「本の運命」 『誰も知らない』 ②

古本屋を時々覗くことがある。
新刊書店もそうだが、古本屋も、入った瞬間に、
「あ、この本屋は私の趣味に合うな』とか「合わないな」とかはすぐわかる。
好きな古本屋の本は、何か匂いで私を呼ぶようなところがある。
ブックオフなどに並べられた本は、そういう匂いを発していないのである。

気に入った古本は、それ自体が出会いであるが、時々、その本の中に、
さらに思わぬ秘密が隠されていて、ドキッとすることがある。

たとえば本の間に一葉の写真が挟まっていたりする時。
昔私が買った美術全集の間に挟まっていた、一枚の写真。
その写真は、どこかの会社の慰安旅行の集合写真であった。
時代はおそらく昭和30年代。大きな木造2階建ての宿屋の庭で撮ったと思しき写真である。
各部屋の窓の木の手すりに、温泉で使った後の宿の手ぬぐいが干してあるような、そんな宿。
建物の壁には茶色のペンキが塗ってあり、それが風雨でいい味を出しているような、そんな宿。
そこの庭で、50人くらいのひとが、一枚の写真に収まっているのである。
朝の光と思しき光線の中。おそらく出発前に撮られたものではなかろうか。
殆どの者がもう着替えて身支度整った中、まだ数人、宿の浴衣のままのひとがいるという(笑)。
大きな旅館で、みんなの背景に移っている松の木がかなり年古びているところから見ても、
かなり有名な旅館なのではあるまいか。

本の間にその写真を挟んだ人も、この50人ほどの中に必ずいるはずである。
どの人かな・・・・・。

不思議ではないか。
見ず知らずの人が挟んだ、楽しい旅の思い出の写真。
古い美術全集。それも有名な大画家のものだけでなく、時代時代の美術の流れを捉えた
割と渋い内容のもの。そこに写真を挟んだ人はおそらく男のひとではないだろうか。
もしかしたら、この最後列の右から3番目のこの男のひとではあるまいか?
もしかしたら、彼はその前列の、彼の斜め前くらいに写っている、この綺麗な
若い女の人をひそかに想っていたのではあるまいか?
そんな想像をさせる。

それが今、巡り巡って私の手元にあって、私がそんなことを想像しながら見ているなんて、
本人も、古本屋の店主も、誰も知らない。

こんな本もある。

2010_0123_153721-CIMG1276_convert_20100124145506.jpg

昭和11年5月。日本橋丸善が定価五拾銭で売り出した、海外からの旅行者のための
日本紹介のガイドブック。そのうちの一冊。
昭和11年と言えば、日本が支那事変によって日中戦争に踏み込む前の年。
英米などとの関係も悪化していきつつある頃である。
英語で書かれているこの本を、丸善で購入したその外国の人は、
いったいどういう人だったのだろうか。

もう家族の誰がどこで買ってきたのか記憶がない。
いくつかの古書店を経てきたものらしく、神戸海岸通りの、J.T.Thompson & Co.,Ltd
及び、東京神田Isseido の2つの古書店の小さな書票が貼ってある。
日本橋丸善でこの本を買った外国の人は、その後神戸に移り住み、太平洋戦争突入前の
不穏な空気の中、帰国することにして、J.T.Thompson & Co.,Ltd という会社の手に
他の多くの本と共にこの本の処分も委ねたのかもしれないな・・・・。
そんな空想がどこまでも膨らむ。

中身は大したことない、外国人向けの日本の着物文化紹介。
だが。

2010_0123_152016-CIMG1270_convert_20100124150912.jpg

中にこんな、旧壱円札の新札が。
肖像の主は「武内大臣」と書いてある。武内大臣って誰?(笑)
このパリッと美しい壱円札にどれほどの価値があるのか。
おそらくもう20年以上うちに来てから経つが、ここに挟まれたまま。
大体、私たちは、これを誰かに返すべき?(笑)
本自体は50銭(壱円の半分ですよ)。この紙切れに価値あり?
誰がなぜここに挟んだのだろうか。
この本を最初に日本橋丸善で買った外国のひとが、お札のデザインの珍しさに魅かれて
ここに挟みこんだものだろうか。
古書店を渡り歩いている間に、誰かほかのひとが挟んだ?
誰ももう、こんな本とお札が、私の手元にあること、知らない。

そうして。
最近見つけてお気に入りになった古本屋で、私が最近偶然手に入れた本。
映画ポスターのイラストで有名なある画家の作品集成である。
野口久光氏(1909~1994)。
日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家。翻訳家。
ここに載っているのは昭和8年から35年までの作品。
映画好きなら、「ああ!」と思うような名画の数々の
ポスターを描いた人。

実はその人の展覧会がこの暮れにあったのだが、行かずに過ぎていた。
どんなポスターがあったのか見たいと思っていたが、偶然、家の近くの古書店で
この本が手に入ったのである。
これはもちろん今回の展覧会のカタログではなく、昭和59年に朝日ソノラマから出た、彼の作品集。

私がその古本屋にふらっと入ってみたのはその日で3回目。
一回目はもう半年ほど前になる。店はそこで営業を始めたばかり。
その時は、愛想のない主人の態度にカチンときて、二度と行くもんかと思った。
まるで売るのを嫌がっているふうだったのである。
二回目は、少しアメリカ文学の話などをしてややうち解け、J・カゾットの『悪魔の恋』
という本を、その縦長の版型と、訳が渡辺一夫、という、それだけの理由で買ってきた。
三回目。何か面白い本はないかなあ、と本棚の間を物色しながら歩いている私の手元を、
店主は、本の手入れをしながらこれまでもひそかにうかがっていたらしい。
3回とも客は私ひとりであったから。

本好きの性とでもいうのだろう。古書店の店主というものは、
客がどういう本を手に取り、それをどういう風に棚に戻すか、
本をどのように扱うか、が気になってよく見ていて、それで、その人の本の嗜好や
思い入れが全て見てとれるのででもあろうか。
「こんなのありますがどうですか。」と私に声をかけてきたのである。
私はその時、植草甚一の『植草甚一主義』という、彼の世界を網羅したビジュアル本を
「欲しいけど高いなあ。」と思いながら遠慮がちに眺めていた。

店主がその時差し出した大型本がこれ。

2010_0123_152132-CIMG1271_convert_20100124152209.jpg

なんと、私が見たいと思っていた野口久光氏のポスター集成ではないか!

私は店主に野口の「の」の音も口にしていない(笑)。
ほぼ行きずりに近いこの古書店に、氏の画集があるなんて思ってもいなかった。
というよりは、そもそもそういう本が出版されていることさえ知らなかった。
知らずに、見たい、と求めていたのである。

確かに最初に訪れたとき、映画の本の棚をしばらく眺めていたことはあったかもしれない。
でも、3回目の日も、映画のことなんか話もしなかったし、店主と話したのは、
植草甚一のこと、昔持っていた文学全集のこと、数人の作家のこと、そのくらいである。

おそらく彼は、私が初めてそこを訪れたとき、私が映画関係の本の棚のところで
しばらく足を止めていた。写真集や画集に興味がある。文学好き。
その3点だけで、この本をピックアップして私に勧めてきたのである。
それが、どんぴしゃり!私の求めていたものであったわけである。
自分でさえ、野口久光の「ひ」の字も思っていなかったのに、である(笑)。
これだけ山積みにしてある本の中から、どうして偶然にもこれを!?

本は昭和59年発行のもの。当時2800円の本が、今5千円の値がついている。
でも、私は値切ったりしないで、その本を買った。
当然ではないか。本が私を呼んでいたのである。

そうして、さらに表紙をめくると、

2010_0123_152557-CIMG1273_convert_20100124210844.jpg

氏のサインが。送られた人の名前はわざと伏せておいた。
出版記念の日に本を買い求めた人であろうか、それとも氏が自ら贈った人であろうか。
いずれにしても、およそ本を出す人で、自分が献じた本やサインをした本が古本屋に出て
喜ぶ人はいまい。
でも、仕方のないことでもあるのだ。贈った当人も贈られた者も今は亡く、
膨大な書物の処理に困った2代3代後の家族がなじみの古書店主を呼んで、
一括して引き取ってもらうということはよくある話。

本としては情けない運命かもしれないのだが、
だがしかし。
この本を意識せず強く求めていたこの私の手に、偶然のように古書店主から
この本が差し出されたということ!
これを運命と言わないでなんと言おうか。
しかも、野口久光氏のサイン入りである。

本の運命・・・・誰が一体こういう偶然の奇跡のような配剤をしているのであろうか。



誰も・・・知らない。
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: れんげさんへ

そうですねえ・・・・
しみじみ。

ほんとね・・・・
しみじみ。

そうかあ!
その奇跡をもっと大事に思って、自分に訪れた稀な出会いを大切に思って、
つながりを大切に守っていかないとだめね。

れんげさんの言葉で、少し元気が出た彼岸花。

ありがとう。

Re: 乙山さんへ

乙山さん。お返事遅くなりました。
少し体調を崩して休んでいました。

乙山さんのように本をたくさん読んでいらっしゃる方に
褒めていただくと面映ゆいです。
この古本屋さんがなかなかいいんですよ。
自分の目で長年かかって集めた本を、大事に大事に並べているという感じ。
東京の外れのしかも場末の古書店だから、そう客はない。
本の手入れをしながら、客の手に取るものをそっと見てるんでしょうね。
自分に愛着のある、稀覯本だったりすると、それも、いわゆる市場価格が高いから
というような理由でなく、自分が手に入れて、してやったり!というような本を
客がたまたま手に取ったりすると、
「それは高いですよ。」なんて言うの。
失礼でしょう(笑)
最初はそれでちょっとカチン!と来て、もう二度と来るもんか!と思った(笑)。

でも、行くごとに気心がなんとなくわかってきました。

よく古本屋でもやはり売れなきゃしようがないからと、表に近いところに
漫画や、売れ筋の作家のものを並べているところがあるけれど、
ここはたとえ100円コーナーだって、品のない本は置いてない、という感じ。
「品のない本」って何だ、ということになりますが、
乙山さんならなんとなくお分かりいただけるだろうと思います(笑)。

褒めていただいたように、アンテナをよく働かせているかどうかは疑問ですが、
結構最近は、ズバッと欲しい本に巡り合えるようになったような気がします。

ありがとうございました。

No title

この世のいろんな事は、すべて奇跡だ。
だから、みんな一生懸命生きてるんだもん。
この本も、前の持ち主も繋がってるんだねぇ~♪

いいなあ

こんばんは、乙山です。
古書店の店主もさることながら、彼岸花さんもやりますね!
何を求めているか、何が必要なのか、
それをわかっていて、日頃からアンテナを張り巡らせている人、
そんな人にこそ、出会いとか巡りあいがあるのだと思います。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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