『美しきもの 三題』



     『美しきもの 其の一』

鳥や犬、うさぎなど、生きもののやさしい目。
彼らは生きることに何の疑いも迷いもなく、ひたすらただ生きている。
今日を嘆くこともなく、明日を思い煩うこともない…。
そんな生きものの瞳を見ていると、私はいつも、
その美しさに、はた!と、強くこころを撲られたような気がすることがある。

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先日もご紹介したことのある、ららさんの写真。
このうさぎのやさしい仕草とその目が忘れられなかった。
この一瞬を切り取った写真の鮮やかさ!
なんて可愛らしいのだろう…。
いつか自分の部屋にも連れてきたかったので、これで夢がかなった。
ららさん、ここに引用することをお許しいただきありがとうございます。

このうさぎの優しい目と仕草!こんな美しいものがこの世にあるとは!
この無心の美!
疑うことを知らぬ生きものの、無心の美しさである。
自分の、焦燥や悔恨や嬌慢などに汚れたこころが本当に恥ずかしくなる。


     『美しきもの 其の二』
2010_0601_180755-CIMG2133_convert_20100609230139.jpg

私の散歩道。
いつもこの道をいろいろもの想いしながら、自転車や徒歩で通る。
図書館や買い物で少し遠くまで行くとき通る道。
なんだか、高原の道のようでしょう。
だ~れも通っていない。今日は私だけの道だ。

2010_0601_180311-CIMG2130_convert_20100609230803.jpg

夕暮れが近づいている…
私がいる道と並行して下の方に続いているサイクリングロードにも、
今日はあまり人気がない。
帰りは道が緩やかな上り勾配になっていることもあるが、私は大抵、この道を
自転車を走らせるのではなく、ゆっくり押して歩いて通ることが多い。
西日に照らされたあたりの風景や、空そのものが刻々と美しい変化していくさまを見ながら
ゆっくり帰るのが好きなのである。


川沿いの道を家の近くまで来た時、だいぶ離れた先の路上に、3歳くらいの男の子が飛び出して来た。

道路、と言っても車はたまにしか通らないのだが、それでも、急に下の住宅の方から
坂をかけ上って道に飛び出してくれば、自転車だって通っているし危ない。
男の子は泣いていた。

「パパぁ~!」と言って泣いている。
どうやら、パパは彼に怒って彼を置き去りにしたまま、この道路のすぐ下を並行して走っている
サイクリングロードの方に、先に下りていってしまったらしい。
男の子は、そのパパを追いかけて、道の反対側の住宅のある側の坂を駆け上って来たのである。

「パパぁ~~~~!」

また男の子は、高い細い声で叫んだ。そうして道の真ん中に立ちつくしてしまった。
上の写真のような、淡い西日のさす草むらの道に、その姿がぽつんと。
私の自転車はだんだん彼の方へ近づいて行く。
子供を放り出したまま、パパが先にサイクリングロードの方に下りていってしまったのでは、
子供はあせってそのあとを追いかける。
転ぶくらいならまだいいが、たまたま来た車にぶつかりでもしたら!
パパはいったい何をしているんだろう。

3歳くらいの小さな子供の声は、甲高くて細い。
「パパぁ~!」と呼ぶその声は、この写真に見るような夕暮れの静かな川原の、
反対側の岸辺の家々の壁に反響して、思いのほか、高く大きく、遠くまで響いた。
少し暮れゆく空にまで高く上って…

ああ、こんな声で呼ばれて、パパは悲しくならないのだろうか。
こんな声を聞いて、胸をわしづかみにされないのだろうか。
こんな切ない声はないぞ。
こんな美しい声はないぞ。
この子が中学生くらいになってしまってごらん。
こんな声で、パパをせつなく慕って呼びかけちゃくれないぞ。
もう二度と、あなたの子供は、こんな美しい声であなたを求めてはくれないかもしれないぞ…。


どうしたのかと、少しはらはらしながら、いよいよ私がその子に近づいたとき、
下のサイクリングロードから通じる草に覆われた坂を上って、
祖母らしき人の姿が現れて、子供のそばに行った。
丈が延びた青草や、緑濃い葉が茂った桜並木などの陰になって、
下の道は私からは見えなかったのである。
二人はそろそろと、下のサイクリングロードに通じる坂を下りていった。

ああ、お祖母さんが一緒だったのか!ならば安心だ。
しかし、「パパぁ~!」と呼ばれたその人は、一体どこにいるのであろう。

家へと続く坂を下りながらも、何かその男の子の叫び声は私の耳に残ってしばらく離れなかった。
なんでなのだろう、と思う。
ただ、「パパ!」と読んだだけじゃないか…。

でも、何かが特別に美しかった。
その高い声かな。「パパぁ~!」という、音程だったのかな。
いやいや、単に声だけではない、何かが私の心に深く突き刺さったのだ。
そうして、美しい印象を残したのだ。

川端康成の『雪国』の、冒頭に近いところでこんなシーンがある。
主人公島村の乗った列車が信号所で止まったとき、ひとりの娘が、島村の前の窓を落とし、
「駅長さあん、駅長さあん。」と遠くへ叫ぶ。
その娘が葉子なのであるが、島村にはその声がとてつもなく美しいものとして心に残る。

「澄み上がって悲しいほど美しい声だった。 どこかから木魂が返ってきそうであった。」

そう、その声は表現されている。
「パパぁ~!」と呼んだ、その男の子の声が、ちょうどまさにそんな感じであった。
夕暮れの川辺に、遠くまで響いた、悲しげないのちの声。

そうだ!あれは、『いのちの声』だったんだな、きっと。
小さな子供が、父親を求めて叫ぶ声…。そこには文句なしの父親への信頼と憧憬と、
置き去りにされた悲しみとがこもっていたのだ。
だから、あんなに滅法、美しく聞こえてきたのだろう。


いきものの、無心のひとみ。
こどもの、親を恋う叫び…
どちらも、ああ、なんて美しいのだろう!


美しいもの二題、でした。
それでは今夜は、あまりにも有名な曲ではありますが、やはり私が「美しい叫び声だな」
と思った曲を、お届けします。これを、『美しきもの 其の三』としましょう。
いや、この映画のラストシーンのように、胸をはげしくわしづかみにする
芸術作品そのものを、『美しきもの 其の三』と言っておきましょうか…。

http://www.youtube.com/watch?v=L_v_Mfe9IxM



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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 依里さんへ

依里さん、いつもありがとう。
『黒い霧』の記事へのコメントも、あらためまして、ありがとうございました。
返事遅れてごめんなさいね。読んでいただけたかな。
依里さんはご自分のブログの方にも書いててくださったのね。
真剣に問題を考えてくださって、とっても嬉しく、私も、まだまだしゃっきりしなくちゃなあ
と、勇気をいただきました。

私の住んでるところ。でも、いいのはこの川べりの風景で、あとは典型的東京郊外の
味気のない風景も多いところです。
この川べりの風景には随分助けれてるなあ。
悲しいとき、寂しいとき、ここを歩いていると少し元気になる。

だけどね、都会の雑踏にそれを感じる人もたくさんいるんですよね。
だから、住んでる環境って、その人がどれほどそこで自分らしくいられるかということであって、
自然のあるなしは関係ないような気もします。
自分の好きな風景のあるところが、その人に一番あった場所なのでしょう。
依里さんが、ご自分のお住まいのところと私の風景を比べて、ん?と
お思いになるのなら、まだ依里さんは、ご自分の本当に住みたい場所を
見つけていらっしゃらないのかもしれませんね。

あのね、住む場所も含めて、いいイメージをたくさん描いてください。
人ってね、そのイメージの方にいつか歩いて近づいて行くものだという気が
私はいつもするの。良くも悪くも。
だから、どうせなら、いいイメージをたっくさん、若い依里さんなどには
描いてほしい。

かく言う彼岸花さんも、この今の住まいを終の棲家と思いたいわけではないんですよ(笑)。
もっと自分にぴったりの場所は他にある気がいつもしている。
脚はがっちりこの地に根をおろしているようですが、こころはいつも空の彼方を
想ってるの。そこからいろいろな悩みは生まれます。
根は、漂泊好きなんです(笑)。夢もないわけじゃないの。

依里さんが感情が乏しいなんて、誰かそんなこと言ったの?
そんなこと絶対ないですよ。だからこうして私はあなたと仲良くなりたいと思って、
今もこうしてお話しています。あなたは優れて感受性の強い方だと思います。

いつも、ありがとう。

No title

いろいろなシーンや、風景、そして人の生き方などを、物悲しい、と思ったり、美しい、と思ったりするのは、育った環境もあるとは思いますが、もしかしたら、住んでいる環境もあるのかもしれない。
そう考えさせられました。

私は自然のない環境で育ち、今も寝に帰るだけの住宅地に住んでいます。
私の感情が乏しいのは、住んでいる環境も影響を及ぼしているのだろうか、と思いました。
今は未だ、利便性が優先順位としては高いのですが、いつか、彼岸花さんが住んでいる様な、景色のいい所に住む事になったりする事もあるだろうか。
そんな場所に住んでいる自分を想像したりしてみました。

いつも素敵な風景の写真、楽しみにしています。

Re: ららさんへ

ららさん。こんばんは。
こちらこそ、お写真使わせていただいて、ありがとうございます。
すぐに次の記事に移ってしまって、うさぎちゃんの記事を長く
トップにおいておけなくてごめんなさいね。
彼岸花さんは、とてもにこにこなのです。あまりにも可愛かったので、
ぜひ、自分のところで気軽に見られるようにしておきたかったから。

『パパぁ~』。澄んだ、綺麗な、そして何とも言えず悲しげな声だったんです。
あの声を聴いて、すぐに戻ってこなかったパパが、私にはわかりませんでした。
何を怒っているのかしれないけれど、人前で激しく子供を叱責して、
子供をわざと置き去りにして、泣かせるのを楽しんでいるような親がいますが、
あの、親を求める悲しい声を聴くと、私は胸が痛くなってしまいます。

ららさんのは、きっとやさしいやさしいお父様を慕う「パパぁ~」ですね。
ひとりそう小さく口に出してその名を呼んで、溢れる思い出に涙してらっしゃる
ららさん。彼岸花さんがきゅ~っと抱きしめて差し上げたいです。
小さな子供のようなそのこころを、そっと撫でて差し上げたいです。

No title

こんばんは。
紹介いただいてありがとうございます。
「パパぁ~」
このいい方、懐かしくて懐かしくて、
小さな声で言ってみました
ららがこう叫んだ頃のことをすっかり思い出してしまって、
一度思い出しはじめると、記憶は後から後から出てきて
涙が溢れます。
母親と子ども、父親と子どもの絆・・・どの人にとっても心の宝物ですよね
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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