[『余情の美 其の三』


私は、このブログを始めて間もない去年10月に、『余情というもの』という
タイトルで記事を書いている。
これをここでちょっと再録させていただきたい。


         『余情というもの』 

『余情』・・・・・詩歌・文章などのあとに残る趣。余韻。

人が人をどれだけ大切に思っているか。
それはその別れ方に表れるものである。

また、人に限らず、ものに対しても、その物を大切に思うならば、
それに対し思い入れのない場合とは別れ方がおのずと、違ってくるだろう。

例えば、映画。
映画館に行って見る場合にも、テレビで見る場合にも、本編が終わってすぐに
そそくさと席を立つ人は、その映画に対し大して感動もしなかったのであろう。
映画の余韻を楽しむよりは、皆がトイレに殺到して混む前に行っておきたい、とか、
帰りの電車の時間の方が気になるとか、
別の番組にもう心が移っている、とかいうことなのだろう。
その映画に深く感動しているならば、エンドロールまでを、席に着いたまま
静かに味わおうとするはずである。そうせずにいられない筈である。

また、男女のいわゆる『後朝(きぬぎぬ)の別れ』ならぬ、
愛の行為の後でも、どちらか片方が、そそくさと立ち上がり服を着始めるとか、
もっとひどい場合には、ざあざあと体をシャワーで洗い流し始めるとかした場合には、
その人は、相手をさほど愛していない、ということが言えまいか。

いきなり、色っぽい話題になってしまったが、
私は、一体に、別に忙しいわけでもないのに先を急ぐ人というのが嫌いである。
例えば、人と話している時に、こちらの話の腰を折るように、
「それで?」とか「で、何なの」とか、「だから何が言いたいわけ」
などという言い方をする人がいたら、もうその人とは話をする気をなくしてしまう。
これを読んで、「そんなこと普通言わないでしょ。」と笑っている方も、
もしかしたら、自分の兄弟や、自分の妻や夫や自分の子供、また親などに対しては
こういう言い方をしていはしないだろうか。

子供が一所懸命、その日あったことをつたない言葉で親に話そうとしている。
最初はちゃんと聞いていた親も、そこで下の子がタイミング悪く
ミルクをこぼしでもしようものなら、上の子の話をさえぎって、
「(下の子に)ん、もう、・・・ちゃん!気をつけなさい!
(上の子に)え、なに?何が言いたいの。サッサと話しちゃいなさい。
今忙しいんだから!」
などと言ってしまうことはないだろうか。

もし、あなたの恋人が、あなたにこういう言い方をするようになったら、
それは愛の終わりを意味していると思った方がいい(笑)。
逆に、あなたがいつか何気なく話したことを思いがけず覚えていてくれたり、
あなたの少々くどい話もしんぼう強く聴いてくれるようならば、
その人はあなたを大切に思ってくれていると思って間違いない。

同じような感覚で、私は、人の目の前で、ドアをガッシャ―ンと閉める人の
心も疑う。
これも結構そういう人は多いんですってば(笑)。

友人知人が訪ねてくる。
美味しいものを一緒に食べて、楽しく語らって、暇を告げる時間が来て、
玄関に出る。別れの挨拶を和やかにかわして、外に出る。
と、まだ訪問者がそこを立ち去ってもいないのに、ドアをガッシャ―ンと
音たてて閉め、その上、鍵までガチャンとかける人。
これが結構多いのである。

さっきまでの親しさはいったい何だったの、と思うような素っ気なさ。
こういう余情のなさを私は憎む。

おかしいと言われるかもしれないが、私は友人知人は勿論のこと、
新聞の集金、郵便局の人、セールスの人々に対しても、
その目の前でドアを閉めたり、まだその人たちが門を出ていかぬうちに
鍵をガチャンとかけたりすることは絶対にしないようにしている。
それは不用心だよ、と言われるかもしれないが、
それは、人に対する礼儀であって、友人知人であるか否かは
関係ないのではないかと思っている。

不思議なことに、映画館ですぐ席を立つ人。人の話の腰を折る人。
人の目の前で音たててドアを閉め施錠までする人。・・・・・・・
そういう人はそのすべてをやってしまう人なのではなかろうか。
つまり、『余情』という感情に鈍感な人なのではなかろうか。

しかしこれが、男女を問わず、意外に多いのである。
どんなに美しい顔をしていても、私はそういう人に恋しない。
逆にどんな見かけをしていようと、そういう微妙な感情を大切にしてくれる人には
男女を問わず、魅かれてしまう。

そういう人はきっと、ものを大事にし、人を大事にし、
愛撫する手も優しい人なのではなかろうかと思う。

その人の心映えは、微妙なところに現れる。
ものを取り上げる時の用心深さ、ものを置く時の音。
そういった仕草の優しい人は、『余情の美』を知る人であろう。

今、世の中から、こういう『余情』というものがだんだん失せて行って、
人々がガツンガツンと、生で角をぶつけ合うことが多くなっていはしまいか。
あるいはそうされることを避けて、最初から話を聞いてもらえうことを期待しない、
別れを惜しまれることも期待しない、自分もそういう余韻を味わうことを
忘れている、というようなことが多くなっていっているのではなかろうか。
寂しいことである。

どうせ一度しか生きられない人生ならば、滴るような情感の中で生きてみたいと
人にも自分にも願う私である。



自分のこの記事を今読みなおして見て、なんとこのころ、私はつややかな文を書いて
いたのだろうか、と自分に驚く。
自分で言うのも変だけれど。

今の私にはこのつややかさがない。
…それはどこに原因があるか。一に自分自身にある。
私自身が何かを失ってしまったのである。
私の中から何かが消えてしまった。…純粋さのようなもの。

そうしたものは、一度失われてしまうと、もう二度と戻らないものなのであろうか。

今、『つややか』という言葉を使った。
つややかということは、情感が豊かに満ち満ちている、ということであろう。

ところが、その情感も、『余剰』になってしまってはいけないのである。
『余情』と『余剰』…。音は同じで字面も似ているが全く違うもの。
たとえば、ひとと別れるとき、さよなら、といった途端にさばさばしたように
ふりかえりもせずに行ってしまえば、それは愛着がないのである。
といって、では、いつまでも別れを惜しまれると困る場合もある。
転勤する人を駅に送ってホームでさよならを言ったはいいが、列車がなかなか
出発せず、「早く出てくれよ!』と内心思った経験はどなたもおありだろう(笑)。

そう。『余情の美』というものは、ほどが難しいのである。
情感が足りなくてはむろんだめだが、過剰になっては、それはもう美ではない。
どこかで一線をひく潔さ。そこにこそ『余情の美』というものは生まれる。

『つややかさ』ということも、実は過剰ではだめで、ある一線で抑えているからこそ
生まれるもの。そういった意味では『余情の美』と似ているかもしれない。

ああ、私は、このつややかさと余情の美を失ってしまったのではなかろうか!
こころが乾いてパサつく。反対に溢れすぎて過剰になる…その両極端を行ったり来たりである。


私の人生はあと少し。
年とは関係なく、最後までつややかに生ききりたいものである…。
立ち去った後に『余情の美』を残したいものである…。




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Re: HOBOさんへ

HOBOさん。おはようございます。

これこそわたしが『余情』、と呼ぶもののいい例だと思います。
思い出の中から、こんなにすてきな例を探し出してくださって本当にありがとうございます。
その日の深い雪の景色や、それを照らす青白い街灯、そうしてそんなときにこそ
懐かしくてたまらなく感じる家々の明かりなど、情景が目の前に見えるようです。
雪の中をかえっていく生徒たち。車の中から見ているHOBOさん…。

大雪の中を遠くから車を走らせて通ってくれる先生と、塾通いもままならない地域の子供たち。
都会ならば、一つの小さな町にだって、5つや6つの塾は瞬く間に探し出せます。
そこで勉強を学ぶ、ということは当たり前の風景。子供たちは有難味も感じません。
北海道というところの暮らし。それが、痛いほど実感できました。
わたしも元塾教師でしたから、生徒の家庭でのHOBOさんの姿も彷彿としてきます。

でも、このコメントはそんな北海道の教育事情などということを超えて、
ひととひとの情の通いあい、というものの淡い美しいひとコマが、本当に
描き出されていて、私も読んでいてじんとしてきました。
わたしのところのコメント欄に埋もれさせてしまうのは惜しい気がします。
このまま、HOBOさんのところで、記事としてあらためてアップしてほしい気がします。

そうなんですよ。ひととひとが別れるとき。
そこでこころの通いあい、というものの深さがいちばん見えてきますね。
二度と会えない人、またすぐに会える人…そのことに関係なく、
淡い、美しい別れ方を、望みたいものだと思ってしまいます。

すてきなコメントをありがとうございました。

彼岸花さん

 すぐコメントせずごめんなさいね、彼岸花さん。『余情』というテーマに
ふさわしいぼくの『逸話』を探していたのです。
 ぼくは子供たちに学習方法を提案する仕事をしていますが、5年もまえの出来事を
ここで話しましょう。『余情』というものとすこしかけ離れていたらごめんなさい。
北海道十勝の鹿追町に学習指導をしにいったときのこと。その日は記録にのこるような
大雪で、あちこちで車が動けなくなったり通行止めになったり、それはそれは厳しい
夜でした。午後7時に行く約束でしたがこの雪、結局、一時間も遅れてしまいました。
ぼくが生徒の家のそばにやっと車をとめてお邪魔すると、「本当に来たの?こんな
日に!」と、生徒のお婆ちゃんが玄関まで出てきてむかえてくれました。「いやぁ
いやぁ、こんな日にねぇ、わざわざありがとうね、寒かったショ?」と、生徒さんの
母。「こっち来い!温まって!ほらほらっ!」と、生徒さんのおじいちゃん。
中学1年生の女の子と小学3年生の男の子のお勉強をみにいったのに食事までごちそう
になって、「泊まっていけっ!」と、おじいちゃん。ぼくは、方程式や平面図形や
下の子には面積の単元を指導して、11時半になったころ帰ることにしました。
雪は膝の上まで積もり、ぼくの車を出せるようにするために30分もかけて全員が
雪をのけてくれました。ぼくは、「また来るから!おやすみ、ありがとう!」といい
車を走らせました。子供たちが手を振りながら追いかけてきます。ぼくはクラクション
をならし、バックミラーにさよならをいいました。ちいさな交差点を右折してようやく
見えなくなった子供たちにこころから「ありがとう!」といいました。ぼくはどうし
ても気になってひきかえしてみました。そうすると、家までもどろうとしている子供
たちのうしろ姿が見えました。ぼくがクラクションをプップッーっと鳴らすと、
子供たちは飛び上がるようにしてこちらに走ってくるのです。ぼくは、この日、
泣きながら帯広まで帰ったのを覚えています。ワイパーが壊れそうなぐらい泣いて
いました。雪の深い夜でした。


HOBO

Re: そらまめさんへ

そらまめさん。すてきなコメントをありがとう。
そうよね。一日中、つややかでいようなんてそれは無理。
こころがぱさつくこともあると思います。
何も考えないでぼおっとしている時間も人間には大事だし。
あんまり四六時中情感たっぷりでいられたら辟易しますね(笑)。

ただ、ふとした瞬間ですよね。それが出てくるか出てこないかは。
たとえば続く人のためにドアをさりげなく抑えていてくれるとか、
狭い道ですれ違う時は傾げ傘にするとか、当たり前のこと。
相手の話したことをちゃんと覚えているとか。
ふとしたことでその人の心映えというものが出てくる気がします。

わたしもね、偉そうに言っているけれど、自分で出来てるというわけじゃない。
むしろ気がつかず、相手にとって無神経なことをしでかしていることも多いかなと思います。
だからこれはすっごく自戒を込めた願いなの。かくありたい、という…。

わたしがこころに抱える水面。
そういう考え方、すてきですねえ。
わたしの中の水…。
深くて青い海のよう…と言いたいところだけれど、そんなに豊かじゃない。
むしろとってもちっぽけな水たまりです。
洗面器いっぱいくらいしかないんじゃないかな。
だからすぐ空っぽになるし、逆にまたすぐ溢れちゃうの。

ただ密度はありそうな気がする(笑)。さらさら清い水ではないな。
いろいろな不純物をたっぷり溶けこませた水かな。
う~~ん。難しい質問ですね。今晩一晩ぴったりの答えがないか考えこんじゃいそう(笑)。
もちっと考えさせてね(笑)。

でもね。余情、ということは大事なことだと思っています。
日本人の文化の中でかつてはとても大事にされていた情調。


そらまめさん。いつもありがとう。

No title

この記事、覚えています。
読んでいてハッとさせられるような・・・そんな感じ。(笑)
私も素敵な文章だと思います。

>転勤する人を駅に送ってホームでさよならを言ったはいいが、列車が
なかなか出発せず、「早く出てくれよ!』と内心思った経験はどなたも
おありだろう(笑)。

きっと見送られる方も同じ思いでしょうね。(失笑)
ちょいと照れくさく気まずい数秒。
親しい間柄なら正直に「ナカナカ出ないね?」と言ってしまいそうな私。

つややかな情感はきっと24時間365日ずっと意識していては、その
情熱さで疲れ果ててしまいそうですよ。(私なら)
言葉では上手く説明できないのですが(ソレいつも)、情感とはヒト
それぞれが持つココロの水面のような気がします。
例えば深い森奥の小さな沼。
それは底が見えそうな位の透明な水を湛えていて・・・。
ちょっとした風や木の葉で揺れ動く波紋はいつもカタチも大きさも違う。
乾いていると感じるなら、きっと無風日なのだと思います。
そんな日もあるわな~と。
そんなイメージ。(勝手にね!失笑)

彼岸花さんは持つ水は、どんな場所に存在するどんな沼なのだろうと、
ただいま一人妄想中です。

Re: ginaso さんへ

ginaso さん、おはようございます。

『紫色の文章』…。とってもすてきな表現をしていただいて
ありがとうございます。
紫はわたしの好きな色でもありますので。

純粋さ…。そうですね。
やはり純粋さやつややかさはだいぶ失ってしまったかもしれない。
今、それに気づいて、自分で必死で立て直しを図ろうとしているところです。
踏みとどまろう…、そう決意したことが、もしかしたら
ginaso さんが敏感にお感じとりくださった『自由になった』という
感じになって出ているのかもしれませんね。

幾つになってもこころは滴るようにつややかに。
でも、そこで抑制を忘れては、それは醜悪。
毅然と。

幾つになっても、美しくすっくと立っていたいと思っています。

ありがとうございます、ginaso さん。

こんにちは

こんにちは。先日はコメントありがとうございました。

紫色の文章、つややかです。
私は、現在の彼岸花さんの文章を拝読していると、つややかさと同じかそれ以上に「自由」を感じます。

>私自身が何かを失ってしまったのである。
>私の中から何かが消えてしまった。…純粋さのようなもの。

失ったのではなく、とらわれなくなったのでは。
つややかさに縛られない、自由を手に入れられたのでは。
今書かれるの文章は、紫色の文章より、純粋にみえます。

以上は個人的な感想なので。見当違いで気に障ったら申し訳ありませんm(_ _)m

Re: asobo さんへ

asobo さん、こんばんは。

そうですね。そんないい方をしてはいけませんね。
やさしいお言葉とお叱り。嬉しく頂戴いたしました。

この記事の本意は、もう先がそう長くないということが言いたいのではなく、
生きられる間は、見事につややかに生き抜いてみせようではないか、という
わたしのある決意の表れなんです。

変な書き方をして、確かにこれでは皆さんにご心配をおかけしてしまいますね。
asobo さんのこのコメント欄をお借りして、言い直してお詫びをしておきましょう。

溢れるようにつややかな情感。それはまだ私の中に枯れてはいないはず。
それを大事にしたいと思います。
でも、溢れさせてだらだら垂れ流すようでは美しくない。
すんでのところで踏みとどまってこそ。
それを見事にやってみたいと思います。

線香花火が、炎の玉が落ちそうになってなお、そこから美しい火花を飛ばすように、
もう終わりかなと思ってもなお、消えがての美を見せてくれるように、
私も美しく生き抜きたいと思います。

どうぞこれからも見守っていってくだされば、と願っています。
いつもありがとうございます。

No title

私の人生はあと少し。だなんて・・・
そういうことをいうとみんなが寂しがりますよ。
もちろんぼくも。

Re: HOBO さんへ

HOBOさん、ありがとうございます。

あとにしないで今書いておく・・・
そのお気持ちが嬉しいです。

今日はつややかどころか
連日の暑さにからからに乾ききっていたところでした。
睡眠不足とエネルギー不足で、ぼうっとしていた私。
やさしい言葉が慈雨のようにこころにしみます。

ふうぅ。これで生き返りました。

つややかに。
そう生きていきたいと思います。
余情の美がそこにただようかどうかは、自分で見えるものでなく、
人が感じるもの。
ただ、そうあれかし、と願っています。

本当にありがとうございました。

余情の美ですね!

彼岸花さん、
いい記事ですね。
これから仕事にいきます。帰ってきたらゆっくりコメントさせてください。
じゃあこのコメントもあとでいいじゃかいか?
いや、いま、ひとこと書いておきたくなったのです。

行ってきます。
つややかに。(笑)


HOBO
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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