『猫の恋』 愛しき(かなしき)もの 其の十三

深夜1時半。
とっくに日付も変わった。
今日もいつものように夜が更けていく。

明日すぐに縫いだせるように、布でも裁っておこうかと型紙などを用意していると、
近所の人々が皆、寝静まった暗い家の外で、一匹の猫が啼く声が聞こえてきた。
「ああん!ああん!」と甘えるような声。
我が家の玄関先あたりを横切って遠ざかっていく。

「ああ。もう、猫の恋の季節か!」

春と秋と大体年に二回、猫に恋の季節が訪れる。
この時期の猫の声はそれはそれはすさまじいものである。

「ああううん、ああううん!」
「ああおう。ああおう!」
「あわあ、あわあ!」
「おわあ、おわあ!」

そういえば昔、恋の季節になると、「あわわ!あわわ!」とはっきりと
聴き分けられる鳴き方をする猫がこのあたりにいて、
私はひそかに彼を『あわわ』と呼んでいたのをふと思い出した。

『あられもない』という表現があるが、まさにこの言葉がぴったりするような、
普段の猫の鳴き声とは全く異なる悩ましい声で、猫たちは恋の相手を夜な夜な
探し求める。
まだ2月半ば。少し恋の季節には早いのではないかと思うが、
今年になって深夜にこの声を聴くのは2回目である。

『猫の恋』を季語として詠んだ俳句を、試みに検索で探してみた。
何十句と拾い読みしていったが、その中で私が、「ああ、これこれ!これこそが猫の恋の
あられもなさとせつなさをよく表しているな』と思ったのは次のこの句。

たまきはるいのちの声や猫の恋  
                          五十嵐播水

『たまきはる』とは、漢字で『魂極る』と書く。
『いのち、うち、世』にかかる枕言葉である。

ああ、何と巧い句ではないだろうか!
本当に、つがう相手を求めて深夜、寝静まった家々の間を徘徊して回る猫の
恋の叫び声は、『魂が極った』という表現がぴったりするような、
荒々しくもせつない、命の声である。

萩原朔太郎の有名な詩もあるな。

猫  

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です


でも、この詩は、猫の恋の激しさせつなさを表現してはいない。
この詩の眼目は、春の宵の悩ましさにあるのだろう。
猫の恋はもっとすさまじい。

猫の恋の季節が本格的になると、昔はよく我が家の周りでも、
猫が何匹も同時に鳴き交わす声が聞こえてきたものである。
最初は「おわあおう!」「あああおう!」などと2か所3か所から別々に
鳴く声がする。
そこまではいい。
ところが、我が家の窓の下あたりで、いきなり何かが走りすぎる
激しい物音がしたかと思うと、それを追いかける音がして、
ギャギャッ!とかフギャッ!とかフーウウッ!とかいう物凄い唸り声と共に、
2,3匹の猫が取っ組み合いをするすさまじい音がそれに続く。
まあ、そのけたたましいこと!
検索している中にこんな句があって、これもぴったりだと思うので挙げておこう。

おそろしや石垣崩す猫の恋
                       正岡子規
 
さすが正岡子規。猫の恋の凄まじさをこれほど見事に言い切るとは。
それほどに、雄同士が争う物音は激しくけたたましい。
家人などは窓を開けて猫に向かって怒鳴るが、私は大抵笑って聞いている。
騒がしいと言って怒る者もいるし、猫の恋のあの声を不気味がって嫌う人もいるようだ。
でも、いいではないか。
猫だって生きている。恋もする。

ところが、近年、街中ではこの猫の恋の声もめっきり聞くことが少なくなってしまった。
それにはいろいろな要因があるだろう。
まず住宅の密封性が高くなったこと。そうして防犯上から、家々が戸を開け放しておくことが
少なくなったこと。そうして、猫の飼い主によるペットとしての愛玩度が以前より強まって
いることから、よその得体のしれない猫と付き合わせるのを飼い主が嫌うようになったことなど、
猫が昔のように自由に家を出這入りしなくなったからではないだろうか。

野良猫も、いるところにはいるが、絶対数からいえば少なくなっているだろう。
我が家の近くで見かける猫は、おそらく飼い猫ばかり。
流星群の夜、深夜外に佇んで私が空を見上げていたとき、さっと通り過ぎたあの精悍な黒猫、
彼を含めてほんの3,4匹である。

ああ、猫の恋の声さえ、だんだん人間の暮らしの近辺から消えていくのか。
「ああおん!ああおん!」と切なげに啼きながら、深夜、窓の下を
姿は知らねど猫が啼いて通り過ぎる春の宵は、なかなか風情があっていいものなんだがなあ。


人は恋に苦しむ。
思考する動物であるゆえに、あらぬ疑いや自嘲に苦しむ。
まして、秘めた恋、許されぬ恋、かなうあてのない恋なら、
その苦しさはいかばかりだろうか。
胸の底には常に涙が溜まっているようで重く苦しい。
ふと面影を思い起こせば、声を空耳に聞けば、胸がずきんと激しく脈打つ。
まして、失ってしまった恋、還らぬ恋を想う時には、
慟哭の声が胸から突き上げて出そうになっても、人は、黙ってそれを耐え忍ぶ。

ああ、人も猫のように、「おああ!」「ああおん!ああおん!」と、
あのようにあられもなく泣けたらどんなにいいだろう・・・・・。
深夜の町を泣きながら徘徊できたらどんなにいいだろう・・・・・。


最後にもう一句。

恋猫の眼ばかりに痩せにけり
                       夏目漱石 

これもあの夏目漱石が、と思うと何やらおかしい。
「眼」は「まなこ」と読ませたいところだろうか。
高踏派、余裕派とも呼ばれる漱石が、恋する猫に寄せる同情の眼差し。
余裕派の面目躍如と言ったところか。
生涯浮気のうわさもほとんどない漱石。
しかし私は彼を『熱い恋のひと』だと思っている。
あるひとの面影を胸の奥に深く秘めて、それを決して表に出さずに
生涯を送った人なのではないかと思っている。

スポンサーサイト

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

Re: neronekoさんへ

私も、基本的に、血液型、星座などで人をカテゴライズするのは
あまり好みません。
その点、neronekoさんと同じですね。
なぜかというと、「わたしは私」と思っているから。
あ、これこそユングの内向的というところの思考傾向に当てはまりますか。
結構好きだったりして(!)。
知的遊びとして確かに面白いですね。

ユングのタイプ分けはよく知らなかったので、検索で調べました。
こういう時検索は便利ですね。
自分については、なるほど、私ってこうかもしれない、と思うことが
ありました!neronekoさんよくつかんでいらっしゃる。
でも、ちょっと面映ゆいです。

漱石と子規は結構伝記とか、周辺の人々の書いたものを
まあまあ読んできたので、二人の句の違いが面白かったです。
ユングの気質分類と重ねるとまた別な面白さでした。

あとね。二人がこれらの句を作った年齢を調べてみたんです。
子規は28歳。漱石40歳の時の句でした。
子規の句に若さの持つ知的な遊び心を。そうして
漱石の句に、円熟の滋味を感じ取った私。
まんざら的外れではなかったということになりますか。
あ。こういう感じ方が、内向的感覚、というものでしょうか・・・

neroneko さんが朔太郎の直感に魅かれるという感じも
なんとなくわかる気がします。
そういう一面もお持ちでいらっしゃるんじゃないでしょうか。

Re: 依里さんへ

ほんとう。この時期の猫って、必死なんです。
それをあられもない、恥ずかしいこと、ととるか、
命の讃歌ととるか、というと、私は後者なんです。
依里さんがいみじくも『猫の必死さに笑いが漏れてしまいました』
とお書きになられたように、わずかな滑稽味を含んだ共感、とでもいいますか。

人間も生き物だから、恋すれば必死になるのだけれど、
猫のようになりふり構わず、というわけにはいかない。
思考する頭脳がなまじ与えられているだけに、恋が叶わぬとき、
還らぬ恋を想う時のつらさは、それこそ身も細る、とまでいく場合も
あるようです。
漱石の歌は、たんに猫が恋の季節に眼ばかりに見えるほど
痩せていた、ということをうたったのではないんじゃないかと思います。
だって、猫は恋煩い、なんてしないでしょうからね(笑)。

コメント、嬉しかったです。

No title

>そんなことを白状しておしまいになると、そう思っちゃいますよ(笑)。
>それでは、私などはどうでしょうか。

僕に関しては、隠してもしょうがないくらい、あまりにもぴったりとあてはまっているのではと思います。
いままで、血液型だの、○○占いといったようなものは、それぞれを個別にみるべき人間というものを無駄にカテゴライズし、偏見を育てるだけの忌むべきものでした。
でも、ユングのタイプ論で自分を分析してみて、少し驚きなんですが、大いに役立つところがあったんです。
ユング先生、恐るべしです。

自分に関してはよく分かるのですが、人を分析するのは苦手です。
ユングもカテゴライズして、固定化してしまうことの危険性を指摘していますし、あくまでもお遊び程度に考えるのが良いのかも知れません。

彼岸花さんは内向的感覚と内向的思考のアマルガムで、内向的感覚の方が強い、と分析します。
高感度のフィルムみたいな方という印象があるのです。
もちろん、お遊びですので、お気を悪くなさらないよう。


たしかに、この漱石の句は内向的感情ですね。
以前、漱石の非常に思考的な文章を読んだことがあるので、それに引きずられてしまったんですね。

人は複雑な合金で、常に変化するものなので、僕もまた変化するかも知れません。
突然、直感的な歌を詠んだり…は、今のところ想像もできませんが、あるかもしれません(笑)

No title

猫の必死さに笑いが漏れてしまいましたが、そうやって自分の事を棚に上げて笑っていられるのは人間くらい、でしょうか。。。(汗)
人だって必死な時はあるけれど、形振り構わず、ってなかなかできないですね。

Re: neroneko さんへ

この記事には反応なさるだろうと思っていましたが、句論ではなく、
そういった形でおいでになりましたか(笑)。

朔太郎。内的感覚型と直感型のアマルガムですか。なるほど。
外的な刺激を自分の主観によって変容させ、それを独自な表現力で
表出していく。夢想家、神秘主義者でもあるということですね。
「たまきはる」のかたは、神戸のひと。よく知らないので何とも言えませんが、
句界で長く中心的存在となられ、ご長命でもいらしたので、
外交的う~ん、感覚型かもしれませんね。

正岡子規が外交的感情型というのは、よくわかる気がします。
夏目漱石はどうでしょう。内向的感情型という気もしますが。
でも、若い頃はずいぶん友人関係など豊かな人だったらしいですから。

neronekoさんは内向的思考と内向的感情のアマルガムですか。
そんなことを白状しておしまいになると、そう思っちゃいますよ(笑)。
それでは、私などはどうでしょうか。
外向的でないことだけは確かですが(笑)。

学生の頃、心理学の時間にクレッチマーの気質分類とかシュタイナーの
胆汁、粘液…などという気質分類を習ったことを思い出しました。
ユングのはやらなかった気がするなあ。

でもそう思って見直してみると、この4人の作品は本当に作風が
違って面白いでしょう。
私は子規の句と漱石の句の対比が面白かったです。
漱石のほうが多分にウエットな感じがしますね。滋味のある人柄が
出ている気がするのです。子規は知的な句風、という感じがしました。
そこに私は、二人の生における、恋の経験の差をなんとなく感じてしまうんですけどね。

素人ですから、生意気は言えないんですけども(笑)。

面白い視点からのコメント。ありがとうございました。

No title

面白いですね。
特に朔太郎の詩が面白いです。
内向的感覚と内向的直観(の方が含有率の高い)の合金(アマルガム)といった感じでしょうか。

変な話ですが、最近、ユングのタイプ論についての本を読んだので、それに取り憑かれていて、的外れな分析をしては楽しんでいます。
「たまきはる」は内向的(もしくは外向的)感覚、子規の「石垣崩す」は外向的感情、漱石は内向的思考かな。

僕は、今現在の自分を内向的思考と内向的感情のアマルガムだと思っています。
朔太郎のような、独特の直観とか、感覚に少し嫉妬してしまいます。

Re: Albertさんへ

正岡子規の句。いいでしょう。
昔はこういう塀もあったんだろうと思うんです。
土を塗り固めた塀が古びてもろくなっているのとか、
石を積み重ねただけのとか(笑)。
そこを猫が激しく蹴って駆け抜けていけば、もろくも塀が壊れる。
調べてみないとわかりませんが、若い頃の句なんじゃないかという気がします。

人の恋。これは若いうちにこそですよ、Albertさん。
若いうちに、恋して恋して恋しぬいてくださいね。
実っても実らなくても。
恋しているときも勿論感情が高揚して、表現したくなるでしょうが、
実は優れた詩は、恋が去った時に生まれるような気もします。
しかも直後ではなく、長い時間が経過して、恋のつらさが昇華したときに。

これから恋がいくらでもできるっていいなあ。
激しい恋、つらい恋、お互いを高め合う恋、しみじみと優しい恋・・・、
いろんな恋を人生で味わい尽くしていってくださいね。

恋する若人より

うーん,正岡子規の句に感じ入るところがありました.その光景が眼前に見えるようなんですけれども,すっかりコンクリートのブロックで固められた近所の塀の上を走り回る猫の姿は,それには程遠いものがあり,やや物悲しくも感じます.
方や人の恋は面白いです.この先いろんな種類の人生が考えられるだろうけれども,恋を入れ忘れる事だけはしてくれるなと,最近自分に言い聞かせております.
さすがに漱石や子規には及びませんが,恋をすると詩人になります.何かを表現したくなるという意味で.恋をして,表現者としてこれ程に恵まれた事も無いのではと思ったりもするのです.
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード