『C'est la vie』
2日前に書いた記事。
書き直ししようと一度ひっこめたが、『はやぶさ』の記憶が薄れないうちに
再度アップしておこう。
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6月17日。深夜2時。今晩も私はなんとなく起きています。
皆さんはもうとっくにお休みになられているでしょうね。でも、もしかして、
まだベッドで横になってものを思ってらっしゃるかもしれないかたのために、
こんな曲をお送りしましょう。音楽を聴きながら、私の独り言をお聞きくださいね。
夕暮れ。忘れていたものを買い足しに外に出た。
玄関を出て、ふと空を見上げると、高い空を2機の飛行機が行くのが見えた。
空は今日も晴れて、まだ昼間の青みが残っていた。
1機は低い空を機体を銀色に輝かせながら飛んでいる。
もう1機は、それよりはるかに高い上空を、ほとんど小さな光の玉のようになって、
しかしあとにくっきりとした航跡を一筋残しながら、飛んでいた。
低く飛んでいる方の機は、飛行機雲を残していない。ただ、私の耳に届いてくる
かすかな飛行音はおそらくこの機から聞こえてくるものだろう。
2つの飛行機は、ほぼ平行線を描いて、東から西の方へ向って、
薄桃色に染まりかけた空を、静かに飛んでいた。
私のそのとき見上げていた空は、家と家との屋根に2方を区切られて
決して広々と開けたものではなく、その限られた空間を、
2つの機が、ほとんど無言で同じ方向に飛んでいくのが、なぜかとても
せつない感じを私に起こさせた。
平行線の先は徐々に狭まって、やがては2機が交錯しそうであるが、
飛んでいる高度が全く違うので、勿論ぶつかるということはないのである。
2機はそのねじれの位置を続けたまま見た目にはどんどん近付いて行く。
ふと、その交錯しそうな先を見やると、なんと淡い茜の空に、薄い夕月がかかっている!
三日月は少し過ぎているが、細い淡い月が、2機を待つように西の空に高く出ていたのである!
私はわけもなく感動して、ふと涙がこぼれそうになった。
数日前、日本の、小惑星『イトカワ』の探査機『はやぶさ』が、
7年あまりの任務を終えて、往復60億キロもの旅の後、地球に帰還するが、
大気圏に突入する際に、美しい光芒を残して燃え尽きた。
我が子のように大切に胸に抱えてきたカプセルに、はやぶさはそこで別れを告げ、
自らの命を全うしたのである。
その花火のように美しい映像をテレビのニュースで見た時も、
彼(彼女?)が、最後に地上に送ってきた地球の写真を見た時も、
私は涙が自然に湧いてくるのを止められなかった。
なんで、飛行機や、探査機などという命のないものに、人はこのようにふと
涙を流すほど感情移入してしまうのであろう。
勿論、飛行機には大勢の人が乗っており、それを真剣に操縦していく人がいる。
一時故障で連絡の取れなくなったはやぶさを、信じ続けて、その発する電波を
ついにキャッチし、なんとか今回の帰還までこぎつけた日本の技術者たち。
そういった、『ヒト』というものの凄さにも勿論感動したのである。
しかし、私がその時とこの時浮かべた涙は、そういった人間そのものに対する
共感の感情というよりは、2機の交錯しそうな飛行機や月や、
探査機や、その胸から飛び出してひとり地球に帰還したカプセル…
そういった無機物を、いのちあるもののように見立てての感情移入であったように思う。
なぜこのように、人は、いのちのない無機物に、こころを遙かな遠くまでいざなわれ、
そこに、ときに人間に対すると同じようなせつない共感の想いや、悲しみの念を
生じさせられるのであろうか…。
ただ、その時々の、自分自身の想いを、そこに反映させているだけなのであろうか…。
私はそんなことを思いながら、自転車を押して、いつもの川べりの道に出た。
月はそのままの位置に淡くかかっていて、2つの飛行機は、低い方は
月の左側をまだ飛んでいるのが見えた。しかし高く飛んでいた方は、月の右側を、
あとに一筋の雲だけを残して、高く高く遠ざかって、私にはもうその姿は
見えなくなっていた。
あの時すぐに家にとってかえし、カメラを持ってくれば、先ほどの美しい光景が
永遠に残せるかもしれなかった。でも、なぜかその時私はためらった。
私ひとりの胸の内に鮮やかに残しておけばそれでいい気がしたのである。
忙しい夕暮れ時。人々は仕事じまいや夕食の支度などであわただしく、
おそらく、そう多くの人が、さっきの光景を見ていたわけではあるまい。
ひょっとすると、あれを見ていたのは私だけだったかもしれない…。
ああ、この人生の一瞬!
なんて鮮やかなんだろう!
買い物はすぐに済み、再び川べりの道を戻ってきたとき、
私はカメラを取りに家に入って、さっきよりは茜の色を濃くした夕空を
写してみた。やはり今日という日の記録をとどめておきたかったのである。
月は、ほとんど変わらずさっきのままいたが、当然2機の姿はそこにはなく、
高いところを飛んでいた一機が残した飛行機雲のかけらが、わずかに僅かに
うすい雲となって、月のそばから離れがたくいるように見えた……
C'est la vie……
人生とはそんなもの…
そう。たまらなく愛しく、美しいものです。
読み終える頃ちょうど音楽も終わったでしょうか。アルフレッド・ハウゼ。
私にとって懐かしいひと。
指揮をしているその手の動きの美しさをもう一度良ければご覧ください。
一見厳しい貌に、なんという柔らかな優雅な手の動きでしょうか。
大写しになるヴァイオリンを弾く青年の、弦を抑える白い左手の動きの美しさ!
彼は弓を持つ手首の動きも他の人に増してとてもやわらかです。
きっといい音が出ているに違いありません。
バンドネオンを弾く人々はどういう人なのでしょうか。
一人一人の楽団員の想いとその人生。
それらが奏でだして、今ここに残っているこの美しい曲…。
それらも皆、束の間の輝きに満ちて、その鮮やかさが私を泣かせるのです。