『日本国憲法をなぜ守りたいか その9 押しつけ憲法?④』


Q9:近衛文麿が佐々木惣一らと作った『帝国憲法改正要綱』
からさえも学べることって?



私が、近衛、佐々木惣一、高木八尺らのこの案で、注目しておきたいのは、
以下の、『臣民権利義務』に関する箇所の、下線部の部分である。
文末に(i)(ii)(iii)と、振ってあるのは、私が便宜上つけた。

第二章 臣民権利義務
 一、現行憲法に規定されてゐる臣民の行動上の自由は法律によつて初めて
  与へられてゐるやうな感があるが、この印象を払拭し国民の自由は法律に先行する
  ものであることを明らかにする (i)
 一、外国人は自由に対し種々の制限を受けてゐるが外国人も本則として日本臣民と
  同様の取扱ひを受けることを明らかにする。(ii)
 一、非常の場合、国民の権利を停止する所謂非常大権はこれを撤廃する (iii)


(i )『国民の自由は法律に先行する』
  これは、まさに、今の日本国憲法の『国民主権』そして『自由権』の思想である。
  憲法は国民を縛るのではない。現行憲法は、国民のため、為政者(国会議員、国務大臣、
  裁判官その他の公務員)にこの憲法を擁護する義務を負うようにと言っている。

  ところが、自民党の改憲案では、その考えが全く逆転してしまって、
  国民に憲法を守ることを義務付けている
のである。

現日本国憲法第99条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を
 尊重し擁護する義務を負ふ。

自民党改憲案第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。


しかも、見る通り、国の側の義務は、 『尊重し』という文言を消して『擁護する義務』
という表現だけにして軽くし、国民には憲法を尊重しなければならないと言う。
これでは、近衛案が『国民の自由は法律(≒国家)に先行する』と言っていること以下だ。
自民党の草案は、まったく、近衛~佐々木案以前の大日本帝国憲法へ逆行しているのである!


近衛の出した憲法改正案は、当時も今も、取るに足らぬものとして、書庫の奥ふかく
人々の記憶の奥深くにしまいこまれてしまった。
だが。ある部分においては、この言わば笑い物にされてしまった改憲案の方が、
その思想において、現代の、自民党改憲案より優れて先進的なのはどうしたわけだ?!
『国民の自由は法律に先行する』・・・この条文は重い。
つまり、ここには、国民の自由が、『法律』よりも優位にある、ということを明記している
のである。ところが自民党改憲案では、国民の『自由』や『権利』を謳った
条項でも、あちこちに現行憲法にはない『公益および公の秩序に反しない限り』
という文言が挿入されている。

現行憲法第12条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを
 保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に
 公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


自民党改憲草案第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持され
 なければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び
 義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。


現行憲法第21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


自民党改憲草案第21条(表現の自由)
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
 並びにそれを目的として結社をすることは、認められない


この自民党案第21条の第二項!
こんなものを憲法として認めてしまったら、
将来にわたって禍根を残すとんでもない悪法になりうる。

「『公益』『公の秩序』を害することを目的としている」と判断し訴追するのはだれか。
およそ国の側であろう。
例えば、国民が今、集団的自衛権行使を認める安保法制を含む安倍政権の
強硬的やり方に反対して、国会前で何万人が集まる。その集会が『公の秩序を害する・乱す』と
当局によって恣意的に判断されかねないことになってしまうのである!!!


現に、3年前の2013年、当時の自民党幹事長石破茂氏が、秘密保護法反対を
訴えて国会前に集まった人々を、『単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において
あまり変わらない手法に思います』
とブログに書き、当然国民から猛反発を受けて
撤回したことがある。また、一年前、強力な安倍氏シンパである作家百田尚樹氏が
自民党の若手勉強会に出席して、本人は冗談だったと言うが、『沖縄の二紙は
厄介だから、つぶれたらいいのに』
と言ったことは記憶に新しい。

これらの自民党議員及びそのシンパの発言は、この現行憲法21条が国民に保障した
『表現の自由』の概念を根本から否定するものであって、そういう考えをもった人々が
この21条を、自民党改憲案のようなものに変えようとしているのである。

石破大臣の発言は、『デモ』『集会』と言う、国民がわずかに直接政治に意思表示できる
機会である、憲法に保障された行為を、『テロ』という犯罪行為と同等視するものであって、
戦前の『治安維持法』の発想と近いものであることを自覚していない。

また。百田氏の発言は、彼のみならず、その場にいた自民党若手議員らの『報道の自由』
に対する認識がその程度か、と言うことを示すもので、ほんとうに情けない。

安倍政権になって、事ごとに、テレビ新聞などの報道に政権側の人々からクレーム
等が入れられるということが多く目につくようになった。
彼らの言い分はこうだ。
『報道は偏向せず中立であるべきだ』『政府側にだって発言の自由はあるはずだ』
確かに。
だが。
同じ表現の自由ではあるが、国民の側が権力に対して自由にものをいう権利を
持つということ
と、権力側にある者がジャーナリズムに対し『報道に中立であれ』と言う
ことでは、その重みや意味するところが全く違う。

前者は、国家が暴走しないようにするためにいくつかの歯止めがある(三権分立などもそうだ)
その大事なしかも、言って見れば究極的な、最後の砦であるのに対し、
後者は、その権力の座にある者からの『圧力』と取られかねない発言であり、
それは国民に与えられた『言論の自由』『報道の自由』を含む『表現の自由』への介入に
一歩間違えば陥りかねないものである。


その要請?自体は、その時は何の拘束力も持たない無害なものに見えるであろう。だが、
権力の側から『中立であれ』と言われることは、報道する側・国民の側には圧力となり、
それは自然、妙な『忖度』の空気を社会に生んでいく。
やがてそれは、別に誰がなにも直接命じていなくとも、『また、トラブルになると面倒だから、
何も言わないでおこう』『深く追及しないでおこう』『余分なことは言うまい、すまい』…という
『自粛の空気』を、社会に蔓延させてしまう。
そうして。そうやって、ジャーナリズムが黙り込む…、国民がものを言いにくくなる…面倒なことを
考えるのはやめる…と言うことの果てに、一体どんな社会が来るであろうか。



話を、近衛らの憲法改正要綱に戻そう。
佐々木惣一らが作ったこの要綱に、
『一、現行憲法(註:大帝国日本憲法)に規定されてゐる臣民の行動上の自由は
法律によつて初めて与へられてゐるやうな感があるが
、この印象を払拭し
国民の自由は法律に先行するものであることを明らかにする』 
とある。その、
私が下線を引いた箇所は、重要である。
つまり、近衛らは、国民の自由は法律(≒国家)によって与えられるものとする、
すなわち国家が許す範囲において自由を認めるとする大日本帝国憲法の考え方
を否定し、『国民の自由が国家に先行するのだ』、という民主主義の根本を認識している

ということがここでわかるのである。
国家が作る法律が許す範囲に置いてのみ自由があるのではない、すなわち『人間は
生まれながらにしてさまざまな権利を持っているのだ』とするいわゆる『天賦人権論』
の立場に近いものを、ここで取った、ということになる。

ここで、大日本帝国憲法の条文の一部を掲げてみようか。
近衛が言うところの『現行憲法(註:大帝国日本憲法)に規定されてゐる臣民の行動上の
自由は法律によつて初めて与へられてゐるやうな感がある』に該当する条文である。

第22条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
第27条日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
第30条日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得



どうだろう。皆さんも、あまり、大日本帝国憲法などご覧になる機会は多くはなかった
のではないだろうか。どうお思いになりますか。
この憲法にも、自由権はなかったわけではない。だが、ことごとく、『法律ノ範囲内ニ於テ』
という制限が付き、また『法律ニ定メタル場合』は、当局による住居の捜索も信書開封も
我慢せねばならず、所有権さえ、公益のためと当局が法の下判断すれば、侵されて
しまうのである!


皆さん、このことよく覚えておいてくださいね。
とりわけ、この条文の第二項。
第27条『日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル


自民党安倍政権が、東日本大震災や熊本・大分大震災を例に挙げて必要性を説き、
また、中国や北朝鮮からの侵略の危険性をしきりに煽って国民に危機感を抱かせれば
納得させやすいと考えているのか、改憲でまず手をつけようとしている『緊急事態条項』は、
まさにこれに近いもの
ですからね!!

自民党憲法改正草案第99条(緊急事態の宣言の効果)
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、
当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置
に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。



ここで、もう一度近衛~佐々木惣一、高木八尺らの憲法案にもどってみよう。

(iii)一、非常の場合、国民の権利を停止する所謂非常大権はこれを撤廃する

『非常大権』をやめる、と言っている!
『非常大権』とは、大日本帝国憲法第31条によって天皇に認められた、非常時における
天皇大権の1つである。
『「戦時または国家事変時」において(主権者である天皇の)天皇大権によって
大日本帝国憲法が定めた臣民の権利・義務の全てあるいは一部を停止しうる

とするもの。大日本帝国憲法第二章第31条にあった。
近衛案も、そして幣原らの松本私案もこれを撤廃する、と言っている。
(ただし、これにより天皇に与えられていた大権がすべてなくなったわけではなく、近衛案では、
『天皇の憲法上の大権を制限する主旨の下に、緊急命令は、憲法事項審議会に諮ること
とし、天皇のその他の憲法上の大権事項も帝国議会の協賛を経て行い得ることとす』
と、している。)

ところが、それから70年も経て、歴史に学んで少しは賢くなったはずの現代のわれわれは、
またぞろ、この『非常大権』に似た『緊急事態条項』を、憲法に復活されようとしている
のである。
緊急事態条項については近いうちまた別個に書く。

順序が逆になったが、近衛らの『帝国憲法改正要綱』では、
(ii )一、外国人は自由に対し種々の制限を受けてゐるが外国人も本則として日本臣民と
  同様の取扱ひを受けることを明らかにする。

と言う極めて先見的な条項も付け加えられている。
これはしかし、近衛がGHQの意を汲むのに敏、と言うより生き残りに必死であった
ところから生まれた文言かもしれない。ここでいう『外国人』のイメージに、果たして
日本兵士と同じように亡くなったリ傷病兵となった朝鮮半島などの兵士たち、そして
慰安婦たち、中国・半島からの強制労働者たちなどに対するものが入っていたか
ということは疑問だ・・・
外国人の権利は、現行日本国憲法にさえも文言としては盛り込まれていない。
ただ、憲法が保障する諸権利は、概ね、日本に住む外国人に対しても守られる。
(ことに一応はなっているが、実際はどうだろうか。そうはなっていないことは、
朝鮮半島の人々に対するこれまでの処遇のありようや、例えば、アジアからの
研修生に対する処遇などを見れば、決して日本人同様に保護されているとは言い難い。)

ここで一応断っておくが、私は近衛を評価しているというわけではない。彼が総理として
決断したことが、どれほどの悲劇を国内外にもたらしたか・・・。
ただ、近衛が佐々木惣一らと作ったこの『帝国憲法改正要綱』が、大日本帝国憲法を
振り返るにも、幣原内閣が出した『松本委員会試案』と比べるにも、またマッカーサー・ノート
を語るにも、現行憲法を語るにも、現在の自民党改憲草案を語るにも、そのいずれからも
ちょうど等距離と言うかいい位置にあるので、これをたたき台として憲法を語っている、
だけのことである。

話を戻して。その他の部分の自民党改憲草案はどうなっているだろうか。
先述したように、自民党案では、前文、第3条(国旗及び国歌)、第9条の3(領土等の保全等)
第12条(国民の責務)、第13条(人としての尊重等)、第21条(表現の自由)、
第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)、第25条の2(環境保全の責務)、第28条(勤労者の団結権等)、
第29条(財産権)、第92条(地方自治の本旨)、第98条(緊急事態の宣言)、
現行憲法第97条(最高法規)の丸ごと削除、
極めつけは、第102条(憲法尊重擁護義務)の新設
など、いたるところで現行『日本国憲法』で保障された国民の諸権利を、
『公益および公の秩序に反しない限り』と言う文言を加えて制限し、
また新たに『義務』として課す条項を増やすという、とんでもない改悪

が行われようとしているのである。


つまり、この自民党改憲草案に満ち満ちている思想は、『国民の自由、諸権利は、国家の
許す範囲で認められる』という、まるで、大日本帝国憲法に大きく逆戻りするもの
である。
近衛案さえもが、『国民の自由は法律に先行するものである』と明記しているその
1945年の草案よりも、自民党案ははるかに前時代的なものと
なっている
ことを、皆さんに覚えておいて欲しい。

一般に、改憲論をかまびすしく言いたてる人々が『国家』『美しい国』などと
いう言葉で盛んに言い表すものは、無論のこと、実態のある生き物ではない。
要は、『国家権力』を行使しうる立場にある者、つまり政治家、高級官僚、財界人その他
政官経学…一部宗教界もそうか…など社会の中枢の座にある者が、自分の権力を
さらに持続させるために、その価値観や利益に関わる判断を、『国家』という美名で
押しつけているのに過ぎない。

今の政治のあらゆる状況を見ていれば、そのことは明白に見えてくるではないか。




そんな人々のために
今の憲法を、自民党案のような劣悪なものにしたいですか?




美しい国


上下二枚の写真は、琉球新報さん、河北新報さんからそれぞれお借りしました。

これが、権力者のいうところの『美しい国』、の実際である・・・・・・。





美しい国② 





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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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