『父の家計簿』


父は、極めて几帳面なひとであった。
明治の人であったから、学校は高等小学校というところまでしか出ていない。
今で言う中卒である。
でも、大抵の人が小学校で勉強を終えてしまうのに比べれば、まあ
ましだった方かもしれないが。
都会に生まれていれば、そうして家庭の事情が許すならば、もっと上の学校まで
行って勉強したかったに違いない。
漢字などは自分で学んで、本当によく知っていたし、字も達筆であった。
何かあると、近所の人がよく手紙の代筆を頼みに来ていたらしいから。

前にも書いたが、彼は農家の長男。動くに動けない。
しかし、夏畦と司峰という名の二人の叔父は、東京横浜まで出て上の学校で
勉強していた。
その二人がちょうど今頃、夏休みに入って帰ってくると、父は蔵の二階の涼しいところで、
二人に英語などを習っていたという。
きっと本当に、上の学校で勉強したかったんだろうなあ。

何回か書いているので、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、父は家族とわかれて後、
一人で仙人のように、高原の村で暮らし、82歳のとき、どうにも体が
云うことを聞かなくなる前に、自分で自分の人生に決着をつけた。

私は、その日の夜、12時近くに、兄から連絡を受けた。
すぐに行こうにも、もう新幹線も飛行機もない。
兄は、どうせもう間に合わないのだから、明日慌てないでゆっくり来い、という。

翌朝早朝。私は夏休みに入ったばかりの小学校5年生の娘を起こし、新幹線に乗った。
小学5年生と言えば、奇しくも私が『故郷の廃家』ブログの最後の記事で書いた、
あの父と私の思い出の夏の、私の年齢と同じである。
それまで私は娘に、おじいさんはもうとっくの昔に亡くなっている、と
話していた。それがいきなり、朝早くたたき起こされて、祖父の葬儀にはるばる
九州まで連れて行かれるのだから、娘は何がなんだか最初はわからなかったに違いない。

九州に入ると、私たちは小学校5年生の時の私が辿ったとは反対側の方から、
父の待つ高原の町に近い駅に近づいて行った。
方向が違えど、丈高い夏草が列車の車体すれすれをかすめ、時折なでしこなどの
やさしい姿が見てとれるのは、25年前とそっくり同じであった。
深い、恐ろしいような渓谷が眼の下を通り過ぎるのも。
最寄りの駅についたのは夏の日も暮れてしまった時間帯だった。
駅から高原の間の暗い暗い道路を縫ってタクシーを飛ばす。
人っ子一人いない夜の暗い高原の上空に、青白い月がかかっていて、
それはなにか、父の死そのものとその時の私の心情のように、凄惨を帯びた風景であった。

まあ、そこからの細かいことは省略しよう。
愉快な話でもないから。

さて。葬儀も終えて、兄と私は後片付け作業に入った。
父がそれまで借りていた家を畳まねばならない。家財道具一切を処分して
家を空にして村に返さねばならない。兄も仕事があるし、娘は林間学校が近づいていたので、
一日半ですべて終えねばならない。
片づけの指揮は兄と、それから父の妹の息子で、小さい頃から兄とは兄弟同然に育ち、
父が非常に可愛がっていた従兄弟が執った。彼はまた、故郷の村に父が一人
帰って以来、本当の息子のように、何くれとなく父の世話をしてくれていた人物である。
長姉はその時体を壊していて、手伝うことができなかった。

父は近所の人に慕われていたらしく、大勢の人が炊き出しなども手伝ってくれていたので、
父が貯めていた道具類や家具などは、近所の人に貰ってもらった。
珍しいオレンジ色のツツジなどの庭木も隣家の人が欲しいというので差し上げた。

父は身ぎれいに住んでいて、布団など新品のものは兄嫁が広島に持って帰るという。
食器類などのめぼしいものはやはり兄嫁がより分けて、残りは近所の人に
貰ってもらった。
町の老人会が毎年送ってよこすシーツやタオルや、何やらかやの品々も、
父の手で、一つ一つの箱に『シーツ。・・年、町からのもの』などといちいち書いてあるのを、
ああ、几帳面だった父らしいなあ、と思いながら、私は涙をこらえて
手早く処分していっていた。それらも兄のところが車で持ち帰る。

『・・・ちゃん。あんたぁ、何か欲しいものがあったら、取り分けといて持って帰りんさい。
私が後でまとめて東京に送ってやるけぇ。どうせここに置いとくわけにもいかんのじゃから、
なんでもどんどん選びんさい。」
兄嫁は目を真っ赤にして、淡々と作業を進める私にやさしく声をかけてくれる。
しかし、私は一切、父のものを持ち帰るつもりはなかった。
私たち母子を捨てた父が憎かったからではない。
この父の死にざま、この寂しい葬儀の後で、そんな恩讐などとっくに私からは消えていた。

私が、「なにもいらない。」と思ったのは、これまで父をひとり、この高原に
住まわせて、手紙一つ、盆暮れの贈り物一つしてやらなかった私が、いったいどうして
父の形見など、貰って帰る資格があろうか!と思っていたからである。
従兄弟の奥さんや、兄嫁は父と連絡もとって、何くれとなくやさしくしていた。
だから彼女たちが皆、必要なものは持って行ってくれればいい。
私はなにもいらない、この父の葬儀のありさまだけを深くこの心の奥に刻んで、
これから一生悔いて過ごすのが、私に課せられた報い……そんなふうに考えていた。

さて、選ぶものを全部選び出した後、あとに残ったガラクタ類は、
兄と従兄弟が、高原の従兄弟の家の空き地に大きな穴を掘って、そこで燃やすことになっていた。

仕分けの最後の方で、「あっあっ!これは私が欲しい!」と、私のこころが叫び声をあげた品が
二つあった。

それは、父の家計簿と父の着ていた黒いとっくり襟のセーターである。

そのタートルネックのセーターは、「父がこんなお洒落なものを着ていたのか!」と思ったから。
だいぶ着こんではあったけれど、綺麗好きの父らしくきちんとたたまれてたんすに入っていて、
虫食いの穴一つなかった。それを着た父の姿、父の香りが想われ、よほど、
「これ、私が貰う。」と言おうかと思った。

私がまだごく幼かったころ。ある冬の夜。父が囲炉裏のはたに座っている。
私は胡坐をかいた父の膝の上にすっぽりと収まっている。
父がふざけて、私の頭の上で顎をカクンカクンと鳴らす。
私は喜んで上を見上げる。その頃すでに半白になっていた父の顎鬚が見える。
手を伸ばして触ってみる。ジョリジョリした感触…。
父の温かい息が私の頬にかかる…
あれはいったいどこでだったのだろう。自分たちの家でなかったことは確か。
長姉の嫁ぎ先の居間ででもあったかなあ。
そんな淡い記憶を呼び起させるような…父の衣服…

もう一つの家計簿、というのは、ただの黒いビニール革の表紙の、B5版くらいのノート。
手早く遺品をより分けている最中にふと手に取った。
開いてみると、父の亡くなる年の、家計簿兼日記であった。
書き込みは、亡くなる前のひと月前くらいまでの日付まで。
ああ、このあたりで父は覚悟したんだな、と思った。
日記と言っても、父の心情などは一切書いてなく、誰それと郵便局で会った、だの、
町会から、タオルを貰った、だの、・・子(長姉の名)が菓子を持ってきた、だの
他愛もない、その日の出来事が一行くらい書いてあるだけ。

あとは、父の几帳面な筆跡で、その日使ったお金の明細が、毎日きちんと
書き連ねてあった。
見れば、「ああ、この日、鯖の干ものを焼いて食べたのか!」などということが
事細かにわかる…。

「これとセーターだけ、貰おうかな」…そう正直思った。
しかし、ちょうどそのとき、兄が、首にかけたタオルで汗を拭き拭き庭からやってきた。
そうして、手をとめてぼんやりノートを見ていた私に、
「さあ、どんどん選んで燃やさんと、間に合わんで。」
と声をかけてきた。私は反射的に、いらないものの山の中に、その2品を
入れてしまったのである……ああ…!

今になって思えば、なんて馬鹿なことを!と思う。
誰に遠慮はいらなかったものを…
でも、私の、もう取り返しようのない父への負い目と、親類の者たちへの
つまらない意地がそうさせたのであったろうと思う。

あの手帳が今でもここにあれば、父の生活の跡をつぶさに想像し、
父がいつでも身近にいるように思えただろうに…つくづく愚かな娘である…。



7月20日。今日は、父の27回目の命日・・・。
スポンサーサイト

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

Re: 28日夜の鍵コメさんへ

鍵コメさん。鍵コメさん。
きゅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ♪

訪ねて来てくださって嬉しい。
どんなにあなたをしょっちゅう思うか…。
花が咲いてはあなたを想い、詩を読んではあなたを思い、
ああ、あなたと話がしたいなあ、などと思うことが
度々よ。

だいじなおともだち。
白いいい香りのお花さん。

そばにいたら、一晩中でも話せるのにね。
ずっとただ黙っていっしょにいるだけでもいいのにね。
あなたが今夜話してくれたこと。私、いやな夢も食べてくれるバクのように、
そっとこの胸に食べて納めるわね。
いつでも、ああ、しんどいなあ…と思ったら、彼岸花バクさんに話しに来てね。
ここに来る時間がなくっても、悲しい時や、いやなことが胸に溜まったら、
離れていても、真夜中でも、いつでも、
『バク食べて、バク食べて、バク食べて』って3回唱えてみてね。
そしたら、彼岸花バクさんが、いやなことはみいんな食べてしまいますから。^^
『バク食べて』って、3回言うのよ。

昔ね、私、ある人にね。とてもつらいとき、こう言ってもらった。
『それじゃあ、魔法の消しゴムあげるから、これで、自分が言ったこと、
悲しいこと…、けしけししなさい』って。

その魔法の消しゴムは、使いすぎてもうだいぶ汚れてすり減って、差し上げられないから、
代わりにバクさん。^^

鍵コメさん。鍵コメさんは優しい方もそばにいらっしゃるし、
いつか、夜の浜辺で、渡り鳥たちがくわえて来て落として行った流木焚いて、
その焚火の明かりのもとで3人で夜っぴてお話したいね、と言っていた彼女がいるし、
一人じゃないヨ。
妹さんも一緒に女4人で流木の焚火を見つめましょう。
妹さんにそう言っておいてくださいね♪

今日は東京は、やさしい雨が降っています。
もう、秋の雨だなあ……

今晩は、この曲聴きながら眠りますね。おやすみ♪











ほんとにたずねてくださってありがとう。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 依里さんへ

依里さん。
お父様の「あ」の字の書き方が好き、って、いいお話ですねえ。
本当、親子って妙なところが似るんですよね。
指の形とか、耳とか。
顔は似ていなくても、足の親指の形が姉妹皆似てる、なんて描いたあった
漫画がありました。太田垣晴子さんていう漫画家ですけど。
私はどちらかというと、父似だと思います。O型のRhマイナスなどというのも
兄妹で私だけが受け継いでるし。
でも、父と暮らした日々は本当に僅か。父の細かい特徴などはわからないんです。
きっと手の形とかそういうとこ似てるんだろうな。

几帳面で、記録しておく癖、というのは、依里さんのお父様と似てますね♪
お父様の特徴のある字・・・。そういうものは本当に故人を何より
生々しく偲ばせますね。大事にとっておかれるといいですね。
私もあの、父の家計簿代わりのノート、本当にとっておくんだったなあ。
誰に遠慮していたのか、昔も今も、自分は馬鹿だなあ、と思ってしまいます。

物の価格も含めて、何よりの生活記録、そして息遣いまで聞こえてきそうな
生身の父が見えたでしょうにね。

依里さん、ありがとう。
この記事に反応してくださって、とっても嬉しかったです。

No title

何だか凄い偶然を感じてしまいました。
私の父も几帳面な人で、独身時代下宿していた頃、家計簿の様なものをノートに書いていました。

達筆、なのかどうか分からないけど、独特な字を書く人でした。手書きで書類を作っていた時代。手書きで書かれた土地関係の書類を書類カバンの中に見ては、顔も指の曲がり具合も何もかもそっくりなのに、なぜあの字だけ私に遺伝しなかったんだろう、と思いました。あの字が好きでした。

その字で書かれた家計簿。いろいろなものが何十円と書かれていました。貨幣価値が随分違うな。。。と思いました。

写真でしか分かりませんが、素敵なお父上ですね。彼岸花さんとはいくつか共通点を感じて驚くのですが、父の風貌だけは共通していないかも。。。お世辞にも美男子とは言えなかったから。。。

Re: そらまめさんへ

そらまめさん。ありがとう。(深々と頭を今下げてるのよ。)
私の心に寄り添って書いてくださったとわかるお手紙、ほんとに嬉しいです。
何とも言えず温かく、何とも言えずやさしいお手紙。
今も、morinof さんという方のやはりお父様を想うせつない文に
返事を書かせていただいていて、あらためて自分の『宿業』というようなものに
つくづくあきれ果て、父への想いでいっぱいになっていたところでした。

そらまめさん。ご両親がお元気でいらっしゃるうちにうんと孝行して差し上げることですよ。
と言っても、一緒に暮らせないのであれば、直接そうしょっちゅう孝行できませんね。
でも、電話一本、メールの一通でも親は十分に嬉しいのです。
ぜひこまめに連絡して差し上げてくださいね。
元気なうちでないと、もう手紙も電話も届かなくなるんですから…。

そらまめさんが親孝行でやさしいお嬢さんでいらっしゃるのは、文の端々から
伺えますよ。ご両親は幸せよ。親子が仲がいいって麗しいこと。
とってもとってもすてきだと思う。

孫の顔は、そうですねえ。こればかりはうちは多分、拝めません(笑)。
でもいいんですよ。娘はこれまででももう十分親孝行してくれたと思ってる。
あとは彼女が自分の人生を生きればいい…
あ。親というものは、そういう風に思うものなんでしょか。
そらまめさんのご両親もきっとそうだと思います。
とすると、父も私を許してくれていたかなあ…。

そらちゃん。本当にありがとう。

Re: morinof さんへ

morinofさん、冬にいつか書きます、と言っていた、父の手帳の記事、
ようやく書くことができました。

お父様からmorinof さんへのお手紙…。
親のこころというものは、なんとせつないものなのでしょうか!
お元気なころは、家具でもなんでも、家まで建ててしまうそんな家族想いの
お父様が、お体を悪くされて、気持ちはあれど子供のためにもうあまりいろいろ
してやれない……。そのせつなさを綴った手紙。
どんな深い想いでお書きになったでしょうか!
そのお姿や心を想像すると、わがことのように身にしみて思われます。

でも、私自身に照らして見ても、若いうちは自分の生活に夢中で、
そうした親ごころのせつなさには想いがなかなかいかないんですね。
私も、『母のファイル』を持っています。少女雑誌か何かの付録の
安っぽいファイルに、母が、私からほんのときたま出した手紙や、
幼い娘が描いた絵や、入学式の写真やが、きちんと収められています。
「ああ、母は一人の寂しい夜な夜なに、このファイルを見ていたんだろうなあ、
そして遠くに暮らす私たちのことを想っていたのだろうなあ。」
そう思うと、たまらなく母が愛しく、胸が痛みます。

まして。父には手紙一本書いてやらなかった私…。
父の晩年の寂しさを想うと、私は自分の胸をかきむしってもかきむしっても
どうにもならないほどの後悔と哀惜の念で、じっと座っていることさえ
出来なくなってしまうのです。

No title

>一生悔いて過ごすのが、私に課せられた報い

読んでいて切なくて涙が出そうでした。(酔いのせい?失笑)
思考が似ていると感じたのか、どこかその時の彼岸花さんに共感して
しまいました。

私は親戚が驚くほどに父親とも仲が良く(性格が似ているらしい・笑)
不満も多少は感じつつも切り離せない親子の情みたいなモノを父にも
母にも感じています。
自他共に認める孝行な娘だと思っています。(←自分で言うかなぁ?笑)
親の存在の大切さも理解してます。

だけど離れているとナカナカ親子ってのは素直にはなれなくて、それは
距離があればあるほどに・・・『他人以上に理解できない相手なのかもしれ
ない』とか極論を抱いたり。
なのに年老いた両親を感じると、最後まで同じ時間を過ごせはしないのだと
痛感して悲しくなったり・・。

とにもかくにも、親を思う時は切ない気持ちになるのでした。
彼岸花さんはプラス娘さんがいるのですからね、時の流れの切なさは
ひとしおでしょうか。
私は出来るだけ一緒の時間を過ごして上げたいと思いますが・・・親にして
みたら『孫』の顔が一番の望みなのかもしれませんけどね。(苦笑)

 昨年の秋、屋根裏部屋に仕舞っている若いころからの「自分資料」を
探していたところ、20歳の私充てに届いていた父からの手紙が出て来ました。
不思議なもので、ちゃんと封も切られ読んでいるのは確かなのでしょうが
その時読んだという記憶が全くありません。
そのころ病床にあった父親としての不甲斐なさが遠慮がちな言葉で
書かれていました。49歳なんて今に考えれば、まだ血も熱く夢多き年齢。
今、遥かその年を越えて手にする父からの手紙に、あの時どうして
もっとこの文面から父の気持が汲み取れなかったのかと悔やまれなす。
彼岸花さんの『父の家計簿』を読みながら、そんなことを思い浮かべています。

Re: 手帳さんへ

はい。とっても優しい父でした。
私、一度も叱られたことがありません。
また、父が人のことを悪く言うのも聞いたことがありません。

あまりいい人なので、それが母には歯がみするほどじれったかったのかも。

口元が初々しい…。そう言われればそうでしょうか(笑)。
亡くなったときの顔は、それはそれは立派でした。
こんな凛々しい顔だったかなあ、と思うくらい。
奥歯をぐっと噛みしめて、口を引き結んで、少しの緩みも見せない
綺麗な綺麗な顔でした。

私は父の実像の十分の一も見てなかったのだと思います。
ああ、あのノートを貰っておけばよかったなあ、父の息遣いが
聞けたのになあ、と今でも思いますが、まあ、それが私という人間のさだめなのでしょう。

昔の人は、大体に、顎がしっかりしていますね。
固いものもしっかり食べていたからなのでしょうが、やはり何より、
いろんなことをぐっとこらえていたからかもしれませんね。

こうやって父の顔を出してみてよかったな。手帳さんに褒めていただけたし、
あらためて父ってほんとにやさしかったなあ、と思えますし。

ありがとうございます。嬉しかったです。

No title

優しそうな方ですね。
口元が50代の方の様には見えません。初々しい感じ。
無口な方は見苦しい口元にはならないようですね。
あの時代の方は黙って辛抱されていたのだとこの頃解るようになりました。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード