『U先生のこと』 ③

そうして……

U先生と私との関係というものは、関係などと呼べるものでもないままに、
時が過ぎて行ってしまった。
あの、鬼気迫る迫力の、しかも余裕と気品ある授業ぶりでいらしたU先生の課題に、
つまらないことを書いた、若き日の愚かな私。
遠くから見ていただけではあったと言え、折角、『これが学問というものか!』という
大きな薫陶を頂戴したにもかかわらず、学校をでたのちは、学問というものには
縁なき人間となってしまった…

それでも、先生が、その身に纏っていらっしゃった、いい意味での『象牙の塔』の住人の、
高級な煙草とブランデーと、古い書物の香りの混ざりあったような雰囲気は、
私の心の片隅に消えがたく残って、その後の私の趣味というか、
ある意味、生き方に、実際は大きな影響を与えたのではなかったかと思う。

たった一度の授業の記憶だけで、そんなにひとが人から影響を受けるか、
と問われるだろうか。
『はい!』と答えるしかない。
U先生の漂わせていた学問の香りと、その姿。
それから、『池面に石を投げて波紋が広がっていく』
…ただそんなふうな内容だったというくらいしか覚えていない短いテキストから、
古今の古典や、心理学や、象徴学や、…といった
めくるめくような学問の世界への扉を開いて見せてくれたあの授業!

…若い心にどれほどそれが眩しかったことか!

自分はなしえなかったけれど、学問の世界への淡い憧れ、というものは、
その後も私の中に消えずに残って、それは私が子供を育てるときにも
なにがしかの影響をきっと及ぼしている。

一言で言えば、『世界は多様で、驚きに満ちているものだよ』ということだろうか。

先生が、その身で私に教えてくれたことは、そういうことだった。
私が、自分の子供にも、そしてささやかながら塾で教えた子供たちにも
どうしても伝えたかったのは、そのことであったような気がする。

一つのものごと…ただの池の面の波紋…そこからだって、めくるめくような
学問の世界、人間の歴史、自然界の不思議、…そんなありとあらゆる
知らない世界が垣間見えるのである。
学者にならずとも、書物からだって、会う人、見ているものからだって
すべての物事から、そういう世界を探り当てていくことは出来る…
その喜びを知っていれば、多少の悲しみには耐えていけるのではなかろうか…。




ときは過ぎ……
冒頭に書いたように、つい、一カ月ほど前。
かつての私の生徒で、今、1児の母でありながら、もう一度学び直したいとして
大学の通信教育を受けているそのR子がメールに書き送ってきた言葉。
『スクーリングの時に会った先生が、全身から漂わせている気配が
よかった』
…その言葉を聞いたとき、ふと若き日の自分とU先生のことを
ぱあっと思いだしたのである。

大学ではU先生の傍に行ったことさえない。
話したのは、あの電話口で、だけである。
無論先生は、私のことなどまったくご存じでいらっしゃらない。
突然夜、基礎的な馬鹿な質問をしてきて、レポートにも失礼なことを
書いてきた、愚かな一女子大生。すぐに忘れておしまいになったであろう。

私の側からしても、実は先生のことはほとんど知らないと言ってよかった。
それほど憧れていながら、そのご専門とその後の私の生き方は関係がなかったので、
著作もまったく読んでいない。
ただ、東大の英文科の先生で、雑誌『ユリイカ』などに盛んに書いていらっしゃる、
というくらいしか知らなかった。

U先生って、本当はいったいどんな方だったんだろう……

その日。夜の無聊に、私はふと、U先生の名をパソコンで検索してみたのである!
先生の経歴をWikipediaでまず、検索してみた。
画像もあった!私が習った42歳の時の先生より、だいぶ若い先生が、こちらを
優しく見ていらした。
おお、先生!お久しぶりございます。そうそう。このお顔でいらっした。
私の記憶の中にある通りのお顔だった。
ああ、やはり東大の教授でいらしたんだな。
ああ!先生はもう、お亡くなりになっていらした! 1990年8月9日。
なんと61歳の若さで。1990年というと、私が43歳、娘が17歳の時か…

やっぱり!先生は『夢の浮橋』の舞台でもあった京都のお生まれか!
道理で、なんとなしの物腰の柔らかさがあった…
先生の父君は、哲学者。母方の祖父は東京高等師範学校教授で、U先生の父君の師で
あったという。そうか。やっぱり教育者の家庭にお育ちになられたんだ!
父君はU先生が生まれたとき、ドイツに留学中でいらしたという。

人間には、一代ででは出来ない顔、というような顔というものがあるものだ。
何代も続く清らかな系譜の水に洗われたような顔。(それはなにも旧家名家、という
ことを意味しない。何代も続く職人さんの家庭にそういう顔を見ることが多い。)
先生はそういうお顔をしていらした。

東京に転居されて東京高等師範学校付属小学校から、…そうか、学習院大学から
慶応大学の大学院にいらしたんだ!そして、…東大教養学部英語科の助教授に招聘されたんだ。
そうか、その時から東大の先生になられたんだな…。
教養学部英語科主任をなさっていらした…。

検索した文は続く。
…しかし。
『任務の重さによるストレスや東大英文出身でないことによる孤立感に悩み、
やがて酒乱(アルコール依存症)に陥り、晩年(1985年)には四方田に対し
暴力沙汰を起こすなど奇行が目立った。
東大退官後は、東洋英和女学院大学教授となったが、約一年半後に死去。』(Wikipedia )

ああ!ああ!……

先生がそんな晩年を送られるとは!
なんということだろう!!!

先生の東大での愛弟子の一人に四方田犬彦氏(名前だけは私も知っていた)がいて、
『先生とわたし』という本を出しているらしい。
…私は早速その本を手に入れた。


四方田氏は先生の直弟子である。それももっとも可愛がられていた弟子のひとりであった。
そこには、腰掛的アルバイトで教えに来られていた女子大の、
しかもろくに授業にでもしなかった一女子学生であった私の知らない、
私などには知り得ない先生の素顔が描き出されていた。
先生は、ご自分が東大英文科出身ではないことを気にかけていらした。
先生はたくさんの本をお書きになった。
その豊かな、類稀れな学識で多くの書物をものされた…。
『フランス文学の渋澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘、そして、英文学のU』
と3人並び称される所以である。
しかし、英文学の学界においては、どちらかと言えば、不遇でいらした。
そうして、東大教養部英語科主任という重責と。
それが徐々に先生をアルコール依存に、追いつめていったろうか… 

衝撃的な本である。
とりわけ、この本を書いた四方田氏との疎遠のいきさつのくだりなどは。
そして、直弟子、愛弟子の一人から、このような赤裸々な思い出の本を書かれようとは。
私は本を読み終わって、しばらく茫然としていた。

……だが不思議に、そこに書かれた人生は、とても先生に合っているという気もした。
あの美しいひとが、好々爺になって円満な晩年を過ごす、というのも逆に
想像できないような気もするのである。
書斎に足の踏み場もないほど積みあげられた書物と、煙草の紫煙と香りの中で、
徐々に狂っていっていて欲しい、そんな気のする美しいひとであったのである。

四方田氏はこの本を書いたことで、先生を思慕する他の門下生から
責められたりもしたようだ。
う~む。
私も、この本については、いいとか悪いとかのコメントを避けよう。
それは、あまりにも痛ましい、師と弟子の訣別の物語である。
それはまた、あまりにも美しい、師への思慕の書でもある。

そこには私が知りたかった、若き日のU先生の、東大での生き生きした授業風景も
描いてあった。先生は、教養学部の教養科目としての英語を教えていらしたのだが、
生徒たちに、めくるめくような学問の世界を、そこでは惜しげなく開いて見せて
いらしたようである。
まだ学会で誰も言及していない、誰も見つけてさえいないような、最先端の
文学哲学…ありとあらゆるる系譜の学問の最先端を、生徒に見せて、
生徒にレポートを書かせ、懇切丁寧に批評してやる…

こんなことを私が書くより、四方田犬彦著『先生とわたし』から引用した方が
先生の本当の姿が見えるであろう。一部引用させていただく。
お名前は、本では実名で書いてあるのだが、ここでは今はU先生と書かせていただく。

『わたしの手元にある講義ノートで確認してみると、4月20日にゼミの説明会が
図書館4階にある402番教室で行われている。だがこの時は志願者があまりに多く、
狭い教室から廊下へと人が溢れかえってしまうことになった。少し遅れてゼミの
主催者であるU助教授が現れた。長い髪をオールバックにし、広い額と優しげな
眼差しをした人物で、パイプを銜え、ベージュ色の背広を着ていた。その一挙一動の
優雅さに、先ほどまで雑談をしていた学生たちはたちまち静かになった。(略)
U.Kは押しかけた受講志願者の群れにも眉一つ動かすことなく、今回のゼミは
アーキタイプ、つまり文学における原型的想像力について行うからと、もの静かに宣言した。
(略)
 一週間後、図書館の大ホールを用いて選抜試験が行なわれた。会場に行ったわたしは、
雰囲気の異様さに驚いた。定員の十倍近い、百人ほどの学生がすでに席に就いていた。
そして、ホールの壁を震わすかのように、ワグナーの『ワルキューレ』が鳴り響いて
いたのである。(略)
問題用紙には赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを
分析せよとだけ、簡潔に書かれていた。

 Uゼミの真骨頂は、90分の公式的なゼミが終わり、U.Kが個人研究室に
引き上げてから、本格的に開始された。アルバイトやデートの約束がなくて、もっと
ぼくと話したい人は、紅茶を出すからいらっしゃいと、彼は私たちを招いた。
そこでわたしたちは、通称イケチンと呼ばれた、旧制第一高等学校以来の木造二階建ての
研究棟へと移動して行った。U.Kは学生たちのために紅茶を入れ、自分の分には
たっぷりとオールドパアを入れると、尋ねてくるのだった。
ところで最近の収穫は何かね?何か新しい発見があったかね?
 研究室に招かれた全員がその1週間のうちに読んだ書物や観たフィルム、足を向けた
展覧会について報告めいたことを言うと、U.Kはたちどころにそれに注釈を与え、
そこから始まって即興的な、第二の講義が開始されるのだった。ブレイクから
エリアス・カネッティへ、ネオプラトニズムからクセナキスへ、またドゥシャン・
マカヴィエフから吉田喜重へと、話題は自在に飛躍した。きみ、それについては
あれを読みたまえ。(略)……』  
 


おお!ここに、私の知りたくて知りえなかった
U先生が生きて動いて語っていらっしゃるではないか!
先生の指導ぶりが眼前に見えるようだ!
ああ!私が知りえなかったU先生!
その声が、その微笑が!その指導が!講評が!

先生の本業ではない女子大学の、名もなき一女子学生に過ぎなかった私…
たった一度、夜の公衆電話から、お話させていただいただけの私…

でも、こんな記述があった。

U先生が亡くなられたことを知って四方田氏が吉祥寺の先生の家を
訪れた時の記述。

『吉祥寺は、夏の盛りにあった。油蝉の鳴き声がいたるところで聞こえている。
(略)U家は森閑としていた。ヴェネツィア風の洒落た柱を立てたベランダが見えてきた
時、(略)
応接間は80年代初頭に訪問したときと、ほとんど印象が変わっていなかった。
世界中で作られた、夥しい数の木菟の人形や縫い包みがソファや床の間に陳列され、
(略)
家の外に出ると、わたしは振り返って、生い茂る樹木に囲まれた二階のベランダを
眺めてみた。何本もの柱が高雅に並んでいる。懐かしさと喪失感が入り混じった、
複雑な気持ちがした。(略)……』



ここに描かれているのは先生の晩年の住まいの様子である。
私が習っていた1971年には先生は、この家ではなく、同じ沿線の別の街に
お住まいでいらしたらしい。その家の様子は無論分らない。
だが、ああ! 24歳の私。大学院生の夫と、夫の弟(福島から林檎や桃を送ってくれる
あの義弟である)である大学生と、3人で住んでいた練馬区のアパート。
下は中華料理屋で、大家が口うるさかった!
そのアパートのちょうど道路向かいに、小さな煙草屋があって、そこに公衆電話が
置いてあった。
夜8時ごろ。十円玉をたくさん用意して、先生のところに電話をかけたんだっけ……

この、吉祥寺の家とは無論外観も違っていただろうけれど、きっと先生は、
その頃もすでにたくさんあったに違いない木菟の応接間で、もしかしたら、
私の電話をお取りになったかもしれないな……。
なにか私には、その夜の、公衆電話から緊張して先生のご自宅に電話かけた
自分の姿が見え、また、おそらく書斎から電話の音を聞きつけて歩いていらっしゃる
先生の足音までが蘇ってくるような気がしたのであった。



U先生…。由良君美先生。(ゆらきみよし、と読む。)

由良なら、Yの字を使うべきですかね。でも、U先生と呼びたかった。
由良先生。あなたは私などご存じない。
でも、四方田犬彦氏など、直弟子の人々に鮮烈な面影を残していかれたように、
たった一度きりの授業でも、あなたは、私の心に忘れ難い大切な何かを
伝え残してくださいました。
折角先生がレポートのテーマとして選んでくださった倉橋由美子。
『糞面白くもない』だったかな、『胸糞悪い』だったかな、そんな汚い言葉を
使って感想書いて申しわけありません!(笑)
倉橋由美子さんと言えば、日本の文学史に女流作家として確固とした地位を
お築きになりました。
でも、折角のお引き合わせだったのに、私はその後も、彼女の作品を敬遠して
読んでみようとは思いませんでした。
倉橋由美子さんも、もう、2005年にたくさんの名作を残して、お亡くなりになりました。

その倉橋由美子さんの作品の一つが文庫化された時、先生、なんと私の娘が、
先生が顔さえご存じでおいででなかった一生徒である私の娘が、そのカバー絵を
担当したんですよ!

先生が私の心に播いた、学問への憧れ、という一粒の種。
『世界は多様で、驚きに満ちているものだよ』という、そんな心で
私はこの子を育て、生徒たちにも接してきたつもりです。
その生徒の一言で、先生のことをふと思い出し、先生のことを調べてみて、
『先生とわたし』という本にもめぐり会いました。
そして、なんと迂闊なことに、娘がカバー絵を描いた倉橋由美子さんの作品。
その倉橋さんこそが、先生があの時課題として出された、そして私が若気の至りで
糞味噌に書いた、当の作家であったということを、私、今更ながらに気づいたのです!

なんと迂闊な!
しかし、なんと面白い人生の偶然でしょうか!

世界は本当に驚きと喜びと、そして哀感に満ちている…

64歳になった私はしみじみとそう思います……


29歳の由良君美先生

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Re: げんさんへ

玄さん、すみません、返事、もう少し待ってくださいね。^^

食いつきがよくてスミマへンです

彼岸花さんにおもねるわけではありませんが。成績はAかA+だったのではないでしょうか。

「U先生」ではなく(解説者が由良君美とあったので,)”由良”で検索したら,でてきました。
由良君美についてはいいたことやまほどありますが,ひとつだけ,


由良君美とプラハの春は,きっても切り離せないひと。

由良君美はハイソな雅に惑溺するような,そんな文人ではありませんよね,
もちろん政治的であることが文学者の瑕疵であるかのような,そんな矮小な枠組みにも入りませんし
プロレットカルトが醸成される時代を長いかぐわしい“西歐文學”の文化の中で生きてきた人,そうおもいます。

日本では政治的=低俗,文學=高踏,雅みたいな,日本人特有の図式,文人観がよく言われますが・・・・・ちがいます。
前のコメントで書いたことにもつながりますが。トルストイ無政府主義も,ソローの抵抗も,ホイットマンも,薫り高い文化の粋人です,その人たちが,最初に農民大衆に向け文學を書いた世代です,タゴールやガンジー,ホイットマン周辺。
最初のサヨクというのはそうひとたちの,流れの中からでてきたものですね,

左翼の誕生前を,考えて見てくだされば,日本も中國も市民はおらず農民庶民は文盲がおおかった。
日本では,サヨクやプロレットカルトや,革マルは,突然変異で文字を知ったサルが外国の伝染病みたいなものにかぶれて,いい出したもののように思われがちです,戦前から,そして今も。

だからヨーロッパの左派の本当の文學の一翼としての変遷や,豊饒が覆い隠されてしまっていた。
戰爭にはいっていったからそれに拍車がかかります。最初からサヨクは敵でした。
逆に,日本の文學・學者は明治來の官製で,明治維新のころから陸軍閥の庇護のもと昭和まで,飼いならされて,ようやく栄えた,そして反動となりました
おかげで自由民権運動や大正デモクラシーなんてものはたかが50年の歴史もありません。さらに自主的な文壇などというものもつぶされましたね

ひるがえってドイツには,その前の浩大で長い長い文學思想があり,だからたかだかナチスの数十年間はしょせんあだ花であり,ナチスの彈壓では到底つぶしきれない,その前の豊かな土壌というものがあった,

“京都の由良家”の環境はどちらかといえば日本というよりドイツでしょう。

ヨーロッパでは,文學も哲學も政治思想もきりはなされないで進化してきた過程がありますね。ざっくりいえば宗教神学 VS その他の文化,という構図です,政治と文化は同じ側です。フランス革命からスペイン内線もプラハの春もつながっています,コミンテルンの文人は一流といっていいひとたちもいた

ヨーロッパで,左翼をサヨクと侮蔑するものはいませんから。
西歐文學をやる人は,日本であっても,ほんとうの意味の文學の変遷としての左派がわからなければ,真の西欧文學なんかできませんし,やりませんし

一連のコメントの返事は,ひまなときでけっこうですよ。わすれたころでも。年來の,わたしのいちばん確信なするところなので,いつであってもOKです では。

Re: 乙山さんへ

乙山さん。こんばんは。^^

U先生の思い出は、淡いけれど私の中では大切なもの。
そうして、この文も、自分としては気に入っていますので、
乙山さんにそういうふうに言っていただけると、とても嬉しいです。

大学では、由良先生の他に、2,3人、こころに残る先生がいらっしゃいます。
私は、人に自分から近づいていく方ではなく、由良先生にも、その他の
先生方にも、大勢の中の一学生、としての関係しか築けませんでした。
それでも、何かを確実に、それらの先生方から受け取りました。

それがなんであって、後年私の中でどう花開き実を結んだか、というと、
残念ながら、私自身が浅学のまま学校を出てしまい、何か見える形で
実を結ぶ、ということには出来ませんでした。
…それでも、なにかが私の中に残った…!

ほんとですね。
私は、目立たぬ一聴講者に過ぎませんでした。由良先生がもし、あの世で
私のこの文をご覧になっていらしたら、きっと大爆笑なさることでしょう。
「そうかそうか!あの夜のお馬鹿な女子学生。それがこんなふうに思っていたか!」と。^^
夜の電話のことはお忘れになっていらしても、課題の倉橋由美子を、
『胸糞悪い作品だ』と書いた生徒のことは、うっすらご記憶かも知れない(笑)。
そしてそのお馬鹿な女子学生の娘が、将来、倉橋作品の本のカバー絵を
担当することになると知れば、きっと、面白がってくださることでしょう。

乙山さん。私ね、今、由良先生の本、古本で手に入れて読んでいるんですよ。
『言語文化のフロンティア』という本と『セルロイド・ロマンティシズム』という本です。
後者は、先生による、1970,80年代の映画評です。
今、『言語文化のフロンティア』の方を読んでいます。
難しくてちんぷんかんぷん。
でも、ああ! 先生の息遣いが、文の端々から聞こえてくるんです。
そうしてね、先生が、私が想像していた通りの方だったなあ、ということも何となく
小さな記述の書きっぷりから見えてくるんですよ。
…なにか、不思議な感動です!!!
乙山さんだったら、この深夜の、時空を越えた先生との語り合いが、どれほど私を感動させ、
またじ~んとさせるか、おわかりいただける気がいたします。
読み終わったら、いつかまた、私を泣かせるその文のことも書いてみたいと思います。
よろしかったら、また、お読みくださいね。^^

しかし。私が特に敏感な受け手だったというわけもないと思うのですが、
おっしゃるように、これは、この場合のように、授業、という形態でなくとも、
ある人の話や、その何気ないしぐさや、あるいは人としての佇まい自体が、
それに接したものの心に深く深く残るということは、きっと日常のあらゆる場で
起こりうることだろうと思います。
ほんとにおっしゃる通りです。人はそれを考えれば、『言っても無駄だ』などと
あきらめず、やはり、出し惜しみなどせず、『自分の全存在を、そのときその時の
言動にかけていきたいものだ』なあ、と、私もあらためて思わされました♪

乙山さん。ありがとうございます!



先生

こんばんは!
いつもながら、彼岸花さんの記憶の確かさに舌を巻いてしまいます。
記述から見たこともない由良先生の姿が浮かび上がってきます。
そして先生の画像を見たときに「なるほど」と思ってしまいます。

もっと驚くのは「受け手」としての彼岸花さんです。
どれだけしっかり、情報以上のことを受け取られたのでしょう。
このようなすぐれた受け手が、あまたいる聴講生の中にいるんだ、
ということを、改めて感じたのです。

「どうせ通じない」とか「言っても無駄だ」などと、
つい思ってしまうこの頃ですが、
それは違うんだな、出し惜しみをしてはいけない、と思いました。

Re: ハルさんへ

はい。たまには息抜きしないと、私も苦しくなってしまいます!^^
こんな思い出話や、原発以外のこと書きたいなって思うんですが、
やり始めたことだから、やめたくもないし…
手帳さんというかたがここで言ってくださったように、
『仕方がないのだ!観念してとっ組んで下さい。』です、ほんと。
観念してとっ組んでいくしかない(笑)。

おお~!
ハルさんはエリクソンをお読みになられたんですね!
わたし、読んでいません!(笑) 今も昔もだめ生徒でした~。
ハルさんにとって大事なご本に、社会人になってから出会われたのですね。
…出会いというのは不思議ですよね。
それは不思議に訪れるべくして訪れる、という気がします…

ハルさんからそのようなお話伺って、なんだか嬉しいです。
勉強の機会というのも、その人によってそれぞれにチャンスの時と場が
違うのでしょうね。
わたし、作家の野上彌生子さんが、70歳近くになられてから哲学者の
田辺元さんに哲学の講義を受け、そして二人の間に終生の友情と愛が
続いたという話がとても好きで。
またいつかちゃんと書いてみたいと思いますが。
そのように、人間はいつからだって学び直しが出来るんですよね♪

倉橋由美子さんの本を、『パルタイ』のほかいろいろお読みになられたんですね。
私も偏見を捨てて読んでみましょうかしらん。
娘の表紙カバー、作品の雰囲気となかなか合っていたかな、と親馬鹿で思います(笑)。

ハルさんからは、今後もいろんなお話が伺えそうですね。
それが楽しみです。ぼちぼち、お急ぎにならず、お話、また聞かせてくださいね。^^
最初にコメントいただいたときも、本に関する私の呟きに反応していただいて、
その偶然に、とても嬉しくびっくりしたんですよ♪

Re: fukashiさんへ

こんばんは~。

なんだかちょっと良いでしょう? ^^

細い細い糸ですが、こんなふうにでも繋がっていくって、面白いなあ、と
思ってしまいます。
すてきな先生でしたよ。
…大学生活でこころに残ることって、自分の狭量や不勉強のせいで、
あまりないんですけれど、由良先生の授業はほんとにこころに
残っています。懐かしい再会でした!^^

fukashiさんは、この本、お読みになってらしたんですね。
わたし、全然そんな本が出てたこと知らなくって。
Y犬氏の名前だけは知っていたけれど、著作も読んだことないし、
そうですか。そんな感じの方ですか…

う~~ん、という感じが私もしましたが、それで、先生が穢されたとも思わないんですよ。^^
逆に、人間味を感じてしまいます。
どんな優れた人も人の子。惑いつつ時に転んだりしつつこの世を
生きていくもんなんですねえ……

なんだか、先生にふさわしく、美しい生涯だったな、って、読んでから
逆に感じました。

fukashiさんと由良先生のお話するというのも、なんだか不思議で
嬉しい気がいたします。^^



Re: NANTEIさんへ

長い話をお読みくださり、ありがとうございます。

思いがけず、先生のこと、知ることになりました。
生徒の一言がなかったら、先生の記憶は淡いままに時のかなたに
埋もれてしまっていたかもしれません。
娘の絵が倉橋由美子さんの本の表紙に使われると知ったときも、
それを手にしたときも、私の頭の回路の中で、倉橋由美子ー夢の浮橋ー
由良先生、というのが結びついていなかったんですよ~…
倉橋由美子、富岡多恵子、河野多恵子…この3人が何となくいつも
ごっちゃになって。
娘の絵は河野多恵子さんの本の、と、いつの間にか思いこんでいました。
あらためて一つにつながったときには何かこう…しんみりしました。

渋澤龍彦、種村季弘さんの『血と薔薇』についての記事、是非読ませて
いただきたいです。私はお二人の作品そんなに読んでいません。渋澤さんのを少しだけ。
でも娘は大好きで、渋澤龍彦さんの本は結構集めていたようです。
種村季弘さんのも『怪物のユートピア』とか『奇想の展覧会』とか『江戸東京《奇想》徘徊記 』
とか、だいぶ持っています。
ハハは読んでいませ~ん!(笑)

でも、こうやってあらためて見ると、3人が並び称されながら、由良先生の
業績はまとまったものが少なく、もし精神のバランスを崩されたというのが本当ならば、
そのあたりが焦燥の原因となられていたのかもしれませんね。
…学者の生涯というのも、厳しいものですねえ。
もう一度新たな気持ちで、先生の著作、読んでみようかなと思います。
…だめな生徒でした!(笑)
今考えると、勿体ないことしたなあと思いますね。
由良先生から。そしていろいろな先生からも、もっと積極的に吸収すればよかった。
lily姫さんへの返事にも書いたんですけれど、心に残る先生は他にも
いらしたんですよ。それをこっちが狭量でお馬鹿で、吸収しようとしていなかった!

後悔することばかりです。^^
NANTEIさんの幅の広さを拝見していますと、じぶんはな~にやってきたんだか!!
って自分で突っ込みを入れたくなります(笑)。
若い頃も今も、ぼ~っと過ごしている私です。……


あ。NANTEIさんも一匹狼でいらっしゃいますか。
でも、こころはそうでも、NANTEIさんは、周りに多くの素晴らしいかたがたが
たくさんご友人としておいでになる。…そういうイメージがあります。^^

NANTEIさん、よかったら是非、『血と薔薇』についての記事、アップしてくださいましね。^^





No title

原発関連以外の彼岸花さんの文章もステキ^^

大学というところに行ってみたいです。
私は読んだり書いたりは大好きでしたが、それ以外はからきしダメで
授業中はすぐ集中力が途切れ、なにもわからない。
窓の外のちいさな四角い風景を落書きしてるような子どもでした。
ほんとは勉強したいことがあったけれども・・・。
社会人になって出逢った恩師のおかげで
エリクソンを古本屋で買って読みました。
知りたかったことがそこから一気に私の中になだれ込んできて・・・。
いつかちゃんと勉強したいと思っています。

倉橋由美子は「パルタイ」の頃が大好きでした。
でも「暗い旅」のあの表紙。鮮やかに蘇ります。

No title

なんという不可思議な因縁!
紐帯とも呼びたくなるような結びつき人生にはあちこちあるようです。
それはやはり長く生きなければわからない。
その著者のY犬氏は虚言癖で悪名高いみたいなので、二人だけにしかわからない場面はどれほど真実なのか怪しいです。。非常に優れた学者であることは間違いありませんが。。書いたもん勝ちの世界。

No title

今、①②③一挙に読み終へました^^。
U先生の佇まいとおなじく、香り高い文章でした。
一人のある存在が、一瞬にちかい出会いとはいえ、
このように上質な因縁をあざなってくれるとは。
なにより驚いたのがお嬢様が、その細くてもつよい糸の一つになっていたというのには、感動しました。
私は残念ながらというか、不勉強のため由良先生のことは存じあげません。
ただ渋澤龍彦、種村季弘には別の意味で傾倒していたくせに(ちょうど彼らが中心になって刊行した「血と薔薇」のことを取り上げるためにの下書きまでしておきながら、迷っている状態なのですが)、やはり学者には無関心だったのでした。

しかし、彼岸花さんの生き方はこうして作られてきたのだなあ、となにやら感慨深いものがあります。一匹オオカミであろうとした私は、やはり人との付き合いが貧しく、今や年賀状が数枚に激減したことを歓びとしているほどですが(爆笑!
同じはぐれ者とはいえ、内容がずいぶん違うようでした(笑。
でも、ほんとうにいい文を読ませていただきました。

Re: lily姫さんへ

『タバコ屋の前の赤電話(かな?)の受話器を握りしめてる彼岸花さんは
若妻らしく、前掛けにつっかけだったのかしら?』

うッ!lilyちゃん、電柱の陰から、そっと見てたわね!(爆)
その通りで~す!
その頃は今と同じ、というよりもっとかな、超ミニスカートが流行っていましたから、
私もデニムとかツイード地のミニスカート姿でしたョん!
冬はツイード地のパンタロン(知ってる?^^少し裾の広いパンツ、ううんズボンよ)
はいてることも多かったかな。ジーンズはまだその頃でも、学生はそんなに
履いていませんでした、ジーンズ履いてる学生は教室に入れない!なんて
騒ぎもあったなあ…ああ、昭和は遠くなりにけり!

あらら!授業サボっててレポートの主題の意味がわからない、って、
lilyちゃん、おねえちゃんとさすが姉妹だわね!(爆)
おんなじようなことしてらァ!(笑)
『カクテルパーティ効果』…知らないので、今、Wikiしてみるね……

(爆)(大爆笑)!!!

よくやった!さすがおねえちゃんの妹だぃ!
『良』つけてくれるなんて、その心理学の先生、いい先生ね♪
おねえちゃんも、さらに今、思い出したよ。
史学の試験でね。青山信吉先生って言うその男の先生も(よく名前覚えてるもんだ)、
なかなか好きだったんですよ。こちらはギャングもの映画の名脇役にでもいそうな
ちょっとこわもての感じの先生だったんだけど。何となく剽軽でもあり。
例のごとくその先生の授業もあまり出てなかった。それに日本史苦手だったし。
でも、試験の時、その先生が、いつも熱く語るのに、生徒の方は割と
うつむいて無反応なのが、私、悲しかったのね。自分のことは棚に上げて。
だから、答案の裏に、へへ、書きましたよ~。
先生が一度だけ授業中に『石をもて追われるごとく』なんとかかんとか…って
ほんのちらっとおっしゃったのよ。たぶん私だけがひそかに反応したんだったと思う。
国分一太郎『石をもて追われるごとく』。とても感動した本で。
古い古い本なのよ。でも、心に残る本だった。
そのこと、先生に伝えたくて。
ふふふ。そっちの方の成績も、成績表取りに行ってないからわかりませ~ん!(笑)

はい。赤いドレスの方の表紙の『暗い旅』です!^^河出文庫。
『夢の浮橋』。私も今読んだら、見方が違うかなあ。…どうでしょう?^^

『学問への憧れ、今からでも間に合いますでしょうか
驚きに満ちている世界の、ほんのかけらでもいいから~
ドロップの缶の底のザラザラにだって、味はありますし~』

この最後の一行。いいなあ!
lily姫さんの文章、すっごくいいの、いっぱいあるよ♪
lily姫さんの感性、すっごく繊細だと思うの♪

学問への憧れ。今からでも間に合いますとも。
私も、ああ!40年遅かりし!だけど、まだやる気あるよ。^^
そうそう。そのね、ドロップの缶の底のザラザラ。そういうところにこそ
人生の味わいと驚きが隠れてると思うなあ、私も。^^

見つけたら、見せっこしましょうね~~~~~♪^^


Re: はなさかすーさんへ

はなさかすーさん、こんばんは~。^^

お訪ねありがとうございます。

私、大体が閉じた人間ですから、実はあまり出会いってないんですよ。(笑)
今、ブログで、みなさんにお声かけていただいているのが、わたしにしては珍しい
くらいなんです。
ブログ始めてから、ようやく、人のつながりの温かさを知ったんですよ。
遅いですよね!(笑)

由良先生のことも、淡い淡い記憶の彼方にありました。
ほんとに淡いご縁です。しかも一方的な。^^
影響はきっと深く受けたのだけれど、それがどう形になって現れるということでもなく…
それが、ふとした生徒の言葉で、由良先生を思い出して、そのひととなりを
今回知ることになり。
一挙に時がめぐって、淡い記憶の糸が繋がる!という感じでした。

由良先生は、ほんとにたくさんの本を出していらっしゃいます。
ただ、かく言う私も、全然読んでないんです。
でも、ほんとにすてきな先生でしたよ。その授業ぶりは四方田犬彦さんの本に
もっと詳しく出ています。そして寂しいエピソードも。

『象牙の塔』と言うと、普通悪い意味で使われますよね。
学問の砦に閉じ籠って、外界を見ない。それゆえに因循に陥ってしまうという…
原子力発電、放射線科学にかかわる東大の学者などという人々の中には
そうした悪い意味での『象牙の塔』の住人がたくさんいて、この国の
原子力研究というものをゆがめてしまったのかもしれません。

でも、ここで私が使う『象牙の塔』という言葉。そうした因循で閉鎖的な
学問の砦ではなく、本当に学問を愛する人々が、世間の栄光とか名誉などを
超越して純粋に知識の喜びに浸る、そういう場所、という意味で使っています。
かつては、そういう先生たちが、東大のみならず、あちこちにたくさん
いらしたと思うんですよね。書物に埋もれた研究室にいつも籠っている先生。
でも、学生たちが行くと、本当に胸襟を開いて、先生を中心とした談論の輪が出来る…

私は学問の道には進めなかったけれど、こんなふうに思うんですよ。
『本当の知識というものは、人を解放する』、と。
知れば知るほど、人は本来自由に解き放たれるものだと思うんです。
もし、知識を振りかざして人の上に立とうとする傲慢を身につけたり、
自分の知識を守るために保守的になって、さらには因循な、凝り固まった
学者になったとしたら、それは本当の『知』ではない、と。
原子力ムラの学者さんたちなどは、さしずめ、そういう方が多かったんでしょうね。
由良先生の晩年も、ちょっと知って悲しいものがありますが、
四方田さんの本やWikiの記述をまたそのまんまも受け取るのは躊躇われます。
人間ってそんな単純なものじゃないし、完全なものじゃない。
一人の人の中に、素晴らしく崇高なものと、それと相反するものが同居しているのが
人間ですものね。^^

倉橋由美子さんの作品は、…です。^^
でも、一世を風靡しましたからね。新しい女流文学の象徴的存在でもありました。
またいつか、他の作品読んでみようかと思います。

さて。64歳。これからどんな出会いと驚きにめぐり会えるでしょうか。^^
死ぬまで、ときめいていたい。そう思います♪

はなさかすーさんは、大きなときめきと出会いの光の輪の中にこれから
入っておいでになられるのでしょう。
子供というものは、そうした開けた場所に大人を連れていってくれる
奇跡の存在でもありますね♪

No title

彼岸花さんの書く文章、大好きです
もっと、もっと、とねだりたくなります

24歳の彼岸花さんに会いたいなあ
お話できなくても、そっと陰から、見たいな(笑)
タバコ屋の前の赤電話(かな?)の受話器を握りしめてる彼岸花さんは
若妻らしく、前掛けにつっかけだったのかしら?
学生結婚してらしたってことに、なんだかドキドキします(笑)
レポートを (…それにしても、個人的感想を言わせてもらえば、なんとも胸糞の悪い小説である)
と悪態でしめくくったなんて!!!
なんて、お茶目で、なんて、くそ真面目な彼岸花さんでしょう(大笑い)

そーいえば、私は、教科書代を使いこんでしまうような不真面目な子でした
学問への憧れなんて・・・ウッ ちくしょー、持ったことないやい(涙)
心理学の試験問題がね、
「カクテルパーティ効果について述べよ」の1問だけだったの
私はさっぱり、当然、わっきゃんぶいです
心理学の先生は、出席にうるさくなかったので、さぼりまくってたの
困り果てて、自分がカクテルパーティを主催するとしたら、
テーブルの花は とか 用意するグラスは とか どんなお料理を出すかとかを
答案用紙いっぱいに書きました
お酒のカクテルしか思いつかなかったのです
そして、答案用紙の裏面には、山口百恵を大絶賛する文章で埋めつくしました
だってね、心理学の先生は、山口百恵の大ファンだったんですもん
なんとか、単位をもらおうと必死ですがな(笑)
成績は・・・なんと、「良」をもらいましたよ


倉橋由美子さんの「暗い旅」は、河出文庫の方ですね?
赤いドレスの・・・・・でしょう?
「暗い旅」、読んだことあるような無いような・・・あいかわらずの私です
もし、読んだことがあるとしても、もう一度読んでみます
胸糞悪い小説の方も、もちろん読みます(笑)
すみません、意地悪ですね、私

学問への憧れ、今からでも間に合いますでしょうか
驚きに満ちている世界の、ほんのかけらでもいいから~
ドロップの缶の底のザラザラにだって、味はありますし~

布石

彼岸花さん、こんばんは^^

面白いですね・・・人生・・・。

まるで予め布石が敷かれてあるように、人と人が惹かれ合い繋がり
驚くような展開が生まれたりもして、それは想念が現実を引き寄せる
のか、思考や憧憬が引き寄せるのかさっぱり分りませんが、一種の
強い思いがあることに変わりはないような気が致します。

彼岸花さんが出会われた人たちは素敵な大人たちなんですね。
そのなかでもU先生は特別な存在なんだと思いますが、品格を身に
纏いながら芸術的な芳香を放つほどの美しい存在は確かに一代で
醸し出されるものではないのかも知れませんね。けれども由良氏の
仕事は何も知りませんし、倉橋さんの本も数行読んで食指が動きま
せんでしたから何も語れないのですが。若かりし頃の彼岸花さんに
同意します。僕は渋澤龍彦氏に傾倒してしまいましたが・・。

学問の世界は深くて広いから楽しいと思います。ただ、最近東大の
権威は失墜してしまいました。御用学者もエリートもお金に汚い人は
東大出身者に多いようですから。ノーベル賞を受賞された京大物理
学者は、若者たちの前で「自由」が一番大切だと語っておられたから
現代においては個人的に救われ共感いたしましたけど。

彼岸花さん、これからですね。
まだまだ驚きに充ちた世界が待っているのでしょうから^^
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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