『立憲民主党誕生に寄せて ③』


今のこの政治ブログと化した私のブログが与えるだろう印象とは違って、もともと
私は、政治にあまり関心のなかった方である。
母も兄も政治に全く言及することなどない家庭で少女時代を過ごした。
だが。極端に貧乏だったので、幼心になんとなく、世の中の不条理、『この世は不公平なものだ』
という印象は漠然と抱いて育ったように思う。
自分が『持てるもの』と『持たざるもの』のどちらに属するかということは、もう事実として
日常、見聞きしていたから、本能的に『弱者』の側に立ってものを考えるよう育って
来たように思う。
だから、小さいときから、なんとなく、自民党や自民党的なものが嫌いだった!

それでも、特に私が政治に関心が高かったとは言えない。政治活動らしきこともしたことがない。
選挙権を得てからは、『アンチ自民』として、共産党か社会党のどちらかに票を投じ続けてきた、
という程度のもので、結婚してからも、相手が同じような考えの人であったので、我が家は
ずうっとアンチ自民としての『社共連合』というようなものを期待し続けて選挙のときだけ
票を投じてきた、いわばまあ、ノンポリ層である。



あの、2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた日・・・。
政治にそれほど熱心でなく関心も乏しかった私が目覚めたのは、そのときからだ。
それまでにも、チェルノブイリ原発事故以来、不定期ながら反原発団体に顔出し
してみたり、原発のことを調べてブログに書いたりはしていたが。

福島第一原発事故は、私の中に眠っていた、政治への怒りや、この世の中の
がっちりと組み上がった利権構造への疑問や・・・もろもろのこの世の『不公正』や
『不条理』への潜在的な怒りを一気に目覚めさせてしまった!

原発!・・・こんなものが許されていいのか!
ひとたび過酷事故を超せば、人の命も、人々の穏やかな暮らしも一挙にすべてを
失わせてしまう原発というもの。

(福島市には実は、私のつれあいの弟・・・優しい穏やかな性格の弟やその一家、また
母を早くに亡くしたつれあいの、母代わりのような存在でもあった義理の姉なども
住んでいる。)

・・・そこからだ。私が、政治について考えるようになったのは。
そして、原発についての情報を集め、その導入の歴史を調べ・・・その奥に
横たわる巨大な利権組織などのことを知って行くにつれ、原発の問題というのは、
水俣問題にも、沖縄問題にも、そして日本が侵した侵略戦争のことにも・・・
すべてどこかで繋がってくること。そして、それらはいつも同じ構造をしていることに
気がつくようになっていったのである。

一口に言えば、それは、強者が自分たちの利益をさらにうるために引き起こした
悲劇は、弱者が常に最大の犠牲者になる
、というようなことだ。
そしてさらに深く考えていけば、それは単に強者対弱者の構造に終わるもの
ではなく、大きな悲劇や大きな不幸は、社会の構成員がその不条理に無自覚
であることから時として生まれ、それが結果的に、自らや同じ社会の構成員を
苦しめるものに至る・・・
、ということだ。

元読売新聞社会部記者で、日本の売血制度を告発し、ペンの力で、日本に
献血制度を導いた本田靖春というジャーナリストがいた。
その人一人(いちにん)を詳しく知れば、その人の中に、この日本の不条理の構造が
ほとんど見えてくる・・・、というような、まあ私にとっては一つの大きな出会いであった
人がいる。その著書を通じての出会いということだが。
その本の書名は『我、拗ね者として生涯を閉ず』(2005年、講談社)

この人についての記事を、私は、福島第一原発事故から40日後ほどの
2011年4月23日に2本続けて書いている。


原発事故も売血制度もそのスタート時にアメリカGHQやCIAの関与があったこと、
そしてまた、それはたどっていけば、日本軍の中国における731部隊に
おける非道や、広島・長崎の原爆後のABCC(原爆傷害調査委員会:原子爆弾による
傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後に
アメリカ合衆国が設置した民間機関)の非人道性や、戦後66年経た東日本大震災・
福島第一原発事故の年になお残っていた731部隊の日本の学閥への影・・・
のことなど、いろいろなことがそこから芋蔓式につながっていって私を目覚めさせた・・・
いわば、私の勉強の原点ともいっていい記事である。

『我、拗ね者にして』 其の一 
『我、拗ね者にして』 其の二

同じ本田氏が、『村が消えた  むつ小川原 農民と国家』という本を出していて、
それが、福島の原発事故後まだ3ヶ月、胸の内に吹き上げる怒りの遣り場がなかった
私の中で、また、原発と戦中の日本の満蒙開拓団の関係、日本の農政問題
などと繋がっていく本であることを知ったときには、大きな驚きとある種の不思議さを
覚えたものだ。
私というひとりの人間の抱く社会への憤怒と問題意識が、会ったこともない一人の
ジャーナリストの書いた本の中に面白いように凝縮されていたことに。


この本についての私の記事。『貧しさの構図』

その人の言葉で、とても印象に残った言葉がある。それは、
『自らを守ろうとしないものは、だれも守らない』


国策として満州の地に渉り、そこの農民の耕した土地を簒奪するに近い
かたちで得て開拓農業を始めた人々が、戦争に負けて日本に帰るのだが、
そこでようよう得た土地での農業が、またしても国策で翻弄される・・・。
昭和40年代の新全国総合開発計画である!
『小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺、
ならびに八戸、久慈一帯に巨大な臨海コンビナートの形成を図る』という、壮大な計画
であった・・・・・・
(そしてその計画もまた頓挫して、ついにその地には、後にあの六ヶ所村
原子力関連施設が建つわけだ・・・。)

満州に渡って行った開拓民は、国策の被害者である。
しかし、彼らはまた、中国の民から見れば、彼らの土地を奪った簒奪者でもある。
戦後、またしても国策に翻弄され続けた彼ら。
農業を続けるか農業は見限って金を受け取るか・・・・・・。
しかし、金に踊らされ、土地を、農業を捨てたのは、彼ら自身の選択であった。
高騰する土地の買収金。賛成反対派で村は2分され、村長選挙では裏金が舞う…
本田氏は書く。
『開拓地に酪農が根づかなかったように、戦後の選択であるはずの民主主義も、
下北には根を張ることがなかった。
『自らを守ろうとしないものは、だれも守らない。』


この本田氏の言葉の『下北』という部分を『日本』という言葉に置き換えれば、
『戦後の選択であるはずの民主主義も、日本には根を張ることがなかった』となる。

『自らを守ろうとしないものは、だれも守らない』というこの言葉を、
今、日本の民主主義の危機ともいうべきこのときに、私は、
胸の鋭くうずくような痛みと共に思い出すのだ。


私たち日本人は、今度の選挙がどれほどのおぞましい変革を・・・
極めて、極めて悪い方への変革をもたらすかということを自覚し想像して、
それに向かおうと、果たして、しているであろうか?



あのような事故を経験しその被害者である福島の人々がその生活再建の鳥羽口にさえ
つけていない人々も多くいる中、この国で、またしても原発は次々に再稼働されていこうと
している・・・。また、それを願う立地自治体の人々がいる・・・。


私は、あの事故後、憲法を何度も何度も読み、ここでもずいぶん記事にしてきた・・・。
安倍首相が『みっともない憲法ですよ』と言って、今、無残に蹂躙しようとしているその
日本国憲法が、私は大好きでたまらない!

こんなよく出来た憲法があろうか、とさえ思う。
数ある私の好きな憲法の条文の中で、もっとも好きな箇所の一つ。それは、

日本国憲法第第十二条『この憲法が国民に保障する自由
及び権利は、国民の不断の努力によって、これを
保持しなければならない。





(この記事続く)

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Re: やっちゃんさんへ

やっちゃんさん。こんにちは~。
>
> 気候の厳しい東北各県において「飢饉」は決して昔の話ではなく、
> 昭和に御世においてもそれは深刻な現実でした。
> やっちゃんも東北飢饉に関する資料を何度か読んだ事があります。
> 言語に絶する厳しさなんですよね、、、。
> うかつに書く事ができないぐらい、、、。

そうなんですよね~~~・・・。
やっちゃんさんは、よく勉強してらっしゃるなあ!いつも感心してしまいます。

貧乏暮らしには慣れて驚かない私も、昭和40年代も半ばになってなお、東北それも
青森の下北、という本土最北端の人々の暮らしが、このようだったと言うことは、
本田さんのこの本を読んで初めて知って驚いたくらいなんです。
1970年代と言えば、記事にも書きましたけれど、アンノン族、などといって、女性雑誌
アンアンやノンノなどの創刊で、女性たちがお洒落や旅行、美味しいものなど、今の
instagramブームのはしりのようなものに目覚め、華やかで明るい生活というものが
ようやく庶民それも女性たちの手に届こうとしていた時代です。
苦学生だったあたしは、そういうものからは全く遠いところにいたけれど。(笑)
あたしが、自分で本を見ながら洋裁するようになったのは、お洒落なお店などで洋服を
買うことなど出来なかったからだし。><

それでもね。こう・・・豊かになっていく時代の空気は知ってはいた。
ところが、そんなもの、まるで届いていない地域もあったわけですよね・・・

そういう日本の豊かさの実感が届かない地域に住む人々・・・が、新全国総合開発計画や
原発誘致計画に飛びつく気持ちは、私にはすごくよくわかるんです。だから、決して
それを批難しているわけじゃない。
原発誘致に関しても、別の過去記事で、福島に第一原発が誘致され工事が始められた頃の
NHKかな?ドキュメンタリー映像を紹介しているのですが、そこに映し出されている
1960年代ごろの大熊町の海岸段丘の風景や、農地のそれなどは、自分が住んでいた
九州は福岡市郊外の、あの時代の空気感を思い出させて、はっとするほど懐かしかった。
時代の空気というものは同じなんです。
でもね。新全総はともかく、原発誘致は、結果的にあのような事故を招いてしまった・・・
福島は責めることが出来ません。ほんとに『知らなかった』ひとも多かったのでしょう・・・。

けれども、福島第一原発事故が起こってなお、地元に原発を誘致したり再稼働を
願う人の気持ちは、理解が出来ないです。衰退していく地元に産業を誘致したい、
その気持ちはわかる。でも、それは、原発以外のものであって欲しい。
いったん事故が起きれば、誘致に賛成したひとばかりではない。やっちゃんさんのように
原発に厳しく反対運動している人も等しくその被害は受けます。
誘致の利益を享受していない周辺自治体の人々にも同じく重大な放射能汚染は及ぶ。
もっとも汚染のひどい自治体の一つ、福島県飯舘村は、村人が知恵を出し合って、
飯舘独自の農業を目指し、創意工夫をして、農業で自立、を実行してきていた土地
でした。同じく事故被害のひどかった浪江町も、街としては原発誘致に反対してきた・・・
それなのに、福島第一原発は、浪江町をもっともひどく汚染し、そこの住民は、
町ぐるみで避難することを余儀なくされてしまいました・・・

この理不尽はいったい何なのか!
それを考えてみないわけにはいきませんでした・・・。被災地の人々への共感の想いと、
自己の本質を考え抜くこととは分けて考えなければならないと私は思っています。
それをごっちゃにしては、あの事故の本質を見失ってしまう・・・。

真剣に考えるべきは、どうしたら、原発誘致などしないで、地元の人々も豊かな
暮らしが出来るか、ということなんですよね。おっしゃるとおりなの。
それをね。政治も、また原発誘致と関係ないと思いつつ電気の恩恵だけは
受けているその他の地域の人々も、共に考えていくべきなんです。
原発の収束の仕方、高レベルから低レベルまでの核廃棄物の始末をどうするか、
ということも、これはもう原発に反対賛成の別なくみんなで考えていかなければしようがない。

> 原発立地都市はとにかく財政があまりにも厳しい。
> 地元市民(他、利害関係者全て)にとって、
> 傍から「脱原発」と声高に叫べば叫ぶほど、反発を感じるのも無理はない。
> だけど、過酷事故が起こった時、周辺自治体の蒙る被害は
> もう2度と取り返しがつかない。
> 両者の利害関係を歩み寄らせて解決の道筋を示せる
> 知恵と実行力と予算をもった救世主(官僚とか政治家とか?資本家?)
> が、なんで6年経ってもいまだに出てこないんやろう、、、って。
> 日本人は優秀やと思ってたけど、大きな間違いやったなあ、、、って。

本当に。ほんとうにそうですね!
いくつも道はあるはずなんです。日本人は創意工夫に富んでいるはずなのだから。
事故後も数々の取り組みがなされてきました・・・
でも、それをまた、政府、電力会社など経済界や、『連合』の一部である電力総連など、
利益関連団体が、遮二無二つぶしにかかる!
九州電力などはひどいですね。

でも、原発を誘致しないでも町を存続させてきた自治体はあります。飯館村などが
そうだったのになあ!それを思うと、やっぱり私は腹を立てずにいられない・・・
同じことは、日本のあの戦争や満蒙開拓団などにも言えて、違う道を示した人々は
いたんです。
でも、そういう声は、時代の大きなうねり・・・国民の総意、の中にかき消されてしまった・・・

例えば、あの国を挙げての大政翼賛体制の中で、ジャーナリストとして反骨を貫いて
戦争批判をし続けてきた後の政治家石橋湛山などは、日本の植民地放棄、中国アメリカなど
近隣諸国との関係回復による貿易立国の道を、当時も訴えていました。
彼の示した方針は、日本が戦後に採って日本を復興繁栄に導いた道、そのものでした。

『この道しかない』・・・
それは、ときに、容易で危険な思考法ですよね。悪い政治家ほど、その言葉を
よく用います。><

そうそう。育ちとは関係ないんですよ。チェ・ゲバラも決して貧しい出自ではなかった。
彼は豊かな家庭の子弟ですよね。それでもあの独立闘争の道に走った・・・しかも
自分の生まれた故郷でさえない国のね。
チェ・ゲバラかあ・・・やっちゃんさん。いいですね♪ ^^

今の日本にはろくなリーダーいないけど、いたとしても、その力及ばずと言う
ことが多いのだけれど、あきらめたくないですね。

やっちゃんさん。ありがとう!

No title

『貧しさの構図』読ませて頂きました。

気候の厳しい東北各県において「飢饉」は決して昔の話ではなく、
昭和に御世においてもそれは深刻な現実でした。

やっちゃんも東北飢饉に関する資料を何度か読んだ事があります。
言語に絶する厳しさなんですよね、、、。
うかつに書く事ができないぐらい、、、。
最近、つくづく考えるんです。

原発立地都市はとにかく財政があまりにも厳しい。
地元市民(他、利害関係者全て)にとって、
傍から「脱原発」と声高に叫べば叫ぶほど、反発を感じるのも無理はない。
だけど、過酷事故が起こった時、周辺自治体の蒙る被害は
もう2度と取り返しがつかない。
両者の利害関係を歩み寄らせて解決の道筋を示せる
知恵と実行力と予算をもった救世主(官僚とか政治家とか?資本家?)
が、なんで6年経ってもいまだに出てこないんやろう、、、って。
日本人は優秀やと思ってたけど、大きな間違いやったなあ、、、って。

でもやっぱり結局リーダー次第なんだと思います。
道筋を示してくれるのは。

今、やっちゃん、「チェ・ゲバラ」にちょと嵌ってるんですけど、、、
国家のリーダーは、一番貧しい国民に精神を寄り添える人物でないといけない、
とほんとに腹の底から思います。

特権階級に育ったボンボンであってもそこはその人の資質次第。
貧困に喘ぐ人々に心を添わせることのできる人は存在する。

そんなリーダーが早く出てきてくれないでしょうか、、、?
わたし達の血税を食い物にするリーダーはもういらない。


プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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