『男の人の声、女の人の声』 「愛しき(かなしき)もの」その八 

演劇を志す者にとって、また、製作者や劇団など俳優を選考する側の人間にとって、
何が俳優として大切な資質と考えるか、というと、
「一に声、二にも声。三、四がなくて五に姿」と俗に言われる、とういうことを
聞いたことがある。
それは本当かどうかはともかくとして、「声」というのは本当に大事だ、
と、演劇関係者でも何でもないが、私も常々思っている。

ただし、私の場合はプロの世界に生きているわけではないので、
「声の質そのもの」はそう問題にしない。
声の質は、遺伝的な要素や、その人の環境、体調などによって、
本人にはどうしようもないところが多いと思うので、
「あの人の声は好き、とか、あの人の声は嫌い」などというと、大変失礼なことになるであろう。
現に私自身の声だって、そう人の耳に快い声とは言えないかもしれないので、
偉そうなことは言えない。

では、ここで「声」に関して何を言いたいか、、というと、それは「声の出し方」
あるいは「話し方」ということになろうか。
ただしこれも、その人の肉体上の要因からくる発声や、話し方の善し悪しは問題としない。
私が問題としているのは、声を発する時の心のありよう、ということである。

遠回りなことを言っていても仕方ないので、私がこの記事を書くきっかけとなった、
悪い例、いい例、と思うものをここで挙げよう。

まず、悪い例。というより、私が、ああ、いやだな、と思う例。
最近、サッカーや野球などの国際試合を日本で開くと、試合開始の前に
双方のチームの国歌を、どうやって誰が選出するのか知らないが、
いわゆる「歌手」と呼ばれる人に歌わせることが多くなった。
昔はブラスバンドが演奏するだけであったのだが、アメリカの真似か、
最近は日本の「君が代」も、歌手がア・カペラで独唱することが多い。

ポップス界や演歌界で名の通った歌手が歌うのだが、大抵の場合、
これがひどくお粗末である。
「君が代」という歌を国歌と考えるかどうかについてや好悪についての議論は置いておいて、
「君が代」という歌自体は、私はなかなかいい歌だと個人的には思っている。
ところがこの歌の荘重な感じを消してしまうような歌いっぷりが非常に多い。
変にアクセントをつけて歌ったり、ただがなりたてているだけで、
その歌の意味を考えて歌っていると思えないような歌い方があまりにも多いのである。

大きな国際試合の始まる前に独唱するのだから、歌手が自分色を出したい気持ちは
わからなくもないが、歌自体の心をすっかりぶち壊しにするような歌い方は、
やはり、やめてほしいなあ、と、古い人間の私などは思う。
国歌を実験的に歌いたいのなら、別のところで個人的にやってくれ、と言いたくなる。
2,3か月前のサッカーの試合の前にあるロックグループの歌手が「君が代」を
歌ったが、ひどかったなあ。
ただ大声で、がなっているだけ、という感じ。
ロックだから駄目だ、といっているのではない。
そこに何の感動も感じさせないような、心の入ってない歌い方はやめてくれ、と
言っているのである。ロックならばこその、素晴らしい解釈を見せてくれ、と
言っているのである。

総体において、日本人の声の出し方が汚くなった、と感じるのは、
私が年をとったせいだろうか?
街でたむろして、大きな声で騒いでいる若者たち。彼らの発声が概して汚い。
なんだかやたらに「ウェ~」というのに近い音が目立って聞こえる。
やいゆいぇよ、の音が目立って聞こえるのである。
そうして、声が黄色くて、とにかく乱暴な話し方に聞こえる。

またその反対に、店の店員やテレビのレポーターなどで、
私が「ぽこぽこしゃべり」と名付けている、妙にこもった声で馬鹿丁寧な話し方をする女子が
もう15年くらい前から増殖の一途をたどっている。
お笑いピン芸人の柳原加奈子がその真似を上手にしている、あの話し方である。

粗暴でもなく、妙に作り声めいた声でもなく、おなかの底から出てくる声、
その人の胸郭に響き、鼻梁に適当に響いて出てくる深い声というものは、
日本人の発声から消えていきつつあるのだろうか。
そうして、自己抑制のきいた、気持ちの良い話し方、というものは
日本人の会話から、いずれ消えていくのだろうか。
声の出し方を日々訓練しているはずの、中高の合唱コンクールを聴いていてさえ、
地声の歌い方が耳につくようになってしまった。

それでは、どんな声、どんな歌い方を私が素晴らしいと思うか。
最近ふとした機会に下記の歌を聴いた。
若い頃聴いたときはわからなかったのだが、今聴いてみると、人の心を
優しく撫でるような歌声と歌い方に、あらためて驚く。

http://youtu.be/FW0p6vMKnXk

この映像を見て、思わず吹き出してしまう若い方もいらっしゃるかもしれない。
それほど、顔の表情から何から、思い入れたっぷりに歌っている。
You Tubeを通じてだから、音源が悪く、あまりにもスローテンポである。
囁くような微妙な細かい歌い回しが聴き取れないのが残念だが、
それでも、歌う時の顔の表情の一つ一つ、口の開け方の一つ一つを
よく見てほしい。

なんと丁寧な歌い方であろうか。
スペイン語の歌詞は、男が女に、「いつ?どこで?どうやって?」といくら
真剣に訊ねても、女はいつも笑って、「キサス、キサス、キサス(たぶん、たぶん、たぶんね)」
と、男の気をそらしてばかり。そのうちに時が過ぎていってしまうよ。
と、嘆く、男の恋の歌である。

でも、そんなスペイン語の意味を知らなくても、この発声の柔らかさ。
この一つ一つの音の丁寧さ。この歌い回しの丁寧さ。
それは伝わってくるのではないだろうか。
ナット・キング・コールという人は、きっと。女性を愛撫する手も優しいのではないかと
思わせるような、優しさと丁寧さに満ちた歌い方である。

もう一曲。これも若い頃聴いても感じなかった、滴るような色気に満ちた歌。

http://www.youtube.com/watch?v=zsgcXZzu6io

同じ歌を他の若い女性グループやジュリー・ロンドンなども歌っていて、
それぞれに持ち味があるが、このディーン・マーチンのこの歌は、
男の歌のセクシーさの極致の一つの例のように私には思えるのだが。
歌の大体の意味は、「同じフロアでいろんな人が踊っているが、
君だけが僕の心を揺り動かすような魔法の踊りかたを知っている」というような内容。
この歌を紹介してもらった人のコメントに、私がもう少し若かったら、
彼の唇にキスしたい、などとあったが、確かにその気持ちもわかる気がする。
若い頃ディーン・マーチンを特に好きな私でもなかったのだが、あらためて
こんなに女心をとろけさせるような歌い方をする人だったのか、と驚く。

ここで私が言いたいのは、男でも女でも、どちらでも、
また、歌声に限らず、話し方に限らず、

「ひとはもっと、全てに丁寧であってほしい」ということである。
人の心を優しく撫でるような歌声。人の心情を深く思いやる心。
ものを優しく受け取る手。
訪問者の背中に向かってガシャーンとドアを閉めないこと。
人の話をできうる限り真剣に聞いてやること。
相手の話の中身を出来るだけ覚えていようとするまごころ…

そう。「まごころ」。
この言葉に尽きる。

私は人の声の中に、この「まごころ」を聴きとりたいのだ。
ひとの仕草や行為の中に、この「まごころ」を感じ取りたいのだ。
ひとはひとにもっと「丁寧」であってほしいのだ。

「どくだみ荘日乗」というブログを始めて一か月余。
ずっと訴えたかったテーマは、そのことである気がする。
そういう「まごころ」や「丁寧さ」に、私はいつも恋してしまう気がする。


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Re: ららさんへ

何でもかんでも昔のほうがよかったと言いたいわけではありませんが、
発声の仕方は、近年とみに汚くなっている気がします。
合唱コンクールなどを聴いていても、本当の声楽の発声ではないような。
特に女の人の声がそうですね。地声か、地声を隠すための上っ面だけの声か。
街にもそういう声が満ちています。

赤ん坊にとって、胎内で聞こえる母親の声は音楽のように
その子の音への感受性を育てていくと思います。勿論生まれてからの語りかけの声も。
そういった時代から、徐々にそこへ、意味、が加わっていって、
それを発した人の感情を、共に受け取るようになっていく。
声は丁寧でも中身が空疎な言葉の羅列だったり、声を聞いただけでもう、
品性を疑ってしまったり。そういうことが増えていっている気がします。

>その人の眼をやさしく見守りながら
>考えながら発せられる声が好きです
>深い透明な水を湛えて自然をすっぽり映し出す湖面のような
>そんな魂の声が好きです。

ほんとねえ。そんな声で語りかけてくれる人がいたら、それだけで、
男女にかかわらず、その人に心魅かれてしまいますよね。

Re:えめるさんへ

キサス、キサス、キサス。
あまりにも今の時代からすればスローテンポですが、
この丁寧な歌いっぷりには、なにかほろりさえとさせられました。

声の善し悪しも大事ですが、私は歌は歌詞の一音一音の唄いっぷりの丁寧さに
とても心魅かれます。
「が」とか、「じ」などの濁音の言い方の綺麗な歌手に。
話し声としては、やっぱり低い声がいいですよね。
ひとは何か隠したいことがあると、早口になりがちだし、
感情を高ぶらせると音程が上がるし。

えめるさんだったら、俳優とか歌手などでどなたの声がお好きですか?
私は、ん~、竹野内豊の声はいいなあ、と思います。
でもそういう声でなくても、その人に合っていれば。

要するに好きな人の声や話し方は好きになるんですよね(笑)。
上手下手ではありませんね。

No title

キサス、キサス、キサス。
優しく暖かく包み込まれる……。

私は、男の人の低い声が好きです。
声の出し方で感情が分るものですよね。
高い声は、歌ではいいなと思うんですが、
お話をする時は、低い声で話してくれる人がいいな。
高い声って、何かを隠しているような……
そういえば、そんな心理があるらしいですよね。

No title

こんばんは。
小さいうちから、ノンバーバルなコミュニケーションが成立する関係があって、その関係を深めるための手段が「言葉を使うこと」。「言葉を使うこと」の根本は「話す」「聴く」こと。その仲立ちをしているのが声。私はそう思います。
そのように考えると、声はもともとコミュニケーションが根本にあるような気がします。つまり、関係性をその本質において含むとも言えると思います。そこから出発して、声を聞く人が1人から多に、さらに抽象的観念的にもなっていくと、機械を前にした語りにも発展していく・・・・。
ところが昨今、丁寧な言葉にあつかましさが感じられたり、自己中が言葉の裏に見え隠れするような、そんな話し方が巷に溢れています。
本当にがっかりです。
あつかましいその声には、肝心の聞く側と話す側の関係性がはじめから成立していない・・・。つまり声の本質が崩れてしまっている。

その人の眼をやさしく見守りながら
考えながら発せられる声が好きです
深い透明な水を湛えて自然をすっぽり映し出す湖面のような
そんな魂の声が好きです。
プロフィール

彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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