『再びR子、M子へ』

一年前のちょうど今頃、私は塾での元生徒、R子とM子について書いた。
小学校高学年から中三まで教えた子たちだが、二人とも本当に優秀で精神的にも大人であった。
二人の個性はそれぞれに異なって、卒業後選んだ道も求めるものも違っていた。
昨年の記事は、その二人と実に9年ぶりに再会した時のことを書いたものである。
二人とも、一歳、二歳の子供の母にそれぞれなっていた。

少女が母になる…その痛いような感覚を、同じ道をたどってきた女として書き記した。


その二人に、実は今年も私は会っている。
それは先月9月初旬のことだった。

その日私は、ある悲しみの中にいた。
それでも、生徒二人ともう一人、その日集まる場所を提供してくれる元同僚の
女の先生と約束が出来ている。
私の感情のゆえに、集まりをキャンセルするわけにはいかない。

重いこころを抱えて、まだ残暑きびしい日差しの中を私は出掛けた。
この待ち合わせの場所は、私が働いていたころ、時折訪れた町。
私にはその後も懐かしい思い出の町である。

二人の子供たちは、ちょうど一年経ってもうすぐ二歳と三歳になろうとしていた。
去年まだ寝かされているだけだった赤ん坊は、活発に動き回る女の子になって、
テレビの子供番組を見て踊る子になっていたし、
去年まだ一切言葉を口にしなくて、若い母親と私を密かに心配させていた男の子は、
今年はもう、爆発的にしゃべれるようになって、母親となんだか大人っぽい
そして優しげな会話を交わすようになっていた。

ああ、子供の成長はなんて速いのだろう…!

それと同時に、若い母親二人の方にも変化は起きていた。二人は27歳。
そもそも、今回集まることになったのは、R子がその夫の仕事の都合で福岡県に
引っ越すことになったからである。そのお別れ、ということがあった。
R子は、オール5に一つだけ足りないという、すべてにわたって才気煥発でいきいきした、
私が教えた中でも飛びきりの優秀な生徒だった。
それが、若気の至りから高校を入ってすぐ退学し、その後大きな大きな
ある悲しみを背負うことになってしまう。家も自ら出て塾の私たちとも連絡を絶ってしまった。
結婚して母となった今、彼女は自分が学校に行かずに失ったものの大きさを自ら痛感し、
大検の資格を取った。そうして、この秋から通信制の大学の生徒になる。
子育てをしながらこれから4年間。優秀な彼女なら難しい勉強もきっとやり抜くであろう。

もうひとりのM子も、極めて優秀な生徒だったが、彼女の特筆すべきことは
その感受性の豊かなこと。
彼女は素晴らしいアルト~メゾソプラノの声の持ち主である。
彼女は今、演劇の研究生として、勉強を続けている。

ああ、しかしながら。
家庭をもって、主婦としての務めを立派に手抜きなくやりながら、
まだまだ手がかかり、何より母親として傍にずっと寄り添っていたい幼児がいて、
二人とも実家の親たちは遠くにいて助けてもらうわけにいかず、
しかも、自分自身の、ひとりの人間としての夢も叶えていこうとしている…
その大変さは、これは本人たちにしか実感できないだろう。
R子は、三歳の男の子を保育所に入れたりせず、自分のそばに置いて
どっしり構えて大学の勉強もやっていこうとしている。
だから、まあ安心なようなのだが、声楽をやっているM子の方は、やはり思うように動けない
焦りが大きいようで、会っている間中も、時折考え込んでいた。

そんな二人を前にして、
元教師の私は、ああ!…自分自身の悲しみを見つめていた!

2歳と3歳の女の子と男の子は、会っている3時間ほどの間に口こそきかねど
こころに相通じるものが生まれたか、別れ際、それぞれがちょっと愚図った。
こんな小さな子たちにも、別れの寂しさはちゃんとわかるのである。

M子は、バンを鮮やかに運転して帰って行ったが、九州にもうすぐ旅立つR子 は、
三歳の男の子の手をひいて、駅までの10分ほどの道のりを私と一緒に歩いた。
時間は6時を回って、暮れるのが早くなった空は、もうだいぶ薄暗くなっていた。

彼女が高校を中退してから、その後に負った、大きな大きな悲しみ。
それはひとりの少女が負うには大きすぎる悲しみ。
それを私たち教師はどうしてやることもできなかった。

そのことを彼女に謝りたい気もあったが、夕暮れの道。とぽとぽと歩く
男の子の手をひいて、ゆったりと母らしい威厳をその長身の細い体に秘めて、
その時私の隣を歩くひとりの女性。
その彼女に、もう、余計な言葉はいらない気もした。
彼女もただ、黙ってそうやって、私の横を歩くだけでよかったのだろう。

Tという駅は明るく照明に照らされていた。
私は電車に乗る。彼女は実家に寄る。
「もういいから行きなさい。」
切符を買う私を待つ彼女に、私は言った。
「は~い。」
そう素直に明るく返事はしたが、R子は行こうとしなかった。
男の子の上に屈みこんで「・・先生と、バイバイだよ~。」そう教え込んでいる。

私が改札を抜けても、R子は人の流れの邪魔にならぬよう、改札口から
少し離れたところに立って見送っている。
私をよく見せられるように男の子は抱き上げていた。
小さな腕を掴んでバイバイをさせる。男の子と彼女と二つの顔がこちらを見ている。
私は手のひらで、「もう行きなさい。」と合図した。
彼女はかすかに笑って、幼い少女がいやいやをするときのように首を振ったように見えた。


広いロビーを私が歩いて行く間、R子はずっとこちらを見ていた。
私がホームに降りる階段を下りはじめても、姿がいよいよ見えなくなるまでずっと…。

ああ、余情の美…!

それでなくても悲しみに満ちた私のこころは、この言葉を何度も胸の内に繰り返した。
…大きな感情の波がたぷたぷ喉元まで押し上がってくるような気がした…。




少女たちよ。鮮やかに、悔いのないように生き抜け…それがかつて少女だった私からの願い。


先日アップしたばかりだけれど、この記事には、この歌しかないので、もう一度この歌を。



http://www.youtube.com/watch?v=Nf1YhS42C5Q


昨年のM子とR子の記事をお読みになりたくていらっしゃる方は、こちらを。
井上陽水の歌を聞きながらどうぞ。

『少女が母になること』  「愛しき(かなしき)もの」その五 


私は一年半前まで、ある小さな塾で生徒たちを教えていた。
その一人一人が、私にとっては可愛い生徒たちであって、
どの子が一番可愛いとかいうことは出来ないのだが、
約20年間の間には、やはり特に記憶に残る生徒というものが
何人か生まれるものである。

先日、そのうちの二人と会う機会があった。
M子とR子と仮に呼んでおこう。

M子もR子も、私が教えた中でも、とびきり優秀な生徒であった。
小学校5年生くらいの時に入塾して、以来、中学3年で卒業するまで、
かれこれ4年半くらい教えていたことになる。

単に成績がいいというだけでなく、二人とも本当に大人であった。
小さな塾のこと。生徒がそんなに大勢いたわけではなかったので、
大抵は成績別に2クラスに分けるのが常であったのだが、
彼女たちの学年は、二人だけが飛びぬけて優秀であったため、
彼女たち二人だけのクラスを作り、3クラスに分けていたくらいだった。

私はその頃主に英語を担当していたのだが、
中学1,2年生くらいまでは、まだ英文もごく簡単なものしか教えてないので、
どうしても、内容的に深い話はしにくい。
ところが、中学3年生くらいの、それも受験用の英文くらいになると、
それなりに内容的に面白いものも多く出てきて、
英語の授業から離れてつい、中に書かれていることについて
話が膨らんでいくことが多かった。
私はすぐ脱線する教師であった。

そこのところを二人はよくつかんでいて、授業に少し疲れてくると、
私をその脱線の方向に持っていくのが本当に上手かった。
さりげなく、中のある一点について質問してくる。
すると私はつい授業を忘れて、熱く語りだしてしまうのである。
高校受験でも、国語、英語、社会などには一般的な教養の幅の豊かさを
要求する問題が結構あり、雑談もまた、どこで役立つかわからないから、
まあ、良しとして、敢えて授業の形にこだわらないという気分も私にはあった。
二人はそれをにこにこしながら聞いている。
そのにこにこ顔で、私は自分がうまく乗せられたことにはっと気づくという具合。


かなり難しい問題を出しても、二人のこなすスピードが速いので、
用意していたものをやりつくし、時にすることが無くなってしまうことさえあった。
そういう時は、彼女たちのやりたいことを残りの時間にしていていいよ、
と言うこともあった。
すると、M子は大抵英語の問題をもっとやりたがり、R子は数学の宿題を
やっていていいか、と言う。
いいよ、と言うと、それぞれのしたいことを静かにやりだすのだが、
R子は難しい数学の問題を解きながら、私がM子にする英語の説明も
ちゃんと耳に入っているらしく、ときに代わりに答えたりする。
それは静かで、また活発でいきいきした、そうして信頼感に満ちた、
教師の私にとっても本当に楽しい時間であった。

その二人が結婚して、一昨年去年と、相次いで子供を産んだ。
M子は塾を卒業しても時々たずねてきてくれていたが、
いろいろなことがその後その身に起きたR子の方とは、実に9年ぶりの再会であった。

二人はすっかりいい母親になっていた。
M子の方は一歳の女の子。R子の方には二歳の男の子。
二人とも子育てはうまそうであった。
子供からけっして目を離さず、といって過干渉するでもなく、
ゆったりと大きく構えて子供を育てているようであった。

だが、それを見ている私の体は、「ああ、痛い!ああ、痛い!」と
悲鳴を上げていた。
この感じはなかなか人にわかってもらえまい。

それは、母親が娘に対してだけ抱く痛みではなかろうか。
まあ、この二人は私にとって娘のようなものだから。
 
それは、「ああ、この二人も、これから、私がこれまで辿ってきたような、
女としての道、母としての長い道を辿っていくのであろうか!」という、
体が痛く感じるような、いわば、憐れみと共感と愛しさのないまぜになったような、
複雑で説明しがたい想いである。

R子は背の高いほっそりした少女であった。学校の成績は美術だけが4であとは
オール5。体育祭のリレーの時はそのしなやかな細い体で、
どんどん前の人を抜き去っていくスポーツ少女でもあった。
そのノートの美しさ、見事さといったら!
しかし、彼女はその後、数々の悲しみを知る少女となってしまった。
心配する塾の教師達やM子とも会おうとせず、一人悲しみを抱えて
生きてきた。
そのR子が今、一人の子の母親になって、私達の前に戻ってきてくれていた。
顔立ちのあどけなさは昔とあまり変わっていなかったが、
腕が、やはり女らしく丸みを帯びてきているのが、私には愛おしく痛ましく、
長い間、放っておいたことを詫びて抱きしめてやりたいような気さえした。

M子は、日本人の女の子には珍しく、度胸のいい、弾けたところのある少女であった。
塾でクリスマスのパーティなどをすると、何か歌を歌ったり
即興で何かやらなければならないような罰ゲームをしたりすると、
大抵の少女がもじもじしてはっきりしない中、M子は明るく弾けて
なんでも率先してやり、場を盛り上げてくれるような少女だった。

後に彼女は演劇と声楽の道を選び、夢に懸けていたのであるが、
彼女は又恋多き少女でもあって、いくつか情熱的な恋をしたのちに、
(彼女は恋愛の相談にもよく塾を訪ねてくれていたので、私はその間のことを
割合聞かされていたのである)
初恋の人と結婚して、今母になって、やはり私の前にいた。
M子は素晴らしい声の持ち主である。
日本人離れした、胸の奥底から響いてくるようなメゾソプラノの声をしている。  
  

「ああ、痛い!ああ、痛い!」と、私の心が叫ぶ。

少女が母になること・・・・・。
それはなんて痛いことなのだろう! 

彼女たちが抱えていた夢。彼女たちが秘めていた可能性・・・・。
それをおそらく彼女たちはこれから数年間、あるいは一生、
封印して生きていくのである。

勿論、子供を育てていくことは素晴らしいことである。
そんなことは私自身経験して、百も承知である。

それでも、ああ、私の心と体が、「痛い、痛い!」と言う。  

人が生きていくことの悲しみと喜び。
少女が大人になり、人の妻となり、人の子の母となっていく・・・・
その過程で、彼女たちが捨て去る自分の夢や自由・・・・・

勿論逆に、得るものはとても大きいのである。       
それでも。
それは知りつつなお、私は母のように彼女たちを見つめながら、
自分の体と心に痛みを感じている。

M子よ。R子よ。
全てを手に入れなさい。
妻になっても、母になっても、少女の夢を忘れないで。
女としての喜び、母としての喜び、人間としての喜び。
そのすべてを欲張って手に入れなさい。
あなたたちならきっとできる。

R子よ。M子よ。
輝きを忘れないで。
人生に恋する心を忘れないで。

私はずっとあなたたちを見守っています。  
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Re: 依里さんへ

依里さん。こんばんは。

去年と今年のこの2つの記事は、勿論M子、R子、二人に私がこころで送るメッセージですが、
二人にかぎらず、私の周りにいるすべての若い方に届けたい、私のこころからの
願望でもあります。

自分の娘(まぁ、彼女にはもう十分に伝えきっていると思いますが)、そして
ブログを訪れてくださる若い皆さん、すべてに。男女関係なくです。

人生は一度っきり。そうして、長いように見えますが、85歳まで生きても、
日数にすれば、僅かに三万日くらいです。
私くらいの年になって振り返ってみると、本当に、時は矢のように過ぎていく。
私は随分、人生で無駄をしました。というより、なさなかったことの多さに
いまさらながらに驚く。
だから、若い人には常に言いたいの。
思いきり好きなように生きなさい。他人のことで思い煩うんじゃない。
羽目を外しなさい。なんでもやってみなさい。
失敗しても、自分で責任をとればいいだけなのだから、と。
(K元首相が好きだった『自己責任』というのとは違います)
娘には、「野垂れ死にしてもいいから、好きなように生きよ。後悔するな。」と言ってあります。

まあね、よそのお子さんにそんな過激なことは言えないけれど(笑)、
出来るだけ、なんでも経験してみなさい、とは言いたい。
小さなことでもいいんです。積み重ねれば、すごいことになる。
皆がそれぞれに、鮮やかに生き抜いてほしいなあ。
勿論私自身もです。『ああ、人生、生き抜いた!』と思って死にたい。

あっ、私、そうなんです。
小さな塾の教師でしたけど、英語と数学教えていました。国語が本当は一番
教えたかったけど、他に人材がいたから。
英語はねえ。私のは正直言って実用英語ではなく文法英語、受験英語です。
典型的な、使い物にならない英語(笑)。
依里さんは留学してらしたのね。いいなあ。
私ね、英語勉強しなおしたいの。使える英語にしたいの。
今度、いい勉強法教えてくださいね。

『引き寄せの法則』ですか。確かにそういうもの、あるかもしれませんね。
あなたと出会ったのも、きっとご縁があったの。
私はこれまで、人との縁を切ってばかりで生きてきた…。
でも、今は、出会ったえにしを大切にしたい。そう心から思います。
依里さん。これからもよろしくね。
いつもありがとう。

No title

重みのある記事を読ませていただきました。

私は昨年の記事の事を知らなかったのですが、なぜか彼岸花さんの事を、元先生か、または人に何かを教える仕事をしていた人ではないだろうか、と思うようになっていました。
それも私の大好きな英語を教えていらっしゃったとの事。なんだか繋がりを感じますね。

以前、「引き寄せの法則」と言うものについて、話してくれた人がいるのですが、そう言う目に見えないものってあるのかもしれないなぁ、と思いました。

Re: morinof さんへ

morinofさん。ありがとうございます。
私が伝えたかったことを、まさにその通りなんです、と言いたいくらいに
お受け取りくださり、また的確な言葉で表現してくださり、本当に
ありがとうございます。

人が人として生きていくこと…
それはなにも、少女にかぎらず、なんと痛々しいことなのでしょう!
若いうちは、自分の生きている目先の道しか見えない。
それを人は、手さぐりしながら,『つんのめるように』して進んでいきます。
その時々の判断に迷いながら、自分の先々に待つもののことも知らずに。

でも、私のこの年になると、自分の過去を俯瞰することが出来ます。
そうすると、私が手さぐりしながら辿ってきた同じ道を、若い子たちが今まさに
辿ろうとしている…。
それは、もう、こころと体が悲鳴を上げるほどの、『痛い』感覚です。
あの時私が感じていた焦燥、あのとき私が感じていた悲しみ…
それをあなたたちがまた同じように感じて、生きていくのか…、と。
でも、それは、私とはまた違った方向にそれぞれ向かっている。

私はそれを遠くから見守っているしかありません。
私自身も、実は、人生の途上にあって、実は自分の辿る道の先は全く見えず、
手探りで進むしかないのですものね。
その時々の、喜びの鳥の声や、悲しみの花に彩られた道を。

人の感情は、二人の子供たち、2歳と3歳の幼い幼いこどもたち、
その二人がすでに別れの悲しみを知るように、ずっと変わらず
滔々と流れ続ける豊かな川なのかもしれません。
幼児が少年少女になり、少年少女が大人になったら、
全く違った流れになったり、大きく発展したり、と思いがちだけれど、
悲しみの感情、喜びの気持ちは、少しも変わらずにあるものなのかもしれません。
morinof さんがおっしゃってくださったように、大人はただ、

『風のように飄々と生きている』ように見えはするけれど、
『こんな深い哀しみを顔にも心にも出さず、ただ静かに
胸の内に抱え込んだまま生きて』いるだけのこと。

その初々しさ、そのひりひり感は、幾つになっても変わらないもののようです。
それだから、私のこころと体が、彼女たちを見て、「ああ!痛い!ああ、痛い!」と
また疼くのでしょう。

胸にしみるコメント、ありがとうございます。

 

胸の痛み

「いつのまにか少女は」
前回の記事でも感じたことですが
この歌と映像を見ていると心が痛くなります。
抗いようのない深い哀しみのような・・・・・・。
若いころ、いい大人たちは
風のように飄々と生きているものだと思っていたのに
今になって分かる心の痛み。
若き日に見えていた、あの大人たちも
こんな深い哀しみを顔にも心にも出さず、ただ静かに
胸の内に抱え込んだまま生きていたのでしょうね。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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