『日本国憲法をなぜ守りたいか その6 押しつけ憲法?①』



Q5:日本国憲法って、日本人が作ったんじゃないの?GHQの押しつけなの?

改憲を叫ぶ人々の持ちだす大きな論点の一つが、
「現日本国憲法は、日本人が作ったものじゃない。GHQに押し付けられた『みっともない』憲法だ」、
ということである。
公平に言って、『GHQの押しつけ』の要素は否めない、と私も思う・・・。
だが。なぜそうなった?
皆さんとっくにご存じのこととは思うが、日本国憲法が生まれるまでの動きを復習してみよう。

実は、この記事は、あまりに煩雑なので、書いてはみたもののボツにしようかと考えていたものである。
だが、この後の記事を書いていくのに、やはり、日米の憲法に関連した動きは、抑えて
おかないと、理解が浅くなるかなとも思ったので、一応載せておく。
憲法改正を巡る、日米の人々の激動の1年余の記録である。
ここに取り上げたのは、実はほんの一部にすぎない。マッカーサーのGHQと
アメリカ本国の間には、頻繁な指令のやり取りがあったが、ここでは取り上げていないし、
GHQが、日本政府に出した指令も全部は書いていない。
それでも、これをざっと見ただけで、ポツダム宣言受諾から日本国憲法制定までの
慌ただしい動きがおよそわかっていただけるだろう…
とりわけ、1945年9月、マッカーサーが日本側に憲法改正の示唆を出してから、
翌年2月、部下のベアテなどを含む民政局スタッフに急遽、憲法草案を作成するように
命じた5ヶ月間の間の日本側の反応や動きを中心に取り上げてみたい。
当初日本側の自発的な改憲の動きを期待して、ほとんど静観を続けていたGHQが
なぜ、急に自分たちで草案作成に至ることになったのか。


                  ***


日本は戦争に負けた。
1945年8月14日  ポツダム宣言受諾。
 ポツダム宣言は、日本の無条件降伏と日本軍の完全な武装解除軍国主義の駆逐
 戦争犯罪人の処罰民主主義的傾向の復活強化と、これを妨げるあらゆる障碍の排除
 言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重の確立、など13の項目からなっていた。
 これに対し、日本側が出したぎりぎりの条件は、国体護持、すなわち、明治憲法と変わらぬ
 天皇の地位身分の保証である。だが、米国務省からの返事は、
 『日本国の最終的の政治形態は、ポツダム宣言に遵い(したがい)日本国民の
 自由に表明する意思により決定せらるべきものとす
』という、極めて含みのあるもので、
 国体護持は保障されたとも否定されたとも言えないものであった。日本側では、これを、
 国民がそれを望めば国体は護持される、と解釈して、その後の改憲などもろもろの事案の
 考え方に甘い見通しや対応を残す原因となっていく…


8月15日  玉音放送。
8月17日   東久邇宮稔彦内閣成立(副総理格に近衛国務相)。
8月28日  東久邇宮首相、記者会見で国体護持全国民総懺悔を呼びかけ。
8月30日  連合国最高司令官マッカーサーが厚木に到着。
9月2日  東京湾の米戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印。
9月6日   トルーマン、「初期対日方針」(SWNCC150/4)を承認し、マッカーサーに指令。
        これは、占領の究極目的として、平和的で責任ある政府の樹立と自由な国民の意思
        による政治形態の確立
をうたっていた。
9月9日   マッカーサーは、日本管理方針を発表。
        『天皇陛下及び日本政府は、マッカーサー元帥の指令を強制されることなく
        実施するためのあらゆる機会を提供される
。日本の軍国主義及び軍国的
        国家主義の根絶は、戦後の第一の目的であるが、占領軍の一の目的は、
        自由主義的傾向を奨励することである。』

9月18日  外国人記者会見で、東久邇首相は、『憲法改正の用意はあるか』
        尋ねられた時、『内閣はGHQの矢継ぎ早な要求の対応に追われて、内政面
        においてどんな改革を行うべきか、そんなことを考えている余裕はない』と
        答えている。つまり、この時点で、日本側に憲法改正の必要性の認識や、
        ましてや国体の変更可能性への認識はおそらくなかったらしい。
9月21日  朝日新聞が『終戦政治の基本的動向』という記事を書き、憲法改正問題に触れた。
        陸海軍の解体で、大元帥陛下の軍隊指揮権に関する大日本帝国憲法第11条、
        第12条は空文化した。このことは、国家基本法(憲法)の再検討にまで発展
        していくだろう、と、指摘
したのである。
同日     これを見たか、内大臣木戸幸一は松平秘書官長に憲法改正問題につき、
        調査を依頼。
        だが、大方の要人や識者は憲法改正の要については、根本的変革などは
        もとより考えても見ず、解釈変更や追加的法整備で間にあうだろうと考えていた
ようである。
        ポツダム宣言にある『(日本の)民主主義的傾向の復活強化』の文言を、
        「GHQは、明治憲法下においても大正デモクラシーの時代など日本にも
        民主主義の時代はあった』と考えているのだと解釈
し、大きく変える必要はあるまい、と。
       ●国務大臣小畑敏四郎元陸軍中将の言葉。『憲法より急を要するl問題がある。
        GHQが日本の内情を全然知らずに占領政策をやるとなると間違いが起こる。
        すべては、占領政策の基本方針が何か、それを確かめてからでいい。こっちから
        急いで憲法改正などをいうよりは、そっちの方が大事だと思う』

しかし。
10月3日。 東久邇宮内閣の山崎巌内相が『思想取締の秘密警察は現在なお活動」中であり、
        共産党員は拘禁を続けると公言。そして『政府形体の変革とくに天皇制廃止を
        主張するものはすべて共産主義者』
だと語る。これは明らかにポツダム宣言の
        趣旨に反する発言であり、GHQの、日本民主化の方針に背く発言
である。

10月4日  これに反応してか偶然にか。GHQが『自由の指令』を発令。
        『政治的民事的及宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書』である。
        ①政治犯の10月10日までの釈放 ②思想警察など一切の類似機関の廃止。
        ③内務大臣及び警察関係の首脳部、弾圧活動に関係のある官吏の罷免
        ④市民の自由を弾圧する一切の法規の停止。などである。

 同日。   マッカーサーが近衛文麿に憲法改正を示唆(と近衛はとった)。
        近衛は実は、●印で引用した、友人国務大臣小畑敏四郎元陸軍中将の、
        『GHQの意向を確かめた方がいい』という言もあって、この日、GHQを訪ね、
        マッカーサーに面会したのである。
        この日のマッカーサーの発言は、近衛に同行していた通訳奥村勝蔵によって
        記録に残されている。マッカーサーはこう発言した。
        『第一に、憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分に取り入れ
        ねばならぬ。第二に議会は反動的である。しかし、解散しても、現行選挙法
        の下では顔ぶれは変わっても、同じタイプの議員が出てくるだろう。それを
        避けるためには選挙権を拡大し、婦人参政権と労働者の権利を認めることが
        大事である』

        『日本政府が合理的な手続きで、必要な処置を講ずることを希望する。しかも
        できるだけ早くしなければならない。でないと、摩擦を覚悟しても、われわれが
        これをやらねばならなくなる』

         だが実はこのマッカーサーの発言は、H・E・ワイルズ『東京旋風』によれば、
          近衛が『政府の構成について何か意見があるか』と問うたのを、通訳が
          『構成』という語をconstitutionと訳し、それをマッカーサーが『憲法』の意と
          とった、という話もあるという。ワイルズは、後に民政局において、あの憲法案
          起草にもかかわっている人物である。

         近衛はマッカーサーが、憲法改正草案を作成することを自分に示唆したととり
         動き出す。
    
10月5日  前日のマッカーサー『自由の指令』に反発した東久邇宮内閣は総辞職。
10月8日  近衛は、法学者高木八尺を同行して、GHQ政治顧問アチソンを訪問。憲法改正
        について助言と示唆を求める。そして木戸内大臣を訪ねて、早くこちらから
        憲法改正を行わないとGHQから改正案を突きつけられる恐れがあると警告する。

10月10日 近衛は内大臣御用掛に任じられ、天皇から、憲法改正について研究調査を
        命じられる。これを受け、近衛文麿は、元京都帝国大学教授佐々木惣一に
        改正案の起草を依頼
する。

10月11日 幣原は、近衛のことを聞き驚愕。大日本帝国憲法を改正するなどとんでもない
        と怒る。国務大臣で商法の権威松本烝治は、「近衛ら宮内省や内大臣府が
        憲法改正問題を扱うなどとんでもない。改正の発議は内閣の輔弼において
        なされるべき問題である」と反発。厚生大臣芦田均も速やかに内閣の手で
        憲法改正の調査を行うべきと発言。
10月12日 政府は憲法問題の調査にあたることを決定。松本烝治が専任相に任命さる。

以降、幣原~松本烝治の内閣主導の憲法改正の要否研究の動きと、近衛~佐々木惣一の
内大臣府主導の憲法草案作成の動きとが、競い合う形となる。

10月21日 近衛は外国人記者団との会見で、天皇退位の可能性を示唆。だがすぐに撤回。
10月25日 幣原内閣は松本烝治を委員長とする『憲法問題調査委員会』を設置。
        ただ、松本らに本気で明治憲法を改正する意図など無かった。
        近衛らの動きに対抗したのに過ぎない。
        松本委員長は「直ちに改正案の起草に当たることは考えていない」と談話。       
        『憲法問題調査委員会』という名称にしても、『改正』などという語を使っていないのは
        『ただちに改正を意図するものではなく、改正する必要があるか否かを調査する
        ものである』という彼らの認識のありようを示していた。
        松本は『たっぷり時間をかけた方がいい、早くやろうとすると行き過ぎのような
        ことが起こる』と、発足時からすでに消極的であった。
11月1日  GHQが声明発表。連合軍当局は近衛の憲法改正を支持していない。
        近衛は、東久邇内閣総辞職によって、副大臣職を解かれているので、
        今はその任にない、と。
        この近衛に対する梯子はずしの裏には、ワシントンから送られてきた戦犯
        リストに近衛の名が入っていたことがあったという。
        それでも、近衛~佐々木惣一は大綱を完成させている。それは、GHQの
        意向も理解してとりいれたものであったという。天皇の統治権については、
        GHQの意をくんで、万民の翼賛による旨を明らかにしていた・・・・・・

幣原~松本のいわゆる松本委員会の審議は、基本、明治憲法の手直しでなんとか
切り抜けられるであろうという、甘い見通しに立った議論
であった。しかも、極秘のうちに
行われていて、近衛らのようにGHQの意向を確かめつつ、などということも一切なかった。

また、当時活発に作成されていた民間などの憲法草案を参考にすることもなかった。
彼らは、ポツダム宣言の際の国務省からの回答『日本は国民の自由に表明せる意志によって
政府の形態を決定することが出来る』という文言を拡大解釈して、憲法も明治憲法の
手直しで済むと考えたのである。 

11月22日 近衛が、佐々木惣一と作成した『帝国憲法改正要綱』を天皇に奉答。
11月24日 憲法問題調査委、第4回総会で各委員が改正試案を起草することを申合せ。
12月8日  松本烝治、衆議院予算委で『憲法改正四原則』表明。
        これは、第一原則として『天皇が統治権を総攬せらるる原則に変更がない』
        としてあって、明治憲法を相変わらず手直ししただけのものであった。

        例えば、明治憲法の天皇条項の、天皇は『神聖ニシテ冒スべカラズ』という
        文言を、『至尊ニシテ冒スべカラズ』と、わずか一語を変えるというような。

だが、憲法問題調査会が、GHQの意向を探ろうとも真剣に汲もうともせず小手先の
解釈で終始しようとしている間も、実は、アメリカ本国の世論は、天皇の地位をめぐり、
天皇の戦争責任は免れないという相変わらず厳しい認識を示しており、
ワシントンの国務省・陸軍省・海軍省の三省調整委員会では、下部の極東小委員会
において、天皇の身柄・処分について、激しい論議を積み重ねていたのである。
トルーマンは、10月、
アメリカ政府は、「裕仁天皇は戦争犯罪人としての逮捕、裁判、処罰から全く免責
されたわけではない」と考える』『裕仁天皇なしで、占領がうまくいくと判明したときは、
天皇の裁判問題は当然に提起される
』という厳しい前提の下、天皇に国際法違反の
責任があるかどうかの極秘調査・証拠集めをマッカーサーに指示し、最終判断を
マッカーサーに委ねることにするのである。
日本の幣原~松本らは、こうしたアメリカ側の厳しい認識も知らず、国体護持
という不文律から一歩も出ず、甘い期待の下、相変わらず小手先の解釈議論を
悠長にやっていた…

12月16日  戦犯指定を受けた近衛、服毒自殺。
12月26日  憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表。
        これは、民間の憲法研究会で出されたいくつもの試案を、戦前から左派の立場で
        憲法史研究を続けていた鈴木安蔵がまとめるかたちで作られた、民間人発の
        憲法草案
であった。 
1946年1月1日 昭和天皇が「人間宣言」を行う。

2月1日  毎日新聞が「松本委員会試案」をスクープ。
        これをもって、マッカーサーと民政局の側近は、日本にはポツダム宣言の要求を
        満たすような草案を作るような意志も能力もないと判断。
GHQが作って日本側にたたき台として
        示すことを決定するに至るのである。



毎日スクープ


 
2月3日  マッカーサーが3原則を提示、民政局にGHQ草案の作成を指示。

2月8日  日本政府がGHQに「憲法改正要綱」を提出。
2月13日  GHQは要綱を拒否、日本側にGHQ草案を手渡す。
        ホイットニー准将と側近の三人が外務大臣公邸を訪れ、松本烝治と吉田茂に
        GHQ草案を差し出す。日本側は、ホイットニーらが、2月8日日本側が出した
        『憲法改正要綱』について話し合いに来たものだとばかり思っていたので驚愕
        するのである。GHQ側は、基本のところは変更できないが、全く日本側の修正を
        許さないというものではないといい、一両日中に日本政府の回答がない場合は、
        GHQ案は、新聞で広く発表する、と、日本側を強く牽制。
        また、この受け入れにより、天皇の身分も保証されるということを強く念押し。
        すぐに日本側は閣議を開き審議を開始するだろうと思っていたGHQだったが、
        内閣はなんと19日までそのことを知らされなかった。松本らの驚愕と狼狽が
        想われる。

3月4日。  日本側は『日本政府草案』(実際上はGHQ案の日本語訳に近い)をGHQに提出。
        ただ、日本側は、GHQの意向を和らげようと必死で細かい点で修正を試みている。
        このことについては、続く記事で詳しく書く。

さて。ここから先は、前の方のベアテなどの記事で書いたので、繰り返しは避けよう。
アメリカ側と日本側が一緒になって、憲法草案の逐語訳の突き合わせ作業が30時間
ぶっ続けで行われることになるのである。ベアテもその席に通訳としていた。

3月6日  日本政府、GHQとの協議に基づいた改正要綱を発表。
5月22日  第1次吉田茂内閣が成立。
6月20日  第90回帝国議会に改正案を提出。
11月3日  日本国憲法を公布。
12月1日   「憲法普及会」が組織される。
1947年
5月3日  日本国憲法を施行。

その間の細かい修正論議は、以下のとおりである。

4月17日  日本政府がひらがな口語体の「憲法改正草案」を発表。
4月22日  枢密院で審議開始。
6月8日   枢密院で可決。第90帝国議会に提案される。
8月24日  衆議院で一部修正を経て、可決。貴族院に送られる。
10月6日  貴族院で再び一部修正を行なった後、可決。
        修正があったため再び衆議院に戻される。
10月7日  衆議院で修正部分を含め、可決。再び枢密院に送られる。
10月26日 枢密院において修正部分について審議された後、可決。
1946年11月3日、日本国憲法として、公布。


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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは。

どうも参院選は盛り上がりに欠けますね。
うちの近所も静かなこと静かなこと。都心ではいろいろやっているのだろうけれど。

みんなが、参院のある意味をもう少し考えてくれたらなあ…と思ってしまいますね。
参院があるひとつの意義は、衆院第一党≒政権与党が暴走した時、それを止める
役割も力も持つんだ、ということだけでも、今回みんながわかってくれたらなあ…!

10日は雨になるらしいですね。また投票率下がるのかなぁ…
ほんと。まだあきらめないけれど、悲しいです!

お訊ねの件は、メールでお話しさせてくださいね。

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Re: 玄さんへ

玄さん。少し私にもわかりやすくコメント書き直してくださったんですね。
おかげさまで、論点がよくわかりました。

諸富さんの書評。読んでました。
私、朝日をまだとり続けるのやめないのは、この毎週日曜日の書評欄と、
毎日のオピニオン欄があるからかも、です。^^
それとあとは、まだわずかには残っているらしい良心的記者たちの書く特集連載記事の
いくつかが時々優れて面白いから、かもです。初期の『プロメテウスの罠』とか。
オピニオン欄も、ひところに比べれば、ずいぶん、「これは!」と思う記事が
減ったように思います。それでもね、この間の森本あんりさんの回のように、
私などものを知らない人間にとっても、眼の覚めるような記事が時々ありますね。

書評欄は、新聞によらず何によらずとても好きです。本の巻末の『解説』も。
一粒で二度美味しいグリコキャラメルみたいなもんで。(例えが古いなあ!爆)
本の著者と、書評書く人の価値観が、二度味わえますからね。
ときどき、ほうっ!と思うような書評があります…

『慧眼のひがんばなさん・・・』
ww それほどでもない。w
読んだのは読んでいたのですが、記憶にもしっかり残っているのですが、
ここで玄さんがお書き下さったような、深い理解にまではとても達していなかった!^^
きっとね、諸富徹さん、という方のことをよく知らないからでしょうね。
名前に記憶があるところを見ると、どこかで接してはいるはずなのですが。
フランクフルト学派、という言葉についても知りませんでした…
フランクフルト学派。よく覚えておきます…
とにかくそれじゃ、同じ記事を読んでも、理解の深さが異なるはずだ!(苦笑)

歴史の相似性。これは私もとても気になります…
少し前、BSだったかな、地上波だったかな、第一次世界大戦のことやっていて、
大きな戦争が始まる前の、一見小さいと思う出来事の積み重ねが、ある日、
突発的出来事をきっかけにして、もう誰にも止められない愚かな世界大戦に
突きすすんでいくこと、その恐ろしさに暗澹としました。
暗澹としたのは、軍部や政治家たちの判断ミスとか暴走とかではない、
それも無論ありますが、そういう人々ではない名もなき大衆からの圧力、
というものの怖さに暗澹としたのでした…
不況がもたらす精神的・社会的荒廃と、なにかのカタルシスを求める民衆の
破壊的欲望と憎悪。それが大きなうねりとなって政治を動かして行くこと…
後になってみれば、それこそ『憑き物』が落ちたように、国も民衆も、
一面の焼け野原と死体の山の前で呆然とすることになるものを。

なんと世界は今、大戦前夜に似た相貌を社会も人の心も纏ってきているのでしょう。
『人類が築いてきた智慧』などというものは、あっと言う間に根こそぎ
ひっくり返されてしまいます…とりわけ日本のようにその根っこが浅く
大地にしっかり定着していない場合には。
番組を見ながら、私も、今の世界の行きつくところに暗い予測せずには
いられませんでした。

平和と自衛権の論議。
記事を書くためにいろいろ読んだり考えたりしながら、自分自身の心の、
曖昧な部分をぎりぎりほじくるような気分でいます(苦笑)。
第一次世界大戦でも第二次のそれでも、また中東問題でも、東アジアの不安定でも…
『相手が攻めてきたらどうするんだ!』というように危機を煽ることから→
『先制攻撃も辞さない』という強気の方針への流れは、何度も何度も繰り返されて
来て、私たちはそれが、戦争の道の危険な常道だ、ということをもういやというほど
学んできたはずなのに、相変わらず同じ論理の進め方にはころっとまいってしまう。
私自身にしてからがそうです。
つくづく、人間の心というものは、そうした情報操作、印象操作に弱いですね。
ましてや今は、一瞬にしてその情報が世界に広がっていくので、人々はそれを
じっくり一つづつ自分の頭で検討していく余裕がない。
とりあえず誰かが行ったことをコピペしてまたそれを伝播して、それで何となく
もうわかった、それはそれで済んだことのように流して行ってしまう…

まあ!この世の中の、大小の出来事への消化の速さ(それも未消化なまま)には
驚きあきれますね。
熊本大分の大地震の被災地がまだどうにもできていないのに、沖縄で若い女性が
殺されるということが起こると、人々の関心はあっと言う間に熊本から離れて
行ってしまう。沖縄の悲しいニュースも、舛添、オバマ、と来るうちに、
あっという間に忘れられてしまう。
まして、後藤さん湯川さんのことなどもう誰も言わない。安田さんが今現在
拘束されていても。福島のことも…
おかしいでしょ!と思いますね。なんで、人の死や不幸がそう早く忘れ去られて
行くんだ!と。

『利で動く,これに利で動く人の耳目を集め,理を考えさせない・・・・・大戦前夜の常套だったといえましょう。情報そのものがなかった,ものを考えない1910年代より,さらに悪い,不作為の歴史考察,考えないための情報の垂れ流し。・・・・・』

そのようなことは、いつの時代も常に繰り返されてきたことかもしれないけれど、
忘却の速さに、少しは抵抗したい、そう思うなぁ。
前、ジョルジュ・ペレックとかパトリック・モディアノの記事で、『忘却の番人』
のこと話しましたが、日本人のこの忘れぶりの早さは一体何なんでしょうね。
西欧の人々はその点しつこいというか、忘れまい!と努める意志が強い。
この記事を書いていて、日本の東久邇にしても幣原内閣にしても、自分たちが
犯してきた罪の自覚というものがなんと薄いのだろう!とびっくりしますね。
天皇に至っては、何を考えていたもんだか…
国体の護持すなわち権力者たちにとっては自分の身の安泰、ですよ。それしか
考えていない同じ時に、そしてオーストラリア、イギリスなどの人々は、
日本人が犯した罪を忘れるどころじゃない。これから裁こうとしていた…
そのことを想像さえしてみていなかったのか。
まあ、彼らも、自分たちが犯した罪は、容易に忘れていくようですが!
(苦笑)

『アメリカは民主党政権で軍備を増強し,共和党で弾薬を消費する,この繰り返し』

ほんとですよねぇ~…
この記事を書きながら、アメリカという国の恐ろしさもほんとに感じます。
なんか良くも悪くも『底恐ろしい』という感じ。
書いていていろんなことを考えます…
誰が正しいとかそういう問題じゃないんですね。ほんと、玄さんおっしゃるように、
厳然として事実があった、というそのことだけ。
そのことを忘れたり脇においておいての議論は虚しいです。

私など全く非力で、知らないことばかりだけれど、それでも、知ったこと学んだことは
自分の内に蓄積して、忘れまい!と思う。
ささやかな抵抗かな。
だって。自分の生が、そのように意味もなく軽いとは思わないもの。

ありがとうございます!またがんばって書いていってみますね~~~。
着地点がどこになるのか、果たしてあるのかどうか、自分でも見えていないのですが。
またいつものように尻切れトンボで終わりそうな気もするし。
でも、一つ一つのシリーズ記事は尻切れトンボでも、私の中では皆
一つに繋がっているのですけれどね~~~。

金融資本主義、民主主義の危機、貧困、タックスヘイブン、沖縄、IS、
TPP,原発、日米安保、舛添、…みんなどこかで繋がっている。 

ありがとう~~~!

Re: 玄さんへ

玄さん。こんにちは。

いやいや。『タイムリー』^^ではありましょうが、実のところは惑いつつ
悩みつつの記事です。
私自身、玄さんおっしゃるところの『リベラルの宿痾』から一歩も抜けいでて
いられないことを自覚していますので、書いていてつらくなることもしばしばです。
ただ、天皇制の問題…、日本の安全保障の問題…、は、私自身これまで避けて
通ってきた問題であります。
そこのところを自分の内でしっかり直視しないと、いくら論じても、根太が
ぐらぐらしている建築物のようなもの。
この一連の記事は、安倍政権のような者による改憲の危機が眼前に迫った今、
彼らが行おうとしていることが実際どういうことなのかを、皆さんに伝えたくて
書いている記事ではありますが、それをしっかりとやるには、どうしても
占領期の日本、さらには、侵略者としての日本の姿を、直視する…そこへ
戻っていかざるを得ないと感じて、遠回りではありますがこつこつ書いています。
今まで、書こう書こうと思いつつも、いつも後回しにしてきた……

私の悪い癖で、なにかを書くとき、その問題点に直接ずばりと切り込むことが
できない。いつも、その根本的原因といいますか、根っこのところから
順番に解き明かして行かないと書けないという癖がありますので、この大きな
テーマに今までなかなか取り組めなかったのです。
それが出来ない一つの大きな理由は、私自身の考えがまだぐらぐらしている
ということがあると思います。玄さんのような確固としたものがない。
その曖昧な自分の心を、ぎりぎりと見つめながら、苦しみながら書いている感じです。

でもね。玄さんがコメント欄などでお書きになってらっしゃるように、
安倍などはたいした問題ではないのだと。似たようなものはこれからも続々と出てくるだろう…
それにいちいち過剰に反応して、負けてがっかりして内部分裂だけ結果として生んで、
つぶれていくような市民活動では仕方がない。それを痛感するんですね。
街角に立って考えるのは、いつもそのことでした……

国民一人一人が、政治・社会の問題をわが身にひきつけて考える。
この国、いや大きくいえば、この世界にどういう未来の姿を思い描くのか。
そのことを、一人一人がわがこととして考えるようでなければ、そう言っちゃ悪いが
安倍氏や高市氏や稲田氏程度の人々に、いとも簡単に、人類が積み上げてきた知恵を
容易に突き崩されてれてしまう…。
それを真剣に考え、考えるために知るには、日本人が歩いてきた道を、もう一度
ここで虚心坦懐に振り返ってみるに如くはないと思うんですね。

あらためて、『自分は何とものを知らないのだろう…』と思ってしまいますよ。
つい最近まで、玄さんがここに名前を挙げられた人々また事項などについて、
ほんとに表面的なおおざっぱな知識しか知りませんでしたからね。
今でもそうです。
だから。
このシリーズ記事は、自分の『主張』、というよりも、日本人が歩いてきた道を
ここを訪れてくださる方々と共に再度辿ってみよう、という気持ちで書いています。
同時に、アメリカ、という国についても。
正直に言って、書き始めてあらためて、自分の価値観がいかにぐらぐらしているかを
突きつけられる想いです。
いや。根本のところでは揺るがない。本能・直感で感じとっていますからね。^^
しかし、現実の問題、といいますか、この国をどうしていくのか、という点では
迷いはたくさんあります…経済問題などもそうですが…

この頃私は、自分は本当はすごく『保守的』なんじゃないかな、と思うことがあります。
今さらといえばいまさら、ですが。
何を守ろうとしているのかまだよく言葉にできませんが。守るべき、と思うものは常に内にある。

まあ、しばらくの間、主に日本の敗戦後に焦点を当てつつ自分を見つめていく記事が
続くと思います。
玄さんお読みになって、『いまさら何を!認識不足だ!』と、びっくりなさったり
お腹立ちになることもたくさんあるかもしれませんが、まあ、誠実に、一歩一歩
書いていこうと思っています。

しかし。間にあうのかいな?(笑)
いやいや。そう短期的に考えるからいけないんですね。大事な時こそ、
大元のところに常に還ってみる必要があるんじゃないかと思います。

また、いろいろ教えてください。





脅かされる「国民福祉」とか

ところで・・・・日曜日の読書欄に,諸富徹さんが,フランクフルト学派の本について書いてました,お読みになりました?

あの書評には…・利を貪るシステムが起こしうる,「国益という名の侵略」政策の機微wなるものをよくよくあらわしていて,すかっとしました。諸富徹氏はわたしはあまたある,りべらる言論とは一線を画す言説で,いつもとても納得させられます。

そもそもがフランクフルト学派というのは現代にわずかながらのこるカノニカルなマルクス主義の孤城を守る人たちです。
もとよりヘーゲルと合体した・・・「プロレタリアート独裁革命の段階を経る」とはまたべつの,マルクス主義,というところは,おそらく彼岸花さんも理解されてると思います,大同,水平と通じる理想にちかいものとかんがえています。

慧眼のひがんばなさん,お読みになったと思います,がww。是非一読なさってくださいw。

非常に,暗い未来を予測させ心にざわめきと,風雲をかんじさせる,よい書評だとおもいました。
先日w美濃部達吉から始まっている一連の言説はかならずや福田徳三のみなおし,というか再評価になってきっとでてくる,と暗い「予言」をしましたよね,この書評記事は押さえておいてください。高価な本なので,書評された本自体はわたしには遠いものですがwww読む気もなくあえてこんなこというのはムセキニンですが。書評は想像力を刺激されました

ついでに。
自由民権の民権と,民本,そして歐米の民主は全く意味が違う,なぜなら漢字が違うとあのとき書きました
同じ意味ならこうした概念語は複数はできない。あたりまえですね。漢字の祖国では熟語というのは文章ですから。字が違えば必ず文意は大きく変わるのです。
程度やニュアンスを変えるだけなら,たとえば順,とか小,とか大とか,というような形容詞のつけくわえでで変えられるのですから
そしてだいじなことは民の “國” なのか, “國” の民なのかそのちがいさえ,理解できづらい近頃のリベラルの言論は,わたしには理解不能です。そういうおおまかなコトバつかいで,民主主義をかたればこそ,保ち守る,ことと,動くに反すの混同が起こる。

とにかく言論が粗雑です!

歴史認識のあまさと,ことばの厳密さに欠ける日本,もはや革める以外にない,そう思います。


逆に言えば,平和と自衛権の論議も,歴史認識の根底,地盤が緩い日本では必ず,侵略を自衛と言い換えるでしょう?
東シナ海で侵略されることはない,と私は無論思っていて,中國にはその動機も兆候もないともいますが・・・
むしろ南沙で軍備が集中している。
日米による侵略的自衛戦争に加担していくこと,これが今次の戰爭法案の目的だということをおもいます。

オバマはベトナムに武器を売りつけてどうしようというのでしょうか?

アメリカは民主党政権で軍備を増強し,共和党で弾薬を消費する,この繰り返しは,朝鮮戦争,ベトナム戦争と同じ構造で日本に連携をもちかけtえくるのではないでしょうか?
不良債権問題,と美濃部福田徳三議論,ちょっとかkんがえてみてもわかる歴史の相似です

曾て,清とフランスの代理戦争をやらされたベトナム,東西にの代理戦争で枯葉剤を播かれたベトナム・・・・そして日本が災禍をもたらしたフィリピンが注目を集めています


歴史は繰り返す,そのことが,不良債権という言葉をキーワードにして・・・・おそらくは第一次世界大戦を彷彿とさせようとしたのだろう,諸富徹氏は,というのが…・今考えてよくわかります。これは歴史をみれば,善くわかるのです。ギリシャのチプラスを引き合いに今を語っている,そう思います。

タックスヘイブンの問題・・・・おもうに舛添批判は,メデイアの報道自粛空気と,安倍政権を大いに助けています。テレビはさしずめ舛添一色といったところではないでしょうか?ばかげています

さすがどくだみ荘です

利で動く,これに利で動く人の耳目を集め,理を考えさせない・・・・・大戦前夜の常套だったといえましょう。情報そのものがなかった,ものを考えない1910年代より,さらに悪い,不作為の歴史考察,考えないための情報の垂れ流し。・・・・・

リベラルの岩盤

おはようございます!素晴らしい記事ですね!
かゆいところに手が届く,と言っては僭越にすぎますが。
戦後すぐに起こった,まさに「反動」,が,「国民主権侵犯」の素地をつくろうとしていた・・・・そのあたりの空気抵抗をもごとにまとめかきあらわしていらっしゃいますね

わたしに言わせれば,ヒロヒトおろか,近衛,幣原,東久邇も正しく名だたる戦犯です。
佐々木惣一は「なんちゃって自由主義」の理念で中國,とくに華北の精神的戦犯。彼らは確かに日米開戦時には反対した,というだけで,アジア侵略の責をおおうべきひとたち,

例の先日の朝日新聞の石川健二,「国体明徴」と「結界」が云々とふざけた論稿でも言及され立憲VS非立憲で定義をしておりましたあたりの,いわゆる「大正デモクラシー」でさえ・・・・わたしには精神的戦犯であるとおもいます。立憲主義のはきちがえもはなはだしい,と

彼等の「自由主義」の立場からの,にとべ矢内原系統の植民政策,これらがアジア侵略の車の両輪であることは,立場を変えてみるならば自明なのです。
そもそも大学の自治などという美名のもとに,植民政策をくりだしたことの責任を,痛痒を少しも感じていないかれらでしたね。

ひとえに,軍部批判の斉藤隆夫や,日本を滅ぼしてください,のヤナイハラ軍部批判, ―― これらはリベラルの神話になっていますおかげ,だとおもいますが, ―― 神話はいまだしっかりと檢證されないまま,つまり


まったくこの,生ぬるい戰爭責任総括をさせたのは,この時期の内閣であったとさえ・・・・いまさらながらここのところの近頃の立憲VS非立憲,の東大ムラルネッサンスが起こっていることで,わたしは十分納得ができるのです,

タイムリーな記述!


「矢内原の天皇をメシアに日本を治療」する,これも表裏のうごきではないでしょうか????かれらの立憲主義は国体立憲主義,明徴立憲主義・・・・・

彼等の精神的志向は続くレッドパージでアメリカにすり寄っていく動きの土壌ともいえるわけですね

之こそが,反動,先日来の議論にあった,保守論と反動の混乱だwww

>根本的変革などは
>もとより考えても見ず、解釈変更や追加的法整備で間にあうだろうと考えていた

これがまさに保守るべき “カノン”を失った,反動に特化した 考え,つまりは 日本の諸悪の根源だと。

わたしたちはおもえば知り合った頃からずっと,・・・・・わたしは当時彼岸花さんに「りべらるの岩盤」という言葉を使っていたと思いますが・・・・・以来この二年間はもはやりべらるの宿痾であると・・・・・
プロフィール

彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
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