『父の贈りもの』 嬉しきもの 其の三

故郷の姉から、荷物が届いた。
姉といっても、風来坊で行方知れずの次姉ではなく、長姉のこと。

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干し柿、モチ、干しぜんまい、干したけのこ、姉の漬けたラッキョウの瓶詰、
ここには写っていないが、米、カボス、干しシイタケ。
そして茶封筒に入った姉の優しい手紙。
80歳近い姉は、小柄だが、まだまだ元気で頭もしゃっきりしている。
懐かしいふるさとの香りのする贈り物である。


思い出すのは、父のこと。

何回か書いているが、私は、父とは小学校2年生の時に生き別れをした。
母、兄、私は温泉街の家に残り、父は生まれ故郷の高原の村に、自分の妹を頼って
帰ってしまったのである。
次姉は私たちと一緒にいたり、父のいる村にふらっと帰ったり、落ち着かなかった。

いわば、父は家族を捨てたことになる。母はそれ以降、父を憎みとおした。
家族を捨てて、おめおめと故郷の村に恥をさらしに帰った情けない男として。
でも幼い私は、優しかった父を懐かしがる。
すると母が、何とも言えない複雑な悲しい顔をする。
私が、「父さん」という歌詞の入った歌を何気なく歌ってさえ、母は眉をひそめた。
だから、だんだん母の前で父のことを話すのは、私にとってタブーになっていった。

そんな私だったが、年に二度、おおっぴらに父と触れ合うことができる日があった。
それは、7月の私の誕生日の時と、歳の暮れのちょうど今クリスマスの前頃との二回である。
その時は、毎年、父が忘れずに私に贈り物をしてきてくれるのだ。

贈りものは決まっていた。
まず、少女雑誌。
当時の女の子たちの憧れは、「少女ブック」「少女クラブ」「りぼん」「なかよし」
などの雑誌で、バレリーナ姿や、バイオリンを構えてポーズをとった松島トモ子や鰐淵晴子だった。
高橋真琴のバレエ漫画。手塚治虫の「リボンの騎士」も楽しみだった。
当時の少女雑誌は月刊誌。月にたった一度なのだが、それでも私が母に雑誌を買ってもらうことは
本当に稀にしかなかった。まあ、他の女の子たちも似たり寄ったりで、
買って貰った者がいると、みんなで回し読みをする。
父は毎年二回欠かさず、大抵は「少女ブック」を送ってくれていた気がする。

それから、茶封筒に入った500円札。今でいうといくらくらいの価値があるだろう。
一万円?くらいかなあ。
母にあてては、叔母の田でとれた米2,3升。父が掘った立派な山芋などが荷に入っている。
夏なら、叔母の家の庭でとれたトウモロコシなども。
母は文句を言いながらもいそいそとそれらを戸棚などに仕舞っていた。

私にとってとりわけ嬉しいのは、暮れの方の父からの荷物だった。
まず、少女雑誌の中身が、普通の月と違うのだ。
新年号ということで、付録のボリュームが普段と違った。
当時の少年少女雑誌の付録はとても豪華だった。
藤井千秋画伯描くところの美しい便箋と封筒のセットなど嬉しかったなあ。
漫画や少女小説の別冊付録もたっぷりついていた。

いつものように茶封筒に入った500円札。そして父の手紙。
父の字は綺麗だった。よく字を知っていて達筆だったので、
近所の人々が手紙の代筆を頼みに来るほど。
その美しい読みやすい字で、「お小遣いでお前が好きなものを買いなさい。」などと
書いてある。

母にはいつものように、お米や山芋。小豆などの袋もあったな。
それで母がいつか美味しいぜんざいを作ってくれる。
そうして、甘い干し柿がたくさん。

私は、干し柿を早速2個ほどもらって、3畳間に本を持って引き上げる。
この3畳間は私の寝室兼勉強部屋になっていて、窓に寄せて座机が据えてあった。
何故かここには兄も姉もあまり侵入してこない。
私だけの城のようなものだった。
外は、木枯らしが悲しげな音をたてて吹き荒れ、私のいる窓辺を訪れて
窓ガラスを時折鳴らしても、干し柿を食べながら少女雑誌を読みふける私は
王女様のように幸せだった。

そのうち、母が一声、「焼き米を食べるかい?」と訊ねてくる。
歳の暮れの贈り物には、必ずこの焼き米が入っていた。
この、『焼き米』というもの。私の故郷では「やっこめ」という感じで発音する。
ご存じの方はほとんどいらっしゃらないだろう。
その正確な作り方は私も知らない。
うろ覚えで聞いたところでは、これは大変贅沢な米の食べ方なのだそうで、
秋、新米が本格的にとれる時期のさらに前、完熟前の稲を刈り取って、
まだかすかに青味の残る玄米で作るらしい。
臼でついて平たくつぶしてから(?)、香ばしく炒ってある。
大変に手間のかかるものらしい。
何が贅沢かというと、手間がかかることもあるが、
完熟するまで待てば収穫量も増えるものを、まだ青い玄米で作れば、
量が当然少なくなるからだそうで。
もしかすると、ぜいたくなどではなく、逆に、江戸時代などは
米の収穫前にこっそり青い米を収穫してごまかし、それを美味しく食べるための
貧しい農民の知恵だったのではないかと思ってみたりもする。

焼き米とはどんなものか。
簡単に表現すると、お米で出来たフレークといったところだろうか。
かすかにまだ青味の残った、平たくつぶれたお米。
さらさらした感触で、そのまま手のひらに一掬い取って、口に放り込めば、
コメ本来の持つ何とも言えない香りが口いっぱいに広がる。
一度火が通っているので、そのまま食べられるのである。
モチモチした噛みごこちで、米の甘味がこんなにあるのかというくらい、香ばしく甘い。

これは昔は全国で見られて、戦陣や旅の携行食として好まれていたようなのだが、
今では知る人も作る人もごくわずかなのだろう。
長姉に先日手に入らないかと訊ねてみたが、知人でたった一軒作っていた人がいたが、
その人ももう作らなくなって、手には入らないとのこと。

私は、何も手を加えず、そのまま口に放り込んで自然な甘みを味わうのが好きだったが、
普通はこれを椀に入れ、塩を一つまみ入れて熱いお湯を注ぐ。
すると一見おかゆのようになるのだが、焼き米はモチモチした食感で、
しかも本当に香ばしく、なかなか他にない美味しい食べ物であったように思う。
焼き米に砂糖を混ぜ入れて、おやつのように食べる方法もあったが、
私はあまり好きではなく、自然のままの味が好きだった。

でも、寒い木枯らしの吹く日、母に呼ばれて兄も姉も火鉢の周りに集まっている六畳間に行き、
みんなで着いたばかりの焼き米を、そうやって熱い湯をかけてふうふういいながら食べたのも
今となっては楽しい思い出だ。

ああ、父はどんな想いでいつもあの、私宛ての小包を用意してくれていたのだろうか。
焼き米は当時でも作る家は少なかっただろうから、早くからそこに声をかけておき、
小さな村に書店などというものはないから、多分何でも扱う村の雑貨屋で、
東京からはるばるやってきたピカピカの少女雑誌を買う。
(本当は私の住んでいるところは地方の大都会なのだ)
私の喜ぶ顔を思い浮かべながら、焼き米、干し柿、小豆、山芋・・・、と、
一品一品新聞紙にくるんでいく。
手紙を書いて500円札と共に封筒に入れる・・・。

父よ。母よ。
あなたたちはどういう人だったのだろうか。
あなたたちは本当に憎み合っていたのだろうか。

でも、二人がそれぞれに、私を愛していてくれたことだけは確か。
今は長姉がこうやって、故郷の香りを届けてくれる。
歳の暮れの一つの幸せ。
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: HOBO さんへ

HOBOさん、ありがとうございます。

そうですねえ。父は私の姿を思い浮かべながら、
こころ楽しく、贈り物を一つ一つ用意したに違いありません。
贈られる方も嬉しいけれど、贈る方はもっと嬉しいのかもしれませんね。

贈る相手がいるという幸せ。その通りだと思います。
自分が贈る側になってみて、そのことがよくわかります。
あれにしようかな、これにしようかな。迷って楽しい。

そういった意味では。小さい頃の私はそれで親孝行出来ていたのかな。
大きくなって親不孝しましたけれど。

今でも香ばしい焼き米の味、鮮明に思い出せます。
ほんとに口の中に広がる幸せという感じでした。
焼き米などの入った箱は、父の「想いの箱」で、それが素朴な食べ物を
美味しくしていたのかもしれません。

父と母は憎み合っていなかった。私も最近そう思うんですけど。

Re: asobo さんへ

いいお父様でいらしたんですねえ。
別に話すことはなくても、東京にいらしたらasoboさんをホテルに呼んで、
ただ息子の姿をにこにこしながら見ていらっしゃる。
帰りのハイヤーの手配までして。
(息子さんの方は、道草をなさったようですが。笑)
親というものはありがたいものです。
そのお姿を想像すると、他人の私までじんとしてしまいます。

父親って息子とお酒を飲みたいものだ、ってよく言われますね。
一緒にお飲みになられてたら、ほんとにお喜びになったでしょうねえ。
でも、ホテルでasoboさんが飲んでらっしゃるのを見てらっしゃるだけでも
お父様は満足していらしたのでしょう。

自転車に乗せていただいてあちこち。
いいなあ、楽しい思い出がいっぱいですね。
asoboさんの優しさはお父様ゆずりでもいらしたんですね。

お父さまのことを懐かしく思い出された時に、私も父の記事。
偶然ですが、なんだか嬉しいです。
コメントありがとうございます。久しぶりですね(笑)。

贈り物を見る目

贈り物にはこころが詰まっていますよね。喜んでもらいたいという
「想い」が。人はその「想い」にこころ打たれるのです。
ぼくはこの「想いの箱」を、贈れる人がいることに幸せを感じます。
貰う人も幸せだが、贈る人ももっと幸せ。
木枯らしの吹く六畳間に、団欒と呼ばれる「想いの箱」に、口の中に
広がる泪のような幸せに、ありがとう!

憎みあってなんかいないと思いますよ、
そう思います。
めずらしい焼き米を、ぴかぴかの少女雑誌を、手配する「想い」に、
その父の姿を想像するだけで、ぼくは泪がでてきます。
贈り物は「想いの箱」。
木枯らしの六畳間BANZAI !
ありがとう!父さん!


HOBO

No title

今夜はぼくも父のことを懐かしく思い出していました。
とてもやさしくて、決して子供を叱らない父でした。
仕事で東京に出てくる数日前に電話してきて、来いというけど
格別用事があったことはほとんどなくて、ぼくがホテルで食事をしたりバーでお酒を飲むのをうれしそうに見ていました。
バーにはけっこう常連さんがいて、ちょっといかがわしい仕事をしている人もいて、そういう人といっしょに帰らないように帰りはいつもハイヤーを呼んで・・・
でもせっかくのハイヤーでぼくは家に帰らず寄り道していたなぁ。
いつも思うのは、もっと親孝行しておけばよかったなぁと誰もが思うこと。
酒が好きだったから、仕事をしなくなった父と一度くらい飲みに行っておきたかったなぁということ。
幼い頃は、よく自転車に乗っけてあちこち連れていってくれました。
あのニューシネマパラダイスのようなスタイルの二人乗り。
映画で仲のいい親子を見ると、ついついじーんときていけません。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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