『別嬪さん』


コラムニストで、雑誌『広告批評』の創始者で主催者である天野祐吉さん。

朝日新聞朝刊、毎週水曜日に彼が担当している『CM天気図』。
わたしはこの人の書くものに必ずしもいつも共感するわけではないのだけれど、
8月25日付の記事は全くそうだなあと思ったので、ちょっと取り上げてみたい。

まずは記事そのものを転載させてもらおう。

   CM天気図『別品の味』  天野祐吉

 前にも言った気がするが、昔の中国では、物事の評価をするときに、
1品、2品、3品…と順位をつけ、同じモノサシでは計れない別格のすぐれものを
「別品」と呼んだらしい。「別嬪」というのは、つまり、人間の「別品」
のことである。
 なんでこんな話をするかというと、つい最近、テレビで別嬪を見かけたからである。
テレビには美男美女があふれているのに何をいまさら、と言われそうだが、
あの人たちは1品や2品や3品であって別品ではない。
ぼくが見かけたのは、正真正銘の別品なのだ。
 家人に聞いたら、ビンビンさんだという。いま中国一の美女と評判の高い
范冰冰(ファンビンビン)という女優さんだそうな。
 そのビンビンさんが中華レストランにひとりすわって、アツアツの小籠包を口へ。
あまりの熱さに口をモゴモゴさせて食べてから、おいしそうにウーロン茶を飲む。
それだけのCMなのだが、その姿が、何というか、いかにも別品なのである。
 何がそう感じさせるのか。彼女を見たのがはじめてだということが、もちろんある。
が、それ以上に、彼女の持っている健康で、品のある、大人の女の美しさがそう
感じさせるのだと思う。そのふくよかな美しさは、やせすぎ美女に占領されている
いまのテレビの中では、それだけでも別品に見えるのだ。
 これにかぎらず、サントリーウーロン茶のCMには、地方の村人たちとか、
きれいな学生姉妹とか、中国の人たちが良く出てくる。で、その人たちの顔が
また、日本人がどこかで失ってしまったような豊かさや美しさを持っていることにも、
ぼくは驚かされてきた。
 それにしても、この国には別品が少なくなった。政界では鳩山由紀夫さんが
別品かもしれないとちょっと期待したのだが、あの人は「別珍」だったね。
  


わたしもこの意見には全く同感で、記事を読んで深くうなずいてしまった。
ビンビンさん。本当に綺麗な人なのだ。
初めてCMで見たときは驚いた。こんな綺麗な人がこの世にいるのか、と。
以前私は、「花のように美しい女のひとなどというものがあるだろうか」という
テーマで記事を書いたことがある。
さしずめこの人などは、その好例として挙げていいのではないだろうか。

ご覧になったことのない方のために、そのCMをお見せしましょう。
今回、彼女の他の写真なども見たが、ここでの彼女がいちばん綺麗な感じが私はする。
それは、あまり化粧などで作りすぎていない彼女の素顔に近い映像だからなのでは
ないかしら。他の写真は作りすぎで折角の美貌が損なわれていたような。
 
http://www.youtube.com/watch?v=-uGxBRI47P4

本当に別嬪さんである。
ああ。私も別嬪さんに生まれたかったなあ(笑)。

美しい人=別嬪さん、もいいが、本来の意味での『別品』。
いい言葉だなあ。
別シテ品格ノスグレタモノ…。


そういえば、林望さんがエッセイで、慶應義塾大学時代の恩師、
池田弥三郎氏と森武之助氏の名を挙げ、二人の酒がまことに『上品の酒の飲み方』で
あったと書いている。(1993年新潮社刊『テーブルの雲』より『酒の品ということ』)
二人の先生たちは非常にお酒が好きで、強かった。
弟子たちを集めて酒盛りをするけれど、飲むほどに酔うほどに、『清談粋話』。
まことに楽しい、それでいて品格のあるお酒の飲み方をなさる方たちであったらしい。
林望さんのような下戸への目配りもまことに行きとどいて。


この『上品』という言葉。「じょうひん」ではなく、「じょうぼん」と読む。
天野祐吉さんの記事の、1品、2品、…というのはこれと同じことを言っているのであろう。

中国で人物を鑑定したり官吏を登用する際に用いた分類を『九品』(きゅうひん)と言って
仏教では『九品』(くひん)と読む。
『上品』(じょうぼん)、『中品』(ちゅうぼん)、『下品』(げぼん)の3つに大きく分け、
これらにさらに又それぞれ上中下の三品があるとしたのだそうだ。
三品の三倍で九品。

仏教では、『上品』の人は極楽浄土を行き来できると言われているそうだ。
こういう『上品』の飲酒家は、酒飲み全体の中では大海の一滴、ごく僅かな例外だ、
と、林望さんは書いている。

なるほどねえ。
上品の酒かあ…。そういえば、そういう飲み方をする人は少ないのかしら。
下品の酒飲みなら、そこらにたくさんいそうだ(笑)。

酒の飲み方にかぎらず、さまざまな側面で『上品(じょうぼん)』であること。
…これはなかなか難しいことだ。
たとえば、ものを食べるとき。たとえば人にものを手渡すとき、受け取るとき。
人を見送るとき、迎えるとき。
お辞儀の仕方。本のめくり方、鼻のかみ方、洋服の着こなし、
喜び方、笑い方、別れの告げ方…

何よりも、その人の『こころの佇まい』が上等であるかどうかということ……。
個々の振る舞いが美しいかどうかということの根本の、精神のありよう自体が問題なのである。

ああ!
私ってなんて、『じょうぼん』から程遠いのだろう!
時に、自分でも愕然とするくらい、
こころが『下品(げぼん)』になリ下がってしまうことがある。
ああ……!

何かこれは、生まれながらにして備わっているもののようにも思える。
あるいは、その人の過ぎ越し方からおのずと立ち上がってくるもの。
上品の人、まして別品の人は、そういうことさえ意識していないのだろう。
そういうものは、身の内から輝き滲み出るものであって、
私のように、「品」のことを考えているようでは、そもそもだめなのであろう。


別シテ品格ノスグレタモノ…。

天野さんの記事の後半部分の、『この国には別品が少なくなった。』
というところにも深く共感。
高級な商品は世界中から日本に集まっているけれど、本当の質と品格を
備えたものというのは案外少ないのではなかろうか。
何よりも、それを手にする人そのものに、ゆったりと流れる時間や、
おおらかなこころ、本当に優れたものを見抜く目、こころの静謐…
云わば『ひととしての香気』のようなもの…。
そんなものが欠けてきているような気がする。

無論、私自身の自戒も含めて、しみじみそう思うのである……。





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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: morinof さんへ

偉そうに書いていますが、私自身は、あれもこれもいたらぬことばかりで、
品格とは程遠い人間です。
ただ心の内に、「上品になりたい」というよりは、「下卑たことだけはすまい」という
想いは常にあります。
自分で自分に恥じるようなことだけはしたくない。
それはもう、人が見ていようがいまいがかかわりなく、自分の判断基準に照らして
恥ずかしいことはしたくない。
…ところが、ときどき、「ああ、最低!」と思うことをやらかしてしまうのです。
この年になって、なお。

もう品格以前の問題です。

> 別品とまでは到底望まぬが、別格なる生き方をしたいものだと常づね考えているが
> この近年は「野に在り野に朽ちる」も良しと開き直っている。

この言葉。ずしりと重いですね。
「野にあり野に朽ちる」・・・・それは、立派に品のあることだと思います。

人と違っていたい。自分だけは特別でありたい…。
そう願うことは、人間の自然な願望の一つであるけれど、
そのために人がどれほど無理をすることか。
自分の才を他人に認められなければ卑下したり人を羨んだり、世を恨んだり、
どれほど醜い感情がそこから生まれるかしれない。
自分だけは特別…そう思うことから、さまざまな苦しみは生まれる気がします。

本当の『上品(じょうぼん)』というものは、そうやって得ようとして得られるものではなく、
その人の生きざまから、自ずと滲み出、輝きいずるもの。
むしろ、「野にあり野に朽ちる」といった心構えにこそ、それに近いものがあるのでは
ないでしょうか。

難しいですね。大変なテーマをもちだしちゃったな。

美しい心根でいたい…そう願いつつ、自分の愚かさや醜さと日々戦っている
私です。

ありがとうございました。

迂闊には

成程、これは迂闊にはコメントできない。
一品、二品くらいは何とか持ち合わせていようが、「成程な」と頷けば
頷くほどに「成程」が自分から遠ざかる。
別品とまでは到底望まぬが、別格なる生き方をしたいものだと常づね考えているが
この近年は「野に在り野に朽ちる」も良しと開き直っている。
ついコメントが長くなり尻尾が出そうだから、この辺で切り上げておこう。
別品、別格、この品格と言うのもまた実に難しい。

Re: waravino さんへ

waravino さん。テレビをお持ちにならないとは。
これ、実は感動して申し上げております(笑)。
私も24歳くらいまではテレビを拒んだ生活。でも、1972年の
ミュンヘンオリンピックの男子バレーボール見たさに陥落(笑)。

田中絹代さん。演技はうまかったのでしょうが別品さんとは、う~ん、言えませんでしたね。
ハリウッドもそうですが、あの頃の女優さん、あまり美人は少なかったような…。
化粧法のせいもあるのかもしれませんが、女優という職業がまだ特殊なものだったのかも
知れませんね。
原節子さん…。私も、日本の女優さんで、香り高いひと…というと、やはり
彼女を思い浮かべてしまいます。姿形の美醜を越えた、気品があった人、という気がします。
声もよかったですしね。引け際も見事だった…。
今の日本の女優さんにも美しいひとは多いけれど、別格の美しさというと…

はい。私も今さら上品を求めても無駄なこととはわかっているのですが(笑)、
自分の過ぎ越し方を振り返ってみれば、下品のことばかりしてきているのですが、
せめて、こころを少しでも、澄み切った境地にしたいものだと、
何かに抗っているところです。

…ああ!それこそ、げぼんな人間のすることですね(笑)。

waravino さん、ありがとうございます。
謙遜なさいますが、waravino さんのお部屋の佇まいは静謐にして上等、だと
初めて手帳さんのところを経由して訪れさせていただいたとき思いました。
それ以来、ずっと読ませていただいておりました。

別品

動画を見ました。なにぶんテレビのない生活で。CMそのものを見ないため。久々に見るCM映像でした。彼女は作り物でない健康的な美しさを持った人ですね。案外いないものです。昨日。DVDで田中絹代の「愛染かつら」(総集編)を見たのですが。意外に笑いの要素もあって。おもしろい。ただ田中絹代は「別品」ではありませんでしたw 「別品」という意味では。オレの中では「原節子」をおいて他にいません。あの人の「麦秋」だったか。自転車で走るときの笑顔といったら。もうこれは奇跡としか言えない。あれを前においたら。たいていの美人は死に絶えてしまいます(笑 とまぁ。下品の類のオレなどは。今更。上品を求めても場違いになるだけなので。身の程を知って。あまり望まないでいようと思いますw
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『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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