『脱原発世界会議』②

体調でぐだぐだしている間にいつの間にか、ここを訪れてくださった方が、一万五千人を超え。
皆さま、我が茅屋へのご訪問。いつもありがとうございます。
恒例の、若き日の写真公開、したがって、出来ずに過ぎてしまいました~(涙)。 

さて。だいぶ間があいてしまいましたが、続きを書きましょうか。


福島の声を聴きたい。若い人が何を考えているか知りたい…!
面白そうな、そしてためになりそうな催しはたくさんあったけれど、
100もあるというブースを身一つで回ることはできません。
それに、整理券をもらったり、待ったりという無駄もしたくなかった。

『ふくしま若もの会議』という部屋があります。
福島から来た若者たちが、福島の現状を訴えたいと開いた部屋。
そこで、地域や年齢に関係なく、自由に話が出来ると言う。
早速そこへ行ってみることに。

2012_0114_163607-CIMG6384.jpg

会場はこんなふうにいくつものテーブルに分かれていて、そのどこかのグループに適当に入る。
私が行ってすぐ、休憩に入ったようなので、皆立っています。
入口付近にはボードが置かれていて、そこに福島から着た人々、その他の参加者の
生の訴えが貼りだされていました。

『僕たちはモルモットなんですか?』
『福島の野菜が店頭から減っている。農家の方々の仕事が無くなっている』
『子供だけでも何とかして』
『伝えられない温度差』
『終わってないんです。収束なんていていない』
『県内では危ないと言いづらい』
『福島内。皆疲労困憊。無関心になってる』
『「がんばれ」の声に耳をふたぎたい。一番楽なのは無関心』
『子供でも吐きだす場が必要』・・・等々等々…  

最初、若い人一名、私と同じ年くらいの人が5,6人というグループに
入りかけたが、ご老人が議論をリードしているようなのでやめました。
大体私と同じことをおっしゃりそうだから。
若い人の声が聞きたい。
まだ集まったばかり、という若いグループがありました。
私のような年齢的に異質の者が入ってもいいかどうか、お伺いしてから
仲間に入れてもらいました。
…が、なかなかこうした場での、急な議論の難しさを実感。
まず、中心になって議論を引っ張って行く人が必要だと思いますが、
皆、謙虚というかおとなしい。そして、広い会場に、いくつものテーブルがあって
隣の声がよく聞こえてくる。それから、総合司会、この場を取り仕切る人が、
会の進め方など、丁寧に説明するのがたびたびあって、とにかく同じテーブルの
ひとの声も身を乗り出さないとよく聞こえません。
アメリカから参加している若い学生さんがいらして、通訳の方が横についている。
彼女が意見を言って通訳する。すると総合司会で中断される…
と言った感じで、なかなかまどろっこしいのです。
私がしゃしゃり出て、司会役をしようかな、とも思ったけれど、それではなんだか
私がこの性格だと、一人でしゃべってしまうことになりそう。
それでなくても、年長者ということで、遠慮があるでしょうから。
ですから、南相馬からいらしているという若者に、司会役を務めてくれるよう
頼みました。

彼は東京の大学を出て東京で就職していたのだけれど、あの事故が起こった。
自分のふるさとが、大変なことになってしまった…
それで、南相馬に帰ることを決めたのだそうです。
そうして、若者仲間と地元でNPO団体を立ち上げ、復興支援活動をしている。
例えば今、外で安心して遊べない福島の子供たちと親を、宮城県に連れて行って
思いっきり遊ばせてあげるとか、また、『復興デパートメント』というものに
参加して、福島だけでなく、被災4県の物産などを売る活動をし、復興の
手助けをしている。
また、公的機関や企業などにも働き掛け、支援を求めている。その成果として、
yahoo, softbank などの理解と協力を得られ、線量計を得て、それらを一般に
貸出しているなど、とにかく多岐にわたった活動をしているようでした。

北海道出身で、今神奈川県の大学に通っているお嬢さんは、自分自身はこうやって
原発のこと、福島のことを憂えているけれど、その想いは、友人や家族には
わかってもらえないと、語っていました。
この会議に参加する、と話しても、興味を持ってくれる友人はほとんどなく、
北海道の家族も、「なんであなたがそんな会議に?」と不思議がった、と、
少し悲しそうでした。
アメリカから来て今、東京の大学で学んでいる女性は、非常に真摯でした。
アメリカでも、原子力発電に疑問を持っているものはいる。
福島のような事故が起きた今、当事国の国民である日本人はどう考えているのか、
また今の本当の状況がどうなっているのか、海外には伝わってこない。
それを知りたくてこの会議に参加した、と言っていました。

1時間半ほどは話した筈なんですが、何となく、しょっちゅう会話が中断され、
議論が進まないうちに、長い休憩ということになり、私は他も少しは見て回りたいので、
この会場を去りました。この後、また形式を変えて、交流会が夜まで続いたのかな…。

2012_0114_163900-CIMG6386_convert_20120122164600.jpg

この会議の賛同人でもある、歌手の加藤登紀子さんが、休憩中のこの部屋を
訪ねてきてくださいました。画面中央より右の方の、白いシャツに黒いベスト姿の人が
そうです。こういう時私は近付いて行ったりしないタイプ(笑)。
それでも一応、写真だけ遠くから撮らせていただきました。
加藤登紀子さんはずうっとぶれないでいます。立派だなあと思います。

あっという間に過ぎてしまった時間。
それでも、今日の話し合いで強烈に得た印象が一つあります。
それは、悲しいけれど、ふくしまのこころは、福島で今も被曝し続けているものにしか、本当には
わからないのだということです。

私が、この会議に参加したこころのその奥底には、東電や、歴代の政府に対する、
そうして、これまでそれらによる原発推進を、無批判に、むしろ共に推進してきた
マスコミ、学界などに対する怒りを、共にしたい、という気もちがありました。
福島県民は、激しく怒っているだろう、と何となく思いこんでいたのです。
しかしながら、その怒りのことばは、福島に今も住んで、一所懸命、福島の産業を
復興させようとしている若者の前では封印せざるを得ませんでした。

彼も言っていましたが、福島も、一番被害の大きい浜通り、中通り、会津地方では
汚染度も違い、そこに考え方の相違が大きく生まれて、もの言いにくい雰囲気になっている。
…そうだろうなあ、と思います。
原発によって職を得て来た労働者や、周辺に飲食店などは、いまだに原発に
希望をかけていて、東電にもものが言えない者も多いのでしょう。
避難した住民と残った者の間で、妻と夫の間で、妻と舅姑の間で、…
それぞれが違った複雑な事情と思いを抱えていて、胸に溜まった想いは吐き出せないように
なってしまってる。
ボードに止められた福島の人の声、

『福島内。皆疲労困憊。無関心になってる』
『「がんばれ」の声に耳をふたぎたい。一番楽なのは無関心』

などが、その辺の複雑な、やりきれない想いをよくあらわしているかもしれません。

そんな中でも、ひとは生きていかねばなりません。
政府からも東電からも、一時的なお金は出たとして、これからの展望もない、
職もない。健康に対する怯えを押し殺して、それでも何かは食べなくては生きていけない。
何とかして、福島の産業を復興しなければ。
ちゃんと計測をして、放射能汚染されていないようなものは、出来る限り
やはり県外でも買ってもらえるよう、宣伝活動に努めたりしていかねばなりません…。
じいっと座して絶望しているわけにはいかないのです。
怒りは無論ある。でも、起きてしまったことは、もうどうしようもない。
だから、前を向いて生きていくしかないじゃないか…。そうなるのだろうと思う。

その若者の体を隣に感じながら、わたしに何が言えたでしょうか!
なかなかいい顔つきの立派な体格の、しっかりした考えの青年でした。
でも、その体も、日々、だいぶ収まった?とはいえ、被曝を続けているのです。
それでも彼は、わざわざ東京から戻り、地元のために逃げないで戦おうとしている。
私のように東京に住んで、多少の被曝はあったとしても、その程度たるや比べ物にならない、
そう言った外部の者が、『検査をくぐりぬけ、放射能汚染された農産物が出回るかもしれない。
なるべく売らないでほしい』などという残酷を、そのひとたちに
対して、とても言えたものではありませんでした。

無論、福島の中で、政府や東電に対する責任追及を、果敢に行っている人々も
います。子供を連れてどこか出来るだけ原発から遠いところへ逃げたいと思っても、
家族の『絆』や経済的な事情から、毎日子供に自分の無力を詫びながら、
ほとんど泣き暮らしている母親もいるだろう…

私が、この脱原発世界会議で強く思ったのは、今の福島に『戦え!』というのは
酷なのではなかろうか、ということでした。
あまりにもひどすぎる。想像以上のひどさなのではなかろうか。

実はここで、ボードなどに書いてあったこと、まとめの時に、いくつかのグループから
上がった声…それらは皆、新聞やテレビや雑誌を丁寧に読んで、想像力を大きく
働かせれば、すでに情報として知っていることでした。
…しかし、同じ内容のことを、当事者の生身の体を前にして聞くのは全く別のことでした。
『これが現実なんだ!』ということを鋭く突きつけられた気持ちでした。
『もう精いっぱい、もうこれ以上頑張れないほど頑張ってるんだよ!』
『わたしたちにこれ以上の何が出来るというの。もうへとへとなのよ!』
『悲しみの涙の袋はもう一杯なの!』
…そんな抑えられた声が聞こえてくるような気がしました。
福島の方が明るくふるまえばふるまうほど。

こんなことを生みだしてしまった原子力発電と、それをやみくもに推進してきた者。
それに対して、また、怒りがふつふつとわき上がります。
そうして、外部の者が軽々に福島を語る不遜も思いました。
ああ。私はまた迷います!
正しいのは何なのか。
正しいと思って突き進む言動が、福島の人を傷つけはしまいか…!!!


それでは、当事者でない私たちはなにが出来るのか。

『戦うこと』だ!
私はそう思いました。
福島の方々には、せいいっぱい今を生きていっていただくしかない。
その支援を外部の者が力いっぱい行っていくこと。それはもう不可欠。
そして、戦いは、外部の者が一所懸命やって行く。それしかないのではないか、と。

無論、福島の方にも戦って欲しい。
でも、闘うことにはエネルギーがいる。
だから。出来るものが出来ることをする…それが大事なのではないかと思いました。
あなたに今できること。わたしに今できること…
デモに参加するとか、そんな行動でなくてもいい。
原発の危険なこと、その理にかなわぬことを、ちいさな声でいいから広めていって欲しい。
小さなことでもいいから、恥ずかしがらずに。

福島の部屋を出た私は、いろいろな団体がそれぞれの活動を紹介し、訴えているブースに
行きました。出来るだけ、とにかく署名したかった。
9月19日の明治公園でのデモの『さようなら原発一千万人署名 市民の会』や、
『実現させよう原発都民投票』
『玄海原発プルサーマル裁判を支える会』のブースなど、その他にもいっぱいいっぱい
活動なさっている方々がいらっしゃいました。
う~ん。私くらいの年か、もう少し年上の方がたが多かったような。
若い方もいなくはないけれど、数から言うと少なかった気がします。
若い方々は、講演会や、この脱原発世界会議とは別の山下公園までのデモがあったんですが、
そちらにも多く行かれたのかな。
ちなみに、この日のデモ参加者は5000人。
会議の方は、14日15日の2日間で、延べ11500人の参加者だったそうです。
デモと合わせれば、16500人が、脱原発の想いで、集ったことになります。

そうそう。前の記事でも書きましたが、20年にわたり、六ヶ所村で核施設の
反対運動を続けられてこられた菊川慶子さんのブースで、菊川さんご本人に
お会いすることもできました。
なんと小さな、なんとつつましやかな、そしてもの静かな雰囲気の方だったでしょう!


菊川さんは六ヶ所の地で、『花とハーブの里』というのを開いていらっしゃる。
そしてそこを訪れる一般の来場者の方に、声高にではなく、静かに粘り強く、
核処理施設がここに集中していることの危険と悲しみを訴え続けていらっしゃいます。

菊川さんのところで作った、ルバーブのジャムを買わせていただきました。
あとは同じ会場で買った、脱原発世界会議のタオルと、『ふくしま会議』のバッジなど。
黄色いのは、売れなくてしょんぼり一人でいらした外国の方から
買いました(笑)。
ありがたいことです。こうやって、日本に来て、反原発の活動を
になってくださるのですから…。

2012_0122_232803-CIMG6420_convert_20120122233614.jpg

小さな考え方の相違は数限りなくあるだろう。
分断もあちこちに限りなくある。
でも、それで割れてしまったりしてはいけない。
原発いやだよね、とう小さな思いも集めて、大きなうねりにして、
何とかこの国から、原子力発電所をなくしていきたいものです。







スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Re: もうおひとかたの鍵コメさんへ

そうですか…。
私もそれを伺いまして、なぜかほっといたします。
命が繋がっていくこと…それがなによりのはなむけであり喜びですね。^^

こちらこそありがとうございます。
またいつか、美しい思い出などよろしければお聞かせくださいね。^^

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。
ご紹介くださった方のお名前は存じ上げていますが、著作は読んだことが
ありませんでした。でも確か、娘は何冊か、持っていて彼女の本棚に
あったことを記憶しています。今度行って借りてきて読みましょう。

Wikiで簡単にどのような経歴の方かは知ることが出来ますが、やはり
生のお考えを読んでみませんとね。図書館にも行ってみようと思います。

この、日本という国土が汚されてしまったんですよね~……
いまだに嘘のようです。今日も、東京には珍しく数センチ積もった(我が家の方は
10センチは積もったかな)綺麗な雪景色の中を歩きながら、この雪にも
セシウムはあるのか、と考える自分がとても嫌でした。
その怒りは、内に籠らせていくのではなく、やはり、原発NO!
という、強い想いにして出していきたいと思います。出来ることをそれぞれの人が。

ありがとうございます。^^
また、原発などから離れたお話もしたいものですね~~~!^^

Re: その日暮らしさんへ

その日暮らしさん。
あらためてお返事させていただきますね。

なにか割り切れない納得できない想いを私も持っています。
住み慣れた土地というものの力。そこで年月をかけて気づかれた地縁というもの・・・
それは、とりわけお年寄りには何ものにも代えがたいものなのかもしれません。
阪神淡路大震災の際も、地縁を断たれたお年寄りは、孤絶感を強く抱いていた、という
話も聞きました。
チェルノブイリでも、制止を押し切って、汚染された村に住み続けるお年寄りがいる。

また、仕事が現実にそこにあれば、それを捨てて、新天地に行って、果たしてそこで
同じような給料や人間関係を得られるのか、といった世帯主としての不安などもあるでしょう。

すぐには目に見えないような程度の汚染の被害なら、知らない土地に行って
一からやり直すより、いっそここで暮らした方がましだ、と考える人もいる。
今でも東電に恩義を感じ、東電無くては生活がなりゆかない、と考える人もいる。

…そのすべての方に何とか満足していただくのは、ほんとに不可能なことに思えてきます。

私のように、あちこちを転々としてきた根無し草の習性を持ったものは、
汚染のひどい地域の方には、チェルノブイリのケースのように、政府と東電が
責任を持って、安全な新しい生きる場を提供した方がいいのではないか、と単純に思う。
でも、ひとのこころはそれではすまないのですよね~…

わたしもほんと、どうしたら一番いいのか、考えあぐねてしまいます。
避難したい方にはどんどん、避難してほしい、と思うけれど、それでは、
ひとのいなくなった町が、経済的にも生活の実際面でも立ち行けるのか、というと、
無理だろうと思う。残る少数の人々のために、役場も、病院も学校も、
商店も、最低限の機能は残さなければならないとすると、それではその病院などに
務める人々の逃げる権利はどうなるのか、とか…。

これがみな、たかが一企業が引き起こしたことですからね。
いや、歴代政府が、そうして原発利権に群がってきた一部の人間が引き起こしたこと。
そのだれも責任をとらない。
福島の感情をおもんぱかって黙っていてしまうと、それら推進派の思うつぼ。
「すぐには健康被害はない」なんてとんでもない。
これほどの悲しみを福島に与え、また日本中に蔓延させて、「被害がない」なんて
言える方がおかしい。
本当に腹が立ちますね。

その日暮らしさん。
お母さまを失われたお悲しみ。今は、それだけでどうか、悲しみをこれ以上、
お引受けになりませんよう。
また、少し悲しみが癒え、お体も回復なさったら、また、その時、支援の手を
福島にどうか。
でも、怒ってらした方が、気持ちがまぎれますなら、私、いつでもここで
怒っていますから!^^

昨日、ある本を読み終えました。また、それについて書いてみたいです。
事故の時系列に沿って想いを書くという、大きなテーマもまだ手をつけていませんし。
これからも、やはり私も、東電や政府や『原子力ムラ』の人々に、
怒り続けて行こうと思います。どうかまた、いろいろ教えてくださいね。

ありがとうございます。




管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: その日暮らしさんへ

その日暮らしさん。
お母さまのこと、こころよりお悔やみ申し上げます。
どれほどお悲しみでいらしたことでしょう…
存じ上げなかったとはいえ、一番おつらくていらしたときに、言葉をお送り
出来なかったこと、こころからお詫び申し上げます。

『やるせない……』とお書きになったお気持ち。お察し申し上げます。

たくさん、書きたい言葉はあるはずなのだけれど、今は、
その日暮らしさんのお悲しみの前に、余計な言葉が出てきません。
ただただ、お母さまのご冥福を、今は静かにお祈り申し上げます。

どうか、お気を張りつめてお疲れになりませんよう。
こんなところでよろしければ、ふらりとお話にお立ち寄りくださいね。
涙は流したい時に流した方がいいと思います……

コメントのお返事は、またあらためてさせていただきたいと思います。

Re: ハルさんへ

ハルさん。おはようございます。
東京も昨夜は少しだけ雪が積もりました。
奥会津の雪に比べればささやかな雪です。

ふくしま会議。ハルさんのことを思いながら、出てきました。
福島にもいろいろな想いの違いがある…。まして、他県の者には、やはり測り知れない
沈潜した悲しみがあるのであろうことを感じさせられました。
なぜ東電に向けてまっすぐに怒りが向かわないのだろう…
そう思うのは、すでに、被害の圏外にいるものの感覚かな、とも。
福島の米を買うな、食べるな、と言った『ただいま被曝中』の方は、強い方です。
今回の事故の本質を捉えれば、その言葉が出てくると思います。
福島の物産を買って支援することが、事故を起こした東電を許すことにつながる
構造。それを真正面から、発止と受け止めて、悲痛な声を上げた。
福島の方がお互いにもの言いにくい雰囲気になっている中で、こうした声を
上げることの大変さを思います。
まして、私のような外部の者が、『福島のものを出さないで』ということは
この上ない残酷な言葉となるでしょう。農家のかたがたは作物を作り、それを売って
ずうっと生きてきた。じゃあ、それを作るな売るな、と言われたらどうやって生きていけばいい?!!
…それを思えば、そんな言葉はとても言えない。
でも、本質はどこにあるか、というと、やはり、汚染されている可能性のあるものは
流通させてはいけないのだと思います。
このジレンマを、日本は抱えてしまった。
晴々と自分が丹精込めて育てたものを作ったものを売りたい。そして晴々と買いたい!
その当たり前のことが出来なくなってしまったのは、原発事故のせいです。
そう思えば、やはり怒るしかないのだと思うのです。
福島を支えつつ、一方で、原発を進めてきたもの、これからまだそうしようとしている者に
対しては、激しく抵抗していかねば、と思います。

加藤登紀子さん。さすがですね。被災地の心に寄り添いつつ、その存在自体が、
反原発の象徴となりうるという…
強靭なこころと深い優しさがなければ出来ないことですよね。

除染の問題も、政府はよく考えないまま、やみくもにやっている気がします。
なにかそうやって動いていれば、仕事をしているように見えるけれど、除染ということが
本当に効果があるのか。チェルノブイリを経験した人からは、『除染より避難させること』
という強いメッセージが届いているはずなのに、政府はただ、除染除染と言って、
住民に希望を持たせている。挙句の果てに、放射線量の下がりきらないところへ、
住民の帰還を促し、被曝をさせ続けることになって行くのでしょう。

子供たちは、自分では居住地を選べない。
自分の未来を選べない。
大人は、この子供たちに、責任を負わねばならない。
嘆いている場合じゃない、立ち上がらねば!と思います。

また、新しい記事を書きます。どうか、また読んでくださいね♪^^
みんなで力を合わせて、これ以上この国がひどいことにならないようにしたいですね。
ハルさん。ありがとうございます♪

やるせない!

『僕たちはモルモットなんですか?』
『福島の野菜が店頭から減っている。農家の方々の仕事が無くなっている』
『子供だけでも何とかして』
『伝えられない温度差』
『終わってないんです。収束なんていていない』
『県内では危ないと言いづらい』
『福島内。皆疲労困憊。無関心になってる』
『「がんばれ」の声に耳をふさぎたい。一番楽なのは無関心』
『子供でも吐きだす場が必要』・・・

 はっきり言って、重たいです。これらのメッセージの背景に映し出される苦悩に、「想像力」を動員してそれなりに近づくことができるかも知れません。しかし、その苦悩の本当の大きさと重さを受け止めきることはできていないと感じています。

 福島の人たちがおかれている現実に、正面から向き合うことができていません。この現実をどう捉え、一体どうすればいいものか、未だに導き出せないのです。だから、ブログでは、自身の「憤り」を風化させないために東電や政府や「原子力村」に対する怒りを表すことぐらいしかできないのです。

 昨年のある時期にボランティア活動への誘いを受けました。阪神淡路大震災に遭って孤立を余儀なくされた経験を持ちます。あの時に、橋が落ち、またあちこちで道路が寸断されているという危険と混乱をかえりみず、遠路車で食料品などを届けに来てくれた友人たちが福島へ向かうというのです。

 しかし、参加しませんでした。母に残された時間が目に見えて少なくなっていたことと、自分の健康状態がためらわせたのです。加えて、どうにも割り切れない想いを抱えていた。

 母が亡くなる前日まで毎日のように病室を訪れていたのですが、もしも、福島の人々がそこを離れて何処かに移るためのお手伝いになら、母から時間をもらって参加していたかも知れません。関西でも、わずかながら被災者の方々に対する受け入れ態勢が整えられつつありました。我が家でも、娘の使っていた狭い部屋でよければ、そこを一時しのぎの手段として利用してもらうことを考えていたところです。また、わが町にも避難してこられた方がいることを耳にして、「連れ」が何人かの友人知人を介して探し、お役に立てることはないかと申し出たこともありました。

 大量の放射線に晒される場所に実際に人が住んでいるのなら、それを現実として受け入れ、繋がり、支援しなければなりません。しかしその一方で、そうした現実が存在することをどうしても認められない自分がいるのです。あまりにも腹立たしく、そして、やるせない……

彼岸花さん、ありがとう。

こんばんは。よい記事をまた拝読し、胸が一杯になっております。

2011.11.11のふくしま会議・全体会と、その数日後の地域分科会に参加しました。
あの時から2ヵ月半しか経っていないのに、今や感じ方が大きく変化しております。
やはり、奥会津という、原発立地地域から120キロも離れた場所にいるものと
突然、避難を余儀なくされた方々とでは切迫感が違ったのだなあと
今さらながら思い知らされています。

彼岸花さんが参加されたこの会議、分科会、と言ってもいいのでしょうか、
これはテーブルが近すぎますよね。
非常に繊細な話をするのに、こんなに近くては目の前の人の声も聞こえないでしょうね。
ファシリテーターがいたらよかったかもしれませんね。
それでも、こうした場に集まってこられた若い方々は、
なんとかして前に進みたい、或いは、自分の思いを誰かとわかちあいたい、という
真摯な思いに溢れていらっしゃったことと思います。
加藤登紀子さん、奥会津へもお越しくださって、
ほろ酔いコンサートを開いてくださったことを懐かしく思い出しました。

先日、「除染なくして福島の再生なし」というコピー入りの
環境省の、除染に関する業務専門の臨時職員募集チラシが新聞に折り込まれていました。
次々と出てくる信じがたい現実に、もはやこの地で生きていくことが本当に可能なのか、と思わずにはいられません。
避難できない方々も大勢いらっしゃいます。障碍をもって寝たきりのお子さんもいます。
そうしたもっとも弱い立場の方々も含め、地域まるごとどこかへ避難させる、ということも必要な段階なのではないか、と私の周りでは話しています。
私も恐れず、自分に書ける言葉で、「原発NO!」を伝えていくつもりです。
隣人は責めません。しかし、政治家の責任は追及しなければならない。
彼岸花さん、勇気をいただきました。ありがとうございます。
そしてどうか、ご自愛くださいね。

Re: そらまめさんへ

そらさ~ん!
(笑)
そうなの。むつかしいですよね~…
なにを言っても、所詮は遠くの安全なところに住んでいる者の、
実情を知らない綺麗事にうつるのではないか、とか、こちらもまた
深読みしてものが言えなくなってしまう。
でも、そうやって、遠くからなにも言わず遠慮して眺めていれば、
ああ、もう忘れられてしまうのかなあ、と孤立感を深めていかれるでしょうしね…。
ボードには、『福島を忘れないで!』という書きこみもありました。

一方、当事者同士が、本音で話し合えるか、というと、何度も言うように、
その人その人が抱えた事情によって、感情の分断が生まれてきてしまっている。

だから、私は、怒り続けることにしました!(笑)
ほんとのことを追及して、怒り続けたい!
血圧上がっちゃうかな?

子供をかかえたお母さんたちが一番つらいでしょうねえ。
お友だちも、何とか、一人で考え込まず、今、あちこちに若いお母さんたちの
勉強会や助け合いの会が出来ていますから、仲間をお作りになるといいがなあ、と思います。

東京はね、今、雪なんですよ。1,5センチくらい積もってるかなあ。
こんな程度の雪で喜んでいる私。
でも、3日前に少し積もったときは、私の住む街の雪の放射線量が
高いなどという、twitter の書き込みがあったりし、ああ、この雪景色でさえ、
そんなことを思わねばならなくなってしまった!と、悲しくなります。

そらまめさん。いつも原発の記事ばかりでごめんね。





Re: れいこさんへ

ま~、れいこさん!
ほんとに若い時、いろいろいいものたくさんご覧になられたんですね!
加藤登紀子さん、こころの姉さんですか!そんな感じがする方ですよね。

私は、コンサートとか行ったことないけれど、彼女の生き方は
ずうっとそれとなく耳に入ってくるたびに、凄い人だなあ、と思っていました。
今回の震災と原発事故後も、行動は早く確固とした信念で動いてらっしゃるという
感じがしましたね。
この会議でもいち早く賛同人になられ、この日もあちこちのブースに精力的に
お顔を出されていらしたようです。
落合恵子さんもそうでしたね。行動が早かった!
素敵な女性たちですよね~。

先日ご紹介した『ただいま被曝中』というブログの方も、おっしゃっていましたが、
福島では、お互いの状況が違うと、もの言いにくい雰囲気が生まれてしまって、
皆が想いを声に出せず、我慢している状況になっているのかなあ。
それだったら、動ける外部の者が、怒りをぶつけるべきところにぶつけよう、
そう思いました。
ただ…もっと、いろいろな方にお話直接伺いたかったですね。
なにを一番求めていらっしゃるか、なにをすれば一番支援になるのか!
どうせ行くのなら、もっと早く家を出て、下調べも十分にして、多くの方と
お話したかったです。ちょっとあの時、体力に自信なかったんですよ~。
勿体ない事をしました。
でも、これからも、出来る限り、ああいう催しがあれば、行ってみたいです~。

反原発、厭原発の気分が、くすぶって行って、お互いに小さな反目で分断されて
しまう…それが推進する人々の一番の望みでしょうから、そんなことにならないように
したいですねえ。こうした運動は、自分の自己満足のためにしちゃいけない、
自己満足のためにしていると、小さな違いが許せなくなる…
いつも戦う相手を見誤らないようにしたいですね。^^

れいこさん。いつもありがとうございます♪
今度デモに参加する時は、キーホルダーもつくって、バッジとかいろいろ
くっつけて行こうっと!お洒落にくっつけて行きま~す。^^



Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん。ありがとうございます。

誤操作で、折角書いたものを一瞬にして消してしまう、私もようくやります。
それも気合を入れていろいろ調べて書いたりした時に限って!!
もう、涙!ですよね!(笑)
お手間をとらせて申し訳ありません!私にも責任の一端があるような…(爆)

脱原発世界会議。あれだけ多くの世界の方が、真剣な活動なさってるのを、
直接肌で感じて、たくさんの元気もいただきましたが、一方、綺麗事では済まない
福島の現実、というものも肌で感じ、大変複雑な想いで帰ってきました。
私がその時、言葉を飲んでしまったように、福島の中では、もっともっと
複雑な想いが交錯し、行き違い、そして沈潜し、封じ込められて、
それでもなおかつ、人々は生きて行こうとしているのだろうと思います。
本当に、このような悲しみを生んでしまった原発事故に、怒りと無念さを
感じずにはいられませんね。
私も、微力ですが、出来ることを少しずつでもしていきたいと思います。
これからも怒り続けますよ!(笑)
ただ、がちがちの反原発論をぶち上げると、かえって理解が得られないと思うので、
自分の生活も少し潤いを取り戻さなくちゃなあ、と考えています。^^
今、ご紹介いただいた『ある偉大な芸術家の思い出に』。綺麗でした。^^
クラシックはいいですね…
事故の悲しみに浸っていたときは、それ以外の音楽はこころが受け付けない感じでした。
私は、あまりクラシックも他の音楽も知らないので、このように教えていただけると
ほんとにありがたいです。

『定義集』は毎回、難しいです!^^
何度読み返しても意味がつかめない回もあり。もともと大江さんの文は難解なんですけれど。
それで、私、いつも尻尾巻いてさっと逃げる!(笑)いい読者とは言えないんです。
それを、毎回、噛み砕いて紹介なさる、というのは、大変!
私も、NANTEIさんを見習うのは、このことに限り、ご遠慮させていただきます!(爆)
毎回の大変なご苦労。お察しいたします。^^
それがわかるだけに、こちらもこころして読ませていただかないわけにいきません。
つい、コメントがいつも長くなるのをお許しくださいませ。^^

ドイツのエネルギー事情。いえいえ、私も受け売りです!(笑)
ただ、別の方にお返事書く際に検索して見たら、あまりにも、同じ文言の記事が並ぶので。
ドイツの脱原発に希望を託したい私としましては、ほんとに足りてないのか?
という疑問が浮かび。ちょっと粘って調べてみました~。
あの。NANTEIさんの、ご参考になれば、と思っただけですので、どうか、
お気になさらずにどうぞ。^^

私ね~。時々自分で思うんですが、探偵事務所とかに入っていたら、
結構有能な助手になっていたかも、と思うことがあります(笑)。
あ、駄目だダメだ!記憶力がさっぱり!なんです。そして、ひとの顔が
覚えられない!というか、覚えようとしない!(爆)

NANTEIさんに誉められると、いつも励みになります!
ありがとうございます。











No title

福島の今・・・住んでいる方々の思い・・・。
郡山市近郊に住んでいる友達はどうしているだろう、子供を抱えている友達は
どう感じているだろうとニュースを見るたびに思い出すのになかなか聞けません。
軽々しく聞いてはいけないようにも感じるのです。

無関心になることが一番簡単で、ココロが救われるのかもしれない。
でも、こればかりは時間が解決してくれるような簡単な話じゃないですよね。
関心を持ち続けること、それが大事なことのように思います。

おときさん

彼岸花さん

加藤登紀子さんーー。20代後半まで何度も行きました。コンサートに。
そう落合さんと、おときさん、私の心の姉。(勝手に!!)

お二人とも、お若い時、言葉では言い表せられない経験をなさってきた。それ故のぶれない姿。


渦中にある方故の困難さ。
それ故、
周りが諦めないこと、伝えて行くことが肝心なんですね。

ネバーギブアップを彼が3回言うのだったら、それ以上に言い続けるしかーー。

分断が一番恐い。
杉並のお母さん達がはじめた運動もーー。

誰がしたり顔して、ぶんだんを喜ぶんだろうかってね。それこそ憎むべき相手。



No title

今日は感動しました。
あ、いつもそうでした(笑。

このあと長く書いたのですが・・・
キイの誤操作(ときどき起ります)で、皆、消えてしまった(あああ!)。

でも、どうしても話したかったのは、
福島の被災者が「一番楽なのは、無関心」という言葉のやるせなさでした。
しかしそう言う方たちのために、まわりは戦うべきだという改めての結論には、
本当に心を打たれました。
私も救われた気持ちがします。

それとともに、拙い「定義集」の解釈に、いつも励ましの言葉をいただき、ほんとうにありがとうございます。この「定義集」を載せようとするたびに、彼岸花さんのたいへんな勉強量と、不屈の精神力に驚嘆してしまいます。
たったこれだけの「定義集」を紹介するだけで、疲労困憊しなおかつコメントにも、苦吟しながらお返ししなけらばならない、という私でありますのに(これもけっこう苦行ですね^^)、毎回の厳しい論文と、それへの丁寧懇切なお返事。
絶対見習いません!(爆笑。
そして、今回もまたドイツとフランスの電力関係について、適切なコメントをいただきありがとうございました。ああ、知らずに書くことの恥ずかしさ!
以後、心します。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード