるとは思えません。

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんにちは。

私もショック受けました。
私は、反自公とまあ一応考えられる側の野党が結集しなければ、とても
来年の参院選には勝てない。勝てなければ、いよいよ改憲というところへ
まっしぐら、となってしまうので、多少の方針に違いはあっても、打倒安倍と
いうその一点で結集して、国民の投票の受け皿を作ってほしいと思っていました。

でも、昨日の共産党志位さんの、打倒自公のためなら、日米安保反対、自衛隊違憲
という自党の綱領を一時凍結までする、というのには、飛びあがっちゃいましたよ。
社会党の二の舞いを演じるのか!と。
旧社会党が1994年、上記の同じ方針を打ち出した時には、どれほど裏切られた
想いがしたか知れません…
あれで、社会党は、大きく支持者を失いました…
自民党を衆参のどちらかで過半数割れさせるためには、出来る限りのあらゆる方法を
取ってほしいと思いますが、自党の根本の思想まで一時的にせよ凍結する、
というのはやりすぎっ!!!

志位さんの決意の固さはわかる。でも、それを言っちゃっちゃおしまいよ、
という限界のところがありますよね~。
う~~~~~ん……
今日の朝日などでは、一応一面記事でしたが、扱いは小さかった。
これは、でも、格好の野党非難の火種になって大きく燃えあがるんじゃないかなあ。
ほんとうに心配です。

う~ん……





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Re: neronekoさんへ

neronekoさん、こんばんは。

私は、『反骨心を持つのも無理もない』と言っているだけです。
なにも過去の歴史上の例を持ち出すまでもなく、現実の今の世にだって、
口惜しさ、情けなさをこころのバネにして、なんとか立ち上がろう、としている
人だっているのではないでしょうか。

neronekoさんがおっしゃりたいのは、
『本当に価値あるものを見極められる人なら、何くそとは思わないでしょう。
ただ、冷静に本当に価値あるものを大切にするだけだと思うのです。』

という、そこのところですよね。
そのこと。私も、本当におっしゃる通りだと思います。

『どうも、根本的に違っているような気がしてなりません。
中央、都市生活者は豊かで、僻地、地方生活者は貧しく、中央は地方から搾取して生活している。
その都市生活は地方の人々に羨ましがられて当然で、都市生活者はその犠牲に感謝しなくてはならい、というような意識が垣間見えます。』

前のコメントでも書きましたように、『白河以北一山百文』という言葉を
この記事のテーマにした私の真意は、決して、『東京vs地方』ということを
単純化して語りたかったからではありません。
言葉を入れ換えれば、他の問題にも当てはまるのではないか、ということ。

私の言いたかったことは、強いものがますます富や便益を蓄積享受し、
その歪みは得てして弱いところへ弱いところへ、と行きがちだ、という、
日本の…いや、この世のありとあらゆるところに満ち満ちている差別の構造を、
この歌は象徴しているように私は感じた、という、ただそれだけのことなんです。

『都市生活者こそ貧しい生活を強いられています。
およそ非健康的な都市環境という牢獄で死ぬまで奴隷のように働かされ、虐げられているばかりでなく、国家やカネというものに洗脳され思想の自由さえ奪われている。』

と、neronekoさんがお書きになっていらっしゃる、この都市生活者。
『都市生活者』ばかりではありません…非正規労働などの問題点は、
地方VS都市、という単純な分け方では語れない問題の、まさにその一つ
ですよね。
都市の生活が幸福だなととは、おっしゃるように決して言えませんよね。
労働環境や労働条件の悪化…、貧富の差の拡大…、拝金主義の生みだす
ありとあらゆる『膿』…、国家権力の横暴…
こういったものは、都市も地方も関係なく、今の日本に広く存在する問題だと
思います。


しかし……。

『都市生活は地方の人々に羨ましがられて当然で、都市生活者はその犠牲に
感謝しなくてはならない、というような意識が垣間見えます。』

というような印象を、もし、この記事ばかりでなく、私の普段の記事やコメントの
言いっぷりが、neronekoさんや皆さんに与えているとしたら、それは
ほんとうに、私の不徳、というしかありません…

そうなのかな。気づかず、そういう論調をずうっと続けていたのでしょうか…
ちょっと滅入ってしまいます……
…でも、自分を見つめなおしてみるいい機会です。
ご指摘を、こころから感謝いたします…

『国家も、カネというシステムも、所有という概念も捨てることができない。
でも、原発や基地を押し付けるのはやめたい、というのは矛盾しています。
押し付けたくないのなら、国家という概念や、民主主義という欺瞞や、金利を生むカネというシステムをかたくなに信じるのは間違っていると認めなければならないと思います。』

これは本当にそうですねえ…
記事には出来ていませんが、私の中にも常にこの迷いはあります…
原発や基地を止めるにはほんとうにどうしたらいいのか…
国家とは何なのか…
民主主義というものは、その内に多くの矛盾を抱えるものです。でも
それを否定し去るほどの社会・政治システムの哲学を人間はこの先生み出しうるのか…
金融資本主義のいきつくところはいったいどこか…

いつも考えていますが、答えは出てきません…

私は、人類は、今のようなエネルギーもその他の地球の資源も使いっ放し
というような生活を、このまま続けられるとは思っていません。
政府や経済界などのえらい人々が言うような、右肩上がりの経済発展などが
このまま続くなどというのはあり得ないと思っています。

いずれ、人類は、この地球のありとあらゆる資源を使い尽くし、この大地や
海の与えてくれる恵みを無尽蔵と勘違いしてむさぼり続け、この地球を
生物の住めないところにしてしまうのではないか、と恐れています…

私が7年前にブログを始めたころのテーマの一つは、それでした。
原発問題はその象徴だと感じて、一所懸命原発のこと勉強してました。

なんでそんな未来のことを心配するのか、と問われたことがあります…
あなたはその頃、もうこの世にはいないじゃないか、と。

そうなんですよね~…関係ないと思ってしまえば、何もかも関係ないのです。
私には私の血を継ぐ孫もいません。
それでも、なぜ、未来のことを心配して語るのか。
そんな議論を、前のブログで、やはりあなたのような若い方としていたことが
ありました…

でも、自分がいない未来のことなど関係ない、と言いきってしまうことのできない
何かが私の心にある。
なんていうんですかね…この地球が未来も美しくあってほしい…ということかな。
人間という生きものが、自分もまた自然界の一部にすぎないという『ほど』
というものを自覚して、この地球上で、他の生物たちと共生して生きて
いけますように。愚かな殺戮のしあいなどを止めていますように。

無論、この地球もいつかは冷たいただの土くれになる…
それは知っています。
知っているけれども、少しでも長く、この星が、宇宙の片隅で美しい奇跡の星で
あり続けますように、と思うんだ。

私のブログの原点は、そういう遠い願いにありました。
その点では、neronekoさんが、このコメントの最後の最後でお書きになった
想いと同じような想いを私も抱いています。

政権批判などは、その一部でしか本当はないのです。
でも続けますけれど。

歴史に学ぶ価値などない、というところは、残念ながら承服しかねます。
人間が歴史に学べる生きものか、ということとはまた別問題で大いに疑問がありますが。
でもね、いつかneronekoさんがおっしゃったように、違う意見持っていたって
いいでしょう?
ものの考え方は、AかBか、じゃない。

neronekoさん。
自分を顧みる機会を与えてくださってありがとうございます…


No title

やはり、白河以北一山百文という呪詛によって、反骨心を植え付けられたことが、付け入る隙を与えたのだと思えて仕方ありません。
何くそという反骨心が呼び起こすものとはなんでしょう。
それは、努力でしょうか。
その先に彼らが目指すもの、そう仕向けられたものとは一体なんなのでしょう。

僕は、何くそと思う必要はない。
いや、思ってはいけないとさえ思います。
それは、拝金主義者と同じ価値観を抱く元でしかありません。
本当に価値あるものを見極められる人なら、何くそとは思わないでしょう。
ただ、冷静に本当に価値あるものを大切にするだけだと思うのです。

どうも、根本的に違っているような気がしてなりません。
中央、都市生活者は豊かで、僻地、地方生活者は貧しく、中央は地方から搾取して生活している。
その都市生活は地方の人々に羨ましがられて当然で、都市生活者はその犠牲に感謝しなくてはならい、というような意識が垣間見えます。
そんなことは決してないのです。
都市生活者こそ貧しい生活を強いられています。
およそ非健康的な都市環境という牢獄で死ぬまで奴隷のように働かされ、虐げられているばかりでなく、国家やカネというものに洗脳され思想の自由さえ奪われている。
それが、自分自身の破滅に繋がっているのも知らずに。
米軍基地や原発という目に見える巨大な抑圧施設が近隣にないと気づかないのでしょうか。

国家も、カネというシステムも、所有という概念も捨てることができない。
でも、原発や基地を押し付けるのはやめたい、というのは矛盾しています。
押し付けたくないのなら、国家という概念や、民主主義という欺瞞や、金利を生むカネというシステムをかたくなに信じるのは間違っていると認めなければならないと思います。

しかし、それは難しいでしょう。
洗脳されている者は、それが嘘だと薄々気づいていても、騙され続けることを望むもの。
すべて奪われてからでないと洗脳は解けないものでしょう。

それから、
まったく関係ないかもしれませんが、賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、としたり顔で言う人がいます。
しかし、僕が声を大にして言いたいのは、歴史を学ぶ者はみな愚か者である、ということです。
歴史など、なんの価値もありません。
本当に重要で伝えなければならないことは、遺伝子でのみ伝えられてきたのです。
僕らが学ばなければならないのは歴史ではなく、生物が無機物を含めて死と繁殖とで繋がるこの世界の成り立ちと、その美しさでしょう。
それ以外は、本当に害悪でしかありません。

Re: neronekoさんへ

neronekoさん、こんばんは。

おじいさまは、白河のかたでいらしたのですね。

『白河以北一山百文』。いやな言葉です。
それをおじいさまからお聞きになった当時のneronekoさんは、どういう感じを
受けられたのでしょうか。
今の感じ方は、ここにお書きになられているようなことでしょうから、
それとはまた違う印象を受けられたのでしょうね。

> そう言われても、馬鹿にするな、と憤るのではなく、そういうものの見方しかできないなんて、なんて間抜けなんだと、蔑んでやるのが正しい対処だと今の僕は思うのです。
> ものの価値を金額(カネ)でしか計れないのは愚か者なのですから。

ほんとうにそうですね。
この、影法師、というフォークグループも、『白河以北一山百文』という歌を
作った動機は、東北が馬鹿にされていることに腹を立て『反骨精神を持とう』
などという趣旨でこの歌を作ったのではないのではないかと思います。

ここに歌われているのは、直接的には、中央と地方の構造的差別のことです。
でも、それは何も、白河以北の東北地方のことだけを指しているのではなく、
同じような条件下にあるそこ以外の土地をも包含して歌っているのではないでしょうか。
原発のことで言うと、原発の立地を最終的に受け入れ、原発が現に建っている
場所が、ほぼ、いわゆる都会から離れた遠隔地であるという事実全体を指して
歌っているのだとういうふうに私は思います。

『白河以北一山百文』という、この昔の言葉は、言わば象徴として使われて
いるだけで、この歌は、今もなおある地域の差、要するに力を持った中央が
常に美味しい果実の部分を享受し、その生みだす負の部分は常に地方、
それも『遠隔地』という言葉が象徴しているような、いわば政治的に
弱い立場にある人々が負うてしまうという、本質的差別構造を歌って
いるのではないかと私は感じました。

そう感じるのは、この歌の場所を、『白河以北』ではなく、『沖縄』と
置き換えても、この歌の批判している構造的差別の実態や心理が、そのまま
当てはまると思うからです。
『白河以北』を『沖縄』、『核のゴミ』を『米軍基地』、『東京』を
『日本本土』と置き換えても、この歌の批判の趣旨はそのまま当てはまるのでは
ないでしょうか。
沖縄の基地負担を軽くしよう、と、本土の人々は口では言う。けれども、
それではオスプレイの訓練基地の一部を本土でも負担してもらおう、
佐賀空港はどうか、という話が出ましたが、佐賀空港周辺の人々は、
オスプレイのような危険なものの訓練には佐賀空港を使わせない!と
住民の反対運動が起きました。
私が住む町の近くにある米軍基地の町でも、オスプレイがそこに出入り
するというだけで反対運動が起こっています。
これなども、結局は原発と都会のエゴとまったく構造が同じではないでしょうか。
沖縄の危険な米軍基地は本土には移転させない。仕方ないあなたたち運が悪いと
あきらめて、米軍基地の多くをやっぱり沖縄に置かせておいてよ、という
思考です。
neroneko さんがおっしゃるように、『お金出せばいいんでしょ』、
という考え方が、それこそ上は政権与党の政治家から、一般の私たち
国民にまで意識下にある。

それをはっきり口に出したひどい政治家や作家もいましたね。
福島の人々の、自分が愛してきた故郷に戻りたい、という切実なという言葉
でも足りない想いを、『最後は金目でしょ』と軽く言いきった石原元環境相。
沖縄に関しても、『普天間は元はただの田んぼだった(事実はそうじゃないのに)
今、基地の地主はみんな年収何千万円』などという虚偽をしゃべり散らした
作家百田氏。

金さえ払えばいいんだろ、汚い仕事汚いもの危険なものは、遠隔地に
押しつけてしまえ、という意識は、なにも上の二人のような人物の中に
だけではない、『東京人』という言葉でシンボライズされる私たち皆の
心理の中にもある、そのことをこの歌は、ユーモアの衣を着せて
婉曲に、しかし鋭く歌ってもいるのじゃないでしょうか。

記事の中にも書いていますが、私はこの歌に、さまざまな差別の歴史や
現在の日本という国が構造的に抱えるいろいろな問題が、共通して
語られているような、そんな気がしました…。
『白河以北一山百文』という文言は、それらのシンボルです。

沖縄問題だけでなく、いろんな問題に置き換えられる。
原発労働者の問題だってそうです。
東京=原発由来の電気を享受する人、地方=原発で実際に危険な労働に
従事する人、というふうに置き換えられる…。

シリアからの避難民受け入れの話が話題になっていますが、日本は
そもそも避難民の認定のハードルが高いだけでなく、『移住』
ということに関しても、人道的見地から受け入れるというよりは、
海外からの移民を、日本で不足している労働者として便利に安く使おう
という発想からのみ考えている気がします。

富める者権力を持つ者現に便利を享受している者はとことん
それを享受し続け、その生活が生み出す負の部分は、弱い立場の者に
皺寄せさせ押しつけて平気という、この社会に充ちた、差別の
マトリョーシカ構造みたいなものを、私はこの歌に想うのです。

その差別構造マトリョーシカの一番外にあるものが国家ですよね。

>国家とは収奪する道具でしかありません。

とおっしゃるneronekoさんの言葉、ほんとにそうだと思います!



少しまた観点を変えて。
『反骨』、ということに関して言えば、現代の日本では、
『反骨』という精神論的なものでなく、上に書いたようなさまざまな、
地方が象徴的に負う問題なども含む諸問題をしっかりと見つめる目と
拝金主義に流されない自己の確立された意識を国民が持つことが
大事になりますよね。

その意味で、neronekoさんが挙げられた大飯原発3、4号機運転差止
請求裁判の福井地裁の判決は、素晴らしいですよね。私はの判決文を
座右の銘にしたいくらいなんです。とりわけ、9、のところの、

『このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。』

というまなざしが、必要だと思います。ここ、私の大好きな個所なんです。

けれども。
反骨心ということだけについて論じますと、『白河以北一山百文』などと
言って進攻してくる圧倒的武力を持った官軍。それに壊滅的
敗北を喫して、抵抗する手段さえもほぼ奪われた会津若松、二本松などの
人々が、中央の明治政府への『反骨心』だけで何くそ!と生き抜いた
その頃の時代の気持ちと、今の東北の人々の気持ちは、同列には語れない
気もいたします。
ご存じのように、明治政府への忠心を示すために、敗軍の側の人々は、
官軍が示す苛酷な移封命令も逆らわず受け入れなければなりませんでした。
会津は戊辰戦争のしばらく後、家名再興が許され下北半島に移住し、
その地を斗南藩と名付けました。
下北半島のその斗南藩のあったあたりこそ、今、ウラン濃縮工場、再処理工場、
低レベル放射性廃棄物埋設施設、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理施設
などが集約された日本原燃六ヶ所村のある地域です。
会津から落ちのびて必死で不毛の大地を開拓した人々…。下北の人々は
やがて日中戦争の頃、満蒙開拓団の一員となってさんざんな目に
遭いました。これも、国策によるものです。
この六ヶ所村の歴史もね、ほんとにひどいんですよ。
もしよろしければ、これ読んでください。
『白河以北一山百文』という薩長の意識に近い、現代の国というものの
地方蔑視を、まさに文字通り経験し、翻弄された土地ですから。

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-509.html


こういうふうに、東北の人々は、国家によってさんざんな目に遭わされ
続けてきました…。
そういう人々が、『反骨』精神を持つことを、私はごく自然なことと思います。
何くそ!という反骨精神だけが、過酷な土地での開墾のつらさや怒りに耐え、
また、満洲からの引き揚げ時の、筆舌に尽くしがたいひどい経験にも
なんとか耐えて日本に辿り着く、その支えになっていたとしてもおかしくないと
思います。
私が、河北新報という仙台の新聞社の名の由来を書き、東北人の
『反骨』の例として挙げたのも、こういう歴史があるから知っているから
そういう名にしたのだ、と聞いたからです。

なお、下北半島に開墾の村を開き、斗南藩と名付けた会津の人々…
彼らがそこを『斗南』と名付けた由来として、
『北の辺境の地に流されてきた人々が、北斗七星を仰ぎながら、いつかは
南に帰りたいという望郷の想いからつけた』という説があるようです。
彼らを支え続けたもの。それは理不尽としか言いようのない自分たちの
運命への、そしてそれを強いた中央政府への、何くそ!という想いだった
のではないか、と、何度も言うけれど、私は思うの。

neronekoさん、ありがとうございます。
ここにお書きになったこと、私も同じ想いです。







No title

白河以北一山百文
という言葉を久々に聞きました。
白河の祖父(故人)から聞いた当時の僕と、今の僕とでは、まったく受け取り方が変わっていることに、自分でも苦笑しています。

白河以北一山百文
そう言われても、馬鹿にするな、と憤るのではなく、そういうものの見方しかできないなんて、なんて間抜けなんだと、蔑んでやるのが正しい対処だと今の僕は思うのです。
ものの価値を金額(カネ)でしか計れないのは愚か者なのですから。

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨を思い出そうということです。
東北人自らが「白河以北一山百文」などということにこだわって、反骨でいる必要などありません。
本当に価値あるものを見極める目を持つこと、育てることの方が大切です。
百文にもならないような山こそ、本当の財産なのですから。

しかし、その本当の財産は失われてしまったのです。
その原因は浮かれて電気を貪り食う東京の人々、というのは間違ってはいませんが、正解でもないでしょう。
それは、白河以北一山百文という言葉に包含される、拝金主義に他なりません。
国家という幻影を用いて人々を洗脳し続けている金融経済絶対主義でしょう。
国家とは収奪する道具でしかありません。
そういう、カネや国家というものを捨てられないのなら(洗脳から抜けられないのなら)、白河以北一山百文だって、ただのひとごとであり、その悲劇性を楽しむエンターテイメントでしかありません。

Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん、こんばんは♪

何回目のキャンドルナイトなのか、私も「4年は過ぎたから…48プラス…、
いま10月だから…48プラス7かあ…」などと、
指を折って数えないと何回目かわからなくなっています。^^

なんか、毎月11日にあれこれしつらえを考えて、小さなろうそくを灯す、
そのことが目的のようになってしまっていますが、

> もしかしたらこのキャンドルは、大震災のみならずこの国が犯してきた理不尽の、
> その数えきれない犠牲者を追悼し、怒りを新たにするための小さくて、
> そのくせとこしえのの灯ではないかと勝手に想像しています。

そうそう。そうなんです。怒りの対象も、何か言葉にできない大きな理不尽
への怒り、とでも言うようなものと、それに翻弄される人間へのささやかな共感…
というようなものに変わってきているように自分でも感じます。

『影法師』。
40年続けるということが、私、すごいなあと思うんです。
自分がここ数年デモなどに出るようになって、高々4年くらいで疲れたり
息切れしたるするのに比して、40年も50年も反戦、反核運動などしてらっしゃる、
私よりさらに上の世代の人々の、穏やかで揺るがぬ顔を拝見すると、
頻にそう感じます。
どんなことにせよ、持続する、ということの難しさ…。

一方NANTEIさんが、あの『熱い』時代を経験なさった後に、
だんだんそれら反体制的な表現に対して距離を置くようになられたお気持ちというものも
同じ時代を生きていただけに、とてもよくわかります。^^

私自身は、というと、高校を出てから働いて大学に2年遅れで入り、
しかもその時にはすでに学生結婚していたという事情から、あの熱い時代の
学生運動も、あの頃怒涛のように次から次へ流行ったさまざまな文化も、
同タイムを生きながら、ほとんど知らずに生きていました…

いろんな生き方があったでしょうけれど、こういう歌の曲調や演奏法を見ると、
40年前にタイムスリップしたような気持にさせられますね。^^

> でもよくよく振り返ってみたら、私はどこか冷めたところがあったようです。
> 今、短歌より俳句に親しんでいるのは、余分な感情を削ぎ落さなければ成り立たないという、
> その無機質といっていい縛りにむしろ安心するという、本来の性格からかも知れません。

NANTEIさんが、短歌でなく、俳句へ、と向かわれたこと、すごくよく
理解できる気がいたします。『冷めたところ』がおありになったかどうかは
存じません、^^、むしろ逆に熱い柔らかい魂を持ったお方と日ごろから
お察ししているのですが、^^、
そういう気質とは別に、その人が持つ固有のリズムというようなものは
あるんじゃないかなという気がするのです。
私の場合、断然、短歌の方が合う気がいたします。作る事はしませんが。
いや、私の場合、短歌の31文字にも納まりきらないな、やってみると、
77777くらいがなんとかかんとか合うような。もっと多くてもいいかな(笑)

あとは、その人の美学、というのでしょうか。
余分な感情を削ぎ落とした枯淡の水墨画の境地を目指す方もおいででしょうし、
それさえまだ無駄があると、それこそミニマリズムの極まで目指す方も
おいででしょうし、削ぎ落として削ぎ落として自分の到達点に辿りつくという
方向へ進む人と、
限られた文字数の中に出来得る限りの情熱を籠めたいと苦吟する人と…
そのおひとりひとりが抱く審美観が違うので、作品もまた味わいが違ってくる…

私は、NANTEIさんの句は、枯淡の水墨画というのでなく…、
なんというのでしょうか、何か一流の剣道家に通じるような、一瞬の
時を切り取る境地、というようなものを感じます。
そこに時折そこはかとなく加味されることもある江戸落語の洒脱。

おナマを言ってすみません。(笑)

でも、確かに、原発詠、というようなものには、短歌の方が向いているのかな
という感じは、素人の私でも、朝日俳壇、朝日歌壇などを毎週のように見ていると、
そんな印象を受けることがあります…
美原凍子さんなどは、本当に本当にいい歌を詠まれますよね。
嘆きや怒りや悲しみや…といった感情を表現するには、17文字というのは
少なすぎるのかなあと思ったことがあります。その上俳句にはさまざまな
約束事があるのですものね。
でも、時々、やはり、短いがゆえの鋭さを持った句もありますね。
切れ味鋭い『批評』には、短歌でさえ冗長なんだな、とこちらにも思わせて
くれるような句があります。

> 原子炉が要の町や陽炎へり

おお~~~………

素人ながら、私にも、この句の良さがわかります…

『かぎろふ』…というこの言葉。
私のように俳句の季語とかの約束に詳しくなくそれゆえにこだわりを持たぬ者は、
これを季語と考えず、従ってこの句を必ずしも春の句と取らなくて、
この陽炎は、原発建屋には必ずあるあの煙突のようなもの…『排気塔』というのですが、
そこから立ち昇る空気のことを言っているのかな、と一瞬思いました…
排気塔は、建屋を換気したり、タービン復水器という設備を真空にするために
抽出した空気を外に出すための設備なんですが、そこからは主に窒素らしい
ですが、微量の放射性物質を常に含んだ空気が出ている。

日本の原発の排気塔からは、3.11のような事故でもなければ、あの排気塔から
目にくっきりと白く見えるような煙は出ないでしょうが(見えたら大変!)
イメージとしては、原発の上からは、いつもゆらゆらと周りの空気より
少し温かい空気が出ていて、それがかげろうのように、原発の上空で
ゆらゆらしているという図を、私などは想い浮かべてしまうのです…
原発のある町の上にも……。

でも、これはそんなんじゃなくて、明らかに季語ですよね。^^
陽炎のゆらゆらと立つのどかな春の町。原発があるのだから、きっと青い海が
見える町ですね。^^
その、のどかな景色の中に、無機質なあの原発建屋がず~ん!と建っている…

原発を受け入れざるを得ない町…
原発によって潤った町…
ふしぎに静かでのどかな春の光景…

そういうことがいろいろ浮かんでくる句ですね。

>ああ、こういう漠然とした不安をたった十七文字で感じさせる方もいるんだ!

ほんとうに!

文学には、まだまだ力があると、私信じています。
言葉にも。まだ。

私こそ、師匠が今頃はもう記事アップなさったかなぁ、と思うのが、毎月11日の
ならいになっていて、励ましをいただいてます。^^
私ももうちょっと、『物申して』いきたいです。

> ナンテイらしからぬ長文

うふっ!彼岸花らしきいつもの長文。(爆)







こんばんは。

これで何度目のキャンドルナイトになりますでしょうか。

もうそろそろ何カ月目かもあやふやになりそうです。

でも、ここでこうして考えに考え抜いたキャンドルの趣向を拝見するにつけ、
何度目かも何カ月目かもどうでもよいと思うようになりました。
もしかしたらこのキャンドルは、大震災のみならずこの国が犯してきた理不尽の、
その数えきれない犠牲者を追悼し、怒りを新たにするための小さくて、
そのくせとこしえのの灯ではないかと勝手に想像しています。

ところでこの「影法師」というフォークグループ、
もう40年以上活動を続けているのですね。
ということは、ジョーン・バエズを始めとするプロテスタントシンガーに影響されたのでしょう。
その頃は反戦ソングは姿を消していましたが。

ともするとメッセージソングというのは、押しつけがましいとか、
今の言葉でいうと「うざい」と受け止められて、過去の彼方へ追いやられてしまいましたが、
こうして熱く活動を続けていることは、脅威的なことです。
惜しみない喝采を送りたくなります!

と同時に、あの時代の良くも悪くも、いや決して悪いとは思っていませんが、
これで古い政治が本当に変わるのではないかと身震いした、
安保デモ、熱狂的なフォーク集会、歌声喫茶での労働歌・反戦歌の合唱といったこもごもが、
いつの間にかまぼろしとなり、企業に取り込まれて大幅な昇給と、肘付きの椅子を望むだけに変貌した私は、
これらの反体制的な表現に対して「うざい」と思うようになってしまいました。

でもよくよく振り返ってみたら、私はどこか冷めたところがあったようです。
今、短歌より俳句に親しんでいるのは、余分な感情を削ぎ落さなければ成り立たないという、
その無機質といっていい縛りにむしろ安心するという、本来の性格からかも知れません。

3・11以降、震災及び原発を詠んだ短歌、俳句に注目してきましたが、
俳句はあの金子兜太氏すら、目を疑うような視線の甘い句(傲慢かもしれませんが・・・)しかなかったのです。
俳句は結局「「花鳥風月」を守るしかないのだろうか?
そう案じながら何百という句を追っていあたところ、こんな句を見つけました。

原子炉が要の町や陽炎へり

これは菅原未野さんという熱海の小さな俳句結社、その一同人の句で、
詠んだのは2005年といいますから、震災の6年前なんですね。

この句からは、原発の「恩恵」に依存する僻村と、そこに傲然と立ち並ぶ建屋が、
かげろうのような儚い光景に映ったという、数年後を暗示するような詠みだと感じたのは、
私の思い過ごしでしょうか。

ああ、こういう漠然とした不安をたった十七文字で感じさせる方もいるんだ!
私は少なからぬ衝撃を受けたものです。

なんか、俳句のことでコメントの多くを費やしてしまいましたが、
どんな形であれ私も細々と、この11日だけは何としてでも「物申してゆきたい」。

それは、ひとえに彼岸花さんのおかげでもあると思っています。

ナンテイらしからぬ長文、しかも乱文・・・
読み流してくだされ(汗

Re: 海空居士さんへ

海空居士さん、こんにちは♪

『白河以北一山百文』。いいでしょう?^^
『花は咲けども』もいいけれど、どちらかというと、私はこちらの方が
明るい中にも日本の問題を鋭くあぶり出している歌のような気がします。

リツイート、ぜひぜひよろしくお願いいたします。
海空居士さん、ありがとうございます♪

No title

彼岸花さん、こんばんわ。
『白河以北一山百文』
聴かせていただきました。
なんか感動しました。
一人でも多くのヒトに聴いてほしいですね。
リツイートさせていただきます。合掌

Re: スキップさんへ

スキップさん、こんにちは。

とてもいい番組でしたよ。
私がもっとうまく伝えられるといいのですが…。

でも、『白河以北一山百文』とタイトルの歌を彼等が歌っていると知った時、
彼等の歌の底にあるものすべてがわかる気がしました。
私の中でもまた、これまで書いてきた記事のあれこれが、この歌のタイトル
一つに、ぎゅうっと詰まっている気がしました。

福島第一原発事故が無論そうです。六ヶ所村がそうです。満蒙開拓団がそうです。
従軍慰安婦を典型とする貧しい農村地帯の少女たちの問題がそうです、TPPも
そうです、原発労働者など出稼ぎ問題の労働関係諸問題もそうです、…
沖縄問題だってそうです…
これまで取り上げてきたテーマの殆どが、この歌の中に凝縮されている…。

それが、まさにスキップさんおっしゃるように、
『誰かを犠牲にして成り立っている社会』というのが、そして『差別被差別の構造』
というのが、これらに共通する問題なのではないかと思います。

今、東京オリンピックを前に、盛んに日本の良さをアピールするテレビ番組などが
流されているようですが、あれは、自信の無さの逆の表れ、なんじゃないかと思っています。
『いろいろなことで、日本はまずいんじゃないか!』ということが本当は
心の底でわかっている。その心理の裏返しで、日本に自信を持ちたい、のだと。
でも、本当の自信は、日本人が過去を、現実を、逃げずに直視する、そのこと
からしか、生まれてこないと思います。
福島第一が『アンダーコントロール』にあるなんてとんでもない!
南京大虐殺の中国側資料を世界記憶遺産として認めない。その一方で
自国民のソ連抑留の書類等の記憶遺産登録に関しては無言を貫く。
これを、登録されて有り難いとも、心外だ!とも言えないのは、そこをつつくと
日本軍の、中国の土地での満州国という傀儡国家建設や、自国民を置き去りにして
いち早く南方に転進した関東軍の罪が、蒸し返されるからでしょうね。

すべてが底流でつながっていると思います。

『花は咲けども』…
この歌のこのフレーズに続く被災地の人々の想いを、政府の人々らは本当に考えて
みたことがあるのか!と問いたいです。

スキップさん、ありがとうございます。




Re: やっちゃんさんへ

やっちゃんさん、こんにちは。

あの3月11日のあと、言葉を失ってしまったのは、私も同じでした。
ほんとに、見るもののすべてが変わってしまった気がした…
あれからすぐに、私の住む辺りの川原では、いつもどおりに美しく桜が
咲いたけれど(夜ノ森ほどではないけれど桜並木が続く)、その桜を
見ても虚しく、鳥の声を聴いても悲しいだけだった…
福島から200キロも離れた我が家辺りでも、場所によっては放射線量の
高いところは今でもあります。
東京はじめとする関東一円では、東電によって妙にいち早く『計画停電』が
打ち出され、街が真っ暗になった…。
「ラジオを聴き懐中電灯を灯すための電池がない」と私が無用な言葉を言ったばかりに、
3号機が爆発して東京あたりにも放射能プルームが達して、もっとも放射線量が
高くなった3月15日に、娘夫婦を電池探しに出かけさせることになってしまった!
若い彼等の体に達したであろう数々の放射線…!

秋になって川べりの道に美しい色とりどりの落ち葉が散り敷いても、『これらも
放射線を帯びているんだなあ…』と思う悲しみは、どんなに気持ちを変えようと
思っても、心から離れることはありませんでした…。
でも、東京の悲しみなど、被災地の悲しみに比べれば、語るほどのこともない!
それでも人間には想像力というものがありますから、被災地の気持ちは思ってみます。
だけど、自分のちっぽけな悲しみをどれほど増幅させても、現地の人の悲しみには
及ばないのだ、という無力感もまた抱きます。

3.11後、しばらくの間出てこなかった言葉は、5月頃から私の場合、怒りの
原発ムラ告発の言葉となって迸り出てきました…
でもそれは、私が所詮、遠くの安全な場所にいる部外者であったからだろうと思います。

やっちゃんさんは、事故後すぐに、救援物資持ってボランティア活動に入られた。
現地を実際に見た人のショックは、想像するのとは全く別物であろうとお察しします…
そして。
福島の人々の感情は、とりわけ浜通りの人々の感情は、彼らでなければ
本当には分からないのだろう。
おっしゃるように、『もう放っておいてよ!』という気持ちになることも
実際あると思います。よその人々がいくらあれこれ言ってくれても、福島の
実情は、福島の人々にしかわからない。福島県人同士でさえ、その抱える事情は
家庭家庭によって、ひとりひとり違って、理解し合えないということもある。
「もう放っておいてよ!あたしらはここに子供と住むしかないんだから!」
という若いお母さんの悲鳴が聞こえてきそうです……
逃げられるものはまだいい…経済的な事情や人間関係の事情から、
子供の被曝がどれ程心配でも、逃げるに逃げられない人々に向かって、
『ここの川原は何々シーベルトだよ!その野菜は何々ベクレルあったよ』と
外部の者が言う残酷!

それでも、もう何も言えなくなってしまっている福島の人々に代わって、
もの言える外部の私たちが、福島を忘れるな!と言い続けるしかないと思っています。
私も、そう思えるまでにずいぶん時間がかかりました…
福島の人々の気持ち…、それとはまた違う岩手、宮城の被災ニ県の人々の気持ち…
それを斟酌していれば、なんにもそれこそ言えない!
でも、それこそが、福島を、被災地を過去のことにしようとする政府や東電などの
一番望むことなのだ、と思えば、矛盾や躊躇いを感じずにはいられなくとも
やはり、声を上げられるものが声を上げていかねば、と思うんですよね。

影法師の人々の逡巡や決意がとてもよくわかる気がしました…

やっちゃんさん。今はお体回復することが一番大事。^^
また心身ともに元気なやっちゃんさんになったら、また出来ることがあると思います。
きっと、そのお知り合いになった福島の方々に、やっちゃんさんの想いは
届いていると思うなぁ!

やっちゃんさん、ありがとう~♪




Re: んさんへ

んさん。お聴きになったのですね。^^

私も、最初はなんとなく聞き始めたのですが、すぐに朝の仕事の手を止めて
坐って真剣に聴き始めちゃいました。

>「花は咲く」は東京目線で復興「応援してるふり」ソングと糾弾してるって意見。

ほんと!ほんとにそうなんです。
私もずっとそう思ってた。
綺麗ないい歌ではあるし、あれによって実際に励まされる被災地の方々が
いらっしゃるのだろうから、私などが文句を言う筋合いはないと黙っていました…

でも、なんか、なんか『お仕着せ』の感じを覚えずにはいられなかった…
そう。んさんがおっしゃるように、要するに『東京目線』なんですよね~~~…
もちろん、悪くはない。いい歌です。
それでもなお、私の心には『なんか違うんだよなぁ…』という違和感が常にありました。
同じ東日本大震災の被災地でも、福島と、岩手宮城は事情が違う…
同じ福島でも、会津と、中通りとりわけ浜通りとでは…。
浜通りの人々の胸にこの歌はどう響くのだろう…そう思っていました。

『花は咲けども』というこの歌のタイトルを聞いただけで、『ぁ、これだ』
と感じました。
歌詞は、直截的で、逃げ場がなく厳しい。
でも、これが福島県浜通りの現実であろうと思いました。
福島をもう忘れて、日本各地で川内原発に続き原発再稼働の動きが出ている…
電力会社、政府、財界は無論のことですが、立地自治体の人々に、この歌を
聴いてほしいです。

んさん。ありがとうございます!


No title

 良いものを読ませていただき、見せて頂き、聴かせていただきました。「影法師」私の記憶にかすかに残っている名前でした。
 桜の見事さには、改めて驚かされましたね。綺麗な町並み、桜、それを愛で合うご近所、地域社会、全てを失ったことの重大さに日本人の何人が思い至っているでしょうか。わが身にも降りかかる現実忌避の姿勢です。
 誰かを犠牲にして成り立っている社会は野蛮です、文化ではありません。そのことを共有できない国民になってしまっているとしたら、我々の文化のそこが見えます。今日本は世界に日本文化を誇っていますが、それは原発問題を解決してからにするべきですね。訪れる外国人に原発事故を語り、戦争に向かう現実を語ることが誠実なおもてなしではないでしょうか。心のないおもてなしがはびこることを恥じます。

No title

あの2011年3月11日以降、
歌が歌えなくなってしまったのだという…
新しい歌の歌詞も書けなくなってしまったという…

すごい重いですね、、、。
月日が経てばたつほど言葉にできなくなっていってる、
今のこの自分の気持ちをどう表現したらいいのか。

今年の春頃、だったと思うんですが、
南相馬で深い交わりのあった友人のフェイスブックに、
放射線量を細かく発信してるブログに対して、
「大きなお世話や~っ」的な書き込みがあって、
現地に暮らす、あるいは暮らさざるをえない彼女らにすると、
そう言いたくなるのも当然やな、と思う。
ネットのやり取りだけでは限界があって、、、。
直接会ってしみじみ話せばもっと実際のところが
すぐにわかると思うけど、残念ながら
いろんな面でわたしも今はとても
福島まで行く余裕のない生活、、、。
合ってまた彼女たちとあれこれ話したいです。


わしも

聞いたよそのラジオ。
「尤もだよな」と納得もしちゃった。

「花は咲く」は東京目線で復興「応援してるふり」ソングと糾弾してるって意見。

トイレCMの心君のリトルベンじゃないけど「ひどい話だ・・・」だよね。
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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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