『小倉百人一首』 私の「もの」がたり 其の五

小倉百人一首。
我が家のももうだいぶ古びてきてしまった。
子供が巣立ってから、もう何年もかるた会などやっていない。
でも、この季節になると、なんとなく押し入れの奥から取り出してみる。

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私が初めて百人一首に触れたのは、多分5,6歳の頃だったと思う。
温泉街の家に住んでいた頃である。まだ、父と一緒に暮らしていた頃。
買ってきたのはおそらく、兄か次姉だったのではないだろうか。
姉の買って来そうなものではあるのだが、不思議と、姉に一緒に遊んでもらった記憶がない。
一緒にカルタ取りをしてくれたのは、兄だった。
私が5,6歳ということは、兄は当時16,7歳か。
私には11歳年の離れた兄が随分大人に見えたものだが、こうやってあらためて
考えてみると、まだいたずら盛りの高校生であったのだなあと驚く。

若かったからか、あるいは小さい妹を笑わせようとしてか、百人一首を
正月、皆でやっていても、兄はふざけてばかりいた。
「百敷きや 古き軒端の しのぶにも 猶あまりある 昔なりけり」という順徳院の歌と、
他の歌をもじって、
「股引や、古きパッチの破れより 洩れいずるなんとかかんとかの・・・・」と言って
私の顔を見てわははと笑う。今でも下ネタ話など大嫌いな兄にしては珍しく。
今の人にはわからないかもしれないが、股引も「ぱっち」も、男性の下着である。
「そうれ、彼岸花! 次は僧正遍昭じゃ。『をとめ』はお前が取らな!」と言って、
「天津風 雲の通路 ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」の札を
私に取らせようとする。
そんな風に遊んでもらううちに、私もいつか百首ある歌を自然に覚えてしまった。

だが、今ここで書きたい私の百人一首に関する思い出は、その2年ほど後。
私が小学校2年生の冬のことである。
その頃私達母子はもう父とは別居していて、家も温泉街の家のあった県から、
違う県に引っ越していた。
母は生活のために、僅かにまだ残っていた田畑を売ったお金で、商売を始めようとしていた。
母が開こうとしていたのは、定食屋のようなものである。
大きな公園の近くにあって、人通りの多い道路に面し、場所としては悪くなかった。

その人が、どういういきさつで、母の店の開店の手伝いをしてくれるようになったのか、
まだ小学2年生であった私には覚えがない。
ただ、店で使う食器を選びに、大きな陶器店に、母と私とその人と行った記憶がある。
季節はちょうど今頃。どんよりとした雲が日差しをさえぎる寒い日だった。
外の薄暗い空の色と店の明るい照明の対比とを覚えているから、
もう夕暮近かったのでもあろうか。

その人は細面で、縁の色の濃い眼鏡をかけていた。
当時、トニー谷というコメディアンがいたが、少し似た感じであった。
店は借りていたので、その不動産関係の人だったのか、あるいは飲食店関係の人で、
新たに店を開くと言うことで母の手伝いをしてくれていたのか、
今となってはもうわからない。
あの男の人はいったい誰だったのだろう。

その人は私に優しかった。
暮れが近づいて、日の落ちるのも早い。
そんな薄暗い部屋に灯りをともし始めるころ。
その人は百人一首を前に私と二人でいた。
「『むすめ ふさ干せ』と言ってね。百人一首の読み札の中で、同じ音で始まる歌が
他にないのは、その7首だけなんだよ。」とその人は言った。
「『む』は、村雨の露もまだひぬまきの葉に、でしょう。『す』は、
住の江の岸による波、でしょう。『むすめふさ干せ』これを覚えておけば、
読み手が、『む』といった時にはもう取り札を人より早く探し始められるね。」

そんな優しい調子の話しぶりで、その人はまた、それぞれの歌の意味や歌人のことなども
私に教えてくれるのだった。
「春過ぎて~、の持統天皇は、秋の田の~の、天智天皇の娘でね」などと。また、
「札を速く取るのに燃える人が、特に気にかけて自分で取りたいと思うのは、在原業平の
『千早振る神代もきかず龍田川 から紅に水くくるとは』だよ。」などと。

その人は小学2年生の私に、百人一首以外のことも教えてくれた。
特に私が今でも覚えているのが、一ヶ月が31日ない『小の月』の覚え方である。
「『西向くサムライ』と覚えておくんだよ。武士の士という字は、十一に似ているよね。
だから、2,4,6,9,11月。『西向くサムライ』。」

ああ、あの人はいったい誰だったのだろう。
家に来ていた、と言っても、私が会ったのも、せいぜい4,5回くらいか。
期間にして1,2か月という短い間だったから、その頃手広く紳士服店を
やっていた叔父(母の弟)の紹介ででもあったのだろうか。
叔父がその頃私たち一家のことをなにかと支えてくれていたから。

普通にちょっと想像すれば、亭主と別れて子供たちを抱えて一人で生きる女。
その女のところを、一人の男が訪れて親切にしていれば、
そこに何らかの恋愛感情があったのではないか、と誰しも思うであろう。

しかし、私は、そんなことではなかったのではないかと思っている。
母に限ってそんなこと、などと単純に思いこんでいるわけではなく、
その当時の家の雰囲気から判断して、そんなことではなかったと思うのだ。
私はまだ幼いから何も気づかなかったとしても、兄も姉もその頃は
何事につけ潔癖な思春期にあった。
とりわけ、理想家肌の兄が、もしそんなだったら、彼の出入りを許していたはずがない。
いくら幼くても私の身にも感じられるような家内の空気の変化が起こっていただろう。
その気配はいっさい感じられなかった。ということは、
その人は、ただ商売上の関係で、我が家を訪れていた、とみるべきかもしれない。
第一、私の口紅に関する思い出の記事にも書いたように、
母は口紅一つささず、子供達のために、身を粉にして働いている女だった。
いや、「女だった」、という表現が似つかわしくないほど、母は女らしさを一切排して生きていた。
母の周りには、生涯、何か峻厳な空気がいつも漂っていた。
 
あの人はいったいどういう人で、束の間、私達の生活を掠めて過ぎていったのだろう。
もしかりに、そこにかすかでも相手に対する好意、の感情があったのだったとしたら、
私は、母のために喜んでやりたい気もするのだが。
私がこんなことを書くと、母は草葉の陰で、
「馬鹿な!」と、昔のように厳しく一言、言い捨てるであろうか。

いずれにしても、もう、遠い遠い昔の話である。


      ・・・・・・・・・・・

私が百人一首のなかで好きな歌。
叙景歌の
「ほととぎす なきつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる」
「心あてにをらばやをらむ はつしもの 置きまどはせる白菊のはな」
(この歌は、私が、残菊の記事を書いたとき心に置いていた歌)
なども好きであるし、他にもたくさんあるが、
ひとのこころを描いてうまいなあ、と、いつも賛嘆の想いを抱く歌がこれ。

  逢見ての 後の心にくらぶれば 昔は物を思わざりけり                                                                      

                                         (権中納言敦忠)


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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: さかごろうさんへ

私も先ほど、さかごろうさんのブログにコメント入れさせていただいたところです(笑)。
こちらこそ、本年中はお世話になりました。
お知り合いになれてほんとによかった。
なんだかいろいろ助けていただきましたね。

百人一首。なさいましたか。
私も坊主めくり、やりました。新ルール作って!(笑)

子供のくせに、恋の歌が昔から好きでした。
なんとなくですけど、うまいなあ、と思ってた(笑)

あの人は本当にどういう人だったのかな。
ただ、うどんの玉を配達に来るだけの人だったリして(笑)。
教わったことをずっと覚えていたために、私には印象的だったのかも知れません。
遠い遠い記憶です。

さかごろうさん、また元気な記事を楽しみにしています。
来年もよろしくお願いします。

どうぞよいお年を。

No title

あぁ百人一首。
ずいぶん長い間これで遊んでいません。
私が子供の頃、お正月になると家族や親戚の皆ですごろくやトランプなどで遊んだりしましたが、この百人一首でもよく遊んでいました。
通常のかるたとしての遊び以外に、坊主めくりなんかも・・・(笑)

その想い出の中の「男性」は一体どなただったんでしょうね?
昔の想い出を脳裏に浮かべ、微笑んでいる彼岸花さんが目に浮かぶようです。

「西向く侍」
私も母に、(イヤ、祖母だったかな?)教えられましたよ。
こういう語呂合わせのような、節(ふし)をつけて覚えるような言い方っておもしろいですよね。

彼岸花さんがお好きだという「歌」。
読んだだけでは私、分からないので(苦笑) 意味を調べてみました。

あー・・・こういうことなんですね。
恋心かぁ(ポッ)

今年は彼岸花さんとの「出会い」があってよかった!
お陰で私の狭い世界がまた少し広がったような気がします。
またいろんなお話を聞かせてくださいね。

明日は・・・・・というかもう日付が変わってしまいましたが、パソコンに向かうヒマがなかなかないので、少し早いのですがここでご挨拶をさせて頂きます。

今年はいろいろお世話になり、ありがとうございます。
来年も宜しくお願いします!

どうぞ良いお年を。。。。。

Re: neronekoさんへ

ああ、やっぱり、neronekoさんは、おとうさまの百人一首好きという、
そういう薫陶のもとにお育ちになられたんですね。
と言っても、やはりご本人に言葉に対する想いが強くなければ、歌詠みには
なろうとは思わないですよね。私など小さい頃から親しんでいたのに、
短歌は全く作れませんから(笑)。
百人一首はやはりすごいなあ、とよく思います。
藤原定家はよく選んでくれました。どの歌もすごい。
人間の本質を突いたような歌、一言で恋する心のせつなさを言い表した歌、
そして、情景が目の当たりに見えてくるような凄味のある歌・・・・。

ああ、でも、私は音感、という側面から百人一首を考えたことがなかったので、
neroneko さんのご指摘は新鮮な驚きです。
「いにしへの・・・」は、そう言えば、「な」行の音が多いですね。
それが、独特の柔らかさ、雅な都の春の感じを増す効果を生んでいるのでしょうか。

そう思って読みなおすと、なるほど優れた歌というのは語感もいいんですね。
あらためて百人一首に収められた歌の凄さを認識しました。
ありがとうございます。

No title

僕の父も百人一首が好きで、「むすめふさほせ」などを教わりました。
父は、競技としてのカルタが好きだったようで、歌の内容はノータッチでした。
しかも、彼岸花さんのお兄さんのようにわざとおかしく歌を読み上げたりして、完全に雅さには欠けていました。

百人一首はどの歌も音の連なりが美しいですね。
僕は、それは音感だと思っています。
音階が分かるのとは違う、(母音や子音の)音の運びとリズムの感性です。
百人一首は音の運びが美しく、安心してその音の運びに身を任せることができる歌ばかりで、定家は本当に音感があると思います。
その中でも最も良い音感の、流れるようなこの歌が好きです。

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな

奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき、も好きです。
これは、歌人は実際に鹿の声を聞いていないと思っています。
人それぞれ、好きな歌が違うと思いますし、その人柄も分かりそうな気がします。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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