『W先生のこと』 「忘れがたき人 其の三」

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ぼろぼろになってしまった一冊の文庫本。
中原中也詩集である。

これを私にくれたのは、私が高校2年の時の数学教師である。
今からもう45年も前のこと。

私は地方の、ある工業高校に通っていた。
その学校は、生徒数4千人というマンモス校。
私の学年は25組まであって、クラス編成は成績順に行われていた。
その関係もあって、なんと私は高校の3年間クラスに女子一人。
男子生徒ばかりの中に女子一人ならば、さぞかしもてるだろう、と思われるかも知れないが、
実際はその逆だった。私が堅い殻をかぶっていたということもあるかもしれないが、
何より、私に誰も話しかけて来ようとしないのである。
1クラス50人として、その49人の男子の誰も私に声をかけようとしない。
入学したてのころは、それでもぽつりぽつりと話しかけてくる子はいた。
私が返事をする。男子の声域の中に突如、私の細いソプラノの声。
すると、クラスのざわめきが一瞬止まって、後の48人が一斉にこちらを見る。
話しかけてきた子は、バツが悪そうに自分の席に戻ってしまう。
そんな事が続いているうちに、だあれも私に話しかけてくれなくなってしまった。
何か男子皆で申し合わせでもしたかのように。
私がこちらから皆の中に飛び込んでいけばよかったのだろうが、
私はそれでなくとも引っ込み思案。
一日中、誰とも話さず、一人で休み時間を過ごし、一人で弁当を食べる、という
寂しい高校生活が一年半続いた。

その頃のことである。
ある放課後、職員室の前を通りかかると、ちょうど中から出てきた数学の若い教師と
ぶつかりそうになった。
W先生という。
Wは、私のいた工業高校では異質な感じのする教師だった。
私立の工業高校。私のクラスはそうでもなかったが、結構柄が悪い生徒も正直言って
多い学校だった。だから教師は、それを抑えられるような人間でなければならない。
つまりまあ、教師もこわもてのタイプが結構多かったと言えよう。

そんな中、Wは全く学校の雰囲気と違うものを持っていた。
国立Q大を卒業していたWは、うちの学校とは何か違う雰囲気をその身に
漂わせていた。ひょろりと痩せていて、顔色が青白く、というよりはいつも血の気のない顔をして、
それなのに唇だけが妙に赤いのが印象的だった。
髪は漆黒。癖っ毛なのかいつもウェーブがかかって、それが濡れたように額や首筋に
垂れている。顔は綺麗な顔だった。
男なのだが、俳優の故田宮二郎の夫人の藤由紀子にどこか似ていた。
すうっと筆で一筆書きにしたような三日月形の眉に、半月形の、大きな涼しそうな目。
そうして唇だけが赤い。

普通ならば、ハンサムで通ったかもしれないのだが、歩きかたや何かがその
いいところを帳消しにしてしまっているようなところがあった。
胃でも悪いのか、彼はいつも、胸のあたりを手でさすりながら、
廊下をひょろひょろと歩いてくる。
真っすぐ歩けないくらい、その足取りは弱々しかった。
「ああ~!」と声に出して不調を訴えながら、教室に入ってくることもある。

授業は、静かな授業であった。
そんな弱々しそうな教師ならば、悪い盛りの高校生たちがからかったりしそうな
ものだが、あまりにもいつも具合が悪そうなのでかえって労られたか、
それとも、Wには、なんとなく、こんなところにいる先生ではない、というような
雰囲気があったか、授業は盛り上がりはしなかったが、淡々と進められていった。
数学の説明の仕方も簡潔で無駄がなかった。
授業が終わって、また廊下を去っていくときは、本当にもうすぐ倒れて
死んでしまうのではないかと思うくらい、ふらふらしながら頼りなげに歩いていく。

そんなWが、その日、職員室の出口でぶつかったのが私と気づくと、
「あの~、ガリ版刷るの手伝ってくれませんかねえ。」と言った。
何も用事があったわけではなかったので、私はWの後について職員室に入り、
Wが数学のプリントの原紙をガリ版で切ったのを、何種類か印刷するのを、
かれこれ1時間ほど手伝った。
  
作業を終わって、私が挨拶をして退出しようとすると、
Wは、自分の教卓の上の本棚から一冊の本を抜き出して、
「よかったらこれ、読んでみますか。」と私に差し出した。
それは『きけわだつみのこえ』であった。

『きけわだつみのこえ』というのは、太平洋戦争中に戦死、もしくは従軍中に
病死した、戦没学生たちの手記である。
志をたてて学問をしていた青年たちが、戦況の悪化につれて、
兵役猶予の特権も剥奪され、学業半ばにして、戦地に赴き、
ある者は特攻隊員として、南方の海に散り、ある者は
奥知れぬ中国戦線に送りこまれて、厳しい行軍行軍の途中で病を得て
異国の地で病死する。
そういった戦没学生たちが書いた、家族友人への手紙、日記、遺書などを
集めた、痛ましい青春の記録である。

Wはそんな重い内容の本を、どうして私に貸そうとしたりしたのだろうか。
工業高校の、理系の男子ばかりの中にあって、クラスにたった一人、
いつもぽつんと黙っている私の中に、文系人間の魂を見てとりでもしたのであろうか。
一人ぼっちでかわいそうに、という同情であったろうか。

いずれにせよ、Wが私に何らかの読後の反応を期待していたことは確かだったろう。
ところが私は、その本を、長い間、読まずにうっちゃっておいたのである。
中味の凄さを感じないわけではなかった。が、あまりにも重く、
また、その頃社会のことにあまり関心も知識もなかった無知な私には
戦争で空しく散っていった学生たちのいのちの叫びが耳に届かなかったのである。
最初の20ページほどは読んだのだったろうか。
ところどころ拾い読みしたかも知れない。
が、完全には読まないまま、3か月ほども私はそれを借りっぱなしにした末に、
ある日、職員室のWにそれを返しに行った。

Wはいつも通りの、けだるげな様子で本を受け取ると、
「どうでしたか」と一言、静かな声で訊いた。
本をよく読んでいなかった私は、困ってしまって、
しばらく絶句した挙句に、
「はあ・・・・。あんまりよくわかりませんでした」
と答えた。

「わからなかった?」
Wは、瞬間、ぱっと笑って言った。
「ふうん・・・」
と私の顔を見つめる。
私はその、「ふうん」の中に込められている落胆を感じとって思わず顔を赤らめた。

「それじゃね」
Wは回転椅子をくるりと回して、机の方を向くと、今度は引き出しから
一冊の文庫本をとりだして私に渡した。
「これはどうかな」


その時Wが渡してくれたのが、ここに写っている中原中也詩集である。

この詩集の方は、私は一応ほぼ読んだ。
字面をぱっと見て、これは好きでない、と思ったものを飛ばしながら、という
読み方ではあったが、ちょっといいなと思うものは何回か繰り返し読んだ。
「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」というリフレインが印象的な『サーカス』や、
「人には自恃があればよい!」の、『少年時』の中の一編とか、
『寒い夜の自画像』とか。

中也の詩について、私はWにちゃんと感想を言ったか。
言わずに終わってしまった。

高二の秋も深まった頃から、私は生徒会活動をするようになった。
クラスでは、Kという転校生が私の組に入ってきて、
Kは、クラスの男子の間に成立していた、私には話しかけない、という暗黙の了解を
知らなかったものだから、あるいは気付いていてもまったくそれを無視して、
転校の日から私にすぐに話しかけてきた。最初のうちKを揶揄していたりした他の男子も、
そのうちそれに倣うようになり、Kの影でお蔭で、私はぽつぽつと、
他の男子とも話ができるようになっていった。
クラスが終われば、生徒会室に直行。そこにはやはり生徒会役員になっていたKもいたし、
他のクラスの女子で、その後無二の親友となったFとも知り合ったりして、
私はようやく高校生らしい、活発な生活に入って行っていたのである。

一度、本のことをWに言ったが、Wは「ああ、急がなくていいですよ」 と言っただけ。
そのうち学年が変わって、Wは私達の数学の担当ではなくなり、
私は中原中也詩集を借りたまま、最終学年の冬を迎えてしまった。
私はその頃までには就職が決まっていて、3学期の最終試験が終わればあとはもう
卒業式の日まで学校に来なくなる。
今のうちに本をWに返さなければ。

ある日私は、職員室にWを訪ねた。
「これ、長いことお借りしていて」と、中也詩集を差し出す。
Wはにこっと笑って、
「いいですよ」と言った。
「それ、差し上げますよ。持っててください」

Wは私に詩集の感想をもう訊かなかった。
私も、何も言えず、頭を下げて、Wの前から引き下がっただけだった。
「ありがとうございます。じゃ、いただきます」と言えただけ。

そうして私は卒業式の日を迎えた。



それから、およそ20年経って。
娘が中一の夏休みの宿題に読書感想文が出ているが、何を読もうか、と相談してきた。
私は、『きけわだつみのこえ』を書棚から取り出して彼女に渡した。
私が何かの折りにふとWのことを思い出し、書店で買って、そのあと何回も読んだ本である。
20年の間に私も少し成長して、その本が、戦時のいたましい青春の、
稀有の魂の記録である、ということがわかるようになってきていた。
中一の子にはきついだろうな、とは思ったが、私が補足説明をしてやれば、
娘にもなにがしかは理解できるであろうと思った。
理解してほしいと思った。

娘がそれで何を得たか得なかったかはわからない。ただ読んだ、それでいいと思っている。
一粒の種でも心に蒔けていれば。

中原中也詩集は、彼女のものになった。
私も、何回か読んだ。娘と私で好きな詩が違うのが面白い。
だいぶ読みこんだようで、裏表紙は取れて無くなり、
セロテープの補修の跡も今は朽ちかけている。
中には娘の字で何やら書き込みがしてあったりする。
こんなところに共感している!と、親としてはっと胸を突かれるような詩に、
傍線が引いてあったりもする。
本の隅っこには緑色の絵具がこびりついている。

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ああ、W先生!
私はどんなに教師のあなたをがっかりさせるような駄目な生徒であったことでしょう!
こんな素晴らしい本を2冊、思春期の私に差し出し与えてくれたのに、
愚かな、幼い私は、なんの反応もあなたに返さなかった!

でも、W先生! 
私は自分の子供に、伝えましたよ。
私のところで実を結ばなかったあなたの教育は、
間接的に、私の子供のところで、小さな実をつけたのではないかと思います。
3代の手に渡ってこれだけ読み込まれれば、
そうしてなにがしかの影響をその心に深く残せれば、
一冊の本としては、充分にその命を全うしていると言えないでしょうか。

先生は今も御存命でしょうか。
細い細い体を、よろよろさせながら、長い廊下を遠ざかっていくW先生。
あなたはどういう人だったのでしょう。
どんなことを想い、何を考えて、あの、巨大な、ある種殺伐とした雰囲気の学校で、
若い日々を教師として過ごしていたのでしょうか。



 
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Re: ららさんへ

「きけわだつみのこえ」
ららさんにとって、非常に大きな意味を持つ本になったんですね。
私は情けないことに、大人になってからようやくこの本の持つ重さと
その意味がわかるようになったんです。
ららさんは早熟なお嬢さんでいらしたんですね。
一冊の本から、倉田百三へそして西田幾多郎へ。さらに深く哲学の道へ。
ららさんがどうやって出来上がっていったのかがわかる気がします。
そうして、現代において、そのような感性を持つお嬢さんがどれほど
社会の中で孤立せざるを得ないか、もね。
でも、ららさんは、そういう自分の内面を見せず、いつも明るくして
いらしたのでしょう。
そのつらさもまたお察しします。
ひとはなかなか、他人の深い感情や思想にまで踏み込んで知ろうとは
してくれません。自分のことは多く語ってもね。
興味を見せてくれたようでも、上っ面をなぞっていくだけということも多いです。
いちいちそれに傷ついていても仕方がないと諦めて日々は過ぎていきますが、
それはなんと残念なことでしょうね。

その国語の先生にしてからが、折角『きけわだつみのこえ』を教材として
選ぶ、という感性を持ちながら、生徒のららさんの感受性に気づかない。
言葉の達者さなどの表面しか見ていないからですね。
先生がこの本について語っている時、おそらくららさんは目を輝かせていたはず。
あるいは読後、ある想いを籠めてその先生と顔を合わせたはず。
たとえららさんがこの本については至極ポーカーフェイスを通してらしたとしても、
普段の国語の授業で、面白い内容の時は、やはり目が輝いていたはず。
それをその先生は見落としたんですね。

そこで人間の信頼と信頼の糸が一本切れたんです。
そういうことを私はすごく惜しい、と思うの。

私の小学校5,6年の時の担任の江藤先生は(前に岩波少年文庫の記事で登場)、
私が目をキラキラさせているといつも必ず気づいて褒めてくれました。
「ほらほら、・・さんだけが今真剣に聞いてるよ~」などという言葉で。
あるいは黙って微笑み返してくれたり。
貧しかった私は江藤先生によってどれほど自信と喜びを貰ったか知れません。
本好きになったのも江藤先生のおかげ。毎朝の読み聞かせが楽しみでした。

ひとはひとにもっと興味を持ちたいものですよね。
テーマから離れてしまいましたが(笑)。

No title

「きけわだつみのこえ」
これを読んだのはやはり高校生のとき。
国語の先生の紹介だった。その先生からわたしは10段階で3をもらって、国語は嫌いだったのですが、・・・読んでカルチャーショックでした。当時の二十歳前後の若者が自分の死を自覚しつつ限界状況の中で書いた文章・・・。それが驚くほど理性的で、その中にジワッと悲しみが溢れている、心の奥で号泣している・・・そんな印象でした。
たぶんこの本をきっかけにして
少しずつこの重たい理性の夢を直視する本に興味が出てきて、倉田百三の「愛と認識との出発」なんかを読んだり、大学時代には「善の研究」を読んだりと・・・哲学に傾斜して行きました。
たぶんそのきっかけを与えてくれた国語の先生・・・成績は悪かったのですが忘れられないです。
ただ気づいたら、ひとりでした。

プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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