『おまわりさん』


沖縄高江地区の米軍ヘリパッド建設現場に大阪府警から派遣されている
若い機動隊員が、反対運動をしている沖縄の人々に対し、『土人』や、『シナ人』
という差別用語を使った、という件で、ネットなどに批判の声が渦巻いている。

このことにはいろいろな背景があって、単純に一警官が暴言を吐いた、ということで
片づけることが出来ない。自分なりの考えを述べてみる。

                 *

●まず、私の基本スタンス。
このような差別用語を、他人に対して無造作に使う、ということについては、機動隊員も
反対住民も、政治家もジャーナリストも、また一般のネット市民なども区別なく、
いけないことなのである。そのことを押さえておきたい。
『アカ』『バイコク』『ニッキョーソ』『非国民』『チャン、チョン』『ザイニチ』など、
特定の思想の持ち主や職業・団体、その出自などに関する差別用語を人に投げつけること。
また、『バカ』『アホウ』『死ね』『ぶっ殺す』などという侮蔑の言葉や恫喝・脅迫めいた
ことばを他人にぶつけるのも同様。
これらはもう、その人物がどういう立場の人であろうが、相手がどのような人であろうが、
使うべきではないし、使わない方がいいと私は思っている。
これは、自分の戒めとしてもそう思うのであって、例え私が、今の政治にどんなに怒っていようと、
相手に『死ね!』などという恐ろしい言葉や、『バカ』などという侮蔑語を使ってはならない。
そう思いつつ今でも、あまりにも政治家に対する怒りが激しい時、『馬鹿な』などという
表現をついしてしまうことがあるが、使った時には一応よくないなあとは自覚する。
相手も、一個の人格だからである。

国会前のデモなどに行って、交通規制する警察官などに、デモ隊の一般市民の
おじちゃんやおばちゃんが、きつい言葉を投げつけるのをしょっちゅう目にする。
こういうことが私は嫌いである。
あるいは、『アベシネ!』などという言葉をプラカードに掲げるのも、ほんと私は嫌いだ。

●甘い!と怒られるかもしれないが、私は、国会前などのデモ隊を規制というか、
ある意味では交通事故などから守ってもいる警察官、機動隊などに対して、いつも
心の中でねぎらう。そしてデモ隊の誰かが口汚い悪罵を投げつけたときなど、
相手の警官にあとでそっと詫びたことさえもある。

前に一度、デモの記事で書いたことがあるが、国会前集会の一番中心部に近い、
『国会前庭洋風庭園』側の歩道にいると、ドラム隊と呼ばれる若者の一団が、コールに
合わせてリズミカルにドラムなど打楽器を、いつも打ち鳴らしている。
あるとき、じっと見ていると、デモ隊が道路に溢れ出ないよう、何重ものバリケードで
固めている警察官たちの一人が、つい、ドラムのリズムに合わせて左右に体を
微かに揺らしているのに気づいた。40代くらいの体のがっちりしたおまわりさんだった・・・
おそらく彼は、自分が音楽に合わせていることに気づいてもいなかったろう。
私はつい微笑んでしまったのだが、彼も我も、同じ人間だということなのである。

●私はいつもデモや集会に出ていて思うのだ。
機動隊や、警察官らを『敵』と思うな、と。(今はまだ。いずれ、国民がそう思わざるを得ない
時代などが、二度と来ないように、心から、心から、祈る!・・・いや。もうそうなのだ。沖縄では。)
ご存じのように、国会前集会などでは、入れ替わり立ち替わりスピーカーが
マイクを握って、政権批判などをする。それは拡声器で、広い国会前の彼方此方どこにいても
聞えるようになっている。
当然、何千人と配置されている機動隊員らや警察官たちもその演説を無意識にせよ聞いている。
彼らの耳にさえ、というか、心にさえ届くようなスピーチでなければならないのである。
もし、自衛隊員がその場にいるとしたら、彼らにもなるほどなあ、と思わせるような
内容の話でなければならないと。
そのくらいの説得力がなくてどうする。

対立を煽り、憎しみを倍加させるだけが運動のありようではない。
パターン化して人心に訴える力を既に失った反戦・反核運動などの言葉ではなく、
自分たちの心底から出る自分の言葉で、素直に熱く語った時、それは時に・・・
ほんのまれにかもしれないが、反対の立場にいる者の心にさえ届くと、私はまだ
信じていたい。
言葉の力、というものを信じていたいのである。

(その意味でも、あのSEALDsの若者たちのありようは、私には新鮮だった。)

●明治末期、天皇暗殺の嫌疑をかけられて死刑に処されたジャーナリストで社会主義者の
幸徳秋水などは、常時刑事の見張りがついていた。それら『シュギシャ』たちの中には、
見張りの刑事たちをも心服させてしまう人格と言葉の力の持ち主が、おそらくたくさん
いたことだろう。

●一方、『おまわりさん』という言葉も、差別用語であるという。
なんでだかよくわからないが、警視庁警察庁などの内勤組エリート、とりわけ『キャリア組』
『準キャリア組』などと呼ばれる国家公務員の人々に対して、交番や駐在所などにいて
概ね外で仕事をする巡査などのことを、『巡る』という文字がつくことから、『お巡り』、
と呼ぶことが多そうだから、言わば警察組織内での階級差別ということで、『おまわり』は
差別用語とされるのだろうか?その経緯はよく知らないのだが。
歴史的に警察を国家のまわし者、と考えるいやな時代への反省から来たものでもあるか。
一説には、『おまわり』と呼ぶと差別用語で、『おまわりさん』と、さん付けで呼ぶのはいいのだとか、
その基準は実はなんだかよくわからない。
『犬のおまわりさん』の歌の歌詞にもなって子供などが親しみをこめて呼ぶように。



おまわりさん
(絵は私が童謡の本から勝手に借用したもので、この記事とは関係ありません)



ともかく、日本人が、警察官を『おまわりさん』と、『さん』づけで呼ぶ時、そこには
侮蔑の意味あいなどなく、自分たちの暮らしを守ってくれる頼もしい人、という親しみと
感謝をこめて、そう呼んでいることがほとんどであろう。


●どこの家庭にも、親戚、姻戚関係などを遠く辿っていけば、警察官、自衛官などが
一人二人はいるだろう。
私の叔父も、警察官だった。
母の妹の連れ合いで、2人は幼馴染同士だった。叔母夫婦の間には子供がなく、
それゆえにか、とても仲がよかった。何年かに一度、叔母と警察官の叔父の家に
遊びに行くと、いつも春風の吹いているような2人の家庭が、子供心にうらやましかったものだ。
自分自身の家は、父と母が別居して、私は父に会いにさえなかなか行けなかったから。
私が高校生の時、50代前半くらいに見えたその叔父は、当時警部補だったろうか。
その後私は東京に出て、あれこれの親戚つきあいもなくなってしまったので、叔父が
どの階級まで行ったかは知らない。
でも、『警察』というイメージから遠い、穏やかで、妻にも親戚の子なども優しいひとだった。
叔母は、ころころよく笑うひとだった。
前の記事で、私が高校の頃、レース編みなどしていたと書いたが、ある春、叔父叔母の家に
兄とともに過ごした時、世話になったお礼に、クロッカスの花の色のような、春らしい美しい黄色の
テーブルセンターを叔母にプレゼントしたことなど、最近思い出していた・・・

私が、警察官というものに多少の親近感を持つのは、おそらくこの優しかった
叔父のイメージの故にである。
その他にも、遠い姻戚関係、友人関係などたどれば、警察官、自衛官がいなくはない。


●しかし。
ここまでは、いわば、前書きで、いわば私自身のこと。

このようにあるときは、庶民・国民を守る心強い味方、としての警察官・自衛官・
(軍人)、などであるが、これらの人々が、国家権力などの『手先』となるとき、これほど 
恐ろしいものはない、というのもまた過去の歴史や世界の現実を少し見れば明らかである。
彼らが、一旦権力を後ろ盾に、国民・民衆に相対する立場になった時には、
これを警戒しないわけにはいかない。
冒頭の、沖縄高江地区のヘリパッド建設反対運動に、沖縄県警だけでなく、
東京や大阪の機動隊員など、いわゆる増強部隊が派遣されて、
自分たちの故郷沖縄に米軍基地を置かせたくないという素朴な住民の願いを、
力でもって排除しようとするとき、彼らそのものというよりは、彼らを派遣した政府や
警察組織などいわゆる国家権力の側に、私は猛然と強い怒りを感じるのである。

ましてや、その中の何人かが、反対派住民たちに向かって、あろうことか『土人』
『シナ人』などという、愚かしくもおぞましい差別用語を投げつけた、と聞けば。
いったい戦争も全く知らない世代の若い彼らに、いったい誰がそのような言葉を
吹き込んだのであろうか。
聞けば、当該機動隊員たちは、近くにいた排除派の人間が、沖縄の人に対して『土人!』
という言葉を使っていたので、「それが差別用語であるとは思わず、自分も使って
しまった」、とか、「反対派の住民が土で汚れていていたから」などという苦しい弁明しているらしい。
なんと、言っては悪いが、愚かな!

しかし。
今回のことを、当の機動隊員たちの個人的資質の問題に縮小してしまってはならない。
その背景を考えねば。

●今度の一件に関し、ジャーナリズムが、不思議なことに『土人』の方は盛んに叩くけれども、
『シナ人』の発言の方は報道をどうもカットしがちであるようなこと。これもおかしなものだ。
ネットではこの二つの発言が、同時にほぼ同等に報じられているように見えるのに、
テレビなど大手メディアでは、『土人』発言だけが意図的にか大きく取り上げられて、
『シナ人』発言のほうは、取り上げられていないように思える。
これも、何をいったい恐れているのか、おかしなことである。
『土人』も『シナ人』も、明らかに、日清日露戦争ごろから(いや、幕末のころにはすでに?)
日本人の心にあった、
『アジアで日本人は一等優れた民族であって、その他の国の人間たちは劣等民族である』
という偏見の名残である。
私の好きな夏目漱石でさえ、このような言葉を、当時、『偏見』『差別用語』とおそらく
意識せず使っていた。
まあ、当時は、こうした『差別用語』などという言葉や概念そのものがなく、『女中』『百姓』など
職業に関して今では『差別用語』とされるものから、身体の不自由をそのまま直に表した言葉、
身分・出自差別の言葉などが当たり前のように使われていた時代でもあった。
この夏私は外にもあまり出ず、と言ってテレビを見るとか本を読むとかもあまりせず、
ラジオを聴くかパソコン動画配信で落語を聴きながら縫い物、という日がほとんどだったのだが、
1960年代くらいの落語に、この職業、出自、身体などに関する差別用語が溢れて
いるのには驚いた。タイトルと演者は敢えて言わないが、全編、女性の容姿に対する
差別に満ちているそりゃもうひどい演目もあった。

戦争中は言わずもがな。優等民族日本人が、アジアの未開の国々の劣等民族を
西欧列国の支配から開放してやり開明に導くのだ、というごとくに、日本人は朝鮮半島、
台湾、中国、フィリピン、マレーシア、…南方諸島などなどに侵攻していったのである・・・
だが。敗戦とともに、日本人のそうした謂われなきプライドは、表向きは粉々に打ち砕かれた。
しかし。日本人を優等民族と見、アジアのほかの国々の民を蔑視する心根は、謂わば
地に潜って、その後も日本人の心の中にあり続けたように思う。
そればかりか、同じ国の民である、沖縄やアイヌの人々や、日本に同化した朝鮮半島の
人々などに対しても、日本人のそうした歪んだ優越感と蔑視は、表向き影を潜めたように
見えていても、その心性深くに存在し続けている。

●それではいつから、日本人は『差別用語』というものに自覚的になり、そのような言葉を
発することを恥ずべきことと考えて、言葉を選ぶようになったのか。
それはおそらく1960年代にテレビなどが一般家庭にも広く普及するようになった
60年代後半から1970年代80年代にかけてあたりからではなかったろうか。
俗に放送禁止用語などといわれるものがあるとされて、ひとびとがある意味では過剰すぎるほど
言葉の使い方に神経質になった時代である。
『女中』『百姓』などと言えなくなって、『お手伝いさん』『農家の方』などと言うように
なったのもこの頃ではなかったか。

●『差別用語』と言われるものに対する私の考え方はこうだ。
『職業・出自・身分の貴賎』『身体的要件』『性差』『年齢』など、本人のどうしようもない
ことに関すること、また思想信条などに関して、侮蔑的悪意を持って他人に言葉を
投げつけることは絶対によくない。
ただし、その使い方の微妙な言葉もあって(馬鹿、など)悪意のない言い方の場合は
許される範囲のものもある。愛情をもって『ばっかだなぁ!』という場合もあるだろう。
『おまわりさん』もこの範疇に属するであろう。
私は、『言語の豊穣』というものを大切に思う方である。言語が豊穣であるということは
すなわち、感受性や思考力も豊かであるということとほぼ直結していると考えるからである。
あまりにも過剰な自粛は、日本語を細らせてしまうという側面も確かにあって、私は
それも同様に憂うものである。

●だが。それは、差別用語などについての一般論でしかない。

『使い方によっては』とか、『前後の文脈によっては』とか、『言い方のニュアンスしだいで』
などということで、曖昧に片づけてしまってはならない差別用語、蔑視の言葉、というものは
厳然としてこの世界にたくさんある。
今回の、大阪府警の機動隊員たちによる、沖縄の人々への『土人』『シナ人』発言の奥には、
『つられて言った』とか、『売り言葉に買いことば』だ、とか、『差別用語だと思わなかった』
などという弁明や擁護の通用しない、根っこの深い憎悪や蔑視があると思う。

それは、一機動隊員の良識の問題、などという小さな範囲の狭い問題ではなく、
この日本に、それこそ、おそらく幕末の頃からいわば、もう体質のようになって深く
染みついた、歴史的にも構造的にも、長く奥深い問題であると認識するのである。
それは、一機動隊員の資質にとどまらない。
かく述べる私自身、私たち日本人自身の心の奥深くに根強く存在する差別意識
あるいはそこまで言っては極端すぎるなら、『差別を差別と意識しない無定見』と
いうものである。

私たち(と書いていて私は恥ずかしい)本土の人間の、これまでの、沖縄の人々の
苦難に対する無関心。それは、長い長い深い深い根っこを持つ問題だと思わねば。


●私が憂うのは、『ザイニチ』『シナ人』などという言葉や、それを他人に投げつける思想が、
ネット言論が普及するとともに再び、この日本に蔓延して来ているということだ。

しかもそれは、質の変換も伴っている。
かつてこういう言葉が堂々と公然と差別的に使われていた時代もあって、それは長く…
というよりはずうっと消えることなく人々の意識の中に残ってはいるのだが、それらは
一応、ある時から恥ずべき言葉として地下に潜った。
だが今は、歴史とも地理とも関係なく、相手への侮蔑の言葉として見境なく使われるように
なりつつあるということだ。私も、署名集めやビラ配りをしていて、何度『ザイニチ!』
『ニッキョーソ!』『アカ!』などという言葉を投げつけられたことだろう。同じ年くらいの
身綺麗で上品な婦人から、『バイコク!』という言葉をぶつけられたこともある。

『土人』や『シナ人』という言いかたは、戦中派や戦後すぐ生まれた私などの世代の者には、
やはり日本軍のアジア諸国への侵攻という事実とそれへの反省の想いとが分かちがたく結びついていて、
また、戦後のいわゆる民主主義教育のおかげもあって、
多少たりとも心あるものならば、そんな言葉を使うことを恥じる気持ちがあると思う。
つまり、それらの言葉は、否応なしに、歴史や地理の知識に多少は裏打ちされて、使うことを
自制/自省する性質の言葉であったのである。それは世界共通の理念である。

世界人権規約第二条第一項
『すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しく
は社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも
受けることなく、この宣言にげるすべての権利と自由とを享有することができる。』


だが。日本は変わってしまいつつある。
戦後70年。日本が自ら招いてしまった戦争・侵略の記憶は風化しつつある。
若い人の中には、日本がアメリカと戦争したことさえ知らないものがいるという!
ましてや、日本軍がアジアの奥深く侵略していって、それらの国の民に重大な悲しみと
被害を与えたことを、具体的に知らない者はおそらく本当に多くなっていっているであろう。
むろん、沖縄の人々の苦難の歴史も。

『土人』『シナ人』という言葉の否応なしに包含する、後ろ暗い歴史の深部。

それを知らずに、ただ、眼前の相手を侮蔑する、相手に不快感を与えるためにだけ
使ってみようとする者たちがまた生まれてきている・・・!
一方、それを知りつつ、敢えてそれらの言葉を積極的に使おうとする人々もいる。
かの機動隊員たちは果たして前者の方であったか。知っていて使ったのではなかったか。

●大阪府知事が、かの機動隊員らに対し、
派遣業務遂行へのねぎらいの言葉をネット上で書いた、と聞く。

この9月、安倍総理が臨時国会の衆院の本会議で行った所信表明演説の最中に、
『今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。その彼らに対し、
今この場所から、心から敬意を表そうではありませんか』と声を張り上げ、自ら手を叩いた。
その呼び掛けに、自民党議員が一斉に立ち上がり大きな拍手で呼応した、という
例のあの、スタンディング・オベーションの件。
私は、あれを聞いたとき鳥肌が立ったのと同じく、なんとも言いようのない違和感と怒りを
感じるのである。
彼らは、日本と中国その他のアジア諸国、また沖縄と本土の歴史を、十分に知っているはずの
人々である。(当然そうあるべき人々と思う)

戦時中、日本の政府および軍部が、日本兵たちをどういう言葉で励まし賞賛し、
どういう風に戦地に送り出したか。
戦時中も戦後も、沖縄が日本の前線としてどれほどの苦難を与えられ、それに
沖縄の人々がどれほど長きにわたって、時に隠忍し時に徹底して抗議をし続けてきたか。

それらを十二分に知っているはずの人々である。
それにしては、大阪府知事の今回の大阪府警の一員たちの行動に対する見解
逆にそれらを擁護するかのような態度は、全く納得がいかない。
これに対しては、次期新潟県知事になる米山隆一氏が、自分のtwitterで、
以下のように述べているのが、私には一番まともな反応であるように思われた。

『どのような立場でも、どのような状況でも、人は人に対して可能な限り敬意をもって接すべきです。まだ任期は始まっていませんが、私なら、自県の職員が、他県で他県の方に敬意のない対応をした時に、謝罪し、以後改めるよう強く指導することはあっても、「出張ご苦労様」ということはありません。』


『反対派の沖縄の人々やその支援者も、警備の警官などに対し、同じように
汚い言葉を吐いているじゃないか、それらはなぜマスコミは批判しないのだ?!』
という、機動隊員擁護の論調が一部にある。
確かに。反対住民の側も、あるいは相当汚い言葉を、機動隊員や警察官たちに投
げつけていたかもしれない。
それは、この記事の冒頭部にも書いたように、国会前での反原発・反安保法制などの
デモや集会で、折々私が目にした光景であるから。

●だが。ここはきっちりと言っておきたい。
どちらの側も、差別用語、侮蔑用語、また恫喝に似たような言葉は本来使うべきでない。
しかし、自分たちが現実に今住む、いわば自分たちの故郷であり生活の場である
沖縄の土地を、納得もしないまま、国家の意思によって取り上げられようとしている
沖縄の民が臓腑から絞り上げるように発する『怒りと抵抗の言葉』と、国家や『県』という
強大な権力を背景に住民を排除しようとする者たちの『蔑視や恫喝の言葉』が、等価なものとして
秤にかけられるのはおかしい
ということである。

●むろん、私は、冒頭部で縷々書いたように、日本を守るために、日々危険と緊張を伴う
任務に就いている自衛隊員や、警察官、また海上保安庁などの人々に、いつだって感謝と
敬意を抱いている。
だが、この感謝は、私の場合、消防隊員や、また今福島で危険な廃炉のための
作業にあたっている原発作業員にも、また先日東京で、地下の架線の火災による
大規模停電があったが、その時すばやく復旧にあたった東電の作業員にも、
同じく捧げられている。人がときに避けたがる危険な職業に就いている人々すべてにだ。
私は、これらすべての人の安全と無事を願う。

臨時国会開会の所信表明演説の中で、ことさらに、自衛隊員、警察、海上保安庁の
人々だけを取り上げて感謝し、あろうことかその場に居る国会議員全員に拍手を促すという
行為。
私は気持ちが悪くて仕方がない。それと同時に、いいようのない怒りもあのとき感じた。
それは、警察官や自衛官個々人への怒りでは無論なく、彼らのような公務につくものを
政治利用して、国をある方向へ誘導していこうとする意図を持つものが
場所・時代を問わず常にこの人間社会に出現・存在するということへの、本能的警戒感、
というようなものである。

私は、これらの人々が、時の一政府やあるいは何らかの権力の思惑によって、
本来果たすべき任務以上・以外のことを強いられるようなことがもしあるとすれば、
彼らのためにも強くそれに抗議する。
また、彼らが、『公僕』である、という意味を履き違えて、先の参院選で、大分県の
ある警察が、特定の選挙事務所の人の出入りなどを、隠しカメラで撮影していた、
などということがあったのを、憂うものである。
警察官などの職に就くものは、決して『国家』という実態のないものの意を過剰に汲んで、
同胞である人民の一部を敵視したり、それを監視したり、弾圧したりするようなことは
してはならない。そういうことに二度となってほしくない。

警察法第二条第二項。
『警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。


また、あのスタンディンング・オベーションを、
『アメリカなど外国の議会などでは当たり前に行われていることだ』といって、
問題視する方がおかしい、という論調も見かけた。
だが私は言っておきたい。アメリカで当たり前なら、日本でもやるのか。
人がやっていることなら自分も許されるという論理の持って生き方が、常々私は
大嫌いである。
それに、あの件に関しては、大事なことが一つ見過ごしにされている。
それは常々、『私は行政府の長であります』とよく言う総理が、立法府の場で、
立法府の人々に、自分の想いへの賛同をああいう風に促す。またそれに多くの
立法府の議員たちが半分驚き多少ためらいつつも従順に従った、というあの構図である。

●この政権は、あらゆる意味で権力をその手に集中しつつありすぎて、今、日本では
三権分立という大事なことがぐずぐずと崩れていこうとしているのを、私はこの夏ずっと
深い悲しみを持って見つめていた・・・・・・

●すべてのことは、その根っこのところで芋蔓のようにつながっている・・・
『おまわりさん』というタイトルのこの記事に、私は私が今抱くすべての憂慮を込めている。
『おまわりさん』には、国民に親しまれ愛される存在でいてほしいものだと
願うものである。


















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Re: んさんへ


むぐぐ…。




Re: スキップさん へ

スキップさん。今晩は。

そうですね。反原発・脱原発デモの頃は、というより、民主党政権の頃は、
デモに参加していても何の心配もなかったのです。
ブログを書くのも、何に遠慮することもなかった…
それは、報道に関してもいえたのではないかと思います。
民主党政権の頃、放送局が政治の顔色をうかがうなどということがあったでしょうか。

ところが安倍政権に代わって、明らかに空気は変わったと思います。
私も、秘密保護法反対、安保法制反対のデモと、スキップさん と同じように
見てきましたから、規制がどんどん厳しくなっていくのは肌で感じています。
あれは何日だったかな、今遡ってみてみたら、9月14日でした。デモの人は
どんどん増えて膨れ上がっていくのに、警官隊はバリケードを少しも緩めない。
私も、国会前の日本庭園側の一番前に入り込んでしまってそこで身動きが取れなくなり、
「ここで少し騒ぎが起これば、踏みつぶされるかも…」と、身の危険を感じたことがありました。
その時は、デモ隊の圧力が勝って、バリケードが決壊。道路に人があふれ出ました。

4日後の、いよいよ安保法案が通過するという18日にもいましたが、その日は
警察が、警察車両を道路の中心に寄せて、デモの人々も車道に一部出られるように
していましたね。
集会の参加者を狭い歩道だけに押し込めようとするのは危険だと、主催の
面々が警察に申し出をしたこともあるでしょうが、怪我人が出ては、警備の
責任問題にもなりかねませんから、バリケードの位置を緩めたのでしょうね。
ほんと。安保法制がどさくさまぎれに通ってしまった昨夏から秋のことは
忘れようとしても忘れられません。
ほとんど国民に説明らしい説明などしていなかったに等しいですよね。

警察官や自衛隊員は、その職務の性質上、どうしても国家のため、ということが
第一義に来ると思います。それは仕方ない。
国家のためイコール国民のため、となっている時代ならば、それでさしあたり問題は
ないわけですが、そこにねじれができて、さらには相反するものとなったときには…。

警察が一般市民を憎み、市民が警察を忌み嫌う。
そういういやな時代を経て、
警察が一般市民を監視し、市民が警察を恐れる…
そういう時代にならないことを、心から願ってやみません。

社会の雰囲気というものは、その時の国のトップのありようで恐ろしく変わって
しまうものだということを、私たちは目の当たり見ているわけですのに、
それに鈍感な人がなんと多いのでしょう……

すまんのう。

先に王手で・・・

「えっ!これは広島でのカープ逆転優勝へのシナリオっ!」

うっ・・・まだまだ侮れんわ。

この3日、極力日本シリーズの中継を見ないようにしてたんよ。

見るにしても、他番組のCMの合間合間だけにして。

あっ!わしも思った。
あの大阪府知事の発言「えっ!何言ってん?、このおっさん!」と。

先ず「あの機動隊員の発言はけしからん!」ですよね。

それから他の隊員への慰労の言葉は(まあ、派遣自体に違和感あるんだが)別個にすべきであって。

あのコメントだ「まあ、あれくらいの暴言は許容範囲だよ、いったい何が悪い?」と聞こえます。

No title

 秘密保護法が問題化した時の集会を思い出します。その頃は、警察の規制も緩やかで、集会参加者との関係は良好であったと記憶します。私たちも、熱いのに大変だね。ご苦労様です。そんな言葉を掛けたことがあります。心底そう思ったからです。
 しかし、安保法制の頃は警察の対応が違っていました。中央ステージあたりは身動きできず、押し合う上場が続きました。わたしも判断を間違えて、その中に入ってしまったとき、けが人が出ると思う状態の中、機動隊は規制するのみ、あのかたくなさの原因が上からの命令であったと聞きます。一度、規制を突破されたことを恥辱と観た警察上層部のメンツがそうさせたのだと確信しています。
 いらぬ軋轢をメンツを保つために、敢て引き起こす官僚体質を憎みます。その先なんですね。それはもう生き方の問題です。それは、集会参加者はもちろん、機動隊員にも言えます。けが人を出しても、命令に従うのかどうか、権力に対峙する者同士である点は、実は、集会参加者も機動隊員も同じなんですね。そのことを踏まえて、行動するべきというしかありません。
 米山さん、期待できる吾人ですね。大阪府知事にはびっくりしました。というか、言いそうなことです。あの発言は機動隊員を慰労することで、差別発言になっています。それにさえ気づかない人物に府政を任せている不眠に同情します。というか、千葉県もさほど変わらないかもしれませんが。

Re:MATZ-TSさんへ

MATZ-TSさん、こんにちは。

日本政府の沖縄に対するやり方は、本当に腹が立ちます。
それもここにきてはじまったことでは何もなく、いわゆる明治初めの『琉球処分』の頃から
日本、アメリカに翻弄されてき続けたその怒りは、他国に蹂躙された経験がない
本土の人間には、到底理解しえない、根強い根深いものであろうと思います。

今度の機動隊員らの発言についても、沖縄のある人が、『今さら驚きはしない。
ずうっと本土の人間の中に隠れている心情だ。それがたまたま表に出てきたと
いうのにすぎない』というようなことを言ってらしたようですが、そういうことだと
思います。

私たちは、沖縄をずっと見捨て続けてきたのだと思います。
何もしない、何も言わない、ということによって。

差別の構造は、沖縄に対してだけでなく、たとえば日本にいる朝鮮半島の人々に
対しても同じだし、障がいのある人に対するそれも同じですね…。

中韓のこと。
私も、MATZ-TSさんがここにお書きになったご意見に全く同じです。
日本人がアジアの人々に対して抱いていた根拠なき優越感が、今、『変な妬み、恨み』に
変質しているということ。とりわけ大国中国に対して。
同じくその感情の裏返しの、『ニホンすごいね、スバラシイネ』というような
最近やたらに目につく自画自賛番組なども、日本人の自信のなさの表れですね。

日本が素晴らしいかどうかなどということは、日本が本当に素晴らしい国であれば、
おのずとほかの国の人々からの尊敬や賞賛となって現れ出てくるものと思います。
だが、現実の日本に対する評価は、このほどまたさらに低くなった男女差別ランキングの
順位や、日本の報道の自由度ランキングなどにも見る通り、ある側面で非常に低い。
一方、確かに、日本人のまじめさや、仕事をきっちりするなどといった美点は、
今でも評価が高いですね。
でもその美点も、最近ずいぶん崩れてきているように思います。大企業などの
次から次への不祥事など見ていると…

でも本当は、海外からの評価などが大事なのではない。
自分自身がどうあるか、ということが一番大事なのだと思います。
自律の心。
それは個人としても国家としても同じなんじゃないかな。
自分が自分として確かと立つとき、他者のそうしたありようもよく見えてくるだろうし、
他者の尊厳も、大切なものと思えるだろう。

日本はアジア人ですよ。
そのアジアにあってどう生きたいのか。
隣国と仲良くしないでどうする!と思いますね。
それには、歴史を直視すること。その地点から再び立ち上がる時、日本は本当に
尊敬される国になるんじゃないかなあ。

MATZ-TSさん。ありがとうございます。

No title

彼岸花さん、こんばんは。

そうですねぇ。色々差別には難しい問題が包含されると思いますが、特に沖縄はひどいと最近思いますが、ここでは中韓との関係についてコメントしたいです。

今の韓国や中国には、様々な問題が一杯あって、特に中国の一党独裁と人権抑圧はひどい、とは思います。

しかし、『アジアで日本人は一等優れた民族であって、その他の国の人間たちは劣等民族である』 あるいは、それが『変な妬み、恨み』に変じる、というような、幼稚な国民、政治、外交であってはならない、日本人は明治以降の帝国主義国家となる以前はそうではなかったのではないでしょうか。

古来、中国、朝鮮からは民族の移動とともに様々な文化が伝来した。特に、仏教、儒教、漢字、その他諸々。 今でも中華料理、コリアンフード、好きな人が多いのに、昨今の蔑視風潮(一部マスコミや雑誌などで誇張されているから、そうおもうのかもしれないが)は、自分の意見に合わない、というより気持ち悪い。

同様に、やたら日本はいい国とか日本人すごい、とかの雑誌や記事も。

たとえ、嫌いであっても、きちんとモノを言い合える国と国の関係位つくれないのか、それが軍事力抑止一辺倒を避ける、外交の基本と思うのですが・・・そういう関係があって、初めてきちんと日本が、相手国に批判できる、相手もきちんと聞く、ということになるはず。そのためには、変に自分たちは悪くない、などと歴史修正を試みないことだと思う。

外交はなかなか一筋縄ではいきませんが、やはり基本は「まともな関係」だと思うのです。単に政治家だけではなく、国民同士も。

Re: んさんへ

はい。あの機動隊員の言はひどいです。
私、彼らを弁護などしませんからね~。
『つられて言った』などと弁解しているようですが、傍で誰が何と言っていようと、
ああいう言動をしない人はしない。
世の中の警官という警官が、彼らのような物言いをするか。…しませんよね。
要するに最後は、個人の資質の問題、ということになるわけですが、
私が憎むのは、こうやって同じ国民の間に分断を作っていく勢力がいるということです。

売り言葉に買い言葉だった、などという弁護をしている人々もいるようですが、
圧倒的権力をもって沖縄に米軍の施設を押し付けようとする人々と、故郷を守るために
必死になって戦っている人々とを、そもそも比べることさえ無理です。
常に無理難題を押し付け続けてきたのは、日本政府ですからね。
そもそも沖縄の人々は、圧倒的不平等の中にある。

警察法第二条第二項にはこうあります。

『警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。』

辺野古移設、高江ヘリパッド建設…
沖縄の人はそれを拒否している。それなのに、今の政府は、こうした住民の願いを踏みにじって、
『不偏不党且つ公平中立』であるべき警察官たちを、その排除に使っています。
私が憎むのは、その構図です。

私の叔父さんも、ほんとやさしい穏やかな人でした。
でも、そういう人びとをも変えてしまう恐れがあるのが、政治ですね。
警察官や軍人が、一般の庶民と対峙し彼らを弾圧する側になる、…そんなことが
当たり前、などという時代に二度と決してなってほしくないです。
だが、沖縄の人々は、戦中からの構図から、まだ抜け出せていない。
それを見て見ぬふりしている、私たち本土の人間の罪ですね。

鳥取地震の報道が少なすぎませんか。この偏りは何なんだろう。
なんか、この国は変です。





そうなの?

でも、あの機動隊員の罵りっぷり。

「・・・仮装したヤクザかよ!」と、わし思わずツッコミ入れたくなったんだけど。

前後のやり取りは知らないけど、あの切り取られた場面に関しては酷い物言いだと思った。

母方の親戚には数人の警察官も居たけど。

あんな無茶苦茶な物言いは聞いた事ない(実際の大混乱の現場に行った事ないからわからないけど)普段の物言いはいたって普通の良識ある喋りだったなぁ。
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
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