『残菊 』 「愛しき(かなしき)もの」その十 

あっという間にもう師走。
こころはまだ、秋口のような気でいたら、もうあたりはすっかり冬の気配が濃厚である。
それでも、やはり温暖化は進行しているのかな。
植物は、昔より、冬支度が遅いような気がする。
近くの川べりを散歩していても、昔より、まだ咲き残っている花が多い気がする。
黄花コスモスや鶏頭、野の花ではあかまんまの花など。
街中でも、日当たりの良い道路の隅などに、夏の花であるムラサキカタバミが、
さすがにすがれた姿ではあるが咲き残っているのを見たり、
秋の花であるホトトギスがまだ美しく咲いていたりするのを見かけると、
昔はこんなことなかったがなあ、と少し自然の変調が不安になる。

今の季節で、私が一番好きなのが、家々の庭先に咲いている残菊である。
残菊と言っても、そういう名の菊があるわけではなく、この時期まだ咲き残って、
冬枯れの庭に姿を乱している菊を残菊と呼ぶ。

花でも葉物でも、庭が盛りの頃には人は、支柱をせっせと立ててやったり剪定をしたり
こまめに世話をして、樹形を整えてやったりする。
しかし、秋が深まり、草木が枯れて、庭が寂しい様相になると、
庭の隅で咲き始めた細々とした菊などには、あまり構うものはいなくなる。

自然、菊は、大きな花を咲かせるための摘芯などもうしてもらえないから、
枝が伸びるままに、増えるままに、勢いのない小さな花をたくさん咲かせることになる。
枝そのものも、支柱など立ててもらえないので、好きな方向に好きなようにのびていき、
やがて花や葉の重みに耐えられず、地べたを這いずるようにだらしない姿に
なっていったりする。

この、姿の乱れた菊が私は好きなのだ。

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花屋に行くと、切り花の菊は、スプレー咲きと言って、一本の茎が
たくさん枝分かれして、したがって小花のたくさん付いた菊が
今多く見かけられる。
これは菊だけでなく、カーネーションなどもスプレー咲きのものが多くなった。
たくさん花がついていれば、それだけ一本でも豪華に見えるからいいじゃないかと
良く売れるようだが、私はあまりこのスプレー咲きというやつが好きでない。
何か味気ない気がするのだ。
言葉は悪いが、一本で出来るだけ花をたくさんという発想が、何かケチくさい気が
してしまうのである。
そんな中途半端な物を買うくらいなら、私だったら、むしろ一輪咲きの菊なり
カーネーションを買って、それを一本、花瓶にさす。
昨今は何でも、合理性というものが優先され、売れるものだけ作ってればいいじゃないか、
売れるものだけ店に並べればいいじゃないかというのが多くなり、
本屋も、洋服も、花屋も、どこの店に行っても同じような品ぞろえ、同じような店の顔に
なってしまって本当につまらない気がするのは私だけだろうか。
主人の好みのはっきりと打ち出された個性的な品ぞろえの店というのが少なくなり、
掘り出し物とか、商品との「稀な出会い」を、自分の勘で探し出す楽しみ、というものが
出来にくくなってしまいつつある気がする。

万事中庸を好み、自分だけ突出しないようにと思うのが今の時代の空気なのかどうなのか、
花の色も洋服の色も、中間色が多くなった。
菊でいえば、同じ黄色でも淡い黄色。ピンクもオレンジも皆淡い色調の、
スプレー咲きのものが多く並んでいる。
それでいて、なぜか、たくさん並んでいるさまが、いきいきと明るくはないのである。
どこかくすんでいる感じがする。
好みというものは人それぞれであるから、何がいいとか悪いとか言えないものであることは
百も承知だが、
「ああ、はっきりしろ!」
と、なぜか叫びたくなる私である。

いま一つ。花屋の花は、なぜああもまっすぐなのか。
要望があるから、まっすぐなものを作るのだろうが、本当にそうなのだろうか?
本当に消費者は、まっすぐな花、まっすぐな硬いキュウリ、まっすぐな筋っぽいインゲンを
求めているのだろうか?
なんだか味気ない。

よくテレビの時代劇などで、道端に菊やリンドウが咲いているシーンなどを見かけるが、
これがもうほとんど、今どきの花屋で誂えてきた、やけにまっすぐな菊やリンドウなので
見ていて笑ってしまうことがある。
花の姿の乱れた菊など花屋にないのだから仕方ないと言えば仕方がないが、
以前、松田聖子主演で「野菊の墓」をやった時、主人公の政夫少年が、
恋する民さん(松田聖子)に向かって「民さんは野菊のようだ」という、一番大事なシーンが
あるのだが、その時松田聖子が手にした野菊が、花屋のまっすぐな白い小菊の花だったのには
ちょっと笑えなかった。呆れてしまったと言ったほうがいい。
なぜ、秋まで待って、野辺に生えている花を使わないのだろう。

もっとも、野菊という名の花はなく、野に咲いているキク科の花ならばどれでも
野菊と呼べるのかもしれないが、私などが子供の頃、「野菊」と言えば、
それは、ヨメナのような、うすむらさきいろの野の菊のことであって、
白い花というイメージは全くなかった。
小学校で習った歌に『野菊』という歌があったが、これも最後の歌詞で、

きれいな野菊
うすむらさきよ

という風に歌われているから、『野菊の墓』の原作者伊藤左千夫も、おそらくは
このヨメナのようなうすむらさきいろの野菊をイメージしていたと思われる。
1955年、木下恵介監督で撮られた『野菊のごとき君なりき』という映画の中では、
ちゃんと、二人が、秋の野に群がり咲く本当の野菊(おそらくヨメナ)の中で
件の大事なセリフを言いあうから、まあ、植物に対する想い、というか、
厳密さが、監督によってこうも違うのかと思わざるを得ないのである。
たかが花一つ、という勿れ。
『野菊の墓』というタイトルの映画に、野菊でない、花屋で買ったピンと真っすぐな
味気のないスプレー咲きの白い小菊を使う、というところで、映画作りの心意気を
もう疑いたくなってしまうではないか。

どんどん、人は自然のありのままの姿から離れていってしまう。
花屋の花は針金でも中に入っているかと思われるほどにまっすぐ。
百合の匂いを嫌う人のために、活けた水に加えると百合の花の
あの気高くも濃厚な香りが消えてしまう、という薬剤が開発されたと、
この夏新聞記事で読んだ。
花粉で衣服などが汚れるのを避けるため、花屋の百合は雄蕊の部分が
切り取られて売られているのを見ると、私などは、あああ!と思ってしまうのだ。
薫りのしない百合?
そんなものなら最初から買わないがいい。

てな訳で(笑)、この、道端の、乱れ咲いた残菊の花を見ると、
なぜか心安らぐ私なのであった。

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初冬の光の中で、人にそう顧みられることもなく乱れ咲く花。
なんとは言えないけれど、なんとなしの風情があるではないか。

そう。今どきの花屋のまっすぐすぎる花には、「余情の美」というものが
感じられない気が私はするのである。



追記。
よく見ると、この写真の比較的大輪の菊たちには、植えた人がやったか、
ちゃんと支柱がたててあるようだ。
自分の家の地続きとは言え、自分の庭でもない川べりのささやかな空き地に
これらの花を植えて、こまめに世話をする人のこころが感じられて、
それはそれで私は嬉しいと思う。
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 手帳さんへ

手帳さん。こんばんは。
お返事遅くなってごめんなさい。風邪をこじらせてしまいました。

私のとりあげる花と花の趣味が重なっていると言ってくださって
とっても嬉しいです。私もね、手帳さんの記事読ませていただいて、
そんな気がしてたの。ダリアの記事書いてらしたでしょう。
私もうね、ダリアは花の中で一番か二番かくらいに好きなんです。
その手帳さんのお庭のダリアが、支柱をされずに曲がったままで咲いている
というところを読んだとき、「ああこの方のお庭好き!」と思いましたもの(笑)
乱菊の記事にも書いたとおり、私は多少荒れた庭の方が好きなのです。
というより、むしろ、『廃園』が好きかも。
勿論、手帳さんのお庭はそんなでなく、すてきな花たちが次から次に
咲き乱れる、そんな魅力あるお庭に違いありません。

『どくだみの葉って、ブロンズと緑が混ざってるんですよね・・・』

ああ、わかっていらっしゃる!(笑)
どくだみの美しさをわかってくださってとてもうれしいです。

『ところで田んぼ道を散歩中に拉致った可憐な野菊を庭の隅に植えておいたら、
立派すぎる菊になっちゃって・・・
騙された男の気持ちを味わってます。
光源氏と同じで契った女は大事にしてますが。』

ここのとこ読んで、くすくす笑ってしまいました。
野菊を『拉致って』らしたんですかあ。いいなあ、手帳さん!
その野菊が立派すぎるほど伸びちゃったってところ。その野菊。可愛いなあ。

そうして最後の決めがまた凄い。
『光源氏と同じで契った女は大事にしてますが』
このセリフを、出合った花のひとつひとつを愛する、ということの
表現にお使いになるとは。もう、拍手拍手です。
そうなんですよねえ。
光源氏はたくさんの女人を愛して、嬉しい想いも悲しい想いもさせるんだけれども、
どうしようもない浮気者なんだけれども、契った女は大事にし続けるんですね。

花に限らず、すべからく、人は他生の縁があって出合ったものは、
ずうっと慈しみ続けるのがいいのでしょうね。

親類、友人…縁を切ってきてばかりの私は、この頃になって、
ひとと何かをつなぐご縁というものは、大事にしなければ、と思う
ようになってきたところです。

またすてきなコメント、お待ちしています♪


> 彼岸花はアートですし、どくだみのしっとりした質感ってとてもなまめかしい。
> どくだみの葉って、ブロンズと緑が混ざってるんですよね・・・
>
> ところで田んぼ道を散歩中に拉致った可憐な野菊を庭の隅に植えておいたら、
> 立派すぎる菊になっちゃって・・・
> 騙された男の気持ちを味わってます。
> 光源氏と同じで契った女は大事にしてますが。

No title

彼岸花さんの花の話ずっと聞いていたい。
花の趣味が重なっているのか、うんうん、なるほど!って心地いい。
彼岸花だし、どくだみだし。
彼岸花はアートですし、どくだみのしっとりした質感ってとてもなまめかしい。
どくだみの葉って、ブロンズと緑が混ざってるんですよね・・・

ところで田んぼ道を散歩中に拉致った可憐な野菊を庭の隅に植えておいたら、
立派すぎる菊になっちゃって・・・
騙された男の気持ちを味わってます。
光源氏と同じで契った女は大事にしてますが。


プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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