『日本国憲法をなぜ守りたいか その7 押しつけ憲法?②』


前の記事で、極めて大雑把ではあるが、ポツダム宣言から日本国憲法施行までの
流れを書いた。
今度は少し、詳しく書いていこう。

Q7:アメリカ側の対日政策はおよそどういうものだったの?

二つ前の記事で、2月4日から12日までの間に憲法草案を書きあげたGHQ民政局の
主な人々の経歴をざっと紹介した。
それをご覧になって、なにかお気づきになられたことはないだろうか。
多くの人々は軍人であり、どの人物も若くはあるが、軍人になる前にすでにかなりの
民間での経歴の持ち主だということは共通しているようだ。
だが。…私が注目したいのは、
彼らの多くが、軍に入って後、『シカゴ大学民間要員訓練所』『ハーバード大学民間要員訓練所』
というような、『民間要員訓練所』というところで一定期間勉強しているという記述である。

『民間要員訓練所』とは何であったろうか。
アメリカでは第二次世界大戦に参戦することが決まって以来、敵国ドイツ、イタリアなどの
あらゆる面の戦略的研究がおこなわれていた。日本についても無論例外ではなく、
多くの日本研究者がOWI(Office of War Information:戦時情報局)やその他の政府機関に
動員されて、日本の軍事面だけでなく、社会のあらゆる側面における文化人類学的
研究を行っていた。
これは、敵国である日本の社会機構や国民性を深く研究することによって、戦場における
日本兵たちや司令部の行動心理や作戦パターンを知り、日本兵の気力を挫くための
プロパガンダや、彼らの抵抗の激しさと限界を知り作戦に応用すること、また
アメリカが戦争に勝った後の日本における占領政策を立案する時の手引とするために、
周到に研究がおこなわれていたのである。
OWI(戦時情報局)の命を受けてなされたこうした日本研究の成果の一つに、
かの、ルース・べネデイクトによる日本研究(後に『菊と刀』と題され、日本でもベストセラーと
なった)があることは有名な話だ。

『Civil Affairs Training Schools:CATS(民事要員訓練所)』も、そのような組織の一つであって、
民事行政に特別な技能を持つ民間人2500名を予備役将校に任命し、民間の大学で
軍政に関する特別講座を履修せしめるというものであった。
1944年には、陸軍は、3ヵ月間の講座を教える民事訓練所を、シカゴ、ハーバード、ミシガン、
ノースウエスタン、スタンフォード、イェール大学などと協力して設置し極東プログラムを
進めていったのである。
GHQには、優秀なスタッフが、戦時最盛期の1948年には、4739名もいたという。
民事行政を専門とする文官の多くは、アメリカの一流の大学から選抜されて,
陸軍や海軍の軍政学校や、この民事要員訓練所(Civil Affairs Training School
:CATS)の短期養成コースに入学して、語学や日本研究以外に、国際法、心理学、
民事行政、政治学について集中的に学んだ。それからさらに,カリフォルニア州に
置かれたCASA(Civil Affairs Staging Area:民事要員駐屯所)で2ヶ月,最終訓練を受けていた。

それらの中でも、マッカーサーの意を受けた腹心ホイットニー准将のもとで
始められた日本国憲法の草案作成に選抜された人々が、どれほど優秀な人員であったか
推して知るべし。

彼らの思想面での志向はどういうものであったか。
ホイットニー准将は、共和党支持の保守主義者であった。しかし、憲法作成の実質的
責任者ケーディス大佐は、ルーズベルトのニューディール政策信奉者であって、
マッカーサーと共に、敗戦国日本で、理想的民主的国家建設の夢を抱いていた。
彼はその10年前にアメリカでとられた社会主義的改革ニューディール政策を
日本にも当てはめられると確信していた。ルーズベルト政権下で、公共事業局、
財務省顧問、臨時国家経済委員会委員を歴任した人物である。
そのケーディスの下、ベアテを含む民政局のスタッフは、若々しい情熱をもって、
当時の世界における最高レベルの憲法を作成しようと立ち働いたのである。
自分たちの手で、当時の世界における最高峰の最先端の憲法が作れることに
純粋に意気込んでいた。思想はさまざまであったが、違いは問題にならなかった。
若いといえども、彼らは日本にとって、結果的に、最良の知性、最良の人選であった、
ということが言えるのではなかろうか。

だから、今の日本国憲法を批判する者が、草案を作ったこれら民政局のメンバーを
『素人集団』と揶揄し、そのことをもって、憲法の内容そのものを軽んじるのは了見の
狭い話である。要するに、出来上がったものが優れているか否か、それが問題なのである。

私は、今回この記事を書くために、いろいろな本などを読みかえしていて、残念なことでは
あるが、『世界を見る目』また『情報戦』という意味ででも、当時の日米政府の、力と意志の
大きな大きな差を感じないわけにはいかない。
軍事面の情報戦、ということに関して、日米間に大きな差があったことは、皆さんも
御承知の通り。日本軍の艦船などの兵力から兵士の糧食そしてその行動パターンに
至るまで、細かく調べ上げていた米軍に比べ、日本は、敵性言語として英語などを
使うことを民間にまで禁止し、天気予報さえ民間に知らせるのは終戦まで原則禁じていた。
このため、昭和17年8月27日に長崎県に上陸した台風により山口県を中心に
1158名が死亡するという悲劇などもあった。台風の予測が出来なかったため
被害が広がったのである。
軍に対しては天気予報は暗号で送られていたし、気象担当士官もいて、命がけで
気象観測をしていたが、それも日本軍の撤退や通信の不良などから、天気図で
観測データが記入されていない範囲がどんどん広がっていく。
一方終戦直前のアメリカ軍は、日本付近の制空権を完全に握っていたため、
飛行機による気象観測結果を暗号を使わずに平文で送信していたので、
日本側は、この送信を傍受し、天気図に記入して利用していた、という情けないような
悲しいような話がある。
自国民を自然の猛威にさらしてまで実施している日本の気象報道管制は
終戦末期には完全に意味をなさなくなっていたのである。

余談だが、太平洋戦争初期の昭和17年3月1日、破竹の進撃を続ける日本軍の前に、
アメリカの南西太平洋方面司令官のダクラス・マッカーサーは、「私は必ず帰ってくる」と
言ってフィリピンを去っている。
その2年半後の昭和19年10月20日、アメリカ軍の主力がレイテ島へ上陸を開始し、
マッカーサーは「私は帰ってきた」と自由の声放送局より第一声を放送。
12月16日、アメリカ軍はルソン島決戦を期して日本軍の虚をついてミンドロ島へ
主力をもって上陸開始をする。レイテ島では米軍残留部隊が日本の敗残兵約1万3千人
と激戦が行われていた。
このとき、台風がアメリカ軍を襲う。この嵐で、アメリカは3隻の駆逐艦が転覆・沈没、
700名以上が死亡した。
徹底した補給が行われ、アメリカ軍の反攻のスケジュールが少し遅れただけで、大勢に
変化はなかった。
ちなみに、当時の日本の天気図には、フィリピンの東海上には低圧部があるだけで、
台風は解析されていない。
台風によって、大きな被害を受けたアメリカ国防省は大きな衝撃を受け、それで
台風情報の重要性を実感。翌年から太平洋の台風についての観測や予報を
行う組織、空軍と海軍合同の組織ができ、それが発展したのが「合同台風警報
センター(JTWC)」であった。戦争が終わり、合同台風警報センター(JTWC)は、
太平洋地域の台風防災に大きな貢献をする。
特に、飛行機を用いた台風の観測は、台風情報の飛躍的な向上をもたらし、台風防災に
果たした役割は大きかった。
これに使われたのが、あの爆撃機B-29を改造した台風観測用のWB-29である。
B-29は、丈夫な機体と長い航続距離、観測機器を積める広いスペースを持っており、
台風観測に適した飛行機であった。
こちらのサイトから引用しました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nyomurayo/20151218-00052479/


話を元に戻し。
『戦争の終わらせ方』についても、日本は全く考えていなかったのに比し、アメリカ当局は
ルース・べネディクトの研究にも見るように、いずれアメリカが勝利することを
確信したうえで、その終わらせ方、敗戦国日本の処理の仕方までを、周到に
研究・計画していたのである。

●1943年(昭和18年)12月29日。
戦前の駐日大使を経て大戦末期に国務長官特別補佐官を務めたジョセフ・グルーは、
シカゴで演説。日本の軍国主義は徹底的に罰しなければならないが、戦後改革の際には、
偏見を捨て日本の再建と国際復帰を助けるべきだと主張。日本人の天皇崇拝という面は
平和国家再建のために利用できると主張している。さらに、天皇主権の明治憲法は改正され、
日本に議会制度を再建し政党制度を確立する必要性を論じている。

●1942年(昭和17年)。
国務省では、戦後政策を検討する特別調査部領土小委員会に1942(昭和17)年8月極東班を編成。
翌1943年7月には極東班での研究を踏まえ、米国の基本方針をまとめた
「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」を作成。
1944年3月。「米国の対日戦後目的」を作成。それは、2月に陸軍省と海軍省が国務省に対して
行った極東地域の占領統治に関する質問に対する回答であった。対日宥和的であった。
第一段階では海外領土の剥奪や武装解除などの厳格な占領、第二段階では緊密な監視下での
軍国主義の一掃と民主化、そして第三段階では日本の国際社会への復帰が想定されていた。
対日占領政策の「原型」ともいうべきこの文書をもとに、のちの「初期対日方針」が作成された。
同年12月。国務省・陸軍・海軍の三省調整委員会、通称「スウィンク(SWNCC)」が設置され、
ここでの決定が占領軍の政策となった。

十分かつ綿密な日本研究と、激しい議論の後にまとめられたこうした対日占領政策。
それは、マッカーサー個人の占領政策に対する考えとも一致し、アメリカの意思は
ポツダム宣言を経、その後も頻繁に発せられた対日方針によって、日本側に繰り返し
繰り返し伝えられていた。
すなわち、徹底した武装解除と軍国主義思想の排除。民主主義思想の普及と文民政府の樹立、
そして日本の国際社会への復帰という計画である。
天皇の処遇については、戦争中の詳細な日本研究の結果からも、日本人民の天皇崇拝を
利用して、戦後日本の占領政策を進めた方がいいという考え方がGHQの大方の意志であった。
昭和18年のジョゼフ・グル―の演説に見る通り、まだ日本の戦争中のかなり早い時点で、
アメリカは、日本占領統治のために天皇を利用するという考えをもっていたことを
ここで一応確認しておきたい。



浅間丸

これは、1944年(昭和19年)にアメリカ海軍が作成した、"Japanese Merchant Ships Recognitional Manual"
日本の商船の船体などの認識マニュアルである。
http://archive.hnsa.org/doc/id/oni208j-japan-merchant-ships/index.htm

何の目的で作られたかは言わずとも明らかであろう。
開戦に至るまでの期間、米国は日本側のあらゆる情報を収集していた。
パナマ運河やチェサピーク湾を通過する日本商船を右舷・左舷・平面と三方向から、
有事の際に役立たせる目的に撮影していたのである。戦争が始まると撮影した写真を
基に攻撃対象の船舶であることを認識する情報として陸海軍の航空部隊や各種艦艇に
提供していた。

いつか別の記事にしたいが、これも見てほしい。
太平洋戦争中に沈没した日本の民間船舶の名前と位置である。

日本船舶
http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200812/








調べていて、しみじみ思う。
アメリカという国は、大変に寛大で民主的な国ではあるが、またその一方で、
底知れず恐ろしい国でもある。
敗戦国日本の指導者たちは、『自分たちが完膚なきまでに戦争で打ち負かされたこと』
その『敗戦国としての自分たちの立場』『アメリカが要求していること』に対する、しっかりとした
認識が果たしてあったのであろうか…

今なお、一部の人ではあるが、
『日本はアメリカに負けたのであって、中国や朝鮮に負けたわけではない』などと
強がりを言う者がいる。
だが、なぜ、日本はアメリカと、あの無謀な戦争を戦うことになったのか。
日本が、『自衛のため』と、アジアに侵略の手を伸ばして行かなかったならば、
アメリカと戦うこともなく、原爆を落とされることもなかった…沖縄も…

ほとほと戦争は嫌である。
軍備によるのではない、戦争を避けるための知恵を、世界の国々と共に駆使すること。
日本国憲法が高らかに歌いあげた人類の理想は、まだ達成には程遠いばかりか
逆に遠ざかって、再びきな臭い風が吹いている…。
いましも、三重県志摩でG7サミットが開かれているが、会議を成功させて選挙に
役立て改憲に必要な議席数を衆参両院で手にしたいとたいと思う安倍氏の
引っ張っていきたい方向と、他の国々の思惑は微妙に異なっているようである。
テロとどう向き合うか。難民問題をどうするのか…、
アメリカ以外はあまり関心を示さないであろうが、アジアの安定をどう守るのか…
テロ問題や国際紛争は、武力では解決しない。武器によっては、世界の不幸は絶対に解決しない。
そのことは歴史が示しているではないか!

安倍政権の下、防衛省は、2016年1月29日。民間船員を予備自衛官とし、有事の際に
活用することを計画。これに対し、全国の船員で作る労組の全日本海員組合が29日、
東京都内で記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表した。
防衛省は「強制はしない」としているが、現場の声を代弁する組合が「見えない圧力が
かかる」と批判の声を上げた。
 防衛省は、日本の南西地域での有事を想定し九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」
を進める。だが、武器や隊員を危険地域に運ぶ船も操船者も足りない。同省は今年度中にも
民間フェリー2隻を選定し、平時はフェリーだが有事の際には防衛省が使う仕組みを作る。
今年10月にも民間船の有事運航が可能となる。
一方、操船者が足りないため、民間船員21人を海上自衛隊の予備自衛官とする費用を
来年度政府予算案に盛り込み、有事で操船させる方針。


http://mainichi.jp/articles/20160130/k00/00m/040/091000c










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Re:鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは。

結局結論が出ないですみません(笑)。
「ご教示」なんて、とんでもないです。私も必死で調べたんですよ~~~。
おかげさまでいい勉強になりました。
基本的に、当事者2人の証言しかない。信頼できる『傍証』ということがないと、
不用意に書けないな、と思いました。
結論はそれか~い!(爆)

ただ、こうした歴史についての考えを書いていくときに、どうしても自分が
『こうであってほしい』と思う方向へ解釈する、というのはありがちな
事だと思います。私などもどれほど、それに似たことをやってきたか・・・。
それから、大事なことはもうひとつ。資料の質、ですね。
信頼できる資料と思っていても、それがすでに古くなっていて、新たな新事実で
上書きされている場合がたくさんあります。
そのことに注意しないと、とんでもないミスをしてしまうことがあります。
とりわけネット情報などというものは、自分にとって都合のいい情報を部分的に
取り出して最初の人が、それを載せる。それをまた誰かが、『あ!ここに都合のいい
情報があった!』と思って、コピペコピペで拡散していっているうちに、いつの間にか
それが定説になってしまっていることがあるので、すごく用心しないといけないな
と思いました。

いい例が、ちょうど今回話題にしました、1951年5月3~5日のアメリカ上院
軍事・外交合同委員会の公聴会でのマッカーサーの証言ですが、長い聴聞の別の
箇所で、マッカーサーが『war was largely dictated by security』と言った個所が、
確かにあるのですが、それが、「あのマッカーサーも『日本は自衛のために戦争をした』
と言っている!」という話になって、ネット上で広く流布しています。
確かにその発言はある。でも、その一部分をもって、マッカーサーが日本の開戦事情を
斟酌した、という話に持っていくのはおかしいのです。
マッカーサーがどういう場で、どういう状況下でその発言をしたかということを
考え、また、彼の証言の全体をみないと。
朝鮮戦争を終結させたいトルーマンと、戦争継続論のマッカーサーは対立して、
マッカーサーは連合軍最高司令官をトルーマンによって解任されていますね。
この公聴会は、そのすぐ後に開かれて、マッカーサーは、自分の極東戦略は
間違っていなかったんだ、と弁明しなければならない立場にありました…。
つまり、『中国包囲網』の必要性と戦闘存続という自分の判断は正しかったのだ、
という文脈の中で、日本のケースを持ち出してるんですね。日本の場合はそれでうまくいった、と。
これを、ネトウヨさんたちが解釈するように、マッカーサーも、日本が開戦したのに
同情的だった・・・などと考えると、『(日本のケースで成功したように)中国包囲網を
断固やるべき』というマッカーサーの、主戦論の証言の本筋が通らなくなってしまいます。

でも、この日本擁護論が、ネットではまことしやかに拡散してるんですね~。
今回の件も、マッカーサーの発言が、この同じ公聴会で発せられていることが、
私にはどうも気になるのです。
そんな美談じゃないんじゃないか…と。

今回調べているうちに、「うわあ!これをそのまま資料として引用してたら、
とんでもない事実誤認になってたな!」とぎょっとするようなことがいくつも
ありました。
歴史の事実は(あるいは解釈は)、日々研究されて書き変えれらています。
だから、これは信用できる本、と思うものでも、それが資料として古くなると、
その中の記述が、既に新事実発見によって上書きされていることがしょっちゅうですよね。
それを知らないで、そのまま引用すると、とんでもないことになってしまいます。><
今回、その怖さを、ほんと実感しました。
なかなか、素人が歴史を語るのは難しいです。とりわけ資料の扱いは。

ほんと。鍵コメさんがおっしゃる通りなんです。『歴史曲解』の落とし穴は、そちこちに
ある!(涙)

ただ。意外と、『直感が正しい』ということもまたあるんじゃなかろうかと一方で
思っています。
人間というものは、時に、愚かでとても弱いものです。そういう弱さなら
自分もいやというほどよく知っている…。
だから、『人間行動の心理学』のような観点から、過去の歴史の隠された部分を想像した時、
案外、その直感が結果的に正しかった、ということが後になってわかってくる、ということも
あるのではなかろうかと思います。
あるいは、絶対確実と思われるピ-スだけを、慎重に積み上げて行ってですね、
最後にどうしても足りないピースがある。その足りない部分を、人間の経験則とか
行動心理とか、あるいは最後の一手!『想像力』を働かせる、ということで
見事に解明する、ということも、たまにはあろうかと。^^

ほんと。歴史の真実は『藪の中』、ですが、調べて行くことは面白いですね。^^
ただ、絶対してはならないことは、自分の論理展開に都合のいい方に歴史の方を合わせる、
ということですね。これはもう、右も左も関係ない。
私もともすれば陥りがちなことだと思うので、今回、ほんと気をつけよう!と
切実に思いました。^^

ほんとに、勉強すること考えることは多いですね。
でも、たぶん、鍵コメさんは、そうすることが本質的にお好きなのだと。^^
考えることが全然苦痛じゃない。(笑)
鍵コメさんがずっと取り組まれていらっしゃる連合政権のあり方、それと
福祉財源をどうするか、というテーマは、とても大事で大きなテーマだと思います。
是非、それをとことん追究なさって私にも教えてください。
私も、消費税のシリーズのとこで、途中までやりかけたのですが、尻切れトンボのままです。
今また、『消費税』が大きな論点として再びクローズアップされます。
私は、今はとにかく安倍政権に改憲などさせない!ということが、私にとっての
今一番のテーマなので、しばらく憲法問題に集中します。
でも、選挙民は、いろいろな実際の生活上の問題を、争点と考えますよね。
そっちも大事ですよね。

ああ!頭と手(タイピングのうまい)と、動きのいいパソコンが、もうあと三組ずつ
くらいあったらなあ!(爆)

ありがとうございます。
いつも本当に考えさせられるテーマを提起していただき、自分の勉強になります。^^






今回調べていて、

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさんこんにちは。

メールの方に返事書かせていただきますね~。

その問題については、いずれ記事にするかもしれませんが。
でも、『藪の中』ですね。^^

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。

お母さま。よかったですね!
やはりおうちがいいですよね~~~…^^
どうぞお大事になさってくださいね。

憲法の記事。はい!急がないと参院選はじまっちゃうので、頑張って書いてます。^^
まあ、いよいよ改憲、となる前に、というのなら、あと数カ月か何年かは
あるのかも知れないけれど(涙)、その前に、しっかり憲法のこと知っておかないと、
と思って書いてます。
参考文献の件も含め、あとでメールしますね~~~。



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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。
懇切なコメント、ほんとうにありがとうございます。
おかげさまで、私の中に欠けているいくつもの部分…それらを押さえていないために
なんとなくぼんやりした部分が、少しですが見えてきたような感がします。
まだまだ掴みきれていないことばかりですけれどね。><

そんな曖昧さを抱えたまま、このシリーズにとりかかってしまいました…
参院選まで時間がなかったもんで。
先の見えない雲の中を手さぐりしながら歩いているような気分です。

書きたいことはしっかりとわかっている…
でも、そこに辿り着くのに大変です。
例のごとく、順番に、ごく最初のあたりから書き起こして行かないといろんなことを
書けない困った性格。ww
一歩一歩歩いていっていますが、目的地にたどり着けるのか、今から不安です。
いつものように尻切れトンボになっちゃうかも。><

仮に、私なりのその小さな目的地にたどり着いたからといって何になるのか…
それを考えると、書いている今から、悲しいです。
この世界は、わからないことだらけ、どうにもならないことだらけ。
いっそ何もかも忘れて、なにも考えないで、ささやかな日常を楽しみたい!と
思うことしばし、ですが、なぜか、何を好き好んでか(^^)考えずにいられない
書かずにいられない…

きっと、本質とか事実に突きあたる…そのこと自体が好きなんだろうと思います。
小さなささやかな試みですけれども。

鍵コメさんが、ここにお書きくださったこと、よくよくわかります…。
ここに書いてくださったことで、曖昧な部分が見えてきたということ多いです。
ありがとう!
鍵コメさんが、このシリーズで、私に押さえておいて欲しいとお思いになること、
それこそが、私がずっといつかこのシリーズ書かなくちゃ、と思っていたことでも
あります。
ここに鍵コメさんが書いてくださったこと。再びしっかり頭に入れながら、
なんとか頑張って書いていってみますね~~~!

折しもオバマ氏の広島訪問、そして沖縄での繰り返される悲劇…。
今も続く因果の糸・意図に、なんだか、茫然としてしまいますけれども…。

日本はどう生きていけばいいのだろう……

参院選ですべてが終わるわけではない、参院選は大きな問題のほんの一部分、
とは思いつつも、とりあえず今は、改憲勢力3分の2を阻止したい。
その一心で動いたり書いたりしています。
その目的の前では、少々の考え方の違いは今は考えない。石川健治氏に対する
『同じ側』という発言は、そのくらいの感覚です。『お眼鏡にかなう』というほど
彼のこと知らない。w
そう言った意味で、小林節氏も同じように応援したいし、小沢一郎氏だって
維新の一部だって今は、同じ方向向いて歩いていこうと思ってる…そんな
緩やかさ。かなぁ。その緩やかさが自分の身上かなとも思うし…。
その曖昧さ緩やかさが私の限界でもあるんだろうし。

とにかく、いろいろ、憂われますね。
ありがとう~~~。
お言葉、胸に刻んで、書き続けてみま~す!^^






オバマの広島訪問が良くも悪くももたらすもの…

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: んさんへ

んさん。こんばんは。

安倍さんは、大きな晴れ舞台ですね。気分が高揚してるだろうなあ…

さて。どんな談話が出ますやら。

沖縄。その言葉を聞くといつも胸が痛くなります…
これまでずうっと、自分が沖縄の問題を素通りし続けてきたことを想うと。
日米が、真の意味での対等な関係にならないと、いつまでも沖縄の問題は
解決しないですね。それには、本土の私たちがいつまでも他人事、と
思ってちゃいけないと思うんだ…

ほんとですね。オバマさんには、せめて翁長知事と会って欲しい。
そして沖縄の声を真摯に聞いてほしい。

んさん。いつもありがとうございます!

押しが

弱すぎじゃのう・・・

そりゃ、沖縄県民も激怒するわ!

オバマさん、帰国時についでにもう少し時間割いて沖縄の米軍基地に立ち寄って綱紀粛正の「大きな「渇っ!」」を入れ、尚且つ沖縄県民に真摯な謝罪して帰れよっ!

まあ、アメリカの舎弟に成り下がってる売国奴の安倍には所詮無理な話じゃわ。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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