『赤い実 ②』

赤い実がなぜか昔から好きである。
前世など信じちゃいないが、もしあるとするなら、私はきっと鳥だった。

ピラカンサス、南天、千両、万両、ナナカマド、ガマズミ・・・、
ヒヨドリジョウゴ、グミ、蛇いちご・・・・

そして『赤い実 ①』で遊んでみた、赤い実。
さて、あれは何の実だったでしょうか?
ハナミズキの実である。
春。桜に少し遅れてやわらかそうな、ピンクぼかしの花を咲かせる。
庭木としてだけでなく最近は街路樹などにもよく植えられている。
夕暮れ時、買い物がてらの散歩の途中で見つけて、拾った。
宝石より綺麗だと私は思う。

幼い頃から赤い実が好きだった。
あれはもうずっとずっと昔。
3歳の私が、家の周りを取り囲む林の中に一人立っている。
まだ私が、高原の村に住んでいた頃。
『故郷の廃家』となってしまう前の生家にいた頃。

生家は、高台の上に建っていて、「上の屋敷」と近隣の人に呼ばれていた。
周囲は日当たりの良い雑木の林に縁どられていた。

その林の中に何故か私は一人いて、上を見上げていた。
綿入れのちゃんちゃんを着せられていた記憶があるのだが、季節はもう、
冬に近かったのではなかろうか。

私は鳥が木の実をついばむのを見て、それを真似した。
と言っても、高い枝に手が届くわけではないから、
身を屈めて、足元に落ちている木の実を拾って食べたのである(笑)。

あれはいったい何の実だったのだろう。
ほのかな赤みを残す、黒っぽい実だったような気がする。
味は今でもはっきり思い出せる。
うす甘く、少し粉っぽい味がした。私のまぼろしの味。
今でもこうやって生きているから、ヒヨドリジョウゴのような毒のある実では
なかったらしい(笑)。


このように、小さい頃から赤い実好きであったから、自分の家を持つようになった
時には、家中、赤い実のなる植物を植えようと意気込んでいた。
最初に植えたのは、ルビーのように赤い、半透明の美しい実のフサスグリ。
しかし、我が家の庭は狭い上に、日当たりがあまりよくない。
地味も痩せていて、フサスグリは大きくなれないまま、枯れてしまった。
次に我が家に来た赤い実は、ピラカンサス。
これはヒヨドリが植えた(笑)。
生命力が強く、みるみる枝を広げて行って、さらでも狭い裏手への通路を
すっかりふさぐほどに茂った。通れなくては仕方がないので、泣く泣く強い剪定。

南天もヒヨドリが植えた。
これもぐんぐん株を太らせ増えていって、今では狭い庭の半分を占めるかというくらいの
巨木になっている。
私は、これを正月の玄関飾りに活けたいと毎年思うのだが、かなわない。
ヒヨドリが全部その前に食べてしまうからである。
自分が植えたんだから、いいだろ!と言わんばかりに。

仕方ないので、千両の鉢を買ってきて地植えにしてみた。
これは土地に合っているのか、勢いよく育っていって、株を増やし、
一昨昨年の正月には一部を切らせて貰い、千両だけガラスの大花瓶に
投げ入れで活けて、それは見事なくらいだった。
で、一昨年も楽しみにしていたが、雨が多かったかして、
実がまだ緑色のままぽろぽろ落ちてしまった。
昨年はそんなこともなく、順調に実をたくさんつけ、赤みを増してきていたので
楽しみにしていたら、南天を食べつくしたヒヨドリが、
いつの間にか千両にも目をつけて、全部食べてしまった。
これはヒヨドリが植えたわけじゃないんだけどな(笑)。
人がいると遠くからキーッ!と鳴いて文句を言ったりしているが、
人の見ていない隙を見計らってやってきて、さっとかすめ取っていく。

「鳥よけのネットを張ったら」とも言われたが、そうまでしたくもなかったので放っておいた。
南天もピラカンサスも、ヒヨが植えてくれたんだし。
そういえば、万両も一本、ヒヨが植えて、いつの間にか赤い実をつけている。

藪柑子(やぶこうじ)の一叢は、亡き母の形見。
生前何かの荷物を送ってくれた中に、新聞紙にくるまれて入っていた。
兄が広島で結婚して母を引き取ったので、周囲は兄嫁の親類縁者ばかり。
孤独な母が、大事に育てていた山野草の中の一部を株分けしてくれたのだ。
母亡きあと、もう20年以上の歳月が流れているが、まだ細々とながら生き続け、
毎年小さな赤い実を恥ずかしげにつける。
母の生き方そのもののようにつつましい赤である。

「どくだみ」が藪柑子の領域を侵し始めているので、これは
少し整理してやらねばなるまい。

そんな私が、小さな娘によく細い声で歌って聞かせたのが、
昨日の『赤い実』でも書いたが、『赤い鳥小鳥』。
  
  あかいとり ことり
  なぜなぜあかい
  あかいみをたべた    (作詞 北原白秋   作曲 成田為三)

2歳にまだならない娘は、「みをたべた~」のところしか歌えない。
独特の節回しで、そこだけ繰り返し歌っていた、あの小さな娘は今どこに?

私の頭をはるかに越える大柄な娘になった(笑)。
別に赤い実には興味がないようである。
しかし、赤い服を好んで着る。彼女の一種の戦闘服。
どうやら色の好みだけはあの歌でインプリントされたらしい(笑)。

しかし、後年彼女が言うには、赤い実の歌は子供心には
なんだか怖かったそうで。
赤い実を食べると赤くなり、青い実を食べると青くなり、黄色い実を食べると
黄色くなるのか!と、心底怖かったそうで(笑)。

そういえば、『かわいいかくれんぼ』の歌も、子供の頃怖かったそうである。

  ひよこがね
  お庭でぴょこぴょこ かくれんぼ
  どんなにじょうずにかくれても
  きいろいあんよが見えてるよ

  だんだんだ~れがめっかった!
(作詞 サトウハチロー  作曲 中田喜直)

「子供が一所懸命隠れても、大人は見つけてしまうんだ~」
と思って、不条理な怖さを感じる歌だったそうである。

勿論これは、後年自分も大人になってからの言いまわしだが。


子供はいったい何を感じて、その敏感な生を毎日生きているのであろう・・・・・。

子供時代の何にインプリントされて、その生涯の嗜好を獲得していくのであろう・・・・・。
繧ケ繧ュ繝」繝ウ0006_convert_20091020222737

スポンサーサイト

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード