『一粒の麦』 「忘れがたき人 其の五 」

「あのう。すみません。この電車は、N駅に停まりますかね。」
 
今からそう、10数年前にもなろうか。
その日私は、東京近郊のある駅のホームに一人でいた。
電車がホームに入ってくる。
降りる人がすむのを待っている。
と、私の横に立っていた初老の男性がそう、たずねかけてきた。

「あ、はい。停まります。」

男性は笑顔で会釈すると、私に続いて電車に乗り込んできた。
9月初旬のまだ残暑の残る頃であった。
電車は中くらいの込み具合。座席も探せば空いているという感じだったが、
私は基本的によほど長い距離でない限り座らないのを常としていたので、
その日も乗り込んだところを少し入った辺りに立っていた。
男性も、後ろから乗り込む人に押されたか、私の隣辺りに立っていた。
年の頃は70代初めというところか。
背は私とそう変わらないくらいだが、がっちりした体躯で、背筋がぴんとしているので
もっと若い印象が最初はした。

「どうもすみませんでしたね。」
男性が話しかけてくる。
「いいええ。」私は笑って会釈する。
「これからね。Nの町で入院している娘のね。見舞いに行くんですよ。」
男性はそんなことを静かに言った。
「ああ。それはそれは。どうぞお大事になさってください。」

それきり二人とも黙る。
郊外を走る電車。スピードが上がっていく。
窓の外は切りとおしの土手になっていて、車線区の職員が植えでもするのか、
マリーゴールドやサルビアなどの花壇がささやかに作られているのが
時折見え、それらがあっという間に通り過ぎていく。
私は吊革につかまって、電車の揺れに身を任せ、ぼんやり窓の外を眺めていた。
 
と、電車の窓を時々、真っ赤な色がかすめて過ぎていく。
何だろう。土手に植えられた何かの花なのだが。
そう思いながら、少し身をかがめて窓の外を注目する。

「カンナの花が咲いてますね。」
男性が言った。
ああ、そうか。カンナの赤い色か。道理で鮮やかなはず。
見ず知らずの男性だが、その一言で、少し気持ちが通った気がする。

それをきっかけに、男性は、見ず知らずの私にぽつりぽつりと身の上を話しだした。
男性は、かつて、日本陸軍の新兵の訓練をする教官だったそうな。
全国から集められてくる、ほとんど少年と言っていいような青年達の訓練を
やっていたのだそうだ。
「厳しい教官でしたよ。私はね。」と男性は自分で言う。
「内地にいる間に厳しくしつけておかなきゃね。すぐ、死ぬんだ。
戦場ではね。甘いことは通用しない。だから随分、生徒を殴ったりもしました。
恨みも随分かったでしょうなあ。
あの、カンナの赤い花を見るとね。訓練した奴らのことを思い出すんですよ。
昔は、あれがあちこちに植えられてましてね。
教錬場周辺にもあの、血のように赤い花が咲いていましてね。
そこでの基礎訓練を終えると鹿児島に送られていくんですわ。」
「そして、そこにあった基地でまた訓練をほんのちょっとばかし受けてから、
もう、少年のようなのが、特攻に行くんですからなあ。」

「鹿屋ですか。知覧ですか。」
それまでなかば当惑しながらも、黙って男性の話を聞いていた私は尋ねた。
「ほう。鹿屋、ご存じですか。」
男性は少し目を大きく見開いた。
「そうです。鹿屋基地。あそこから、私の生徒も何人もが飛び出していった。
そして戻ってきませんでした。私は内地にいて威張っていたばかりでね。
罪作りなことをしたもんですよ。」
「あの赤い花を見るとね。毎年、生徒の顔が目に浮かぶんですわ。」

私は黙って頷いた。
「私は大正8年なんだが、奥さんは大正何年生まれくらいかな。」男性が訊く。
「いいぇ。私は戦後の生まれです。」
私は苦笑しながら言った。いくらなんでもね。30近くも上には見えないでしょう。
「ほほう。」男性はあらためて私の顔を見直した。
「こりゃあ、失礼。知覧や鹿屋の名が奥さんの口から出たので、てっきり私は
戦中を生きた方かと。」


降りる駅が来たので、私は男性に頭を下げ、別れを告げた。
ホームを歩きながら、ちらっと電車の中の男性の姿を振り返った。
男性はホーム側には背を向け、まっすぐな姿勢のまま、ぽつねんと電車の中にいた。

今頃、少し自己嫌悪してるんじゃないかな、私はふと思った。
何を感じて、彼は見ず知らずの私に、ああも多くを語ったのだろうか。
恐らく、入院している娘に会いに行く、その不安や心配や当惑から
一種の興奮状態にいたのかも知れない。あるいは人恋しかったのかもしれない。

その病気の娘さんももう50代くらいにはなっている人だろう。
おそらく、父と娘はそうたびたび会う仲ではないかもしれない。
おそらくあの男性は、私に話したようなことを、娘に語ったことはあまりなかったかもしれない、
ふとそうも思った。

戦争の悲惨をみてきた者たちは、あまり多くを語りたがらない。
回りの者もあまり聞きたがらない。
そうやって話さずにいるうちに、戦争の記憶はどんどん風化していく。

男性と私は僅か10分ほどの間の出会いと別れであった。
勿論名前も知らない、もう顔も覚えてない。
でも、その時の男性の、し~んと冷たい心の内を、なんとなく私は忘れられずにいる。
本当に行きずりの人間でしかない私に、戦中の思い出を語ったその心を想う。
私が電車を降りた後の、苦い心を想う。
自分が送りだした若い兵士たちが、次々に戦地に赴き、ある者は
二度と帰ることがなかった。今は愚かな戦争と言われる、あの戦争に、
自分が加担していたという苦い想い。
もう老境に入りつつある男性は、それをずっと引きずりつつ生きてきた。
口ぶりからすると、かなり具合の悪そうな娘の病院に今から行く。
その屈折した思いが、ふと、赤いカンナの花をみた時に噴出したのだったか。

なんで、私が、知覧や鹿屋基地の名を知っていたかって?
そこから太平洋戦争末期、多くの若者が、帰りの燃料も積まない飛行機に
搭乗して、巨大なアメリカの戦艦に突っ込んでいった、いわゆる特攻基地であった
鹿児島県、知覧、鹿屋基地を、どうして戦後生まれの私が知っていたか。

ちょうどその頃、私はひそかに特攻隊のことを調べていたのである。
そのおおもとは、あのW先生がくれた『きけわだつみのこえ』にあった。

高校生の私が、愚かにも、「よくわかりませんでした」という情けない感想しか
述べることのできなかった『きけわだつみのこえ』。
戦没学生の悲痛な魂の記録。

それを私は、何十年もたってようやく正当に理解できるようになり、
その周辺のことを盛んに読んだり調べたりしていたところだったのである。

その勉強が何に結実した、ということではなかった。
書こうとしていた話は、途中で頓挫してしまったし、結果、何につながったということ
でもなかったのだが、あの時、W先生が、私の心に巻いた一粒の麦は、
私のうちで、数十年の後にようやく細い芽を出し、ひょろひょろながら強い反戦の意思と
なっていった、それだけは言えるかもしれない。

二度と若者を戦場に送りだしてはならない。
その想いは今も私の内に深く根を下ろしている。


  
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Re:鍵コメさんへ

その御親戚の方はすごい人生をお歩きになられましたねえ。
この本を読んでも、どれほど多くの心ある人々が、理不尽にも
その生涯を途中で断ち切られたり、あるいはゆがめられたりしてきたことでしょうか。
先の戦争は遠くなり、もうその実態を語れる人々は日に日に少なくなっていきます。
でも、いまだに、日本は、戦争を直視しきってはいないんですよね。
先ごろNHKで放送された、元海軍将官たちの開戦前夜を語るテープを聴いても、
懐かしげに笑って語っていて、戦争と自分との関係を客体視していないようでした。
心性は今も昔も変わっていない。
また、日本人はああやって何の気なしに戦争に加担していくのかもしれません。

ららさんへの返事にも書きましたが、元一兵士が、国家と旧日本軍の上官を
激しく告発した「行き行きて神軍」というドキュメンタリー映画がかつて
ありました。私の心に深く残る映画です。

Re: Re: ららさんへ

> 先ごろ明らかになった日米密約のことにしても、国家が個人に強いた無言の圧力、というものは恐ろしいです。沖縄戦の集団自決についてもそうですね。
> 戦後何年経っても、何か無言の圧力が、その場にいた者の口を閉ざさせている。
> その無言の圧力、というものは、国家の鎧を着た、国家のお面で自分の素顔を隠した
> 個々人なんですよね。権力にしがみつき甘い汁を吸っている人たち。
> 国家、という生き物がいるわけでは実はない。
>
> 戦中は、おそらく私もそういうお面をかぶったかもしれない。
> 戦争が終わって、ごく要領よく、そんなお面はとっとと外して、リベラルのお面を
> さっとかぶった人もいたでしょうが、それは案外戦争の悲惨を体験しなかった人々ではないでしょうか。実際わが手で人を殺し、戦友を見捨ててこざるを得なかった人々、
> 良心の強い人々は、戦後、口を閉ざしてしまったのでは。

> ようやく60年もたって、自分の死を間近に思うようになって、重い口を
> あけて語り始めてくれる人もいます。
> でも、世間の人はおおむね無関心。
>
> ずっと前、『行き行きて神軍』というドキュメンタリー映画がありました。
> 旧日本軍の一兵士(本人)が、ニューギニア戦線だったかな、国からの
> 食糧兵器の補給が閉ざされた中で餓えきって、現地人や死んだ戦友の
> 人肉を食べたことを明かし、国家と上官を追及告発する、というすざまじい映画でした。
> 鬼気迫る映画。戦争の真実をこれほど深くえぐったものはないと、今でも
> 私は高く評価している映画です。
>
> これは、戦争の悲惨を体験者自らが告発した第一級の映画だと。

No title

戦争の生々しい体験を持っている方はもう80を超えるお歳でしょう・・・。偶然が生と死を分けて、死にゆくものを間近に見ながら生き抜いた方々なのですよね。
戦前の軍国主義思想を信じて散っていった命の冥福を願いつつ、戦後の民主主義の良さを体験していく・・・そういった方々、
ひとりひとりの心にどれだけ深い傷を残したことか・・・
あまり「語られなかった戦争の事実」という言葉はあまりに軽い、「とても語ることも思い出すことさえ死ぬほど辛い体験」なのだから。
国家の責任はあまりに重いです。
語るには60年の月日は必要だったとおもいます。
しかも、見ず知らずの方だから、かえって心の底を語ることが出来たのだと思います・・・ひょっとしたらその方はその事実をはじめて語ったのかもしれないですね。

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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