『砂絵師』

こんな映像をごらんください。

2009年、ウクライナのタレント発掘番組で優勝した、クセニア・シモノワ(正確な読み方は
わかりませんが)の砂絵です。
彼女は、下からライトをあてたアクリル?板の上に砂をさらさらと、時には激しく
たたきつけて、自分の両手だけを使ってその砂をかき寄せまた払い出しして、
一つの物語をまるでアニメーションのように描き出します。
それをプロジェクターで皆に見せる。



ここでは、最初のシーンで若い男女が、公園のベンチで愛を語っています。
そこにラジオのニュースが聞こえてきます。
(この音楽が私にはとても懐かしい。昔娘と深夜起きていて、モスクワ放送を
なんとなくかけていたことがよくありましたが、時間時間の節目によくこの
メロディが流れてきた)
やがて戦闘機が飛来し、激しい空襲が始まります。
男は戦場に兵士として取られていって、二度と彼女のもとには還ってきませんでした。
女は彼の子供を生みます。老いた母の悲しみ。
男は戦没者の塔に祭られます。子どもを連れてそこを訪れ祈る女。
でも彼女は恋人の死を信じていません。いつの日か、きっと、
彼が、彼女とわが子の待つ家の窓をたたく、とそう信じている・・・・

…そんな物語です。

私はこの映像を夏、You Tube でロシアの音楽を探していて偶然見つけました。
調べてみると、どうやら彼女の砂絵は日本でも『アンビリーバボー』という
番組などいくつかの番組で紹介されたことがあるらしいので、あ、見た見た!
という方もいらっしゃるでしょう。

砂絵…。砂と自分の腕一つで、このような陰影に富んだ表現が出来るということに、
私はいたく感動してしまいました。
言葉さえない、短い映像なのに、何よりも戦争の悲惨とそれに翻弄される
庶民の悲しみが伝わってくる。…すごいです。会場でも物語に貰い泣きする人が。


砂絵師。
実は日本にも、砂絵の伝統があります。
でも、このウクライナのシモノワさんのやるようなものとは全く違う。
砂絵師は、祭りなどを渡り歩いて、いくつかの色のついた砂を、糊で絵を描いた上に
さらさらとこぼして、富士山と鶴とか、松竹梅とかなどの決まった絵を描いてみせ、
砂絵の道具一式を子供の玩具として売りつけるのです。

私自身は幼いころ、数回くらい、祭りではなく普段の日のお寺の門前などで
この砂絵師を見たことがあったかなかったか…そのくらいの淡い記憶しかありません。
シモノワさんの芸術性を感じさせるパフォーマンスに比べ、日本の香具師さんである
砂絵師の絵には芸術性などといったものはこれっぽっちもありません。

シモノワさんの砂絵を見てから、香具師の砂絵のことを調べたくなりました。
砂絵師を描いた小説ないかな。…そしたらありました。

丸谷才一。『笹まくら』。昭和41年刊。
「笹まくら」、というのは、旅で宿に泊まれず、そこらの笹の葉をかき寄せて
枕がわりにして寝る。つまり寂しい旅寝を表す言葉です。
主人公は45歳の大学事務職員。平凡な日常を生きています。
しかし彼にはかつて、太平洋戦争のさなか、20歳のとき、出征祝いの夜に
家を抜け出し、徴兵逃れをしたという暗い過去があります。
彼は時計の修理、砂絵師などをしながら、北海道、九州、中国地方、四国…
各地を転々としながら、官憲の目を逃れ続け、5年の放浪の旅の末、
終戦の日を迎えます。
今彼は、過去を隠して平穏に生きている。
しかし一通の訃報が届くころから、彼の築いてきた平凡な幸せな暮らしが瓦解していきます…
その訃報は、かつて彼を徴兵忌避者と知りつつ愛し、四国の自分の家に連れ帰って
かくまい続けてくれた、彼のかつての愛人の死を告げるものでした…。

砂絵師。その言葉自体が持つ悲しみぴったりの、どうにもやりきれない、せつない話でした。
徴兵忌避。そんな言葉を今聞いてもあまりその重大さがピンとこないでしょう。
しかし、日本人は皆天皇の臣下。天皇のためには命も投げ出すのが当然、と
思われていた時代に、徴兵逃れをする、ということは、殺人を犯すよりは
あるいはもっと重大な罪、と考えられたいた時代だったのです。
徴兵忌避者は、日本のどこに逃げても、徹底して捜索され続け、見つかれば、
重罪として処罰される。しかし、罰刑そのものよりも、国賊として本人のみでなく
家族までが非国民のそしりを受け、辱められ続ける…

戦後も彼はそのことを隠して生き続けるのですが、大学の人事異動の件から
彼の過去がひとに知られていくようになってしまいます。

戦争反対。人を殺したくない、というまっとうな感覚から決意した徴兵逃れの逃避行。
そうして戦後十数年たってなお抱き続ける汚辱感。
逃避行をともに続け、身の危険も冒してかくまってくれたのに、捨ててしまった女の思い出…。
5年間の逃避行生活で彼が僅かに味わった安住の地は、彼女の郷里の四国だけででした。

丸谷才一さんは私が昔から好きな作家です。でもエッセイはよく読んだけれど、
小説はあまり読んでいなかった。これは、河出文化賞を昭和42年に受賞。
丸谷才一さんはその後も芥川賞を始め数々の文学賞を総なめにしています。
一貫して、非戦の立場を貫く筋金入りの文学者です。

今、このテーマはさすがに古いと感じられるでしょう。
でも、沖縄問題や米軍との関わり、北朝鮮、中国との関係、などを考えれば、
決して遠い遠い問題ではないと思います。

それもなのですが、私はこの、砂絵を売って生計を僅かにたてながら、各地を
逃げて歩く、孤独な青年の姿、そうしてそれを支える女の姿に、
何か、自分の兄や姉の姿を見て、それでこの文を書いているのかもしれません。

兄も、九州、東京、京都、四国、中国地方…を職を求めて転々としてしていたことがあります。
まだ日本が貧しかった頃…。そこで行きずりの女のひとの情を受けたこともあったでしょう。
ひたすらでやさしい、ただただ温かい、女の情を。
姉はとてもとてもそんなしおらしい女ではありませんでしたが(笑)。

長女と私は堅実な生き方を。
しかし、私の中にもなぜか、兄や次姉と同じ放浪への憧れはあって、
この年になってなお、こころの中をさすらいの旅の夜風や浜風が吹きぬけることがよくあるのです。







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Re: そらまめさんへ

そらまめさん!
文章が拙いなんてそんなことあるもんですか。
こんな真実味のあるお手紙いただいて、私はそらまめさんの真心の深さに
ちょっとうるうるしてしまいましたよ。

姉のことは、『あの人はああ生きるしかなかったんだ』と割り切ったつもりでしたが、
日を経るごとにその人生が私のこころに重く深くのしかかってくるような気がして、
ああ、生きてるうちになんとかできなかったものか、と悔やんでいます。
でも、そらまめさんがいみじくもおっしゃってくださったように、
姉はその死をもって、私になにかメッセージを残してくれたと思うのです。
何かね、頬っぺたをぱし~ん!と張られたようなショック。
嘘の生き方をすんじゃないよ!というような…

どういうもんだか、私たち兄妹は、長姉を除いて皆、放浪癖をその心に抱いて。
私は今は定着していますけれど、胸の内には、漂泊を求める心が常にあります。
だからねえ。私も、人とのつながりを一向に大事にしてこなかったの。
どうせ、この人とも仮の縁。去ってしまえば忘れ忘れ去られる。
何をしがみつくことがあろうか…そんなふうに思ってしまうんですね。
だから私には、親戚づきあいも、幼なじみも、職場の付き合いも、
常に淡い儚いものに思えていました。

それが変わってきたのは、ブログをするになってからです。
人の心の温かさを身にしみて感じられるようになった。
そらまめさんともこうして、不思議なご縁で結ばれている・・・
人と人が現実の生活で出会えるって、ごく僅かですよね。
それが、お顔も知らない、どこに住んでいらっしゃるかもしれない。そういう方と
家族にさえひょっとすると話していないようなことさえ、こころを割って
話しているのですから…
『他人の情けなんかいらない。一人で生きて一人で死んでいく。それでいいじゃない』
と思っていた私が、大きく変わったのは、ほんとに皆さんのおかげなの。

それでもね、この場所でさえ、不義理はしている。前のブログを訪ねてくださっていた方とかね。
連絡のタイミングを一度逃すと、どんどん敷居が高くなってしまって。

ブログでそうやって人の温かさを知ると同時に、そらまめさんおっしゃるように、
愕然ともしましたよ。『わたし、これまでなんて無駄な人生を生きてきたのだろう!』と。
人との関係を築かず、足跡さえ残さないように綺麗に消し去って、
自ら繋がりの糸を切る…。そういうことばかりしてきましたからね。
今でも多分にその心性は残っていて、自ら求めて関係を絶っていながら、
夕暮れなど、寂しさに立ちすくむことがあります。

そらまめさんの言う通りよ。
人が人と出会う。まあ、場所とかものとかでもいいのですが、
人が何かと出会うって、『奇跡』なんですよね。私も本当にそう思います。
人がこの世に生まれたこと自体が奇跡。そこで出会う人との縁も奇跡。

突っ張って生きてきて、人生、だいぶ無駄をしてきてしまいましたが、
皆さんに教えていただき、そうして、父や母や姉が伝えてくれていること…
『熱く生き抜け!』ということを、これからは肝に銘じて、人との関係も
その他の出合いも大切にしたいと思っています。

そう・・・。どちらかが少なくとも努力しないと、人との関係も、
儚く切れてしまうんですよね。なんと勿体ないことでしょうか。

そらまめさん、こころの底から書いてくださったことがわかる真実のお手紙。ありがとう。

いつか、一緒に飲んでみたいですね。
私、お酒好きだけど弱い。すぐ真っ赤になって、すきっ腹で飲んだりすると翌日が…
だから私も上品の酒などからは、程遠いです(笑)。
でも、それでいいじゃないですか、ね。酒に憂さをぶつけたり、
恋に溺れたり、想うようにならないことばかりなのを天を仰いで嘆いたり、
がくっと落ち込んで座り込んじゃったり、…
じたばた生きるのこそ人生、という気もします。
上品は生来の上品に生まれついた人にお任せしといて、と!(笑)

いつか、一緒に飲む、なんて機会もあるかもよ。先が見えないのが人生。
それが不安でもあるけれど、また楽しみでもありますものね。

そらまめさん。ありがとう。
貴女のまごころ、しっかり受け止めましたよ。私、どんなに嬉しかったかしれません。

No title

こんにちわ。
ずっとこちらにコメントを残したかったのですが、なかなか言葉がでなくて・・・。
でも何か一言残したくて考えていました。

以前、自分のブログでも書いたのですがヒトとの【縁】・・・断ち切ろうと思えば
簡単に切れるもの。断ち切りたくないと思っても、時間の経過と共に【縁】が
遠くなってしまうヒトもいる。
だから私は断ち切りたくないと思うヒトには『変なヤツ』と思われてもいいから
時々声をかけたりするのです。(いつも一方的だと寂しい時もありますが)
そんな感じになったのは大人になってからです。

小学生の時に、いつもすぐ近くに居た男の子が亡くなりました。
不思議と悲しさとか感じれなくて、命がよく解からなくて、お父様がぐしゃぐしゃ
になるほどに嘆いておられたのがすごく印象的で、自分はこんな事はしては
いけないと強く思っただけでした。
それでも私の日常は続いて・・・『一生会えない、それは悲しいことだけれど
転校していった子と何が違うんだろう』と考えるようになりました。

大人になって、外国の方と知り合うことがありました。
2年ほどみんなで過ごしていました。
だけど東京の方へ行くと聞いた時、連絡先を交換するほどにもなれてなくて。
(互いにそこまでの仲じゃなかったのかもしれないですが)
『きっとこの先、国に帰ったら一生会うことはないだろうな』と思った瞬間、
小学生の時の感情がイッキに溢れてきて、なんて自分は無駄な人生を過ご
してきたのだろうと後悔しました。

何が言いたいのかはよく解かりません。(苦笑)
でも、ひたすらに忘れ去られることが【死】だと言う事を強く意識しました。

私は住処を転々と出きるほど勇気がなくて、それだけ甘い環境で生かされて
きたと思うのですが、親や兄弟・友人・・・出会いは【奇跡】だと思うのです。
最後のお別れが出来ずに知らせだけが届いたお姉さんの訃報。
彼岸花さんの思いを計ることはできませんが、【運命】という名のもとに(失笑)
そのヒトにとって意味ある時に出会い共に過ごし、意味あるカタチの別れが
あったのだと思えば少しは気が楽になるような気がしませんか?

誰かの【生き様】を思い出す時、それだけでメッセージをもらっているような
そんな思いがします。

・・・・・う~ん、長々と・・・・よく解からないモノをスイマセン。(汗)
でも、何か言いたかったのです。
話が下手なもので・・・いつか上品な酒が飲めるようになりたいものです。(笑)

Re: t.grayさんへ

t.gray さん。こんばんは。こうしてお話しできるっていいですね。

砂絵、素晴らしいですよね。私もこの映像にYou Tube で初めて出会ったときは
驚きました。糊で簡単な絵を書いてそこにパラパラ色砂を振りかける、という
香具師さんの砂絵しか知らなかったですから。
もうひとり、イスラエルの女性のかたでYou Tube にアップされている方がいらして、
その方のもなかなかいいです。
言葉もなにもない、ただ砂と手だけ。
それで、これほど強い戦争に翻弄される庶民の悲しみを描くことが出来るなんて。

私は砂時計もなんとなく好きです。
砂って本当、T.gray さんがおっしゃるように、無機質なものなのに、
なぜか、人間はさらさらとこぼれ落ちる砂に、想いを寄せますね。
啄木の『一握の砂』然り、清張の『砂の器』然り。
『儚く手からこぼれおちてしまう幸せ』の象徴なのでしょうか。
清張の『砂の器』はわたしの大好きな小説。加藤剛主演の映画も
私の最も好きな映画の一つです。加藤嘉の演技がすごかったなあ。
『砂の女』も懐かしいです。安部公房はわかるとは言い難かったけれど。
そういえば、『砂』のタイトルがついた映画は結構ありますね。
やはり、人間には抗いがたい運命とか、掴みとれない幸せ、を
砂は表しているのですね。
あんな無機質なものなのに、人間の情念をなぜか託してしまう。面白いです。

長崎の平和祈念式典。アメリカを中心とした世界の人々に、そして日本の若いひとにも
原爆の真実を、そして戦争の悲惨を、しっかりわかってほしいですね。

深い、静かな味わいのコメント。ありがとうございました。

今晩は.彼岸花さん。

私はこの砂絵のアート、アンビリーバボーでみました。
驚きましたね。めを奪われましたし、その物語性にも感心しました。
砂って岩石が風化して出来たものですよね。
戦争の記憶や印象が時と共にうすれていくなか、こころに強く訴えてくるようでした。
また、今年の長崎平和記念式典での雨に濡れながらの千羽鶴の合唱の清らかな響きも、何とこころを打つものだったか。空も泣いている様でした。
 丸谷才一氏の笹まくら、松本清張氏の砂の器、安部公房氏の砂の女、など
砂は無機的なのに色々な表情がある様ですね。
忘れられない、忘れては行けない抜き差しならない情念のようなものを感じます。

Re: 魚屋栄吉さまへ

魚屋栄吉さん、はじめまして。コメントいただきありがとうございます。
短波の入る高性能のラジオなどはなかったのですが、モスクワ放送は
よく入り、冬の深夜など、炬燵でなんとなく聴いていました。
旧ソ連の音楽が好きで。今回の砂絵に出てくるお知らせのチャイムのようなもの、
これほんとによく聞いてました。懐かしいです。
あとは北朝鮮からの乱数表の放送とか。

テレビやパソコンもいいけれど、ラジオには独特の時間の過ぎ方があるような気がします。
とりわけ遠く海外放送などが入ってくると。
30年前くらいに小中学生でBCLファンだった子たちが、大人になって再び、
短波放送などに戻ってきているらしいですね。
娘も彼氏に、クリスマスプレゼントなにがいい、と聞かれて、短波ラジオ貰ったらしいです(笑)。
『ラジオの製作』などという渋い雑誌をかすかに記憶しています。

どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。

モスクワ放送懐かしいです

彼岸花さん、こんばんは。

砂絵師の映像、すばらしいですね。言葉は無くても、強いメッセージを送れる事が良くわかります。モスクワ放送、昔、BCLという海外放送を聞くのが流行った時期が30年前ぐらい前にありました。懐かしいメロディーです。

素晴らしいブログですね。また、覗きにきますね。では。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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