『あなたの明日を選ぶ』


『 (略)・・・ニュースピーク〈二重思考〉過去の可変性。彼は、自分自身も怪物になっている
奇怪な世界で道を失ったまま、海底の森のなかをさまよっているような気がした。一人ぼっち
だった。過去は死に、未来は想像の外今生きている人間がたとえ一人でも自分の味方に
なるという保証がどこにあるというのだ?
 そして、党の支配が決して永遠には続かないなどと
どうやったら知ることができるというのだ?
 そうした問いに答えるかのように、真理省の白い
壁面に掲げられた三つのスローガンが再び目に飛び込んできた。

 戦争は平和なり
 自由は隷属なり
 無知は力なり』
  



             ***


上の文は、今から68年前の1949年、第二次世界大戦が終わった2年後に、あるイギリスの作家が
出した小説の中の一節の引用である・・・。

なんという題名の本かなどということを明かす前に、引用文中の赤字部分の言葉の
説明をしておこう。なぜなら、これらの言葉は、このフィクションの中で創設された言葉
でありこの本が描く世界の中心概念だから、であって、これらを理解すれば、およそ
この本の概要も読まずともつかめ(読み通すにはあまりにも暗い本である!)、また
私のこの記事の主題もこの中にあるからである。

①『ニュースピーク』(new speak) : この小説の舞台となっている(架空の)国家『オセアニア』
    における公用語。この国家の掲げるイデオロギーにとって『異端』であり国家支配のために
    邪魔な思考を、ひとびとの思念そのものから排除するために改変された新語法。
    国家にとって好ましくない旧来の語彙はすべて削除されている。人々に科学的思考を
    もたらさないよう、science(科学)などという言葉自体が抹殺され、democracy(民主主義)などと
    いう語も、もはや存在しない。
    残された語彙でも、好ましくない意味は改変あるいは縮小されてしまっている。
    たとえば、『free』という言葉は、もはや『政治的に自由な』『知的に自由な』などという意味は
    抹消され、『この犬はシラミから自由である』というような使われ方しかしない。
    ニュースピークは、人々の思考を『縮小』させ愚民化して、国家による管理を
    さらにしやすくするために考案されたものである


②『二重思考』(doublethink): 矛盾した2つの概念も同時に受け入れる ことができるという
   オセアニア国民に要求される思考能力。たとえば、権力者が『2足す2は5である』、
   『これは黒だ!』と言えば、国民は、『これはどうしたって白だろう』と思う、その
   自分の本来正しいと思う現実認識さえも自己規制して、それを信じるようにならねば
   この国家で生きていくことが許されない。
   権力の求める思想に背くことは許されない。人々は、どこにいようが、その内面まで
   テレスクリーンという一種の双方向テレビや思想警察によって常時監視されている。

   反体制分子とされるものは過酷な尋問拷問にかけられる。そうして最終的に
   真に内面までも党を愛するようにならなければ、処刑抹殺される。この国では
   もはや、『思想・良心の自由』などと言うものは存在しない。『内面・思考の自由』すら
   監視・統制されている。
   その監視を行っているのが、『愛情省』である。

③『過去の可変性』:ニュースピークの元では、好ましくない旧来の語彙がめまぐるしく削除改変
   されていくので、過去の書物や記録も、常時上書きが行われている。これにより、権力にとって
   好ましくない過去は、記録からも、人々の記憶からも抹殺されて『そもそもなかった
』ことに
   されてしまう。その過去の改ざん、また現実の糊塗を、大々的組織的に担当しているのが
   『真理省』である。



              ***


どうだろうか。これは、70年近く前の近未来小説なのであるが、世界が今、向かっていこうと
している社会を創造させて、私にはそら恐ろしい。

この引用文は、イギリス、ジョージ・オーウェル作のディストピア(ユートピアの逆。暗黒境)
小説、『1984年』である。
(ハヤカワepi文庫、高橋和久訳による)
世界が大きな三つの全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描く。


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 (表紙についた白い埃のように見えるのものは、そういうデザインです。念のため。><)



正直に言えば、実はこのオーウェルの小説は、彼が1936年、スペイン内戦で
共和政府の義勇軍に参加したとき、共和制を守りファシズムと戦うという本義を
そっちのけに、派閥争い、主導権争いを繰り広げたスターリニズムの粛清の実態を
見て、ソ連型社会主義に対する憎悪と批判を抱くようになった、一種の『反共小説』
なのだと言われている。
だが、全体主義の恐怖は、何も共産主義社会に限らない。民主主義を標榜し、
自由主義社会と名乗る国家にだって、全体主義の思想はあっという間にはびこっていく
ものである・・・
オーウェルは、決して、単なる『反共主義』などという括りに入れられるようなそんなものを
目指して、この恐ろしい小説を書いたのではないと、私は思っている。
彼が描いたディストピア(暗黒世界)の萌芽は、至るところに現在も見られるものなのである。
オーウェルが設定した1984年はとっくに過ぎてしまったけれど、その30年後の今、
この空想小説が描く暗い世界に私たちは近づいているようで、この10行に満たない引用
の中にさえ、オーウェルがこんな世界を来させたくないと想像したディストピアと私たちの
選ぼうとしている世界のいやな近似が見られるのである。
白を黒と言い含められ、内心『白ではないのかな』と思いつつも、支配者が『これは黒だ!』
と言えば、『そうか。黒なのか・・・』と納得するしかない、『二重思考』の世界は、
ああ!トランプ政権の言い草ややりくちと、なんと酷似しているのであろう!
明らかにオバマ大統領の就任式よりは少ない会衆の数を、『史上最大の聴衆だった!』
と報道官に言わしめ、それを記者らに事実誤認ではないかと追及されると、トランプ新政権の
大統領顧問ケリーアン・コンウェイ氏はそれを『オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)』
だ』と言って、言い抜ける・・・。

『オルタナティブ・ファクト』という言葉と共に、アメリカでは、このオーウェルの『1984年』
が、元々学生たちの必読図書ではあったのだが、それを超えて、書店で大きな売り上げを
示しAmazonでは売り上げ一位になったという・・・。

アメリカなど海外の話だとばかり言って済ませてはいられない。
この小説が描くディストピア世界を、この日本が、先進国の中で一番早くしかも深刻に、
潜在的に招来しつつあるのではないかと、私は思っているのだ。

ニュー・スピーク。権力者に都合の悪い言語をとことん削っていって、言語そのものを
単純化、目的のための手段化してしまう、ということは、この日本で気がつかぬうちに
実は進められていることである。あるいは、私たち国民自身が自ら好んで進めていって
いることではないのか。
そんな馬鹿な!とお思いだろうか。
では。この政権下で文科省が強力に押し進めている、国立大学の人文・社会科学系
学部・学科の規模縮小化、という流れはどうであろうか。
小泉政権、第一次、第二次安倍政権・・・で進められている国立大学への『交付金』
という名の締め付けで、人文・社会科学系学部の哲学科や社会学科、史学科、宗教学科など、
また理系学部でも基礎数学、基礎工学などの、経済効果とすぐに結びつかない学問は、
この国では規模縮小どころか存廃の危機にさらされている・・・

『哲学科』などがなぜ大事なのか、と問う人もいるだろうか。
私自身も哲学という学問には全く弱い。古今の哲学者の著作も全く読んでいない。
だが。哲学、基礎数学など、そうした学問の重要性はとてもよく認識しているつもりである。
哲学は、あらゆる学問の女王である、とも言われているそうだ。
それはなぜか。
・・・今、『なぜか』と私は問うた。・・・まさにそこだ。
哲学は、『何故か』を問う。基礎数学もそうだ。
哲学や倫理学、宗教学、基礎数学などが大事なのは、それらが、人間の思考を鍛え上げる
学問だから、である。人間の認識そのものを問う学問だからだ。宇宙を含めた『存在』
そのものを問う学問、といってもいい。
史学や社会学も言ってみればそうだ。人間とは何か。人間はどう生きてきたのか・・・。
今どう生きているのか・・・。

日本でそのような学問の教育の場が縮小されていきつつあり、また学生自身も
そのような基礎的学問の重要性をあまり理解していないのではないかと思われ、
就職に有利な実利的学部学科を専攻する傾向があるのに対し、たとえばアメリカの
理工学部出身者は、大学院で専門科目を学んだのち、あるいはそれと同時に、
人文教養学系の学部に入り直して、哲学などを学ぶものが多いという。
それは、彼らの専門とする理工学をさらに極めていくためにも、科学系にこだわらない
幅広い視野や深い視点を身につけるのに、こうした人文教養系学問分野の重要性を
彼らが理解しているからである・・・
フランスでは、高校において哲学は必修科目であるという。(日本では『倫理』は
社会科選択科目の一つであり、文科省資料によれば、その履修率は、わずかに37%)

こんなドキュメンタリー映画がある。
フランスのセーヌ地方のZEP(教育優先地区)にあるジャック・プレヴェール幼稚園。
そこでは、3歳~5歳の子どもたちが哲学を学ぶという世界的に見ても画期的な取り組みが
行われていたのだが、これは、その様子を2年間にわたって密着取材したドキュメンタリー映画
なのである。
まずはなにも言わない。予告編だけでも十分である。是非見てほしい。





一方、ほぼ同じ年齢の子供たちの通う、日本の森友学園の幼稚園では、教育勅語を
子供たちに暗唱させる。いったん事あれば天皇のために臣民は命を投げ出せ、と言うものだ。
これを日本の安倍政権は、憲法や教育基本法に反しない範囲であれば、道徳など
教育の場で使っていいと、閣議決定までしてその復活を無理矢理認めてしまった。
そしてこの幼稚園では、子供たちに運動会の宣誓で、こんなことまで言わせている
のである。

大人の人たちは、日本がほかの国々に負けぬよう 尖閣諸島、竹島、北方領土を
守り 日本を悪者として扱っている中国 韓国が心改め 歴史教科書で嘘を教えないよう
お願いいたします

そして、子供たちはさらに、『安倍首相ガンバレ!安倍首相ガンバレ! 安保法制
国会通過よかったです!』
と、大きな声で叫ぶのである!




無論、子供たちに罪はない。大人が言えといって言わせているだけだ。
しかし・・・上のフランスの幼稚園と、なんという違いであろう!

ジャック・プレヴェール幼稚園の哲学の時間。
『みんなは頭の中で何かをする』と、先生が言う。すると、一人の小さな子が手を上げて、
『考える!』と答えるのである。先生は言う。『言葉を出して話すんだ』と。
これは、3~5歳の子が、すでに、『人間は「ことば」を使って思考する』という認識に
近づいていると言うことを示しているのだ。・・・すごいことじゃないか?

一人の子は、『貧しい人はどうやって貧しくなるの?』とつぶやく・・・

また。『愛』についてみんなで考えようとしているとき、一人の子が『結婚はよくない』と
つぶやくと、別の子が、揶揄するようにブーイングのような声を出すのだ。すると、
もう一人別な子が、『彼の話を聞けよ』と言ってたしなめるのである。
先生は別の場で言う。 『人と意見がちがうこともあるの』と。
子供たちはここで、人の考えにはいろいろあること。その多様性を認めることを
自然に学んでいく。と言うより、自分たちで考えて見つけていくのである・・・・・・

森友学園の教育方針がどうあろうが、それも多様な考えの一つであると言うことは
認めよう。だが、大人たちがまだ幼い子供たちに、教育勅語を丸暗記させ、特定の
国への排他的表現を、あろうことか幼稚園の運動会の子供たちの宣誓の代わりに
言わせる・・・
安倍総理ガンバレ!と、そんな場で言わせる・・・

あなたは、自分の子供たちを、どちらの幼稚園に入れたいと思うだろうか・・・
それも、選択は自由である。

(余談だが、『ジャック・プレヴェール』は、フランスの詩人で、あの有名なシャンソン
『枯葉』の詩を書いたひと。また、『天井桟敷』のシナリオを書いた人でもある。
フランスでは、国語教育が重視され、子供たちにヴィクトル・ユーゴーやラ・フォンテーヌの詩など、
古今の詩や小説の名作の暗唱をさせるそうだ。フランスの誇る詩人の名を冠する
幼稚園と・・・教育勅語を暗唱させ・・・あとは言うまい。)



だが。
一国の総理、およびその夫人が、このように特定の教育思想を持つ学園に共感し、
森友問題が報道で大きく取り上げられるようになるまでは、それを褒め称えるような言を
公に述べていたこと。
しかも、夫人が、この森友学園に新設される予定だった小学校の名誉校長に
なることを頼まれて、結局、問題が大きくなるまではそれを良しとしていたこと。
総理本人も、きっぱり断りはしたらしいが(それは信じたいが。)その小学校に
『安倍晋三記念小学校』と言う名前を籠池氏側がつけたのが、寄付金集めなどに
利用されたことなど、こういうことが、国民みんなの代表であって、国全体を預かる
総理大臣およびその夫人によって為されていったいいいのであろうか?!

国家公務員法』
第七節 服 務
(服務の根本基準)
第九六条 すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、
且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

また、日本国憲法第三章
第十五条第二項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。



内閣総理大臣は、国家公務員法第二条第三項に掲げられている通り、立派に
国家公務員である。
国家公務員に『一般職』と『特別職』があるうちの『特別職』に
あたる。
つまり、内閣総理大臣も、すべての公務員同様、
『全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。』のである!

安倍総理およびその夫人が、特定の思想を持つ一学園に、過剰に見える肩入れを
していると国民に思わせるような言動は、厳に慎まねばならないのではなかろうか。
私は、森友学園問題の、問題の本質は、ここにこそあると思っている。

森友学園に対する国有地払い下げに関する一連の異常に見えるほどの優遇ぶりは、
そこから派生した問題に過ぎない。
この問題に関する安倍総理夫妻の罪はおそらく問えないであろう。
昨日、安倍氏は、東京・銀座の松坂屋銀座店跡地に完成した複合商業施設「GINZA SIX」
のオープニングセレモニーの挨拶で、そこに山口県の物産があるかどうかについて、
『おそらくあるんだろうと思います。よく私が申し上げたことを忖度していただきたい』
と、『忖度』という問題の語を逆手にとって冗談にして言った。それは大いに笑いを誘った・・・

『私が申し上げたことを忖度していただきたい』
なんという傲慢、なんという思い上がりであろう!今の今、こんな言葉、冗談になるものか。

『忖度』。
権力者の周りにいる者が、権力者の意を『忖度』して、つまりその意を汲んで、
権力者の暗に希望することを叶える・・・
今回、森友問題に関し、また、安倍昭恵氏の私的か公的かは知らぬが活動に関連し、
財務省、大阪府などの官僚、公務員を巻き込んで、おそらく数え切れないほどの
『忖度』が行われたのではないかと、疑われているこのときにこの冗談、である。

国家公務員としての安倍総理、また財務省などの官僚、大阪府の職員・・・

『すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない』
という日本国憲法、国家公務員法に、彼らは違反してはいないのだろうか?
『忖度』する罪。またその『忖度』を当たり前のことのように阿吽の呼吸で促し受ける罪・・・
これは罪になるであろうか。法律上の罪を問えるであろうか。
・・・おそらく問えまい。明確な証拠でもない限りは・・・
だが。倫理的、道義的罪は、明らかにそこに存在しうる、と私は思っている。
一国の代表などという権力者が、ある意向を持つ・・・当然周囲はそれを『忖度』するのである。
『忖度』は、明らかな命令などとは違い、法的拘束力も持たない、責任の所在もわからなく
なってしまう不明確なものである。
だが、『忖度』は、時に『命令』と同様に、一国の政治をも動かしてしまいかねない怖い力を
持つものである。
みんなが権力に『忖度』するように社会がなってしまったとしたら・・・それがまさに
オーウェルがここで描くディストピア・・・暗黒の世界である。

              ***


『倫理』『哲学』の問題と、ジョージ・オーウェル『1984年』の話に戻ろう。

日本では、国立大学の文系、社会科学系統の学部・学科が、政府の政策として
縮小化、ひどい場合には、存続の危機にまで至りそうな状況である一方で、フランスの
幼稚園では、『哲学』の問題を、3~5歳の子供たちに考えさせてみる・・・。
そしてそこでは子供たちが、『人間は、「ことば」でものを考えるのだ』という認識に
近いものを得る!
なんという違いであろうか。

『言葉』への深い興味と、厳密な『言葉の定義』への関心や畏れなくしては、これらの
学問は成り立たない。
なぜなら、人間の思考は、まさに、『言葉そのもの』によって行われているからである。
私たちは黙っていても、常に『言葉』を使ってものを考え感じている・・・

『言葉』をないがしろにする政治、言葉を扱う基礎的学問を軽視する政治は、
オーウェルの極端に描いた、ニュースピークの世界・・・支配者にとって都合のいい言語だけを
国民に使わせるようにし、国民に思考を促すような無駄な言葉は徹底的に抹殺する
ディストピアと、その醜悪さにおいてどこがいったい異なるだろう?

一方国民の側も、ニュースピークもどきの言語統制を、自ら進んで受け入れるという
素地が、ひょっとしてすでに身についてしまってはいないだろうか?
面倒くさい思考を避ける・・・自分に関係したことにしか興味がない・・・手っ取り早く
必要なだけの情報が得られればとりあえずそれでいい・・・

先日朝日新聞に、『大人は本を読め読めと言うが、何故本を読まなければならないのかわからない』
という若者の投書について、読書は必要、必ずしも必要ない、双方の意見が載せられていた。
確かに今は、スマホやその他便利な情報機器で、手っ取り早く必要な情報は簡単に得られる。
読書など必要ない、と言われれば確かにそうで、読書しなくても人間は生きていける。
読書はするが、難しいものは読みたくない、というのもわかる。

だが。私は、読書というものは、一つの、精神の格闘であると思うのだ。
ぱっと読んだだけではすぐには理解できない文を、ぐ~っと集中して読み込む・・・。
知らない語彙も多くあるだろうが、調べて意味を知る。あるいは文の前後関係から意味を
類推してみる・・・
すぐには承服しがたい意見や考え方も、拒否反応してしまうのでなく、といって、『わかるわかる!』
とすぐに同調することがいいというわけでもなく、論旨を追いながら様々な思考回路をたどって
いくことを不断に意識せず訓練することによって、その人の言語能力や思考能力は自然と
鍛えられていく。
なんと、フランスの幼稚園児が、『彼の話を聞けよ!』と諭した、あの知恵!

言語能力を鍛えると言うことは、その人の思考能力や、そして感性までもを研ぎ澄ませていく。
なぜなら、人は、言語によって思考し、言語によってものをより豊かに『感じ』もするからだ。
たとえば、美しい桜を見て、『まじ、やべえ!』と言うのが、言葉を尽くして文学的表現で
花の美しさを語るのに劣るとは決して思わない。それはそれでそのときの正直な感覚の発露だ。
だが、その花を見て美しいと思ったその経験を、自分の中に自分のこととして取り込むとき、
あまりに少ない語彙で、あまりに貧弱な語数でもって収めるしかない、というのは少々
残念ではなかろうか。そういう経験は、その場限りに浅く終わってしまうのではあるまいか。

先日、大岡信氏が亡くなられた。朝日新聞で過去に長らく『折々のうた』という
わずか200字ほどの小さなコラムを続けてこられた・・・。 自ら詩人でもある氏が、
日本の短歌、俳句、漢詩(読み下し)、川柳、近現代詩、歌謡などのなかから、
毎日1つをとりあげ、それに対する解説を行うというものであった・・・。
上で、『どうして読書など必要なのか』という若い人の疑問を取り上げたが、私は、
大岡氏のコラムに、その問いに関する一つの答えがあるのではないか、と思っている・・・
それは、『言葉による再体験の楽しさ』である。

人はどんなに頑張っても、一回きりの人生しか生きられない。
だが。読書は、その一回きりの人生を、二回も三回も・・・ある意味無限に近いほど
生きさせてくれるのである。
それは、過去に生きた人々・・・今を生きているが、遠くにいておそらく一生会うこともない
だろう人々・・・それらの人々の想いを、追体験あるいは再体験させてくれる。
『折々のうた』は、それを、これ以上ないほどに、ぐうっと鮮やかに凝縮して、味わわせて
くれるコラムであった。古今の・・・時空を超えた美しく素晴らしい言葉を、優れた詩人
でもある筆者が選び抜いて、そしてそれに短い解説をつけてくれるのである。
つまり私たち読者は、一つのコラムで、過去の素晴らしい詩などと大岡氏の思念との
両方に同時に出会うことが出来たのである・・・

無論、こうした経験は、読書のみによらずとも、映画や音楽、絵画、旅行、また人と話すこと・・・
あらゆる機会を通じてあらゆる方法で体験できるものではある。
だが、読書、ということは、人間の思考の道具である『言葉』を直接味わう、という点において、
どの手段よりもおそらく人間の感性を鍛え、また、なによりもその範囲が広く、居ながらにして
時空を超えて見知らぬ世界と会える、素晴らしい旅の手段でもあると言えよう。

閑話休題。

言語は、戦う能力でもある。
今、社会は、ニュースピークや、オルタナティブ・ファクトではないが、無法なことも無体なことも、
単純な言葉の繰り返しをとにかく重ねることによって、それが通用してしまう!という、
いわば、『言語の無力時代』に突入しているように私には思えて仕方がない・・・
『テロ対策法案』と繰り返し言えば、当初『テロ』という文言が一つも入っていなかった法案も
なんとなくいいもの必要なもののように国民に受け入れられてしまう時代である。
2020年東京オリンピック、を持ち出せば、なおさらそうかな必要かな、と思わせてしまう。
「テロ対策のために欠かせないと言いながら、『テロ』という文言は入っていないじゃ
ないですか!」と、社民党の福島瑞穂議員に指摘されて慌てて、『テロ』という文言を
文中に付け加えた『組織犯罪処罰法改正案』の本当の目的は、いったい何なのか。
私にはそれは、国民の言論や内心の自由を縛り、縛れないまでも『萎縮』させるという
効果を狙ったもの、国民を操作しやすくするための法案としか思えないのである。
『共謀罪法案』として自民党が何度も提出して、国民の反対を受けて引っ込めてきた
ものだ・・・
かつては、あのおぞましい『治安維持法』として、国民の自由を奪ってきたものと
同じ系列にある・・・

国民は、心して覚えておかなければならない。
言論を縛るような方向に持って行きたがる政権などというものはろくなものであるはずがない。
ましてや『共謀』の罪の範囲を広げてそれを明確に法制化し、国民の内心の自由や
集会結社の自由などという、現行憲法に保障された、人間にとって最も大切なものの
一つである『自由権』を縛る方向に持っていこうとする政権などは、決して選んでは
いけないのである。
同時に、自分たちの利益になるように法や憲法を変えてしまおう
とする政権の時に、彼らに法や憲法をいじらせては絶対にならない!!!


私たちは、内面の自由、考える自由は死守しなければならない。その潜在的力としての
『言語』も、わたしたちは、意識して鍛えておかなければ・・・。


いまの私たち日本人は、そのことにあまりにも無自覚である。
『言語による戦い』の力を放棄した者は、容易に権力の『巧言』によって、
権力によって意図された方向へ誘導されていってしまう危険を潜在的に擁する・・・
北朝鮮の脅威などが高まり日本人の暮らしの安全が致命的に脅かされる危険性の
予感に怯える今のようなときこそ、『テロ対策』などという『言葉』で、私たちは容易に
ある特定の方向へ誘導されていく危険がある。
外部からの危険を煽ることによって、国民の自由を奪う・・・そのような政治手法が
過去どれほど行われてきたことか・・・。
『ナチスの手法に学べ』と冗談のように言ってしまう政治家がこの国の財務大臣であり
副総理を務めているが、まさにナチスの手法がそれだった。
このたびのトルコの改憲の是非を問う国民投票もまた、すでにエルドアン氏によって
反対派が逮捕収監され反対言論も封じ込められた状態の中で行われて、
エルドアンというそれでなくともすでに大きな権力を握る人物に、ますます
大きな権力を一手に握らせることになる道を、国民が自ら選んでしまった・・・
『自分たちの利益になるように法や憲法を変えてしまおうとする政権の時に、
彼らに法や憲法をいじらせては絶対にならない!!!』
という、歴史が教える教訓に、
トルコの人々は耳を貸さなかったのか・・・残念である・・・


さて。『1984年』の描くディストピア。
『過去の可変性』。
『過去は死に、未来は想像の外』


そこでは、権力者が人民を支配していくのに都合の悪い過去は、容赦なく
書き換えられていく・・・
あらゆる文書、書物、あらゆる言動が監視チェックされ、都合の悪いものは『廃棄』
され、あるいは権力に都合のいいようなものに上書きされていく・・・。
過去が丸ごと抹殺され、あるいは書き換えられれば、国民はそもそも過去の事実の
存在さえ知ることがない。知ることがなければ、そもそも疑いも生じない。
真理省の掲げた三つのスローガンのうちの一つ。

『無知は力なり』 

というのはそのことだ。
『知らなければ』国民は迷いさえしない。疑念を抱くこともない。
その過去の情報の抹殺、書き換えを担当するのが、『真理省』
という名であるという強烈な皮肉!
国民を常時監視し、国家のイデオロギーに背くものは呵責なく粛正していく、それを
担当するのが『愛情省』であり、戦争を常時行って、国民の危機感を煽り、それにより
権力の正当化、国民の国家依存を深めていくのを担当するのが、『平和省』
であるのと同じ痛烈な皮肉だ。

ああ・・・・・・!
過去の事実が、時の政権によって恣意的に上書きなどされていいものだろうか??
現在の真実が、政権によって恣意的に国民に隠されていいのだろうか??
安倍政権のやっていることは、それに近い。
昨日の新聞に、こんな目立たぬ記事があった。
江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるため、政府の中央防災会議の
専門調査会がまとめた報告書を、内閣府がホームページから削除していたと
いうのである。何故削除したのか。
一部に、関東大震災時の『朝鮮人虐殺』についての記述が含まれていて、「なぜこんな
内容が載っているんだ!」というクレームが寄せられたからだという。
そのために、安政の大地震や雲仙普賢岳噴火なども含めた報告書の記載を
すべて取りやめたのだという・・・
ああ!ここでも、何かの『忖度』だ!
(今日の報道で、件の内閣府ホームページが復活したというのが伝えられた。
批判を恐れたのであろう)

TPPの実際の内容を示す大事な文書がほぼ全面黒塗りされ、南スーダンに派遣された
自衛隊の記録もないと言い張られ、森友問題の肝要な記録が早々と官僚によって
すでに破棄されたとされるこの国の政治・・・・・・
国民が『知る権利』を有しているはずの、国政に関する大事な資料も国民に示されない。
・・・もう、『一強』だから何でもあり、だ。





主人公の内心の声。
『今生きている人間がたとえ一人でも自分の味方になるという保証がどこにあるというのだ? 
そして、党の支配が決して永遠には続かないなどとどうやったら知ることができるというのだ?』
という絶望。

共謀罪法案のようなものが可決成立して、この国で動き出せば、警察、検察などの
『国の意を汲む暴走』も起こりうるだろう。
すでに、昨年の参院選の直前に、大分県警別府署が、野党候補を応援する労働組合
「連合大分」などが入る施設の敷地内に入り込んで監視カメラを設置し、建物に
出入りする人々を隠し撮りしていたという事件があった。
共謀罪法案が通れば、こういうことも堂々と行われるようなことになりかねない。
国民自身もまた、常時何かによって監視されていると言うことが当たり前の社会に
なれば、隣人を自ら監視するようになる・・・
そんな、まるで先の戦中のような、国民総・相互監視社会というようなものに似た
心理状態に容易に追い込まれかねないのが、共謀罪法案というものである・・・。

ジョージ・オーウェルの描く暗黒世界に掲げられた三つのスローガン。その一つ。

『自由は隷属なり』

という言葉の怖さを、よく考えてみよう。
共謀罪法案の審議中、安倍総理らは、『一般の人々が対象となることはあり得ない』
と繰り返し言う。
だが、『一般の人々』とはどういう人々なのだろう?
それは、政権の批判など間違ってもしない、政権にとって都合のいい人々だけを
指すことにされてしまいはしないか?
沖縄で、辺野古移設に反対する住民たちはどうだろう?
国会前で、『安保法制反対!』『共謀罪法案反対!』と声を上げている人々はどうだろう?

自由でいるためには権力には逆らわないことだ。そうしていれば何も怖いことはない。
『権力には隷属していれば、私たちは自由だ。何も問題は起こらない』・・・
そういう意味での『一般人は対象とならない』ということなのではないだろうか??

こんな例をテレビの番組でやっていた。
『一般人は対象とならない』と政府は言うが、
『そうか。私は国会前で騒ぎなどしないから、関係ないな』と思う人がいるかもしれないが、
たとえばあなたの住む街で日照権を奪うようなマンション建設問題が起きたらどうか。
あなたは、これは自分の生活に直結した問題だから、『マンション建設反対』の
署名集めをしようと、知り合いなどに声をかける。
だが。中央の政治とは全く関係ない問題であるにもかかわらず、署名用紙を
持ってこられて、『ここにあなたの名前と住所をお願いします』といわれたとき、
『どんなテーマであろうが、自分の名前や住所を書くのは怖いな。誰が今後の
取り締まり強化などに利用するかわからない』と思って、署名をためらう人が
出てくるかもしれない・・・

要するに、国民がいろいろな場面で、『自粛』『忖度』するような、そういう気分になっていくのである。
・・・そうして、国民は、何かを畏れ、萎縮していく・・・

あなたは、そんな危険のある法案を、今、しかも、この政権下で通したいのか?

でもな、テロはやっぱり怖い。
北朝鮮のような恐ろしい国に攻撃されるのは怖い。
だから、やはり、そういうテロや核攻撃などに備える『テロ対策法』は必要なんじゃないの?
私だって、テロリズムや核攻撃は怖いしいやだ。
しかし。
『テロ対策法』なるものによって、本当にテロは防げるのか?
欧州の諸国でテロが起きているが、それらのテロは、それらの国が『テロ対策法』を
持っていなかったから起きたのか? 持っていても起きたのではなかったか。

『テロ対策法があるから、あの程度の頻度で収まっているのだ』
なるほど、そういう考え方も出来るだろう。

ちょうど来日していたアメリカのペンス副大統領は、『平和は力によってのみ初めて達成される』
いい、『(日本など)同盟国と力を通じての平和を達成するために連携したい』と
語った。

ジョージ・オーウェルの『1984年』の描くディストピア世界。そこの三つの
スローガンのまさに一番目は、このペンス氏の発言と同じ
『戦争は平和なり』

である。
安倍総理が、平和学の研究家、ヨハン・ガルトゥング博士が提唱した理念である
『戦争がなく、貧困や抑圧、環境破壊などの構造的暴力もない』世界を『積極的平和』
と名付けたそれを、『米国を始めとする関係国と連携しながら,地域及び国際社会の
平和と安定に積極的に寄与していく』、という国家安全保障の問題にすり替えた、
まさにその『積極的平和主義』こそも、『戦争は平和なり』の観点に立つものである。

自衛隊を海外に派遣して、『駆けつけ警護』までさせるというのが、世界の平和の
役に立つのか。
私はそうではないだろうと思う。
日本には、日本独自の『世界平和への貢献法』があっていい。
私はそれは、世界の問題地域の人々が自分の土地で暮らしていける、そのことを
第一義とした貢献であろうと考える。
そう。ちょうど、医師中村哲さんがアフガニスタンで続けているような活動だ。
だが、その中村さんが必死で現地の人々と共に運河をほぼ人力で切り開き、
不毛の砂漠を緑豊かな農地に変えて、その地に元元いた人々がそこで暮らして
行けるようになっている・・・難民さえも一部、中村さんらの緑の土地の周辺で、
商売など出来るようになっている・・・そのアフガニスタンの大地に、トランプの
アメリカは、核兵器を除けば最大の爆弾であり『すべての爆弾の母』とも呼ばれる
(なんというおぞましいネーミングだ!)MOABを落とし、一説には90人を超える
IS戦闘員が死んだという。
そんな兵器が『平和』をもたらすと、本当に言えるのだろうか??

『戦争は平和なり』という、相矛盾するスローガンには、『武力こそが平和状態をもたらす』
『相互に核武装した状態のように、これ以上お互いに進んでは危ない、という均衡状態をもたらす』
という上記のような意味と、もう一つ別の意味がある。
それは、『戦争状態が近い』『戦争が局地的に現実に行われている』という状態に
持って行くことによって、あるいはそう国民に信じさせることによって、国内の安定を保つ
という意味合いもあるのだ。
なぜなら、そうした状況にあると国民が思うと、あるいは思い込まされると、国民は
時の政府に頼らざるを得ない心理に否応なしになってしまうからである。
今のトルコしかり、そして、問題の北朝鮮しかり。かつての帝国日本しかり・・・。
すなわち、外国と戦争状態にある、その危険にある、と国民が思わされることによって、
国内的には政権が『安定』するのである。

『戦争は平和なり』という、考え方は、実はこの世界に充ち満ちている・・・

だが、威嚇と威嚇が互いにエスカレートしていき、そうした末についに力と力がぶつかり合う・・・
その先にあるものはなんだろう。

最後に、私が古今の名作の一つだと思う映画のラストシーンで流れる曲を載せておこう。
人類にとって、こんな悲しい淋しいうたはない・・・私はそう思う・・・

人類が、力と力の誇示を競ったあげく、偶発または個人の異常な情念などによって、
取り返しのつかぬ悲劇を招いたりすることなど決して起こらないことを祈りつつ。
あなたの・・・私たちの為した選択が、誤りでありませんように・・・







『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』
(1964年。スタンリー・キューブリック監督)より。















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Re:jupmarvie さんへ

jupmarvieさん。こんばんは。

おお!『1984年』。ずっと以前にお読みになったのですね。
オーウェルがこれを書いたきっかけになったスペイン内戦の頃と、出版した1949年。
そして、jupmarvieさんがお読みになった1980年代。そして今とでは、大きく
世界の政治状況も、また人々の意識も変わってきているはずですが、その大元において
人間の社会というものは、ちっとも成長していないのかなあと思わされてしまいますね。

いや、むしろ、『真実』『正義』『平和』『平等』『愛』・・・などという、人間が理想として
掲げてきた理念を表す言葉自体が、使い古されあるいは曲解に曲解を重ねてられてきた中で、
それらの言葉が力を失い、言葉の変質と共に、そうした言葉の表していた理念までもが
同じく力や輝きを失っていっているという意味では、もっと悪くなっていっているのかも
しれない、と思います。

ここに書かれている全体主義社会、超管理社会の、なんと、今をよく予言していたことでしょうか。
『今なら、まだ、ここまでひどくはない・・・』 そんなことを考えているうちに、みるみるこの
日本も悪い方へ変質していっています。
まだ、人々は気づかない・・・。外はともあれ、日本の中では『平和』であるように見えるから。
『自由』であるようにも思えるから。
しかし、その『平和』で『自由』に見える社会が、何回かのある時点で、明らかに変質していく・・・
でも、その変化は、気をつけてみていないとわからないものなので、気がついたときには
戦前の日本のような国家によって統制された自由など無い社会にいつかなりはてているかも
しれません・・・

そのときに、多くの人々は、『私たちは騙されていた』と言うでしょうか・・・
言うだろう、と、私は思います。

きつい指摘ですが、福島第一原発事故の後も、この言葉が繰り返されました・・・
『私たちは知らなかったのだ・・・』『知らされていなかったのだ・・・』『騙されていたのだ・・・』
この言葉は、福島の人々に限りません。東京の我々も、少なくとも放射能プルームが
太平洋を大きく旋回して、軽井沢や静岡や・・・そんなところまで届いた・・・
静岡のお茶農家は大きな害を被ったと思います。それも正直に放射線量を測定した農家ほど。><
そういう地域にいた我々もまた、『騙されていた』『知らなかった・・・』と口にしたのです・・・

今、日本全国の原発が再稼働されようとしていますが、地域住民は、また事故が起きたとき、
『私たちは騙されていたのだ』と言うのでしょうか・・・
このことは、もう、言葉に柔らかい衣をかぶせて言っている場合ではない。私は、強い怒りを持って
このことを指摘します。・・・

伊丹万作さんのこの文章。私も、とりわけ3.11・・・福島第一原発事故の後、何回読んだか
知れません。ここに書かれていることは、同胞への重い重い告発ですね。自分をももちろん
容赦なく見つめている・・・
今、jupmarvieさんに示して頂いて、再度読み返してみたとき、本当に、ここに書かれていることは
今も少しも変わらないのだ、と思わされます。
よくぞ思い出させてくださいました。

ただ、この伊丹万作氏でさえ、日本が中国やアジアのほかの諸国に与えた途方もない害については
ここで触れていませんね・・・
日本兵たちは、戦後本土へ帰ってきて、『自分たちは騙されていた・・・』と言い、銃後の人々は、
『私たちは知らなかったんだ』『騙されていたんだ』と、やはり手痛い敗戦後の困苦の中で
軍上層部や政治家たちを罵ったと思います。
極端な例では、舞鶴などに這々の体で帰り着いたぼろぼろになった兵士たちに、『お前たちが
弱くて負けたから、俺たち私たちは今、こんな苦労をさせられているんだ!』と、石などを
投げつけた事もあったと聞きます・・・。

『自分で考える事を拒否して、か、させられてか、(両方でしょうが)
大きな声のする方へ、何も考えず流されていく。。。 』

ほんとにおっしゃるとおりだと思います。
歴史は繰り返すと言いますか(・・・そんな軽口も言ってられない!)、国民ひとりひとりが
政治は自分たちでいいものにしていくんだ、と言う気概と自覚がなければ、容易にまた
『騙されていた』『知らなかった・・・』と泣き言を言う事態になりかねません。

これは、自分自身への深い自戒も込めて書いています。
jupmarvieさんが高校生で、70年安保、学園紛争の洗礼を受けておいでの頃、><
私は大学生で、ほぼノンポリでした。その頃私はすでに学生結婚していて、政治には
『無関心』であるというより、自分の生活で手一杯だったのです。
それからも、心情的には常に反体制運動している若者たちの側にいたけれど、
政治に関わりも関心も持たないで生きて来たからです。

私がようやく遅い目覚めをしたのは、チェルノブイリ原発事故、そして9.11・・・
決定的に覚醒したのは、3.11からなんです・・・

このフランスの子供たちの哲学の時間・・・
Trailerでは、うまく編集してつなげてあるので、実際は子供たちはもっと素朴です。^^
でも、パリ郊外のこの幼稚園。本当にいろんな人種の子たちが一緒にいる・・・。
これもきれい事ばかりではなく、『黒人は嫌い!』などというびくっとする発言も
飛び出します。この幼稚園の教育は、そうした人種混合地域にあって、様々な問題が
日常的に噴出しているフランスの、『どうすれば違う肌の色、違う宗教などの
子供たちが。いや大人たちもが、共に生きていけるのか・・・』という深い悩みの
一つの実践的実験の一つとして行われたもので、実は、綺麗事ばかりではない
と言うことが、本編(有料)を見ると痛いほど感じられます・・・
ちょうど、大統領選の最中でもありますし。

翻って、日本の森友学園問題。
単一民族(と思っている)で、島国で、他国を侵しはしても侵略された経験の無い
まあ、いわば『平和ぼけ』した私たち。何で、自ら好んで、また自分たちの思想の自由を
制限するような、国民主権の現憲法から大日本帝国憲法に逆戻りするような
そんな政権に、50%以上もの支持率が集まるのでしょう・・・

すみません・・・コメントの返事なのに、怒りを愚痴ってしまいました。
コメント。ありがとうございます!

No title

”1984”始めて読んだのは、多分80年代頃だったと思います。
311の後、なんとなく、読み返したくなって、本棚を探しましたが見つからず
諦めて、購入して読み終わったら、探していた本が出てきました。
(私的によくある事です)
多分、バブルのさなかに読んだときは、
小説だよね、戦前てこんなだったのかしら?としか、考えませんでした。
”Bib Brother watching you!"は、不気味でした。
監視カメラ、今では、あちこちにありますよね。
本が書かれた年代を考え、時代がループしないようにと願っていましたが
どうも、小説を地で行っている気がしてなりませんでした。
自分で考える事を拒否して、か、させられてか、(両方でしょうが)
大きな声のする方へ、何も考えず流されていく。。。

戦後すぐに書かれた、伊丹万作さんの文章読まれた事がありますか?
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
こうだったのだろうと思います。
そして繰り返されようとしてます。

反面、フランスの子どもの教育、素晴らしいですね!
そういう教育を受けたかったです。
忖度や、空気を読む事を教わる前に、自分で考える事を学びたかったです。
最も、日本では、教えられる先生がいないし、親もそうでは無いですね、きっと。
高校で70年安保、学園紛争の洗礼を受けたので、
今の子供たちよりは、話し合いの時間は多かったでしょうし、
自由も認められ、生徒自らの決定事項(制服など)も多分かなり違うと思います。
しかし、その後現在に至った事を考えると、
高校と言う限られた空間だけに存在したものだったのかもしれません。

古い訳の方を読み返してみたくなりました。
時代で、訳も違っているかもしれません。

Re:mtz-tosiさんへ

mtz-tosiさん。こんにちは。

国会法務委員会質疑。一度見させて頂きましたが、なかなか集中していないと、大事なところを
聞き逃してしまう。何回か見てみないとだめなようです。
私自身も、気になるところがあるので、少しよく自分でも調べてから、また記事にしてみますね。
その際の参考にさせて頂きたいと思います。
でも、これを見ていると、国会や委員会での政府側の答弁が、いかに誠意がなくわかりにくいか
(金田法務相のように答える当人がわかっていないとか、安倍首相の答弁のように、
はぐらかしが多い、とかで。)思わされますね。
国会での審議が、内閣ですでに閣議決定されたものの単なる承認プロセスにすぎなくなって
いるような国会の現状には、本当に腹が立ちます。
委員会審議はまだ多少はましな時もありますが。

小林よしのり氏。私は、思想的に相容れないひとなのですが、時々いいことも
言います。><
右翼であろうが左翼であろうが、間違っていることは間違っている、正しいことは正しい・・・
その究極のところでの相通じるものはあるんじゃないかと思います。

一般人が声を上げることが出来なくなるような法律はだめなんだ。

そういうことは、誰が考えても正しい。
それを正しいと思えない・・・それよりもなお上の価値がある、と思う人がいる・・・。

テロを防ぎたい。
これも、誰しも認めることだと思います。そのための方策は採らないと。
問題は、『テロ等準備罪』『オリンピックの安全対策』という名の下に、そこにそれ以外の
要素を潜り込ませようとしている事です。
或いは、必要以上に拡大解釈のありうるものとして潜り込ませようとしている事・・・。

おっしゃるように、TOC条約(を批准するための法整備は、日本ではすでに既存の法律で
可能だと、何人もの法律の専門家が言っています。
また、TOC条約自体の本当の目的が何なのか、とか、それを批准すること自体に異議はない
としても、日本政府の目指しているような『共謀罪』法の新設が本当に必要なのか、
といった大事な論点は、まだ国民に納得できるような説明が十分になされていないと
思います。

本来それがジャーナリストの役割でもあるだろうと思いますが、何か上っ面だけを
撫でているような報道ばかりで、本質にズバリと踏み込んだ論説がなかなかないですね。
私も、もう少し踏み込んで、調べてみようと思っています。

ありがとうございます!





日本では国連に十三ある全てのテロ対策の為の国際条約を批准し、既に国内で法制化もされている。
テロ対策の為に共謀罪を作るというのは政府の印象操作だという事ですね。

、法務省及び外務省は、共謀罪又は参加罪 の少なくとも一方を創設することが必要であると説明している(42)。当該説明によると、国際 組織犯罪防止条約第 5 条第 1 項(a) (43)は「次の一方又は双方の行為」を犯罪とすることを義務 付けており、パラグラフ(i)としていわゆる共謀罪、パラグラフ(ii)としていわゆる参加罪を 記述している。国際組織犯罪防止条約について。“The options allow for effective action against organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion̶conspiracy or criminal association̶in States that do not have the relevant legal concept.”(同上, p.22. 下線は筆者による。)


詳細に分析した論文の著者である古谷修一早稲 田大学大学院法務研究科教授も同様の見解である(44)。 これに対しては、国際組織犯罪防止条約第 5 条第 1 項は「必要な立法その他の措置をとる」 としており、「立法」は必要な措置の 1 つにすぎず、必ずしも共謀罪の創設が義務付けられてい るわけではないとする見解がある(45)。我が国では既に組織犯罪に関連する重大犯罪について 合意により成立する犯罪が未遂以前に可罰的とされており、国際組織犯罪防止条約第 5 条の要 件を満たしているので、新たな立法は必要ないと説明する(46)。


(2)国連立法ガイド 国際組織犯罪防止条約に関する国連立法ガイド(47)のパラグラフ 51 には、共謀罪と参加罪に ついて、 2 つの概念の導入を求めることなく有効な手段をとることを許容するといった内容(48) が記載されている。この文章の解釈についても見解が分かれる。共謀罪の創設が義務付けられ ているとする立場からは、いずれか一方を導入すれば、他方を導入する必要はないという意味 であり、共謀罪か参加罪のどちらかの導入が必要であると解釈する(49)。一方、この文章につい ては、両方とも導入する必要はないという意味であり、必ずしも共謀罪を導入する必要はない と解釈する見解もある(50)。

。“The options allow for effective action against organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion̶conspiracy or criminal association̶in States that do not have the relevant legal concept.”(同上, p.22. 下線は筆者による。)



Re:んさんへ

んさん。こんにちは。

復興大臣、とうとうまた失言して、ついに更迭になりましたね。
被災地の方々の想いや感情というものを、想像さえしてみたことないのでしょうか。
ほんと、ひどい閣僚や議員ばかりであきれ果ててしまうけど、安倍内閣の支持率は
下がらない。
どうしようもないですね。
沖縄への国の態度もひどいです。『辺野古移転以外の道はない』。どうして
そんなこと言えるんでしょうか。そもそも考えてみたことさえないくせにね。
『原発』『沖縄』『安保法制』『秘密保護法』『共謀罪』・・・
多くのことで、この政権は、『民意無視』。
せめてわかりやすく説明して十分に審議してくれ、それさえ無視です。

安倍政権に限らず、時の行政府に権限が集まりすぎて、自浄作用がなくなることの
怖さを、みんな、もう少し考えてほしいなあ。

ありがとうございます!


No title

彼岸花さん、おはようございます。
=====
『権力には隷属していれば、私たちは自由だ。何も問題は起こらない』・・・
そういう意味での『一般人は対象とならない』ということなのではないだろうか??
=====
そういう意味だと思いますね。

====
もうね。ほんと。私も叫び疲れたです。
====
 実は、私もそうです。
・・・
昨日の衆議院法務委員会で、参考人質疑が行われました。小林よしのり氏が、説得力のある懸念を表明してましたね。
それと重要なのは、TOC条約には、現状の法律の予備罪・準備罪でも十分批准できる、という話をしてました。ただ、今朝の新聞も、昨日の報道STでもパスしていたのは何なんでしょう??
 非常に疑問が湧きます。野党はぜひ研究して、共謀罪はTOC条約批准に不要と主張して頂きたいと思います。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47097&media_type=
この中継は、時間があればぜひ視聴してみて下さい!

mtz-tosi

復興失言大臣

またまた失言で辞職・・・って嗤えんわ。

我が広島県のゲス不倫野郎は離党して説明責任を果たす事なく「行方知れずの恥の上塗り」のおまけつき・・・まさにゲスの極み(これも笑えんわ)

それでも下がらない内閣支持率・・・

ポンコツ政治屋のオンパレードに国民はいつまで耐える気なんじゃ?

Re:mtz-tosi さんへ

mtz-tosiさん。こんにちは。

5年前、自民党総裁に安倍氏が復活したとき、私はハリネズミのように警戒した
ものですが、その心配が、現実になってしまいました。
無論、原発依存の方針は変わらず、そして、安倍氏にとっての悲願、祖父も叶えられなかった
日本国憲法の改定、とりわけ、九条の破棄という、彼の執念のような政治目標が、もう
叶えられる目前まできています。
九条は、このところの北朝鮮に関する日米政府間の緊密な連携や合同演習など見ていると、
実質破棄されたも同然。2年前の安保法制成立が、現実に法律として動き出したのを
私たち国民は日々見ています。
秘密保護法で、知る権利が萎縮し、今度の共謀罪法で、さらに国民の知る権利や内心の
自由、という大事な大事な権利は縛られることになる。

それでも国民は、そういった抽象的な問題よりも、北朝鮮の核攻撃やその他のテロ、
オリンピックの開催などといったわかりやすい問題で、危機を煽られると、『やっぱり
安倍政権でがまするしかないよね』となってしまいます。
今朝の朝日にでていましたが、同じ法律の同じ中身のアンケートであっても、『テロ等準備罪』
という文言で賛成反対を問うと、そういう取り締まりの法律はあった方がいいというひとが多くなる。
『共謀罪』という文言で問うと、慎重な意見が多くなるというのです。
これは、もう、『1984年』じゃありませんが、言葉の操作で人心は容易に騙される
という一つの例ではないかと思います。同じ法律なのにね。

結局、ジャーナリズムの意識的な操作が、もう効いているんですね。
こんな危険な法律がこの連休明けにも衆院通過しようかとしている時に、NHKもその審議
の様子を放送しない。
mtz-tosiさんのようにネットの配信などを探して、ちゃんとその細部を見る人は、、ほんとに
ごく一部だと思います。この国会本会議、委員会などの審議の様子は、ラジオでも本当には
伝わってきませんね。やはり映像で見るのが一番です。金田法務大臣がどれほど『法律』に
疎いか。なぜ麻生副総裁は、大事な審議中いつもあんなに小馬鹿にしたようなにやにや笑い
ばかりしているのか・・・。山尾志桜里議員の歯切れよく明快な質問の様子・・・

ましてや。翌日の朝刊など日本の3,4行だけ載る質問や答弁の要約など読んでも
その本当に大事な微妙な点は、ほとんどすっぽり抜け落ちています。
その新聞の政治欄の記事さえ見ない、というひとがほとんどでしょう。
テレビは、やけに北朝鮮危機を煽り立てます。それだけを情報源にしている多くの国民は、
『今は安倍政権しかない』と思い込むのも無理ありません・・・

考えてみれば、今度のシリア、北朝鮮などの問題で、変な表現ですが得をしているのは
誰か。為政者のトップたちですよ。トランプ、安倍首相、金正恩、習近平、アサド・・・
トランプは大統領になったものの、初っぱなから政権運営はことごとくうまくいっていなかった・・・。
安倍政権は、森友問題で、実はかなり追い詰められた心境にあったと思います。
その他のトップたちも、政権の地盤を強固にするためには、国外の危機があった方が
国はまとまりやすいですから。

危機が迫った(と国民に思わせられる)時には権力を集中できる・・・。これはもう、ナチスの例を
挙げずとも、権力の常套手段ですね。
『1984年』の世界そのものです。

でも、こうしたチキンレースを続けていて、万が一弾みで、本当に戦闘状態に突入して
しまった場合、一番被害を被るのは誰か。国民です。それも弱い者から・・・。
正しいことをいう者も、踏みつぶされてしまいます・・・。
命は一回こっきりしかない。その命を、どうして愚かな為政者たちのチキンレースのために
差し出さなければならないのでしょうか。
奇しくも、『教育勅語』は、それをしろ、と言っていますね。><

戦闘、戦争など、絶対に起こしてはならない。

でもね~。経済不安や格差の拡大など、国民の不満が高まっているときには、声高に危機を
煽り、現状の変更を訴える者の方が、いつも強いのです。これはもう、過去の歴史で
繰り返されてきたこと。
この『1984年』や今が決して特殊な状況というわけではありませんね。
『1984年』に描かれているのは、決して大げさな暗黒社会ではない。
私たちの生きる『今』が、常にその暗黒への傾斜をはらんでいる・・・。

もうね。ほんと。私も叫び疲れたです。
5年前、2012年の夏、安倍自民党総裁復活から、どんどん悪くなっていく日本・・・
世界もどんどん状況が悪くなるばかり・・・
それを見つめ続けてきて、今は絶望の方が大きいです。
一番絶望を誘うのは、『言論』の萎縮です。これが一番怖い・・・
これだけはさけなくちゃ!叫び続けなくちゃなあ、とは思いながら、ほんと、気が重いです・・・

いよいよね、言論や内心の自由への締め付けが本格化したら、ひとはものをもう
言えなくなってしまいます。今ならまだ言える。ものが言えるうちに、そういう自由を
阻害するような政治のもくろみは、阻止しておかなくちゃならないのですが、
国民はすでに『おとなしい羊』『物言わぬ民』になってしまってはいないか・・・

そのことが憂われます・・・

アメリカ、フランス、ドイツなど西欧諸国、アジアや中南米などその他の地域でも、
それでも、反発する気概を持った民がいる・・・。日本国民の『一強化』への傾斜と
政治への問題意識の無さは、かなり深刻だと思わざるを得ないです。

『朝が来ない夜はない』・・・それを信じたいですね。><

mtz-tosiさん。いつもありがとうございます。

No title

彼岸花さん 今晩は。

特定秘密保護法に始まって、法治国家とか民主主義とかいえない状況が作られてきて、その仕上げが共謀罪と緊急事態条項ですかね。
おまけに、アベノミクスで、政府の一機関となった日銀が国債を買い占めて、国家予算を補てんする状況・・・

日本人は我慢強いから、何が起きても黙って安倍政権を支持するのだろうか?民進党よりマシ、という根拠のない思い込み、北朝鮮が怖い、米国の手下になっていれば安心、という思い込み・・・

もう少し、自分たちの頭で冷静に考えてほしい、、、と思う。

民進党の山尾議員が4月21日の法務委員会で質問してましたが、政府答弁のいい加減さ(そのもとになっているのは、捜査機関の判断に丸投げの共謀罪法案の危険さ)です。
https://www.youtube.com/watch?v=2lcRo-XYTcs&feature=youtu.be

ただ、それでもなんとなくオリンピック開催できなかったら困るとか、テロは怖いから、ということで支持するのだろうか?

一方的な政府宣伝や報道機関の情報が圧倒的に強く影響しますからねぇ。

しかし、多くの人は(格差社会の拡大で)きちんと法案の問題を考える暇も心の余裕もないのだろう・・・・ 格差社会の拡大は、民主主義の健全な機能を喪失させる・・・・ 権力者にとっては、それが(実は)ねらい目だったりして。。

しかし、それでも我々はしぶとく生きぬいて、次のもうすこし住みやすい社会を目指さねばならない、と思います。

どのような時代になっても、朝が来ない夜はないはずです。

Re:しほさんへ

しほさん。こんばんは。

『1984年』。私も、う~、いつだったかな。読み始めたのは。
年が明けてすぐだったと思いますが、読み終わったのは2月末頃です。
私は小説はいつも筋を追うだけという雑な読み方をするので、読むのはとても
早いのですが、(どうかすると一晩で読んじゃう。><)これはほんと、
読み進まなかったです。
とりわけ後半は、つれあいの病院の長い待ち時間などに読んでいたので、
話の重さ暗さと、自分の生活変化が二重に重苦しくてやりきれませんでした。

2月3月は、ブログも書く気しなくて、新聞もあまり読まなくて、
つれあいのベッドのそばに座って、庭に来る小鳥たちばかり見て過ごして
いました。

『動物農場』。お読みになったのですね。私も読もう。

『潰した後は、対抗者のナイスな案は 手のひら返しで 採用実行。』

どこぞの国で行われていそうな話ですね。
こっちも、重苦しそうな話だなあ!><

ほんとですね。
今を生きている私たち。でも、私たちにはこの地球を汚したり、その資源を
使い尽くす権利なんて無い。
年のせいか。この頃、小さい子供たちが可愛くってなりません。
うちのこよそのこ、そんなの関係ない。
大人はしっかりしないとね~~~!
いったい何をやってんだ!と思いますね。

しほさん。いつもありがとうございます~。





No title

こんばんは。
彼岸花さん…1984 は数年前FM東京のラジオ番組で紹介されあらすじを聞きました。
未だ読めてません。
途中で進まない人になりそうです。
同じ作家の 動物…確か 動物農場 は読みました。

対抗する相手は、どんな手段でも潰す。
潰した後は、対抗者のナイスな案は 手のひら返しで 採用実行。
従順な仲間を肥やしにして ぶくぶくと大きくなる。
よその国の 動物を主人公にした 小説ですが 我が国と似てますね。

地球という閉じた空間に生きる 私たちは
一生懸命 汚さぬよう次世代に手渡ししないといけないと思います。

Re:んさんへ

んさん。こんばんは。

う~~~ん・・・・・・
いざ、日本が核ミサイル攻撃されたら、一発ならなんとかなるかもしれないけれど、
連続して打たれたら、ほとんど打つ手はないんじゃないですか。
一説には、着弾するまで7分らしいですね。
7分で国民はどこに逃げろというんでしょう。
大都会なら、地下鉄、地下街のようなところや、大きな頑丈なビルは近くに
あるかもしれないけれど、普通の住宅地、地方の町に、そうしたものが7分で
行けるようなところにあるとは思えない。
一応我が家は東京都ですけれど、地下街など7分で行けるところになど無いですよ。><
大きなビルさえ、すぐ近くにはない。

まあ、要するに、どうしようもない、ということじゃないでしょうか。
無責任な政府です。
そんな無責任なことを言って恐怖を煽るより、核ミサイル攻撃などありえない
平和な世界を腰を据えて作ってくれ! 原発もやめてくれ!
ただアメリカの尻馬に乗っていたずらに右往左往してどうするんだ。
売り言葉に買い言葉。威嚇に対するに威嚇。・・・そんなことを続けていたら、
いつか何かのきっかけで、ほんとに取り返しのつかない暴発が起きかねません。
ご紹介した、この映画のように・・・。

共謀罪。ついに今日、『一般人も対象になり得る』と政府は言い出しましたね。
法務副大臣の答弁です。
それがきっと本音でしょう。

共謀罪の対象となる277の項目の中には、『刑法』に関連したものとして、
『内乱幇助』『現住・非現住建物等侵害』『往来危険』など、一般人の政治行動に
直接関わる項目がちゃんと入っていますよ。
たとえば、普通の主婦などが、デモやビラ配りなどすると、こうしたことに
引っかかると判断されて、共謀罪の罪に問われかねません。デモしたひとだけでなく、
その仲間も、ビラを作ったひとも、共謀した、といわれるかもしれない。
不気味なのは、277の中に『往来危険』『騒乱』という項目があることです。
これはもう、黙ってビラ配りしてたって、『往来危険』だと言われるかもしれないし、
これまでのようにちょっと『安保法制反対!』などと一言言っただけでも、『騒乱』罪
に問われるかもしれない。参加して無くても主婦同士の政治を考える仲間だというだけで
一網打尽?!
『騒乱』なんて、取り締まり側の判断でいくらでも罪に問えますからね。

恐ろしいのは、デモやビラ配りを計画しただけで、ちょっと相談しただけで
罪に問えるということ。現実的には、要するに、そういう運動をしている人々を
常時監視していよう、ということにおそらくなるだろうということですね。
すでに、ネット監視法もある。いくらでもこうした政治活動を監視することが
出来ます。

つまり、本当に怖いのは、実際捕まるとかいうことではなく、そうした
監視が強化されることによって、一般人の『萎縮』が始まるということです。
『触らぬ神にたたりなし』『物言えば唇寒し』というような過度の忖度や
臭いものに蓋、事なかれ主義、日和見主義といった精神の萎縮が世の空気に
なっていく・・・
そうなった社会にもう自浄力はありません・・・
本当の怖い独裁は、ここから始まります・・・

今ならまだ共謀罪とか改憲の芽はつめる。
でも、そうなんです。野党がだらしなくて、それが出来ない。
国民やジャーナリズムが大きな声を上げることなんですけれどね。
50%ものひとが安倍政権を支持し、ジャーナリズムが取り込まれてるんじゃ・・・。

もうね。書いてて絶望しますけれどね。
出口は・・・国民が頑張って、全く新しい政党を作ることしかないのかなあ。





Re:愛希さんへ

愛希さん。こんばんは~。

オーウェルの『1984年』。 はい。いつか読んでくださいね。^^
私も昔一度手には取ったものの読み通せなくて、今回改めて読みなおしてみた
のですが、あまりに陰惨なので、読んでいて暗澹としました。この小説、どうやら
昔から、読者が途中で読むのをやめてしまう確率が高いので有名な本だそうで。><
トランプ政権誕生や、国内の政治の有り様や、自分自身の家の事情などで
気分が落ち込んでいるときでしたので、読むのが苦痛と言うより、あまりにも
ここに書かれている状況が他人事に思えなくて、そら恐ろしかったです・・・。

でも、アメリカでこの本は、学生たちの必読書であるという。
どういう読み方をされてきたのか、もしかすると、反共主義のプロパガンダ本
という読み方も出来ると思いますが、とてもとてもそんな浅薄なものではなく、
私には、オーウェルによる、人間存在というものの本質的に持つ弱さ、恐ろしさ、
愚かさ・・・などというものへの仮借なき追及・・・であるように思われました。
これはもう、どこの国がどうとか政治思想の右左がどうとかいうことを超えた
人間への警告書であるように思います。

『共謀罪』法案。でもそれを『テロ等準備』の防止のための法案、オリンピック
のための法案、と、それこそ言葉を変えれば、多くの人が納得してしまう・・・
年寄りは、『治安維持法』という同質の恐ろしい法律が過去日本にあったことを
直接間接、漠然とにしても知っていますが、若い人は知りませんからね・・・
『テロ』『オリンピック』などというわかりやすい言葉を用いれば、すらりと
受け入れてしまうのかもしれません。
あるいは、危機を利用し危機を煽れば、国民は騙されやすい・・・
中身は伴わなくともわかりやすいスローガンをひたすら繰り返していれば、国民は
そういう気分になる・・・
そこのところをこの政権は、よく知り尽くしていますね。
これまでも、どれほどそうした巧みな言い換えや意識操作が行われてきたことでしょう。
『積極的平和主義』などというものがその典型例です。
『アベノミクス』『この道しかない』などというのも、巧いですねえ・・・

『都合の悪い過去を消し去る』という、この『1984年』の中で極端な形で
行われていることも、過去の自民党政権で行われてきたことと同じです。
とりわけ、安倍政権になって、それは露骨に行われている・・・
従軍慰安婦問題、日本軍の中国などアジア諸国への『侵略』・・・それらの過去を
消してしまいたくてしまいたくて、どれほど過去の自民党の政治家たちは
あれこれ画策してきたことか。
教育基本法などに手を加え、教科書改訂にも圧力を加え・・・そうして最終的には、
『憲法』そのものから過去の不都合な真実を抹消してしまいたいのでしょう。

『過去なんか忘れて、今と未来を生きること、それが彼ら(戦中、戦後を生きた人々)
の願いだったのかもしれない。だから、彼らは過去を忘れた。過去は単なる思い出話に
なったのである。・・・過去を失う時、私たちは未来もまた失うのではないだろうか』

この高橋源一郎氏の言葉は、私がまさにこのブログで書ききりたくて、なかなか
書けないでいるテーマです。
火野葦平などの記事で一部取りかかってはいるのですが、まだ完成にはほど遠い・・・

敗戦後を日本人はどう生きてきたか。
それは、追及するには、大きな心の痛みや苦痛を伴うテーマだからです。
とことん追求すれば、私たち自身の親や祖父や叔父や・・・といった人々の過去を
暴かねばなりません。そして、その範囲は、途方もなく広い・・・
男たちだけでなく、銃後の女たちにもまた罪はありました・・・。

日本人は敗戦後、自らが生き延びるのに必死で、そのところを厳しく徹底的に
見つめてきませんでした・・・
その膿が、今、噴き出ているのだ、と私は思っています。
言い方を変えれば、日本人は戦中も、戦後も今も、本質的に少しも変わっていない、と。

・・・そのことを言い切る。書き切るのは、私のような者にも、実はかなりの苦痛です。
自らも、周囲の人々も・・・仮借なく問い詰めねばならなくなるから。

でもそれを徹底的にやってこなかったから、今の日本の様々な混乱がある。
ドイツはそれをやったんですね。
文字通り、身を切るような想いで、真実をぎりぎりと見つめてきたのです。
だから、ドイツは『脱原発』にも踏み切れた・・・そう思います。

ほんと。おっしゃるように、過去を見つめないものは、未来も見られない。
自分を見つめないものは、他人も見えない・・・ということも言えます・・・

フランスの幼稚園。すごいですよね・・・
子供たちがすごい。
私はね。『子供は半人前の大人だ』『未完成の存在だ』という日本の子供観が
嫌いなのです。だから、『ちびっこ』という言い方が大嫌いです。
(安倍総理の叔父さん、佐藤栄作元首相の夫人が言い出した言い方だそうですが。><)
子供はそれ自体が、そのままで完成した存在です。半分、四分の一の大人、なんかじゃない!
実は、子供の理解力は想像以上です。

このことをしゃべり始めると、記事三つくらいまた書けそうだけど(笑)、でもほんと
私はそう思っています。

すべての子供たちに安全な未来を渡したいですね。
愛希さん。ありがとう~~~!

えっ!今頃になってかよっ!

核シェルター、ミサイルが着弾したら、核ミサイルが爆発したらの対処の話がちらほらとテレビで放送してる・・・

「えっ!今まで、お前ら何してたんだよ?」と激しく政府にツッコミたい今日この頃。

共謀罪?酷いねぇ、やっぱ安倍がヒットラーに見えてきたよ、でも野党が本当に情けないから「民進党に至っては分解しちゃいそうで・・・ポンコツとガラクタの寄せ集めらしいと言えばらしいんだけど」あまりに酷いわ。

北朝鮮も問題じゃが、政権与党の自民党も民進党に負けず劣らずのスクラップ集団なんで問題じゃのう、もっと悪いのが野党がポンコツで救いが全く無い・・・

はぁ、・・・出口は一体全体、何処に在るんじゃろうか?

No title

彼岸花さん、こんにちは。

ジョージ・オーウェルの『1984年』を、いつかは読みたいと思っています。そこに描かれていることが現実とならないようにと願いますが・・・。

先日の朝日新聞に、共謀罪法案に対して賛成35%、反対33%、若年層ほど賛成が多いと書かれていましたが、信じられませんでした。

どうしてこんなことになってしまっているのでしょう。

今日20日の朝日新聞オピニオン欄に高橋源一郎氏の記事が掲載されていて、そこで氏は、
「過去なんか忘れて、今と未来を生きること、それが彼ら(戦中、戦後を生きた人々)の願いだったのかもしれない。だから、彼らは過去を忘れた。過去は単なる思い出話になったのである。・・・過去を失う時、私たちは未来もまた失うのではないだろうか」
と書いていました。

勿論、皆が皆そうだったわけではありませんが、高橋源一郎氏が言うことに、私は納得できるものがあるんです。
アベさんやその取り巻き達を見ていると、彼らには未来のことなんて何も考えていないように見えるから。
そして、彼らは未来を失っているから、未来を考えることができないのだと、この記事を読んで思いました。

そんな人達にこの国の舵取りなどしてほしくないです。なのに、共謀罪に賛成する国民が3分の1程いるというこの現状、悲しいです。


この共謀罪について、東京オリンピックを安全に開催するためにも必要と政権は言いますが、そういうものを必要としなければ安全性が確保されないなら、止めればいいと思います。


それにしても、フランスの幼稚園の取り組みは素晴らしいですね。日本では難しいかなと思います。そんなことをするなら、文字や数字を教えてって言われると思います。
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
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