『月に寄せて』 「愛しき(かなしき)もの」その七 

昨夜は十六夜の月だった。

夕方5時過ぎ、買い物に出ると、東北の方角あたりの低い空に、
卵の黄身のような色の大きな月がかかっているのを見た。
思わずはっとするほどの大きな月である。

もう、20年近くにもなろうか、朝日新聞の天声人語に、月の大きさの実感を
世代ごとに訊ねてみた、という話が書かれていたことがある。
記事が手元にないので正確な数字ではないかもしれないが、
若い人に訊くと、月の大きさは実感で言うと、一円玉くらい、と答える人が
多かったそうだ、それに対し、高齢者に同じ質問をすると、一メートルくらい、と
答えるというのである。
私ももうすぐ高齢者の仲間に入れられる年齢だが、まさか一メートルとは!
いくらなんでも思えない。
でもそういえば、昔の童謡などの挿絵、例えば、『しょうじょう寺の狸ばやし』などの
挿絵には、踊る狸の背景に大きな大きな満月が描かれていたような。
若い人ほど現実的にものを見、お年寄りは月に夢をまだ抱いているということだろうか。
でも、昨日見た夕方の月は、一メートルというのは大袈裟にしても、
随分大きく見えた。

昔、「蛍雪時代」という大学受験生向けの雑誌があった。
つまり、昔の人は、夏は蛍の明かりで、冬は雪明かりで勉強していた、という
謂れから出た誌名であったが、蛍、雪と並んで、月明かりの明るさも
忘れるわけにはいくまい。
ことに、寒くなるこれからの季節、天空に冴え渡る月影は、ぞっとするほどの
明るさである。

皆さんは、月の明るさを実感したことがおありだろうか。
恥ずかしながら、私が月の明るさを真に実感したのは、もう大人になって、
それも30歳を越えてからである。
あまりにも遅いと自分でも思うが、子供のころは、夕方暗くなる前に
遊びから帰り、夜外出することなどほんとになかったのである。
19歳で結婚してからは、また夜出歩くことなど全くなくなったので、
信じられない話だが、月が明るいものだと実感したことがなかったのである。
住む環境のせいもあったかもしれない。

市街地に住んでいれば、夜でも街頭やネオンが明るくともり、月の明るさを感じられない。
また、私がそうであったように、団地に住んでいると、その建物の向きの関係か、
窓から月を見る、といった記憶があまりないのである。
そんな私が月の明るさに気付いたのは、30歳を過ぎて今
の家に引っ越してからである。
或る晩夜中にご不浄に立って、二階の廊下の小窓からやけに明るい光が
階段の上に落ちているのに気付いた。
街灯?と思ったが、その方向に街灯はない。
小窓から顔を突き出して驚いた。月なのである。明るく辺りを照らしていたのは!

なんと迂闊なことであろうか。
そんな歳になって初めてそんな基本的なことに気づくとは!
まあ、その夜の月の明るかったことといったら!
お向かいの家のモルタル壁も物置も、そうして道路も、月が白々と照らし出して、
電柱や樹木の影などがくっきりと落ちている。
その不思議な、水の底にいるような感覚。

私はそれ以来、月を夜の友とするようになった。
夜、出歩いたことのなかった私が、深夜塾から帰るようになり、
家々が雨戸を暗く閉ざした住宅街の道を自転車で辿るときには、
夜空を見上げながら、離れて暮らす年頃の娘の夜の安全を毎晩
月に祈ったものである。

その娘とは、実家から離れて一人暮らしをしているそのアパートの部屋で、
皆既月食を眺めていたこともある。
あれは2000年7月の皆既月食だったかな。夜半過ぎから2,3時間の間、
明かりを消して暗くした部屋に母子並んで、徐々に部分食が始まり、
やがて、月がすっかり地球の陰に入って皆既月食となるのを静かに眺めていた。

「月はほんとにただの土くれなんだ!」
その時受けた衝撃はそのことだった。
毎夜のように、今は隣に座っているけれど、普段離れて暮らす娘の安全を祈って
願を掛けていた月は、ただの石ころなんだ!そう知った時の、今さらながらの驚き。
あんなに明るい月なのに、あれはただ、太陽の明るさを反射しているだけなのだとは!
肉眼で見ても、月の表面にでこぼこがあり、そしてそれは土の色をした
ただの塊、ということははっきりと見て取れた。
ああ、そのショック!
何か月を冒瀆したような、見てはならないものを見てしまったような、
そんな後ろめたい感覚と共に、太陽の光の強大さにあらためて驚いたものであった。
冴え渡った満月の夜には、月明かりで新聞さえ読めそうなのに、
あの明かりは月自身が発しているのではなく、ただ太陽の反射に過ぎないとは。
皆既月食のあの夜は、少し悲しみを知った夜でもあった。

だから、私は月をあまり大切に思わなくなったか?
いいえいいえ。
今でも私は月が大好きである。
立ち待ち、居待ちの月。十六夜、などという表現も大好き。
梶井基次郎『Kの昇天』
樋口一葉『十三夜』
中原中也『月夜のボタン』…などという月にまつわる文学作品もあるな。

今晩も月が明るい。
私は。私は、ある願い事を今夜の月にかけた。
月と私だけが知ること。
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: ノートさんへ

日本人の生活感情と月は本当に深く結び付いていますね。

私は昔から不思議に思っていたんですが、万葉集などに月の歌は
数多くあるけれど、星の歌ってほとんどないんじゃないでしょうか。
全部読んだわけではないので、何首あるないと言えないのですが、
少なくとも、学校で星の古歌を習った記憶がないんです。

昔の日本人にとって、星というのはどう認識されていたのでしょうか。
「すばる」という名をつけたりはしていたようですが、あまり、星の文化って
そもそもの日本には乏しいような気がしてなりません。
お月さまに比べて。ということですけどね。

その親しい月が、ただの土くれとわかった時の、その月食の夜は
今でも多少の心の痛みを持って思い出されます。

でも、今でも、月は大好きです。
とりわけ冬の凍てつくような夜に煌々と輝く
冴え渡った月は。

コメントありがとうございました。
返事が大変遅くなりました(笑)。
これからもどうぞよろしく。

月は偉大なり

昔は月の満ち欠けを元にした太陰暦を使っていました。
農業国の日本がどうしてこんなに使えない太陰暦を使っていたのか不思議でした。
わざわざ農業に使えるように二十四節気という「太陽暦」を加えていましたが。
なにせ、同じ月でも年によっては1ヶ月くらいの差がありますから。
1年13ヶ月の年もありますし。

でもよく考えると、テレビも現代的時計も無い時代。
人々が今日はいつなのか知る方法は一体なんだったのか。
たとえ暦が目の前にあったとしても、今日はその中のどの日になるのかはわかりません。

でも、そのとき空に月が出ていれば、大体何日くらいかはわかります。
そこに暦があれば、季節から何月何日かがおおよそわかる、と思います。

毎日月を見るというのは、今私たちが毎朝でかける前にテレビの朝ニュースを見るのと同じこと、かもしれません……かな?

ともあれ、月は偉大なり。

No title

子どものころからなぜか夜が大好きでした。
夜、おじいちゃんの背中から見上げた月、星、天の川。
4歳頃までのことだったのかも知れませんが、
そのちょっと寂しくて優しい時間が大好きだったなあって、後になって思ったんです。
懐かしい気持ちを思い出させていただきました。

No title

月は一番大好きな天体。
真昼に浮かぶ白い月もスキです。
月に纏わる話や写真を図鑑や雑誌で見ては様々な思いをはせたり。
中学の時に落とし玉(親と半分制度・笑)とお小遣いを貯めて買った天体望遠鏡で一人夜中、窓から月が見える日はよく覗いてました。

昔のヒトは夜の闇に光る青い月の光をどんな思いで見ていたのか・・・。

漫画【源氏物語・あさきゆめみし】に出てくる『朧月夜の君』は情熱的な性格。
彼女の性格に憧れつつ、名前のインパクトが最高でした。
『十六夜の月』同様に昔のヒトはなんて素敵な月の呼び方を作ったのだろうと深く考えさせられます。
昔ながらの日本語の響き・・・いいですよね。

No title

こんばんは。

高校のときのこの静夜思がとても好きで、
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
でも、ほんとに月の明るさを実感したのは大人になってからです。
夜なのに影がくっきりできる不思議さ!!
そしてその煌々たるその光と、夜明けと共に透明に、空にまぎれてしまうほどのそのかすかな光と、これだけの表情の違いを見せるのが、月の魅力的なところです。
楽しいときは忘れているのに、苦しいときに心を照らしてくれる愛、見守ってくれる優しさ・・・そんなものを月に感じます。

前の記事、削除してしまったのですか?
彼岸花さんが伝えようとしたその熱いものへの好意、
削除するときに危惧したこと、何となく分かるような気がします。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
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