『貧しさの構図』

こんな本を読んでいた。
先日ご紹介した本田靖春さんの本。
『村が消えた むつ小川原 農民と国家』

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シンクロニシティというのかどうか、不思議なことに、一つのことを
調べたりし出すと、いろいろな偶然が重なって同時に起こっていって、面白いなあ、と
思うことがよくある。
去年本田さんの本を手に取ったときは、今、私がまさに読みたいと思うような
題材について、本田さんが書いていらっしゃるとは思わなかった。

これは、国家によって生涯にわたり翻弄され続けた、ある僻村の人々の
戦中戦後を追いかけた、渾身のノン・フィクションである。

むつ小川原…。その地名を聞いて、あ!と思う方もいらっしゃるだろう。

そう、青森県上北郡六ヶ所村弥栄平地区…。
日本原燃の使用済み核燃料再生工場が建設されている、あの六ヶ所村の
ある一帯である。

昭和初年頃。東北各地は相次ぐ農業恐慌にあえいでいた。
地震、大津波、大凶作、金融恐慌などが、それでなくても貧しい東北地方の
農民たちに襲いかかる。農家でありながら、ひどい不作で米を食べられない。
藁の節を蒸して、臼でついて作った、ひどい臭いの藁餅で、糊口をしのぐ。
自分の懐に湧いた、シラミをとって食べる老婆…。
口減らしのため、元旦の朝に入水自殺する老人。
昭和6年の大凶作の際には、東北6県で最も被害の大きかった青森県では、
餓死寸前の者が10万5千人。自殺者が県内で129人いたという。
女性たちは村を次々に離れて、芸妓、娼婦、酌婦、女給、女工、女中などとして、
県内、県外の遊郭などへ言わば身売り同然に働きに出る。

しかしこれらの農村の悲劇は、単に天災などのもたらした凶作によるだけのものではなく、
ごく少数の地主、自作農と、大多数の、土地を持たない小作農という農村の構造そのものが
生みだす貧困の仕組みがそこにはあった。
米はとれなくても、秋になれば、小作農は地主に年貢を納めなければならない。
不作で納められない不納米は、年利3割の借金として計算される。
不作が何年も続けば、小作農は、娘を身売りさせるくらいしか、生きていく道がなかった。

…そんな時代。
日本は関東軍が中国大陸で拡張を画策していた。
彼らは軍隊に変わるものとして、『満州開拓団』というものを考えだす。
疲弊する極貧の農村で、開拓民を募集する。それらは、軍隊に変わって
国境警備の任を果たしながら、満州の土地を開墾して、これから日本が大陸に
手を広げていけばたくさんの渡満人口が見込まれる、それらの食糧を供給する
役割も果たさせる、というもくろみであった。
一方、農民の側からすれば、小作農として土地にしがみついていても、
借金がかさむばかり。開拓団に加われば、15町歩の土地が貰えて、自作農の
身分になれる。また、次男三男、婦女子は、口減らしにもなる。

そうやって、青森、秋田、岩手など東北6県の農民たちが、満州に渡っていった。

昭和8年、第一次武装移民団が、中国に渡っていく。
一つの例が、中国北東部、弥栄村。
しかし、そこでの生活は、決して農民たちが夢見ていたようなものではなかった。
まず、彼らは中国の側からすれば、自分たちの土地を無理矢理収監した掠奪者である。
『匪賊』(日本側の呼び方)達は開拓民をたびたび襲撃する。
移民たちは、これらと闘いながら、劣悪な環境の中、赤痢などの病などにも
苦しめられながら、必死で農業を続ける。
それはこの新天地で、農家として独立し、生活を楽にしたいという熱烈な
想いがあったからである。
最初の入植者の中には、あまりの劣悪な条件のため、離農するものも多くいたが、
やがて、農業は軌道に乗り、日本の各地から続々と移民が送り込まれてくる。
新天地に夢を抱いて渡ってきた人々であった。

しかし、戦局はだんだん悪化していく。
そこからは、よく知られている通り、満州に渡った人々には苛酷な運命が待っている。
ロシア兵と中国兵に怯えながら、潰走潰走、また潰走の連続。
関東軍は彼らを守らない。持ち出したものは略奪され、あるいは生き延びるために売られ、
婦女子は子供を守るために、中国人男性の妻になるなど、飢えと病と恐怖と
戦いながら、日本になんとか帰ろうとするのである。

満州に渡ったこれらの開拓民は、満蒙開拓少年義勇軍と呼ばれた少年移民を含めて
約27万人いたという。そのうち、8万人が命を失った。

さてようやくの想いで、日本に帰りついた彼ら満州からの引揚者を待っていたもの。
それは、故郷の喪失である。戻る家も仕事もない。
政府はこれらの難民を救済するため、日本全国で緊急干拓、開拓事業を行うことにする。
そこに満州や樺太からの引揚者を送りこみ、彼らに仕事と住む場所を与えたのである。
しかし、与えられた土地は、誰もが耕地として考えてこなかったような、
高冷地や荒れた土地、国有林などであった。

樺太や満州国弥栄村からの引揚者は、青森県六ケ所村の松林を切り開きそこに入植する。
しかし、痩せた土地での畑作は思うような収穫を上げることが出来ない。
働いても働いても生活は困窮を極めている。
酸性土壌での雑穀つくりに見切りをつけ、弥栄村の人びとは、県から借金をして、
酪農に切り替える。それまでにも人々は国や県の農業政策に翻弄され続けている。
ビートの作付が奨励されたと思うと、製糖会社が倒産して、駄目になる。
次は、開田政策が奨励され、それがはかどりを見せた時に、国から減反政策を言い渡され、
稲作も駄目になる。そのように、開拓部落の人々は、国や県の方針に翻弄され続けた。
もともと六ヶ所村は、6月になると、太平洋からヤマセが吹きつけはじめる。
6月に摂氏十度を割り込む日があって、寒冷に弱い稲作には向かない土地なのである。
六ヶ所村の昭和45年の就業者一人当たりの純生産額は、青森県の中で最低。
全国の市区町村平均の62,6%しかなかった。
総世帯の約半数が、出稼ぎに出なければ食べていけないほどの貧しさであった。

終戦から20数年たってようやく酪農が軌道に乗りかけたかと思われる昭和44年。
普段は馬車、雪の冬には馬橇が主な交通手段の六ヶ所村に、
東京ナンバーの白いセダンが出没するようになる。
夏にかけて、何回もそういった車が村を見ていく。それらの車の中には、
当時の経団連首脳、植村甲午郎、岩佐凱実、堀越禎三などの乗った車もあった。

同年5月。時の佐藤内閣は、新全国総合開発計画(新全総)を閣議決定する。
その頃日本では、重化学工業が規模を拡大した結果、太平洋ベルト地帯が過密化して、
周辺の大都市の人口集中や、公害、交通、住宅問題などの弊害が見られるようになっていた。
一方、日本の他の地域では過疎化が進むなど、国土利用の不均衡が甚だしくなってきていた。
これを再編するため、重化学工業を、北海道、東北など遠隔地に立地しようというのが、
この新全総であった。

産業が乏しく、出稼ぎなど住民の流失を防ぎたい青森県はこれに大きな興味を示す。
住民にろくな説明もしないまま、経団連に開発予定地として名乗りを上げ、視察を要請する。
植村ら、首脳陣の視察はそのためであった。

ひどいことに、最初のうち、六ヶ所村の農民達は、県がそのような巨大コンビナートの
候補地に名乗りを上げていて、それらの視察は、農民から土地を買い取ろうと
しているためなのだと、本当のことを知らされない。北海道のサラブレッド生産者が、
競争馬の牧草地を探しているのだ、と聞かされるのである。

が、やがて、内外不動産(三井不動産の子会社。三井不動産の江戸英雄社長は、新全総の
計画内容の作成に携わっている!)の、六ヶ所村などの山林原野の買占めは
広範に拡大し始める。
それは、『小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺、
ならびに八戸、久慈一帯に巨大な臨海コンビナートの形成を図る』という、壮大な計画の
もとに進められていく。
住民にようやく正式に説明会が開かれたのは、翌年の6月であった。
産業のない村は、降ってわいた景気のいい話に湧きかえる。
『公害のない巨大開発と、これと調和した近代的農業林業の育成』という、
『農工両全』を、県は謳いあげる。

取得予定地は三沢、野辺地、六ヶ所の17500ヘクタール。これにより、
34部落、2026世帯、9614人の立ち退きが要求されることになる。
六ヶ所村についていえば、総世帯数の半分の1260世帯が立ち退きを迫られることになる。

しかしその代わりに、ここには石油精製、石油化学、火力発電所などの巨大石油コンビナートが
立ち並び、当然そこでは大規模雇用が行われる。もう出稼ぎに行かなくていい。
そうして、土地を売り払った各戸には大金が転がり込む…。

六ヶ所村に土地ブームが湧きおこり、札束が乱れ飛ぶ。小学校で一万円札の
落し物があったが、誰も取りに来ない。村の道路わきのぬかるみに車が嵌まり込むと、
それを見捨てて新車を買う。

村民は、代々の農業を続けたいというものと、少しでも自分の土地を高く売って
村を捨て、農業も捨てて他の土地で生きたいというものとが、村を2分する対立となって
村長選などを戦った。当然そこでも札束が陰でやり取りされる。
なにしろ昭和44年(1969年)から46年までの間に、六ヶ所の土地買い取りに
介在した不動産業者は東京など首都圏を中心にした373業者。
その中でももっとも熱心で、全体の約3割を手中におさめたのが内外不動産であった。
内外不動産は、三井不動産の子会社。三井不動産の江戸英雄社長は、新全総の
策定に関与した人物である!
46年からは伊藤忠、京成電鉄、丸紅、国土開発、小松製作所、などの大企業なども
次々に土地取得に乗り出す。
農業もうまくいかないで、村の半数が出稼ぎに出なければ生きていけない村。
そんな村の住人たちにお金の力は絶大だった。

昭和46年3月。『むつ小川原開発株式会社』とその委託を受けて土地買収を行う
『財団法人青森県むつ小川原開発公社』が、設立される。
出資した企業は、川崎製鉄、新日本製鉄、日本鋼管、東京電力、東北電力、
出光興産、三井石油化学、昭和電工、トヨタ自動車、住友銀行……

『農工両全』を謳い文句にしてはいるが、実体は六ヶ所村の農業の切り捨てで
あることに気づいて、反対運動も巻き起こり、村を2分する村長選、リコール騒動
なども続いたが、結局、これらの巨大な資本の前には、反対派はもろくも突き崩されてしまう。

つまり、震災や大飢饉など農業で食べていけなくて、国策に乗り満州に渡っていった
農民たちは、満州でも、また土地を失い、ようよう安住の地に選んだこの
六ヶ所で、また、国策により、土地を失い離農せざるをえなくなるのである。

本田靖春氏が描いた、むつ小川原の人々の姿は、青森県上北郡六ヶ所村上弥栄地区の、
戦後間もなくの開拓から、1973年(昭和48年)、国と県の進めた巨大開発計画によって
村の半数が離農し、上弥栄村は27年の歴史に幕を閉じ、解散する…そこまでである。
文庫版が出版される際のあとがきにちらっと、核燃料サイクル基地のことがでて来る。


昭和55年。筆者は冬の上弥栄を訪れる。
そこにあった開拓村は『消えてしまった』。ただ一人、小学校の管理を委託されて
残った老人の他は。
村人たちは、立ち退きで得たお金で三沢市や黒石市などに移住して、そこで生きていく。
そこまでが、本田氏の描いた、上弥栄村の姿である。

その後のことを書こう。
さて、そうやって始められた『むつ小川原巨大開発計画』であるが 。
農民の横面を札束で殴るようにして、取得された広大な土地。
その一大石油コンビナートはその後どうなったか、というと、その年に起きたドルショック、
1973年に起きたオイルショックによって、計画は大幅に予定がくるってしまう。
しかし、一度動き出した巨大計画は止めることが出来なくなっていた。
計画は縮小されるも、1983年には、むつ小川原開発株式会社の借金は
1303億円にも膨らんでしまっていた。

そんなときに、12月、中曽根康弘首相が総選挙遊説先の青森市で記者会見し
「下北半島を原子力基地にすればメリットは大きい」と述べる。
翌84年7月。 電事連が核燃施設の立地点を六ケ所村と特定、事業概要を発表。
1985年。県と六ケ所村が核燃施設立地協力要請を受諾する。

…今、六ヶ所村は、国の核燃料サイクルの拠点として、使用済み核燃料再処理工場、
ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、
高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターがあり、MOX燃料加工工場建設も計画中…。



さて。本田さんの描いた、むつ小川原地区の農民の姿。
明治22年、六つの部落が寄り集まって六ヶ所村は生まれた。
それ以来、そこに住む人々は、耕作に適しない土地にしがみつくようにして生きてきた。
しかし貧しさから抜け出ることが出来ない。その一部は開拓農民として
満州に渡る。が、敗戦。満州で自作農にという夢は奪われる。
国に帰って、新たに与えられた痩せた土地を開墾して、農業を続ける。
が、それも、高度経済成長に湧く時代が訪れ、国策によってそこが巨大開発の
ターゲットとなり、またしても、農民たちは土地を奪われる。
そうしてさらに、そこは今、日本に54基ある原発から出る核のゴミの
置き場とされてしまっている…。

本田さんの目は厳しい。
満州に渡って行った開拓民は、国策の被害者である。彼らのなめた辛酸。
しかし、彼らはまた、中国の民から見れば、彼らの土地を奪った簒奪者でもある。
戦後、またしても国策に翻弄され続けた彼ら。
しかし、金に踊らされ、土地を、農業を捨てたのは、彼ら自身の選択であった。
高騰する土地の買収金。賛成反対派で村は2分され、村長選挙では裏金が舞う…

本田さんは書く。
『開拓地に酪農が根づかなかったように、戦後の選択であるはずの民主主義も、
下北には根を張ることがなかった。
自らを守ろうとしないものは、だれも守らない。』

しかし、彼の目はまた、限りなく優しくもある。
それは、彼自身が朝鮮からの引揚者であったことからきている。
あの時代、いったい誰が、誰を責めることが出来ようか?
そうした根本的な問いが、彼の中にはあって、彼の視線の厳しさと優しさの同居は、
そうした生い立ちからきているように思われる。


さて。まさに今、である。
青森県知事選が、今日告示された。
六ヶ所村を抱く青森県。建設中の原発2基を加え、3基の原発を持とうとしている。
現知事は、むろん原発推進派で3選を目指す。
対するは、民主、国民新党推薦の新人。原発の新規建設は否定する立場。
共産党推薦の候補だけが原発に反対。

県民の選挙前の調査では、7割が、現知事に投票すると言っているという。
テレビがその声を街で拾っていたが、「もう出来てるものは仕方がないでしょ。」
「原発がなくなったら、仕事もなくなって、なにもなくなるでしょ。」という声が
聞かれた。

…そうなのかな。
ほんとにそうなのかな。出来ないと思っているだけなんじゃないのかな。
第二の福島原発周辺の人びとになりたいのかな。
六ヶ所で何か起これば、福島の比ではないんだがな。


長い記事になりました。
わたしはまた、悲しいです。
この国の人びとは、なにを求めているのだろう…。

最後にこんな映像、お送りしましょう。





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Re: お名前無しさんへ

この記事にコメントくださるということは…え~と、あの方かなあと
お察しはするのですが。
どなたにいたしましても、ありがとうございます。

「竹林はるか遠く」ですね。
早速読んでみたいと思います。

合わせて「竹林はるか遠く」も読んで欲しいです。

Re: 本に関する鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは~。

あのね。問題の本ですが、不満がないわけではないんです。
日本のことしかここでは書いていませんので…。
でも、すざまじい人生ですので、一読の価値ありと思います。^^
こういう人がいたんですね~~~。
まあ、高木仁三郎さんとか、小出裕章先生なども、覚悟を決めた人生だよな~と
思いますが。
私もお勧めの本、読みますね~~♪
ありがとうございます!

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: lily姫さんへ

> 彼岸花さん、たくさんの文字を根気よく打ってくれてありがとうございます
> 腱鞘炎にならなかったでしょうか?

lily姫さん。ありがとうございます。
lily姫さんのこのコメントのとこ読んで、大爆笑。
だって、腱鞘炎、なっちゃったんだも~ん!(笑)
『たくさんの文字を根気よく』打ちましたよ~!それもね、ただ打つんじゃなく、
本をも一度読み直したり事実関係、前後関係をネットで確かめたりしてたから~。
腱鞘炎、というか、肩?が痛い。肩から右上腕部全体が痛いよ~!(笑)

でも、もうだいぶいいです。一時的なものです。安心してくださいね。
それより、読んでくださる方の、眼のこと心配しなくちゃね(爆笑)。

lily姫さんは昭和38年のお生まれですか。
じゃあ、この時代の空気は少しご存知でいらっしゃるでしょうね。
昭和38年と言えば、東京オリンピックの前年。日本がようやく敗戦から立ち直り、
これから世界の先進国の仲間入りをするんだ!と、国中が湧きかえっていた年ですね。
私は高校一年生でした(笑)。

おっしゃるように、私などもlily姫さんより大きくなっていたにもかかわらず、
こういう裏の動きは知りませんでした。高度経済成長期の興奮は覚えている。
私は九州ですから、八幡製鉄とかね。兄は呉とかの造船所で末端の作業員としても働いてたし。
川崎じゃもくもくもくもく工場から煙が上がって、ぜんそくの問題が指摘されるようになったり。
テレビも洗濯機も車もどんどん家庭に入りだして。
でも、こうした動きに取り残されていた地域もあったんですね…。
青森県六ケ所村。降って湧いた大金を貰えるチャンスに村が浮足立ったとしても
しかたがない気がします。
昭和44年で、普段の交通手段が馬車、冬場は馬橇…?
そう言っては地元の方に悪いけれど、私も絶句しました。
ああ、そうだったのか!六ヶ所はそれほどに、時代から置き忘れられたような地だったのか!と。
その頃私は、学生結婚してて、ビートルズを聴いたり、翌年出たアンアンやノンノを
参考におしゃれ考えたりしてましたもの。

豊かに見える日本。でも、いつの時代もどこの国も、歪みというものはあるんですね。
弱いところに一番悪いものが集まってしまう構造。
なにか大きな事故や天災などがあると、さらにそこに、不幸が集中してしまう。
それを断ち切りたい。そう思って、開発に飛びつく…それを誰が責めることが出来るでしょう。

そういった矛盾をはらみながら、この国の原発行政はぐいぐいと進められてきました。
でも、福島はこんなことになってしまった…。

原発はやはり、駄目だと思います。きっとほかに道がある。

埼玉県は、孫さんが79億というお金を出し県が1億出して、埼玉に
太陽光発電所を作ることになりました。孫さんは全国10か所で
これをやるらしい。神奈川県黒岩知事も家庭の太陽光発電に強力にテコ入れするそうです。
原発の代わりに、新エネルギー導入の最先端の地区になることを目指していけば、
雇用も、産業も活発化する。

ね。希望はあります。
やさしいlily姫さんを悲しませてしまいましたね。ごめんなさいね。
『知る』ことは、悲しみを伴いますよね。
でも、やはり知っていた方がいい。…そう、私は思うの。

ビデオの菊川さんの声がいいでしょう?
これは、日本のね、良心の声です。私、そう思った。
こういう声の出し方はね、精神の深いところから出てくる声なんですね。
京都大学の小出さんの声もそうです。
その二人が、今、深く深く悲しんでいます。
これほどの悲劇を見ても、まだ日本人は原発を捨てないのか!と。

彼らと共に晴々と笑う日がくるといいなあ、…そう、つくづく思います。

lily姫さん。ありがとう。この記事で悲しんでくださったあなたのこころ。
とっても尊いものに私、思います。
よっしゃ! めげずに新しい希望に向けて。記事書くぞ!
lily姫さんを悲しませないように、希望に繋がっていく記事を!
ほんとにありがとう~♪









No title

彼岸花さん、たくさんの文字を根気よく打ってくれてありがとうございます
腱鞘炎にならなかったでしょうか?

昭和39年生まれの私です
自分が生まれた昭和の時代に? こんなことが?
あぁ・・・私はなんて知らないことが多いのでしょう

全文読んで、動画も見て、
なんとも悲しくなりました
どう言ったらいいのか分からないほどに悲しくなりました

Re: そらまめさんへ

そらまめさん。
真剣に考えてくださって、こうしてコメントくださってありがとう。

この記事はこれで終わりではなく、もっとシビアなことまで書くつもりでいました。
でも、書けないでいます。

こうやって、一つの村の歴史を見てくると、なにが正しかったのか、なんて
軽はずみに言えなくなりますね。
私は、九州の山奥の村の出身ですから。戦後生まれではあるけれど、
戦前戦中の、この本に描かれているような、産業と言ってとりたててない村の、
未来に希望を持てない感じはよくわかる。私の父と母も、ここでは
子供に教育も授けてやれない!と、農業を捨て村を去りました。

こういうのを読むと、あまりにも日本人の歴史の動きはダイナミックで、
確かに、私もそれを同時代に生きてきたんだよなあ、と思うと、
せつなさ懐かしさが先に立ち。

長い割に、ちょっと中途半端な記事になりました(笑)。

原発は、危険です。それは疑いのないこと。
しかし、それをどうやったら、わかってもらえるのか…

眼の前に大金を積まれ、美味しいことを言われれば、人間は弱いものです。
まして、国をあげて、原発は安全でいいもの、ということばかり
吹きこみ続けてきた…。
それは、満州はすばらしい夢の地になるよ、と甘い言葉を貧窮した農民に
吹き込んだ、戦前の日本の国のやり方とまったく同じです。
日本はアメリカと協力して、モンゴルに、危険な核のゴミ置き場、
地層処分場を作ろうとしていました。自分の国に置けないものを、
お金の力で、よその国に置く。

…また同じことをするのか!
そして、モンゴルの人びとはそれを望んでいるのか!と思うと、
今、土地を家を追われた福島の人びとのことを思い、複雑でたまらない気分に
なってしまいます。六ヶ所村の人びとのことも…。

あんまり原発止めたくて、ちょっと過激になっちゃったかな。暗くなっちゃったかな。

そうね。そらまめさん。
日本人を信じなくちゃね。ほんとにひどい、原発利権に群がるがりがり亡者も
まだたくさんたくさんいるけれど、それは大変な力を持つ壁だけれど、
今、徐々に日本のあちこちで生まれつつある新しい動き…。
それを信じて、未来を信じていかなくちゃね。

私はとっても複雑な想いなんです。
原発原発と言うと、かえって回りでは反対の声がすぼまっていく…
これはビデオの中で、菊川さんという反原発の運動家の方が
おっしゃっている通りなんです。

なにか、特殊な人になってしまうんですね。そうなったら、もう声は届かなくなってしまう。

でも、黙っていたら、またこの国は、きっと原発に戻っていくでしょう。
政官経済界がほとんどそうしたいんですから。

でもいいのかな。子どもたちをこんなところで育てていきたいのかな。
外でも遊べない、プールにも安心して入れない、海でだって思いきり
海水浴が出来なくなりそうな、こんなところで…?

…そう思えば、ああ、やっぱり、語り続けなくっちゃなあ、ともまた思う私です。

そらさん。ありがとう。

No title

自分が東北地方と言うのもあって、小学生時・近代社会史を学ぶよう
になってからずっと気になっていました。
気になると言っても、辞書や本などを読みあさるわけでもなく、テレビ
(N●K特番)で特集をみかけたら見るような・・・そんな程度の関心で
したが。
でも色んな特集を見ても答えは無くて、筆者・プロデューサーの視点が
先にあって、でもそれもまた真実のような気がして・・・。
(でもココで教えてもらったのも新鮮な情報で、深く考えさせられます)

原発の危機にさらされている日本。
何が正しくて、何が悪いのか・・・・。
真剣に考えているヒトは少ないような気がします。
まさに『対岸の火』のような感覚で。
お人好しで堅実な日本人、彼らをソの方向に持っていくのは今しかない。
この地球上でもっとも(多分)賢く、核の怖さを知っている日本人だから
こそ、今の損得ではなく未来の『何か』を重視した流れに行ってくれそう
な気がします。

私は日本人が大好きです。
なので甥っ子達の世代の地球環境を心配しつつも日本人の可能性を信じて
一緒に歩き続けたいです。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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