『往く年に思う』

少しまた、記事更新に間が空いてしまった。
その間、大人しく本など読んでばかりいた……。


時の過ぎて行くのが早い。
世界は、日本は、どこへ向かっていこうとしているのか…
おそらく誰にも見えていないのではないだろうか…
時代を読み解く鮮やかな弁論、などというものにもこの頃とんとお目にかからない…

考えてみれば、歴史に、この時代はこの日からこの日まで、などという
明確な区切りがいつもあるわけではなく、私たち一人一人が生きているこの『今』の
連続が、言わば歴史を作って行っているのである。
一人の人間の言動など歴史のダイナミズムに何の関係も力もない、と思うのも
同様に大きな誤解で、実は私たち一人一人が『変わらぬ日常』と見えるものの中で
常に何らかの選択を行っていて、その個人の小さな『決定』や『無為』の総意や集成が、
歴史を動かしていっているのである…。

だが、普通、一見の平和と安寧の状況下にあっては、そのことを人は意識しない。
この日本という国にあっても、私たちは日々、実は大変な選択をしていっているのだが、
そのことを自覚しつつ日々を過ごして行く人は多くはないであろう…。
例えば沖縄では、現実に大変な歴史の転換点に直面していて、辺野古で命がけの
戦いを日本政府とアメリカ、という巨大な権力に向かって戦っている人々がいても、
本土にいる我々にはその自覚がこれっぽっちもない。
福島で子供たちに甲状腺癌多発というデータが出ても、遠いところにいる我々には
関係がないとばかりに、日常は流れて行く…。
日本という国が今大きく大きく右旋回しているのだが、それがもう
後戻りの効かぬ域にまで達しようかとしているのだが
、そのことを言わば
体の痛みのようなものとして自覚しつつ暮らす人もおそらく多くはないのであろう…。

今年の流行語大賞、とやらは、『トリプルスリー』と『爆買い』だそうだ。
プロ野球ヤクルト山田哲人、ソフトバンク柳田悠岐が達成した1シーズン
打率3割、ホームラン30本、30盗塁以上の成績を記録する『トリプルスリー』と
とりわけ中国からの訪日客が、日本のドラッグストアや家電量販店でものを
買いまくる『爆買い』。

これらが悪いとは言わない。私は野球好きだし、今度の『プレミア12』なども
結構熱くなって見ていた。爆買いが日本の景気昂揚の一端を担ってくれているのだから
ありがたい話である。

…所詮お遊びごとの流行語大賞選考である。なにも目くじら立てる必要もない。
…のであるが。
シャルリー・エブドなどへの襲撃と、湯川さん、後藤さんだけでなく、リシャウイ、カサスベ中尉
という4人の人間があっという間に殺されて明け、パリ同時多発テロやトルコ、チュニジア、レバノン、
マリ、などでの自爆テロや襲撃、またロシア機爆発などで暮れた2015年という不穏な悲劇の年の
流行語大賞がこれでいいのか?という違和感は、どうしても私にはある。

今年世界であったテロなどの数々
あるサイトさんからの引用。
ご本人が断り書きをお書きのように、「ここではイスラム過激派あるいはイスラム原理主義の
定義は特に決めていない。また、それぞれのテロは必ずしも彼らによるものかどうかは
断定できないものもある。(『テロ』の定義自体も人によって考え方の相違はあろう)
イラクやシリア、アフガニスタン、(パレスチナ)などでの事件はあまりにも多すぎる。
その地域での事件はテロではなく内戦(もしくは戦争)とも考えられるので、
この年表には記していない」、という。(括弧内は彼岸花が補足)
正確さ厳密な点はぬきにして、単純に2015年のところを見てほしい。


話を流行語大賞に戻して。(本当はそんなもの、これまでだって一度も興味など
もったことはないのだが。)
だがまあ。一つの社会現象として考えてみれば。
これらが選ばれるのも、日本という社会の側面を、結構鋭敏に反映・象徴しているのかもしれない。
それは今の日本人の『自信喪失』とそこから来る『自己肯定感』の希求、
というものが、『日本再評価』というようなものを求めたがる心理に繋がっている
と取れなくもないからだ。
それはまた…容易に、
『強い言動』『一見美しい自己肯定をふりまく政治プロパガンダ』
『仮想敵国への憎悪や優越感を国民の不満の捌け口に誘導する政治』
引き寄せられていくという心理
でもある…


まあ、テレビでも、『ここがすごいよ、ニッポン!』というような趣旨の番組が、どれほど多いことか。
そこで紹介されている例えば日本の町工場の優れた技術、などといったこと自体には、
私だって素直に感動する…
スポーツだってそうだ。素晴らしいプレーには、素直に感動させられる。

だが待てよ。素敵なことは素敵、と素直に認めるその一方で、その裏にある社会現象の数々に
眼をつむっていていいのか!と思う私もいる…
昨年のことではあるが、佐村河内氏や小保方氏の事件。また、今年の旭化成建材の杭打ち
データ改ざんに象徴されるような、日本人の心の深奥で進んでいる杜撰とそれを隠す
虚偽の横行……これもまた、日本社会の一側面であって、『日本はスゴイね、スバラシイね』
とばかり喜んでばかりはいられないのじゃないかと、苦く思うのである。
中国の人々の爆買いだって、これを景気の側面からだけ見て単に歓迎したり、
『ほら見ろ。やはり日本の製品がすごいからだろ』というような自己満足と妙な愛国心に帰して
見るだけでは軽薄過ぎるだろう、と思う。

そうではない。『平和がいい』のである。『隣国とは仲がいい方がいい』のである。
中国にとっても日本にとっても、自由に双方が安心して行き来出来て、ときに『爆買い』
なども出来るような環境が好ましいのである。民間の交流が政府の思惑など一気に
いとも容易に越えてしまう…そのような流れこそが望ましいのである。
しかし。
ともすれば国家と国家というものが向かいがちな、自国のプライドと権益だけを懸けた
憎悪の応酬は、いずれこうした『自由な買物』のような交流さえ阻んで行くものである……。
サッカーワールドカップの日韓共同開催の頃を思い出してみよう。
日韓双方の文化交流までが一気に進んで、互いに韓流ブーム、日本ブームが沸き起こった
あの頃と、とげとげしい今の関係と、どちらがいいのか。
トルコとロシアを見よ。国家と国家の憎悪は、あっという間に経済をさえも委縮させる…。
人と人の悪意の応酬だってそうだ……。そんなものからなにも生まれはしない。

しかし…
私がこのように書くその言葉も、今は単なる綺麗ごとにしか思われないのであろう。
トルコとロシアの問題も含め、今世界で進行していることは、日本で報道されているような
ものだけで単純に考えない方がいい。
どちらが善でどちらが悪、などという単純な二分法の通用しない裏の部分、裏の裏、
そのまた裏といったような闇の部分がある……
私を悲しく黙らせてしまうのは、このどうにもならぬ複雑さである…。

理解不能なことの前で、ひとびとは黙り込む。
国家と国家、人と人の悪意の応酬が留まるところを知らなくなり、
人々が言葉を失ってものを言わなくなる…考えることを放棄していく……
日々これらが眼に見えぬところで進行していくのである。
その一方で、そうした人々の不安や不満を、ネオナチ的な政党が掬いとって勢力を
伸ばして行く…。
なんと。
なんと、いつかどこかで見て来た光景に似ていることか!……



公平に言えば、……日本人だけでなく、世界が思考停止状態に陥ってはいないか。
誰も今、来るべき未来の理想図を描ける者はいない。描こうとする者さえ乏しい……

他人事ではない。私自身もまた…。
だが逃げても駄目。ぎりぎりと真実を見つめることから逃げてはいけないのだろう。



                         *

とは言いつつも。
ひとはやはり美しいもの…変わらぬ価値というものも求めるものである…。

今年最後の花たちを記録しておいてやろう。
あゝ……、自然を見ているときがいちばんいいなあ………




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11月初旬。さもない町の、さもない裏通りの歩道の隅。




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高砂百合が。
もう、11月ですよ。

実は、1年前、この道の少し手前の細い私道に、このこの仲間が咲いているのを
ブログにアップしたことがある…
記事は10月でも、百合を写真に収めたのは9月3日のことだったけが。
今年も9月に、 気をつけて見ていたけれど、同じ場所からは生えてこず、細道の奥の方に
2本ほど咲いていたのは知っていた。
それが、11月にもなって、こんなごみごみした車道の隅にひっそりと生えいずるとは。






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結構、人も車も多い通りなのだが、気を止めて見る人もいないようだ。
毎日買い物のたびにこの子に挨拶するのが、私の11月前半の習慣になった。
必ず足を止めて、そばにしゃがみ込んで、心のうちで話しかける。

この写真は11月6日に撮ったもので、実は一番上の写真は、もう、この子が
だいぶくたびれてきた11日に撮ったものだ。

この子は、今どうなっているかって?
花は当然とっくに茶色に朽ちてぽたりと地面に落ちて、雌しべと茎だけ残って同じところで
生きている。
朽ちて落ちていた花びらは、時雨に打たれるそのままにしておくにしのびず、
私、拾ってきて、藤原新也の『名前のない花』という本の間に押し花にして挟んでいる。
来年また、会えるといいな。

…一もとの花とだって、濃密な交情ということは出来るのである。


我が家の庭では。
今年最後の彩りの菊たちが。



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ポンポン咲きの小菊。



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随分長い間がんばって次々に咲いてくれた菊だけれど、さすがに少し疲れて来たか…




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黄緑色の花びらの菊。




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江戸菊、という品種だろうか。
花びらが乱れる風情が美しい。




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こういう素朴な小菊も私はとても好きだ。
こういう菊は、花粉の香りがなんともいえず鄙びていていいのである。
菊花の香りには2つあるってお気づきになられているだろうか?
花弁の香りは、『菊香』と言われて人が普通に思い浮かべるいわゆる菊らしい気品ある菊の香だ。
しかしそれとは別の、『花粉の香』というものが、この花のような雄蕊のこんもりと盛り上がった
黄色い小菊などにはある。
それはもう…なんとも言えず懐かしい記憶を誘うような…鄙びた香りだ。
この菊にだけは、晩秋になっても小さな小さな虻が花粉を食べに来ていた…






おまけ。
ヒヨドリジョウゴが碧玉から紅玉に変化していくさま。


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                         *


多くの『美しきひと』『善きひと』が、今年も逝ってしまった……

惜しまれつつ去りゆく人と、
名も知られず、無残に散る命と…。











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Re: 玄さんへ

玄さん、こんばんは。
ちゃんとした返事が遅くなってすみません。
言語バーが表示されなくなってしまってですね。入力モードの切り替えが出来ない。
ちょっとアルファベット使おうものなら、もう元のかな入力?に戻れなくなって。
検索してそうした場合の直し方も手順に従ってやってみたのですが、言語バーが
相変わらず出てこない。
それで今日、リモートサポートセンターに仕方なく連絡してみてもらった。
結局、私がやったのと同じ操作をしていたようなのですが~…。

とりあえず、復旧して一安心ですが、相変わらずしょっちゅうフリーズ。
これも、メモ帳で書いて、ブログにコピペするようにしています。

さて。
昨日も書きましたが、私の長たらしいコメントの、一番ポイントのところを
あやまたず正確に捉えてくださって、本当に感謝です。

「『戦後の日本の歩みをですね。今に至った歩みをですね。『リベラル』の態度
に特化して論じることに対して、問題はそこなのかな?とどうしても思ってしまうんです。

日本を作って来たのは『リベラル』と言われる?人々だけではないですよね。
戦中から揺るがぬ左翼の人々などもおそらくいて、安倍一党のような人々が一方にいて、
また、それこそ一番比率としては多く、それらのどれでもない人々が存在する。
この国の来し方、この国のありようを考えるときに、私は、これらすべてを念頭に置いて
検証したり考えてみたりする必要があると思うんですね。 』」

というところです。

しかしながら、玄さん、星さんと同じことを言っているのでしょうね。(笑)
戦時権力を握っていた者たちは無論のこと、リベラルも一般の民も区別なく
自分たちがアジアでしてきたことを直視しないまま、戦後アメリカの保護下での繁栄を
享受してきたことに対し、私が範囲を広げて見て行こうとしている、という違いに
すぎない。
そんなことはもちろん玄さん、星さんは当然お考えになっている上での、さらなる
リベラル批判ですものね。

『つねに”民”を色づけしなければ,切り分けた中でしか,何も語れない人が多い中で,
そもそも,わたしが彼岸花さんと語り合いたいと思う最大の理由なんです。』

とおっしゃってくださったこと。これも私には結構本質的なところで、そこを
判ってくださって、とても嬉しかったです。

まあ、そもそも、思想史などを勉強不足で、『政治用語や哲学術語』に疎いということが
あって、私は、先のコメントでも書きましたが、特定の政治思想などから
ものごとを判断していくことが、幸か不幸か(笑)出来ない。
ただ、自分の頭でぐうっと考えて、これはおかしいこれには反対と、その都度
自分の意見を持っていっているにすぎないのですね。

『政治用語や哲学術語は前提となる互いの深度や情報源が違えば,かえって弊害になります。むしろわたしたちはそれを避けて,何々主義ときめつけず語り合うことができてきてたんです。そのことの重みのほうがよっぽど気持ちを分かり合える。
ぎゃくに何々主義,と規定することの危険を避けてきたわけですから。
今更確認しあったというだけにすぎません。』

ああ。私も本当にそう思います。
いくつものやり取りを重ねて築いてきた信頼の力は大きいですね。
いつもありがたいことだと思っています。^^

しかし。
玄さんがここでお書きくださった、玄さん星さんに共通した『いわゆるリベラル』と
それに類する者たちへの腹立たしさともどかしさ。そのことはよっくよくわかります。
与謝野晶子の例。そうなんですよね。
彼女は、『君死にたまふことなかれ』ひとつによって、厭戦思想のひとと尊敬されていますが、
その一方で、満州国成立は容認・擁護。戦争を美化するような歌も作っている。
要するに徹底した反戦論者ではなかったのですね。
反共でもありましたし。

朝日などのリベラル系新聞のことも、私も不満に思うことはたくさんあります。
今、清沢洌の『暗黒日記』第三巻を手に入れて読んでいるのですが、彼が批判的に
引用している戦中の朝日、毎日の論説などは、ほんと、酷いなんて形容をいくつ
重ねても足りないです。彼等が軍部のお先棒をかついで、どれほど国民の好戦的気分を
煽ったことか。
と言って、今の読売、産経が、そのことを仰々しく取り上げて、自分たちはそんなこと
していないという顔しているのにはもっと腹が立ちますけれども。読売だって同じなんですから。
確かに、今、朝日などが自己批判のシリーズを連載していますが、『一億総ざんげ』
の隠れ蓑を着ているところなどは、生ぬるいとしか言いようがありませんね。
反戦、軍部批判を貫く人は、あの苛烈な時代にあってなお、まさに命をかけて
信条を貫いたわけですから。
戦中軍部の顔色をうかがってジャーナリズムの誇りを失った新聞人は、また同じように
権力の顔色を伺うということは容易にありうることだと思います。
今が既にそうなりつつある。
朝日の一面二面あたりも、もう、ご用新聞一歩手前ですね。発表されたことを
伝えるだけ。
昨日日曜の論説などもあきれること書いてたなあ。『欧米の背 中国の背』という記事。
欧米の後を追いかけるのは悔しくないのだが、中国の後を追いかけるのは
どうだとかこうだとか。何言ってんだ!と思いましたね。
なんとそれこそ『みみっちい』ことを、と。

まあでも。朝日や毎日が存在しなくなった日本、というのは、想像するだにおぞましい
ですから、私は、まあ、応援はし続けようと思っています。

玄さんが、本当にお書きになりたいのはしかし、朝日のことなどではないでしょう?

『もしかしたらこれは書くと反発されるかもしれませんが「一億総ざんげ」でもって,
ばくぜんと戰爭を反省する民,ということでも・・・・・あります。』

と、玄さんがお書きになった、日本人全体への言葉にできぬ不信の想い。
それは、私が、私なりにこつこついろんなものを読んで来て、感じる思いでもあります。
それは、戦後の…今の…日本のありようの原因をそのままに示している。

あのような事故があってなお原発をやめられぬ日本、沖縄を見て見ぬふりの日本…
それは、経済のためという理由なら他国に侵略してもおかしいと思わなかった日本、
何をかの地で自分たちの同胞がしてきたかを知りつつ、口を噤んで素早く忘れて
しまおうとした、なかったことにしようとしてきた日本と
その根っこは、常に同じだと思うからです。
私なりにそれを追及していこうと思っているのだけれど、なかなか筆が進みません。

それは、私もまた、自分の内に、戦中の日本人と同じ心性を持っているからじゃ
ないかと思っています。
言論の自由が、あの暗黒の時代に比べればまさに大違いにまだあるこの今の日本
にあってさえ、何かに『忖度する』こころというものを自分もまた持っていることを
厳しく認識せざるを得ない。

私などおそらく戦前にもし生きていたならば、『抵抗』などとても出来なかっただろう。
おそらく、この『熱い』性格からして(苦笑)結構な軍国少女!になっていたんじゃ
なかろうかと思っています。たぶん情報もなく無知そのものでしたでしょうし。
そうでなく、もし批判的な思想を抱いたとしても、とても長期には耐えられず、
すぐに転向していたでしょう…。
自分のその弱さとおそらく自分の内にも潜む『怯懦』を自覚しているからこそ、
今の政権が目指すような社会になってしまったら、本当にものも言えなくなる。
今まだこの言論の自由がある内に、その自由をむしばむようなものの芽は
摘んでおかねば、と焦っているんですけれどもね。

急いで書こうと思っていること、書いていかなくっちゃなぁ…。

その中には、それでもって玄さんの問いに私なりに答える、そんな内容のものも
あると思います。
これからの夜の長い冬の日に、一つ一つ書いていきますね。^^

いつもありがとうございます。

Re: 玄さんへ

玄さん。おはようございます。

ありがとう、ありがとう。本当に嬉しいです。

私が一番訴えたかったこと。あやまたず的確に受けとめてくださって。

『『戦後の日本の歩みをですね。今に至った歩みをですね。『リベラル』の態度
に特化して論じることに対して、問題はそこなのかな?とどうしても思ってしまうんです。』

以下のところです。
長々と書きましたが、要はそこが一番気になるところでした。
後半、お書きくださったことも、本当によくわかります。
私も同じ想いです。

歯はね。少しづつ痛みが薄れて今日はもういいです。ありがとう。
今日はこれから、例の安保法制施行前の反対署名集めに行ってきます。
何百万筆皆で集めたところで、いまさら覆すことは出来ないだろうけれど。
なんかぐずついた天気だなあ…
暖かくしていってきま~す。

よかった。出かける前にお話出来て。ほんとにありがとう。
返ってきてからゆっくり返事させてくださいね。

感謝と友情のハグ~♪ (笑)


ぶっきらぼうでごめんなさい

こんばんは。歯痛はいかがですか?
わたしは歯が痛いときは後先考えず痛み止めガンガン飲んでひたすら楽になることばかりかんがえてしまいますw

そんななかで読んでいただいたことあらためて感謝です。返事はとくにいりませんよ。

わたしは彼岸花さんがおっしゃった,戦後民主主義,と漠然とおっしゃることがまさに,宿痾の本質だと。
まったくおっしゃる通りで正しい(というのもヘンですがね,同じような?といったほうがいいかな)理解だと思います。

政治用語や哲学術語は前提となる互いの深度や情報源が違えば,かえって弊害になります。むしろわたしたちはそれを避けて,何々主義ときめつけず語り合うことができてきてたんです。そのことの重みのほうがよっぽど気持ちを分かり合える。
ぎゃくに何々主義,と規定することの危険を避けてきたわけですから。
今更確認しあったというだけにすぎません。

もしかしたらわたしは,侮蔑的に使うリベラルという言葉はですね
無意識に,日本人(あまりはっきりといってしまうと自己撞着しかねないだって自分がそうなんですから)というべきところをリベラルといいかえてた,そこに,彼岸花さん触角が
「ん?,まてよ」と
感じられてたんだろうなと理解しました。それできのうのお答えをしたんですが

そしてやっぱりそうなのだったとおもいます。


『戦後の日本の歩みをですね。今に至った歩みをですね。『リベラル』の態度
に特化して論じることに対して、問題はそこなのかな?とどうしても思ってしまうんです。

日本を作って来たのは『リベラル』と言われる?人々だけではないですよね。
戦中から揺るがぬ左翼の人々などもおそらくいて、安倍一党のような人々が一方にいて、
また、それこそ一番比率としては多く、それらのどれでもない人々が存在する。
この国の来し方、この国のありようを考えるときに、私は、これらすべてを念頭に置いて
検証したり考えてみたりする必要があると思うんですね。 』


この文章で彼岸花さんが書かれたことがいちばんだいじなことで,そして,つねに”民”を色づけしなければ,切り分けた中でしか,何も語れない人が多い中で,
そもそも,わたしが彼岸花さんと語り合いたいと思う最大の理由なんです。

しかし。これとは一見矛盾するようなことを書きますが
結局同じことを言うのですが,
ひとつだけどうしても民を切り分けたいと思うところがあります。

朝日が近頃,戦時中戰爭に加担したメデイアとして自己批判の記事を書いてますね

生ぬるいと思うのはですね。
あたかも,戦時中はみんなそうだった,その中でメデイアが特に協力してしまって,民を戰爭に誘導してしまったね,申し訳なかったね,という立ち位置です
これは前提が間違ってます。

戦時中命がけで抵抗した人は一定程度いたんです。そのことを語らないまま,つまり戦前の左翼,といわれるようなひとびとをきちんと正当に評価せず。うやむやにしているなら,それは自己正当化にすぎません。抵抗していた人は一定程度,あの暗黒時代にしてはかなりの数いますね,それは彼岸花さんよくごぞんじでしょう。

実際,抵抗した人々を黙殺して,みんなそうだった,と反省する。
一億総ざんげの理屈を利用しているひとびと。
さらには中國侵略の実態,植民地支配の実態をも隠すことになるにもかからず,
無抵抗だったことを,みんないっしょに,といってざんげするひとびと

その欺瞞と責任回避,これがまさにわたしにとっての「りべらる」の正体なんです。
それはひいては戦後中國の恤民の心からでた」「二分論」(言ってみればこれこそ左翼のイデオロギー)をも侮蔑することになりませんか。
もうしかしたらこれは書くと反発されるかもしれませんが「一億総ざんげ」でもって,ばくぜんと戰爭を反省する民,ということでも・・・・・あります。あとはわたしがの記事の中,中國 侵略の過程でずーーーっと書いてきたことです


わたしが疑問視するリベラルとはそういうことなのです
「りべらる」にやたらもてはやされるエピソードがありますが,それはあの時代本当に抵抗した人々を獄中の暗闇にそのままおしこめることでもあるんです

戰爭中,軍部を批判したとして傑物として,例えば日露のときの与謝野晶子,,ういった人たちを,あるときには確かに勇気をもって抵抗したでしょう,そのエピソードをことさら強調することで,
(実際にはその人々には,非常に深刻な「侵略加担」に罪あるにもかかわらず,それをあえて抜きにして)ほめあげる,持ち上げるとくにリベラルが一定程度いる。

なぜだとおもいます?
なぜか。わたしは長いこと考えて,やはり,よく知られる多喜二や槇村浩といったひとのまわりで,左翼的な思想,自由主義で弾圧され命を散らした大勢の人びとをホメたくない,というケチな心からではないでしょうか?という結論になってしまうんです。戰爭反省するにはあまりにも・・・・みみっちい。その「みみっちさ」を侮蔑したくなるんです。

おそらく彼岸花さんはよくわかってくださってるとおもいますが。左翼に,社会主義者にも問題はありました。しかし。反戦をつらぬいたのは,リベラルではなく彼らだけでした。

わたしの立場は革マルだ,というのはそういう意味です。

もはやはっきり言ってしまいますが,そういう,しくみ,そのもの,それが,わたしにとっては,具体的に明確になってる,リベラルの宿痾,というものです。
いつも拝啓前略抜きで書いてしまって,もうすこしやわらかく書けないかなとはおもうものの・・・・・すみません性分なので。
いつもいつもありがとうございます。根本のところを話すと,いかに同じ問題を共有しあっていたかはよくわかりませんか?いまさらですが。確認しあうことはいっそうの信頼につながりますものね

返事は別にせかしてませんよ。返事が遅いなんて毛頭思いませんし。ただ書かれていたな読まなきゃ,と思って訪問するだけで,待ち構えているわけでは全然ありません。負担に思わないでください。鬱°が上がりませんように。w

Re:玄さんへ

玄さん。
私のきわめて初歩的な質問に、このように丁寧に答えてくださって本当に
ありがとうございます。

朝から何度も読み返して、頭に叩き込んでいます。(苦笑)
頭に叩き込むも何もない、明快に書いてくださっているんですが、
『そっかぁ!なあるほど!』と言えるような単純なテーマでないと思うものですから、
自分の血肉にしてお返事するには、まだちょっと時間がかかりそうです。
もう少し時間をくださいね。

でも、ここにお書きくださったこと、しっかり頭に入れて、いずれ記事の中で
こうしたことと関連あるテーマの記事の時に、自分の考えを書くことが出来たらな、
と思っています。

次に書こうかなと思っている記事が、関連してくると思うので。
それはもうずうっと私が書かなくちゃ書かなくちゃと思っていたテーマなんですが、
問題が大きくて扱いが難しいので、これまでなかなか書けなかったことです。

うん。でも、今回いただいたコメントは、大変勉強になりました。
自分の内で、じっくり消化していきたいと思います。

ひとつ一つの記述への玄さんの想い…それはいつも玄さんがご自分の記事の中ででも
取り上げられるテーマへの深い思いを、私向けにごく要約して書いてくださったものと
わかります。仇やおろそかには扱えないと思っています。
そのためにかえって言葉が出て来ないのです……。

玄さん。ありがとうございます!













No title

リベラルとは何か,の前にまず自由とはなにか,です

自由の反対語はなんでしょうか,拘束です。だか自由とは解放ということになる。

自という字は“自分”ということだ,おもっていませんか?自にはいろいろ意味があります,
自(より)~至(到る)~,Fromの意味。
もしくは起源,はじまる,Origin,という字義があって
また”從”といういみさえあります

そして最後に”みずから”のいみ,が加わったんではないかとおもいます
自尊心,ということばはわかりやすいですが自の語源は鼻です。”自”にはそもそも由来や出発地点をあらわすことばなんです

From,Origin,のものとはなにか,それは自分の鼻であろう,ということだろうと,わたしは理解しました


由はゆえんですね,ですから自由とは高く,あるいは低く,持すべき自分の理由,自分に従う,ということではないでしょうか

そういう言葉が先にあって,明治の先達や清代の文人はリバテイに自由という言葉を当てはめた。

そのころ民國前後に政治や革命に大いに尽力したジャーナリストですが。梁啓超というひとは少年自由即国自由,少年独立即国独立
「少年自由であればすなわち国自由」
ということばをのこしています。これは民権のことをいうのでしょうが,独立のないなかにあって自由を得ることが独立につながるんだとう意味になりましょうか

かつてはそもそも覊束や不自由が,頸木,つまり枷(獄)や架(犠牲)あって初めて自由主義があった。
これがまさにと政治のことばの語彙としての自由主義の語源です,そして自由主義者のあつまりとしてのリベラルです。

リベラルリズムという言葉のつかわれかたを考えるとよくわかります
プロテスタント教会が,かつての神学規範,覊束からのがれて行くとき,たとえばリベラル,といいました。神学に詳しい人ならわかると思いますが,たとえプロテスタントでも福音派はリベラル,のたちばをとりません,だからかならずしも,自由とは,革新ではなく新といういみもない,
新旧どちらにもリベラルはあり自由主義者のなかにも反動てきなひともいる反動はある。そういうことだとおもいます。

つまりですねことばとしては
自由が”自らに由る”の意味であれば,自由主義者の集まり,という言葉はすでに底から矛盾しています。
なぜ,ではなぜ自由主義がいるかといえば
単純です, 右でもなく 左でもなく,中道でもない。機会主義者でもなく日和見主義でもなく,極右,極左などといずれとも対比されるようなものではありません
つまり自由主義とは自分主義だとおもいます

しかし個人主義とも違います,個人主義の対義語は全体主義です。全体あっての個人。個人主義はイコール解放ではありませんね。水平思想もない。


そもそも自分がない人は自分主義にはなれません。自由主義とはなにかは,それぞれ自分を持ってる人だけが語りうる言葉ではないでしょうか,
 もしくは”いずれからも解放されきった人”といういみでしょうか,

これがわたしの理解する自由主義です

わたしは便宜的にりべらるということばをつかいますが,もちろんわたしがふつう便利に使う”リベラル”は,こうした今言ったような概念,が身に着いてないのにリベラルを標榜するひとのことです。リベラルということばはですからわたしは非常に自虐的もしくは侮蔑的に使っています

そもそも自由主義者はどこかに”属しかけても” ふみとどまるひとです
そんなひとはなかなか政治は・・・・ようしませんね,何か集團,とか全体としてなにかなす実体もない。
自由でありながら
しかし政治にかかわることになってしまったひとのことをわたしは尊敬すべきリベラルだと思っています。
ですから政治が先にあって,そのうえでリベラルです,なんていう人は,その段階で私はリベラルだとは思いません。

尊敬すべきリバタリアンは日本には多いですが,高みの見物となりがちです。

そして政治運動の中に,身を犠牲につまり”自尊”も自由もつまり自らを犠牲にして他者の「解放」のために尽くす人。このひとを本当の,自由人の自由主義者,とおもいます。
キング,マンデラ,ガンジーなどはそうではないでしょうか?あるいはびみょうですルソーもそのひとりでしょう

いっぽうでトルストイなどが自由主義者というより,無政府主義もしくは個人主義といわれますが
実にそこからナロードニキやボルシェビキがうまれたのもまた事実です,つまり,個人の自由や尊厳を得るためにまず社会を「解放」しようとするひとびとです。社会主義者とはそういう意味ではないでしょうか?

つまり目的は同じです。保守も反動も左もみな。しかし到達する手段が違う,そのいずれにも属さず,目的を一人で達してしまったひとは,自由主義の達人ですが,本当の自由主義者は右から左からも攻撃をうけます。信念同士がぶつかりあう攻撃ならですね

しかし日本では純粋な信念による攻撃というのはあまり表ざたにはなりません
だから日本でいう自由主義者はわりと安穏としていられます。
海外ではどちらからも攻撃を受ける,非常に厳しい立場に耐えられる人でなければ自由主義だのリベラルだのとは名乗りませんよ


日本人は西洋の概念を理解しようとして漢字でかんがえますが,そもそも漢字の意味をしっているでしょうか。そうなら理解はたやすいはずです,
もともと漢字の意味の奥深さがあってはじめて翻訳されたことばです,わたしはひらがなにも翻訳していってはじめてこうした概念語を理解できるとおもってつとめて漢字の意味を考えています

自由とは
「おのずから由(ゆえん)をもって,立っている,自ら生れ出たる土を知るひと,はその土からも ”はなれて” (斷離)してはじめられる,」自由人ですね,これが。

その土に根ざすことは,自由のはじまりや”はじまること”をすてることです,
しかし「土そのものが ”自由” であればと,願う,念ずる草もいる」

それが自由”主義”者かな。自由人ではなくね。
というようなことかな?わたしにとっては。

ちなみに。離,という字には遭う,という意味もあるんです。

ですからね,ひとつの孤独の草,のことかもしれません,しかし,草は蒼茫,となることで自分の生えた土地を変えることもできます,荒地にもなりますが。

日本でいわゆる草の根,がこういうことをいっているのであれば,手放しで賛嘆しますが・・・・どうでしょうかね

そう,肝心なことを。
わたし自身はといえばかつてリベラルにあこがれ,そうありたいとおもいましたがしますが,今はボルシェビキにあこがれますね。
どちらにもなれないとおもいますがね

政治的にどっちなんだ,と聞かれれば 左,革マル(あくまで本義の)ですね




日本の今のリベラルは戦後毒麦を自ら刈り取ったことがない。
比べるに朝鮮半島,中国大陸は自ら毒麦を刈り取って始末した国民なのです。


ここでつかったリベラルは,,非常に殺伐としたいいかたになりますがリベラルの名に値しないリベラルです。いっぽう「朝鮮半島,中国大陸の毒麦を刈り取った国民」は,根源的な意味でのリベラル,です。草莽に隠れたものが立って荒れ地をなんとかしようとした。その時の目的が,
自由
です。
つまりですね
民草は本来自由であるはすなんです,それが古代の大同思想や本義の意味での「共和」です

不自由を感じるから,自由がないからとくべつな名づけをされて「自由主義」がうまれたんであって

本来,ほんらいですよ,こういう書き方は身もふたもないじゃないか,と言われるかもしれませんが
自由主義者とは民草の自然のすがたのことではないですか?

しばしばリバタリアンが自然に還れというのは,このことをいうのだとおもいます。

しかし,ルソー,トルストイ,ソローがなぜ自然回帰をいうか,
田園は荒れ果てています, 田園将蕪胡不歸ですよ。
そこから,やむにやまれぬ”革命”がはじまるんでしょう

抽象的で形埒もないを書きました。

日本の戦後には・・・・いつからのリベラル,などというものはわたしのなかにはなかったことを白状します

小田実,加藤周一,名前をあげることはいくらでもできますが,。「自由の社会」の中ではそれには何の意味もありません

戦前はまた別ですがね。

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。
このコメントへの返事は、明日、そちらで書かせていただきますね。

これを書いてくださった鍵コメさんの想いを大事にしたいですので。



Re: 玄さんへ

玄さん。返事が遅くなってごめんなさい。
歯が痛くってですね~。思考停止してるのよ。

どうぞどうぞ。いつでも割り込み歓迎です。
ブログというものもいいのだけれど、なかなか不便なところもあって、
三人以上の人の間で自由に語り合うということが難しいですね。
実は一昨日かな。星狩さんのところでお二人の間で議論になっていたフランスの
問題について、私なりの考えを書こうかなと思って書いて、同じ文面を
お二人にお送りしようかと思ったりしていたところでした。
ただ、あとで読みなおしてみたら、全く浅いなあと思ったのでやめにしました。
皆さんにも読んでいただきたいという想いもありましたし。

『毒麦』について。
深い深い悲しみを湛えられたコメントで、ぴしぴしと胸を打たれます。
こういうのを読ませていただくと、まだまだ私は、理解が浅いなあと思わざるを得ない。
精一杯、中国や朝鮮半島のこと、その民が耐えてきた苦しみのこと、知ろうと
してはいるけれど、まだまだ表層的なところしかなぞれない。

これは、私だけでなく、日本の『心ある人』一般についても、悲しいかな、言える
ことなんでしょうね。
いつも何か語る時に、『私は』『日本は』という視点からしかなかなか語らない。
シリア難民のことを語るのに、『日本の人手不足』を解消する人員、という
視点からしか語らない、というのがそのいい例です。
ISのことも、『日本が襲われることになるかも』などという視点ばかりが目につく。

『『不幸にも、いまでは日本人は、平和とは安全保障を考えることで、
軍事的均衡や、抑止力によって守られるものだと、思い込んでしまい、
国際情勢の変化に対して、日本をどう守るかを、考えてこなかったことを
反省しているような始末です。その結果、一億総軍事評論家のお粗末さま。
安全保障に一家言持たないと、平和を語れないなんて、どうかしています。』

『「戰爭ハンタイ」の日本人には到底とどきえない。植民地にされた大地の喪失感からくる,
自由を失うことへの恐怖,実際に起こした命がけの抵抗の体験。その実感。』

という玄さんの言葉は、本当に私などにも耳が痛いなんてもんじゃないです…
心に突き刺さる。

たぶん。
この下の、星さんへのコメントに、長々としようもないことを書いたけれど、
私はまだ、そういうぎりぎりのところが、頭では理解していても体の痛みとして
実感は出来ていないんだろうなと思います。

そして。まだ。なんとかしなくっちゃ、と思ってる。
要するに、まだ、絶望してないんですよ…

その甘さが決定的に違うところかなぁ…

これからも勉強はしていきたいと思っています。まずは知ることですものね。

私は多分、同じ中国での戦争のことを語るのでも、日本側からの日本への批判的視点で
これからも語っていくだろうと思います。
玄さんは中国や欧州や中東、マグレブから語る…
星さんは…朝鮮半島、というより、アジアの視点で語る…
でも、それらを合わせて読むとき、きっとくっきり見えてくるものがあると思うのです。

あまり多くの問題があって、どこから再び書いていけばいいのか呆然としています。
あれもこれも書きかけのままだったり、書かないまま時がはるかに追い越して行ったりしてしまった。
まあ、こつこつ書いていくだけなんだろうけれども。

玄さん。ありがとうございます!

Re: 星狩さんへ  ありがとうございます

星狩さん。お待たせしました。

胸を割って話してくださって、本当にありがたく読ませていただきました。
わかりやすく書きなおしもしてくださった?ようで、お書きくださったこと、
本当に素直にすとんと胸に落ちます。^^
もっとも星狩さんは、いつだってそうしてくださっているんですよね。^^

『安部さんのマトモさ』という形容には、私も、一目見たときには
「え~~~っ!???」と思いましたよ。(笑)

『まじめな顔で、強烈な冗談を放ってすみませんでした』

ほんとですよ!びっくりした(笑)
あとのコメントで、星狩さんのここのとこ読んで、思わずぷっと吹き出しちゃいました。
私は星狩さんのお姿も存じ上げないんだけれど、澄ま~したお顔して、こういう
痛烈な冗談おっしゃる方かと、そのお顔想像して可笑しくなってしまった。
星狩さんは、実際会ってお話しすると、茶目っけのある方なんだろうなあ…。^^
私も、本質的には、落語とかそういう『くすぐり』というような笑いが大好きなので、
政治がおかしなゆえに、いつもいつも星狩さんとこういう難しいことを
渋面作って語っているというのは残念でなりません…(苦笑)
そういえば、あんまり、映画とか本とか、音楽とか、…そういった話を
する暇がないですねぇ。

話を元に戻して。
んさんにも書きましたが、しかし、実際、安倍さんらは本当に巧妙になりました…
第一次政権の時の失敗を二度繰り返さない、どうしたら、自分たちの望む方へ
持っていけるのか、本当によく研究し、粘り強く鉄面皮に、反対の
言論は無視無視。突き崩して行っている…

…それに対し、確かに、反対派の戦い方は一本調子。
あの60年安保の頃から少しも変わっていないし、むしろ退行している…。
『原発反対!』『戦争ハンタイ!』と声を上げれば上げるほど、世の中のムードは
こちら側へ靡いてくれるどころか、むしろしらけられて、安倍支持が逆に増えて行く始末。

…そういう現実は、私も痛いほど感じています。
私自身は、長年の活動家ではない。
少女の頃から漠然とした反自民・反体制の気質はなぜか持っていたけれども、
実際の運動には全くと言っていいほど関わってこなかったし、むしろ政治的なことには
無知で無関心でした。
少し目覚めたのが、チェルノブイリからかな…9.11で目を開け、
2011年3月11日に、決定的に目覚めました。
そんな政治的経験の浅い私ではありますが、その私が知っている数年間でさえ、
『いわゆるリベラル』は押しに押しまくられて今の体たらくです。

こういう運動の形態でいいはずがない…
それがいつも私が戸惑い…立ち竦み…絶句してしまうところです。

デモに行ったって、国会前などに人が何万人集まろうと、政権には痛くも痒くもない。
それはそうだろうなぁ…60年安保の時には数十万という人が集まって
圧力をかけても、結局改訂されてしまったのだから…
安倍さんは、その時のお祖父さんの姿勢から、『じっと時が過ぎるのを待っていさえ
すればいい。民衆はすぐにあきらめて去る。そしてすぐに忘れる』ということを
しっかり学んでいるのでしょう。
3.11前の20年ほどにわたる反原発運動も、同じでした。
あの頃は、原発推進側の大物たちにさえ一目置かれるような、高木仁三郎という
優れて強靭な科学的精神を持つ、反原発の象徴的人物がいたけれど、それでも原発を
止めることも減らすことも結局できなかった…。

今は『さらに退行した』ですね。
残念ながら。

けれども。
ここからが、星さんとも玄さんとも、私がちょっと違うところなんじゃないかな
と思うことです。
もう私が何を言っても、お二人が驚かれたりなさることないと思うので
そして、これまでのお二人との間に生まれた信頼関係からしても、構えることなく
安心して書き、またお訊ねするのですが、
正直に言いますが、
私は、今一つ、お二人がおっしゃる『リベラル』の像が、正確につかめてないの。
普通に日本での定義というと、『リベラル』って漠然と『中道左派』というようなものの
ことですよね。例えば民主党左派支持者のような。
しかし、そういう狭い定義でなく、『国会前などに集まって声をあげている人々』
というようなものを広く指していらっしゃるのなら、共産党もその支持者も入るのかな。
いわゆる『左翼』も入るのかな?
そこのところがいつもはっきりしないので、ときにお二人にくっきりと答えられない、
ということが起きてしまうのです。
お二人が具体的にイメージする『いわゆるリベラル』って、どんな人々のこと?
お二人には明確な像がある、私にはいまいちその定義ははっきりしないでは、
これからまた議論していくにしても、微妙なすれ違いが存在するまま議論を進める、
ということになってしまうかもです。

初歩的な質問を今頃になってして、のけぞられていらっしゃるかもですね。(笑)
「え~~~ッ!それがわからずに、今まであたしたちと議論してきたの~?!」って。

まず、私についてですが、私自身は、政治的人間ではこれまでなかった。
ただ、何か社会事象がひとつ見えてくるたびに、その都度、
『自分はこう思うなあ…』と自分なりに考えて意見を持ってきただけで、
それがたまたまことごとく自民党とは反対の意見だったにすぎないの。(笑)

政治にそう関心がなかったので、あまり政治思想史なども詳しくないです。
だから…
『リベラル』という言葉が曖昧に表す概念というか、具体的にどういう人々を
指すのかも、自分の中では確立してないの。
自分をリベラルだと思ったこともないし、そういうふうに定義づけたことも
以前はありませんでした。3年ほど前、W氏に『彼岸花さんはいわゆるリベラル
というのでしょうかね』と言われて、はじめて、「あっ、そうなのかな?』と
思ったくらいです。自分じゃサヨク的なんだと思ってた。(苦笑)

私はここでいろんなテーマについて書きますが、玄さんも星さんもおわかりくださる
ように、たまたま、自民党政権がかくも長く続いてしまって、その弊害が
社会のあらゆるところに見えてしまうがゆえに『反自民』になっているという
それだけの単純なことなんです。
星狩さんが、

『そうした営為が、「アンチテーゼ」の位置に来るだなんて、
いまある現実がどれほど歪んでいるかをそのまま物語っていますね。
自国の憲法を守ろうとすることが、この国では反体制で反政府とは。』

と、まさに書いてくださった、それなんです!

でね。
その…星さんや玄さんがおっしゃる『リベラル』の像が、私にははっきりしないんだ…
玄さんや星さんが、『リベラル』批判をなさる時に、私がいつもなんとなく曖昧な
反応しかできないのは、そこのところに原因があるの。
お二人は、『リベラル』という時、いつの時代の頃からのまあ反対運動というか
言論というか活動というか、を指して言ってらっしゃるのかな?
60年代安保闘争くらいからの運動ですか?もっとあと…最近の運動?
それとも、戦前の言論人や反政府運動にまで遡る?
どこら辺の時代で線引きをしていらっしゃいますか?
具体的に人物名を上げられるなら、誰らから以降を、『リベラル批判』の対象に
してらっしゃる?
同じ時代でも、ある人は尊敬に値しある人は批判の対象になる、ということなのかな。

無論、お二人のお考えもまた、それぞれに違うでしょう。それが当然ですよね。
でも、もしよかったら、これからの議論をはっきりさせるためと後学のために
お聞かせ願えると嬉しいです。


お二人とこういう政治社会現象について語る時、私はお二人のおっしゃる『リベラル』を、
漠然と『戦後民主主義』というようなもののこと、と理解して語って来ました…。
とりあえず、昭和20年8月15日以降の、日本人の身の処し様、というところから
およそ論じているつもりなんです。
勿論、おふた方はわかってくださってると思いますが、そこから語る裏には、
いつも戦前戦中の日本人への視点は忘れたことはありません。8月15日で
がらっと日本が変わったわけじゃないし、戦後のありようのすべては
戦前戦中と連続し、そこに根ざしているわけですから、そこまで遡って
いつも考えるべきなんだろうと思っています。
歴史を明治の頃まで遡って考えざるを得ないと思うことしばしばです。

ただ通常は、お二人と『リベラル』について語る時は、『戦後民主主義の
矛盾点』を念頭に置いて語っています。

しかしながら、私は、今までの記事で、なかなかまだ本質部分について語れないでいます。
その本質部分、とはなにか。
日本の敗戦処理と戦後の生き方の選択について、です。
それは当然のこと、天皇制と、日本国憲法。そして国防とアメリカなども含みます。
憲法については、実は少しは語っているけれども、でも、まだ十分にじゃない。
ずうっと書きたい、書かなくちゃ、と思いながら、まだ書けていない。

でも。もう、ずばりと本質(私にとっての)に迫るときが来ているのだろうな、と
自分でも思っています。もう時間がない。
時間がない、というのは、私の年齢のことも無論ありますが、参院選(おそらく
衆院選も)が近いからです。
憲法改正の国民投票も目の前に見えて来てしまっているからです。

私の思考法って、いつも一つのことからどんどん広がって、取りとめもなく
範囲を広げていくというふうに見えるでしょうが、私の中では必ず最後に、
出発点に帰りつくようにしているというか、まあ、いわば、
帰納から演繹に最後は収束していきたいというか、
自分の中では、帰りつくべき点はいつもはっきりしているんですね。
ところがいつも、あんまり範囲を広げ過ぎて、なかなか本質に還れない!(笑)
おふた方は、その私のもどかしさを、書かずともいつも察してくださって、
『ああ、こういうことが言いたいんだろうな』と正確に捉えてくださるから
本当にありがたいと思っているのです。

しかし。私がなかなか本質に迫れないでいる態度。
それこそが、お二人が『リベラルの罪』という言葉で表現していらっしゃることと、
実は、ぴたりと重なるんじゃないだろうかと思っているんです。
『リベラル』という言葉を使わずとも、要するに、戦後の日本人が曖昧なままにして、
天皇制も、現憲法の本質的に抱える矛盾のことも、アメリカとの関係も、
『正見する』のを避けて来たこと、と言えるでしょうか…。


…それについては、これからぽちぽち私なりの考えを書いていきたいと思います。
時間がとてもかかると思いますが。


次に。
私が、星さんとも玄さんとも違うのかな、と思う点は。

『リベラル』の定義をおふた方にお伺いしてからの方がいいかなとも思うけれど、

戦後の日本の歩みをですね。今に至った歩みをですね。『リベラル』の態度
に特化して論じることに対して、問題はそこなのかな?とどうしても思ってしまうんです。

日本を作って来たのは『リベラル』と言われる?人々だけではないですよね。
戦中から揺るがぬ左翼の人々などもおそらくいて、安倍一党のような人々が一方にいて、
また、それこそ一番比率としては多く、それらのどれでもない人々が存在する。
この国の来し方、この国のありようを考えるときに、私は、これらすべてを念頭に置いて
検証したり考えてみたりする必要があると思うんですね。

私が遠回り…とんでもない遠回りをして、火野葦平などの戦争文学から、この国の
今を説き起こそうと、一主婦にしては無謀にして壮大すぎる試みを企てたのは、
軍部も政治家もインテリもへったくれもない、要するに、すべての市井の人間も
含めたすべての日本人が、戦前戦中をどう生きて、戦後をどう生きようとしたのか、
というところから、現在の日本を見てみようと考えたからなんです。
星さんがかいてくださったように、すべてが一筋の糸でつながっているように思うから…。

『リベラル』論に傾くと、それ以外の人々を議論の圏外においてしまいますよね。
私は、『リベラル』とかそういうことを抜きにして、いろんな人に語りかけたい。
大事なのは、『リベラルがどう処するか』ということじゃなくて、そんなことを
超えて、みんなに考えてもらわないといけない時が来ているとおもうんですね。

もちろん、星さんが、そんな狭い意味で『リベラル批判』をなさっているのではない
ことは重々承知しています!

どうしたら、政治に関心のない人々が、自分たちの生活と実は致命的に直結した
政治のことを、単なる『経済』や『景気』の側面からだけではなく考えるようになるのか。
どうしたら、政治に失望した人々に、もう一度政治への関心を呼び覚ますことが
出来るのか。迷っている人々と一緒に考えていけるのか……。
私のテーマが、あっちへ飛びこっちへまた戻り多岐にわたってとりとめもなくなるのは、
その焦りが私にあるからかもしれません。
戦争も、沖縄も、原発も、TPPも、労働問題も、少子化も、貧富の差の拡大も…
すべては繋がっているよ、同根だよ。そしてそれは、みんなの生活と未来に
密接どころじゃんない直接に関係しているよ、ということを、なんとか伝えて、
政治に目を向けてもらいたいと思うからなの。

私のひとつひとつの記事が、本論になかなかいつも入らず、その大元の歴史などの
ところから回りくどく解き起こして行こうとするのは、みんながみんな、
そのテーマについて詳しいわけではないでしょうから、
その予備知識のようなものをまず示しておきたいと思うからなんです。
無論、自分自身が勉強して確認しておかねば、ということが一番の理由ですが。
ここにいつもおいでくださる方々は、私とほぼ同じような考えの方たちでしょう。
だから敢えて長々と書くまでもないことなのかもしれないけれど、通りすがりに
見てくださる方もいらっしゃるかもと思って、書いています。

10日に星狩さんが書いてくださったコメント。後半部の、私について書いて
くださったこと。「ああ、星狩さんは(むろん玄さんも)、私の言うに言われぬ
想いの底を、本当によく察してくださってありがたいなぁ…」と、心から感謝
感謝です!星さん少々褒めすぎですが(笑)。



…話が長くなりました…。
結局ね、いろいろ書いてきたけれど、星さんと玄さんと…、私と…
願うところは同じだと思うんですね。ここにいらっしゃる皆さんもです。
アプローチの仕方と、立ち位置が多少違うだけなのかなと思う。

そのアプローチの仕方について。
ここはおふた方と違うかなぁ…と私がいつも思うことは、
お二人は、長い目線で大きくまた広く根源的なところを見てらっしゃるのに比べ、
私は、いつも急いでいる、というところでしょうか。
それは私の年齢ということもあるのでしょうが。

私は、社会を変えていくのに、今ある制度なり組織なりをなんとか改善していこう
とするんですね。
例えば、今の社会が悪いのは、『民主主義』の理念そのものが悪いのではなく、
それをまだ実現していないだけなんだ、と考えるんですね。
だから、なんとか民の努力で、それを理想に近いものに磨いて行こうとする。

そのことにずうっともう何十年も失敗ばかりしているにもかかわらず、です!
それこそ、まさに、星狩さんがお書き下さったように、

『愚の骨頂は「大和魂があれば勝てる」と思い込むことですが、
困ったことにリベラルさんたち、なぜか戦中のメンタリティとそっくりなので、
今後についても、ものすごく懸念しているところです。』
『「戦争反対」が戦争を招いてしまう』
『「自信」とか「自己肯定感」で心を満たし、「成功体験」を積み重ねなければ、
前に進めない。』

という、『精神論でなんとかできる』とか、『小手先の改革でなんとかしていける』と
思いがちな…、故なき楽観とか希望とかの『リベラル』の悪しき宿命、に、
私もまた嵌まり込んでいるのだろうと思う。
ところがお二人はそうでなく、その根本理念のところから考えなおしをするという
視点に立ってらっしゃるように思います。

『民主主義』は例として適当でないかな。
何を例にすればいいだろう……
ともかく、今の『反安倍派』のやり方ではだめなんだ!ということの認識が、
私はまだ甘いのだろう、というところが、お二人との一番の違いなんだろうと
思っています。

私は、まだ絶望が足りないのだろう…。そこかな!



多分ね。20年30年というスパンで、私はものが見られないのよ。年齢的に。
近視眼的になっているのかな、と思います。

それは、こういうことから来るんだろうと思うのです。
私は、20年30年という大きな無駄をしたくないの。
『今すぐ』。なんとか少しでも改善したいんだ。
だから。小さな成功でも良しとする。小さな成功を積み上げて、理想に近づいて
行こうとする…

そこですね。お二人との違いがあるとすれば。
それこそが、『リベラルの陥った陥穽』かな?!(苦笑)

なぜ、そう急ぐのか。それは、目の前に改憲が迫っているからです。
一度部分的にでもそれこそ自民党の誰それが言ったように、『国民投票を経験していただく』
ならば、我が国民は,おそらく本当に一気に抵抗する心を失ってしまうだろう。
安倍自民党の改憲案など、ほんとすざまじくひどいものです。
でも、それがいったん通ってしまったら、それを元に戻すのは容易なことじゃない。
それこそ、20年、30年の戦いが必要になってくるだろうと思います。

星狩さんがまさにお書き下さったように、

『自ら播いた種から生えた毒麦を刈り取らされる労苦は、終わりなく・・・ 』
『みんなで手に手に、自由の鎌、人権の鎌、民主主義の鎌、立憲主義の鎌、
平和の鎌、平等の鎌、個人の尊厳の鎌・・・を握って、毒麦(安倍政権や日本会議的なもの)
を根こそぎ刈って、燃やす。
知らんぷりすればするほど、毒麦が際限なく蔓延ってきて終わりがない』

そういう状態になってしまうと思うんですね。
私が、急ぐのは、そうなってしまってからでは、毒麦を刈り取る努力も
燃やす努力も、今すぐ国民が立ち上がって刈り取るより、何十倍も何百倍も
悲壮な努力と艱難辛苦を要するようになってしまうだろう、と思うからなんです。

この政権は、今や、絶対多数の与党で数の力でなんでも押しきれるだけでなく、
ジャーナリズムも教育も掌握してしまっています。
その二つを握られてしまったら、民衆の思考力・抵抗力は、おそらく10年、20年
という時の単位で歪められ、殺がれて行き縮小していって、それを
今のレベルにさえ戻すことにも、大変な戦いが必要になってくるだろうと思うんですね。

私はそれを恐れるのです。
そう。ちょうど翼賛政治に至る前に既に、徐々に徐々に、国民の思考力や
言論の力が歪められ奪われて行って…どんなにおかしなことがまかり通って行っても、
もう誰も、何も言えなくなって行ってしまったように…。
おかしなことがおかしいとさえ思われなくなっていってしまったように。
昭和20年には、食糧どころか棺桶も不足し、なんと棺桶を使い回ししていたといいます。
『そのうち霊柩車に使う燃料さえなく、国民は死者を自分の庭に埋めなくては
ならなくなってしまうだろう』と、『暗黒日記』に清沢洌は書いています。
それほどの状況にあってなお、ジャーナリズムはまだ戦果を書きつのり、
『一億総玉砕』を煽って、国民もその気になっていた……。
50%以上…ううん、もっともっとの確率で、日本はそこまで突き進んでいたでしょう。

『なんとかまだなる』自由のあるうちに『何とかしなければ!』と私は焦るんですね。
自民党を今すぐ倒すのは無理かもしれない。
でも、彼らが改憲出来ないように三分の二のラインは防ぐことはまだできると思うのです。
もっと日常的にあらゆる方法でジャーナリズム批判を国民が行って、
国のいいなりにならないようにすることもまだできる。
教育を、『戦前帰り』させないように、激しく抵抗することもまだできる。
巷に今増加しつつあるヘイトと自粛の空気を糺すことも、まだ今ならできます。
出来ることは、まだまだ多いと思うんですよ。

『「現実が絶望であること」と、「だからあきらめる」ことには、
なんの関係もないのです。これを結びつけたら、それこそオシマイです。』

と、まさに星狩さんがお書き下さったように、諦めている暇などないと思うんですね。

だから。『リベラル』のやり口は確かに生ぬるく不毛かもしれませんが、
手法をがらっと変えることもできると思うんです。それがありさえすれば。
それこそ『リベラル』もそうじゃない人々もへったくれもない、みんなで
問題意識を共有して知恵を出し合っていかなければ、と思うんです。

星さんや玄さんにだから、こういうことも敢えて言わせていただくのですが、
今は『リベラル論』をしている暇さえないと、私は切羽詰まった思いでいるの。
それほど相手が肥大化して強くなっていっている時だからです。
星さん、玄さんは、『そういう馴れ合いの寄せ集め集団では、またこれまでと
同じようにすぐに分裂瓦解する。ここは時間をかけてでも、草の根からの
積み上げで、揺るがぬ組織を作っていかねば』とお考えの立場ではないでしょうか。

私も、草の根の活動の積み上げ直しは、絶対に必要だと思っています。
ただ、違うのは、既存の組織も否定しないで、大きく大きく団結するという…
そこのところの考え方かなあ。


玄さんと星さんに教えていただきたいことがもうひとつ。

『立憲主義の破壊、法治国家の破綻、民主主義の根幹を崩壊させる、
万人の目に明らかな横暴に対して、声の限り正論を説いても誰も聞かない。
それはなぜなのか?自分のアタマで考えて、対抗策を練るべきです。』
『なにも考えない、無防備無計画無鉄砲で、場当たり的な特攻はもうやめて、
それこそ息長く、斬新な、計画的戦略によって、巻き返しを計ってほしい。
草の根ファシズムには、草の根デモクラシーで対抗するべきです。』

と、星さんはお書き下さった。今言ったように、私もまったく想いは同じです。

星さん、玄さん、(そしてこれを読んでくださる皆さんにも)お訊きしたい、
教えて!、というのはそのことです。
どのような斬新な戦略があるとお思いになる?
何かいいお考えがおありなら、ぜひ聞かせてください。
私は正直言って、行き詰っています。
無論自分にできることは何でもやっていきたいけれど、なかなか従来の活動の
範囲の発想から出られない。

『草の根デモクラシー』も、これまでの活動家の方々は、必死でやってこられたと
私は思うんですよ。今も、一所懸命だと思うの。
加藤周一さん、鶴見俊輔さんらが立ち上げられた『九条の会』などは、もともと
そうですよね。
それから、今、日本全国で、ありとあらゆる分野の学者さんたちが立ち上がっています。

星狩さんはお書き下さいました。

『良心的メディアだけでなく、正統で権威あるアカデミーにも立ち上がって欲しい。
この国から全人格的な基礎教養と、人間教育を奪ってはならないと思います。
それこそが、民主主義社会と自由な人格の土台になると思うからです。』

まさにまさに!!!私もまたこの夏、ずうっと思ってきたことです。
記事にもしてきました…

安倍政権の偏狭でゆがんだ『教育観』に、この国の未来をも預けるわけにはいかない!
そういう危機感を持って、この夏、多くの学者さんたちが、珍しくも象牙の塔から出て来て
声を大きく挙げてくれました。
また、法治主義そのものを破壊するこの政権のやり口に危機感を持って、
法曹界の人々も、この夏は立ち上がりました。
でも、反知性主義の政権には、日本の『知』の結集さえ、痛くも痒くもないようだ。

結局、この国を変えるには、多くの国民がいろんな世の中の仕組みのことを
学んで知って、『自分の頭で考えて』自ら立ち上がるしかないのですね。

でも。それをどうやったら、そう持って行けるのか……。
『~するしかない』と口で言うのは簡単なんです。
私も今、そう口にしたばかりだけど。(苦笑)
『~するしかないね』と、達観したように言い合い、頷き合っているだけでは何も進まない。
口で言うだけでなく、実際、なにをどこから手をつけることができるのか…
それを考えなくっちゃ。

皆さん、どうか、お知恵を貸してください。お知恵を出し合ってください。


う~~む。

語っても語ってもきりがないですね。

議論というものは、その人の『精神の程度』というものをもろにあらわにしてしまいます。
玄さんや星さんが、いつも虚心坦懐に書いてくださることを、時に私は曲解したり
大袈裟に受け止めすぎちゃったりすることがあります。
それは、私の精神が、ある高みに達していないからだろうと思う。
今回もまた、お二人の素直な意図を受け止めそこね、お二人の想いと違ったことを
書いてしまったり、失礼なこと言っちゃったかもしれません。
どうぞお許しくださいね。
それから、まだお返事していないこともありますが。
おいおいまた、これからのお話の中で語らせてください。

信頼してるから、勝手なこと書けるんであって!(笑)
これからもどうぞよろしくです。そして。いつも本当にありがとう!

それではおやすみなさ~い♪
返事が遅くなってごめんなさいね。
え~ん。歯が痛いの~~~!(泣)。

Re: 星さん、玄さんへ

今晩、あとでゆっくりできるようになってからお返事させてくださいね~。
ありがとう~~~♪

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ありがとうございます

彼岸花さま、お読みいただきありがとうございました。

そういえば昨年末も、ちょっとした齟齬がありましたよね。
師走のせいでもあったからか、あまり時間がない中で、
細部まで見直しをしなかったことも、一因だと思いますが、
お気持を混乱させ、とんでもないお時間を取らせてしまいました。

こうした行き違いは、ネット言論にはありがちですが、
長文を書く人間としては、言いたいことは山ほどあるのに、
言葉を尽くしても、なお書き足りないわけで、読む側も大変なのは確かです。
このもどかしさや不安は、お互いの文章からも、常にひしひしと
伝わってくる悩みです。いちばん必要なのは、考える時間でしょう。

これからも、もし見過ごせない誤解やすれ違いが生じたときは、
率直にお話いたしますし、彼岸花さまの方からもお願いいたします。

>ごめんなさいね。星狩さん。
 こう書いたからってあなたに反論しているわけじゃないのよ。

いつもこんな風に、丁寧にお気遣いをしてくださいますが、
私としてはご反論、ご批判、いつでもビシバシOKであります。
暴論妄説でもないかぎり、気を悪くすることなんてありませんし、
彼岸花さまとは、理性なき「嵐の大ゲンカ」になることもないでしょう。
これから書かせていただくことも、あまり気になさらないで下さい。

今回のコメントですが、一部だけ反論ではなく、ご質問させていただきます。

>けれどもね。星狩さんと私とでは違いがある気もいたします。
 私は、やはりこれからも声を上げ続ける方を選んでいくと思うのです。
 負けて砕けるとわかっている戦いであっても、です。

この部分、わたくしは彼岸花さまと、まるごと同じ考えでありまして、
「星狩さんと私とでは違いがある気」が、全然しないのであります。
もちろんここだけではなく、コメント全体についても、ほぼ同意できます。

ですから、ぜひとも率直に具体的に、ご指摘いただきたいのです。
私のコメントの、いったいどの部分を、どのようにお読みになられて、
「違いがある気」というご感想を、お持ちになられたのでしょうか(TT)
私たちの意見は、たびたび異なることはありますが、それは構わない。
けれども引用した部分は、どうも釈然としないのです。

う~む、もしかすると・・・「覚悟」という言葉が、あきらめを意味すると
思われたのでしょうか。(そういう意味で使っている人もいますので)
私にとって覚悟とは、艱難辛苦を進んで引き受ける気概のことです。

私自身、この攻防に勝ち目なんてないと、100%分かっております。
それでも闘うのは、勝つためではなく、絶対に降伏しないためです。
でもそのためには、これまでと同じことをしていたのではダメです。
ウンザリさせられるのは、今のままでは、来年の参院選でも
また同じ風景と言説、笑顔と開き直りが、くりかえされるであろうこと。

「絶望」とはなにか。第一に、私たちを取り巻く現実認識のことです。
ですから、「現実が絶望であること」と、「だからあきらめる」ことには、
なんの関係もないのです。これを結びつけたら、それこそオシマイです。
人間、外の風景がそのまま、内面の風景になるとは限らないですからね。

心ある人たちが言われる、「絶望せよ」「絶望が足りない」という叱責も、
「ますます酷くなる現実と、自らの負うべき責任から目を背けるな」
という意味でしょう。今の状況を、絶望的と思えない人の目は曇っています。
けれどもそのことが、ひととびに「なにやっても無駄」に繋がるとしたら、
その人は絶望や暗闇が持つエネルギーを知らないのだと思います。
覚悟や智慧や気づきというものも、そこからしか生まれて来ないからです。

「自業自得」ならば、もうなにもせず、黙り込むしかないのですか?
「おまえらの自己責任だろうが」と見棄てて、放っておけばいいですか?
断じて否です。彼岸花さまご自身も、そんなことは書いておられません。

それどころか、私がリベラルの罪を問い、自業自得だと難じたのは、
彼岸花さんが書かれた次の引用と、まったく同じ想いからです。

>戦後70年というものを仕切ってきたとりわけ年寄りたちには、
どうにかする、責任があると思うんですよ…
それらより若い人々にだって、自分たちの生きていく世界を
これ以上ひどくしないよう、努力する必要がないとは言えないでしょう。
まだあきらめるわけにはいかないんじゃないかなあ?

この文章、一言一句まで、私もまったく同じように考えます。
加えていえば、こんな日本にしてしまった自分たちの非を認め、
深い反省とともに、戦争での犠牲者たちと、戦後を守ってきた人たちと、
未来の世代に対する贖罪の気持をもって、覚悟を貫いてほしいです。
「あきらめ」なんてものは、入り込む余地もないはずですけど・・・
恥ずかしながら、自分の文章を説明させていただきますと・・・

>自ら播いた種から生えた毒麦を刈り取らされる労苦は、終わりなく・・・

これはですね、みんなで手に手に、自由の鎌、人権の鎌、民主主義の鎌、
立憲主義の鎌、平和の鎌、平等の鎌、個人の尊厳の鎌・・・をしっかり握って、
毒麦(安倍政権や日本会議的なもの)を根こそぎ刈って、燃やしましょう。
知らんぷりすればするほど、毒麦が際限なく蔓延ってきて終わりがないよ・・・
私としては、ものすごく積極的な、前向きの意味合いをこめているのです。

これがシシュフォスの徒労になるかどうかは、それこそ私たちが、
忍耐と犠牲をいとわず、艱難辛苦の道を選ぶか、考える重圧を放棄して、
従順で幸福な奴隷の道を取るかに、掛かっているのではないでしょうか。

そうですねえ、この件でわたしたちに「違い」があるとしたら、それは、
私が、差し迫った問題(参院選、戦争法、改憲)に、全力で取り組みながらも、
おそらく敗れると見て、それからあとも、20年、30年でも抵抗すべきだと、
そういう長期的な観点から見ていることでしょうか。
でも「敗れると見て」いるのは、「だから諦める」という意味ではないのです。
困難な現実を冷静に受け止めることと、それを阻止しようと抵抗することは
矛盾しません。愚の骨頂は「大和魂があれば勝てる」と思い込むことですが、
困ったことにリベラルさんたち、なぜか戦中のメンタリティとそっくりなので、
今後についても、ものすごく懸念しているところです。

以上、誤解を受けたかなと思われる部分についての説明でしたが、
ぜんぜん的が外れていたら、申し訳ございません。

なお、ひとつだけ疑問点がありましたので、おうかがいいたします。

>なんて言うのかなあ…意地になってるとかそういうことではないんですよ。
社会にね、アンチテーゼを出し続ける存在というのは、常に必要だと・・・

私もまさか、彼岸花さまが、意地になってお書きになっているとは、
思ったことも感じたこともないのですが、さらに素直に申し上げれば、
「アンチテーゼ」のために、議論されているわけでもないでしょう。

それよりも私が感じるのは、彼岸花さまは、「アンチテーゼ」どころか、
さらに根源的な真実の探求、歴史への責任、普遍的な価値の実現のために、
自分と闘いながら書いておられるのではないかと、思っているんです。

戦争を繰り返し、血みどろでありながら、それでも失敗と成功のなかで、
ここまで歩んできた人間が愛し、求め、死を賭して守り抜いてきたものを、
大切に受け継いで、さらに花咲かせて、伝えてゆきたいのではないかと、
そんな風に感じているんです。彼岸花さまの記事を読ませて頂いていると、
個別の問題を扱いながらも、こうした視点に全体が貫かれています。
私がもっとも共感と魅力を感じるのは、そこなんです。

そうした営為が、「アンチテーゼ」の位置に来るだなんて、
いまある現実がどれほど歪んでいるかをそのまま物語っていますね。
自国の憲法を守ろうとすることが、この国では反体制で反政府とは。

文章が長くなってしまわれるのは、全体を語ろうとされるからで、
表層に浮き出た一角は、物事のほんの一部で、本当に語られるべきは、
隠されているさらに根本部分・・・でもそれを言葉にするのは、とても難しい。
そのへんの、暇つぶしに消費する文章ではなく、読者にも覚悟が必要です。
筆者と読者が忍耐強く向き合って、時間をかけながら理解してゆく味わいこそ、
彼岸花さまの記事の真骨頂です。これからもよろしくお願いいたします。

なお、話は変わりますが、彼岸花さまには、私がありたけの皮肉をこめて、
「安倍さんのほうがマトモ」と言った、その意味をですね、、
じゅうぶん的確に読みとっていただき、ありがとうございました。
まじめな顔で、強烈な冗談を放ってすみませんでした。

まったく、あの連中の「戦後日本」に対する、おそるべき復讐劇は、
壮大で、周到で、執拗な知略のもとで、着々と進められてきたもので、
ちょっと騒いだくらいではビクともしません。感服まではしないけれど、
それでも70年間の屈辱に耐え抜いて、いま宿願を果たそうとしている、
並々ならぬ信念とエネルギーには、見習うべきものがあると思いました。
あの惨めな腹痛辞任から、ここまで立ち直った安倍さんも偉いですなあ。
(誉めているんじゃありません。私らは、連中にも劣ると言いたいのです)

立憲主義の破壊、法治国家の破綻、民主主義の根幹を崩壊させる、
万人の目に明らかな横暴に対して、声の限り正論を説いても誰も聞かない。
それはなぜなのか?自分のアタマで考えて、対抗策を練るべきです。

なにも考えない、無防備無計画無鉄砲で、場当たり的な特攻はもうやめて、
それこそ息長く、斬新な、計画的戦略によって、巻き返しを計ってほしい。
草の根ファシズムには、草の根デモクラシーで対抗するべきです。

良心的メディアだけでなく、正統で権威あるアカデミーにも立ち上がって欲しい。
リベラルが腑抜けなのは、気分が盛り上がっても、学問が上面だからでしょう。
この国から全人格的な基礎教養と、人間教育を奪ってはならないと思います。
それこそが、民主主義社会と自由な人格の土台になると思うからです。

Re: んさんへ

んさん。こんばんは♪

んさん、んさん。「マトモな安倍さん」って痛烈な皮肉ですってば。(笑)

でもねえ。野党特に民主党を見ていると、安倍自民党は、第一次政権の頃と
比べて、本当に巧妙になったなあと、口惜しいけれど感心しちゃいますよ。
きっと超一流の宣伝スタッフもついて、隅々まで演出するのに加わっているのでしょうね。
私は大っきらいだけれど、菅、高村、という知恵者というかなんというか、
策謀家もついていますしね。

まずは人事に徹底して手をつけて、自分たちの思う通りに動く者を
大事な要のところに配しました。
黒田日銀総裁。横畠内閣法制局長官。籾井NHK会長。大事な教育関係には
ツーカーの下村文科大臣。
これまた大事な株価上昇に資するよう年金積立金管理運用独立行政法人の人事は
総入れ替え。経団連会長も前の米倉氏はちょっと気骨があったけれど(私は嫌いでしたが)
今度の榊原氏は安倍さんにべったりですしね。
彼等は今、お金も数も権力も何もかもを握っている。なんでも出来る状態です。
参院選に向けて、低所得者に3万円ばらまくこともできるし、同じく選挙向けに、
軽減税率も加工品にまで広げようとしている。
いやなことまずいことも現政権の強みと勢いで握りつぶしてしまう。
国民がデモでどんなに叫ぼうと、屁とも思わないでいられる。
なんせ、現憲法を重んじていないから、違反も平気なんですから。

どんなに反対勢力がキャンキャン吠えたてても、もうびくともしない。
例え、異例でも、臨時国会なんか開く気さらさらなかった。
まずいことはとにかく、時が来れば、過ぎて行ってしまうことを、この3年間の
政権運営でしっかり学習してしまったんですね。
そして軍備増強も、TPPも、オバマとの関係修復も、一応中国韓国との
党首会談も…何もかもを着々とやり遂げてきています。
口惜しいけれど、認めざるを得ない。

『今まで、さんざん自民党に煮え湯を飲まされて民主の1回のチョンボ(まあ、確かに酷過ぎたチョンボだけどね)でまた「自民党選ぶか?」と思うし。』

ほんと!ほんとそうですよね~~~!
私もそれがわからないのです。ほんっとに、それが理解できない……

まあ、これは、日本国民だけでなく、世界のいろんな国で起きてることなのかも
しれないけれど、国民というものは概して左派的な政権には妙に厳しいような
気がします。
国民目線に立って一所懸命やってくれていた政権に、速く飽きるというか、
なぜか変化をすぐ望む。そして、ほんと、一回のチョンボも許しませんよね。
原発事故だって、そもそも自民党が引き起こしたようなものなのに。
民社党は、たまたま政権に着いた途端に、東日本大震災に遭遇してしまった。
無論、民主党のやり口は不慣れでまずいこといっぱいあったけれど、少なくとも
国民目線でやって行こうと必死でしたよ。
日本にようやく自民に代わり得る政党が出来てそれが政権についたばかりの時に
東日本大震災が起こったのは、被災地の方々にとっては無論のこと…日本にとっても
巡り会わせが悪かった、としか言いようがありません。

民主は、まだわかっていないようだなぁ。国民が彼等に何を求めているかを。
情けないったらないですね。
民主は、前原、細野らを追い出さないと駄目です。そうすれば少しは良くなるかも。

しっかし本当に、沖縄へのやり口はひどいですねえ。
いっそ、今日の新聞にも書いてありましたが、日本は独立国じゃなく、
アメリカの属州になってしまった方が、アメリカの議会や世論やジャーナリズム
の方が、沖縄のことをよっぽど真剣に考えてくれるかもですね。

う~~~……
参院選はどんどん迫ります。なにかなんとかしなくっちゃと思うけれども
一介の婆さんに何が出来るわけでもなし。(苦笑)
まあ、それでも、私、あきらめないです。またデモにも行ってきます。
署名集めもなんでもします。
みんなが黙っちゃって声を上げなくなったらお終いですものね。

んさん。ありがとうございます!





はぁ?

マトモな安倍さん?
そのマトモな安倍さんはなぜ国会を開かないんだ?

大方、開いたら大臣の辞職ドミノ連発で二進も三進も立ち行かなくなっちゃうんじゃねぇの?

まあ、日本国民がオメデタくて馬鹿揃いなのも、罪があるとは思うけどね。

今まで、さんざん自民党に煮え湯を飲まされて民主の1回のチョンボ(まあ、確かに酷過ぎたチョンボだけどね)でまた「自民党選ぶか?」と思うし。

まあ、スキャンダルだらけで足の引っ張り合いの政治屋の無様な姿みてたら尊敬も何もできないから「あえて火中の栗を拾う志のある人」は育たないわ!

そもそも、ポンコツとガラクタの寄せ集めの「民主」や「維新」に政治を任せたくないのも事実だし。

あ・・・将来に光が全く見えない点だけは納得しちゃったよ。

でも、沖縄へ負担増の辺野古問題やアメリカとの日米同盟の約束ありきの戦争法は理解全くできませんね。

Re:星狩さんへ

星狩さん。こんばんは。

そちらでの議論にも加わらせていただきたいと思いつつ、ちょっと自分の考えが
まとめられない部分もあり、意見を保留したままになっています。

本当に、2015年は、なんという年だったのでしょう…
しかし、おっしゃるように、『これが最悪』なんかじゃない、世界も日本も
もっとどんどん状況が悪くなるのであろうという予感に、私も気持を暗くしています…
右傾化…極右的な言論が力を得ていっているのは世界的な潮流でしょう。
その先に何があるのか、揺り戻しはあるのか、ほとんど期待できません…
振り子は振りきれてしまったのだ、という気がしています。

残念ながら、おっしゃる通りで、完敗ですね。
安倍さん一党の完全勝利です。来年の参院選にも勝ち、一挙に改憲に持っていこうと
するでしょう。
国民はそこで踏みとどまれるでしょうか…。
そうあってほしいと願うけれど、今の状況を見ていると、私も甘い希望は持てません…。

安倍第二次第三次政権は、あらゆる点で本当にしたたかです。お見事というしかないほど
徹底して戦略を練ってそれを着々と実行している。
それなりの成果も口惜しいけれど挙げていると認めざるを得ません。
実質を伴わない、ハリボテの成果、とは思いますが。
彼等は今、全てを掌握しつつある…。高笑いが止まらないでしょうね。
もともと経済界や官僚との結びつきは強いのが自民党だし、そこへ、教育、言論機関
までもをほぼ掌握していっています…。
オバマ政権からは、歴史認識の点でかつて冷遇されていたけれども、それさえも
今はアメリカ側の諸般の事情で、ついに後ろ盾にすることにまんまと成功してしまった。
たいした手腕ですよ。
無論安倍さんだけの力ではない。その後ろにいる者たちが、『今こそ時が来た!』と
全力で後押ししていますからね。

星狩さんがここにお書きくださったことは、その認識という点で、私もほぼ
同じ想いであると、認めざるを得ません。
リベラルの罪、ということは大きいのでしょう……
声を上げれば上げるほど、願う方向とは反対の方へ方へと現実の社会は行ってしまう
そのことに、気がつかないわけにはいきません。

けれどもね。星狩さんと私とでは違いがある気もいたします。
私は、やはりこれからも声を上げ続ける方を選んでいくと思うのです。
負けて砕けるとわかっている戦いであっても、です。

なんて言うのかなあ…意地になってるとかそういうことではないんですよ。
社会にね、アンチテーゼを出し続ける存在というのは、常に必要だと思うからです。

みんながあきらめてその声が途絶えてしまったら、いったいどんな社会が
現出するのか。
それこそ戦中の翼賛政治の復活じゃないでしょうか。
そうなってしまったら、もう誰も、恐怖で何も言えなくなってしまう。
そうなってしまったら、取り返しがつきません。
今私たちは、その大事な大事な分かれ道に立っているのだと思っています。
いや。少し『この道』にもうだいぶ踏み込んでしまっている。

でも、今なら、まだ後戻りできると思うのです。
道を進み過ぎてしまったら、もう戻れない。
そんな道を選ぶ国民は自業自得だ、と突き放すことは簡単です。
日本がかつて朝鮮半島や台湾をのっとり、さらに中国や南方アジアの国々にまで
侵略の手を伸ばして、どこかで留まることが出来ず、ついに原爆を落とされ
街々を焼き尽くされようやく戦争をやめたように、行きつくところまで行かないと
この国は自ら止まることが出来ない国民性なのかもしれない。
しかしね。行きつくところまで行けば?となるに任せておけば、失うものは
いったいどれほど大きくなってしまうことかと考えてしまうのです。

20年、30年という時を失ってしまうかもしれないです……
その失われる年月を生きていかねばならない若い人たちはどうなるのでしょう。
かつて、日本人のせいで、アジアの民と日本人たち自身が、10年、20年
という時も、果ては人間の尊厳も命もを奪われてしまったように。

戦後70年というものを仕切ってきたとりわけ年寄りたちには、どうにかする
責任があると思うんですよ…
それらより若い人々にだって、自分たちの生きていく世界をこれ以上ひどくしないよう
努力する必要がないとは言えないでしょう。
まだあきらめるわけにはいかないんじゃないかなあ?

ごめんなさいね。星狩さん。こう書いたからってあなたに反論しているわけじゃないのよ。
これはずっと私が心の内で反芻し続け考え続けていることなんです。
絶望する想いは星狩さんと同じなの。でも、表出のしかたは人によって多分
違うかたちをとるだろう。
それは仕方ありませんよね。
星狩さんだから聴いてもらえると思えることだから、甘えて書かせていただきました。

言うに言われぬ…書くに書けない思いが山ほどあって、なにを言っても言葉足らずになり、
或いは逆に、意図する以上に強いきつい言い方になりそうで、上手く書けません。
だからいつも時に長く沈黙してしまう。

こつこつ書いていくしかないんだろうな…。
私は、この大事な3年間に、あまりにも休み過ぎたのだと思います。
まだ本質的なことに一つも触れていない。
それは。いわゆる『リベラル』が逃げ回って直視せずに来たこととぴたりと重なっています。
政治情勢の進みの方が圧倒的に早く、追いつけなくなってしまっているのですが
まあ、がんばって書いて行ってみますので、またお読みくださいね。

頭と手とスムーズに動くパソコンが、もうあと5つづつくらい欲しいです!

あ。それから。流行語大賞の件は、そもそも私、全然本来関心ないんで、
記事に取り上げるまでもなかったのです。そもそもあれは一つのお遊びですし。
もし仮に『SEALDs』とか、『アベ政治を許さない』とかがとっていたら、
「御冗談でしょ」と思っていたと思います。^^
ただあれも、深読みすれば、『時代の気分』とか『願望』とかは、案外如実に
映しているのかもしれないなとは思いました。

星狩さん。いつもありがとう。

Re: クウ―ママさんへ

クウ―ママさん。こんにちは。

『森へ』。
私は、生き残っていける自信ないなあ。(笑)
環境が変わったら真っ先に死ぬ方だと思います。
神経質で、眠れない、食べられない、お腹こわす、極端な寒がり暑がり……(苦笑)
「苦笑」と書いたけれど笑いごとじゃない、ほんと弱いです。

彼女たちはまだいいんですよね。フィクションだから。
そしてあそこには少なくとも豊かな自然がある。森に入れば、木の実草の実もあるし
川で魚を取ったり小動物を捕って食べることもできるでしょう。
でも、おっしゃるように、現実のこの世界の空爆が行われている諸地域では、
食べものを手に入れる畑や森や川や、といったものさえないのですものね。
とにもかくにも難民になって、命の直接の危険から逃れるしかない。
でも、逃れた先でも、落ち着く場所もなく飢餓や寒さに怯えなければ
ならないのです…。

しかし、『森へ』のような世界は遠い未来にあり得るかもです。
ただ、私の嫌な予測では、あんなに緑豊かではないだろうと思う。
乾ききった大地に、人々はわずかな食糧を奪い合って餓鬼のように生きているだろう…
ほんの一握りの富者は、頑丈な城壁のようなものを廻らした中に、怯えつつ生きて
いるんじゃないかしら。
ほんと、SFの世界ですね。

ルース・レンデル。
名前は聞いたことあるんだけれどなあ。だから一冊くらいは読んだことあるかもです。
でも、何読んだかタイトルだけ見ても記憶にない。
基本、怖いの、私も嫌いなの~。^^

最近読んだフィクションは、島田雅彦の『虚人の星』。






No title

今年はテロにはじまり、戦争で盛り上がり、テロに終わった年でしたので、
いまも、ものすごく気分が悪いです。もう戦争は始まっていますが。

個人的に超多忙だったこともあり、今年は趣味の分野はほとんど休止、
(このわたしが)天文台には一度も行けず、庭も畑も荒れ放題、
自堕落なことをして気を紛らわせ、生活も気持も滅茶苦茶でした。
そこには、自分自身を罰したいという気持も、強く働いていたようです。

でもまだ、こんなのは最悪どころか。地獄のほんの入口でしょう。
ロダンの「考える人」は、地獄門の上で、永劫に救いなき業火に焼かれる
亡者たちの責苦を見おろしながら、苦悩している人間の姿ですよね。
これから人類が歩んでゆく方向を思うと、まったくそんな気分になります。

本来、「考える」ということは、単に頭を回転させるということではなく、
このうえなく重たく、暗く、憂鬱な、世界の苦しみや悲しみ、不幸を
わが身に引き受ける、犠牲的な行為ではないかと思います。
仏様のあの思惟の微笑も、その地獄の只中にあってこそものかと。

「何があっても大丈夫」だと信じ、すぐに慰謝と救済を求める甘え、
薄っぺらな楽観主義、潰えてもなお笑顔でいられる絵にかいた希望、
物事には必ず、予定調和の大団円、ハッピーエンド、明るい未来がなければ、
「生きていけない」とまでごねる脆弱さ・・・もし私自身に子どもがいて、
こんなことを言ったならば、それこそ千尋の谷に突き落としてやりたいです。
世の中は、人生はシビアなものだと、なぜ親は教えなくなったのでしょうか。

なにより覚悟がない。現実を受け留める、文字通りの「必死」さがありません。
なぜなんでしょうか?なぜ・・・この期に及んでもなぜ・・・わかりませんね。

彼岸花さん、
この一年で私がはっきり分かったことは・・・・・大いに悔しいけれど、
安倍さんたちのほうが、われわれより、ずっとマトモだということなんです。
あの日本会議の長年にわたる忍耐と努力、真摯さと並々ならぬ本気度に、
平和を貪ってきたあげくに3.11を迎えた日本国民は完敗したんです。

もちろん彼らの思想は間違っているので、私は同意も支持もしませんが、
しかしいまでは、日本国憲法が掲げる理想などは、すでに過去のものであり、
いくら守ろうとしても、それを説得できるだけの言葉が、もう無かったんです。
そのことが、安保法案の攻防を通して、国民の目に大曝しになってしまった。

「戦争反対」が戦争を招いてしまう、ある篤実な方のご懸念ですが・・・
これこそ私たちがいま、最も深く考えてゆくべき問題の核心だと思います。
「自信」とか「自己肯定感」で心を満たし、「成功体験」を積み重ねなければ、
前に進めないような人間は、そこで暫く、くたばっておいてくれと思いますが、
自己満足な平和と安逸より、人間にはもっと大事なものがあるはずです。

流行語大賞の候補に、「アベ政治を許さない」「シールズ」が挙げられたのも、
それらがじつは、毒にも薬にもならぬ人畜無害の代物だからであって、
この際みんなでおチャラかして、中和し、無化しましょうという意図からでしょう。
安倍内閣の支持率ももどり、あとは参院選の勝利と改憲に向けて突撃です。

私たちは、安倍さんのマトモさに優るものをもっていなければ勝てません。
多分、参院選も自公勝利に終わるでしょうし、民主は維新とくっついたので、
こちらに多少の票が流れても、さらに危険を増したというべきでしょう。
共産党は、いい墓穴を掘ってしまったと思います。

来年は、今年以上に嫌なこと、困ったこと、悪いことが起こるでしょうね。
水が低きに衝くように、さらに悲惨の度合いを加えて、真底に落ち着くまで。
自ら播いた種から生えた毒麦を刈り取らされる労苦は、終わりなく続きます。

まったく、宇宙の摂理とは完璧で、公平にできているものです。



Re:鍵コメさんへ

ありがとうございます。
メールの方へお返事させていただきますね。

No title

こんばんは〜
「森へ」読んで下さったんですね!
今よりほんの少し先の事のようで、ゾクッとしましたよね。

でも、水と火種と何枚かの服と種が有れば生きていけそうな気にもなりませんでしたか? 
あの二人の姉妹よりは、もう少しばかり知恵も持ってる気もしたり^^

その営む場さえ奪ってしまう空爆が行われている。
あの本よりもずっと酷い現実ですね。


推理小説といえば、ルース・レンデル。
初期の5冊ほどを発売を待ちかねて読んでたのですが、
あんなに怖いのに、何故 読んでたのか。
怖いの嫌いなのを思い出して、やめたんですけど(笑)

犯人が最初から分かってるのに怖いんです。
スプラッタじゅあない怖さの作家でした。

怖いけど面白いって奴です^^

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Re:んさんへ

んさん。こんばんは。

推理小説。
私もそう積極的に読む方ではないかなあ…。
エラリー・クイーンとかアガサ・クリスティとか、確かにご都合主義なところがあって、
そう何作も読む気はしませんでしたね。
所詮、作者がストーリーを組み立てた作りもの、という気がして。
伏線とか緻密に組み立てられていればいるほど、なんか作りもの感を感じて
いやんなる。
単に犯人が当てられないから口惜しいだけかな!(爆)

松本清張が好きなのは、時代と社会が描かれているからかな。
社会が描かれている、という点では、一時、パトリシア・コーンウェルの
検屍官ケイ・スカ―ペッタシリーズを続けて読んでいた時期がありました。
これもアメリカの暗部が描かれていて、驚きながら読んでいた。
でも、主人公の恋愛と犯罪がからんでどろどろして来てから、急に嘘くさく感じてきて
読むのをやめました。

他に続けて読んでいたのあったかなぁ…

児童文学は最近のものはほとんど読んでないけれど、古典的名作は読んでいます。
好きだったのは、イギリスのカーネギー賞という児童文学賞があるのですが、
この賞を取った作品は、随分たくさん好んで読んでいます。とりわけ初期のものは。
え~っと。有名どころでは『床下の小人シリーズ』とかもそうです。
もっとも好きなのは、第一回受賞作品のアーサー・ランサムのツバメ号とアマゾン号
のシリーズです。今でも時々読み返したくなる。
イギリスの児童文学は、すごくいいです。
その伝統の中から、ハリーポッターのような超ベストセラーズも生まれるんですね。
でも私自身は、ハリーポッターシリーズは2作くらいしか読んでないかな。

あ。そうそう。『ファーブル昆虫記』とかのように、昆虫、鳥、動物などを
主題にした文学は、これは今でも好きですよ~。^^

んさん。ありがとうございます。


推理小説

自分は気が短いんでしょうか?

こつこつと推理を積み重ね、地道に捜査して犯人追い詰めていくのについていけなくなって(あまりの地道さに飽きてくるんですよ)挫折を繰り返してました。

刑事コロンボは、最初から犯人が分かってて驕り高ぶったいろんな意味でのエリート階級の犯人達のミスを的確に指摘し追い詰めていくのが面白く感じてはまっていったみたいです。

ルパンやホームズ、少年探偵団は飽きる前にどんどん話が進む(ご都合主義?)ので大丈夫だったのかも?
伏線、伏線、もう一つおまけの伏線に雁字搦めの本格推理小説は最近は苦手なんですよねぇ・・・

文学小説は・・・
「坊ちゃん」「若きウェルテルの悩み」「トムソーヤの冒険」・・・うわ懐かしいやら恥ずかしいやら(笑)漱石の坊ちゃんはわりと好きだった

ところで?「ファーブル昆虫記」は何に部類されるんだろう?

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。ありがとう~~~♪
とても嬉しいですぅ。

言葉を連ねなくてもわかってくださる方がいてくれるっていいなあ。^^

私は書くものは饒舌だけれど、これでも思うことの半分も十分の一も言っていません。
常に書ききれないもどかしさがある。
むしろいつも、一番言いたいことを後回しにしたまま語らずに過ぎてしまうことが
多いかもです。
それをね、その心底の想いを汲み取ってくださって、本当にありがたいです。
私も鍵コメさんに対していつだってそうでありたいなと思います~。

もどかしいことは世の中にいっぱいありますねぃ。
ほんと。『理』が通らないことがなんと多いのでしょう。
『理想』という概念まで、死語になりつつある……

ところでPさん。いいですよね。^^
なんか、私、いつもお二人の会話聞いているとほんわかした気持ちにさせられます。
思うことを率直に言ってくれるその後で、ちゃんと信頼でつながれていることの
気持ちよさと言いますか…。

嬉しいこと言ってくれるなぁ。うんうん。そうそう。
私には身に余る言葉です。鍵コメさんに対して僭越ではありますが、Pさんが
書いてくれたような存在であれたらなあと思いますよ~。

Mのこともありがとうございます!^^
的確に捉えてくださって、嬉しいです。
えへへ。









Re:クウ―ママさんへ

クウ―ママさん、こんにちは。

あ。クウ―ママさんも、怖いのお嫌い?
私もですう。
お化け物とか血がやたら飛び散るスプラッタムービーとか好きじゃない。
映画もテレビも、そういうのは見ないです。

うんうん。寅さんはいいですよね~~~♪
私もほとんど見ていますよ。何回見てもいい。
『かもめ食堂』『めがね』などの荻上直子監督作品も見てますよ~♪ ^^

ごく最近映画館に行って見たのは、大岡昇平原作、塚本晋也監督の『野火』です。
これはね~。旧日本軍のフィリピンでの極限的状況を描いた小説ですから、
見て楽しいってもんじゃない。極限的飢餓の中でのじんにく食の場面などもありますしね。
現地の人々をわけもなく撃つシーンも出てくる…
でも、今、この映画を作ってくれる人がいるのか!と、塚本晋也監督の心意気に
感じて、これは見に行かなくっちゃなと思って行きました。
幸い、眼鏡かけてても私、視力が多分0.3とかそのくらいしかないので
あんまり細かい残酷なところがよく見えなくってまあよかった(苦笑)。
映画館の音響効果で、いちいち怖いところで飛び上がってましたけれどね。(笑)

いい映画や本はいっぱいあるけれどなあ。フットワークが悪くて。もっと
気軽に映画なんかでも行けばいいのにな。
そうそう。クウ―ママさんが教えてくださったジーン・へグランドの『森へ』。
とってもよかったですぅ。『よかった』というか、人間の未来を想わせて
ひたすら悲しかったですね。植物たちのこと描いたところは楽しんだけれど。

クウ―ママさん。ありがとう~。



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Re: んさんへ

んさん。こんにちは。

あら!んさんは、随分ご本詳しくておいでなんですね。
知らない作家ばっかりだぁ…
私、SFは、ほんと、読んでないっす。
怖いのも苦手で。(笑)スティーヴン・キングとか、クーンツとか、ぶるぶる。(笑)
映画も、『オーメン』とかああいう系統のもの見ないですぅ!

さすがに、ルパン、ホームズ、少年探偵団シリーズあたりは私も愛読してましたが。
ルパンは特に好きだったなあ!
彼の生いたちがね。心魅かれてました。
横溝正史、江戸川乱歩も読んだな。
大きくなってからは、松本清張とかの社会派推理小説というのはよく読みました…
『刑事コロンボ』のテレビは欠かさず見てましたね。

う~ん。私、なにして生きて来たのかな!(爆)

んさん。ありがとうございます。^^


Re: しほさんへ

しほさん。こんにちは~♪

はい。いろんな菊が咲きました。ほんの一むらですけれどね。^^
でも、今年は少し、草花植えるのにも慣れたので、来年はもっと手入れの仕方
覚えて、大きな株にしてやりたいです。
菊もほんとにいろんな種類がありますね~~~。
洋風のお庭にも合うものありますよ~。^^

水木しげるさんの戦争漫画は、『ビビビビ!』と、上官に殴られるシーンが
いっぱい出てきますね。
確かになあ、水木さんのような性格の方は、軍隊じゃ制裁の対象になったでしょうね。
軍隊組織などというものは、理不尽の権化みたいなものでしたから。
水木さんはしかし、きっと愛される人でもあったのでしょうね。とりわけ現地の人からは。^^
なんせ、多くの現地の人に大切に思われて第二の故郷のようになったのですから。
侵略軍の日本軍兵士多しと言えど、そんな人は少なかったでしょうね。
ほんと。水木さんはきっと現地の人々に守られたんじゃないかな。

私は水木作品で特に好きなのは『河童の三平』です。^^
『丸い輪の世界』などという短編秀作もあります~。

しほさん。ありがとうございます~。
今日、日比谷の集会デモに行くつもりだったんだけれど、うう…おなかの調子が悪い…



Re: MATZ-TSさんへ

MATZ-TSさん、こんにちは。

うちの庭の菊。いえいえ。豪華なんかじゃないんですよ。
ほんとちっぽけな一角に菊コーナーを作って、ひと塊りに咲いているだけです(笑)。
でも、いろんな種類植えてみたので、それが楽しかったです。

ヒメツルソバ。可愛いですよね。名前にまたにっこり。(笑)

気候がおかしいと言えば、ここにも載せた高砂百合ね。
百合はほんとだったら、11月になんてそうそう咲きませんよね。
今年は特に暖かい秋でしたが、年々暖冬になって行っているのは、周囲の植物たちを
見ていても感じますね。我が家ではこの菊の他に、夏の花のクレオメがまだ咲いています。
ほんとだったら、庭ももう今頃は冬枯れの寂しい景色になりそうですが、我が家の庭は
なんだかまだ青々していますよ。

温暖化は、どう現実から逃れようとして事実を直視しまいとしても明らかですねえ…
バヌアツなど、海面上昇の危機で国の存亡をかけてCOP21にも参加している…
もう待ったなしの国があるんですのにね。
まだアメリカや中国など先進国は、自国の経済のことの方が優先するようだ。
これからもっともっと大旱魃や異常な大洪水やといったことは増えていくと思います。
もう世界のあちこちで異常事態は起きているのに、まだ危機感が足りないですよね。
経済って、健全な地球環境あってこそです。

日本だって、福島第一原発事故を転回点にして、再生可能エネルギー社会に
本格的に取り組んで行くべきですのにね。
ま~だ地球温暖化を原発再稼働の言い訳に使って、しかも外国に原発を
売り込もうとしているんですから。核のゴミは日本が処理するという約束付きでね。
自分のところの低レベル放射性廃棄物さえ、処分場がないのに、いったいどうする
つもりなんでしょう…

日本だけでなく、世界がいやな方向に動いて行っていますね…。
ほんと。おっしゃるようにネットというのは諸刃の剣みたいなもの。
大きな可能性や希望もあるけれど、ネットゆえに困ったことも多発します。
マイナンバー制度も怖いなあ…

眼を見開いていれば、おかしなことは毎日の小さな扱いのニュースの中にも
いっぱいですね。
年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の株などへの投資比率を上げること、
しかもその運営委員を、第二次安倍政権は総入れ替えして、自分たちの息のかかった
人々にしました。そのことをほんと危ない、と私、かつて記事にも書いたんですが、
案の定、つい先日8兆円近い損失を出してしまった…。
株ですから、逆に儲かる時もそりゃたしかにあったんですが、そもそもあのアメリカでさえ
国民の年金などは、投機性の高いもので運用したりしない。
大損した時のことを第一に考えて、安定的なもので運用していくんですよ。
それがね~~~。この政権は。『株価が上がっている』ということがこの政権の
唯一の宣伝文句ですから、そのためにはなんだってする。日銀総裁人事もね。
8兆円の損失、というニュースが出て、2、3日後に株価が2万円を越えました。
なんかおかしいですよね。裏で何やってんだか。

眼を見開いていれば、ぞっとするようなことばかり世界には満ちています…

なんだか絶望してしまいます…

だがそれでも。何かを信じて生きてはいきたいですものね。
何が信じられるのかな。^^

いつもありがとうございます♪






No title

あ、そうそう、あの頃、SF小説は怖かった。
人を動物にしちゃう実験島 とか、読んだらうなされて冷や汗かいて目が覚めるものが多かった。
星新一も怖かった‥

子供の頃の恐怖が尾を引いて、SF小説と映画は 見ません^^

見たのは寅さんと、あとは カモメ食堂 等ですねえ・・

現実のほうが よほど怖いですのにねえ。

洋モノですか・・・

マイケル・ムアコックにタニス・リー、アン・マキャフリーが3本柱でしょうか?自分の本棚には・・・
後は、バローズ、ディック、クーンツが少々。

ブラッドベリも1,2冊あった気もしたけど、タイトルも読んだ内容も残念ながら思い出せません。

SFじゃないけど「刑事コロンボ」の新書版も買いあさってましたねぇ・・・

推理小説は小中学校の図書館で、ルパン、ホームズ、少年探偵団シリーズを読みふけってました、この頃SFは怖くてねぇ・・・

行方不明の同級生が身体改造されて半漁人みたいな姿で主人公の前に現れるような内容だったかな?
それがトラウマになり、数週間SF小説読むのから遠のいちゃいました。

Re: んさんへ

んさん。こんばんは~。

うう…(汗)…し、知らない…!(笑)

私、SF、ぜんぜん知らないんですぅ。
国内外の小説も映画も、名作と呼ばれるものさえ、ぜんぜん見てない。
それぞれの作家さんのお名前は聞いたことあるけれど、作品については
ありゃりゃん、お恥ずかしいほど知らないです。
かの有名な『スターウォーズ』シリーズさえ、まともに見てないんですから、
あきれますよね。

唯一知ってるというか少し読んだのが、レイ・ブラッドベリで。
しかも、そのレイ・ブラッドベリも、一番好きなのは『たんぽぽのお酒』という
SF的要素の入っていないもので~。

しまった!いろいろ人生で経験せずにいてしまって損したことはいっぱいあるけれど、
(泳げない、楽器が弾けない、海外に行ったことない、などなどなどなど……爆)
もうひとつ増えちゃったかな(笑)。

でも、『十二国記』とか、タイトル聞いただけで面白そうですね。
これからでも読めますよね~。読んでみるかな~。

んさん。ありがとうございます~。






No title

彼岸花さん、こんばんは。
菊の花…西洋の匂いがする姿に我が家の庭にもほしいもんだなと思いました。

思い出すのは水木しげるが自身の戦争体験を描いた漫画です。
似顔絵を描いて上官から食料を貰ったとか…
そっちに行くと崖から落ちるから、こっちだ〜とか
確かそんな記憶があります。
見えざるものに守られる人がいるのはあり得ると思ってます。きっとそうです。
そして理不尽な命令に従わないとならないのが軍隊だと、思いを強くしました。

No title

こんばんは! MATZ-TSです。現在、仕事中の骨休みです。もう終わりかけですが。

彼岸花さん宅の庭は豪華な花が咲いていますね。うちの庭は、今は雑草(というと、昭和天皇に叱られるかも知れませんが)ばかり。花と言えるのはヒメツルソバ(自分は、この花好きです)と、先日買って鉢に植えたビオラ位です。
今から気が早いですが、春が待ち遠しい。。 

ただ、21世紀に入って今まで比較的緩やかだった世界の気温上昇(海洋が吸収していたらしい)が、これからは放出するようになって、今年は観測史上最高の平均気温になる様子・・・来年の夏が恐ろしい気もします。(季節の移り変わりを、こんな風に感じる、というのは、やはり人間の自業自得なんでしょうが。)
http://digital.asahi.com/articles/ASHCT5CXWHCTULBJ00L.html

>>>理解不能なことの前で、ひとびとは黙り込む。
国家と国家、人と人の悪意の応酬が留まるところを知らなくなり、
人々が言葉を失ってものを言わなくなる…考えることを放棄していく……
・・・・
その一方で、そうした人々の不安や不満を、ネオナチ的な政党が掬いとって勢力を伸ばして行く…。


そのような大きな不安を私も持っています。第二次世界大戦のときより、ある意味では複雑さ、恐ろしさを秘めているかも知れない。それは、極度に発達した情報化社会。デマや誇張が乱れ飛び、その前に人々は完全に消化不良になって、情報から逃避して、日々の心地よい?生活に安住する。政治の話などしなくなる。しても、自分の意識にマッチした情報しか入れなくなる。

そして、兵器も極端に高度化し、残虐さを増す。 もう人間は科学技術に追いつけなくなって、その制御の仕方もわからなくなっているのではないでしょうか?

日本だけでなく、先進国と言われる国々の多くの場面で・・・

ただ、一方情報化社会は、世界各国の情報を瞬時に手に入れられる、という意味で国境を超えた交流を情報入手を可能にします。その意味では、ある国家の暴走を食い止める役割を果たすかも知れない。

>>公平に言えば、……日本人だけでなく、世界が思考停止状態に陥ってはいないか。
誰も今、来るべき未来の理想図を描ける者はいない。描こうとする者さえ乏しい……

他人事ではない。私自身もまた…。
だが逃げても駄目。ぎりぎりと真実を見つめることから逃げてはいけないのだろう。


そう思います。逃げてはいけない。このまま、この国が、世界がどうかなっているのを傍観しているのはいたたまれない気がします。特に、自分の国の在り方、方向については、自分がどう意思表明し、どう発信していけばいいのか?? 思いつくこと、できることを少しずつやっているだけなのですが。

しかし、私は一縷の希望?望みを持っています。数日後は破綻しているかも知れないが・・・

今、テロのあったパリでCOP21会合が開かれています。国家間(先進国と途上国・・)の国益?(本当はそうではないのだけどなぁ)の衝突で、どこまで合意が進むかわかりませんが、今や エネルギーに関していえば、化石燃料や原発よりも、再生可能エネルギーに巨大投資、大きな流れができつつあります。我慢というより、そちらの方が得をするから。
http://jref.or.jp/activities/reports_20150925.php など

それは、儲かるから、ということと、世界各国で、それぞれ事情はあるにせよ、切実な問題として気候変動が認識されつつあることもあるでしょう。

気候変動の問題は、世界共通の大きな大きな共通の課題です。その前に、ようやく、国益?とともに、ひとつの目標が共有される可能性がある。戦争やテロや、色々これからも起きるだろうし、温暖化に伴う異常気象はテロの根源になる、という指摘もあります。

しかし、我々人類は、自らの活動が、世界の気候を変な方向に変えてしまいつつある、という恐ろしい現実と可能性を目の当たりにして、ようやく(遅すぎるかも知れないが)ひとつの変わるきっかけを掴むかも知れない、そんなかすかな希望です。

そのなかで、日本は原発と石炭火力に固執していると、流れに取り残される危険大です。石油危機のときに発揮した工夫と努力、そのような得意技を我々の国は、今発揮できる一番よいときだと思うのですが、経産省や政府は何を考えているのでしょうね。。

ただし、このようなかすかな希望は、はかなくもCOP21が終わる12月11日頃には失望に変わっている可能性大(笑)です。

ただ、そうであっても、彼岸花さんの言われるように「現実を直視することから逃げてはいけない」と思います。

そういえば・・・

幻魔大戦やウルフガイシリーズのSF作家の平井和正先生が亡くなったのも今年だったよなぁ~・・・

幻魔~ウルフガイと読み進め、ウルフガイのキャラクターのベースみたいなの?が大藪春彦作品と聞き及んでバイオレンスアクション小説に食指を伸ばした思い出が・・・

その影響は大きく数年は大藪作品にど~~~~~~っぷりと首まで浸かってました。

それでも平行して読み続けてた平井作品のノンノベルつながりで菊池秀行、夢枕獏と伝奇小説に回帰し、その繋がりでラノベにも手を出し・・・

国内のファンタジー作品の「十二国記」や「守り人シリーズ」は2周送れくらいで手を出した・・・特に十二国記は3ヶ月で概刊を4回くらい読み直したなぁそれくらい衝撃的だった!何で今まで読まなかった!と後悔するくらい(笑)

大藪作品の「蘇る金狼」は大好きでたまに読み直しちゃったりしてます。
自分とは正反対の生き様に(破滅的ではあるけど)時々憧れちゃって(笑)


・・・そういえば幻魔大戦、ウルフガイやスターウォーズ、ゴジラシリーズのイラストレーターの生頼義範先生も先日亡くなったそうで、ますます昭和も遠くなりにけりでしょうか?

Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん、こんにちは。

おお。図書館で本をゲット。
私もそれ、時々いただいてきま~す。
うちの近くの図書館でも、あまり貸出数のないものや、随分古くなったものなど
年に一度くらい、無料でくれるサービスがあります。^^
でも結構いい掘り出し物があったりするんですよね。
私はそれで、イヴ・モンタン伝やロミー・シュナイダー伝とか、昨年ノーベル文学賞
を貰って日本人にも広く知られるようになる前のパトリック・モディアノの
古い作品や、『日本料理前菜集』『銀座百店』などの、これまた滅茶苦茶
統一感のない本らを(爆)手に入れました。^^

歴史書の再読。いいですねいいですね!
私も、今回黙り込んでいた間に、エドガー・スノーの『中国の赤い星』などを
(いま頃になって)読んでいました。でも、今読んでも大変興味深く面白いです。
大部の書。と言えば。この秋、古本で『資本論』全巻も手に入れまして、この冬
おこたに入ってじっくり読もうかなと思っているのですが、最初の3ページほどで
猛烈に眠くなってしまって。(爆)

NANTEIさんは、古代の歴史にお詳しいからなあ。
私は歴史はあんまり真剣に勉強して来なくって弱いのです。
今になってほんとにあれこれ読んでいますが、面白いですねえ…
面白いというか…
おっしゃるように、人間は、ちっとも変わっていないんじゃないか、と思わされますね。
すでに砂に埋もれてしまった都市もあれば、無残に破壊されゆく遺跡もある…
人間はどれほど多くの興亡を古代から繰り返して来たことか。
それを思えば、今のこの混沌として出口のないように思える紛争だらけの世界も、
いずれは歴史のかなたに去っていくのですから、嘆いても怒っても仕方のない
ことのようにも思われてきます……
いつも突き詰めて考えていくと最後は虚無感に襲われてしまうので、普段は
あんまり考えないようにしているのですけれどね。^^

でも、歴史書などを読んでいると、過去に生きた人々の姿が生き生きと立ち上がってきて、
それらがなぜか今の同時代の人々よりも近しく思われてきたりします…
素晴らしい芸術に触れるときもそうですね。

愚かな戦争をするのも人間。深い思索や素晴らしい芸術作品を残してくれるのも人間。
どうせ生きるなら、後者の方を信じて生きていきたいと思いますねぇ…

SFと言えば。
今朝ラジオを聴いていると、高橋源一郎さんの番組で、レイ・ブラッドベリの
原作でトリュフォーが映画化した『華氏451』のことなどが出てきましたが、
そうそう。ブラッドベリの『火星年代記』なども思い出し…。
どっちも、悲しくなるような近未来の地球の姿ですねえ…。でもまた
映画も原作も見返してみたくなりました。

人間はほんと、どこへ向かって生きていくのでしょうか…

くすん…
酒だ酒だ~い!
酒もいいけど、何十年振りかに今年はクリスマスケーキをホールで買って、
やけ食いしようかな(笑) 
げふっ!

 




こんにちは。

年々に迎える師走の早さよ!
ほんとうにそんな気持で今年もまた十二月。

行員矢の如し(私はこの誤変換が気に入りで・笑!)

「私たち一人一人が生きているこの『今』の連続が、
言わば歴史を作って行っているのである。」

まことにその通りだと思います。
このところ歴史書を立て続けに、しかも同時に?読み漁っています。
たまたま市の図書館で年に一度の古本市で、
(館の不要になった図書を放出する市で、何冊でも無料)
ドイツ史、ルネサンス史、はたまた「日本の参謀本部」などを手に入れ、
かつまた蔵書の「十八史略・全7巻」を読み直すなど、
目茶目茶の読書生活を送ってますが・・・(^_^;)

ローマ史も含めてですが、人間の営みは何千年も変っていないのですね。
ただ便利になり人口が増えたという、
そういう変化しか見られないということです。

今、世界中で深刻な問題が山積してますが、
では、過去のどの時代が理想的だったのでしょうか。
よくよく考えてみたら歴史前の狩猟時代が、
もっともホモサピエンスと生命体に優しい時代だったと思うのです。

でも、もうその時代に後戻りすることは出来ません。
これからの世界、人間世界を考える時、
これだけ増殖した人間を統べるのは、人間にはとても無理だと思います。

荒唐無稽かも知れませんが、人工頭脳が極めて発達したアンドロイド。
欲望が皆無で優れた統治能力を有したアンドロイドによって、
地球の各ブロックを任せるしかないのではないかと考えたりするのですね。

多分、これまでの有名なSF作家も、
そのような危惧と理想を抱いていたような気がします。

すると、歴史書を読むのも空しくなりますが(苦笑。

花はいいな^^
小菊が枯れて色を失った庭や野に、また半月もすれば水仙、
福寿草たちがほころんでくる・・・

そして梅、桜!
地球の営みのなんと規則正しいこと!

それが・・・
言葉にするのも哀しいです。

酒だ、酒だ~(泣。。。





Re: んさんへ

んさん。こんばんは~~~!

ああ…水木しげる先生…
こんなにもみんなから愛されていたのですねぇ…。
それでも、この人を『売国奴』などとネットで書く人らがいたようですよ。(苦笑)

私はもう、そうですねえ…60年近くにもわたる、筋金入りの彼のファンです(笑)。
最初の出会いは、貸本漫画。
私が小学生だった昭和30年代。町には貸本屋というものがあちこちにありました。
本を新刊本で買えなくとも、そこに行けば、一冊いくらくらいだったかなぁ…
子供の小遣いでも数冊借りられるくらいの値段で借りてくることができました。

最初に読んだのは、『墓場の鬼太郎』です。
『ゲゲゲの鬼太郎』というのは、この作品がテレビ放送されるようになってからの
タイトル。
『墓場の鬼太郎』は、テレビ版よりももっとずっとおどろおどろしくて怖かった…
テレビ版の飄々としたユーモア感はなく、『死』というものがもっと現実として
描かれていましたね。私はそっちの方がやはりはるかに好きでしたけれど。^^

それからずうっと水木作品は読み続けています。
私の本棚の『大事な本コーナー』に何冊もありますよ~~~♪ ^^

ほんとですねえ…
やなせたかしさんに続いて…
戦争を戦争としてその現実を正確に伝える人がどんどんいなくなって行ってしまいます。
そんなもの。どう贔屓目にみようたって美化など出来るものなんかじゃない。

水木先生は、でも、あのひとは死なないな!(笑)
あの飄々とした姿で、ずうっと人の心に生き続けるのです。
今でもなんだか私、あの方がいなくなったという気がしないです。

水木しげるロードですか。^^
きっと、あの方やその仲間たちに会えそうですね。^^

んさん。ありがとうございます!




水木しげる先生逝く

水木先生やアンパンマンの作者のやなせたかし先生みたいな夢をみせてくれるような人があっさり逝って、日本の為にならない安〇とか橋〇みたいなヤツラがのうのうと生き延びてる現状に不条理さを感じてます(えっ、年齢?は関係ないでしょ?)

来春は久しぶりに「水木しげるロード」に行ってみようかな?
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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