『これからどうする?』

腹の立つ問題がなんと多いのだろう!

あのようにして決められてしまった安保法制(『戦争法案』、と私は呼び続けるぞ!)。
周囲30キロの住民の反対の声を無視して再稼働に至ってしまった川内原発1、2号機。
沖縄県知事翁長氏は、地元民の反対の声を無視して辺野古基地建設を進める
政府の横暴に対し、辺野古沖の埋め立て承認取り消しの手段でもって対抗。国は
これに全面対決の姿勢を示している。
その実体が国民には良くわからぬまま一応各国合意、というところまで行ってしまったTPP。……

与党は、これらについてつつかれることを、臨時国会を開かない、という方針で
のりきろうとしているようだ。

もし開けば、先の安保法制議決方法の正当性を疑う声が再び噴き上がり、TPPの
さまざまな取り決めへの追及、また新閣僚の不祥事などへの追及が野党によって
激しく行われることは必至。
国民の怒りも再び燃え上がり、それは来年の参院選にも悪影響を及ぼすだろう。
臨時国会は、安倍首相の外遊の日程の調整がつかないということを理由にして、
開かないままに越したことはない。開いて何のメリットも与党にはない。
なにもかもうやむやにして、忘れっぽい国民が忘れてくれるのを待つのが最善。

そう与党は考えているのだろう。
野党も国民も、それでいいのか?
上に挙げたような事案は、本来それ一つでも、与党を厳しく追及し、退陣に追い込むに
足る重要な問題ばかりだ。
もしこのまま臨時国会が開かれず、年度内に通常国会しか開かれなかった
ということにこのままなれば、それは戦後初めてという異例な事態であるのだという。
安倍外遊と、上に挙げたような重要問題に関し臨時国会の場で国民に『丁寧に説明する』
こととは、どちらが大事なのか。要するに、追及を怖れて避けているのだと思われても
仕方あるまい。
野党6会派は、政府・与党に臨時国会の開会を要求することで一致。与党が
これに応じない場合は、衆参いずれかの議員の4分の1以上の要求で政府が臨時国会
召集を決定しなければならないとの憲法53条の規定に基づく要求を行う方針だという。

思えば、この政権は、集団的自衛権行使の閣議決定、法制局長官人事の慣例無視、
『日本国民』が納めた『厚生年金』と『国民年金』の保険料を管理運用する
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の人事を一新、政府の息のかかった
人物に入れ替えて、『日銀』と共に株価上昇を下支えし安倍政権を援護するように
するなど、ほんとうに何もかもやりたい放題である…。
与党が選挙で圧倒的多数を得れば、それはなんでも思うままにやっていいということなのか?

私たちは一度、選挙で、ある党を勝たせたら、それはその多数党が作る政権に
全権を委ねたことになり、それを何をしても止めることは出来ないのだろうか?
選挙っていったい何なのだろう。

思い返せば、2009年、私たち国民は、長年続いた自民党政権下で生じた
金権体質や官僚支配、派閥抗争や世襲議員の大量発生、などなどといった
もろもろのどうしようもない膿とか澱のような淀んだものを、自民党を政権から
外すことによって掃除したいという願いを持って、民主党政権を誕生させた。
だが、その民主党政権は、政権運営に不慣れな故に、官僚政治からの脱却を
謳いながら、結局は官僚の知識や経験にどうしても依らざるを得ず、その意気込みは
脆くも失敗してしまった。
また、民主党という政党そのものが、右から左までの主張を持つ議員の寄せ集め
であったところから、『自民党と違う政治をしてほしい』という国民の切なる願いを
真にくみ上げることが出来ず、野田政権下における原発再稼働や、鳩山政権の
沖縄の基地政策をめぐるドタバタ劇の結末が示すように、結局は民主党も自民と
同じことしかやらぬのかやれぬのか、という失望を多くの国民に与えてしまった……

考えてみれば、消費税増税も、TPP参加も、尖閣諸島の国有化から発する中国との
軋轢も、民主党政権下で始めたことである。
さらには、鳩山、菅、小沢という3人の大物中心政治家たちが、三つ巴になっての
脚の引っ張り合いと批判中傷と、果ては分裂劇に至るに及んでは…
そりゃ、国民の愛想も尽きようというものである。
その上、東日本大震災が、民主党政権下で起きてしまった!・・・・・・

国民の失望感は、民主党に期待していただけに大きかった!
民主党、とりわけ代表を務めた経験のある4人の政治家の罪は重いと言わなければ
なるまい。
国民の怒りは、2012年、衆院選での民主の大敗と自民党公明党の政権復帰、
という民主党にとっては大変厳しい選挙結果となって表れた。
安倍政権が復活。その後の動きは、(私は、語りたくもない)……

しかし。客観的に、少し考えてみよう。
私たち国民は、民主党政権にあまりにも厳しすぎたのではなかったろうか?
こんなことを言うと、私彼岸花が、民主党支持者なので、民主党弁護をいまさら
やっているのだと思われるかもしれないが、私自身は、投票先はいつも共産か、
かつてはあの社民であった。実は民主に入れたことは一度もない。
だから、私はこれを、純粋に、日本の政治への憂い、ということで書いている。

安倍政権がこの3年間にやって来たことを考えてみよう。
民主党のそれと比べて、どっちが悪辣であり、国民を裏切っているであろうか?
原発のことを考えてみよう。私は野田政権の再稼働決定とエネルギー政策を
厳しくここでも批判してきたけれど、少なくともまだ、野田政権は、民意を掬いあげる
ポーズくらいはした。エネルギー比率についての公聴会、意見聴取会も、各地で開き、
首都圏反原発連合の代表者と会うなどもして、30年代には原発ゼロを約束もした!
比べて自民党はどうか。もう、原発ゼロなどどころか、原発を基幹エネルギーと
位置づけ、長期的には原発依存度を、20~22%に『減らす』と言っているが、
それはただ、老朽化した原発は使えなくなるというその数字にすぎない。

消費税増税はどうであろうか?
民主党政権下で、自公と合意を見た消費税政策は、『社会保障との一体改革』
であったはずだ。だが、自民党は、その合意を今は忘れたかのように、『社会保障のため』
という当初の目的は脇に置いて、ひたすら大企業に便益を図ってやるための
国民への消費増税押しつけにエネルギーを注いでいる。
消費税の増税分は、大企業の減税で相殺されてしまうのだ!
消費税は1989年4月に、国民の大反対を押し切って導入された。2014年度までの
26年間で消費税による税収は282兆円。一方、この間に法人税収は255兆円も
減っている。国民に増税して、大企業には減税する。これが、自民党が長年やって来たことだ。



消費税増税と法人税減税

実はこのグラフは、前にも一度紹介したことがあります。
その記事を、次の記事として再掲してみようかなぁ。そこには私の問題意識が
ほぼ籠められていますから。


肝心の社会保障費は弱者への配分分を今よりさらに削り、国民に不便と我慢を
強いることばかり考えているのが今の安倍政権ではないか!
思い出してみよう。2010年。総理に就任したばかりの支持率の高い時に消費税増税
を言い出した菅政権は、国民の怒りを買って支持率低下。直後に行われた参院選で
国民は民主党に批判票を投じ、与党は過半数割れ。衆参両院のいわゆる『ねじれ』
を生みだして、以後、民主党政権はますます政権運営に苦慮せざるを得なくなっていった…
だが。記憶しておいでだろうが、民主党は、少なくとも増税と社会保障費は一体改革する、
即ち、消費税増税分は増え続ける社会保障費に充てる、と言っていたのだ。
自民党政権になってどうだろう。社会保障は5~8%への消費税増税によって充実してきたと
国民は実感できているだろうか?
むしろ逆に締め付けばかりが厳しくなっていっているのを感じていないだろうか?

同じ消費税増税を言い出した菅政権には厳しいお灸をすえて、消費税増税は社会保障の
充実と一体改革という民主党との約束などすっかり無視し大企業減税にこころを向けて
社会保障に背を向ける安倍政権には批判票を投じない(棄権という形もあって)。
敢えて言わせてもらうが、国民のバランス感覚は狂っていはしないか!
私はただ自民党憎さのゆえにこれを言っているのではない。
政治を良くしていきたいからこういうことも言ってみるのだ。
今朝の朝日新聞では、安倍内閣支持率は、5月以来の40%以上を回復。
はあ~~~……溜息である……
これだけ無茶苦茶をやっている政権の支持率が下がらない。一方自分たちが期待を
託した民主党の失敗には、時間も与えなかったばかりか袋叩きである。
民主党は無論批判されて当然のようなことをしてきた。だがしかし、安倍政権にこれだけ
猶予を与えて、なぜ、民主党にはかくも厳しくNO!を突きつけ続けているのか。

話を元に戻そう。
政府が目指す根本理念はどうであるか?
民主党菅政権の謳い文句は、『最少不幸社会の実現』、で、あった。
なんだかな~の謳い文句ではあったが、気持ちはわかる。不幸な人が少しでも
少なくなるようなそんな社会を作ろうというのである…。
一方。安倍政権の、2013年参院選の目玉政策は、『成長戦略』。その柱として、政権は、
『世界で一番企業が活動しやすい国』というスローガンを打ち上げた。
企業減税を通じて外国資本の呼び込みを図る一方、労働力の規制緩和を進めて、
企業活動をしやすくするということである。
ああ…!労働力の規制緩和!これがどれほど私たち庶民を苦しめていくことに
これからなっていくことだろう!
無論、公平のために言っておくが、安倍政権の公約はそればかりではなく、
女性の輝く社会とかいろいろ言ってはいたが、その本質は、大企業のための
政治、ということであろう。
大企業が潤えば、いつかそれのトリクルダウン(滴り)が社会の末端にまで及ぶ。
そういうことが言われていたけれど、私たち庶民はそれを実感できているだろうか?
安倍政権の手厚い大企業保護。それに応えるように、経団連は、昨年8月、
民主党政権下では止めていた政治献金を復活。安倍政権と大企業の蜜月は、
これから先もますます深く密接に続いていくのだろう…

TPPもそうだ。TPPに関しては、民主党もほぼ賛成の立場だが、少なくとも
安倍政権のように、12年の選挙向けポスターには『ウソつかない。TPP断固反対。ブレない』
などという農政族議員や自民支持基盤の一つである農協組合員などの
反対や反感を招かないそれだけのための公約を掲げておきながら、選挙が終われば
平然としてアメリカに農業も日本の保険などのインフラも売り渡すようなTPPを
推進するような大ウソはつかなかった。

沖縄辺野古基地の問題もそうだ。
沖縄の負担を少しでも減らそう…海外移転を目指そう、という鳩山氏のもくろみを、
これはもう、国民までが実現不可能な虚妄として、その変人ぶりを笑い者にした…!
国内の他の県に移転、という案も、沖縄に同情はするけれども、うちの県だけは
ごめん!という国民のエゴで成り立たず。
私は、なぜ、鳩山氏がかくも笑い者にされるのか全然意味がわからなかった。
原発ゼロを明確な政府の方針にし、浜岡原発を運転停止要請した菅元総理は、
『市民運動上がりの政治家』と、朝日新聞天声人語氏にまで揶揄された。
彼等の言い分は、まったく正しかったのではあるまいか?
後になって、鳩山氏の意図は、アメリカによってでさえなく、アメリカの意を汲む
日本の外務官僚の意図によって潰されたのだということが、外交文書によって
わかってきた……

民主党政権下で経産大臣を一時務めていた鉢呂吉雄氏は、福島の子供の
年間被ばくを1ミリシーベルト以下にするよう働きかけた人である。
なんと、暫定基準値は、彼がそうする前も辞任の後も20ミリシーベルトであったのだ。
彼はまた、総合資源エネルギー調査会が、彼の赴任前は15人のうち3人が原発反対派で
残りの12人が賛成派であったことに反対して、賛成派と批判派が半数ずつに
せめてなるように経産大臣としての意志を働かせるつもりでいた。
その矢先に『死の町』発言で、マスコミから葬り去られてしまった…!
福島の除染のゴミの中間処理場問題で『最後は金めでしょ』と言った自民党
石原元環境相に比べて、なんと彼は人間らしい人であったか!
その後も続く自民党議員たちの失言暴言の数々を思い出してほしい。
マスコミを恫喝まがいの発言をしたり、法的安定性は関係ないなど…
即辞任と、マスコミや国民に大騒ぎされてもいい議員がたくさんいたではないか。

なぜ、かくも、国民もマスコミも、民主にはあれだけ厳しかったのに、自公の
ひどい政策やウソには甘いのか。
私にはそれがどうしてもわからない。

私は、自民に代わって政権を担当し得る政党は絶対に必要だと思っている。
二大政党でなくとも良い。連立政権でもまあ仕方がない。
自民の一党支配をこのままに続けさせるのは、絶対に良くない。
いや。自民だけに限るまい。およそ一党支配が何十年も続くというのは
いいことではないのである。
ましてや、かつての自民党のように党内に長老政治家などや考えかたの
多少違う勢力などもいて、党内野党、というようなものが多少は政権の暴走に
ブレーキをかけるような、そんな自民党では今の自民党はない。
安倍氏と少し違う視点を持とうという若手の勉強会は潰され、もう誰も安倍氏に
NOと言えない、そんな自民党になり下がっている。
安倍政権の強みの一つは、人事権だ。日銀総裁人事、内閣法制局長官人事、
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)人事…。そして内閣関連人事。
安保法制の決定のやりかたに疑問を呈した小泉進次郎氏は、安倍氏の一派とは
もともと少し距離を置く立場にあるが、今回の人事で、彼は党の農業分野の
政策議論のまとめ役となる農林部会長に任じられた。
誰も、今、やりたがらないポスト! それはTPPがほぼ妥結の方向に向かう
中にあって、日本の農業の未来に悲観する農業者、それらに支えられている農政族
議員から、一番激しく突き上げられるポストだからである。
自分につき従うものには甘い飴。批判的な者、将来党内で小うるさい存在になりそうな者は
冷遇または難しい、ポストを与える。



民主主義の対語は何か。権威主義である。
独立して自由・平等な国民が主権者であるのではなく、権威に服従する個人や
社会組織の姿勢、思想、体制をいう。
独裁的・専制的・全体主義的な性格を帯びる。



私たちは絶対的権力を握ってしまった政権の暴走を止めるために、これから
一体何が出来るのであろう?
時の一内閣が自分たちの恣に政治を行うという暴走をさせないようにするため、
ほんとうは二重三重の縛りがある。
一つは、国会である。国会議員が自分の属する党に党議拘束されることなく、
この国の立法権を預かっているのは自分たちだ、という自覚を持って、自分の
人間としての良識に従って仕事をしてくれるならば。
だが、実際には、衆院はその最大党から内閣総理大臣が通常出るので、
行政権を持つ内閣と一体化していることが常である。また、参議院も、いわゆる
『良識の府』の役割など今は果たしていない。『ねじれ』状態にあれば、まだ
政権の暴走を止められるが、今は、衆参両院で自公が圧倒的多数を占めているから。
このことは、強く言っておきたい。一院制など絶対にダメだ!
『決められる政治』の怖さを、国民はもっと知るべきだ。
一つは、党内野党、と言われる人々の存在である。かつての自民党には、政権が暴走しても、
それを諌める長老などが数多くいた。今、公明党は、そんな役割を全然果たしていない
どころか、『一応公明党の意向も聞いた』という、政権の批判のガス抜きとか弁明の
手段にしかなっていない。
一つは、内閣法制局長官、という内閣内の、法に厳密でうるさい存在である。
一つは、ジャーナリズムの批判の目と言論である。

今、内閣の暴走を止めるこれらの歯止めが一切効いていない!

しかし。代議制民主主義の国にあっては、いつの時代にあっても、どの政権に対しても、
一内閣の暴走を止める最大かつ最強の歯止めの力は、国民の一票が持つ。
悲しいことにしかし、民主党政権の失敗を見て、私たち国民は、選挙によって
国を変えようという希望を挫かれたしまった!
そのがっかり感は、単に政治上のことだけでなく、いわば、この社会のあらゆる変革
への疑いとなって、この国の民の、ものを信じるこころに傷をつけたのではあるまいか。
どうせ、世の中は変わらないものなんだ…という挫折感とあきらめを生んで。
そういった意味でも、『自民党と違う政治をして』という国民の願いを真に掬い上げる
ことが出来なかったばかりか、このような喪失感を蔓延させてしまった民主党の
罪は、政治上のことで考える以上に大きいと言えよう。

しかし。もう一度皆さんに問いたい。
ただ一度、民主党への政権移譲が失敗したからと言って、政治そのものに
絶望して、一票を投じるという行為の持つ力までを放棄するのか?
国会議員や内閣の成員の一番怖いものは何であろうか。
デモか。評論家の政党批判か?
それは、『票を失う』ことである。自分が『落選する』ことである。
そんな政治家しかいないのかと思うのは、情けないことだが。

『票を投じる』という、ほとんど唯一の、国民の政治への直接参加の権利を
放棄して、政治への関心を捨てて、いったい何が生まれるだろうか?現に生まれただろうか?
民主党が失敗しても、その失敗に懲りずに、それならば、民主党も含めた野党を
鍛え上げなおして行く、というのも国民の役割じゃなかろうか?
(その点で、私は、SEALDsを評価するのだ。SEALDsについては、若さゆえの数々の
失敗はこれからもあるかもしれないが、あの若者たちが野党の党首代表達の
尻を叩き上げる…、要するに政治は国民がやるんだぞ、という自覚…
それを見せてくれただけで、私は、彼らをこれからも見続け支えていこうと思っている。)
或いは、既成政党に期待しおんぶにだっこ、というのでなく、自分たちの中から
新しい政治家を育て上げていく、ということも絶対にこれからは必要だ。
一回の失敗に懲りて、政治への関与をあきらめる…
そんなひ弱な国民でいいのか。

私は、とりあえず、なんとしても来年の参院選で、自公、プラス維新の一部、
改革、元気、などが、過半数を取れないよう、落選運動をすることだと考えている。
期待をかけた民主党の、あのダメさにつくづくがっかりさせられて、選挙そのものに、
深い絶望を抱いてしまった人々の気持ちはよくわかる…
ほんとうによくわかる。私自身もどれほど絶望しているかしれないからだ。

しかし、考えてみよう。
自民から民主に政権を渡すという大転換を実現したのは、国民の一票であった。
2010年、消費税増税を言い出した菅政権に、参院選できつ~いお灸をすえたのも
国民の一票であった。
そして、2012年。安部自民党に再び政権を託したのも、また国民の一票であった。
国民の一票の力は、かくも大きく強いのである。
それはもう一度、いや、二度三度…出来ないわけがない。

2009年、民主党に期待した時のような、国民の希望を託す受け皿が今はない?
それが、私も悩みだ…………ずっと……

だが、手を拱いていても仕方がないと思うのだ。
野党6会派に働きかけを強めて、なんとしてでも、参院選で選挙協力させること。
立候補者を互いに調整し合って、一人でも多く反安倍の野党議員を増やし、反対に
自公などの議員を減らすこと。
だが、そうしても、野党が参院で過半数を取ることは大変だ。
2009年、国民の意志が大きく反自民!へと動いたときのような、勢いと流れが
必要だ。

どうしたら、その流れは作り出せるのであろうか?
私は、それは、『安倍政権、いやだよね』という想いを、しみじみと国民が共有することに
かかっていると思う…
そのためには、上に縷々書いてきたように、安倍政権になってから私たちが奪われて
きたものを、国民がしっかり知ることが大事だと思う。
私たちは戦争をする国になってしまった。これは、自国民が傷つくという問題だけじゃない
他国の子供たちなどまでを無差別に攻撃する国々の一員になるということだ!
言論はどんどん不自由になりつつある…忖度の空気が国中を覆う。
安倍政権唯一の売りである経済政策。だが現実の我々の生活は良くなってはいない。
経済は言ってみれば、株価が上がって、一部富裕層が潤っているだけである。
その株価上昇だって、国民の厚生年金や国民年金まで投資につぎこんで、市場操作に
一役かわせているのだ。
もっともっといっぱいあるでしょう!この政権のして来たことは。
私たちから奪おうとしているものは。
選挙に勝つための戦略を練らねば。
受け皿を私たちが用意させようじゃないですか。

選挙といっても、どうせまた負けるんでしょ…。
負けたら、またリベラルはくしゅ~んとしてしまうのでしょ。そして内部対立を深めて
分裂していくのが落ちでしょ。

そうなるかもしれない。だが、それで今からあきらめてどうなるのでしょう。
負けても負けても立ち上がる雑草のような強さがなければ…。

選挙やデモに行っても仕方がない。そのあきらめは、なにを生むのでしょうか。
どこにつながっていくのでしょうか…。
私たちがそこから脱したいと思った、自民党の一党支配にまた戻っていくの?
もっと悪くなった自民党に?




私は、選挙に行く、ということの他に、私たちが同時進行させていかなければならない
ことがあると思う。それは、明日の政治家、明日の選挙民を育てていくということだ。
…これは時間がかかる……。
とてもかかる……

でも、それを、次の選挙で勝つという短期の目標と共に、同時に考えていかねば。
友の一人が言ったように、本当の自覚ある独立した個々人を育てていくのでなければ、
人気不人気、その時々の風向きで選挙行動やバッシングをするような国民では、
仮に安倍政権を倒しても次に大きな風が吹けば、容易にそちらに靡く。
あの、悲惨な日中・太平洋戦争をこの国に、そしてアジアの国々にもたらした
日本の軍部の暴走は、『満州国』建設にしても、太平洋戦争突入にしても、国民の支持が
その背後にあってマスコミを大きく動かし、軍部と政府に決意を促した側面があったのだ。
国民は、軍部の単純に言うところの『被害者』であるだけでは決してなかった。
国民もまた、加害者の一員であったということを、私たちは直視しなければならない。

時間をかけてでも、政治的に成熟した個人を育てていくこと。

選挙に行くことも、デモに行くことも、思索を深めることも、ペンでもって戦うことも
ネットでもって発信することも、じっくり人を育てていくことも……
そのどれというのでなく、みんなやればいいじゃないかと思うのである。
自分にできることをそれぞれが自分の意志で、一つ、または複数同時に、自由に
しかしねばり強くやっていく。
理屈を振りかざすのではなく、ふわっとつながるのもいいし。
体を動かす実践活動で想いを広げていくのもいいし、要するになんだってありなのだ。


なお。選挙制度については、いずれ大きな改革が絶対必要だ。
一票の格差是正ももちろんだが、各党の得票総数と実際の獲得議席数との間に、
今のような差を生む方法はおかしい。
だが、その選挙制度改革を、当の国会議員や、その恣意が通る諮問機関にゆだねる
のでは、自分たちの保身のために思い切った改革が出来る筈がない。
公平かつ深い知見と思慮に富む第三者機関が改革案を作り、それをまた国民も
納得できるような議論の末に決めるということにしなければ。
どうして日本という国は、概して、そのような純粋に独立した諮問機関、調査委員会
とかいうものを作ることにおいて駄目なんだろう。いつも、その当該上位官庁などの
意を汲むお手盛り機関に陥りがちだ。
辺野古で国が進める工事を環境面から監視する専門家委員会の委員3人が、
就任決定後の約1年間に、移設事業を受注した業者から計1100万円の寄付金を
受け、他の1委員は受注業者の関連法人から報酬を受領していたことが、昨日
明らかにされたばかり。これも全くのお手盛り受注だったという。

要するに、この国の末端まで蔓延している自分本位と職業倫理の欠落、それを
許す、ことなかれ主義…。
それを国民一人ひとりがぎりぎりと直視しなければ、この国はいい意味で本当に
成熟した社会は作っていけないだろう。無論、この私自身も、だ。
(『成熟した』というのは言葉のあやですからね。大人がいいと言っているわけではない。)

そういうことに関連し、ずっと考え続けていることがある。…
それは、地方議会…町村レベルの議会議員を、ボランティア制にするということだ。
これはスウェーデンなど北欧の一部の国では、県議会レベルまでなどで実施できている。
無論、これには数多くの課題があろう。
まず、無報酬もしくは低報酬になったら、そんなもの引き受ける人がいるのかという
問題だ。仮にいたとして、それならば議員も食べては行かねばならないから生業を
他に持つ。ということは、議会は夜や休日に開催するなど、システム、環境作りが
とても大事な問題になる。
その他にも、決まった人しかなり手がない、ということはそこにやはり利権とか
腐敗の芽が出てくる危険性があるとか、問題点はいくらも出てこよう。
だが、実際にやっている自治体は、世界にたくさんあるのだ。

ここで、上の問題に関して議論する際に、根本的に基礎として考えておかねばならないことがある。
それは。
そのような国では、地方政治のアマチュアの精神を大切にしているということ。
『素人の政治』を当たり前と考える下地が社会にあるということだ。
『素人』がやっているからこそ、現場の声、市民の声が議会に届くという大きなメリットがある。
言わば、市井に生きる人々の生活実感が政治に反映されるのである。
そして。さまざまな職業に就いている一般市民がボランティアで行う仕事だから、
そもそも高額な報酬など求めないし、お金のためにすべき仕事ではないと
考えている一般市民が、議員になっているということだ。
そういう意識の違いがそもそもある。

そして。住民の意識の問題の他に、そういうボランティアを支えるための行政の機構、
例えば市民オンブズマンなど行政をチェックする仕組み、またそれを支える職員などの
仕組みがしっかりできているということ。
そういう点で、今の日本にこの制度をすぐに持ち込もうとしても、無理だろう。

『議員がボランティア制で、無報酬かつなんの個人的便益もないとなれば
一体誰がそんな面倒な役割引き受ける者があるか?』
まず、そう笑う人が多いだろう。
日本では、議員職を生業としている人が落選すると、即、無職、ということになって
人生設計が狂ってしまう。だから落選はどうしてもしたくない。また、議員職に絡む
役得は多いだろうし『名誉職』でもあるから、地位にしがみつこうとする人間も
出てくる。そして、その、非常に美味しい汁を吸える地位を自分の代で終わらせるのも
もったいない。子や孫に継がせよう、継ごう、という世襲議員が多くなるのもありがちだろう。

無論、日本にだって立派な議員さんたちはたくさんいる。
だが、いつまでたっても絶えない、議員たちの汚職や汚職すれすれの行為や疑惑。
(新閣僚にもまたしても!)
そういう仕事より地位や金の疑惑で話題になることが多いというような議員にまた投票する人々…

結局、成熟した政治の仕組みを作るためには、議員たちの良心の問題だけでなく、
国民自身に選ぶ目がなければならないということ。
このボランティア制度が実現できるようになるには、それのための、社会の意識の
下地が出来ているということが必要であろう。
無理無理……?

しかし、国民の意識がそこまで行かなければ、ほんとうに多くのひとのための
いい政治など出来はすまい? ボランティアじゃ誰もやるもんか、とばかにして
笑っているようでは。
よく政治家で、『あんな政治の素人に何が出来るか』などということを口にする人がいる…
それでは、その政治のプロたるあなたは、どんな素晴らしい活動を国民のためにしているのか?

前にも何度も書いたけれど、この国に、『市民運動』を特殊な人々のやる
特殊な活動と思うようなそんな人々が多い限り、この国の政治は良くなるまいと思う。
『市民運動』は、国民市民に与えられている正当な、政治活動の権利である。

市民一人ひとりが、政治は自分の生活に直結しているのだ、ということを自覚して、
それをしっかり見つめ、悪いことは悪いと言える目を持つこと。
政治をもっと身近なものにみんなでしていくこと。
そうやって、政治を普段から自分に引き付けて考える訓練の出来た人々が、
実際にボランティアで町や村の政治に関わっていき、そこで得た経験やノウハウを、
やがてより大きな国政の場で生かしていくという…そんな国になったらいいなぁと
夢見るのである。
今のところは、荒唐無稽な夢にすぎないところが悲しいが…。

もちろん、国家と言わず、どのような集まりにも、どんな組織にも、どんな方法にも、
矛盾や不合理や不正は生ずるだろう。
しかし、それを正す力を私たちは持っていたい。
それには。確かに。
上からの強制や『ねばならぬ』の押しつけだけではそういうものは育っていかないかも。
ひとりひとりが、自分の思考で、実践で、こつこつと、そういう精神を養い積み上げて
いくしかないのであろう。

『地方自治は民主主義の小学校』とも言う。
そういう政治的集まりだけでなく、自治会、町会、…そういったところから、
『あなた任せ』を止めて、楽しい地域社会を作っていこうよ!というのに
参加してみるのもいいかもしれない…

無論、孤独に、考え抜くというのも大事だろう…

要は、なにが方法として正しくなにが間違っていると選別化を進めていくのでなく、
誰が正しく誰は間違っている、というようなむなしい内部批判に陥るのではなく、
個々人が、自分の意志で出来ることはやるという、いわば下からの根気を要する積み上げと、
すでに出来上がっている仕組みを皆でチェックし改善していくことのいわば上からの
改革とを…同時に進めていくことが必要なのではあるまいか。
そして、その過程では(長い過程となりそうだ……)、異物、異論と思うものも
真っ向から否定するのではなく、話し合いを積み重ねて小さな一致点からでも
理解を深めるということが大事なのだろうなあ…と、自分の性格を反省しつつ
深く思うのである。

私は、とにかく(とにかく、という言葉を私はよく使うなあ!きっと生き急いでるんだな。笑)、
大きくまとまりたいのだ。

失敗を恐れずに。

























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Re:んさんへ

んさん。こんにちは~。

ほんとですね。大阪維新…とりわけ橋下氏、いやですねえ…
ころころ自分の言ったこと変えたりひっこめたり。
本質において強権的、ですよね。
弱い者は遠慮会釈なくぶっ叩いて、それでいて権力には追従する…
結局、自民とくっつくんじゃないかな。最初からそうしたい、ということは
見え見えでしたね。だって、安倍さんと考えかたが同じなんだもん。
いくら違うふりしても、本質は見えちゃう。

ほんとに、自分の言葉通り、政界から引っ込んで欲しいです。

んさん。ありがとうございま~す♪



う~ん・・・

「おおさか維新」は何考えてんだか・・・
大阪都構想の選挙の資金が無いから「維新の会」から選挙資金を借り受けて・・・
選挙では負け、その借金返済したとは聞いてないですよね?

その借金踏み倒した上で党を「大阪で」維新の党を解党し「おおさか維新」立ち上げるとか?
報道では通帳と印鑑まで大阪に持ち逃げして、借金返さずに国庫へ返還と戯言を。
もう非常識さでは安倍政権と似たようなものです。

全く信用できない・・・あっ!党首が嘘吐き弁護士の橋下でした。

出馬はしない!で出馬するわ、政界から引退宣言しつつ党を立ち上げ党首に納まる、言葉に絶対に責任取らない下の下の下の口先野朗でした。

結党したら自民と連立しちゃいそうで、絶対応援してはいけない淘汰しないといけない党になりそうです。

Re: 鍵コメさんの2通目に

鍵コメさん、こんにちは。

2通目への返事が遅くなってすみません…

とんでもない、どうぞどうぞお気軽にお越しください。
見た通りの堅苦しい、長文だらけのブログですが、たまには自然のことなども
書きますし、本来の私は、縫物とか読書とかの好きな、闘争的でない人間です(笑)。

前のブログが、政治記事が多くなっちゃったので、心機一転、綺麗なもの
美しいことについて書くブログ作ろうと思って、このブログ始めたんですが、
3.11以来、また政治的ブログになってしまいました。^^

鍵コメさんのご活動。素晴らしいですね。
私も、環境破壊、などという問題にも関心は持っていますので、いろいろご教示
いただけたらと思います。

ほんとうに、国内を見ても、国外に目をやっても、溜息の出るような悲しい
情けない話題ばかり…。
人間という生きものって、いったい何なんだろうと思ってしまうことがあります。

その一方で、人間精神の素晴らしさに感動することもありますしね…。
その知恵ある生物である人間が、どうして昔から殺し合いや略奪や、といった
醜い争いや、冨の独占というようなことをやめられないのか…

ゴリラの社会では、大きなオス同士とかが例えば喧嘩をすると、それらより
大きくて力のある者が、仲裁に割って入るのではなく、弱い小さい個体が
双方の間に割って入るのだそうです。
すると両方が争いを止める。
自分たちより強いものから喧嘩仲裁を受けると、どっちか片側に不満が
残るかもしれない…。でも自分たちより弱い幼い者から『やめて』と言われると
振り上げた手も下ろさざるを得なくなるのでしょうか…。^^
まあ、本当にすべてのケースがそうなのかどうかは知りませんが、
『知恵あるもの』とされてきた人間が、一番賢いとは限りませんね。^^

> それぞれがつながって その善意がいい方向へ役割を果たすと信じて。

ほんとうですねえ…


鍵コメさん、ありがとうございます。


Re:neronekoさんへ

neronekoさん、こんばんは。

> おかげで、自分のやりたいことが明確になりました。

ああ…それはそれは…。
そういう方に出会えたことは何よりです。

私は残念ながら、『反面教師』のお役にしか立てなかったでしょうが、
まあ、そういう者と出会うことでも、『こうはなるまい』とかというふうに、
自分の考えを明確にさせることは出来ますものね。
いや、これは、皮肉などでもなんでもなく、話をして無駄になるということは
ないと、私は普段から考える方です。

> 気づいて、そして、実際に活動もしているということは本当に素晴らしいことだと思います。

neronekoさんが、計画なさっているというそのこと、お訊きはしませんが、
想いを実際の活動に移すということ。それは素晴らしいですよね。
そういうふうにもう現実になさっていらっしゃる方も、この日本にはまだまだ
たくさんいらっしゃると思います。
どうぞ、心から、その計画があなたにとって今後、やりがいのある活動と
なりますように。

どうか、あなたが、ここで深く傷ついたのでなければいいがと思っています。
これまでの議論の中味やこれから目指す方向の違いは別にして、あなたを
いつも陰ながら応援していたいと思っています。
この言葉はどうか、言葉通りに素直に受け取ってくださいね。

それでは。






Re: 鍵コメさんへ

あっ!ブログネーム?変更するの忘れてました。
よくここがおわかりで。
あんな長いコメント書くの私だって、すぐそりゃわかっちゃいますよね。^^

>確かずいぶん前に訪問したのだけども あんまり長文ばかりだったので 戻ってくるまで時間がかかったのでした

というところで、爆笑しちゃいました。
すみませ~ん。
今ね、ちょうど、自分の文章の長さについて真剣に考えてたところなんです。

了解です。
今晩は爆睡してるかも。^^
どうぞお返事のことはお気になさらないで書けるときにいつでもお願いたします。

ありがとうございます♪


Re: 何苦さんへ

何苦さん。こんばんは。

ほんと。なにを好き好んで…、ですね。
チカレタですぅ~~! 昨夜一睡もしてないんで。星も見てたけど。^^

まあ、ね。
私の文章の長さは、こりゃどうかせねばいかんなぁ!とちょうど思っていたところでした。
人さまに読んでいただく、ということ以前に、一つの記事に時間かけ過ぎるために、
書きたいことがたくさんあっても、その半分…十分の一も書けてない気が
するんですね。時事の問題には、時期ということもありますから、
その時期を逃したために、書かずに通り過ぎてしまったことがどれほど多いことか。
朝日バッシング、などがそうでした。
『忖度するということ』の記事も、〆の記事を書くタイミングを逃してしまった…

だから、もう少し短くできる者は短くして、エネルギーと時間確保しなくっちゃ
という想いが、このところ強く湧いてきてたんです。^^

あとはまあ、この長さをちらっと見ただけで、ぱっと眼を背けて
通りすぎていく人もいるだろうし。
まあ、その反面、この滅茶苦茶な長さが、番犬代わりもしてくれてるのかな。
冷やかしのネトウヨさんとか入ろうとすると、長文くんがウワワワワン!と
強そうに吠える!(爆)

言葉を扱うのは難しいですね。
特に、抽象的概念を表す言葉や、政治の言葉は。
私ね、☆狩さんへのコメントにも書いたんですが、概念のしての用語と、
それが顕在化され実行されたものに対するものに同じ語を使うことの
混用と混同が、話をさらにややこしくしている気がするんですね。
そこのところ。☆さんに書いたこと、もう一度繰り返すと…

「私はこの記事で、『選挙』を論じていますが、『選挙』という概念そのものと、
そのありようは、ちょっときちんと分けて論じる必要があるんじゃないか、
と思うんですね。
『民主主義』という言葉もそうです。『民主主義』という概念と、
『民主主義政体』というものは分けて論じる必要がある。
『民主主義政体』という、民主主義を(不完全に、誤って)具体化しつつある
現実の政治のありようと、『民主主義』の概念を混同して論じて、
『現実の政治がろくでもないから、民主主義も悪だ!』というような短絡が
議論の場で行われているような気がするのです。」

『共産主義』という言葉など、その最たるものですよね。
現実の、あるいは過去の共産主義国のありようを見て、『共産主義は怖い!』
と思っている人が多い。それはポル・ポトのやったことのような『共産主義を
名乗る国家』のことを怖がっているのであって、実は共産主義の基本の理念の
ことは知らない考えたことないという人は多いんじゃないかなあ。
『組合』という言葉もそうですね。
『組合』という言葉の概念は素晴らしいものなんだ。だけど、現実の御用組合
などのありようを見て、『組合』という概念そのものを否定する人が多い。
自分の給料票、見てごらん。
過去何十年…数百年にも及ぶ先達の組合員たちの血と汗と涙が、厚生・
労働関係の諸権利をあなたたちのために獲得してくれたその恩恵を受けて
いるんだよ。
それを知らないか考えてみたことがない人が多いようです。
『労働組合』の保護と後ろ盾のない労働者がどのような憂き目に会うか。
原発ジプシーと言われる『渡りの』原発労働者のことを考えれば、すぐに
わかることですね。この上ない危険な仕事をさせられているのに、二重三重…
時に六重という、信じられない中間搾取をされていたりする…

それは、かなり議論に慣れた人でも、ときにそういう、用語の混乱と混同を
起こしてしまうことがあると思います。

『歴史』…。
なぜ、この含みをとほうもなく広く持った一語が、どうしてかくもあちこちで、
無残に軽く扱われたり、捻じ曲げられて使われたりいろいろしてしまうのでしょうね。
私自身はまだまだ『歴史』を勉強し足りないどころじゃないと自覚しているけれど、
『歴史』を紐解くことほど、生きていくのに憔悴しているとき、心に優しいものはないと
思うことがあります。『文学』もそうですけれど。

ひとつひとつの言葉を用心して使う、ということの大切さと共に、長い文を
読む訓練は、やはり大事だと思いますねぇ…
逆に、優れた短い言葉の含む含蓄の後を感じとる力とかも大事だし、とにかく
そういったもろもろの文章理解の力。

私の悪い癖は、読む人にわかりやすくしたいと思うがゆえに長くなっちゃう、と
いうことなんですね(笑)。
それはもう、何苦さんは、そこのところをほんとに判ってくださって、こうして
過分のお言葉も頂戴するのだけれど(ありがとう!嬉しい~っ)、なんていうかなあ、
一つのテーマについて、その基礎のところ・背景から書き起こしたくなっちゃう
悪い癖があって!(爆)
それは、自分が記事を書くまでわかっていなかったから、読むかたのためにも
一応この基礎情報、書いておこうかなぁ、と老婆心を発揮しちゃうからなんですね。(笑)

でも、自分で言うのはなんだけど、私の文章は、長さにさえ耐えていただけるなら、
読みやすい文章じゃなかろうか、とは思うんです。
それは、接続詞とか、句読点の打ち位置とか、かなり考えて書いているから。
出来るだけ読んでくださる方が、流れに沿って付いてきてくださりやすいように、
いつも考え考え、慎重に書いています。文章の見直しもけっこうするし。

そして文の構成も、これでかなり考えています。^^
こうなってこうなって、あれを書いて、あれも挿入して、結びはこの文章だな、
とか…。(挿入が多すぎるよっ!自分で突っ込み!)
最初から結びまでの一貫性というのも考えますし。

>いいたいことが山ほどあってこまる人にはそれはたいへんな根気と努力がいる作業ですよね・・・・』

そうなんです~っ。削るのが、もう~~~苦手。(笑)

そういう意味で(どういう意味だ?)、『大雪と原発』のシリーズは、私自身も
とても気に入っています。長さの問題ではなく、あの中には、日ごろ私が伝えたいと
思っていることの殆どが詰まっているから。
いつも、何苦さんに、あの記事のこと誉めていただくと、ほんとに嬉しいんです。^^
何苦さんは、ほんとに隅々まで、私の想いを汲み取ってくださるからなあ!
一般論として、書き手にとってそのような光栄と喜びはないですよね。
あのシリーズの結びの記事と、続編、というようなもの、書く心の用意は
出来てるんですけれど、なかなか書きだせないでいます。
完成してないシリーズが、いったいいくつあることやら。

何苦さんは、いつもあの難しいシリーズを、本当にようもまあ、いつも
完璧に仕上げられますよねえ。
それは、知識が充分にあるというだけでなく、それがご自分の中でもう十分に
熟しているからああいうふうに書けるんだよなあ、といつも思います。
歴史を扱う記事はね、書いてあることの、…ほんと、大袈裟でなく
百倍千倍いやそれ以上の知識がないと迂闊に書けない。しかもそれが
自分の内で血肉化されていないとね。
そりゃ、自分のちょっと見た本から切り貼りすれば、体裁だけはそれらしい
ことは書ける。しかし、そういう付け焼刃の文はすぐわかりますね。
言葉が、どんなにうまくつなぎ合わせてあっても、自分のリズムになっていないのです。
文章って、不思議なもので、その人の固有のリズムってありますものね。
特に翻訳など読んでいると、訳者がノッテいないところ(それは得てして
原文の意味がわかっていないところ)はすぐわかりますものね。逆に、「ああ!
のってきたな」というのもすぐわかる。
私が、南京虐殺や従軍慰安婦のこと書こうとして中断してばかりなのは、それを
自分でわかっちゃうから。まだまだ知識も不足だし、自分の中で血肉化
出来ていない……

わかっていないことに対しては、ほんの短いコメントも書けないもんなぁ!(爆)

>略)幼少時から老いにさしかかるまで長~い人生を生きてきたことがよ~くよ~くよ~~~くわかりますよ。
それはこの先老いさらばえて死ぬまでまで,変わらんだろう。
と信じることがわたしにはできますね
>彼岸花さんのどこをどうひっくりかえして,ぶったたたいても,強者のホコリもでてきやしませんよ
どこほじくってもマネーや都市生活に,しがみついてるようには,みえません。
>(むしろハイソでオサレなこと書いてもその裏にはビンボー臭いイナカっぽさ,と妙なリアルがにじみでてますね。そこがわたしはいちばん好きなんですがね)

大笑い!
誉められてるのかけなされてるのかわからないような(爆)
でも、大変に嬉しいです!
そうなんですよね~~~。やっぱりね、私の文の中には、育ち、という部分が消し難く
出てるんだろうと思う。山で生まれた少女、ですしね。^^
あと、九州の血もあるかなぁ。これはもう、どんなに気取ってみても、どうしても
出てきちゃう。生まれ故郷の大分というより、育った博多、の気風かな。
それにね。なんといっても時代が!
まだ敗戦直後の空気は街に色濃く残っていたからなあ…
なんせね、鶴田浩二の『赤と黒のブルース』とか、村田英雄の『無法松の一生』
とか、好きなんですからね。
ご存じ?(笑)

>わたしはワザワザ旧字体でシチメンドクサイブログ書いてますがね,(おかげでだれもきやしませんよw)

爆。旧字体。好きですぅ。
だけど私、菅語由来の熟語を、、ほんと私知らないんですよね~。
国語には自信があったつもりなんだけど、文、書きだしてから、いかに自分が
語彙が少ないか痛感するようになった。
特に、悲憤慷慨系の言葉が圧倒的に不足!もっと駆使したい!(笑)

何苦さん。ありがとうございます!

































> 歴史といえば,年号の丸暗記か,マンガ「よくわかる日本史」,みたいなもんだと思ってる読み手に,安易に「歴史」ということばをつかう,すると曲解と侮蔑を受けてしまう。
>
> 選挙,といえば選挙に誘導する,こだわってる。 国家という字を見ただけで,へえ国家がすきなんだー,と誤解するような読み手は
>
> そもそも 『国語力』 の問題で想定外としても。
> (――あなたはどうして国や,語や,“ぱわー”にこだわるんです?かなんか言われかねませんがね。)
>
> 本当に歴史の勉強している人は,彼岸花さんの記事が,社会の矛盾をひろくみつめ,搾取や,“まねー(それこそなんのお金のことを言ってるのかつたわりませんが)”についても深い考えをお持ちで,幼少時から老いにさしかかるまで長~い人生を生きてきたことがよ~くよ~くよ~~~くわかりますよ。
> それはこの先老いさらばえて死ぬまでまで,変わらんだろう。
> と信じることがわたしにはできますね
>
> 彼岸花さんのどこをどうひっくりかえして,ぶったたたいても,強者のホコリもでてきやしませんよ
> どこほじくってもマネーや都市生活に,しがみついてるようには,みえません。
>
> (むしろハイソでオサレなこと書いてもその裏にはビンボー臭いイナカっぽさ,と妙なリアルがにじみでてますね。そこがわたしはいちばん好きなんですがね)
>
> 「原発と大雪」の記事を読めば地方の問題の奥底まで眼を凝らして,ふだんから深く考えていらっしゃることもよくわかります,一(月?年?)夜漬けでは,あんな記事はなかなか書けない,一生かかりますよ,そういうことはよくわかります。
>
> 長い文章を読み込めない人が多すぎるのも知っています。
>
> どんなことばでも,一つ一つのことばには深い意味がありますね
> そのどれもが,それぞれべつのことをいってるのに,一文でまとめなければならない。別の意も生まれて来ます,
> しみじみと思えば,一文一文かくのもむずかしい。
> そのうえ最終的には,まとめて一貫した考えを示せること,それを実践して,なおかつ短くまとめる。
>
> いいたいことが山ほどあってこまる人にはそれはたいへんな根気と努力がいる作業ですよね・・・・
> 短い文章というのは短絡の塊ですが,(それを厭えばこそ長くなります)もし短い情報,並べただけの記事なら,わたしは読みに来ないです。
>
>
> つまるところブログの書き方をどうするかって,読者をえらぶ,ということになるんだとおもいます
> わたしはワザワザ旧字体でシチメンドクサイブログ書いてますがね,(おかげでだれもきやしませんよw)

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No title

一つだけ感謝を述べさせてもらいたいと思います。

それは、何をしたいのかという、ことについて、もう一度考えさせてくれた方がいらっしゃったことです。
おかげで、自分のやりたいことが明確になりました。
僕は、今の所、口(思想)だけですが、そのうち(まもなく?)、体現するようになります。


気づいて、そして、実際に活動もしているということは本当に素晴らしいことだと思います。

Re: ☆狩さんへ

☆狩さん。こんばんは。^^

ほんとですねえ。私など、もうすぐお星さまになるから(あと十年あるかなぁ・・・)、
余計に、空が親しみやすいものに思われてしまいます。
流れ星は殆ど見られなかったけれど(深夜放送のラジオで、刻々と全国の
視聴者から、流れ星を見たとか見えなかったという報告が入る。^^
いっこだけ、という人が多かったみたい)、星たちが美しくて、
久しぶりに夜の川原に出て、宇宙と交信しました。^^

> いま瞬き、消えていった星たちと、実際には、なんの変わりもありません。
> やがていつかまた、新しい星の素になるんでしょう。

ほんとに。そう思えば、なんだか、少し、遠い視線を取り戻せる気がするな。
足掻いても怒っても、嘆いても、宇宙の時間からすれば、人の人生など
ほんとに一瞬の光芒。

> 『神よ、変えられないものを受けいれる心の静けさを、
>  変えるべきものを変えてゆく勇気を、
>  そして、それらを見分ける叡智を、わたしに与えてください』

そうだ。
私も、☆狩さんの横に並んで祈ろう。^^

> 選挙とは、変えられないものを動かそうと体当たりする愚行ではないでしょう。
> 社会が「変わる」ということを、一朝一夕に期待してはダメだと思います。
> すくなくとも数十年のパースペクティブで、失敗と成功を繰り返しながら、
> ある目的を達成してゆくことは、不可能なことではありませんし、
> わたしたちの社会は、いくつもの成果を持っているではありませんか。
> 一方で、70年を掛けて壊れてしまったものは、
> これから70年をかけて再建しなければならないし、
> 70年間守り抜いてきたものは、さらに耐え抜けるように補強が必要です。

きっと私は、急ぎ過ぎね。^^
長いスパンで、ものごとが見れなくなっているし考えられなくなっている…
それは、自分の年のせいもあるのだろうけれど、この安倍政権が復活してからの
悪い変化のスピードを見ていると、のんびり構えちゃいられない!って
思っちゃうの。
70年かあ……長いときです…憲法と私は同じ68歳ですから。
同級生を守ってやりたいな!^^
ほぼ70年の人生の、30歳くらいまでは、時の流れが緩やかでした…
その後の40年は、あっという間だったな。
とりわけ、この3年は何なんだ!と思うと、焦っちゃうんですね。
ものすごい速さで、時が巻き進められているのか戦前に巻き戻されているのか。
その行きつく先が、どちらも同じ光景、などということにはしたくないですねぇ!


> 私は選挙を疎かにできませんし、強力で有効な手段だと思ってます。
> しかしその前に、ふさわしい政治家がいなければお話にならない。

そう思います!
私たちは既成の政治家をなんとかもっとましなものにしようと圧力をかけると共に、
自分たちの手で、自分たちの中からしっかりした政治家を育てるということを
同時進行していかなければいけないんじゃないかなと思っています。
というより、国民一人ひとりが、そういう存在になりうること。
別に皆が政治家になれというわけじゃ無論ありませんが、『変えられないものを
受けいれる心の静けさを、変えるべきものを変えてゆく勇気を、 そして、
それらを見分ける叡智を』という、まさに星さんの引用の言葉のような
そんな人間を育てていくこと自分が成ろうとしていくことが大事なんじゃないでしょうか。

> 問題は「選挙」そのものよりも、なぜいまの選挙では、
> 民意を政治に反映できないのか、という根っこの部分にあると思います。

そうそう!そうなの!
私はこの記事で、『選挙』を論じていますが、『選挙』という概念そのものと、
そのありようは、ちょっときちんと分けて論じる必要があるんじゃないか、
と思うんですね。
『民主主義』という言葉もそうです。『民主主義』という概念と、
『民主主義政体』というものは分けて論じる必要がある。
『民主主義政体』という、民主主義を(不完全に、誤って)具体化しつつある
現実の政治のありようと、『民主主義』の概念を混同して論じて、
『現実の政治がろくでもないから、民主主義も悪だ!』というような短絡が
議論の場で行われているような気がするのです。

> 制度を変えれば解決するわけでもなく、結局は主体性と責任の問題で、
> 民主主義というのは、つねにマグマのような底力を持った民衆(有権者)の、
> 政治家たちに対する、「おまえたちが道を誤れば、いつでも転覆させ、
> 全員首を挿げ替えてやるぞ」と示威する、強い緊張感があってこそ、
> 健全に維持されるものだと思います。ですから民衆は政府に対して、
> いつだって、「信頼とお任せと協力」をしてはいかんのだと思います。

『つねにマグマのような底力を持った民衆(有権者)』って、いい言葉だなあ!
☆狩さん、この表現、頂戴するわ!^^

私が、記事でぐだぐだ書いてきたことは、ここに書いてくださった数行に尽きる気がします。

> それにしても・・・共産党よ、どこに行く~~

うわあ~ん!! ほんとにね~…

☆狩さん。ありがとうございます!

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とーりすがりのシツレイ

わかりやすく,よみやすく,みじかく。それを世間が要求するのはわかります,

歴史といえば,年号の丸暗記か,マンガ「よくわかる日本史」,みたいなもんだと思ってる読み手に,安易に「歴史」ということばをつかう,すると曲解と侮蔑を受けてしまう。

選挙,といえば選挙に誘導する,こだわってる。 国家という字を見ただけで,へえ国家がすきなんだー,と誤解するような読み手は

そもそも 『国語力』 の問題で想定外としても。
(――あなたはどうして国や,語や,“ぱわー”にこだわるんです?かなんか言われかねませんがね。)

本当に歴史の勉強している人は,彼岸花さんの記事が,社会の矛盾をひろくみつめ,搾取や,“まねー(それこそなんのお金のことを言ってるのかつたわりませんが)”についても深い考えをお持ちで,幼少時から老いにさしかかるまで長~い人生を生きてきたことがよ~くよ~くよ~~~くわかりますよ。
それはこの先老いさらばえて死ぬまでまで,変わらんだろう。
と信じることがわたしにはできますね

彼岸花さんのどこをどうひっくりかえして,ぶったたたいても,強者のホコリもでてきやしませんよ
どこほじくってもマネーや都市生活に,しがみついてるようには,みえません。

(むしろハイソでオサレなこと書いてもその裏にはビンボー臭いイナカっぽさ,と妙なリアルがにじみでてますね。そこがわたしはいちばん好きなんですがね)

「原発と大雪」の記事を読めば地方の問題の奥底まで眼を凝らして,ふだんから深く考えていらっしゃることもよくわかります,一(月?年?)夜漬けでは,あんな記事はなかなか書けない,一生かかりますよ,そういうことはよくわかります。

長い文章を読み込めない人が多すぎるのも知っています。

どんなことばでも,一つ一つのことばには深い意味がありますね
そのどれもが,それぞれべつのことをいってるのに,一文でまとめなければならない。別の意も生まれて来ます,
しみじみと思えば,一文一文かくのもむずかしい。
そのうえ最終的には,まとめて一貫した考えを示せること,それを実践して,なおかつ短くまとめる。

いいたいことが山ほどあってこまる人にはそれはたいへんな根気と努力がいる作業ですよね・・・・
短い文章というのは短絡の塊ですが,(それを厭えばこそ長くなります)もし短い情報,並べただけの記事なら,わたしは読みに来ないです。


つまるところブログの書き方をどうするかって,読者をえらぶ,ということになるんだとおもいます
わたしはワザワザ旧字体でシチメンドクサイブログ書いてますがね,(おかげでだれもきやしませんよw)

No title

彼岸花さま

それは、よかったです。私も、とても嬉しいです。
いまでは真夜中の屋外は、すっかり寒くなりましたが、
流星の、そこはかとない炎には、温かさや懐かしさがこもっていますね。

私たちは、星の欠片で出来ているのですから、
いま瞬き、消えていった星たちと、実際には、なんの変わりもありません。
やがていつかまた、新しい星の素になるんでしょう。

『神よ、変えられないものを受けいれる心の静けさを、
 変えるべきものを変えてゆく勇気を、
 そして、それらを見分ける叡智を、わたしに与えてください』

だれの言葉だったのか、すっかり忘れましたが・・・・・でも、
選挙とは、変えられないものを動かそうと体当たりする愚行ではないでしょう。
社会が「変わる」ということを、一朝一夕に期待してはダメだと思います。
すくなくとも数十年のパースペクティブで、失敗と成功を繰り返しながら、
ある目的を達成してゆくことは、不可能なことではありませんし、
わたしたちの社会は、いくつもの成果を持っているではありませんか。
一方で、70年を掛けて壊れてしまったものは、
これから70年をかけて再建しなければならないし、
70年間守り抜いてきたものは、さらに耐え抜けるように補強が必要です。

私は選挙を疎かにできませんし、強力で有効な手段だと思ってます。
しかしその前に、ふさわしい政治家がいなければお話にならない。
問題は「選挙」そのものよりも、なぜいまの選挙では、
民意を政治に反映できないのか、という根っこの部分にあると思います。
制度を変えれば解決するわけでもなく、結局は主体性と責任の問題で、
民主主義というのは、つねにマグマのような底力を持った民衆(有権者)が、
政治家たちに対して、「おまえたちが道を誤れば、いつでも転覆させ、
全員首を挿げ替えてやるぞ」と示威する、強い緊張感があってこそ、
健全に維持されるものだと思います。ですから民衆は政府に対して、
いつだって、「信頼とお任せと協力」をしてはいかんのだと思います。

それにしても、共産党よ、どこに行く・・・・・・

Re:neronekoさんへ

neronekoさん。おはようございます。
今、コメントを書きなおして入れ直そうとしていた。

ああ。なぜ最初から、このようにお書き下さらないのですか。
このコメントはとてもわかりやすかったです。
あなたがそういうふうに考えていらっしゃるのか、と。
特に若者の現状という最後のところは、こころに沁みました。
この文章はとても大事なことを気付かせてくれるように思います。
neronekoさんのお考えが今、少し詳しくわかって、よかったです。



それなのに、その他のところで大きな誤解と決めつけがあるのがほんとうに残念です。

なぜ、あなたは、私の記事の奥底を読みとって下さらないのだろう。
私のブログは、まさにあなたがお書きになっていることと同じことを問題に
しています。どうしてわかってくださらないのかなあ…
でも、それはあなたにとっては同じものに見えないのでしょうね。

書かれてあることの一部を取り上げて、あなたは決めつけをなさる。
書かれていないこと、あなたがお読みになっていない記事のことは、『ない』こと
とみなされるのですね。

私が経済のことについてこの記事で書いていなければ、『経済学を知ろうとしない』と
決めつけになる。たとえ他のところで渾身の記事を書いていても、です。

『歴史』という言葉にどうしてそう過剰に反応なさるの?
『歴史』は『過去の経済』のことを当然その範囲に含みます。
そもそも、『歴史』と『経済学』を並べて、二項対立でお考えになることは
おかしいんじゃないかな。
『歴史』の中に『経済学』のことは当然含み、経済学の中に歴史のことはまた
当然含まれるでしょう。
歴史を学んで、お金の歴史のことをスル―するなんてありうるでしょうか。
人類の歴史は、まさに簒奪や強奪そのものの歴史です。

その他にも、この二項対立はどうかなあと思うところがあります。
『歴史』と『現在(いま)』は対立するものですか?
『現在』は歴史の内にあるのではありませんか?
一瞬一瞬の『現在』の積み重ねが『歴史』になっていくのでしょう。
ここで言う『歴史』とは、単に教科書に書かれたような勝者の歴史のことではありません。
人類の歩みそのもののことです。ひとりひとりのひとびとの人生の総体…。
私は、『歴史』という時、そういうものを念頭に置いて語っています。
『歴史』という言葉やそれに関連したことを語るだけで、『現在』を知らない、
『経済学のことを知らない』と決めつけるのは、あまりにも単純すぎませんか?

どうしてそういろんなことを極論に持っておいきになるの?

そういうふうにご覧になると、一人のひとの理解も狭まってきませんか?
たった一言で、その人のすべてを否定しまう…
私に関しては、『選挙』とか、『国家』とか、『歴史』とか。
そんな言葉のかけらが、その人の総体を表すのですか?
しかも、それは誤解によるところも多い。
私が、なぜ、国家というものを全面的に肯定しているように思うのでしょう…
これだけ、『国家』というものの悪について語ってきているものを…
金融資本主義の悪について語ってきているものを。
社会の不公正について語ってきてもいますのに…。

『選挙』が私の総体ですか?
『白河以北一山百文』という言葉が、私のすべてですか?
私という一人の人間はそれらの言葉以外のものでない?

あまりにも悲しい理解です。
私はいくつか前のコメントにも書きましたが、あなたのことを、知り合いにならせて
いただいてから交わしたいろんな話、あなたの鳥や蝶や短歌などの記事…
そういうものすべてで捉えようとしています。
こういう政治記事に関した会話での齟齬や、異見の有無だけでは判断しない。
そう書きましたでしょう?
でも、それに対し、あなたは無反応でした。
『ああ、そうか…あなたはそういうふうには私をご覧にならないのだな…
政治の記事での意見の相違、という点だけでご覧になるのだな…』
そう寂しく思いましたよ…。

あなたが、ここにお書きになったようなことどもの、大きな相手があるでしょう?
国家とか、世界の巨大金融資本家とか、それこそ選挙の制度そのものとか…
そういうものの代わりに私を叩くの?
私がそれらを代表し象徴していると?

でも、そんなことは私自身にとってはどうでもいいことです。
自分がどう思われているか、などという問題はどうでもいい。
あなたがそういうふうにしか私をご覧になれないのならば、それはもう、仕方ないことだと
思います。
そういうふうにしか取られない私に落ち度はあるのでしょう…
それに対し、自分を省みてみるだけです。
そして、私もやはりあなたを傷つけたのだろう、そのことをお詫びいたします。

neronekoさん。ありがとうございました…
あなたが今日お書きくださったことは、よく考えてみます…

私はね。人は、人によって変われるものだと信じています。
これはあなたのことと関係ないですが、
『あなたが何を言ってもぼくは変わらないよ』という人を、私は基本的に
好きになれません。
だって、その言葉を発するということは、相手を最初から拒否しているということだもの。

私は、誰に対してもその言葉は言いたくないです。
多分…あなたとこうしてお話できたことは、私を何かの形で変えていくだろうと
思っています。
そしてそれは、いい方に変えるように自らしなければならないと思っています。

あなたを傷つけたこと、もう一度ごめんなさいね。

さようならと言った方がいいのかな。


私も少々…相当…疲れましたので……


(でも、お気持ちさえ向けば、いつでもまた帰って来てください…
ここはいつでも開けておきますから)





Re: スキップさんへ

スキップさん、おはようございます。

ふふっ!ほんとですよね!
自分でも長すぎる、こりゃいかんなぁ、と最近思っています。
このところ、ますます長くなってきていますものね。
それは、政権への怒りが強すぎるから、ということがあるのだと思いますが、
ほんと、これじゃ、皆さんに読んでいただけない。

私の文の特徴は、まず長~い前置きがあって、各論があって、結論は
必ずきちんとまとめているつもりなんですが、この長さじゃそこまで
読んでいただけないですよね。^^

それに、こりゃいかんなぁ、と思っているもう一つの大きな理由は、
書くべきことがいっぱいあるのに、こう一つの記事に時間かけてちゃ
間に合わなくなるってことなんです。
そのために書きかけでぼつにしたのや、書かずに終わってしまったことがどれほど
多いか。

スキップさん。ありがとうございます!

法人減税と消費増税のこのグラフ。ほんとうにひどいですよね。
ずうっと自民党政権がこれをやって来たわけですが、安倍政権になってからの
大企業との癒着はさらに進んでいる…

結局は防衛費だってそうですものね。日本の大企業の防衛産業が潤う仕組み。

ほんとうはこのグラフ。もっと関連グラフがあって、一度記事にしたものです。
それを見ると、またさらに腹が立ちますよ。

スキップさん。ありがとうございます。
これからそうするよう、がんばりますっ!(頑張らなきゃ短くできないってのが
変ですよね。^^)







No title

 彼岸花さん、おはようございます。今日は勇気を持って、お話させていただきます。本文が長すぎませんか。私のような気が短い人間は、その長さに圧倒されて、読む意欲をそがれます。
 そこでお願いなのですが、一気にまとめて、更新するのではなく、毎日少しずつ、短い文で、一日分とされたらどうでしょうか。
 今日の中で、私が一番頭に来ている、というか、みんな頭にくるんですが、法人減税と消費増税が、今までも同時に行われているに等しい現実です。この財政難に、法人減税をする気が知れません。財界は社会的負担を負う意志を放棄しています。アメリカの財界人は相応の負担をしたいと申し出ているそうですね。それに比べて、日本の財界人の劣化は激しいものがあります。
 社会保障費減額を政府に要求しています。これは財界負担から逃れるためです。その上、消費増税19%と言い出したのも財界です。それに安倍政権は追従しようとしています。金持ちによる、金持ちのための、金持ち政治です。ああ、腹が立ってきました。

No title

そう、僕は無理だと知りつつ「考えを変えて欲しい」と望んでいたのでしょう。
そうでなくとも、気づいて欲しかった。
あなたの示していることは、どれも、結局は人々を不幸にしているマネーシステムの延命でしかないということに。
白河以北一山百文も、選挙も、国家も。

貧しい人がいる、虐げられている人がいる、そういう人を助けたい。
そう考えている人だと思うから、そして、少なくとも関わりあったことのある人だから黙っていられなかった。
その解決方法では、マネーシステムの延命に加担してしまうだろうと。


僕の究極的なイメージは、皆がお金を捨てる世界です。
これが不幸の源泉だと知って、誰も見向きもしなくなる世界です。
今の銀行が発行している銀行券には何の価値もないどころか、人の不幸の源泉だとみんなが知るべきです。
今の生活を続けることは破滅に繋がると真剣に危惧しています。

ああ、こんなことを書かなければならないとは!
そんなに未来のイメージがないといけないのでしょうか。
どうして今を生きられないのでしょう?
どうして生き物たちから学べないのでしょう。


どうして歴史は学ぶのに、マネーの歴史は学ばないのでしょう?
マネーがどういうものか知ろうとしないのでしょう?
どうして経済学をすこしでも知ろうとしないのでしょう?
人間の社会の仕組みはマネーからしか見えてこないと思います。
人はお金によって人殺しもするし、自殺だってします。
どうやってお金は作られるのでしょう?
誰がお金を作っているのでしょう?

人間は今、この大きな集団催眠の中にいます。
気づいた人は、あらたに気づいた人にシーっと口元に人さし指を立てます。
この眠りを覚まそうとするうるさい目覚まし時計は、ここでの僕のように潰されます。
目覚まし時計を叩き壊すよう仕向けているのは一体誰なんでしょう?


でも、今、サイレントテロリストと揶揄されている若い人は増えています。
「若者の○○離れ」ということが、よく言われるようになりました。
少子化も確実に進んでいます。
家も、車も持たない、新聞もとりませんし、酒も、タバコもやりません。
メディアのいうことをステマと疑い、すべての情報を鵜呑みにしない。
基本的な生活はミニマムでいい。
彼ら自身は気づいていないかもしれません。
それが有効な抵抗になっているということに。

Re:その日暮らしさんへ

その日暮らしさん。おはようございます♪

>  デモや選挙で社会を根底から変革できるとは、誰も考えないでしょう。

そうなんですよね。
私もそんな甘いこと思っていないのです。
それでも、絶望しつつ参加しています。
何かをせずにいられないから。

>  ただ、私たちが権力側と対峙し常に綱引きをしていると考えるならば、このたびのデモなどによる抵抗運動からは、いろんな意味で大きな効果・成果が導き出されたと思います。

それなんですよね。私は、一つの色に染まるということが大嫌いなのです。
『茶色の朝』の話じゃないですが。^^
染まってしまう前に…、まだ何とかできるうちに、出来る抵抗をしたい…
そう思うんです。
完全に茶色になってからでは、もう遅い。
私にはそうなってから抵抗する勇気が自分にあるかどうか自信がないので、
今がんばろう!と思っている気がします。

>  結局のところ、権力側は、民意に耳を貸すことなく、選挙の結果(多数)を楯にとって事を進めました。ですから、選挙は手段の一つに過ぎないとしても、とても重要な対抗手段であると思っています。
>  けして諦めないという意志のもとに、デモや選挙にしてもできることはとりあえず全部やる。たとえ著しい成果が見込まれないとしても淡々と、そしてできるだけ楽しく、です。近道はないのですから。

そうですよね。私もそう思うのです。
私は、一票の力を捨て去りたくない。
一度や二度負けたからって、投げ出してしまえばおしまいでしょう?
デモも、選挙も、孤独な一人の戦いも…ありとあらゆる出来ることを、どれが正しく
どれが間違っているなどということを言わず、なんでも同時にやっていくしかないんじゃないかと
思っています。

反対運動、というものは、持続性とそれから瞬発力とが、同時に必要なものだと
思うのです。瞬発力とは、機運を掴んで一気にことを進めること。
でもぱっと咲いてパッと散るんじゃしようがない。こつこつと反対運動を地道に
続けていくことも大事ですよね。
でも、そのこつこつの中味は、ただでれでれと運動を続けるというのではなく、
既成政党に頼らなくて済むよう、自分たちの仲間から、将来に日本の担い手を
育てていくという地道で時間のかかることも含まれると思います。

きっと私は、急ぎ過ぎているのでしょうね。
でもなぁ…。この一年が、取り返しのつかない一年になることだけは
避けたいんですよ…。だから焦るんです。
でも淡々と。しかめつらしてても状況が良くなるわけじゃないですものね。

難しいですね!^^

昨夜は星が降るのを一つ見ました。^^

ありがとうございます!






その日暮らしさん。







Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん、ありがとうございます♪

いっこだけ見られましたよ~~~♪ ^^

夜の空はやさしかったです。
こころは殺伐としてるのに、なぜか、綺麗なことばかり思い出していました。
初めて流星を見た時のことや。なつかしい人々。旅の思い出など…

ほんとにありがとう~♪







Re: 玄さんへ

玄さん。おはよう~。

とうとう昨夜は徹夜です。(笑)

まあね。いいんですけれどね、なんだか虚しいですねぇ…


お言葉。ありがとうです♪
少しこれから1,2時間寝ます(笑)。





Re: neronekoさんへ

neronekoさん。

私のこの記事、最後までお読みくださったのですか?
確かに初めの方は、『選挙』のことばかり書いています。
それは、この記事は選挙について自分の考えをまとめてみよう、と
私が決めて書いたからです。選挙のことがたくさん書いてあって当然でしょう。
だからと言って、それがすぐに、『わたしが選挙にこだわっている』という
ことにどうしてなるのでしょうか。

アイさんにもう少し詳しくお書きしましたが、前半は確かに選挙のことを
書いている。
しかし、次に選挙の問題点を書き、後半部分では、選挙によらない方法
というものの一つの例を上げ、
さらにその先で、『選挙』か『その他の方法か』というような二者択一ではない、
いろんなやりかたが個々人にあっていい、ときちんと書いているではありませんか。

私の他の記事をご覧になれば、私が、ここで決して『選挙しかない!』
というような考えの持ち主ではないということおわかりになりませんか?

なぜ、そう決めつけるのかなあ。

選挙や政治や国家について、あなたが否定的お考えを持っておいでのことは
よくわかりました。
しかし、その否定の先に何があるのか、どういうイメージをお持ちなのか、
neronekoさんの言葉からは何も伝わってきません…
なんだか、ご自分の言葉ではない抽象的な文句をただ並べておいでのような
感じを受けてしまいます。

neronekoさん、私はあなたに礼儀を尽くしているでしょう。
あなたの意見で、賛成できるところはそう伝え、同じ想いのところは同じです、と
お伝えし、しかし賛成できかねるところは正直にそう言って、
あなたの考えに一所懸命誠実にお答えしようとしていませんか?

あなたはどうでしょう?
何もかも全否定です。そして一方的宣言(のようなもの)。


あなたはここで何をなさりたいの?





Re: 玄さんへ

玄さん。ありがとうございます。
お気持ちいただいて、元コメントは削除させていただきますね。
今頃削除しても遅いかな。(苦笑)

政治の記事を書くのは難しいですね。

Re:森の妖精アイさんへ

森の妖精アイさん、こんばんは。
今日はずっと用事があって、返事がたいへん遅くなって申し訳ありません。

アイさん。
誤解があるようです。

この記事ね、私、選挙のことばかり書いていますが、選挙のことについて
ある方から鍵コメいただいたので、
『そうだ。コメントで返事をお返しするのもいいけれど、選挙について
一度記事にしておくのもいいなあ』と思い、その方にそのことお断りして
オープンな形で、記事にさせていただいたのです。
選挙のことばかり書いているのはそのためです。
それならばタイトルを『選挙について』としておけばよかったですね。
『これからどうする?』などというタイトルにしたので、「これからやるべきことは
みんなが選挙に行くことだ。それしかない!」というような印象を、皆さんに
与えてしまったのかもです。

その点、皆さんにお詫びしたいと思います。

無論、これは私のブログで私が勝手に私見を書いているだけですから、
違うお考えを持ってらっしゃる方がいてもいいと思いますし、いろんな考えかたが
あることが当たり前だろうと思っています。

アイさんが、選挙の何に対してそのようにお怒りなのかわかりませんが、

『すべての努力の結果を 選挙にまとめようとするのは 愚かなことだと思います』

というところ。もしこれが、選挙というものへの一般論としてお書きになった
のではなく、この記事に対する、つまり私に対するご意見としてお書きくださった
のであるならば、それは誤解ではないかと思います。
私は、そんなことは一言もここで言っているつもりはないです。

『選挙は、国民が政治に直接意志できる数少ない機会であり、一票の持つ
力は実は大きい』ということは確かに、私の考えとして書いておりますけれども、
『選挙だけがすべてだ』などとは、全く書いていないことは、私の記事全体を
お読み下されば、おわかりいただけるはずなのですが。

前半部は確かに、上にも書きましたように、『投票という行為の大事さ』
について書いていますが、後半部からは、市民が日ごろの活動で積み上げていく
下からの改革、というようなことについて書いているつもりです。

現在の選挙制度には、さまざまな矛盾や問題点が山ほどあることは私も
無論承知しています。
そもそも、人がある程度の集団を形成し、集団として行動していくことを
選択したとすると、そこでは様々なことについて意志決定しなければならない
場面が起こってくると思います。
これはなにも『国家』などという名のつく大きなものについて論じるのでなくとも、
30人、40人程度のひとの集まりだってそうだろうと思います。

でも、30人、40人なら、全員の話し合いで大事なことは決定できます。
しかし、その集団が、千人、一万人…となって行ったら…、なかなか全員で
何かを決定することは難しくなります…

人類はその問題を長いこと考えてきました…
そして数々の試行錯誤の末に、代議制民主主義、というものを数々の選択肢
の中から選んできた人々がいた、ということなのだと思います。
無論すべての集団がそれを選択するわけではありません。同じ時代であっても
違う選択肢はありうると思います。
また仮にそのある集団が代議制を採ったとして、その代議員(と仮に
呼んでおきます)の選出方法も、いろいろあるでしょう。
小さな集団なら推薦とか自薦の候補の中から挙手で選ぶこともできるかもしれない。
…ただ大きな集団になれば、皆がその選ぶ場に居合わせることも出来ないし、
挙手などでは正確に数えられないでしょう。
それで、今の『選挙』と俗に言われている紙や場合によってはネットを利用した
投票を行い、それを集計するという選出方法や投票方法が考え出されたのですよね。

…そうやって、いろんな方法を人類は試行錯誤して来て、今、多くの集団が
この代議制、議会制民主主義という形態を仮にとっているのにすぎないと
私も認識しています。
これに代わるもっといい方法があるのなら、当然それに選び換えるでしょう。
もう少し、直接選挙に近い方法をとっている国だってあります…。
スイスなどは、国民投票というものがいろんな場面でしょっちゅう行われるそうです。
だが、それにも問題点はある…

日本は、数ある形態の中から今の選挙法を選んでいるわけですが、無論この
代議制というものにも大きな問題点がたくさんたくさんあります…
民意が反映されにくいなどというのが、その一番大きな問題の一つでしょう。
政党の獲得票数がそのまま議席数に正確に反映されず、死に票がたくさん
出てきてしまう。2014年衆院選で言うと、小選挙区では実に半数の
票が死に票となってしまいました!
実質的には有権者数の25%くらいしか票を獲得していない自民党が、議会に
おいては結果的に70%近い議席を獲得するという結果になっています。
それは、棄権する人が有権者の半数近くいるからということもあります…。
あとは、一票の格差、という大きな問題もありますね。
世襲議員がなんと多いこと!そうして、議員の質の低下していること!
…もう数知れないほどの問題点が、今の選挙制度にはあります…

こんな選挙法がいいはずがない!
私も全くそう思っています。
それはこの記事だけでなく、今までいろんな記事の中で触れて来た…

そんな私が、単純に、『選挙しかないのだ』と思っているとお考えでしょうか?

それだからこそ、記事の後半では、違う道を探ろうとしています…
まずは、今採っている選挙方法を、改善していくという道。一票の格差の是正や
小選挙区制と比例代表制の見直し、などということがその一つかと思います。
私も、この問題の上手い改善法が思いつかないのでここでは詳しくは書いていませんが。

記事のさらに後半部では、『選挙』によらない方法、について書いています。
町・村議会レベルから、議員を選挙によって選ぶのではなく、『ボランティア制』
にするというアイディアです。
(もちろんこれ、私が自分で考え出したんじゃないですけれどね。)
実際に、地方議会レベルまでこのボランティア制(もしくは低報酬)で
政治を行い、国会に相当する大きさのところから選挙制、ということに
している国があるのです。スウェーデンなど。
そうやって、より身近な地方自治で政治や社会運動の経験を積んだ者が、
国の政治に、より庶民に近い感覚と知恵を持って携わっていく…という方法です。

無論この方法にだって、数々の欠点はありますし、日本にそれがすぐに導入
できるとは思わない。政治に対する意識が残念ながら、日本はそこまで行って
いないと思うからです。
まずは、政治が自分の生活と直接かかわってくるものだ、ということを自覚
していない人がまだまだたくさんいる…。労働法制などその典型なのに。
それから、日本ではまだまだ、政治について庶民が気軽に冷静に楽しく語る
という風土がありません。
女が政治のことを語ると『女のくせに生意気だ!』と言われかねず、市民が
政治に参加しようとすると、『政治の素人に何がわかるか!』と、プロを
自称している政治家などに冷笑される…(山本太郎氏が苦労しているように…)
デモに出れば、ちょっと以前までは奇人変人扱いだし、署名活動なども、
奇異な目で見られることに耐えられるようでなくてはなかなかできません。
政治の話のことになると、かっかしやすい、というのも問題です。
俗に、酒の席では『政治と宗教と贔屓野球チームの話はタブー』と言われて
いるくらい、人は政治の話となるとかっかしやすい。それではまだまだだ、
と思うんです。
これは、自戒をこめていっているんですよ(笑)。


でもね。最初っから政治活動でなくたっていいと私思うんです。
記事にも書いていますが、同じ考えを持つ人々の、ふわ~っとゆるやかな集まり、
などというものや、政治的でないボランティア活動…そうしたありとあらゆる
集まりや共同作業などを通じて、自分たちがそこで感じたことを話し合い、
やがてそれが、政治への意志となっていく(無論ならなくてもちっとも構わない
自由な集まりなのだから)というような経過を辿っていくのでもなんでもいい
と思うんですね。

要するに、選挙で政治を変えるとか、選挙制度の改革で、今採用してる
システムを、少しでもいいものにしていくとか、いま現にいる政治家たちに
改善を求めるとか、選挙でろくでもない政治家は落としていくとか…
いう、いわば外側からの改革と、
それから、内側から時間をかけて変えていく方法…その例としてボランティア制を
一つ挙げてみたわけなんですが、要するに、既製の政党やすでにいる政治家に
何かを期待するというのではなく、いわば内側から社会を変えていく…
そういう方法もあると思うんですね。
自分たちの代表を自分たちで育てていこうという発想です!
或いは、庶民が、ひとりひとり、言わば一騎当千の素人政治家になろうじゃないか、
というくらいの元気いっぱいの発想です。
これは時間がかかるだろうけれども、一番結局はいい社会をつくる方法なのかも
しれないです。

アイさん。
私は、あなたがおっしゃるように『選挙』だけにそんなにこだわっていますか?
記事の後半部で、そのように、『選挙』によらない方法について考えている
でしょう?
まあ、それがいい方法かどうか、賛意を得られるかどうかなどということは別として、
ちゃんと違う道を提案しているでしょう?
私は、『選挙がすべてだ』などという『決めつけ』をしているでしょうか?

私が言っているのは、『選挙』か『それ以外の方法か』などという単純な
二者択一でさえありません。
そんなことは全然考えもしない。
記事にもちゃんと書いているでしょう?

『時間をかけてでも、政治的に成熟した個人を育てていくこと。

選挙に行くことも、デモに行くことも、思索を深めることも、ペンでもって戦うことも
ネットでもって発信することも、じっくり人を育てていくことも……
そのどれというのでなく、みんなやればいいじゃないかと思うのである。
自分にできることをそれぞれが自分の意志で、一つ、または複数同時に、自由に
しかしねばり強くやっていく。
理屈を振りかざすのではなく、ふわっとつながるのもいいし。
体を動かす実践活動で想いを広げていくのもいいし、要するになんだってありなのだ。』

ね?そう書いていますでしょう?

この記事は、たまたま『選挙』をテーマにして書いてはいますが、それを
唯一の価値のようには決して書いていないことは、最後まできちんとお読み下されば
きっとわかってくださるものと思います。

『経験も学習も重ねてきた者が 幻想を振りまき 人々の歩みを押しとどめたり 別方向へ捻じ曲げたりしては ならないことだと思います』

というお言葉。これを一般論としてお書きになったのか、私に向けて書かれたのかは
存じませんが、聞かなかったことにしておきたいと思います。
アイさんと、きつい言葉を交わし合うためにこの記事を書き、このコメントを
書いたわけでは決してないことを、どうぞご理解ください。

ご意見いただきましたこと、感謝いたします。

No title

 デモや選挙で社会を根底から変革できるとは、誰も考えないでしょう。
 「安保法制」については、民衆の間にあれほどの大規模な抗議行動が広がり、世論調査による民意も方向を明確に示していました。ですが、「戦争法案」は強引に採決に持ち込まれてしまいました。
 ただ、私たちが権力側と対峙し常に綱引きをしていると考えるならば、このたびのデモなどによる抵抗運動からは、いろんな意味で大きな効果・成果が導き出されたと思います。
 結局のところ、権力側は、民意に耳を貸すことなく、選挙の結果(多数)を楯にとって事を進めました。ですから、選挙は手段の一つに過ぎないとしても、とても重要な対抗手段であると思っています。
 けして諦めないという意志のもとに、デモや選挙にしてもできることはとりあえず全部やる。たとえ著しい成果が見込まれないとしても淡々と、そしてできるだけ楽しく、です。近道はないのですから。

Re: 玄さんへ

玄さん、こんにちは。

民主党。

実は、私も、票を入れたことはない… あ、一回、安部氏が党首に復活した
2012年の衆院選は、安倍政権を復活させたくないという危機感で
民主に入れたかなあ。
それ以外は、共産党。昔は社会党。
実は私は、昔はさほど政治に興味なく、共産主義と社会主義の違いもよく
わからなかった。
夫と私で、社共に一票ずつ入れようね、というくらいのいい加減さでした。
ただ、アンチ自民ということでずうっときたという感じです。

それではなぜ、こんなに民主党のこと書くのか。
それは、野党、というものが大事だと思うからです。
私は、政治に限らず、何かが一色に染まる、というのが基本的に好きじゃ
ありません。だから、みんながあんまり、いい、いい、というと反発したく
なる性質。^^
まあ、いいと言われるものの中には、本当にいいものもあるでしょうので、
それでだいぶ大事なものを見逃してしまう、ということがたくさんあったと思うけれども、
基本的にはあまのじゃく。(笑)
ましてそれが、政治のようなものとなると、一つの政党がずうっと続いて、
それに対抗するものもない、抵抗の力もない、というのはすごくまずいよ、
と思うんですね。
だから私は、本当は現実の共産主義国家にはがまんが出来ないかもしれない。
ただ、共産主義の思想としての初期理念は正しいと思うから、それをこの世から
消したくないだけなんですね。
『民の平等』という理念は、これは、時代が変わろうと、場所が違っていようと
大事なものとして生き続けるのだろうと思う。
人間というものが不幸な社会に生きていればいるほど、この理念は、目指すべき
目標として生きてくると思っています。

話を『野党』というテーマに元に戻して。
玄さんがここでお書きくださった

『そもそも日本人は,「野党が反対しかしない」,といってさげすみます。
ふだんの生活でも与党意識多数意識のひとが
“野”の本質,草莽の一徒としての尊敬されるべき野の,意味やその属性がまったくわかっていない。』

という言葉の、本当に深い奥底のところは私はまだ十分に理解できていないのかも
(歴史上のこととかね)知れないけれど、私の『野党』に関する基本的考えかたも
それに近いものがあるかなと自分では思っています。
ほんとですね。なぜ、「野党が反対しかしない」などと、非難する人がいるのだろう。
野党は、『反対すること』がその存在理由だとさえ私も思うんです。
それは自民政権であろうが、民主政権であろうが、もし共産党が仮に政権取ろうが
そのことに変わりはない。
『決められない政治』というのが随分批判されて、参議院は無くすべきだ、
などという人もいるけれど、私は大反対です。
『決められる政治』ほど怖いものはない……

政治…国家…の価値観がひといろに染められていくことの危険…それはナチスや
戦争中の日本の翼賛政治、国家総動員法などのもたらすものを想えば、誰でも
わかることだろうと思います。

私が、民主党民主党というのは、自民党に自分勝手をさせないためです。
野党が、あまりにも力がなく、与党にとって痛くも痒くもない存在だと
その働きが出来ない。それは何も民主党でなくてもよく、要するに、
自民に拮抗し得るくらいの勢力が国会内にあることが望ましい。
そのために、『民主党、もっとしっかりしろ!』とはっぱかけてるだけ。

そうなんですよね。
民主党政権は、いいところもたくさんあったのです。
おっしゃるように、『岡田克也の外相時代,外交文書は最終的には原則,
公開するという方針を打ち出しました。』ということ。あれは私もとても
印象に残っています。
アメリカの優れているところは、そういうところですよね~。
自分たちに都合の悪い記録でも、きちんと残して、それを一定の時期のあと
公開する。

『外交文書というのは歴史の第一級の第一次資料です。』
ほんとにほんとに。
砂川判決など、日本のことを調べたいときでさえ、アメリカの公文書が
ほんとうに役に立つ。沖縄密約もそう。
日本は逆です。自分たちに都合の悪いことはとにかく隠ぺいする!
隠ぺいどころか処分してしまう。それが真っ先に念頭に来るようですね。
それはもう、敗戦時の心理とちっとも変わっていない。
民主党が、そうやって外交文書を原則公開にするという良き決断をしてくれたのを、
自民党が再び『秘密保護法』の名のもとに隠ぺいするようにならなければいいのですが。

薬害エイズ問題。そうでしたね。当時の菅厚労相の功績。
菅さんという政治家は、私も、評価相半ばする感じです。TPPは彼が
言い出したのでしたしね。でも、原発ゼロを明確に打ち出したただ一人の現役総理
という一点で私は彼を応援してきました。
事故当時の対応は、いろいろ批判されているけれど、福山、下村の
ほんとうに当時総理のそばにいた人々も、本などで、あの時の切羽詰まった状況は、
あの時現場にいたものでないとわからない、と言っていますね。
菅内閣でなくて、あれ以上のことが出来たのかどうか…外部からあとで批判することは
いくらでも出来ますものね。
しかも、その批判も、なんていいますかね…悪意とある意図を感じます。
原子力発電を続ける側の権力と資金は絶大ですから…。

民主党は、少なくとも、その姿勢は、弱者の方に向いていたと私も思うのです。
官僚制を打破しようという目論みもよかった。
沖縄の普天間基地を国外か、県外に、という鳩山政権の姿勢も全然間違っていなかった
と思います。
ただ、…全てにおいて官僚の壁は厚く、民主党政府がそれを打破できなかった
ということは残念ではあったけれど、しかしそれで民主党をくそみそに非難する
にはあたらないと私、思うんですね。非難されるべきは自民党じゃないですか。
南京大虐殺の資料の記憶遺産登録の件は、ほんのほんの少しはマスコミも書きますが、
シベリア抑留の方の登録のことはほとんど話題になりませんね。
ロシアから抗議受けても、日本政府は知らん顔を決め込んでいる。
シベリア抑留のことを突つきだされると、どうしても日本の『満州国建設』という
ところに行きつかざるを得ない。被害者であると言いたてればいい立てるほど、
加害者としての日本、というところに行きつきますものね。
それは、歴史を直視しない政府にとっては都合が悪い。
でも、シベリア特措法を成立させたのは、これも民主党政権でした。
無論十分なものではなかったけれど、長い長い間、自民党はシベリア抑留者
(韓国人の日本軍兵士も含む)については、冷淡でしたから、一つのささやかな
進歩ではありました…。
小熊謙二さんらが活動続けて来たのでしたね。^^

民主党だって、結構評価すべきところはたくさんあったと思うのです。
と言っても、私はこの記事で、民主党の宣伝をしているわけでもなんでもなく、
一つの政党が長年一党支配の状況を続けるのはよくない。それに代わり得る
勢力を育てていくことが大事だ、というそのことが言いたかっただけなんですけど。

政治に限らず、価値観が一色に染まることの怖さ…そのこと。

それと。なんて言うんですかね……、この国の民の極端な振れ方…それに少し
苦言を呈したかったのです。
持ちあげるときは異常なほど持ち上げておいて、悪いとなったら今度は
わ~~~っと、袋叩きにする…
それも、自分で考えて、そうするのではなく、その時々の空気というか
『・・は・・だ!』という強い言葉に乗せられやすいですよね~。
それが、民主党に対しては、実際の瑕疵以上に意図的に行われてきたのではないか…
そのことを言いたかったのです。
これは、民主党に対してだから悪いのだ、とかそういうことじゃない。


『市民運動の土壌が豊饒でなければ,政党の芽が育たない。』

そこなんですよ!
私がこの記事で言いたかったもう一つの柱は、そこに尽きる。

『日本は“市民運動なくして政党を持ってしまった”』

ほんとうにそう思いますね……
もう一つ言うならば、一般市民が『政治を語る』ことがある種のタブーとか出過ぎたこと、
と思われるような、そういう風土や空気があるうちは、日本の政治はだめだろうと思う。


玄さん、ありがとう。
私がこの記事で言いたかったことの奥底の想いを掴みとってくださって。

ところで。お父さまと赤尾敏の、そのシーンは、なんだか愉快ですね。^^
そういう心の大きさというか度量が欲しいもの。^^















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No title

人が何を書こうとかまわないと思いますがね

No title

そう、僕もどうして選挙にそこまでこだわるのか理解できません。
もっと言えば政治というものに。
もっと言えば国家というものに。

僕も、投票には欠かさず行っていますし、投票してきた先は共産党でした。
選挙にも行った方がいいと思っています。
しかし、選挙では何も変わらないとも思っています。

では、なぜ、選挙に行った方がいいと考えるのか。
それは、選挙とは演出された自由に過ぎないと知る必要があるからです。
見せかけの自由を演出して、錯覚させるためにあるものだと知る必要があります。
どのように羊を柵に追い込んでいるのか、知る必要があります。

たとえ、政権が変わったとしても、社会の仕組みが変わることはありません。
政権など、国家という枠組みを超えるものでないものが、国家(軍隊を基礎におくマネーを守る抑圧システム)そのものを否定することなどできないからです。
社会は変えたいけど、社会の仕組みは変えたくないというのはどういうことなんでしょう?


じゃあ、具体的には何をすればいいの?

それは自分自身で考えてもらいたいです。
気づけば、自ずと答えは出てきそうですが。
僕も心がけていることはあります。


他人の考えを変えることはできないよ
変えられるのは自分の考えだけだ

これは妻が学生の頃、母親との折り合いが悪くて悩み、相談していたカウンセラーから言われた言葉だそうです。
僕もつくづくそう思います。
そして、柔軟でありたいと願うのみです。

No title

どうして選挙にそこまでこだわるのか 私には分かりません
現政権に対してNOの意思表示をする その意味以外は・・・・

選挙が諸悪の根源だなどということは すっかり明らかなのではありませんか

この国のしくみをよく見れば 民は紙と鉛筆で 自らのしあわせなど望めない

経験も学習も重ねてきた者が 幻想を振りまき 人々の歩みを押しとどめたり 別方向へ捻じ曲げたりしては ならないことだと思います

すべての努力の結果を 選挙にまとめようとするのは 愚かなことだと思います

さまざま有所思

こんばんは

わたしはね。民主黨政權でいくつかぜったいにわすれてはならない良質な政治があった,とおもっています,
以前もどこかで書いたかもしれませんが。一つは岡田克也の外相時代,外交文書は最終的には原則,公開するという方針を打ち出しました。
この事を聞いたとき政権交代してよかった,としみじみおもいましたね。

ご存知のようにわたしは,したり顔で,歴史を學ばないものはオロカモノだ,といいながら,歴史を學びつづけてきたものですが,外交文書というのは歴史の第一級の第一次資料です。
これを原則公開,という方針は未だつづいており,
外交当事者であった自民党政權ではありえなかった,之は大きな政權交替の成果ではないでしょうか?(時代の趨勢の中でもはやふたたび閉じ込められることはない,そう信じたいと思つています。閉じ込められるようなことがあっては中國以下の独裁國家といえるでしょう,)

あるいは。たとえば今毎年出ている貧困率。あれ,民主黨がはじめたものですね。貧困問題に取り組む姿勢は評価できました。湯浅誠さんの官邸入りなどなど。
個人的には,わたしは民主党以前の菅直人を一定程度,とくに薬害エイズのとき以来,民主党になった時点までは支持しておりました。民主党になってからは支持できませんでした,
それでも原発震災のとき,菅直人が総理大臣だったことに大きく安堵したのも事實です。東電撤退問題も福山下村(ハクブンではない)の證言を読む限り當然のことをしたまでだと思っています。



それでも民主党を支持したことはありません,これからもしません。
しかし“野党”として政権を奪取した民主黨は与党っぽいことは失敗ばかりでしたが“野党としての” “政権交替”の役目は一定程度はyたしたのではないでしょうか。

そんなようなことを考えれば。
民主党に絶望した人,支持をした人,は,“野党”という概念をそもそもよくわかっていないひとたちではないでしょうか?
そもそも日本人は,「野党が反対しかしない」,といってさげすみます。
ふだんの生活でも与党意識多数意識のひとが
“野”の本質,草莽の一徒としての尊敬されるべき野の,意味やその属性がまったくわかっていない。



ついでにいわせてもらえば。歴的に見ても,之は世界史な,といういみでもイデオロギー的にみても,又政治思想的にもですが
日本の政党は,民主主義国としては世界には珍しい
 “political partyではない政党”ばかりですね。

かつて赤尾敏という男が有楽町で毎週選挙演説をしてましたね。わたしの父はマルクス主義者でしたがwでくわすといつも嗤いながら真剣に聞いていました。wwwwww
わたしも子供心に政治家とはこういうもんだとおもわされましたね

“選挙互助会”の妄動よりも個々の政治家をみていくほかないのではないでしょうか?極端なたとえを出しましたがw

political partyと,いえるかもしれなかった共産党も,天皇制を認めた時点ですでにもはや,理念は粉砕,「民の平等,水平の理想」から大きく逸脱しています。いまさら何を言おうと,かれらはマルクシストを名乗る資格はないですねw
理想を掲げるリベラルとしても,みとめられません。

おっしゃるとおり
『前にも何度も書いたけれど、この国に、『市民運動』を特殊な人々のやる
特殊な活動と思うようなそんな人々が多い限り、この国の政治は良くなるまいと思う。
『市民運動』は、国民市民に与えられている正当な、政治活動の権利である。』


市民運動は,ポリティカルでないパーティだからこそ存在意義がある。
もっといえば市民運動の土壌が豊饒でなければ,政党の芽が育たない。

日本は“市民運動なくして政党を持ってしまった”,という歴史的経緯があります。
大正デモクラシーはあっけなく銷魂殘無となりました・・・・。
わたしは次の選挙は始めて棄権するかもしれません。
それでも・・・・
「でもしか」投票で キョーサントーにいれるんだろうな~ハハハ


PS,彼岸花さん
おもえばバンソーコーだらけのやつとか,産む機械とか,ナントカ還元水とか,酔っ払った中川の国際会議とか,ノーパンしゃぶしゃぶとかw!!
すさまじかった時代をわすれてはいけませんよね,民主党は,ひととしてまともに見えたのはたしかでした。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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