『署名集めを終えて』

『原発の是非を問う都民投票』の署名集め。
3月24日土曜日午後6時。無事終了しました。


署名集めの最終日


1月23日から2カ月。
署名集めはある市民グループのそれに加わわらせていただきました。
毎日署名集めをやるわけではなく、原則、土日と、あとウィークデイにも、出来るときはやる
という緩やかさで、私は都合、15回くらい出ました。


1月2月…。
署名用紙を束ねたカルトンを持つ手がかじかみ、寒さに鼻水や涙が自然に出てきます。
背中と腰に、貼るタイプのカイロをしのばせて寒さ対策。

駅頭で。昼下がりのスーパーマーケットの前で。…道行く人々に声をかけます。
…こういう行為を恥ずかしい!と思うかたもいらっしゃるようですが、
私は、割合気にならない方です。
どんどん、道行くひとの前に歩み寄って声をかけていきます。
顔を白く固くして無言で通り過ぎていくひとのなんと多かったことでしょう!
ちょっとくらい眼をこちらに向けてくれるくらいしたっていいのになあ、と思うことしばしば。
手を振って拒否するひとは、やさしいほうです。
汚いもの、悪いものでも見たように、はっと顔を固くこわばらせて、自分の顔が
見えないよう、手で顔を隠しながら、足を速めるひとが、たくさんたくさんいました…!
そ~んなに忌み嫌わなくてもなあ!と、逆に可笑しくなるほどで、なんだか自分が
バイ菌か疫病にでもなったかのよう。
少し前に私は、『第五の敗北』という記事のシリーズを途中まで書いて
まだちゃんと最後まで考えを述べていませんが、そこで書こうと思っていたことを、
署名集めのこうした反応を見ながら、ずっとまた考えていました。
この、わけもない『激しい拒否』と、こうした運動をするものへの厭悪の気持ち…
それは、歴史をずうっと遡って、共産主義者に対するレッドパージや、
70年代の学生運動の傷ましい終焉と幕引き、ソ連邦の崩壊、北朝鮮による拉致事件などと
根底のところで繋がっていると思います。
この署名集めをしているグループは、そうした政治団体と関係なく、いろんなひとが
集まってやっているのですが、それでも、それを見る人々の視線には、
上に挙げたような歴史上の記憶への嫌悪感情があるのではないか、と。

…この問題は、『第五の敗北』というものの続きとして、いつかしっかり調べて
書いてみたいと思います。

そんな視線を感じても、全然恥ずかしくはありませんでした。
しかし。…ただ…寂しさはある…。
道の傍に立って、いろいろいろいろ考えました……。
実にいろいろ考えました!
多くの人々が通り過ぎていきました……。

まず感じたことの一つめ。
これは私だけの感覚かな、と最初は半信半疑だったけれど、やはり、相対的に
若いひとの関心は薄かった気がどうしてもします。
とりわけ驚いたのは、若いお母さんたちの無関心ぶりでした…。
偏見は持つまい、と思って観察していたけれど、最後までその印象は変えられなかった。

無論、深刻な関心を持って、真剣に勉強会など開いている若いお母さんたちも一方では
大勢いらっしゃると聞いています。そういうグループがたくさんできている。
…しかし、街頭では、そういう若いお母さんにはあまり会えなかった…
若いお父さんにも、です。
…いまだにこのことは理解できないでいます。


次に感じたことは、背広姿のサラリーマンはまず、署名してくれない、ということです。
おそらく、休日、私服の時ならしてくれるひとも、企業という衣服を身につけて
いるときには、公人の顔になっていて、脱原発、などとは決して言わない…
あれだけひどい原発事故が起きてもなお、『経済のためには原発はいる』と考える
ひとが、政治や経済界や学界やマスコミや、…この国の言わば中枢にいる人々に
多くいます。その現実を、『背広』というものを着た働き盛りの男達の姿に
生々しく見る気がいたしました。
それを責めているのではないのです。彼らはそれで私たち妻子を養っているのです!
どうして、彼らの一見無関心を責めることが出来るでしょうか!
現実に企業というもののなかで日々仕事をしているから、エネルギー問題
に関して理想論は言っていられない、というのもわかる気はします。
…しかし。そうした企業内論理が、故なき原発安全神話を生みだしてきたことも
考えれば、せわしなげに道行く背広姿の群れを見て、複雑な想いになる私でした。
福島で、今…。
子の安全のために避難したいという妻を、仕事があるからそんなこと出来っこないと
責める夫…。あるいは妻子だけ避難させ、自分は残って二重生活に耐える男たち…

60代70代の紳士たち。つまり、おそらく昔学生運動なさった世代の男の方は、
概して関心が高く、[あんなものあっちゃいけないだろ~」などと言いながら
署名してくれるひとが多かった。なにかと語りたい人々のようです。
また逆に、「俺は原発賛成だ!」と言って、議論や文句を吹っ掛けてくる人も、
なぜか決まって、この世代の人でした(笑)。

さて。一番署名をしてくれた人々というと……
私が集めたところから感じた限りでは、初老の、いや、もっと上だな、70過ぎの
おばあさんたちでした!おじいさんもしてくれたけれど、圧倒的におばあさんが多かった。
60半ばの私が、おばあさん、おじいさん、という言葉を使うのは失礼だけれど。

彼女たちは非常に意志がはっきりしていました。
「原発はいやだね、原発なんかいらないよ!」と言って…
なぜこの世代の女の人たちは、厭原発の意識が強いのでしょう…

はっきりした理由はわかりません。
でも一つ。今は年をとって、足が不自由になったりしているけれど、実はこの世代の
女性たちは、戦争の悲惨を子供のころに経験し、そして戦後、『働く女性』の
象徴のような、そしてまた、ダンスホールに行ったり、ビールを飲んだり、
お洒落をしたり…女性が社会に出て、自分たちを解きはなった第1期生のような
人々だったのではないか、…ということに思い至りました。
幼い目にとってではあっても、戦争と戦争直後を実体験していること…
これは大きい気がします。
『国家』というものが、ときにどういうことを為すか、ということを経験として知っている!
彼女たちは概してよく原発のことも知っていました。
テレビで見る範疇に収まっているかもしれないけれど、よく情報を知っているようでした。

そして…そして。
わけもなにも訊かずに、ただ向こうから近づいてきて、もくもくと署名しようとする
75過ぎかなと思うような老女たちがいました。
彼女等は、「この署名なに?」などとも訊かない。もう最初から書く気で近づいてきます。

…彼女等は寂しいのです…。
ひとがいれば、吸い寄せられるように、ひとの温もりを求めて近づいてくる!
すぐペンを執ろうとするので、いったん押しとどめて説明しなければなりません。
これはこういう署名ですよ、ということを。



…実に多くのひとが私の前を通り過ぎていきました…
私は、この、署名集めをしていた間、なぜか自分の感情や、肉体性は消して
街頭に立っていた気がします。
ただ『眼』だけの観察者になって、ただ『声と手』だけの署名集めの受任者になって、
行き交う人々を観ていた気がします。

『日本はまだまだ豊かなんだなあ…』
駅頭で署名集めしている時、『眼』だけになった私の、それが正直な実感でした。
『日本は』というよりは、『東京は』と言った方がいいでしょうか。
人々はダウンパーカーなどの温かそうな格好をしていました。
そしてアパレルメーカーや家電店などで買い物をした大きな袋などを手に手に持っています。
そしてなぜか知らないけれど、皆せわしげでした。
ゆっくり歩いているひとが少ない。みなどこからか足早にやってきて、
足早に流れていきます…
請願に必要な数は有権者の2%…実際の感覚でも、そうやって忙しげに流れて
行く人々の中で、立ち止まって署名してくれるのは、50人に1人、と
いうことを痛感しました。いや、駅前では60人に一人かな。

これだけの豊かな格好、これだけの買い物の量!!!
これから皆で会食!などというふうに見える楽しげな若者たちのグループ!!!

この豊かさの中では、そりゃ原発などどうでもいいだろう・・・
そう思ってしまいました。
この懐の温かさ、この充足の中では、被災地のひとのことはあまり頭に浮かぶまい…
そう思ってしまいました。
彼らは、いや、その中には私自身も含まれるのですが、この現代の豊かさ便利さを
享受している人々です!この豊かで便利な生活を失いたくはないだろう…

綺麗でお洒落な、一流のそれとすぐ分かる衣服を身にまとっている人ほど無関心でした。
髪のてっぺんから靴まで、なんとすてきな!と思うひとが、顔を固くして
通り過ぎて行きました。
東京は豊かさに慣れきっている…今更ながらそう思わされました。
そして、この豊かさを罪悪感なく味わい続けるために、想像力を封印しているのではないか、と。
この繁栄、この豊かさが、ずっと続くと思っているのだろうか。
この便利、この快適が、遠くの、今回被災した福島の人々の犠牲の上に立つものとは
思わないのだろうか、と。
今も、収束作業に従事している人々がいる、とは。

一方で、地元スーパーマーケットの前などで署名集めをしているときには、
もう少し、人とふれあった実感がありました。
さっきも言ったように、老婦人たちがやたらに多く、そして署名をしてくれます。
一人暮らし、というかたも結構います。なぜそんなことがわかるか、というと、
私のような署名集めの受任者になって、ご家族やご友人で署名してくださる方に
一人でも二人でも署名とっていただけないか、とお願いすると、
「あたし、一人暮らしだからね~。近所に親しいひともあまりいないし」
…そんなことをおっしゃるのでわかるのです。

ここでほんとに痛いほど実感したのは、ああ、日本は本当に老齢化社会になったんだなあ!
ということです。
昨年春の、あの忘れようとして忘れられない大地震と津波の日。
あの時、避難所に集まった人々の中に、なんと老齢の方が多かったことでしょう!
あの悲劇でその実際が明らかになる前に、日本の地方の町などでは
これだけ老齢化と過疎化が進行していたのだなあ…とショックでしたが、
署名集めしていても、それを街ゆく人の姿に思いました。
東京と言っても、私の住む街は、地方都市と実態に置いて変わりがありません。
老人人口の比率が急速に増し、シャッター商店街が増え。
地域のお祭りなどでも子供会の子供みこしなどがなりたたなくなるほど子供の数が減り、
一人暮らし、老人二人暮らしの世帯があたり前のようになっている。
そして、そうした老齢の人々は概して寂しい…だから署名活動にも寄ってきてくれるのです。

…このことは、あの、津波の時の避難所生活に、ご老人の姿が非常に
多く思えたのと相まって、この国の今、そして将来の姿に深く想いを致さずには
いられませんでした。
日本は老齢化しているのです。この日常の街の姿…
国や経済界は、原発事故後の今も、まだ『右肩上がり』の経済発展の
幻想を抱いて突き進もうとして出来ないでいるように思えます。
…もう、右肩上がりの、行け行けどんどんの国づくり、という幻想は捨てるべきなのでは
ないでしょうか。経済が発展すれば、自然と個人も幸せになる、という幻想を。
それよりも、人ひとりひとりを直接見据えた、静かで穏やかな国づくり、というものに
根本から発想を変えていかねばならないのでは。

このたくさんの老人を少なくなった若年人口で支えていかねばならない…
今までのように、原子力発電所も含め箱ものをジャンジャン作って、交付金をそこに
垂れ流し、…というやり方でいいわけがありません。
被災地の復興計画にしたって、あの避難所の、そしてこの私の住む街の、老人の多さを
直視すれば、そして、シャッター商店街の多さを直視すれば、
今までどおりに、中央政府から上意下達方式で交付金をばらまき、大きな箱モノを作り、
道路や新幹線を延ばし…といった土建国家体質で個々人が幸せになっていくとは考えられません。
あの避難所の、この私の町のご老人達が、再び雄々しく立ち上がって、
新しいものに取り組む元気があるとお考えですか?
東北大地震、福島第一原発事故が起きる前から、本当は日本の発展はある限界に
来ていたのではないでしょうか。

若い国と、成熟した国ではお金の使い方が違うだろうと思うのです。
お金の使い方をもっと考えて行かねばなりません。
…そう。日本は、成熟した豊かな国になる方法を考えていかねば。
荒々しい、建設!建設!の国家ではもう、ないのでは。

…またこのことについては、あらためて考えを述べてみたいと思います。
とりあえず、署名集めから感じた印象、を続けます。


それでは若者はどうなのか。
…残念ながら、立ち止まって話を聴いてくれる若者が極端に少なかったので、
彼らの今の想いはあまり知ることができませんでした。
或る意味、それが一番知りたかったのですが。

ただ、公平を期すると、署名集めに街頭に立っている者が、私のような初老の女
がほとんどだったということもあったのではないかと思います。
おそらく、渋谷、新宿などの街頭では、若者たちが署名集めに多く参加していて
くれたので、若いひとがたくさん署名してくれただろう…
…それが証拠に、署名期間が終わる2日前には、あの、山本太郎さんが
私の街に応援に駆けつけてくれました。駅前の交差点際の広場でマイクを
ずうっと握って、道行く人に原発のことをみんなで考えようと話しかけてくれた。
すると、いつも私たちだけなら、ほとんど立ち止まってくれない若いひとたちが
やはり物珍しさに立ち止まって人だかりができ、署名集めの応援部隊もたくさん来て
いつもの3倍の300筆以上があっという間に集まりました!

『若いひと』『団塊世代』…と、私などは、世代間の差を決めつけがちだけれど、
山本太郎さんも若いひとです。…そうして若い方がたくさん集まって署名してくれました。
このブログなどネットの世界では、積極的に発言なさる方がたくさんいらっしゃいます。
現実に、この都民投票を牽引しているのは、20代30代の若い方たちです。
…してみると、世代間の差、などという私の印象は一方的と言えるでしょう。
もっと若い方たちと署名を通じて話がしたかったなあ、とは思いますが。

私が、通り過ぎる若者たちを見て、期間中ずうっと感じていたのは、
ある種の『傷ましさ』でした。
彼らの若い体。それを、私たち先の世代の者の価値観によって穢してしまった!という
申しわけなさです。
原発事故の放射性物質は、彼らの若い体にも取り込まれているだろう…
それなのに、この若い彼らは、これから増え続けていく老人社会を少ない数で
支えていかねばならないのです!
彼らのうちのある部分の人が、原発事故などから目をそむけ、或る意味、
現実逃避しているように思えても、私などにはそれを非難する権利もないのだと、
思わないわけにいきませんでした。

一方では、熱心にこうした署名集めやデモ、そして被災地のボランティアに積極的に
携わり、なにかを変えて行こうとしてくれている若者もたくさんいます。
それが、大きな力になって、この国を動かして行けるといいなあ。

・・・運動のやり方が問題なのだろうと思います。
従来の署名活動やデモは、若い人々を呼び込む努力をしていなかったのではないかしら…。
そう思わざるを得ません。
無論、一匹狼を自負しながら、市民団体の方々とご一緒させていただいていた私、
えらそうなことは言えません。わずか2カ月間でなく、これを2年3年…10年20年
続けることがどれほど大変なことか!ずうっと筋を通して運動してきた方には
頭が下がる思いがします。

しかしながら、今のままでは脱原発運動にもいずれ限界がくる…
大きな戦略が必要な気がします。言葉は不適当ですが。
だって、前の記事の、あの環境省が朝日新聞に載せた瓦礫の全面広告、ご覧になったでしょう。
原発導入のそもそもの時期から、推進する者たちは、その豊富な資金と権力を背景に、
あのように大金を使って情報を駆使し、原発の安全クリーン、経済性を
国民にインプリントしてきたのです。
原発をやめさせるにも、それに負けないくらいの効果的な宣伝が必要でしょう。
無論そんな大金は使えない。でも、知恵を使えば。
原発止めたい、という人々の知恵とアイディアを結集すれば、もっともっと効果的な
運動盛り上げは可能なんじゃなかろうか。
知恵者はたくさんたくさんいるはずです。

…言うばかりで案を一つも出さないのでは無責任ですね。
一つこんなこと考えてみました。どなたかのコメントに一度書いたことがあります。

今年、また大きなデモを企画するとき。
今まで脱原発反原発の立場を明確にしてきた各界の有名人(言葉は嫌いですが)の人々に、
全員その日に集結するよう呼びかけるのです。
今までもいくつか大規模なデモがありましたが、大江健三郎さんなど
各回に集まってくれるのは、その都度せいぜい多くて10人くらいでしょう。
それを100人、200人、…1000人規模で集結してもらうのです。
愛川欽也さん、赤川二郎さん、赤瀬川源平さん、雨宮処凛さん、池澤夏樹さん、飯田哲也さん、
池内了さん、池田香代子さん、井出孫六さん、石川文洋さん、
石坂啓さん、石牟礼道子さん、今森光彦さん、上野千鶴子さん、…
大江健三郎さん、落合恵子さん、加藤登紀子さん、金子勝さん、鎌田實さん、
鎌仲ひとみさん、香山リカさん、柄谷 行人さん、姜 尚中さん、菅元首相、…
小出裕章さん、河野太郎さん、坂本龍一さん、佐高信さん、澤地久枝さん、
瀬戸内寂聴さん、孫正義さん、田中優さん、…中沢新一さん、広川隆一さん、
広瀬隆さん、宮台真司さん、、……
とても最後まで書ききれません。抜かしてしまった方、ごめんなさい。
とにかく原発止めたいという論客、文化人一斉に声かけするのです。
そのそれぞれがその集まりと脱原発反原発の想いについて一斉に国内外に
考えを発信、宣伝する。
ミュージシャンたちにも参加してもらって盛り上げる。
小泉元首相も小沢一郎氏も橋下徹氏も脱原発、って言ったな!是非参加してもらいましょう!
超党派の脱原発議員さんたちにも参加してもらいましょう。

そして、マスコミ各社すべてに宣言する。反原発本の宣伝する代わりに
協賛金出してもらう。ネット等を通じて世界にも発信する。
世界からも来てもらう。
今まで立場を明確にしていなかったけれど、こころの中では反原発、などという
潜在的共感者も掘り起こします。
無論、一般市民にも、ポスター、ネット、…あらゆる手段で呼びかけます。
福島の方々にも無論来ていただきます。

小さな集まりだとマスコミが扱わないで無視することが多い。
でも、これだけの人々が一堂に会し抗議の声を上げたら、世論も世界の注意も喚起できるでしょう。
政治家や、官僚、経済界のボスなどもさすがに青ざめるだろう…


…今は運動がばらばらです。
署名集めをして感じた大事なことが一つ。
それは、こうした運動で、小さな違いを気にするな、ということです。
今年はもうすぐ日本の全原発が停まる。
推進派は必死だと思います。あらゆる手を駆使して、再稼働に向けて画策するでしょう。
それは、…巨大な権力をまだ握っています。
その前で、脱原発、反原発、厭原発気分…そんな呼び名がなんだというのでしょう。
反原発の人(私はそうです)にとっては、段階的に原発を止めるという『脱原発』など、
原発維持派も同然だ!という批判をする。
その違いはとても大きいです。しかし、今年は内部分裂なんかしてちゃだめ!
今年は日本のエネルギーの将来を決定的に左右する大事な年です。
だから、今年だけは、運動は一つにならなければ!!!
『原発をこの国からなくしたい!』…その想いで一つにまとまらなければ!

…署名集めをしていて、奇妙に思ったこと。
私は、自分の住む市の受任者(主に市民運動のグループ)たちと集めていました。
一方、他の地域から手伝いに来てくれる人々がいました。その方たちは
この署名集めの中心グループで、市や区の違いを越えて署名を集められる。
この2者は、署名用紙も違うのです。
私は一匹狼なので、構わず、どちらにも参加していた。用紙の違いが何なの?と思った。
…ところが、2者の間には、微妙な遠慮があるのに気づきました。
まあ、はっきり言えないけれど、微妙な空気の差が。

同じ都民投票の署名集めでさえ、なにか感じるこの空気差。
まして、別の脱原発運動となると、またその差は大きいのでしょう。
例えば、ですが、私は途中から気づいて、都民投票の署名用紙と同時に、
大江健三郎さんなどの『さようなら原発1000万人署名』の方も
集め始めました。でもなんだか遠慮しながら。
だって今は、『都民投票』の旗頭のもとで署名運動しているのですから、
他の署名集めたりするのは趣旨に反するかなあ、と。
…でも、なんなの?
私の中では、原発止めたい、という想いはどちらも同じ。
だから、途中気がついてから、両方集めることにしました。
ただし、署名をしていただくかたには、趣旨の違いをちゃんと説明してからです。

この、分断は、実は私自身の中にもあります。
原発の是非を問う都民投票、国民投票が、憲法9条をとりわけ変えたい人々の
国民投票実施に悪用されるのではないか、…その懸念から生まれる迷い。

ネットなどで、各反原発、脱原発運動の人たちが、ごく一部かもしれないけれど
お互いの差を指摘しあって、批判しているのなどを時折見ると、
私は自分の中にある迷いも含め、悲しくなってしまいます。
垣根などあってはならない。今は大きく緩やかに、でもしっかりと
共に進まなけれなならないのになあ、と。
こういう運動に慣れている人々、手段を知っている人々に、えてしてこういう
小さな違いを気にするひとが多いのではないかしら。
私の危惧や遠慮もそうですが、それは実は明確な対立でさえない。
…何となく、の空気なのです。


ああ!
この、『何となく、の空気』!
それがどれほど、日本のあちこちで、日本人の心を縛っていることでしょう!!!


大きな問題の場合、非常時の場合には、空気を読んでいる暇などありません。
大きなところで緩やかに連帯すべきです。
軽やかに共闘すべきです。

…そういった意味で、俳優の山本太郎氏。
彼はどこのグループが主催する集まり、などということは気にせず、どこにでも
出向いているようです。軽やかに、明るく垣根を越えていく…
それは彼が、素人だからでしょう。
いい意味で、いわゆる既製の『運動』の『形』にとらわれていないからではないでしょうか。

これから原発廃止まで持って行くには、大きな大きな連帯が必要です。
(『連帯』とか『共闘』という言葉も、なかなか、そう言えば、古いなあ…)
小さな違いは気にしないでいかないと。
アマチュアと、方法論を知っている者が、いい意味でお互いの力を引き出し合わなければ。
例えば、折角勇気を振り絞って、署名集めに参加してみた若いお母さんがいたとします。
そこには、こうした運動に慣れていて、てきぱき声をかけたくさん署名を集めて、
新しく来た人を何となく『仕切る』、というか、何となくプレッシャーをかける人が
いるかもしれない。そうすると、その若いお母さんは、私、あんなふうには
上手に声かけられないわ、と思って二度と来なくなるかもしれない。
…そんな残念なことはありません。

厳しいことを言えば、こうした運動は、個々人が自立していなければ、
本当の力になりえない気がします。
自分で考え、自分の意志で、自分の頭で参加するということ。
そうして、こういう運動には、上も下もあってはならないと思います。
そうでないと、「あの人がいばっていろいろ指図するからいやだ」、とか、
そんな小さなことで分断していく…
みんながそれぞれの良さを発揮して、力を出し合って行けばいいのです。

そのことは、こうしたブログの世界にだってあり、
私がこうして反原発の記事を書くこと、デモに行ったり署名集めをしたり、
ということが、『原発いやだな』という想いはあっても、実際運動にまで
踏みきれないひとや、動きたくても動けないかたのプレッシャーになっているのではないか、と
私は常に案じています。
もしそんなかたがいらっしゃいましたら、それは私の本意ではありませんからね。
私が望んでいるのは、こういうふうに私は考えますがどうですか、という、
ひとりごとのようなものであって、それをたたき台にして、ここを読んでくださる方が
ご自分でいろいろ考えてくださるといいなあ、と思っているのみです。

奇しくも、今日の朝日新聞『論壇時評』に、『八百万の神』という私の文の中で、
前にも一度記事を使わせていただいたことのある高橋源一郎さんが、
『東北からの息吹 壊れた世界 自ら切りひらく』という文を載せておられ、
そこでこんなことを書いていらっしゃいました。

『エンパワーメントという耳慣れない言葉がある。それは、国や公の組織ではなく、
個人や、ある特定の目的のために自発的に生まれた集団が、公平で公正な世界を
実現させようとして、さまざまな力を発揮していくことだ。
もっと簡単にいうなら、「お上」に任せちゃいられない、自分たちの社会は
自分で作るさ、と言って、外へ飛び出してゆくことだ。
(中略)
原理に固執する社会運動の側からは、そもそも「お上」と共動すること自体が
妥協的だと批判されることも多かった湯浅(湯浅誠:エンパワーメントの典型、
反貧困運動に関わりながら、内閣府参与として菅内閣に参画)は、こう語っている。

---いま、信頼感と共感は社会化されず、不信感ばかりが急速に社会化されている。
そんな局面で、社会運動はどうすればいいのか。敵を探して叩くバッシング競争から
遠く離れ、許容量を広くとり理解と共感を広げ、相手に反応して自分を
変化させ続けていくしかない
。』
 

そう。
『原発』の一語を耳で捉えても、無表情に通り過ぎていく人々を見送りながら、
私はしみじみと思いました。         
原発を止めるよう、この日本を動かすには一筋縄ではいかない。
この、現状に満足し現状を変えたくないと思う人々を動かし変えていくには、
硬直した運動のあり方ではだめだ。
場合によっては、当の東電に勤める人々、デモを取り締まる警察官、
原発推進を強く言う人々…そこにまで深く踏み入って、本当にこの国の
エネルギーをどうしていくのか、懐の深い論議をじっくりしていかねばならないのだろうと。


          ・
          ・
          ・

まあ、そんなこんなのいろんなことを、街に立ちながら思っていたのでありました。
わたしにとっては、とてもいい経験になりました。
私が一緒に署名集めさせていただいた方がたは、皆さんとても優しかったです。
一匹狼、はぐれ犬のようにいきなりぽっと入っていった私を、『・・子さん』『・・子さん』
とすぐに下の名前で呼んでくれ、署名道具一式もすぐに貸してくださり、
いつも情報をわけてくださいました。
あらためてここで感謝いたします。















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Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん、こんにちは。
はい!あれも書くこれも書くと言うばかりで、どんどん書くことが溜まっていくので、
少し急ぐことにしました。
時々は脱線もしたいし。^^

はい。まあ、まったく私の個人的な感想なので、きっと、他の方が署名活動
ご覧になれば、また違った感想をお持ちになるのだろうと思います。
でも、若いお母さんたちが関心示してくれないね~!というのは、一緒に
署名集めしていたかたたちもそれぞれおっしゃっていたので、共通の
感想だろうかな~と思ってもみます。
小さな子どもを抱えて、荷物も多くて、となると、そんなものに眼を止める
余裕がないのかなあ、とも思います。自分が子育ての頃のことを思い出してみても、
子供が1,2歳の頃、私今まで中で一番痩せていましたから。
きっと、肉体的にも精神的にも緊張していて疲れていたんだろうと思います。

その他の年代の傾向についても、私なりの独断と偏見に満ちた感想でして(爆)。
ただ、ほんとに、テレビなど見て何となく感じていたことを、街頭に立って、
眼だけになって観察していると、実感として肌で感じました。
ちょうどNANTEIさんが、八重洲口の大衆酒場で、耳だけになって、人々の話を
お聞きになっていらしたのと同じように、人々の話すこと、その姿などの
断片から、この国の姿、というものはある程度正確に察せられるのではないか、という
気もします。

ほんとに、背広姿の方は、署名してくださいませんでした!(笑)
きっと、休日、私服だったら、同じかたが足を止めて署名してくださるのかもしれない。
でも、なるほど、背広を着て、会社というものに『所属』しているという状況下では、
反原発、などという運動に、ほんのちょっとでもかかずってはいられないのでしょうね。
何かしらの形で東電には恩義があると感じてらっしゃるのか、ほんとに、
仕事の現場では、エネルギーのこと、そうそう簡単には転換できないのと
いうのが本当のことなのか…
私も、反原発、に凝り固まる、というのではなく、エネルギーのことは
まだまだ勉強していかないとなあ、と思っています。
ただ、東電とか、それに群がって甘い汁を吸ってきた人々のやり口は、
いくら考えても、許す気になれません。
おっしゃるように、日本人のムラ意識、というものは、ここに来て始まったものではなく、
もっと昔、地形的な条件や、また中央集権的な国家というものが成立していく過程で
出来上がってきたもの。
良くもあれば、今回暴かれたように、悪いものでもあるんですよね。
山がちの狭い国土、海岸線沿いは開けているけれど、ここは津波などの
畏れがある。低い山を切り崩し開墾して、ちいさな集落を作り、そこで米や麦を作る。
村のものたちが助けあって生きていかねばならないほど、自然の災害にも
曝され、暮らしは貧しい。定着、という道を選んだのと同時に自然発生的に出来上がっていった、
その土地の有力者。それに従わなければ、また皆で協力しなければ、
生きていけない。外敵から村を守るためにも。
…そんな歴史が、日本人の気質、というものになって、
優しく辛抱強くはあるけれど、変化を嫌い、強いものに弱い、おとなしい民族が
出来上がっていった…

これを良いとか悪いとかって、簡単に言えませんね。^^
でも、とりわけ原子力関連産業においては、そのムラ意識が本当に
悪い方に剥いていってしまった!

そうですね。私も、脱原発世界会議で、若い方と少しお話したり、
今回の署名集めでも、若い方がたくさん積極的に活動なさっている姿を見ました。
ただ、まだ、その数は少ないような…
お嬢さまと旦那さまのような、地に足のついた、しっかりした活動をなさっていらっしゃる
かたもおいでだということは、大変にこころ強いです。^^
もっとね、いろいろな年齢や立場や考えかたの方とお話してみたいです。
絶望はしていません。
少しづつだけれど、そうした地道な活動が、原子力ムラ、というかたい氷を
解かして行きつつあるような気もします。
私も、ほんとに小さな声、微々たる力しかないけれど、は~い!
これからもがんばってみます♪

いつも、ありがとうございます♪


*すみません。NANTEIさんにいただいたコメントの一部をそのままに、
返事アップしてしまったので、ちょっと入れ直しました。

Re: fukashiさんへ

fukashiさん、今晩は。
ああ。9.11の後のアメリカは、ほんとに怒りが国を覆って、ブッシュの
報復を『正義の戦争』と皆が一丸になって唱和している感じでしたものね。
無論、テロの犠牲になった方々の無念を思いつつも、国の空気が一色に
変わって行くのを遠くから眺めながら、それでいいのかなあ、と憂えていました。
…そうですか。fukashiさんは、ちょうどその頃、アメリカの外資系企業に
いらしたのですか。
それじゃ、とても疑問をさしはさめるような空気ではなかったでしょうね!
あの時は、アメリカと関係あるお仕事についているわけでもない、
私のような日本の市井の者でも、テレビなどを見ながら、アメリカのやりかたに
疑問を呈することは言いにくい感じがありました。

私は、ひねくれ者なので、小さなことから大きなことまで、なにかのことで
皆があまりにわ~っと熱狂していると、反対方向を向きたくなる方です。^^
同調圧力とか、『空気を読む』といったことが本質的に嫌いです。
と言って、敢えて反対意見を皆の前で陳述するほどのこだわりもそうないので、
結局、黙って一人でいるか、そこからすっと離れます(笑)。

でも、仕事となるとそうはいきませんね。
世の中の人は、多かれ少なかれ、こうした内的葛藤を日々抱きながら
お仕事してらっしゃるんだろうなあ。
国旗と国歌の問題もそうですね。なんで強制しなくちゃならないんだろう。
私が、その踏み絵を踏まされる立場であったらどうするかなあ、と考えると、
う~ん…、仕事を失ってまで主義を貫く勇気があるかどうか自信がないです。
もし自分が一家を支えている立場であったとすると…

大地震や原発事故が、それでなくても大きな問題を数々抱えていた日本の
姿を炙り出しにしてしまった。何となくの閉塞感が国を覆うようになると、
強い物言いをする者を皆が求めるような空気が生まれる。
同調圧力などというものがあからさまになっていくのは困りますね。
それはたとえ、『反原発』というものであったとしても、或る空気がひとの
自由な発言を封じるようなことになるのはまずいと思います。

fukashiさん。ありがとうございます。
この記事書き終わったら、次の記事で中沢新一さんたちのこと、書きたいと思います。
使わせてくださいね。^^



No title

彼岸花さん、こんばんわ。
私はかつてアメリカの外資系企業に勤めていたときに9.11が起きて、それからすぐにブッシュが報復の「正義」の戦争を起こしたときには、社内で反対の意見を述べることの難しさを感じました。そのときに戦中の日本の空気はこんな感じだったのかなあと思いましたね。そういう同調圧力に抗するには、もう「変った人」というレッテルを甘んじて日々受けて例外扱いされるしかありません。笑
署名活動おつかれさまでした。

こんにちは。

少しずつ、噛みしめるように読もうとしていたら、
もう別の記事になっていて・・・^^。

この記事はほんとうに考えさせられました。

まず彼岸花さんが約2ヶ月、街頭での署名集めを通して、今の日本が縮図のように見えたのではないかと思ったのです。
それは机上の考えとはさして変わらないにしても、あらゆる階層の人々から生々しく伝わってきたことは確かだったのではないでしょうか。
《背広姿のサラリーマンは、まず署名してくれない》
これは経験したからこその、概念を超えた言葉です。
同じくサラリーマンだった私は、常に反体制の姿勢を見せていたにもかかわらず、
やはり会社のバッヂに(殆んど外していましたが・笑)少なからず意識が拘束されていました。これはおっしゃるような「公人の意識」ではなく、「所属の意識」なのでしょう。私は、昔から妙な楽しみを持っていました。それは八重洲口に密集している大衆酒場で一人飲むこと、そして周りの大手町や日本橋周辺のサラリーマンの話を密かに聞くことでした。殆んどの方々が「わが社は」と論じ、「当社の」と上司の批判を繰り広げます。名刺を大切にしさらに肩書きを有難がります。
これは会社だからという特殊の例ではありません。日本独特のムラの意識がそうさせているのだと考えます。狭い島国でしかも外敵に侵されることのなかった日本。そして黙々と土を耕してきた農耕民族、そのうえ無意識の相互監視が身についてしまったのでしょう、優しいけれども異端を許さない保守性。
そういうものが会社という組織にも脈々と流れていて、これは役所もしかりですが為政者に都合のいい民を形造っているのだと思います。
このような枷を外さない限り、日本はまだまだ変革はできないでしょう。
ただ、幸か不幸か正規社員から外された、あるいは自ら外れた若者世代が増えていて、そういう彼ら(私の娘の相手、またその仲間)を見ていると、やる気のない者は別としてなにか新しい価値観が生まれてきそうな希望もあります。
そして、そうあってほしいと強く願っています。
お話しの山本太郎さん(千葉アクションの県庁へのデモにも参加」してくれました)
もそのような一人だと思います。
少しは希望を持ち、そして出来るだけ若い世代と真剣に語りあう時間をもちましょう。

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは。
すみません。いつもこんな記事ばかりで。^^
私もね、こんなことばかりやってないで、普通の記事も書きたいなあ、と
思うのですが、なんだかバランスが取れないでいます。
みなさんにこんなのばかり読んでいただいて申しわけないなあと思ったり、
日々、迷いつつ書いています。

若いかた、でも、ボランティアとかには随分若い方がお入りになったんですよね。
だから、私がひとくくりにこういう言い方するのはおかしいのです。
実際この署名集めでも、中心になって動いていらっしゃる方は、若い人々でした。
ただ、私が立っていた場所では少なかった、というだけで。
う~ん。でもそうでもないのかな。やはり関心が薄いのかな。そこが知りたいですね。
横浜パシフィコでの脱原発世界会議で、『ふくしまの部屋』というところに参加して
出会った、横浜の大学生の可愛らしいお嬢さんは、『学校ではあまり原発の話など出来ない』と
おっしゃってたので、若い人同士でも、タブー視されるようになっているのかも知れません。

今日ね、鍵コメさんがここでおっしゃってることと関連するような、
考えさせられる記事を読みまして。朝からずっと考えています。

どうか、お気になさらないでくださいね。
私も、少し、本のこととか縫物のこととか、思い出話とか、そろそろ書きたいな、と
思っています。また、そういうのも読んでくださいね♪ ^^

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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