『美しき終焉 』


8月半ばのある日、わたしは、何が、と言ってどうとはっきり言えないのだけれど、
あるどうしようもない寂しさを抱えて、銀杏並木のまっすぐに続く
幹線道路の道をひとり歩いていた。

自転車をひいていたのだけれど、乗らずに押して。
この道。行きは下りでいいけれど、帰りはずうっと緩やかな上り勾配。
連日の真夏日の焼けるような日差しの中、自転車を走らせるのはつらいから。
じりじりと西日が、むき出しの腕や顔に照りつける。
銀杏並木の影を拾いながら帰る。

と。足元に何か鮮やかな色が映った。
色のないペーブメントの上に、一点の鮮やかな色彩が。
見るとそれは、一羽の蝶だった。

あ。死んでるのか・・・。

自転車をひいていったんは通り過ぎたのだが、気になって引き返した。
だって、もしかするとまだ生きているかもしれないではないか。
ここは歩道だから自動車は通らないにしても、びゅんびゅん飛ばす
中学生の自転車などは通る。
蝶はそんな自転車に衝突して、今はただ気を失っているだけなのかもしれない。
生きていないにしても、それらに踏み潰されるのはあまりにも無残ではないか。
せめて植え込みの陰にでも移しておいてやろう…そう思った。

蝶のそばに屈みこむ。もうダメみたいだな。
かすかに吹く風が地面を通り過ぎていく。私の肌には気づくか気づかないほどの風にも、
ボロボロになった薄い蝶の羽は敏感に反応して、僅かに揺れている。

すうっと伸びた美しい触角。私の大好きな蝶の目。赤い綺麗な斑点。
そうだ。写真を撮っておいてやろう!
そうすればこの子は私という人間によって、その生が鮮やかに記録される。

自転車に戻って、籠の中からカメラを取り出し、蝶の姿を写真に収めた。
なんという蝶だったっけか。こんなに美しい…。こんなに繊細…。

近くの家の庭先で、草とりをしていた老人が、不思議そうに見ている。

写真を撮った後、蝶の羽をそっと指先でつまんだ。そぐ横の植え込みに
移そうとしたのである。
するとどうだろう!蝶の細い脚は、敷石の僅かな凸凹をつかもうとするではないか!
生きている?
いや・・・生きてはいまい。私が指を差し出しても、蝶はそれにしがみつこうとはしなかった。
かつて、黄色い蝶を抱いて寝たこともある私。蝶の足の感触はよく知っている。
この子の足には、生きているものの気配はなかった。
…それではなぜ、さっき、敷石をつかんだような感じがあった?
おそらく、それは、生き物が持つ生きるための機能なのだ。
蝶やその他の虫がしっかり草や花に止まるため、そこにギザギザが備わっているから…。
それがただ引っかかっただけだったのだろう・・・

私は蝶を、最初、植え込みの躑躅の葉の上に置こうとした。
しかし、風がちょっと強く吹けば、蝶は飛ばされて、また歩道に落ちるかもしれない。
それよりは、ツツジの根方に置いてやろう。
そう思って、しゃがみこんで、躑躅の根元の乾いた土の上にそっと蝶を置いた。

するとどうだろう!蟻が二匹、すぐに寄って来たのである!
ああっ!だめだめ!

私は再び、蝶をやわらかくつまんで蟻から取り上げ、躑躅の葉の間にそっとおろした。
風にとばされないような奥の方に。
もし生きていればやがてここから飛び立つであろう。
そう願いながら。

2010_0823_155052-CIMG2570_convert_20100824230210.jpg


これは、アカボシゴマダラ。
実はこの蝶。東南アジア諸地域で見られる蝶で、日本では
要注意外来生物に指定されているらしい。
日本在来のゴマダラチョウの生息を脅かすかもしれない、ということで。
本来日本には奄美諸島で見られるだけで、それが’95年、遠く離れた埼玉で突然
見かけられ、ここ数年神奈川県を中心とした関東で、急に個体数が増えているという。
そういったことから、これはおそらく蝶愛好家が、意図的に繁殖し関東で放蝶
したものだろうと考えられているらしい。

ああ、でも、そんなこと。人間の勝手な事情ではないか。
先日の八重咲きオオハンゴンソウもそうだが、人間の勝手な移動や貿易取引などで、
海外から持ち込まれる。
マツヨイグサのように風情があれば愛してすてきな名前をつけて貰えても、
反魂草のように繁殖力が強いと迷惑がられる。しかも明るい黄色の花の姿に似合わない
不気味な名前をつけられる。

花に罪はないものを…
蝶に落ち度はないものを…。


わたしが巡り合ったこのアカボシゴマダラチョウ。
翌日、同じ場所を通りかかったとき、躑躅の植え込みや辺りを熱心に
探して見たが、その姿は見かけられなかった。

ああ。私の勘違いで、あのこが気を失っていただけで、
あのあと気づいて、また夕暮れの空に飛び立って行ったのだったらいいが。
それだったら嬉しいのだが……



いつもこのブログに出てきていた女寅次郎のような次姉。

彼女がもう随分前に亡くなっていたことが、この夏の終わりに、風の便りに伝わってきた。
こういう生き方をすればそういう死に方をするしかない、というような、
一人ぼっちの寂しい死であったらしい。

聞いて不思議に涙は出なかった…。
むしろ彼女の生き方、それを是として祝福してやりたかった。
思うさま、自由に、勝手に、激しく生き抜いたものを。なぜわたしが憐れみ嘆くことがあろうか。

姉よ。あなたはある意味、しあわせだった…
あなたはあなたなりに美しく生き抜いたのだ…




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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: ノートさんへ

ノートさん、こんばんは。
オニヤンマですか。見事な生き物ですよね。
人に比べれば、小さな虫なのだけれど、オニヤンマとかカマキリにはなぜか一種の
尊敬を感じてしまいます。『生きるプライド』のようなものを見る。
勝手に想像してるだけなんですけどね。
そのオニヤンマも、もう一度飛び立っていて、生を十二分に全う
していてくれると良いですね。

極めて日本人に愛され、詩に歌われ文学に出てくるマツヨイグサも、
外来植物なんですよね。とても日本的な花に見えるけれど。
人間の勝手な思いこみで愛されたり、逆に駆除されたり…。
もう少し、国民に外来動植物の持ち込みの危険を徹底周知させる必要が
ありますね。まず、安易に持ち込ませないこと。
次に絶対に放生しないこと。
そういってはなんだけど。まだまだ日本人は動物の飼い方
においては練れていませんね。
私もそうだけど、つい可愛い可愛そう、で、自然界の掟を破ってしまいがち。

今年の夏は暑さがほんとにひどかったですね。夏の疲れは大丈夫でいらっしゃいますか?

お訪ねいただき、ありがとうございました。

いきもののいのち

私も先日似たようなことがありました。
私の場合はオニヤンマで、まだ息があり口だけ動かしていました。
同じように写真に撮って植え込みの上にそっと置きました。
帰りによって見ると、もうそこにはいませんでした。


歴史が始まる前から日本にはいろいろな生き物が持ち込まれていて、野生化しているものも少なくないですが、最近のペットの無責任な放生はあんまりだなぁと思います。
というか、あまりにも安易に外来生物の輸入を認めすぎだと思います。

Re: t.gray さんへ

t.gray さま、コメントありがとうございます。
コメント欄でお話しさせていただけてとてもとても嬉しいです。
お気遣いなさらず、これからどうぞ、このようにお話しさせてくださいね。

姉の知らせが届いたとき、この蝶のことがふと頭に浮かびました。
身内のことを言うのも変ですが、若いころは本当に綺麗な人でした。
晩年の姿はわかりません。きっと見る影もなくなっていたでしょう。
でも、案外最後まで綺麗にしていたかな。
何を考え何を見て生きていたでしょうか…。
蝶に寄せて…。せめてもの姉への挽歌のつもりで書きました。

『喪失の秋は秒針が時を刻む様に、少し、また少しと埋められていくのでしょうか。』

なんとすてきな文をいただいたのでしょう。
私のこころに寄り添ってくださってお書きくださったとわかって本当に嬉しいです。
本当にありがとうございます。

そうですね。時というものは残酷だけれどまたやさしい。
秒針が刻一刻と時を刻んでいくうちに、悲しみも憂いも少しづつ少しづつ
癒えていくのでしょうね。そう願っています。

t・gray さまの秋が、静かな、鮮やかな色彩に満ちた美しい秋になりますように。







こんにちは。

秋の気配を感じる日がやっと訪れたようです。

蝶とお姉様を重ねた、とても情趣のある記事ですね。
蝶の美しさ、繊細さ、妖艶さ、自由さ、
きっと、色鮮やかな美しいお姉様であられたんでしょうね。
そして、彼岸花さんが蝶に触られた、ぬくもりは伝わっていると思います。
幻想の世界のようでもあり、この様に描かれたお姉様はお幸せですね。

喪失の秋は秒針が時を刻む様に、少し、また少しと埋められていくのでしょうか。

Re: えめるさんへ

えめるさん。やさしいコメント。ありがとうございます。

いのちあるものがいつか命尽き、自然に還っていくのは仕方のないこと、と私も思っています。
生きものが生きものを食べて生きていく…それも自然。
そこに何かのドラマを見たりするのは、人間のセンチメンタリズムでしかありませんね。
…そうは思うけれども、自然の現象に自分のこころを仮託するのもまた人間。

私は幼いころから住居を転々として、死への恐れもごく小さい頃から抱いていたので、
無常感、というようなものは、いつもこころの内にありました。
物事をいつも暗い方へ暗い方へと考えてしまう。
一方でセンチメンタルなところが強いのも、それは、その無常感を
なんとか埋めようとする自然なこころの動きなのかも知れません。

姉の死。
記事には『涙も出ない』と書きましたが、
日が経つにつれ、それは思いの外にこころにずしんずしんと重く響くようになりました。
ひとはやはり愛するものとともに生きていってほしい…

…この秋は、私には大きな喪失の秋です。
どう生きて行こうか…まだわかりません。

えめるさん。そんなときにやさしいお言葉。胸にしみます。

命の循環

蝶はそのままだったら、間もなくありの栄養源としてありの巣の貯蔵庫行きだったのですよね。
ありはエサが腐らないように毒で麻痺させるんでしたっけ。

時間がたってこの蝶が、動けるようになって飛び立ち、
最後の命を燃やし尽くすまで飛んで生きた…・・・
そう、私も思いたいです。
でも、どちらにしても新しい命の元として、この地球上で循環していくんですね。
でもでも、やはり、生きたままえさになるのって、人間から考えると、残酷な気がする、自然の摂理。
でもでもでも。人間のほうがよほど残酷です。

お姉さまのこと、ご愁傷様でした。
いつか再開できたらいいですねって言うようなコメントを、ずっと前書いたように記憶しています。

Re: asobo さんへ

そうですね。自然界の仕組みは複雑で明快。
人間が余計な感傷を抱いて手を加えるべきものではないと私も思います。
黄色い蝶のことでそれは経験したはずなのに、また、この蝶を見たとき、
通り過ぎることが出来ませんでした。
そっか!蟻さんたちにとっては絶好の餌を奪われたということになりますね。
それは考えてみませんでした。
私のいつもの感傷かな。そして干渉かな。
私の中にも、いわゆる「アウトドア派」を自称する人々の中の
一部のひとのように、「自然が好き」と言いつつ自然を壊す矛盾や欺瞞は
隠れているかもしれません。お花を摘んだりすることはそうですよね。
ふふ。でも、今は一応言っておきますが摘みませんよ。あれは懐かしい思い出の夏だけのことです。

アカボシゴマダラもそうですが、アライグマなどもそうですよね。
『あらいぐまラスカル』。私はあの話が大好きで、原作本をとり寄せたくらいなんですが、
その少し後で、あれがアニメ化されアライグマの生態の可愛さが評判になると、
飼う人がわっと増えた。でも結局飼いきれず、と言って殺処分は可愛そう、ということで
野に放したものが今野生化して増えすぎて、大変な困りものになっています。
一時の感傷やブームで、自然界に手出しをしてはいけない、ということですよね。

そう思いつつも、これを記事にしたのは、蝶が姉のことを思いださせたからかもしれません。

バタフライエフェクト…。
北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起きる…その他。
とても美しい言葉、とても美しく聞こえるある現象なのですが、そこには
人智などでははかりしれない、自然界の恐ろしい連鎖反応ということが
示されているのですよね。
私にはそれとは別に、その言葉にはあるすごい思い入れがあります。懐かしい思い出…。

asobo さん、ありがとうございます。


バタフライエフェクト

残酷なようだけど、死にいくものは
次のいのちを育てるエネルギーになるんです。
超がかわいそうという言い方もあれば、生きるための糧を奪われた蟻たちがかわいそうという見方もあります。
これとはちゅっと話がそれるけど、日本で「アウトドアが好き」という人は、
本当は「アウトドアを破壊するのが好き」というのが正しいと思う。
アウトドアというコトバがつかわれはじめたころ、こんなコトバを聞いた記憶があります。『アウトドアに残してきていいのは足跡』だけ。
些細なことが、連鎖反応となって自然環境をきずつけているとおもいます。
バタフライエフェクト・・・。

Re: 乙山さんへ

乙山さん。ありがとうございます。

こんなことをしても無駄。自然界はもっとタフでクール。
人間の勝手な感傷に過ぎない、とは思うのですが、そのまま
通り過ぎることが出来なくて。

私の頬や腕には感じないほどの風しか吹いていなかったのですが、
そんな風にも、薄い羽がかすかに揺れていました。
指を差し出してみたのですが、つかまろうとする気配はなく。

もう20年も前、真っ黄色の小さな蝶がもう12月も近付いているというのに、
我が家のねむの木の鉢植えで生まれてしまい、しばらく家で
保護していたことがあるのです。私の頭や肩に停まり、指を出すと、
あの細い足でよじのぼってきてたんですよ。指先に一滴垂らした
蜂蜜を薄めた水を、私の手から飲んでくれたりさえしました。
あの時のあの蝶の足の感触。それはいのちあるものの軽さでした。
でも、このアカボシゴマダラは、軽いのだけれど、重かった。

生き返ってくれていたのだったらなあ、と今でも思います。
今日そこを通ると、蝶をのせたあの道路沿いの躑躅の植え込みは、
ことごとく強い剪定を受けて哀れな姿になっていました。
それもこの夏の暑さから躑躅を守るためなら仕方がありませんね。

「いつかは」…そうですね。
ありがとうございました。

いつかは

彼岸花さん、こんばんは。
蝶も彼岸花さんのような方に見つけてもらって、
そっと別の場所に移してもらってよかった、
と人間の視点からは思いたいです。

すぐ蟻が来る、それこそ、自然なのかなあ。
自然には無駄がないですからね。
階段のところで、通りすがりで見かけたセミの亡骸。
やはり蟻が来ていたようです。

もう一度、飛び立っていったらいいですね。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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