『手を動かすこと』 「愛しき(かなしき)もの」その十一

昔から、女は悲しいとき、
涙を流さないようにするために、手を動かしてきた。

意地悪な姑の仕打ちに耐えかねて泣きたいとき、
洗濯物を抱えて井戸端に行き、ざぶざぶと家中の者の下着などを洗いながら
すすぎの水と共に、心のうちの涙も一緒に洗い場に流し捨てる。

夫の心ない言葉に、心がささくれ立ったとき、
台所で、家中の者の皿小鉢などをかちゃかちゃ小さな音たてて洗いながら、
密かに頬に涙が流れるままにする。
台所は女が人目はばからずに泣ける場所である。

病の子供の回復をひたすら祈るとき、
母は、明かりを落として薄暗くした部屋で、
子供の枕辺に縫い物を持って座り、
ちくちくと繕い物などをしながら、
時折子供の顔を心配そうにのぞきこむ。

昔の女はこんな風に、悲しい時はとにかく手を動かして
その悲しみを、体の外へ出そうとしていたような気がする。

私の母なども、まあ、それが生活の道だったとはいえ、常に縫いものの
手を休めずにいた。
今頃の季節になると、水仕事などで手が荒れる。
そのささくれのたった手に、柔らかい絹ものがひっかかると言って
よく嘆いていた。
昔はどこの家でも正月に向けて、家中の者の衣類を新しく誂えなおしたり、
その余裕のない者は、せめて着古した着物でもほどいて洗って仕立て直しをするのが
常であった。だから暮れには、母のところにも、正月の晴れ着などの仕立ての注文が
多く集まるのである。
他人さまから預かった柔らかい錦紗などという絹ものを着物に仕立て上げるのであるが、
その柔らかい布地が、荒れた手に引っかかって縫いにくいというのである。

母はもともとが小柄な人であったが、手はさらに小さかった。
その小さな手が、動かずにじっとしているのを私はあまり見た記憶がない。
例えば、その小さな手が、火鉢の上にかざされて暖をとってるのなど、
殆ど見たことがなかったような気さえするのである。
その手は、常に何かをしていた。
働き者らしい、先の丸い指。よく動く器用な手。
明日の生活費のこと、家を飛び出ていった二番目の娘のこと・・・
そんな悲しいことのあれこれを、母は手を動かすことで紛らしていたのではなかろうか。

今の女の人は、悲しいとき、何をして紛らすのであろうか。
昔の女のように繕い物などということはすまいが、
やはり、台所でざあざあ水音たてて皿を洗いながら、ひそかに涙を流したりするだろうか。

先日、しばらく連絡のなかった知人から、その母堂が亡くなられたので、
年賀状を欠礼する、という葉書が来た。
昔、「考え事をするにはどこが一番適しているか」ということを大勢で
わあわあ言いあっている時、ある人が「風呂場が一番考え事が出来る」と言った。
すると、その知人と私が同時に声をそろえて、
「いや、風呂場ではむしろ、無心になる。特に頭を洗っている時など、
手を盛んに動かしていると、いつかまったく無心になってしまって考え事など出来ない。」
と言ったことがあった。
それがあまりにもタイミングと言い方が同時過ぎたので、
その場にいた他の人が妙な顔をしたことがある。
年賀欠礼のハガキを見ながら、昔のそんなことを思い出した。
そして、母一人子一人の親孝行息子であったその人は、今、
風呂場で手をしきりに働かせて髪を洗いながら、
母親を失った悲しみを一緒に洗い流そうとしているのではなかろうか、
そう、ふと思った。

2009_1209_001710-CIMG1035_convert_20091210003833.jpg

これは、粘土。よくこねて造形して、オーブンで焼くと、固く締まって
丈夫になる。

私は実は今、ある悲しみを胸の内に抱えている。
その悲しみを忘れるために、というのは大袈裟だが、
粘土を一所懸命こねて、細かい造形をしていると、しばし無心になって
胸の底の寂しさをふと忘れている時がある。

でもこの悲しみは本質的なもの、であって、
なかなか、粘土細工くらいではおさまりそうもないのだが。
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: えめるさんへ

そうなんですよね。
台所は女の砦でもあり、避難所でもありますね。
女はここで歌をうたったり、ひそかに涙を流したりする・・・・

私も感情の行き場がないように感じた時は、台所で泣くことが多いかな。

でも、本当に悲しい時は、その場ではすぐに涙が出ませんね。
私も、父と母を亡くした時には、人前で涙は流せませんでした。
凍りついたように白い顔をしていただけ。
あまり悲しいと、確かに感情も停止状態になってしまうようです。
泣けたのは、葬儀も終えて東京に帰ってきて、夜一人布団に入ってから。
これはもう、嗚咽、という言葉がぴったりの泣き方をしました。
全身で泣く。

私が最近泣くのは、むしろ嬉しい時かな。
せつない時は、ひたすら何か手を動かしている気がします。
男の方は、どうやって悲しみを紛らすのでしょうね。

Re: HOBOさんへ

HOBOさん、バーバさんもやはり歌をお好きでいらしたんですね。
HOBO さんの歌心は、バーバさん譲りなんですね。

私も、台所で洗い物をしながらよく歌を歌います。
悲しい時も、台所で人知れず涙を流します。
台所はいつも、女の隠れ家のようなもの。
バーバさんが戦死した恋人のことを想いながら歌われた歌。
「勝ってくるぞと勇ましく」ですか。歌は勇ましくとも、
バーバさんの心の中にはきっと嵐が吹いていたんでしょうね。
涙雨も降っていたんでしょうね。

今、HOBOさんのお心にも涙雨が降っているかもしれない。
手を動かすのがおっくうになってしまわれたお母さまを、
日々おそばで見守るせつなさ。そしておからだのこと。
その想い。お察しいたします。

でも、元気出してください。
そしてお母さまにやさしくしてさしあげてくださいね。
お母さまのこと、歌ってさしあげてくださいね。
 

バーバの歌

ちょうどこの記事を読んで思うこと。
かっぽう着を着ておかってに立ち、いつも歌を唄っていた
バーバのことを思いだしました。バーバは戦死した恋人のこと
でも思いだしているのか、勝ってくるぞと勇ましくー。
淋しそうに、そう常に手を動かしながら!
そのバーバにそっくりな母も年老いて、すっかり手が動かなく
なって。毎日、TVのドラマにうなずいているバーバの娘。ぼくの母。
手を動かすのがおっくうになった母をながめ、ぼくはバーバのことを
思い出しました。軍歌はなつかしの歌。ぼくのなかの歌はバーバの歌。
手を動かしながら唄った歌。バーバにそっくりな母。

ぼくは母似だと言われます。


hobo

No title

私はキッチンで泣くことが多いかな。
水に流せればいいけど、そうも行かなくてひたすら考えてしまいます。
泣けるうちはまだいいけど、
本当に苦しいときは、心がそれ以上考える事を拒否するのか、
かえって泣けないものですよね。
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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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