『「平和安全法制」施行の夜』


時計の針が0時を回って、2016年3月29日。
昨年9月に成立した『平和安全法制』が、施行される日がついに来た。
正式名称はなんだっけ…
「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」
(平和安全法制整備法)と
「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等
に関する法律」(国際平和支援法)の総称だ。
政府の使用している略称では、『平和安全法制関連2法』。
マスメディアなどでは、安全保障関連法案(安保法案)、安保法制、安全保障関連法(安保法)
等々と呼ばれ、いわゆるレッテル貼りの勢力(私を含む)からは『戦争法』と呼ばれるもの。

『平和安全』…? なんじゃそれは?!

内容についてはもう語るまい。要するに、日本の集団的自衛権とやらを認め、それに
歯止めがなくなり、自衛隊が遠く日本の防衛とは直接関係のない地にまで派遣されて、
そこで武器使用もできるようにしたという、そういう法律だ。

しばらくブログで黙り込んでいたけれど、今夜は重い心と体で、書くことは書いて
おかねばなるまい。
黙っている間中、私は主に、ひたすらこの安保法制撤廃のための署名を集めることに
力を入れていた……
おとといは、大きな駅の雑踏の中に、ただ一人で立って署名集めしていた。

何だろうなあ。私を突き動かすこの怒りは。
目の前を無反応に通り過ぎて行く人々の群れを見ながら、自分のこの怒りは一体
何に対して一番向けられているのだろう…とよく自問する。

安倍政権で私が忌むもの…何もかもなのだが、
それは、なんというのだろうなぁ……大きく一言でまとめるとすれば、それは、
人間が積み上げてきた『人類の叡智』の軽視と蹂躙、とでもいおうか、そのようなことだ。

それについて書くべきことは山ほどある。
だが今夜は、この写真一枚載せておこう。


img_df94e42340d51417371ad803b2de79bd159449jieitai.jpg
写真はこちらからお借りしました。http://www.afpbb.com/articles/-/3060050?pid=16455456
なお、彼らの名誉のため念のためにお断りしておきますが、これらの自衛官さんたちの自衛官としての職務意識は、
私の信条とは何の関係もありません。



これは、昨年の鬼怒川決壊の折の自衛隊員の姿だ。
私たちが自衛隊員というと思い浮かべる服装ではなかろうか。緑色系の迷彩服。
これは、緑の草木の多い日本の山野を守る彼らのために作られた迷彩服だ。
だが、自衛隊には、俗に『砂漠迷彩』という、砂漠地での活動に向けた白っぽい
迷彩服があるのをご存じだろうか。『自衛隊 砂漠迷彩 画像』で検索すればすぐに出てくる。

私は、この青年たちに、砂漠迷彩服を着せたくない。
彼らが『駆けつけ警護』や『治安維持任務』という名のもとに、アフリカなどの少年兵たちに
銃を向けるのを想像さえしたくない。





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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは~。

50年代のファッション。
そうそう。まさにおっしゃる通りで、子供の頃観ていた映画や街で、
女優さんやお姉さんたちが、こういうラインの服着てた。
ディートリッヒとか、ローレン・バコールとか、キャサリン・ヘップバーンとかね。^^
子供心ながらに、ウエストをきゅっと絞って、女性のからだの曲線をいかした
この頃の服をいいなあ、と思っていたような気がします。
中原淳一のファッションブックとか熱心に見ていたし。
その後…60年代70年代80年代と…自分も時代とともに大きくなって、
自分で大人の服を着るような年齢になって行ったんだけれど、流行を追いかけた
ことはないですねえ…。
私のファッションの基本は、ずうっと、タイトスカートとかちっとしたジャケット。
タイトスカート丈は、この写真よりはさすがに短めで、ひざの少し下くらい。
インに着るシャツや、セーター類もわりとぴっちりとしたもの。
そして7~9センチくらいのハイヒールでした。

フレヤ―スカートとかギャザースカートとかフリルとか…ふわふわした女性らしい
服に憧れないわけではなかったけれど、自分の『分』じゃないと思ってた。^^
最近です。ジーンズはいたり、少し遊びのある服着るようになったのは。
でも、基本、ふわふわぶかぶかの服は落ち着かないなあ!
あ。ルーズで楽な服、って言うんですか(笑)。肩からずり落ちそうなのとか、
袖が長くて台所仕事するのに不便な服とか苦手です。

ラインストーンとか刺繍とかフリルとか、手仕事の技を駆使した服は、見るのは
楽しいけれど、自分で作ってみようとか着たいとかは思わない。
それでも、娘がまだ20代くらいの時は、実験的なラインの服も時折は作って
みてました。20世紀初頭、アール・ヌーボーの旗手と言われたエルテの
デザイン画とかを参考に、変わ~~った服を。(爆)
バッグも凝ったマクラメ編みで、服と合わせて作ったり。

今はもう、そういうエネルギーないです~。
でも、昔のファッション雑誌とか映画雑誌見るのは今でも好き。^^

鍵コメさんは個性的な服お召しになる方だろうな、きっと。^^

ありがとうございます!


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Re: 玄さんへ

いつもの玄さんが戻ってきましたね。^^
やっぱり玄さんが元気なくていらっしゃると寂しいや。

う~ん。漱石の『満韓所感』。
あの中に、漱石の『中国蔑視』を探し出して、したり顔をする人が多いですが、
ちがうんじゃないかな、と思いますね。
なんだかね。反原発を言う者に、『それじゃあなたは電気は使わないのだね』、
とか、『それじゃあなたは、地球温暖化には無関心なんだね』という決まり文句
をいう者が多いですが、そう言う言い草となんとなく似ている気がします。
署名集めの記事にも書きましたが、『熊本が大変な時に戦争法反対もへったくれもないだろ!
熊本のためになることしろ!』と言って通り過ぎて行った男性の言い草も似ている…。

『自分はどうなの?』と問い返したいですね。
そんなことを言うひとに限って、地球温暖化などにはおそらくこれっぽっちも
関心がない。大体、原子力発電のこの地球にもたらす厄災に無関心なひとが、
地球温暖化を心底から憂えている筈がないのです!
問題は同根なのですから。
おそらく、『戦争法どころじゃないだろ。熊本のために何かしろ!』と言い捨てて
去って行った人は、熊本に何一つ自分じゃやっていないと思いますよ。(苦笑)
要するに、人を攻撃することが目的で攻撃している…それだけのことに過ぎません。
『翻って自分自身はどうなのか…』という視点はこれっぽっちもない。

大体私は、『磯野家の謎』とか、『ドラえもんの真実』とかいうたぐいの本が
大っ嫌いなのです。そう言えば、10年くらい前に夏目漱石の暴露本、みたいなのも
出てた記憶があるな。こういうのでは必ずと言っていいほど、漱石の二男伸六に
対する例の足蹴シーンとか漱石のDVとかノイローゼとかそういった類のことが
強調されるようですが、下劣な覗き趣味の者が、すでに有名な作家または作品を
低劣なレベルでいじくって、それで本に仕上げようとするその心根の低さが
あたしはだっきらいです!(笑)

といってもなにも、夏目漱石を神格化することもない。ありのままの夏目漱石を
みようとすることが大事だと思います。
朝日新聞に載っていた記事の佐藤という人も、『満韓ところどころ』を読んで
夏目漱石の『植民地への蔑視的表現に驚いた』と書くってことは、良かれ悪しかれ
この、漱石の『神格化』にどっぷり浸っていたからじゃないですかね。
人格者夏目漱石、『則天去私の人漱石』『高踏派漱石』『余裕派の作家漱石』……
こういう決まり文句で夏目金之助という一人の人間を『大文豪漱石』に祀りあげちゃう
から、彼の作品にところどころ出てくる蔑視表現や彼の次男打擲を、今風の言葉で
『漱石の家庭内暴力、DV』などと言って、ことさらに驚いたり取り上げたりする。

夏目金之助、というひとは意地悪なところも多分にあるひとですよね。
『意地悪』と言うんじゃないな。…そう…『江戸落語的な皮肉とか諧謔の眼』
を持っていたひと。意地悪なんじゃないんだ。
おっしゃるように地べたを這いずるような庶民の暮らしに特に同情もしない代わりに
それを蔑視しもしない。ありのままを見て書いているだけ。
だから、中国の当時のありさまを見て、特に蔑視などもしていないんですよ。
見たこと感じたことをそのまま書いているだけ。その態度は、なにも中国に
限ってそうだったわけではなく、『坊っちゃん』の中では、同胞である愛媛の
人間に対しても容赦なく向けられていますよね。
じゃあ、江戸の人間を良く描いているかというと、『猫』などでは隣人に
対しても容赦がない。イギリスなどのことは糞味噌に書いている。ww

漱石のいいところは、『裏表のないところ』だと私は思うんですね。
苦しい庶民の暮らしに同情的に寄り添うこともない代わりに、権力者に媚びることもしない。
じゃあ、自分に対してはどうかというと、これまた自分のことも突き放して
見ています。自分の弱さも悉皆知り尽くして、それを隠そうともしていない…
その正直さが、漱石が時代を越えて愛され読み続けられる理由のほんとのところ
なんじゃないかなあ…。
漱石を読んで、『なるほど余裕派だ…』『これぞ則天去私。いいなあ!』などと
思って読む人は、そうはいないんじゃないでしょうか(爆)。

漱石自身も、自分じゃおそらく自覚してそうしていたわけじゃなかった
かもしれませんが、『裏表のある者』をとても嫌っていたように思いますね。
漱石の異常さの例として良く持ち出される次男打擲のシーンも、私には
すごくその気持ちがわかるんです。打擲がいいことだとは思いませんが。

『満韓所感』には、確かに当時の中国の民の暮らしの貧しさや
遅れているところも正直に書きだされている…。
汚いと感じたものを、ありのままに『汚い』と書いているんですね。
でも、一方で、玄さんがお取り上げになった箇所のように、漱石は、中国の
文化をよく理解し漢文の素養の中で育ってきたひとですから、中国の文化の
重層性は、しっかり知っていたし見ていると思いますね。
私も、玄さんがお取り上げになった、
『淸國皇帝の字がいい,とか,中国人は自分が飢えてもひねもす鳥かごを眺めて,』とか
言う個所が、とても好きでしてね。「ああ、ここに漱石らしい眼ざしが出てるよなぁ…」
と思いました。^^
私が火野葦平の『土と兵隊』『麦と兵隊』が好きなのも、これに共通したところ
があります。火野葦平は、中国の民を『侵略者』の目で見ていないんです。
『日本の方が上の存在で、中国は教え導いてやらなきゃどうしようもない遅れた存在、
日本人が政治にも軍事にも文化的にも介入教導(その実「侵略」)しなければならない
存在』などという視線で見ていない。
同じ人間の視点から書いている…

漱石の『満韓所感』のごく一部分を取り上げて、それを『植民地への蔑視』、
などと今さら驚きことさらに書きたてるのは、なんていうかなあ…そう言っちゃ
言い過ぎかもしれないけれど、『自分の内にもある「中国蔑視」』を、漱石の文の
中に発見して、ただ確認して喜んでいるという心理がありはしないかなあ…。
おそらく自分では自覚さえしてない…『(俺だけじゃない)漱石でさえ、こういう
蔑視を持っていた!』という発見に少しわが意を得たり、となっている感覚。

私ね。日本人の中国蔑視、征韓論などのそれこそ江戸末期あたりからの歴史、
そしてその根深さ、ひどさ。実際に日本人がしてきたことの実相を本当に
知っている人ならば、漱石のこれっぽっちの客観表現に驚いて『漱石が中国蔑視してた』
なんて言いたてないと思うんですよ。知らないから、これっぽっちの表現に驚くんだ。
それに、この人は、「夏目漱石の『植民地への蔑視的表現に驚いた」そうですが、
玄さんがおっしゃるように漱石のこの『満韓所感』の頃の中国は、
日本の『植民地』じゃありませんでしたよね。『租借地』。
そこらへんの知識も曖昧。
『満韓所感』とは銘打っていますが、韓国についてはほとんど書かれて
いませんしね。この人の『植民地への蔑視』という言い方はどうかな。
私も、知識については他人のことは言えませんが、玄さんと知り合い、また
戦争文学の記事など書くようになってようやくいろいろ勉強するようになってから、
中国(そして日本のそれとの関わり・関与)は、とても一筋縄じゃいかない、安易に
同じ視点、同じ用語、同じ感覚を持って語ったりできるもんじゃない!という
その畏れだけは、知るようになりましたよ。だからね~。玄さんのところの
記事にも気楽にコメント入れられないんですよ~。
一見『戦争否定の人道的見地』から書かれているように見える反戦詩、でも、
それが当時の日本人によって書かれている限り、『日本人が中国など外地にいるのが
当たり前』という感覚から逃れられていない場合が往々にしてある。
石川達三の『生きてゐる兵隊』などは、まったくその視点への疑問を
感じませんしね。火野葦平には、その迷いがちらっとある。そこが私が
火野葦平は好きで、石川達三にはどこかでいれこめない差を生んでるかな。
火野葦平は、戦中戦後の生き方に決着を自らつけた数少ない作家ですし…。

玄さんがここにお書き下さったこと…今ではよくわかります…
ごく2年ほど前までは、私も無知、何もかもいっしょくたに考えていました
けれど。

漱石の『満韓所感』にもう一度戻れば、これが良くも悪くも
当時の日本人の姿や考え方を正直に書いてあるという意味ででも貴重な記録ですね。
満鉄総裁であった中村是公に誘われ招待されて行ったわけでしょう。
他人の土地での日本人の勝手な増殖ぶりも、ここにはよく描かれている…
それを裏返して見れば、中国の民の、日本人への想いも見えてくるわけです。

『全く端的に「時代の中の日本人にすぎない」漱石ををとらえている』

ほんと。そう思いますね。漱石というひとは、そういう意味でも読み継がれ
語り継がれる価値があると思います。漱石を読めば、当時のイギリスと日本
が見えてき、当時のロシアと日本が見えてき、当時の中国と日本も少し
見えてくる…。時代の空気に流されない意固地なひとだっただけに、ある意味
その書いたものは、客観的資料になり得るんですね。

しかし。人間漱石、が好きな私は^^、『満韓所感』は、胃病を抱えた漱石の
旅のつらさしんどさがとにかく目について、そういう意味でも読んでいてつらいです。
早く帰りたい、早く横になりたい…そればっかりだったんじゃないかなあ…。
それほど行きたくてたまらず行った旅行でなく、書きたくて書いた旅行記でなく、
新聞社の方もなんかいい加減な扱いですしね~。

まあ。それでも。この朝日の記事の人も、『満韓ところどころ』をきっかけに、
『日中間にある多面的な背景』への疑問と研究に踏み込んで行ったようですから、
中国について何も知らない、日本人がしてきたことについて考えてもみない、
という大方の人々とは違うのでしょうね。
読んでみないとわかりませんが…。
『日本軍・日本人がいたころの方がよかった…』という結末を引き出すための
韓国人の生き方追及、中国人の追跡、南方アジアの国々の人々の証言集め、という
本もありますし…。
ぎりぎりと歴史を正見するのならいいですが…。

玄さんが少しまたお元気回復されたようで嬉しい。
まだ無理しないでくださいね。ありがとう~~~♪















満韓所感

ところでね,今日の朝刊読書面に漱石の満韓所感ですか?蔑視がどーのというのがちらっとのってましたね,

あれからどんなもんかと,わたしも読んでみましたがね
おっしゃるようにべつにとくべつ蔑視してるようには全く感じませんでした。
ただキタナイものキタナイと言ってるだけで。


彼岸花さんおっしゃるところに同感です。クーリーの生き方,というか "生かされ方" ですが,それをさげすんでいる価値観は見当たりません。状態がキタナイといってるだけです。同情もしてないみたいですが,そこは漱石はそういう人だと思いますよ。社会主義的なところもない人ですし,社会の諸悪を見つめるというまなざしはないですよね,ニホン的文士の分を守っているという感じです。

むしろ淸國皇帝の字がいい,とか,中国人は自分が飢えてもひねもす鳥かごを眺めて,とか。
漱石の価値観がにじむところでは中国人をさげすんでるようにもまったく思えません。
満鉄や租借地の日本人はよっぽどあくせくして俗っぽくてどーにもいやだな,という感じをいだいたんだろう漱石,絶対ニホンジンをほめてやるもんかと意固地になる漱石ばかりおもいうかびました。

というよりですねー,
この時代にあってですよ,そもそも革命前ですよね,魯迅だってもっとぼろかすいってますよ。中國人のこと。
その通り,惰弱でキタナイ東亜の病夫だったんです。だから革命が起きたんじゃないですか。辛亥革命が。

漱石が蔑視云云だ,植民地支配を否定しないアジア觀のもちぬし,なんていってるのは,世界史をよく知らない日本人の無知では?と思ってしまいます

もっといえば10年代の滿洲は植民地ではありません・あくまで租借地です。

そこは朝鮮とも台湾とも違うわけです。だからいいとか悪いとかじゃなく,歴史は複雑なんですね,滿洲に関してはそういうことです。

批判者は伊藤博文の殺された時代と,東条英機が滿洲で憲兵隊司令官やってた時代と,岸信介らが統治していた時代と,っていろんな「滿洲」があることが,そもそもよくわかってないんじゃなんじゃないですか

そうではない,革命後の中國を,20世紀の半ばまで,なめて,さげすみ,強欲に,日本だけがさいごまで貪ったこと,という侵略と19世紀からの延長としての世界といっしょになってやった侵略と。ちがうわけです。
勿論19世紀から侵略されていた中國をたすけようとしていた,という文脈もわずかながらでもきちんとありますが,それはまた別のハナシです。

世界の帝國列強と一緒になって "淸國" を貪った時代と, "帝國" 日本だけがさいごまで残虐に革命後の民國を貪ったこと,このことのちがいが,歴史としてふつーっの日本人はわかっていません。

わたしにいわせればなにもわかってない日本人,侵略をよくわかってないからよく反省もしない日本人ということになります。
ロシアだって帝政時代と,ソヴェトではちがいますし。なにより中國がどういう状態にあったかということです。封建の中國か,そこから脱出すべくあがいた中國か。満洲族の皇帝の時代か漢族の軍閥の時代か。

日本がやってきたことなのに何も知らないでいられる今の日本人は不思議でなりませんということで,これは
漱石へのひいき目でなく全く端的に「時代の中の日本人にすぎない」漱石ををとらえていると思います。
むしかえしてしつれいしました。

Re: 玄さんへ

玄さん。こんにちは。

『草枕』ね。私も大好きです。
子供の頃というか若い頃は、これの良さが全然わからなかった。
漱石といえば、『猫』や『三四郎』の気分としての若々しさと、その底に潜む
ある種の諦観、みたいなものを子供心にも感じて好きだったと思います。
いや、大人になってもかな。ほかの作品を読んでもやはりこの2作品が好きだった…
『草枕』の良さがわかるようになったのは、年をとってからです。
『草枕』の那美さんのモデルの前田卓とか妹の槌のことは、いつも玄さんに書く書くと
言って、なかなか書けていませんが。^^

バークのことは、漱石が熊本の五高で教えるようになった時、前任者がバークの
『フランス革命の省察』をテキストとして使っていたので、それを引き継いで
教えることになったらしいですね。
それで、後に、大正2年に、一高で講演を行った時(『模倣と独立』)、バークのことに
触れて、
『それは私の嫌な本です。これ位解らない本はない』と言っている。^^
無論英語の達人の漱石。語学的な力不足のために『解らない』わけではない。
その思想自体が『解らない』というのでしょう。これもどういう意味合いで漱石が
解らないと言ったのか解りませんが、まあなにしろ嫌いだったのでしょうね。(笑)

『このバークはルソーを批判し騎士道を持ち上げた。このバークの騎士道は
武士道と新渡戸植民学の系譜と明治憲法の精神,みんな親戚のようなものです』
と玄さんが書いてくださったこと、なんとなくですがわかります。

漱石がなぜバークのその本を嫌い、だと言ったのかの心底の理由は、いろいろ
あたってみたけれど、見つけられませんでした。
でも、漱石は天邪鬼だから(笑)、単に、自分が選定したテキストでなく、
状況上、前任者が選んだものを続けてやらないといけなかった、というのが
不愉快だっただけかもしれません(爆)。私の勝手な想像ですが。www

まあ、そんな私などの低レベルな想像はさておき、バークの思想を日本に初めて
紹介したのが金子堅太郎。大日本帝国憲法の起草に参画。漱石の奥さん鏡子の
お父さん中根重一は貴族院書記官長。その前任者が金子堅太郎だったんですね。
漱石のバーク嫌い。そこらへんなんか関係ないかなあ…。これも全くの想像。^^
まあ純粋に中身が嫌いだったのでしょうが。

漱石は、あまり政治的にかかわりを持とうとしなかったひとなので、その
政治的立場は伺い知れませんが、ほんと、権力にすがる者、すり寄って行く者は
大っ嫌いだったようですね。それははっきりしてる。そこが私が漱石好きで、
立派な文学者だとは思いつつも鴎外はあまり好きになれない理由かなあ…。
本人が好むと好まざるとかかわらず、鴎外は『官』の人だからなぁ…

この『模倣と独立』という講演には、日露戦争勝利のこととか乃木将軍のこととか
も出て来て、単純に読むと漱石はその当時の人々と同様、日露戦争勝利を
喜んでいるように受け止めかねられないけれど、漱石のほかのところでの記述を
いろいろ考え併せてみれば(三四郎の広田先生に言わせていることなど)、漱石が
これを単純に喜んでいたとは思えませんね。
この『模倣と独立』という講演で、漱石は、自分の二男(伸六)のことをちょっと
しゃべっているのですが、自分の次男が兄のことをことごとく真似する、兄が
欲しいと言えば弟も欲しいと言い、兄がいらないと言えば弟もいらないと言う。
そのことを苦々しい例として面白可笑しく話しているのですが、その二男伸六は
その時のことを父の思い出を書いた本の中で、恐怖と悲しみの経験として
子供の立場から書いています。その時二人は漱石に連れられて、お祭りに行っていた
んですが、射的の店で兄の純一が「はずかしいからやだ」と言った。そこで漱石が
「それじゃあ伸六、おまえ撃て」と言うと、伸六もまた「僕もはずかしいからいやだ」
と言って兄の後ろに隠れた。それを見た漱石は突如烈火のごとく怒りだして、
伸六を打擲し、転んだところを下駄で踏みつけるんですね。
漱石の異常さを示す例として良く挙げられる場面なんですが、私は、伸六さんには
悪いけれども、子供を殴るのは私だって認めないけれども、漱石のその怒りは
すごくよくわかるんだなあ……
私も、子供育てるとき、絵でも何でも下手でもいいから『人真似』だけはするな、
と言うことは繰り返し言ってたからな。(その他のことは大まかな母だったんですが。^^)
要するに、自分の幼い子から国家のレベルまで、漱石は、ただ無節操に『模倣』する
『自分の頭でものを考えない』ということを、心底嫌ってたんだろうなあ、と思います。
あと、人に追従する人間を。とりわけ政治家の周辺のそういう連中などを。
でも、玄さんが書かれたように、そういう政治家だの高級官吏などにだけではなく、
漱石の目は、普通の庶民のこすっからさとか裏表のあるところとかにも同様に
向けられていましたね。そういう意味ですごく潔癖だった。
でも決して冷たい人ではなかったろうと思いますね。厳しいこと言うときも、
落語的と言いますか、江戸的輕口にくるんで言って、本音は書かない。
それでも彼の苦々しい想いは時折の文章で伝わってきます……^^

「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒兩隣に
ちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて,
越す国はあるまい。」

ほんとですよね~。^^
越す国がつい近くにあるじゃないか!という幻想に、上から下まで取り憑かれて
いたというのが、明治から戦中にかけての日本人だったんじゃないかな。
『ただの人』というのが実は曲者。
おっしゃるように、決して関東軍の暴走に、少数の人間の責任に、全てを帰して
しまってはならない。軍人・政治家はもとより、下は『ただの人』までが皆、
欲得に取りつかれて、と言っては厳しすぎるなら、新天地を夢想して大陸へ大陸へと
渡って行ったんですものね。
そこに住んでいる人々のことは考えなかったわけだ。
自分たちの方が優れているというこれまた奇妙で根拠なき幻想に、日清戦争の勝利以来
取り憑かれていて、なにか、自分たち優等民族にはそうする権利があるとでも
勘違いしていたようだ。あの朝河貫一だって、日本が得た領地を返しなさい、と言いながら、
先に進んだ日本が遅れた中国を教え導いてやるんだと言う視点がつい見え隠れします。

だからね~。漱石が昭和の人間たちを見て人違いしたかと思うってことはおそらく
ないと思いますね。
明治の頃から、そう日本人の本質は変わっていないと思います。
今も。残念ながら…。

司馬遼太郎は、男の人は好きなひと多いですね~。
女の人で司馬遼太郎好きな人ってそうはたくさんいるかな。
何か『男の夢』というか、男ごころとかをくすぐるのだろうなあ。

司馬遼太郎の描いた明治は、自由民権思想の弾圧,無政府主義者の弾圧,社会主義の萌芽などを
一切無視して明治の官僚ばかり見ているように思えます、とおっしゃる玄さんのことば、
私もそれは思います。
読み物としてはたいへんに面白い。
でもね、私、本質的にどっちかって言うと、官軍贔屓じゃなく賊軍にシンパシー
昔から感じる方なの(笑)。正直言って、昭和20年代、幼い嬢ちゃんだった
頃からすでに、映画館で時代劇見るときも官軍側よりも新撰組の方が何故かしら
好きだった!(爆)
その頃からもう、『負けた者たち』の側に自分はいつもいると思っていたのだな。^^
だからね~、同じ司馬遼太郎の作品でも、『翔ぶ が如く』とか『竜馬がゆく』とか
『坂の上の雲』などより、『燃えよ剣』の方に魅かれたかな。
『歴史を作って行く』人々よりも、『歴史から零れていく』大勢の者たち…の方に
いつだってシンパシーを感じる。

玄さんはいつか、『彼岸花さんは日本の兵隊が好きなんですよね~…』というような
意味のこと、ちらっとお書きになったことがありましたね。
私はそれを揶揄というようなものではなく私の気質を良く掴んでいてくださるなぁ、
と受け止めて、うんうんと一人頷いたのです。
玄さんはそこのところは過たず解ってくださると思って安心しているので、今さら
説明するまでもないのだけれど、私がそれを認めたからと言って、私が日本軍兵士が
中国や朝鮮半島やその他のアジアの国々でしてきたことを是認しているわけでは
決してない。蛮行は否定しようがなく残虐は容認などされる筈もない。
ただ、日本軍兵士の中にも、行きたくなくても仕方がなしに行った人々がたくさん
いた。反戦詩を書いた人々も反戦短歌を詠んだ人も同じく戦場に送られた。
紙屑のように死んでいった人もたくさんいる…
黒島傳治もシベリア出兵させられたわけですし。
あの『兵隊やくざ』^^の原作を書いた有馬頼義は、岩倉具視の孫で伯爵家の跡継ぎで
ありながら、放校処分を受けて徴兵猶予がなくなって、一兵卒として満洲に行った。
有馬頼義には私は、昔、無頼な推理小説作家としてしかイメージがなかったのだけれど、
『分身』というすごい短編があって、『へええ~!』と驚いたことがあります。
これは、新兵訓練の一環としての中国人捕虜刺殺訓練を取り扱った、重い重い短編。
有田上等兵は慰安所に行きませんね。田村泰次郎も、作品の中で慰安所に行くまいと
思う兵隊を描いている。
死ぬ覚悟で刺殺訓練を拒び抜いて、死ぬほどの拷問制裁を実際に受けた歌人渡辺良三。
『日本軍兵士』というとき、私はこうした人々も思い浮かべます。
その他にもそれこそ紙屑のように死んでいった多くの無名の潜在的徴兵忌避者は
数知れず日本軍兵士の中にも居たと思います。
こうした人々がいたにもかかわらず、それでも日本は、全体としては、アジアに
侵略していった…
私はやっぱり辻政信のような人間はどうしたって好きになれないな。岸もね。
私が憎むのはこうした人々です。
そうした高級軍人、政治家・経済人だけでなく、ごく普通の市民の中にも、
戦地にあって、内地では望めなかった地位と権力をにぎった人間もいた…
学歴も身分もない、内地では社会の底辺にいた人間が、軍隊内ではまともに
飯も食えるし給金も貰える。女も抱ける。黙っていても年季を積めば階級は
一つ上がって新兵いじめもできる…
それら兵隊を送りだした銃後の人間たち…。煽りたてたジャーナリズム…。
それらの総体が、『ただの人』ということではないでしょうか。

今も昔も変わらず、『ただの人』が、他国の領地に新天地を求めて
経済的侵略も武力侵略もして行ったし戦争も引き起こした…
その『ただの人々』の意思あるいは無作為が、結局、あれほどのことをことを
明治から昭和にかけての時期、アジアで引き起こしたのだと思います。
今現在も、私を含め、その『ただの人』の総体が、結局は全てを選択していって
後世の人からから見れば、『歴史』を作って行っているんだけどなあ…
そのことに無自覚な者が多すぎる気がします…

『司馬氏の,「人違いするだろう漱石」,を想像するなら,明治のほんの一部,
“野” のヒトビトの心氣の硬骨と昭和の在野のだらしなさ,これにはおどろいた
かもしれません。
と,あるいは高等遊民の「地位転落から絶滅」というその速さに。』

うんうん。
それは確かに驚いたかもしれないです。その点では、司馬氏も天声人語子も言いあてて
いるのかもしれません。特にこの3年ほどは、それが加速したような。
戦争を知る知識人たちが次々に亡くなられて行き…ジャーナリズムはさらに
ときの政権との癒着を深めて気慨もへったくれもなくなり…
『高等遊民』など今は絶滅。www

話を戻すと。司馬遼太郎に限らず、歴史小説というものは面白いけれど、ある意味で
危険ですね。後世の書き手の切り取り方でいかようにも人物、事実を創作できる。
また、読む側の受け止め方というのでしょうか、ただのエンターテインメントと
思って読みつつも、やはり無意識のうちに、そこに描かれた半実在半架空の人物を、
実際の人物と混同してしまいがちです。
そういう意味では圧倒的なファンを持つだけに、司馬遼太郎の与えた影響は
良くも悪くも大きいと言わざるを得ませんね。

ノモンハン事件は、司馬はおっしゃるように書けなかったのか、書く意思がなかったのか、
半藤一利が結局書いていますが、どんなですか。読んでみようかな。
私は半藤一利は、夏目漱石の縁者であると言うこととは関係なく、結構好きです。
昭和天皇崇拝から逃れられなくても。w

モンゴルやロシア側からの資料が徐々に出てくると言うのは望ましいことですね。
私ね。ずうっと日本軍兵士の側からしか侵略・戦争を扱ってきてないでしょう?
それは、玄さんに中国側の文献を教えてもらうまで、どこにどんなものがあるか
知らなかったし知ろうとしていなかった、ということが無論あるのですが、
さっきの『彼岸花の日本軍兵士好き』(無論文字通りの意味でなく負の側面も
直視しつつということですが)のこととも絡んでくるけれども、日本の側から
だって、徹底的に事実を洗い出して行けば、遠回りでも、いつか必ず同じ侵略・
戦争の真実に辿りつけるだろうと信じるところがあったからなんです。
そういう意味での『日本軍兵士好き』。

でも…それでもやはり、中国や朝鮮半島やモンゴルやロシアや台湾やフィリピンや
…から書かれたものにはかないませんね。
まして、中国内陸部で起こったこと起こっていることは、私など全く知らない…
そういうものがこれからもどんどん出てくるといいと思います。
国籍国境、思想信条とかかわりなく、歴史の真実に近いことはあらゆる側から
掘り起こして、人類の遺産として残して行ってほしいと真に思います。
そういえば、舞鶴市がシベリア抑留資料を記憶遺産に申請したことに対し、
ロシアが反発したのもおかしいし、この問題を突かれるのは満蒙開拓団に絡んだ
旧悪を暴くことに繋がるかもしれないと言うので、知らぬ顔を決め込んでいる
日本政府もおかしいですよね~。韓国や中国が従軍慰安婦問題をユネスコに
記憶遺産登録申請することに激しく反発し、なかったことにしたくてしようがない
同じ日本が。
国境を超えて、官・民の立場なども超えて、どの問題にかぎらず真実を発掘し、
後世への遺産として記録に残して行ってほしいものです。

返事が遅くなってごめんなさいね。パソコンのことも含め、ちっといろいろ
バタバタしてました。^^

草枕

やはりそうですよね,
漱石そして漱石の小説やそれ以外でもで語られる日本觀。熊本との絡みの部分では,日本人が明治期に侵略に手をだし,揚句の果てに武力行使せざるを得なかったところの「戰爭」をした,という日本の心理状態を的確に述べていると思います

司馬遼太郎の描いた明治は自由民権思想の弾圧,無政府主義者の弾圧を,社会主義の萌芽や,一切無視して明治の官僚ばかり見ているように思えます。

ついでを書けば
実はノモンハンについては ,わたしは本当に司馬遼太郎は書く気があったかどうかそもそも疑問に思っています。ノモンハンを書きたいということはずっと考えていた,ということらしく,資料を集めた,その中にいろいろあるとは思いますがこんな話がありまして
モンゴル語の学究田中克彦という人がいますが,そのひとが若手研究者だったころモンゴル旅行のさい,ノモンハン・ハルハに非常に興味を持っていて現地を訪れた時があって,そのあと関西に学会でいったとき,司馬遼太郎は自分の編集者をつかって話を聴いて来いと,この人の宿にマイクと録音機器をもっていかせてるんですね
マイクにむかってなにをしゃべれ,というか。冗談じゃない,と若手ながら腹を立てた田中氏は何も語らず,不快に思って自分で聞きに来い。と。そういう話があります。
田中氏がノモンハン事件の研究成果を本にしたときそのことにあとがきで触れているのですが。知りたいことが何かあるというなら,せめてそのことを少なくとも編集者に託して聞くでしょう,何もなかったと,
あ,なるほどと思ったんです,わかりますよねわたしの感じたこと。
書けなかったんじゃなく書く氣がなかったんだろ,と。意地の悪い見方をすれば辻政信のハナシは・・・・・この人が感じ悪かったからというしかも半藤氏に語り,本に書き,講演でも話してる,まるで書けなかったことの言い訳を昭和の参謀様にかこつけて,アリバイつくり?とさえww思ってしまいます。

そもそも關東軍,陸軍の夜郎自大にきづいて,こんな奴,と思ったと,言うなら・・・・・おそいんじゃないすか?あまりにも。と。どうも右翼にしか通用しない言い訳のように思えますね。

またたとえば,同じくノモンハン・ハルハというのは,さかのぼれば満蒙独立運動もふくめ日露の戰爭の裏面史,謀略史です,「滿洲」とモンゴルの国境付近で繰り広げられたこと,明治にさかのぼる話です。
シベリア攻略,シベリア横断の冒険も含め,滿洲義軍すべて軍の機関が,そして日本の在野の民が手足となってやってたことです。

そもそもが關東軍の,石原莞爾らの満蒙領有妄想はそこに始まり,そこに中核として連綿と有ったわけですし。まさに旅順攻略の栄光もしくは悲惨であったとしても,その両面のさらにどちらもの表裏にある話だからです。

書きたくて書けなかった,陸軍将校に取材したという話はあまりに強調され過ぎててかけない言い訳をこれほど強調する,作家が。
恰も日本の高級将校の悪辣を借りて,自らの明治礼賛の切り取り総仕上げをしたようなものではないかと。そこまで思ってしまいますね。だから昭和を特殊な時期として提示したがる。

とにかく辛亥革命前後,の大陸側の視点で見れば旅順も滿蒙独立運動も司馬遼太郎の視点はものすごく狭い。日本の中から想像をもっと広げて書いたならあのような小説はなりたたないな,と。ついつい思ってしまいます。
漱石は野の人,そして天邪鬼ですね枕流漱石。「司馬」という職責は戦争遂行の大官僚です,
ぺンネームからもよくわかりますが,ま,これはわたしの偏見かもしれませんがね,

そもそも,漱石はバークを嫌ったという事を(何か失念しましたが)知りました,このバークはルソーを批判し騎士道を持ち上げた。このバークの騎士道は武士道と新渡戸植民学の系譜と明治憲法の精神,みんな親戚のようなものです。(マルクスも資本論で詭弁と追従のとか何とか言って貶していますが)

明治が日露をやり,そのときすでに台湾は,どうだったでしょうか,と。
すぐさま侵略を始めたこと,明治維新が陸軍を作ったこと,明治新渡戸から弟子の大正昭和の植民学。思想的武士道と陸軍の整合性を,つまり明治の”文官” と昭和の “軍部” の整合性は司馬遼太郎の小説に總てあらわされてるところ。そんな風に想えます。
そして漱石はその時の民をも批判する。無自覚な植民を批判する。漱石は改めてすごいと思います。

彼岸花さんの引用された

「之を聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って
自分の方が景気がよいと云ふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり」

というのは軍官エリートのみならず民や浪人の侵略行為も予感させるものですね。そもそも乃木
將軍らの,日本人以外の對手をなめてかかった夜郎自大の象徴のようにも思えますしね

彼岸花さんのおっしゃるところ,わたしの思うところも同感です。

司馬氏の,「人違いするだろう漱石」,を想像するなら,明治のほんの一部, “野” のヒトビトの心氣の硬骨と昭和の在野のだらしなさ,これにはおどろいたかもしれません。
と,あるいは高等遊民の「地位転落から絶滅」というその速さに。そのぐらいしか思い当りません。

わたしはねえwやはり「草枕」が好きです。
採菊東籬下,悠然見南山
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒兩隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて,越す国はあるまい。」

ありがとうです。うれちい。

PS;些か公平さに欠ける,ことを書いたようなのでつけくわえると,關東軍のひどさVSそれにたいする司馬氏の義憤は,まさに難兄難弟,同根のように思えます。

關東軍が特別に悪い,滿洲の軍閥が悪い,という日本の反省は,これまた非常に真実を覆い隠すものだと,一億総ザンゲの無責任畢竟誰も侵略を反省する必要もなくなった手品には關東軍がすべてわるい,というのもあると思います。

それと,作家はね,誰も書いてない,モンゴルの階級闘争的なものの動機どは,共産主義國の本当の深い闇,日本ではあまり触れられてないように思います。流行作家の浅田次郎氏など滿蒙の小説を書いてますがね。物語になっているパブチャブ神話は日本人が大好きなものですがw。ちなみに去年でしたか朝日でやってましたがモンゴル,ロシア側からの資料というのは近頃ようやくそろってきていて,日本の,都合よい言い訳,つまり陸軍の無謀という話に隠されている真実はこれから明らかになっていくと思います。
ノモンハンという誰でも知ってるおとぎ話の陰に隠されていることが,わたしもよくわからないのですが。シベリア,ロシア沿岸部からの侵略国に内陸の複雑さはほとんど明らかになっていない,と思います

Re: 玄さんへ

玄さん。こんにちは。
先日はありがとうございました。^^ 署名のこともお言葉に甘えさせていただく
ことにします。^^

今朝の天声人語ね。私も、なんじゃこれは!と思いました。
夏目漱石がここで出てきたのはね。4月1日から『猫』の連載が掲載されるという、
そのことの宣伝もかねて発想したのかもしれませんが、漱石大好き人間の私としては、
こんなふうに使ってほしくないなあというのもあったし、そもそも司馬遼太郎の
言葉も天声人語子の認識も、玄さんと同じく私にも違和感がありました。

まず、引用された司馬遼太郎の、
〈明治の夏目漱石が、もし昭和初年から敗戦までの“日本”に出遭(であ)うことが
あれば、相手の形相(ぎょうそう)のあまりのちがいに人違いするにちがいない〉

というところですが、玄さんいつもおっしゃるように、歴史というものは、
『そもそも昭和初年,終戦日,切り離された戦後,そして今日,という区切り。』
『9・18?盧溝橋?パールハーバー?』
というように、ある日から突然変わるというものではないですよね。
昭和になってから、日本の帝国主義や膨張主義、侵略が突然顕在化したわけではない。
大正時代とさえ言えない。明治の頃からそれはすでに顕在化していたと思います。
明治を生きた漱石が、そのことに気づいていなかったはずはないと思っています。

私は、彼の作品の中で『猫』と『三四郎』がとりわけ好きで、この2作がなかったら、
それほど漱石を好きになってはいなったかも、と思うくらいなのですが、その『三四郎』
の冒頭シーンで、熊本から上京する青年三四郎が、後に広田先生と知ることになる
男と初めて列車で乗り合わせる有名なシーンがありますね。
日露戦争が終わって3年後にこの『三四郎』が朝日に連載されるようになるわけですが、
日露戦争のことを、漱石は、この男(広田先生)の口を借りてこう言わせている。
「いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。」
それを聞いて三四郎はびっくりする。
三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」

と弁護すると、かの男は、
「滅びるね」
と言うんですね。三四郎は思う。
――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。
すると男が、こう言う。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、
三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。
「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓ひいきの引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。


私は、実は、夏目漱石を好きになったのは、小学校6年のとき、『猫』を読んで、
なんて面白くて自由なんだろう!と思ったのが最初で、なんていうのかな、
ここに出てくる人物たちの学問的師弟関係の雰囲気とか、煌めくような学識の深さへの
漠然とした憧れとか、そんなのが理由だったんですね。
漱石の思想とか歴史観とかは別に問題として考えたことなかったんです。
でも、知るに従って、「やはり漱石好きだなあ…」とあらためて認識していくことになる。
この三四郎の冒頭シーンとかね。
ここには漱石の日露戦争観、いや世界に対する認識が出ていると思うんですね…

『日本より頭の中のほうが広い』と言い切る広田先生。
その広田先生は、学者の世界では世間的評価で言えば『不遇のひと』です。
しかし、彼の頭の中は広い。こころは自由です。

私は、このワンシーンに漱石の本質が出ているように思います。
それは私が、この記事で、「人間が積み上げてきた『人類の叡智』』と表現
したものとぴったり重なるように思う。
玄さんが、まさに正確に、
「(『人類の叡智』は)偏狭な愛国心をかるがると超えていきます」
と書いてくださったのが、そのことじゃないかな、と思う。

時々ね、漱石を批判する人が、「漱石だって『満韓ところどころ』なんて
ものを書いている。学生時代からの親友で、その時満鉄総裁をしていた中村是公の
招待に乗って、被占領地への気楽なただ旅をして、中国人の苦力を蔑むような
ことを書いている」などというようなことを書いているのを目にすることがありますが、
確かに漱石は、日本の中国侵略、朝鮮支配、といったものへの批判的視点は持って
いなかったように思います。『チャン』などという差別用語も使っている。
しかし、彼はロシア人に対しても同じく『露助』などという今で言う蔑称を使っている。
同胞の日本人に対しても、『お手伝いさん』とは書かずに『下女』という言葉を使うし、
盲人や聾唖者に対する今でいうところの差別用語も使っている。
その当時の用語を以て、漱石が人種的偏見の持ち主であったと断じるのはどうかと
私は思っています。
まあね、自分が漱石が好きだから、客観的に見られないということもある、ということは
割り引いて考えねばならないとは思いますが、『満韓ところどころ』から
漱石の中国人朝鮮人に対する視線に関して私が受ける印象は、ただ見えたものを
客観的に書いている、ということと、批判者が『チャン』などという用語で
あげつらうものよりはずうっと優しい漱石の人間に対する眼差しです。
漢籍好きで中国の文物を愛した漱石。明治34年のロンドン留学時代、日記に、
こんなことを書いています。

「日本人を観て支那人と云はれると厭(いや)がるは如何、支那人は日本人よりも
遥かに名誉ある国民なり、只不幸にして目下不振の有様に沈淪せるなり、
心ある人は日本人と呼ばるるよりも支那人と云はるるを名誉とすべきなり、
仮令(たとい)然らざるにもせよ日本は今迄どれ程、支那の厄介になりしか、
少しは考へて見るがよかろう、西洋人はややともすると御世辞に支那人は嫌いだが
日本人は好きだと云ふ、之を聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って
自分の方が景気がよいと云ふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり」

明治34年にこれを書いた漱石が、天声人語子が引用した司馬遼太郎の
言葉のように、昭和初年から敗戦までの日本人の顔(この国のかたち)を見て、
別人かと思うほど驚くことは、おそらくそれほどなかっただろうと私は思いますね。^^
玄さんがおっしゃるように、
『その“国” というのが,既に狂気におちいってる “帝國”のことならば
その実態はすでに明治時代からあるもの,それに気づかない漱石さん。という構図?
wwwありえません。
司馬遼さんのいう国が帝國ではなく,あくまで日本人の心の総体だ,というのなら
それも,漱石は驚きも人違いもしなかったでしょう。』
というのに、私もまったく同感です。
広田先生の口をして『日本は滅びるね』と言わせた漱石ですし。
それにしても、なんとまあ、108年後に読んでも、漱石の言葉は古びない。
実際、この小説が書かれた37年後に、驕った日本は侵略の果てに、
滅びたんですものね。

司馬遼太郎のこの引用は、前後関係を読まないと、ほんとにはその意味が
つかめないかもとも思います。
でも、司馬遼太郎に関しては、私もある意味不思議な思いを抱くことがあります。
彼は、幕末、明治…と書いて来て、ずうっとノモンハン事件を題材に書こうと
していたらしい。でも、彼は結局書かなかった。半藤一利にこんなことを語って
います。
『調べていけばいくほど空しくなってきましてね。世界に冠たる帝国といい気になって、
夜郎自大となった昭和の軍人を、つまりは日本そのものを、きちんと描くには
莫大なエネルギーを要します。昭和12年に日中戦争が起こって、どろ沼化し、
その間にノモンハンの大敗北があり、そしてノモンハンの敗戦からわずか2年で
太平洋戦争をやる国です。合理的なきちんと統治能力をもった国なら、
そんな愚かなことをやるはずがない。これもまたこの国のかたちのひとつと
言えますが、上手に焚きつけられたからって、よし承知したという具合には
いきません(笑)淋しい話になりましたね。』
(『プレジデント』1996年9月号 半藤一利「司馬遼太郎とノモンハン事件」)

当時の作戦参謀、辻正信等を取材していてその想いに陥ったのではなかったでしょうか。
こんな人間どものために、多くの将兵が死んだのかと。
司馬遼太郎は、私も、フィクションとして読むのは面白かったけれど、
う~ん…作家として好きか、と問われると、どうかな。
ノモンハンのことは苦しくとも書いてほしかったですね…。
秋山好古のように思い入れできる人物を、昭和の軍人の中には見つけられなかったのかな。

『むろん政治家だけの話ではない』という天声人語の最後の結びはいただけません
でしたね。なんか他人ごと。そして逃げ腰。
『ほんとうは「政治家のことじゃない,われわれのことだ」とむすぶべきです』
という玄さんの言葉。私も全くその通りだと思う。
街ゆく人々を見ながら思うのはいつもそのこと。

Re:スキップさんへ

スキップさん。こんにちは。
署名活動お疲れ様です。^^
一回で20数筆というのは、実際思う以上に大変なこと、というの、
よくよくわかりますよ~~~。
私が先日一人で立っていた40分ほどの間は、わずかに3筆だけでした。そのあと
同じように立たれるグループがいらっしゃて少し賑やかになったので、
都合2時間ほどで計13筆にはなりましたが、私も大体平均して15、6筆
でしょうか。大きな街宣活動があった日は27筆まで行ったこともありますが、
それは例外。20筆行けば、『ああ、今日はよく集まったなあ…』と思えます。^^
新宿のように、忙しく人々が行きかうところは、逆に足をとめてくれる人は
少ないかもですね。私の街は、人口数十万なんですよ。その割には集まる署名数は
少ないですし、意識も低いです。保守の地盤の堅固な町ですから…。

この頃では、大体向こうから歩いてくる人を見て、この人はしてくれない、
この人はしてくれるかも、というひとが、なんとなくわかるようになって
しまいましたよ(笑)。背広やスーツ着てお仕事モードに入っている人々や
綺麗に着飾って買い物モードの人々は、まずだめ。
急ぎ足の人は忙しいのだろうから、迷惑かけないように最初から声かけない。
私自身が初老の女ですから、やはり署名してくれる人は圧倒的に同じくらいの
年齢または年上の老婦人が多いです。
これでね~…もっと若いかたがやってくれれば、同世代の若い方の署名も
増えるのだろうけれど。
たま~に若い男性などがしてくれると、ほんと嬉しくなっちゃいます。
この間もね、ちょっと嬉しい1筆があった…よく議論した末の1筆でした…
そういうのはすごく嬉しいなあ。

120人分はすごいですよ。^^
私も、一人の非力さ、というのは常に感じています。もっと力があればなあ…と
いつも思う。何か世人の関心をかきたてる画期的なアイディアはないかなあと、
いつも考えます。
でも、自分の心性は、基本『ひとり』。黙ってこつこつやるしか能がない…
4月下旬までもう少し続けて行こうかな、と思っています。^^

スキップさん。ありがとうございます。いつも署名集めのとき肩から提げている
カバンにね、スキップさんの匝瑳九条の会のバッジ、付けてますよ~!


人声地語

おはようございます。
今日の朝刊はどうだろう,と思って明け方ガッカリさせられました。

唯一の収穫は奥田愛基の名前があいきではなくあきだと知ったことくらいでしょうかwいくどとなくブログに讃辞の言葉を連ねながら「あいき」だとばっかりおもってました,いぜんモミ井モモ田とタモ神のアナグラムを書いたらば百田はひゃく田だ,と指摘されてハジをかきましたがねえ。ニホン語ムツカシイねw
ハハ。

今日の天声人語あきれました

司馬遼さんの歴史小説はほとんどすべてをおもしろく讀みましたけどね,その歴史認識は長じるにつれて違和感がつのり端的に間違っていると,そこに日本の闇が凝縮されている,と確信するにいたりました
なぜ,「項羽と劉邦」という傑作を書く作家が日本のことになると,・・・・。こんなに明治を持ち上げ,昭和だけを切り取る司馬遼さん歴史觀その典型。そう考えると問題は愛国心,なのか?と。
さらには漱石を侮辱した,妄語。軽口なんでしょうけど。

大正時代にはすでに帝國日本は,經濟侵略と植民地経済ブロックにどっぷりつかり,侵略的出兵を繰り返していた,帝国主義の集大成に入っていたという事実,世界の民族自決の風潮に國際連帯に,あらがう帝国主義の独善に突っ走っていた,明治以来の帝国日本。

漱石は人違いしただろうというレトリックは,おそらくあくまで司馬遼さんは, この“国” のかたちについて言ったのだろうとおもいますが。
その“国” というのが,既に狂気におちいってる “帝國”のことならばその実態はすでに明治時代からあるもの,それに気づかない漱石さん。という構図?wwwありえません。

司馬遼さんのいう国が帝國ではなく,あくまで日本人の心の総体だ,というのならそれも,漱石は驚きも人違いもしなかったでしょう。

そもそも昭和初年,終戦日,切り離された戦後,そして今日,という区切り。

9・18?盧溝橋?パールハーバー?そう考えるところから,既に間違っている日本史觀。日本の侵略戰爭には戰爭開始記念日はありません。日本のリベラルの宿痾が端的にあらわれている今日の天声人語です。

そのレトリックの当然の帰結が,最後の結びですね,

『むろん政治家だけのことではない,我我も』という。

ほんとうは「政治家のことじゃない,われわれのことだ」とむすぶべきです,
わたしは,日本のリベラル,保守中道,その厳密でないてきとーな歴史觀を作ってきたのは,朝日と司馬遼さんだとつくづくおもいました。今日という歴史の節目にこの一文はほんとうにざんねんでなりませんでした。
漱石好きの彼岸花さん,漱石に愛国心はあっただろうか?いまそれを考えています。

おっしゃるところの『人類の叡智』。人間が積み上げてきた『人類の叡智』の軽視と蹂躙。

偏狭な愛国心をかるがると超えていきます

No title

 全く同じです。
 それにしても、お一人で駅頭に立ち、署名活動をするとはなかなかのことです。私は仲間とするのが精一杯です。以前に、マイブログに書いたのですが、八日市場駅前で四週続けて火曜日に署名活動をしました。初日23筆、二週目23筆、三週目4筆、四週目1筆でした。
 知り合いの弁護士が新宿駅で署名活動を2時間やったそうですが、そのとき集まったのが2筆とのことです。匝瑳市民は意識が高いと思わせる結果です。八日市場駅を利用する人は新宿に比べればほんの僅かです。人口3万8千人の町ですから。
 先日、私が個人として、ご近所と年賀状に入れてお願いした署名120人分を1000人委員会に送りました。僅かですが、一人の非力を感じますが、少し、気が落ち着きました。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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