『クリスマスには』

ふ~ぅ…
朝、新聞を開くたびに、怒ってばかりの日々だけど。

せめて、クリスマスくらいは、心おだやかに過ごそうかな。

クリスチャンでもなんでもないわたし。およそ宗教というものに無縁できたけれど、
宗教などということがわかる以前に、西洋のこの行事は、なんと子供にとって
眼にも心にも魅力的に映ったことだったろう!
街に流れる『ジングル・ベル』の軽やかな響き。ショーウインドウを彩るツリーの飾り。
憧れだった、大きなホールのクリスマスケーキ!(切ってあるのはダメなの…)
紙箱に入ったそれを、お父さんたちが会社帰りに買って行く…

みんな我が家には縁がないものだったけれど、それでもなんだかうきうき幸せだった。
大人になっても、このわくわく感だけは、少しも減じることがない。


…子供が小さい頃は、自分の叶わなかった夢を代わりに実現するとでも言うように、
クリスマスのお祝いはきっちりやったなあ。
子供ももう大きくなって家を出て行ったあとは、ツリーも飾らないし、ケーキも焼かなくなった…



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去年から、飾りつけは、これになった。
ガラスの丸いのは元は電灯の笠だった。
そこに、去年、ふと思いついて、子供が2歳くらいのクリスマスの時から使ってきた
豆電球のつながったのを入れてみた。
麻の葉模様にカットされたガラスに、赤、緑、青、黄色の電飾が乱反射して
思いがけない美しさ。


静かなクリスマスの夜。
年賀状を書く手を、しばし休めて、お茶休憩。




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友が自ら作って手間をかけて仕上げ、送ってくれた干し柿。^^
自然の甘味はなんて優しいのだろう!
友の心が優しいから、甘みもうまみも増すのだな。
友よ。心からごちそうさま!^^



                    *


干し柿は、やはり子供の頃の暮れの日の、父の思い出のひと品でもあった。
小学校二年生の時、私は父と別れて暮らすことになったのだが、毎年暮れになると
父が決まって干し柿を、米や豆類、山芋、干し椎茸などと一緒に送ってきてくれたのだ。
私宛のお小遣い500円と、少女雑誌の新年号も必ず送ってくれた。
楽しい美しい付録がいっぱい入って分厚いその雑誌を胸に抱いて、母に干し柿2つほど貰って
ちいさな二畳の(!)自分の部屋に引っ込む時のあの幸せ!
外は木枯らしでも、部屋には小さな火鉢があって暖かく、隣の六畳間では母と姉が、
同じく干し柿をほおばりながら、ラジオから流れてくる落語などを聴いている…
母はそうする間も縫物の手を休めない…
ふうてんの姉はその時たまたま家に帰って来ていたのである。さすがに正月近かったからか。

貧しかったけれどなんて幸せだったのだろうなあ!



ふ~ぅ…

シリア難民の人々のこと、戦火の下の子供たちことなどを、またふと想うのである…
この日本の、国内でだって、貧困化が進む…
空腹を紛らすために、母に隠れて貰い物の『テイッシュ』を食べたこともあるという幼い姉妹…。
『テイッシュは甘いんだよ』と言ったという…
 




昔。いつも気丈で貧しくともプライド高く、涙一つ見せたことのなかった母が
ただ一度だけ、『私と一緒に死のう!』と言って、私の手を無理やり引っ張ったことがあった…。
家賃が払えなくなって、上記の小さな二畳間のあったそのアパートを追い出され、
母の知人…仕立物を通じての知り合いか…の家に転がり込んでいたときだった。
その家も貧乏人の子だくさんの家。
いつまでもそこに厄介になっていられるわけではなかった…
母が『死のう』とそう言って私を引っ張った時、私はその家の柱にしがみついて抵抗した。
あの家は、どういう人々の家だったのだろうなあ…。普通の家のように間仕切りとか
建具というようなものがなく、部屋と部屋は、土間を囲んでぶちぬきになっていた。
まるでそう…人足置屋ででもあるような。
その柱にしがみついて、『死ぬのはいやだ!』と抵抗したのである…
窓のない部屋部屋と土間に裸電球が灯り、昼間でもなお暗い家だった。
凍りついたように遊びなどの動きを止めて、母と私の姿を見つめていた
その家の子供たちと大人たち…。
私より一級上の女の子がいて、そのこは数年後に、県内でも優秀な工業高校の建築科
に入ったと、後に聞いた。女子が建築科に入るのは、まだ珍しい時代だった……

母が、どうやって住む家も食べるものもないその窮地から脱したのか、
小学校四年生だった私は知らない…。
都合半月ほどは、その同じく貧しげな家に居候していたのではなかっただろうか……
そこを出てからさらに、別の家の二階に、厄介になった記憶がある。
そこの主人は大工さんで、薄暗い屋内材木置場があった。だが、その脇の住居部分は、
真新しい木の香りがして日差しに溢れていた。
そのおじさんは、私たちがまだ二畳間のあるアパートにいたころ、母と私に
見事な細工の鳥かごに入った十姉妹をくれた人だった。
白い鳥は、私になついて、私が学校から帰ってきて柵の間から指を突き出すと、
つつっと止まり木を移動して来て、私の指先を甘噛みした…
でも、やがて、鳥など飼っていられないと母が判断したのであったろう。
鳥は鳥かごごと、そのおじさんに返されたのだった…
その家の人々もとても優しかった。小さな男の子たちがいたかな。
わけのわからない子供の私は、『ここにずっといられたらいいのになあ…』と思ったものだ。
だが、そこにいたのは、二、三日だったか。
おそらく、この一家も、母の仕立てもののお得意さんだったのではなかったろうか…。


昭和30年代の初めごろ。
まだまだ皆が貧しく、それゆえに、さらに困った者には、当たり前のように
赤の他人が手を差し伸べる時代であったのだろう…。

クリスマスの夜に、ふと思い出した、昔々のおはなし。










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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。遅ればせながら、
新年おめでとうございます。

どうも、何度やっても、コメントの返事が遅れません。
禁止ワードにひっ掛るような文言、何一つ使ってないんだけどなあ。

新年からいろいろありますね。
なにやらまた波乱の年になりそうです。
しっかり目を見開いて過ごしたいと思います。

本年もまた、よろしくご指導のほどお願い申し上げます。

鍵コメさんとご一家の皆様のご健康とご多幸お祈り申し上げます。

…送れるかな?…

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。新年おめでとうございます♪

昨年中はこちらこそいろいろいろいろ本当にありがとうございました♪ ^^
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

私は、早く暮れの準備を始めたつもりだったんだけど、結局は押せ押せになって
大晦日も元日も、お料理お料理。^^
なんせ健啖家たちがせっせと食べてくれますからね。嬉しい悲鳴です。
私も例になく随分飲んだなあ!(笑)

今日になってようやく自分ペースの時間に。^^

今年の目標。
私はね。一つは無論、改憲を阻止するために出来ることしていくことですが、
その他に自分自身の生活として、今年は、縫い物イヤーにしたいなあ。^^
家にある布地を使って行かなくちゃ。この二年ほど殆ど必要以外の縫い物してないし。
まず第一号は、年末に階下の部屋の押し入れを整理していてあらためて見つけた
昔の娘のオーバーの余り布などウール類を、ミシンでざっざと大きいままつなげて、
こたつカバーを縫おうと思っています。^^
あとはやはり断捨離だなあ…。紙類とか本とか…

はい!
だんだん無理がきかなくなってきてるので、無茶はしないようにしますね。
ありがとうありがとう!
鍵コメさんも、疲れたら休んでくださいね。
お約束。はい!気長~にまっていますからね。^^

今年が、鍵コメさんとご一家の皆様にとって、すてきな年となりますように♪








Re: MATZ-TSさんへ

MATZ-TSさん。新年おめでとうございます。
昨年中は、いつも紳士で真摯な…
(『真摯』と打とうとして『紳士』と最初に出て来た。
ああ、そうだなあ…MATZ-TSさんは、いつだって紳士的でいらしてくださるなぁ、と
思い、このまま重ねておきます。^^)
紳士で真摯なコメントいただき、本当に感謝しております。
私が猛烈に反原発の記事を書いていた頃から、ずっと今までそのスタンスを
変えることなく、真剣に一緒に考えてくださってたくさんの貴重な情報や意見を
くださって。
私が、あまりの情勢のひどさに絶句して立ち竦んでいるときも、変わらず
お声かけくださり、いつもどれほど元気をいただいたかしれなかったんですよ…^^

私こそ本年もどうぞよろしくお願い申し上げます、です。^^

私の方は普段は夫婦二人の互いの気の向くままの静かな暮らしなのですが、
さすがに大みそか元日は娘たち夫婦が帰ってきて、わたしはそりゃもう、
お料理に精だしていましたよ~~~!^^
おせちも出来あいのレストランの洋風イタリアンのと、一応彼岸花お手製の
和風おせちと両方用意しましたし、冷たいものばかりじゃお腹が疲れるからと、
温かい料理も次から次へと作っては出しして。^^

今まあ、そうやって、暖かな部屋で美味しいお料理をたらふく食べることが出来る。
そのことに、時折、チクリと胸に棘刺す罪の意識の存在は、いつだって自覚していますが、
まあ、暮れと元旦の2日くらいは、と、忙しい中にものんびりはしました。^^

MATZ-TSさんも、お子さまの時分は…そうでしたか。
お母さまは大変な想いをなさったでしょうねぇ…
でも、昭和30年代…40年代の初め頃までは、そうでしたよね。経済は急速に
発展を遂げてはいたけれど、国民皆が皆急に豊かになったわけじゃなかった。

以前。『貧しさの構図』という記事を書いて、青森県六ヶ所村が原子力関連施設を
あれほどまでに大々的に容認していかざるを得なかった歴史的経緯について
書きましたが、そうなんですよね~…。

『終戦から20数年たってようやく酪農が軌道に乗りかけたかと思われる昭和44年。
普段は馬車、雪の冬には馬橇が主な交通手段の六ヶ所村に、東京ナンバーの白いセダンが
出没するようになる。』

と、読売新聞元社会部記者の本田靖春さんの文章を引用しながら、自分で驚いたことを
思い出します。『そっかぁ。昭和44年という時代に、まだこういう交通手段の
地域もあったんだ!』と。自分ではすでにその時代の感覚を忘れてしまっていて…。
都市部は繁栄の兆しを見せていても、それは日本の隅々にまではまだ届いていなかった。
その遅れを利用して原発などは誘致されて行った歴史がありました…

そうそう。卵もまだぜいたく品でしたね。
私も、母と兄が、一個の卵を半分ずつして卵かけごはん美味しそうに食べていたのを
覚えています。
私は、納豆、卵かけごはんなどが小さい頃は苦手だったので、兄が卵一個を割りながら、
『お前はいらんのか』と訊ねてきても、『いらな~い』と答えた。
兄がその時一瞬嬉しげな顔をした。ような。(爆)
サザエさんの漫画など(テレビアニメでなく)見ていても、昔は卵は『おつかいもの』
にされていたんですものね。おがくず詰めた箱に卵を数個きちんと並べて、よそ様に
持っていく。
それがいっこ足りなくなっていて、サザエさんが『誰か一個卵食べたね!おつかいものに
するのだったのに!』と言って怒ったりしている!(笑)

サザエさんには卵かけごはんの別な場面のもありましたよ。^^
マスオさんが、ひとりで朝ごはん(日曜の遅起きの朝食ででもあったでしょうか)
食べているんですが、朝刊か何かに気を取られていて、生卵をごはんにかけるとき、
ごはんに穴をあけておかなかったもんだから、卵がどろどろ~っとお茶碗のそとに
こぼれちゃうんですね。
マスオさん、誰も傍にいなくて見られてはいないのに慌てふためく。
一人一個使っている時代ですから、上記おつかいものの時代よりは少し後でしょう(笑)。
それでも、大切な卵をそうやってうっかりこぼしたことが漫画の題材になるくらい
ですから、まだまだ卵は大切に食べなければ、という時代ではあったのでしょう。
それをやったのが、万事気を使わねばならないお婿さんの立場のマスオさんだ、
というところが泣かせる!(爆)
皆がいる場でカツオ君やワカメちゃんがやったんだったら、お父さんからコツンと
拳骨食らい、サザエさんに『なにやってんの、不注意ね!もったいないじゃないの』
って言われるところです。(笑)

サザエさんの家庭はそれでも、上の下か中の上の家庭ですよね。
私がもし当時、卵かけごはんが好きでそんなミスしてたら、怒られるより先に
母にすまないという罪の意識で『うわあああん!』って泣きだしていただろうなあ!^^

うふふ。どこまでも話を広げる彼岸花さんは、新年になっても健在、です!(爆)

でも、基本的経済力は無論誰にもあってほしいけれども、度を過ぎる豊かさは
決して幸福の条件ではないですね。

さて。今年は昨年以上の正念場、という年になりそうです。
私も心して記事書かなくっちゃ。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

MATZ-TSさんとご家族の皆様のご健康とご多幸を祈りつつ。















Re: んさんへ

んさん。
昨年中は、いつもありがとうございました。

慰安婦問題と日韓関係。
これで決着するかどうか…微妙ですね。
決着と言っても、先の、んさんへの返事で書きました通り、
当の元慰安婦の方々の感情や、その長い苦難の人生への想いを抜きにして
ただ両国間のトップ同士の政治的思惑優先の駆け引きで政治的に決着をつけると
いうのでは、本質的解決には至らず、かえって両国の人々の相手への反感を
煽ったり新たに生んだりするという逆効果になりかねません…。

俯瞰でものを見るということが出来ないということでは、韓国だけでなく
我が国の政治家や、また国民同士も同じなのではないかと思います。
国のトップやその閣僚が靖国神社に参拝すれば、旧日本軍による被害を
甚だしく受けたアジアの人々の感情にどういう怒りや悲しみをまた与えるか。
仮に日本の歴代政府や民間人が過去の反省の上に立って陳謝と誠意の表明と
双互理解を積み上げて行こうとする努力をしてきたとしても、一政府の一閣僚の
軽々しいヘイト発言などに類したものがあれば、そんな積み重ねなど一瞬にして
無に帰してしまう。
日本はその繰り返しをしてきました…
日本人もまた、極めて感情的かつ情緒的な民族であります。(苦笑)
隣国との良き関係はどうあるべきか、という理性論ではなく、好きか嫌いかの
感情論が蔓延している。韓流ブームが起きて異常に思えるほどそっちに
どど~っと流れるかと思うと、今度はヘイトの方へ逆流だ。

或いは単なる損得勘定とか。
おっしゃるように、
『でも、日本人も親方日の丸思想から未だに脱却できてないからこれもダメダメじゃね(笑)』
それは大いに言えますね~~~!
外交問題だけでなく『親方日の丸思想』は、日本人の生活の隅々にまで
見られると思います。
日本が引き起こした侵略・戦争を、『国家の罪』ということに帰して、個々人の
戦争責任を先の天皇はじめとして末端の一兵士の戦場での道義的罪に至るまで、
本当の意味で追及してこなかった、ということがまずそうですが、
福島第一原発事故をとうとう引き起こしてしまった東電はじめとする電力会社の
体質もそうですし、旭化成建材の杭打ち偽装などもそうですし…、要するに、
『国家』という生きものがいて、それがいろんなことを引き起こしているのでは
決してなく、一人一人の『私』という人格の引き起こすことの総体が『国家』という
ものの意志になって行くのだ、ということが、まだまだ私たち一人一人に
しっかりとわかっていない、という気がしますね。
『親方日の丸』的心情は、かく言う私自身の内にも大いにありますので、余計に
やんなっちゃいます!(笑)

んさん。いつもありがとうございます。
昨年末コメントへの返事、ということで書かせていただきました~~っ。^^




『親方日の丸的』

一番望ましいのは、『これで決着した!』と区切りをつけて過去にあったことを
封印してしまうことではなく、両国の国民が、慰安婦問題や日本による
韓国併合の歴史などこれらの問題について、共にこれからも感情的にならず
歴史に学ぶという態度で語りあうことが出来るという環境にして行くことだと
思います。
その過程で、東アジアの大事な隣国同士としての交流がさらに進化し深まって
行けばいいなあと思っています。

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No title

彼岸花さん今晩は。

大荒れ?の2015年もあと3時間足らずで終わります。

紅白から離れてコメントを書いております。

===
昭和30年代の初めごろ。
まだまだ皆が貧しく、それゆえに、さらに困った者には、当たり前のように
赤の他人が手を差し伸べる時代であったのだろう…。
===

そうですねぇ。私は、子供時代の思いでは(そのときは辛いこともあっただろうが)懐かしいことが多いです。貧しかったし、父は病気ばかりしていて母は子供3人を連れて病院通い。。。大変苦労をしたのでしょうが。

卵ご飯は1個を3人でわけたり、冬に、屋根の雪を皿に盛って砂糖をかけたかき氷がおやつだったり(笑)

私の知人で、家にショートケーキなどの土産を買って帰る時は、一個足りない数を買って帰ることが時々あるそうです。

なぜか?   

最初、子供たちは取り合いのけんかをするが、そのうち誰からともなく公平な、あるいはもっとうまい配分方法を考え出す・・それが互いを思いやる訓練なんだ、と。

なるほど、と思いました。うちの子供たちにそれをやるとどうだったろう?
子供や家庭環境にもよると思いますが、一案だという気がしました。

人間は、物質的に過剰になると、もっともっとと欲望が増強されるのでしょうか?これも人によるでしょうが、数年前、幸福度調査で、米国よりインドの方が幸福度が高かったような結果をみたことがあります。

ある程度の物質的豊かさは必要ですが、経済格差の増大、大金持ちと極貧困層への二分化、この方向の世の中はいけませんね。。。

世の中の動きは厳しいものがありますが、心静かに新年を迎えたいと思います。

引き続き、ブログを楽しませて頂くつもりです。どうぞよろしく!

やっぱり

大反発で荒れてるみたいですね、慰安婦問題まさに安倍の思う壺じゃな・・・

粘着質に何でもかんでも目の敵にするから・・・俯瞰で見れて適切に助言できる奴が韓国に居ないのかよ?

感情論を優先にする民族性の違いなんかのう?
でも、日本人も親方日の丸思想から未だに脱却できてないからこれもダメダメじゃね(笑)

Re:30日の鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。
そっかぁ……

そちらで返事書かせていただきますね。

信頼して話してくださってありがとう。

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Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん。こんばんは。

あちゃ~~!
やってしまいましたか!(爆)

私もそれ、しょっちゅうやります!
それも、がんばって一所懸命長く書いたときに限って。(笑)
私のばやい、パソコンがよくフリーズするので、回復しようと焦ったりすると、
回復と同時に書いたことが全部おじゃん、ということが多いです。
じっといいこで待っていれば、フリーズから直ることもあるのにね。
それから、何か調べものも必要で、いくつかのページも開いていて、ふっと忘れて
何か確認しようとそっちに飛んだ途端にブログが消えちゃう、ということも多いです。

そうなんですよね~~!
懲りずにその失敗をやってきて…この頃ようやく『メモ帳』で下書きしてそれを
コピペ、するようになったのですが、!(爆)大事なコメントや
記事の時に限って、勢い込んで書き始めるもんですから、『メモ帳で』というのを
ころっと忘れてしまってる。そして案の定、やっちゃう!!!(笑)

お手数書けた上にがっかりさせてしまいまして申しわけありません!^^
お~。回復できましたのなら、元のコメント、ぜひ拝見したいですぅっ!♪
お手間ではありましょうが、鍵コメででも、ぜひお願いいたします。(ぺこり)

ありがとうございます。
本当にあっという間に今年も残り2日。
NANTEIさんは、可愛い可愛いお孫ちゃまがたとご一緒に、いいお正月ですね。^^
私は、食欲旺盛な娘たちのために、料理をまたわんさか用意する正月だと思います。
映画も借りてあるので、そういうのも見てのんびりしようかな。
なんか変わった映画ですよ…好きな監督ジム・ジャームッシュのと、もう一つは
ブルガリア映画。どっちもロード・ムービーです。
ロード・ムービー好きなんですよ~。^^

買い物リスト、考えなくっちゃ。
あ!はいっ!夜更かしはいけませんね。^^
早く寝るようにしま~~す♪ (笑) やさしいおこころづかい。ありがとうございます。

どうぞ来年も、よろしくお願い申し上げます。






Re: んさんへ

んさん。こんばんは。^^

う~~~~~むむ……
これがね。安倍政権が、本当に、かつて日本人がしてきたことを、心から
詫びる、というのであれば、私も、どんなにかいいのになあと思うんですよ。
戦後70年。日韓国交回復50年。実にいい機会ではあったのです。
この機会を逃したら、もうこの問題についての和解のチャンスはないかもしれません…
元慰安婦の方たちはもうご高齢。既に、口惜しい悲しい思いを抱いたまま、
殆どの方がなくなられています…。
みんなお亡くなりになったあとでは、もう謝りようがない……

だから、一応の成果だとは言えると思います。
日韓双方、随分歩み寄ったのだと評価もしたいです。
これが、真の和解の第一歩になればいいなあと、心から思います。

でもね。安倍さんらの考えがそう急に変わるわけはないですから、今回のことの
その裏には、韓国人等従軍慰安婦問題に日本軍と日本政府の責任を認めたくない
安倍さんのような人々が、その主義主張をなお抑えねばならないほどの、
強い動機というか大きな事情・目的があったからだ、と見るのが妥当だろうな、
と思っています。

それは、まさに、んさんがおっしゃるように来年の選挙を控えて『好感度を上げておく』
ということが一つにはあろうかと思います。
自民党は本気で改憲を目指しています。安倍さんが首相の内にやるつもりです。
もうね、ありとあらゆる手段を使って参院選で再び大勝ちし、改憲の条件を
整えて行くつもりだ。そのためには、大阪維新とりわけ橋下氏も取り込みたいし、
と言って公明党も捨てるわけにはいかない、公明党の顔を立てるために軽減税率も
ほぼ公明党の要求を呑んだ。
日本会議なども改憲のムードを盛り上げるのに本気ですし、桜井よしこ氏などが
大きく全面に出て、反改憲色の疑いのあると彼等が思うジャーナリズムつぶしにも
もう、恥も外聞もなく本気で取り組んでいる。

これで韓国との和解をこのように努力した、となると、安倍政権のポイントは
さらに上がりますよね~~~!
なに。結果的に和解が成立しなくともいいんだと思いますよ、彼らには。

おっしゃるように、韓国側の反対が大きくてこの話が流れるなら、そのほうが好都合。
『日本側は…我々の側は…あのように妥協もし努力もしたのだが、それをぶち壊しに
したのは韓国側だ!』と、正々堂々と世界に向かって言えますから。
そうなるともうね。悪いのは韓国であって、日本は努力した…と、いうふうに実際
世界は受け取るんじゃないですか。
失敗しても、日本政府が安倍政権が得るものは大きいのです。

非常にね。周到で巧妙なシナリオを描いたなあ、と思いますね。
要するに、日本側はすることはした。あとは韓国側がどう動くかにかかってくる…

日本の心の伴わない和解案など認めない慰安婦の方々とその支援者を、朴槿恵大統領が
説得できるかどうか、日本の求める慰安婦像を撤去(もしくは移動)出来るかどうか、
もう、日本側の手は離れて、朴槿恵大統領の手腕如何と、慰安婦の方々の決定へと
ボールが投げられた形になっているわけですから。

もしまた、これがうまく行って、もう二度と韓国から文句言われないようになるのなら、
しかもアメリカ様のおぼえがさらにめでたくなり、世界にも胸を張れるようになるなら、
しかも自国のリベラルなど小うるさい連中がもう二度と文句言えないようにし、
その他の国民の『よくやった!』という評価も受け参院選で大勝ちするのなら、
10億円など日本にとって、というより安倍政権にとって安いものだと
考えているんじゃないですか。

もう一つ。あの安倍政権をしてなお今回の措置に至らせたもの。
それはやはり、アメリカの圧力じゃないでしょうか。
『あの』安倍政権を、かくまでも動かすことが出来るのは、アメリカ以外にないと思います。
というよりは、『中国の脅威』への危機意識、と言った方がいいかな。
それはアメリカと共通する認識ですから。
先日。12月21日の朝日新聞に、中国の例の『真珠の首飾り』が、南沙諸島で
止まるどころか、
『韓国の巨済島の港湾施設を中国が長期問借り、「真珠の首飾り」と呼ばれる
海上交通路を東に延ばそうとしていたことがわかった。同島は日本海と東シナ海をつなぐ
位置にある貿易、安全保障上の要衝だ。』というニュースがありました。
中国が韓国に打診したのは2013年のことで、朴槿恵政権はそれに結局応じなかった
のですが、韓国と日本が犬猿の仲の状態を続け、韓国が中国寄りになって
もし、巨済島を中国に貸したりしたら、『真珠の首飾り』は、日本海を視野に入れる
ことになります。
アメリカにとっても、それは絶対避けたいことでしょう。

とにかく、日本が韓国と今までと同じような険悪な関係にあることは、アメリカにとって
望ましくない。もう、経済も防衛もアメリカなしではどうにもならないと考えている
安倍政権が、慰安婦問題で多少の我慢して譲歩をしてもアメリカの強い意志を汲む
ということは当然あるでしょうし、
また上に書いたような損得勘定だけからでも、今年中に韓国とこの問題で話し合いを
合意にまでもっていくということのメリットは、とてつもなく大きいと
判断したのではなかったでしょうか。

あともう一つ。『不可逆性』という例の文言ですね。
安倍さんの『安倍談話』の文言。『子や孫の代にまで謝罪をさせない』ということへの
安倍さんの意志って、結構あの方なりに本気なんじゃないでしょうか。
もちろん、それは被害者の側にたった発想ではない。飽くまで日本人の心情だけ考えている。
加害者である日本人がもうほとほと謝るのにうんざりしている…。
『その繰り返しを自分の政権の間に断ち切ってしまっておいてやりたい』と、
本気で考えているんじゃないでしょうか。

『歴史に名も残り』ますしね。日韓国交正常化交渉を仲介したお祖父さんの岸信介氏の
例に倣う、という、そういう個人的想いも満足させるでしょうし。

…以上のようなもろもろの理由から、安倍政権が今回の決定を思いきってやったのは
まあ、本当に一挙四得くらいはあるんじゃないかな。

でもね。う~ん……。
心からの謝罪でないということは見え見えですし、これからが大変ですね。
朴槿恵大統領が大変だなあ…

日本側もね。ボールは韓国側にある、とばかりに余裕でもいられないと思いますよ。
中国が、同様に対処を求めてきてるでしょ。台湾も。
韓国人慰安婦に対しては今回の話し合いが出来て、中国や台湾には出来ない、と
言うとすると、日本の反省と謝罪の心は、本物ではないのだな、ということに
なっていまいます。
対韓国で人道的見地を装ってみても、中国や台湾にはそれが出来ないというのでは。
世界の目は厳しいですから。

何よりも今回の合意が危なっかしいのは、その一番の盲点は…、
一番肝要であるはずの、当事者である韓国人慰安婦の方々の気持や意志を
飛び越えて、政府と政府が政治決着しようとしていることではないでしょうか…
韓国人慰安婦の方々の人生が、この議論のどこででも語られない…
粛々と処理すべき単なる政治の一課題にされてしまっている…

そこがとても残念です。
あああ……これが本物の反省と和解と慰安婦の方々の魂の救済であるなら
どんなにいいかと思います…。

んさん。ありがとうございます~。

えへへへ・・・

あれから少しいじってみたら、復元したものです(笑

改めて読んでみたら、なんのことはなかったです・・・あははは。

こういうことを書いて、そして消えてしまったというアリバイのために、

再コメを、しかも鍵かけて(笑!

お騒がせしました(^^ゞ



こんばんは。

年末のご挨拶をと、用心のため「メモ帳」に書き連ねたのですが、
いざコピーして、こちらのコメント欄に貼りつけと思ったらですね・・・ゥエ~ン(*_*;

真っ白になっていました!!
メモ欄まで真っ白(;一_一)

最後の最後まで、ドジなあたいでやす(^泪^)

ということで、急きょ簡単に。

今年もいろいろありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

彼岸花さんは風邪を引きやすいような。。。
夜更かしはいけませんぞ!

健康で、穏やかなお正月を。
そして良き2016でありますように。

こんなコメントじゃなかった筈だけどな~(-_-;)

Re:29日の鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは♪

過分のお言葉、面映ゆいですが、すなおに嬉しく頂戴いたしました。^^
私にとってもそれは同じです。鍵コメさんがいつもそこにいてくださること。
そのことが私にも勇気をくれたんですよ。

…こういうことはお互いさまですよね…。
一人で意見を書き綴って行くこと…まして堅苦しい政治の話題などです。
誰も読んでくれる人はいないと思えば、さすがにやはり書き続けるエネルギーは
弱って行ってしまいます。
けれども、『あそこにあの方がいてくださる……』
そう思える方がいてくだされば、心強くまたそれだけで、暗い夜道にあっても
遠いともしびがいつも見えているような、そんな心の温もりを抱いていられます…
元気をなくした時でも、また立ち上がる気力が湧いてくる…。^^

こちらこそ、いつもありがとうございます♪

政治上では本当にろくでもない年でしたが、希望というより…、『理想』は捨てていません。
かくありたい、ということも無くしてしまったら、寂しすぎますものね。^^

今年もあと二日。
来年もどうかいろいろ教えてくださいませね。
どうかいいお正月をお迎えくださいね。^^
ありがとうございます♪

なんじゃ?

まあ、日韓関係の修復が悪いとはいわないけど・・・
この年末も押し詰まろうかというときに・・・

妙な既視感は・・・あっ!新国立競技場のザハ案を白紙撤回にした時と似た感じ。
2015最後に高感度アップ謀ったよ与党の奴ら。

まあ、深く深く根に持つ韓国に「慰安婦像の撤去」は努力目標じゃ絶対またごねてくると思うんじゃがのう。

それに何に使うんだか?10億も拠出?・・・血税ムダにくれてやるんじゃねぇよ!

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Re:愛希穂さんへ

愛希穂さん。こんばんは~。

はい。貧しさは相当なもんでした。(笑)
でも、母が私には世間の冷たい風をあてないように、いつも立ちはだかっていて
くれたと思うのです。
貧しくともプライドの高い人で、決して人に弱味は見せなかった。
いつも奥歯をかみしめて、厳しいいかめしい顔つきをした人でしたね~~……
私は母の泣き顔など見たことがありません。
子供の私の前で弱音を吐くなどということも一度もなかった…
『死のう!』と言ったこの時は、ほんとに例外です。

この時も、最初から『一緒に死のう』などと言ったのではなかったのです。
他の人に聞こえないように低い声で、『ちょっと。ついてきなさい』と言っただけ。
でも、そう言われて私がふと母の顔を見ると、その顔がいつもと違っていたんですね。
『血相が変わっていた』とでも言うのでしょうか。
子供心ながら尋常でないものを感じたんです。
それで、素直について行くのをためらった。
私がためらったことで、母は声を大きくせざるを得なかった…のだったかもしれません…
それほど感情的にも切羽詰まっていたのでしょうね。

私は子供の頃だけで実に15回くらいも引っ越しをしています。
いつもたいていこういう事情。^^
でも、母が『感情の乱れ』を見せたのは、たった一回。この時っきりです。
その他は、実に雄々しく子供を守るために戦っていた…
だから私は、母の苦労を本当には知らず、いたって呑気な子供でした。
貧しくても幸せでしたね~~~。

今にして思えば、ほんと、母はいつも窮地をどうやって脱していたのだろう
と思います。あの性格からしてひとに借金など頼める人ではないし。
他人の家に世話になる…このときがよほど窮していたときだったのでしょう…

でも、貧しさを『自己責任』などと言う人はいなかったように思うなあ。
アパートの隣の人も、その隣の人も…それぞれにいろいろな違う複雑な
事情を抱えていて、多少の差はあれ、共に貧しく…
そしてね。他家の事情などをお互いによくわかり合っていたように思いますね。
だから、本当に困窮しているな、と思うときには、声を掛け合っていたのだろうと
思います。
『うちも狭くて汚いけど、よかったらしばらく落ち着くまでうちにいなさいよ』
とか、ね。^^

いつも思うことですが、明治時代などの文学作品を読んでいると、よく
遠い親戚や血のつながらない他人を同居させているのが出てくるのですね。
それは、分限者が親戚や同郷の若者を『書生』や『お手伝い』として同居させ、
学校に行かせたり花嫁修業させたりと言うケースが多いけれど、お祖父さんの
元お妾さんを面倒みている、などと言うのもあったりする…
子供には、いったいどういうつながりの人なのかわからないような人が、
元から家になぜかいたりする…
あ、そうそう。亡くなられた水木しげるさんの『のんのんばあ』などもそうかな。
『のんのんばあ』は、しげる少年にとって血のつながりはないんですね。
しげるの家にかつてお手伝いに来ていた「景山ふさ」という老婆のこと。
でも、家族も同然だ。血のつながったお祖母さんみたい。^^

かつての日本は、ひととひとの関係が、今よりは緩やかに大きく営まれていたの
かもしれませんね…
養子縁組なども当たり前のように行われていたし、結構なお年の叔父さんが
居候していたりした…^^

それが今よりいいとか悪いとかいう問題ではないけれども、
それはそれで、一家の主婦などは、今とは違う種類の気苦労をしていたかも
知れないけれども、少なくとも子供たちにとっては、今の子供たちのように
『親対子供』『学校対子供』という逃げ場のないタイトな環境ではなく、
親や教師や同級生以外に、隣の優しいおばあさんがいたり、お兄さんのような
叔父さんが同居していたり、いろんな年齢のいとこたちがいっぱいいたり…
学校や学年は違っても近所の遊び仲間がいたり…で、
何かあっても逃げ場がもっと多かったように思うんですね。
親や教師以外の価値観や考え方を持つ大人たちが身近な所にいっぱいいた…

そうそう。留守の娘夫婦の代わりに生ものの荷物受け取るために昨日娘のとこに
行ったら、宗教学者中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』という本が
テーブルの上に置いてあった。前から読みたいと思ってた本だったので、
運送屋さんが来る間退屈だから借りて読んでいた。
歴史学者網野善彦は、中沢新一の父の妹の配偶者、なんですね。つまり
二人の間に血のつながりはない。
けれども、5歳だった新一少年は、叔母さんのお婿さんとして現れた網野氏と
初めて顔を合わせたその日から、年齢差を超えた生涯の親友のような関係になるのです。^^
父と叔母と網野氏が、侃侃諤々、歴史について、社会について、高度な議論を
熱く戦わせるのを、5歳の少年は、傍にちょこんと座って聴いている……
叔父さんは相手が子供だから、と言って手抜きをすることなく本気で遊んでくれるし、
学問の手ほどきもしてくれるのです…。

いいですよね~。こういうの…^^

『自己責任』とか、『いじめられる方もどこか悪いとこがあるんだろ』
などという冷たい言葉が当たり前のように囁かれる、今、という時代。
壁一つ隔てたところに困窮しきった母子がいても、それと気づかれない時代。
思い余って『助けて!』と言うと、助けの手を差し伸べるより先に、まず
助けられる資格があるかどうかが真っ先に問われるような時代…
それっておかしいですよね。

このところ、朝日などによく記事があって、誰からも助けてもらえない…
その方法さえ知らない母と子のことなど読みますと、自分の昔のこと
思いだして、なんとも言えない悲しみに襲われます…。
貧しさだけではない、人間関係に行き暮れる子供たちのことも…。

愛希穂さん。ありがとうございます。














Re: stanislowskiさんへ 追伸

おお…ようやく投稿できました。
何が悪かったのか、さっぱりわかりません。

消したとこ、もう一度やってみるかな?…

             *

いつの方が幸せだった、いや今の方が、などとは決めつけられない。
昭和30年代などという時代は、単に私の回想の中で淡く懐かしいというだけの
ことであって、決してその時代を今よりいい、などとは言えないですね。
敗戦からわずかに10数年。まだまだ日本は総体的に貧しく、仕事のないものは街にあふれていた…そんな時代でしたから、決して決して『あの頃はよかった…!』などとは言えない。
それはわかっているのですけれども…。

敗戦後の日本は、自らが招いた不幸とは言え、立ち直るのに必死でしたね。
でも、敗戦は、日本に、『これで新たな世界が開けるんだ!』という大きな
解放感や希望ももたらした。
完全普通選挙、言論の自由、労働関連三法の成立、男女平等、教育・学問の自由…
などなど、戦後日本人が獲得した諸権利や諸制度は、戦前戦中の不自由な
時代からすれば、ほんと、夢のような、明るい希望を抱かせるものであったろうと思います。
言わば『強制と、自らの労なき言わば棚ボタ的な』ものであったとは言え、日本人に与えられたもろもろの自由と諸権利。
それを獲得するには、普通、どれほどの努力が必要なことか。
およそ人間が人間らしく生きられる…その最低限の生活を守るためにさえ、どれほどの
長い年月にわたる闘いが必要になることか、少し考えてみて、と思う…。

少なくとも戦後の日本人は、その諸権利を…
日本国憲法が象徴してるような数々の自由や権利を、守ろうという努力を
これまでは曲がりなりにもしてきたと思うのですね。
昭和2、30年代、などという頃は、そうした国民の切実な闘いが、最も
苛烈に戦われた時代であったと思います。
…そういう意味でなら、『いい時代』であったかもしれません。
即ち、国民がまだ『理想』や『希望』というものを…、それが幻想であったとしても…
まだ持っていられた時代であったと思うのですね。

ところが。今は。
上に述べたような、国民が死守すべき諸権利や自由などが、侵されようとしています。
教育に政治が介入し、報道にも政治の意志が介入し、国民の諸権利と国民主権を謳った憲法そのものが侵されようとしている!!!

それなのに、国民の意識は、高いとはお世辞にも言えません…
『経済回復』!という言葉の前では、理性も倫理観もあったものじゃなく、
へへえ~っ!とひれ伏してしまう!
福島の人々のめちゃめちゃにされてしまった暮らしや、その深い深い苦悩を
知らないわけではあるまいに、なお、再び安全神話に身を委ねて再稼働を
待ち望む人々がいるのですからねぇ…
沖縄の犠牲と苦悩を見て見ぬふり、もそうです…

              *

本当は、これが書き出しの部分でした。
試しに送ってみます。
これのどこが問題なのかな~。…
ぶつぶつ…。 (笑)


Re:stanislowskiさんへ

こんばんは。

(う~~~ん。どうしてもコメ返が『不正投稿』にされてしまいます。
弾かれそうな言葉は一切削って、長さも半分にして、書きだしも変えたりして
何回も投稿してみているのですけれど。
FC2さんのどんなルールにひっかかっているのかわけがわからないなあ。)

おっしゃるように、まさに、
『世論を動かすと言う気力・体力・知力のほうが遥かに大変なのかな。今の日本。』
となってしまっちゃっているみたいです…
この国にだって、本質をしっかりと見ている方々はたくさんいると
思います。ただ…非力だ…あまりにも非力だ…
国民の意識がもっともっと高くなって、国民が自分の生きるこの社会のことを
もっと自分に直結したものという自覚を持つようにならないと。
一から作り換えろと言われているわけじゃない、マイナスからスタートするわけでもない、
今ある憲法の根本原理や、日本が戦後得た『良き仕組み』を
改悪させるな、というそれだけのことなんですのにね。
一度言論の自由や教育の独立、労働法が守る諸権利などが破壊されたら!
それを再び国民の手に取り戻すまでに、またどれほどの努力が必要なことか!

この記事の、クリスマスの思い出や貧乏の苦労話などは、実は私の、
表面的な想いでしかありません…
ここに書いたことの裏に、私の真の想いはあります…
上に書いたような、今の日本の向かおうとしている方向とそれに対する
抵抗の弱さへの、身の捩れるような危機感です。
stanislowskiさんは、そこのところを敏感に汲み取ってくださっての
このコメント、という気がいたしました。^^

> 町内だけで済んだお買い物、近所同士のお付き合い、小さな集合体(自治体)から物事を見つめる目を子どもには養わせたいです。
>実際に、社会に参加する、異議申し立ての声を出すと言う行為は止めません。
むしろ、こちらこそ頑張りたい。

まさにまさに!
私も。今の混沌というかどうしようもない腐敗構造やあきらめムード、沈滞、の
広がりを止めるには、そのキーワードは『地域社会の再生』ということじゃないかと実は思っています。決して、これまで自民党がやってきて、またしても今の政権が選挙目当てにやろうとしているような『地方交付金のばらまき』などではなく。
また、『地域再生』や『家庭の絆再生』の美しい名目で、女性たちを目に見えぬ糸で地域や家庭に縛りつけるような、そんなものでもなく。
それには、以前ほんの少し触れたこともある、まさに『小さな自治体レベル』
から、男女の住民の政治や社会参加がもっと気軽に行われて行くようになる、
という意識改革が必要だろうなあ、と思います。


はい!
ブログも、キャンドルナイトも続けます!^^

…しっかし。くっそ~~~!(あら、下品!笑)
言いたかったことを半分以上削っちゃいましたよ~~~!。
これじゃなんか、気の抜けたサイダーみたいな返事になってしまったなあ。(苦笑)
また、記事のかたちで、今回いただいたコメントへの返事にもなるよう
書いてみたいと思います。

stanislowskiさん。すみませ~ん。
いつもほんとにありがとうございます。

いいお年をお迎えくださいね。^^

No title

彼岸花さん、年下の私が言うのはよくないと思うのですが、そして、こんな言葉で表せるものではありませんが、苦労をされたのですね。
でも、当時は助け合いの心がまだまだあったのですね。それが今はそういうのは殆どないんでしょうね。
「助けて」って言いたくても、言えない世の中になってしまっている。息苦しいですよね、そんな世の中。

例えばいじめ問題で、いじめられていても、「助けて」って言えなかったり、周りが気づいていても傍観者に徹していたり、酷い場合、「いじめられる方にも問題があるんだよ」という場合もあります。この空気って、貧困問題と同じですね。

「助けて」って言える、そしてそれを受容できる世の中になってほしいです。

Re: stanislowskiさんへ

stanislowskiさん、こんにちは。
昨夜から何度もコメント送信しようとしているのですが、『不正投稿』とされて
しまって送信できません。
『この言葉がひっかかるのかなあ』と思われるものはことごとく削除するか
言いかえるかして、これ以上無難な用語は使えないよ!というくらいに
妥協して(笑)何度も書き直ししてるんだけれど、駄目。
長すぎるのかなあと思って、半分に分けて投稿しても駄目。
いったい何なんでしょうね。

後でもう一度やり直してみます、もうしばらく待ってくださいね。

No title

物と心は豊かになったのか?貧しくなったのか?赤の他人が手を差し伸べる事より、自己防衛のほうが強くなったような昨今。自己責任という言葉が風潮になり、プロパガンダしてるよう。国の責任で、国策で、という市民の声が無くなったような気がします。世論を動かすと言う気力・体力・知力のほうが遥かに大変なのかな。今の日本。
自分だけを見ていたほうが気が楽だもの。小さく自分の暮らしを守る。それがいけないとは言わないけど、それが基本なのかもしれないけど、何かが違う。
力の無い小さいものは数で対抗するしかないのに、それすら放棄・諦めているような・・・

今やクリスマスを祝うのは日本の文化として定着してますね。
私も西洋のクリスマスに憧れました。だからそれを批判するのはナンセンスだけれど、ドイツのニュースで、東京のリポートを観たら、クリスマスのほかに「サン・ニコラ」とか、とにかく西洋の文化を商業に乗せているようで哀しくなりました。私の田舎ですら春にはイースターもですよ!

少女雑誌の新年号に胸をわくわくしている少女時代の彼岸花さんが目に浮かびます。わたしも大好きだった!次号を待つ楽しみ。あー、いい時代でしたね。
町内だけで済んだお買い物、近所同士のお付き合い、小さな集合体(自治体)から物事を見つめる目を子どもには養わせたいです。

昨日は夫側の家族をクリスマスを祝う食事を共にしました。たくさんろうそくを灯し、いい時間でした。
明けて今朝は青空が広がり、新年の趣きです。
つくづく。まるで逆。こちらはクリスマスが静かで、年越が賑やかパーティの図。

来年はまたハードになりそうですね。私はブログで誰かと議論するエネルギーはなくなりコメント欄も閉じました。でも、実際に、社会に参加する、異議申し立ての声を出すと言う行為は止めません。むしろ、こちらこそ頑張りたい。

彼岸花さん、こちらで同じような考えをお持ちのみなさんのコメント、興味深く拝見してます。ブログ、続けてくださいね。お願い。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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