『大飯原発再稼働 見直して!』

5月5日。日本中の原発の原子炉が停止して喜んだのもつかの間。

野田義彦内閣はなにがなんでも、どうしても、大飯原発を再稼働させたいらしい。

いくつかの意識調査などによると、国民の大体60~70%くらいは、大飯原発再稼働には
反対か、少なくとも慎重であるべきだと思っているようである。
また、関西圏で行った調査によれば、この夏、大飯原発を動かすよりは、
不便でも節電に協力する、と答えた一般の人々は、やはり60~70%くらいはいるそうだ。
全国どこでアンケート調査を行っても、同じような数字が出てくるのではなかろうか。
それにもかかわらず、野田内閣と地元自治体は再稼働に向けて着々と動いているようである。

まず映像を見ていただこうか。

http://youtu.be/HoS9pFvp4xQ

5月14日。おおい町議会は、全員協議会を開き、議会として再稼働を容認した。
議長を除く議員12人のうち賛成11人、反対1人だった。
この日の全協では、各議員が日ごろの議員活動で聞いた住民意見を基に再稼働に対する見解を表明。
慎重意見は思いの外、少なく、原発停止による町税収や交付金の減少を危惧する声が多い」
「十分な安全性が担保されていることを認める。日本経済の活性化のためにも動かしてほしい」
など容認の意見が相次いだ。
…と、いうのだが、この前に行われている4月26日の町民説明会では、質問に立った者の
多くが再稼働には慎重であって欲しいというものであったという。映像にもそのシーンがある。
それにもかかわらず、この町議会全員協議会では、説明会での町民の意見は
参考程度
にし、下線部のように、各議員の個人的印象、個人的見解で、おおい町町民は
『慎重意見は思いのほか少ない』ということにされてしまった。
そうして、『再稼働に賛成』という議決は、おおい町町長に提出された…

さて。この町議会の議決。どうご覧になるだろうか。
この議長という人物のふざけた態度。報道陣が差し出したマイクを顎ではさんで見せたり、
意見を問われて、『あ』とだけ答えたり。
…こんなふざけた人物が議長を務めて原発の再稼働の可否を決定したのか…!!!

しかも、それを大真面目な顔をして受け取っているおおい町町長は、自らが創業し
現在は息子が社長を務める会社が、原発関連の工事を過去6年間で4億円以上受注していた
という人物なのだ。
瓦礫いけ入れをいち早く率先して表明した島田市市長が産廃業者であったのと
同じ構図だ!
は~~~~~~……溜め息が出てきてしまう。

このおおい町の議決が大飯原発再稼働の、大きなターニングポイントとなり、
政府はこれによって自信をつけて、再稼働に一歩大きく踏み出したのである。
こういう議長がまとめる議会の議決によって、この大きな問題が動き始めてしまうのか……!!
なんとも、虚しい気持ちにならざるを得ない……。


福島第一原発の事故が起きて、さまざまな原因分析や責任追及がおこなわれてきた。
しかし、ひとつ、誰もが触れることのできないタブーがあったと思うのだ。
原発問題を考えるとき、やはりこのことに触れずして、根本の
議論というものは成り立たないのではないかと思うのでここに敢えて書いておく。

それは、『原発誘致を決めたからには、その選択の責任は、原発立地自治体の、
受け入れ賛成した人々にもあるのではないか?』という一事である。

ここではっきりしておきたいのは、私が批判しているのは、受け入れを積極的に決めた
人々のことであるということ!
村議会、町議会、市議会、県議会、国会…これらで議論する時に、あるいは
いよいよ議決をする時に、『民意』というものがよく持ち出される。
しかし、選挙によって選ばれた人々の議決、行動が、必ず、民意を反映しているか、
というとそうでもないのは野田内閣を見ていればよくわかる。
おおい町に限らず、原発を受け入れた自治体の人々の中には、原発に強い不安を
抱く人々も必ずいたに違いないのだが、こうやって議員が、再稼働に賛成、と
議決をしてしまえば、それはおおい町町民の総意、ということになってしまうのが
多数決を原則とする民主主義制度、というものの宿命的な仕組みである。
町民説明会で立ち上がって、再稼働に慎重に、と言った少数派の人々の意見は反映されない。
住民の代表である議員さんたちは、とりわけ、議決には慎重であってほしいと思う。


原子力発電事故というもの…
これは、原発施設を積極的に受け入れたひとにも、
必死になってその危険性を説き、反対運動した人にも、そうでない、傍観していた人にも、
決定権のない子供たちにも
そしてこれから生まれてくる未来の人々にも、一様に危険を振りまくものなのだ。


よく、原発事故による死者の数と自動車事故、飛行機事故の死者数、
また喫煙による癌の発生率などを比べる人がいる…。
福島の事故が起きてなお、これまで原発推進派が推進論で述べていたようなこんな
もの言いを、いまだにしている人がいることに私は悄然としてしまう。
評論家と言われる人々の中にさえいるのである。たとえば、『朝まで生テレビ』で
『でも、自動車事故による年間の死者などに比べ、今回の原発事故で死んだ人は少ない』
とつい口を滑らせてしまった某女性経済評論家のように。

原発事故の、それら飛行機事故や喫煙と根本的に違うことは、
原発事故はそれを選ばなかった人にも無差別に降りかかる、ということである!
今回の事故は、原発を積極的に誘致してきた人々にも、無関心だった人々にも、そうして、
危険性を訴え続けてきた反対派の人々にも区別なく、さらには、福島県内だけではなく、
隣県いや、200キロ300キロ離れた東京や静岡、山形あたりにまで
汚染被害をもたらしてしまったのである。
しかもそれは一過性の事故ではなく、この先何十年、何百年と未来に日本に
生きる人々の土地や空気、海まで汚染してしまったのである。

ご紹介した映像では、この議長のふざけぶりが強調されている印象になっているけれど、
次のページをご覧いただきたい。
ここには再稼働を決めた町議会議員さんの意見もいくつか載っている。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1291.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

私はその発言を読んだとき、「ああ、そうか。原発立地の自治体というものの中には、
原発を誘致して危険を承知で受け入れる代わりに、多額の交付金を得たり、
その存続や稼働にもの言うことを、自分たちの権利と考える人も多くいるんだな、と
今さらながらにちょっと愕然としたのである…。

『危険を承知で受け入れる代わりに、交付金など優遇を受けるのは、原子力関連施設
受け入れ自治体の、当然の権利である。ただ、恩恵だけを享受する他の地方の人々に
口出しする権利はない』というような。

…………

もし、首長や議員など立地自治体の決定権を持つ人々がこういう認識でいるのだとしたら、
それは不遜としか言いようがないのではなかろうか。
気になったのは、関西広域連合の自治体の首長たちに対し、福井県知事が不快を表し、
『将来の見通しもなく、いろんなことを言うのは望ましくない。もっと真剣に
この問題を考えるべきだ。関西の反対とか賛成とか、同意を得るとかの話ではない』
と述べ、関西の理解は判断材料にしないと明言したということである。

ここには、ひょっとしてその、『原発は自分たちのもの』、という意識が存在するのではなかろうか。
危険は自分たちがそれを承知で受け入れている。だから交付金など見返りを受けるのも
当然の権利であるし、その稼働再稼働など決定権を有するのも、自分たちである。
電気、という利益だけを享受している他の自治体のものには口をはさむ権利はない、
という意識が。

原子力関連施設の誘致、受け入れ決定、建設、そして稼働に際し、
決定をする権限を持つ者が、こういう認識でいるとしたら、それは怖いことである。

原発事故というものは、人間が線引きをした、町や村、市、県など自治体の境界線などと
いうもの、いや、国などというものをいともやすやすと越えて汚染を広げてしまうものである。
立地自治体でないから、口出しする権利はない、などとどうして言えようか?
まして、一度過酷事故が起きたら、それは未来の人類の綺麗な土地まで
奪ってしまうのである。


原発の是非を語る時、このことはしっかり認識しておかねばならないことである。
つまり、誰にも、事故のほんとうの意味での責任はとれないのである。
福島の事故に対し、原発政策を積極的に進めてきた過去の自民党の政治家は
責任を取っただろうか?東電の歴代経営者たちは責任を取ってくれただろうか?
誘致に積極的にかかわった人々は、自分の非を認めているのだろうか?

一つの例が、日本に原子力発電を導入するのに積極的に関わった立役者の一人、
中曾根康弘氏は、今回の事故に自分の責任を認めただろうか?
識者としてぬけぬけとした顔でコメントしていたのではなかっただろうか?

野田総理は、自分が責任を持つ、と言っている。
しかし、もし仮に、これから先大飯原発に、そして他の原発に過酷事故が
起きた時、そんな野田総理の口約束など何の役に立つであろう。
その頃彼はもう総理の座は退いて、責任追及などされはしないであろう。

立地自治体の責任をこういうふうに口にすると、それは現実に今も、そしてこれからも
住む家も仕事も、中には家族さえもなくし、健康も希望も失って途方にくれる
福島の人々全部を責めることになる……

原発事故から一年数カ月余。
私が時々ぱたりと筆を止める時、いつもこの問題がこころに引っかかっていた…

だが、しかし。今、思う。
そのことが、かえって問題を不透明にしてきたのではないか、と。
福島が原発を誘致するにいたった歴史を、もう一度振り返って反省してみることは、
これから同じような悲しみを引き起こさないためにも、今は痛くても
真剣に皆で考えてみる必要があることなのではないか、と。

原子力事故に限らず、公害問題というものは、当事者間だけの問題におさまらないのが
常である。原発建設者側と誘致受け入れ側と。それだけの間で決められる問題では
ないのではなかろうか。
おおい町の例に見るごとく、立地自治体内部でさえ、果たして、この議会が
おおい町民の総意を表していると言えるのだろうか。
聞けば、おおい町議会議員選挙はほとんど全員が当選するという。
立候補したもののほとんどが議員になる。現在14名。
今回の議決に参加したものは13名。議長を除き、11対1で再稼働を議決。
町長は身内が原発関連の仕事を請け負って6年間で4億円。町長自身が筆頭株主である。
おおい町の人口は8800人。

町は原発があるおかげで、十分すぎるほどの財政的な恩恵を受けている。
町の財政規模は、同じ人口の他町に比べて、ほぼ3倍であるという。
リゾートホテルにマリーナ、温泉などのアミューズメント施設、豪華な総合体育施設など、
人口規模から見て不釣り合いとも思えるハコモノが町のあちこちに立ち並んでいる。
豊かな財政のおかげで町民への福祉行政も他と比べて充実している。

この記事をちょっと見て欲しい。

http://mousou-meisou.blogspot.jp/2012/05/blog-post_16.html?m=1

こんな町に原発に依存した町に一度なってしまえば、例えそこでこころの内に、子供たちのために
原発は無くなって欲しいな、と思う人がいても、おそらく表だった声は上げにくいであろう。
隣のひとは原発関連施設で働いているかもしれない。
夫の実家は原発作業員が上得意である、いや、それによって商売が成り立っている
飲食店をやっているかも知れない…。

国→都府県自治体→市町村自治体→町民、村民、

この構図の中で、一番正直に批判を言いにくいのはひょっとして
町民、村民から、町や村の長に対してではなかろうか。
日本には昔から続いてきた共同体の掟や助け合いの伝統がある。
そこではムラの長の言うことには黙って従うという、長い間に培われてきた
心性が根強く生き残っておるだろうと思う。
早い話が、私が去年一年理事として当番を務めた小さな町会の組織。
たかだか100戸くらいの集まりだが、そこの総会で議決されるそのやり方は、
まったく可笑しくなるほどおざなりでなあなあである。
他愛のない議題であるからそれですむようなものの、これが原発などという
大きな問題になれば、村や町の人間関係のしがらみは、小さな声など
通りににくくしてしまうのではなかろうか。

決して原発誘致した自治体の個々人を責めているのではない。
私は以前、本田靖春さんという元讀賣新聞記者でジャーナリストであった人と
彼の書いたむつ小川原の開発の本のことを書いた。
青森県むつ小川原、つまり、今の六ヶ所村核施設の開発に至る歴史を書いた本田さんの
著作について。
『貧しさの構図』

明治の頃からその著述は始まる。
藁…あの、ワラを杵でついて餅にしてそれを食べる…そんなもの考えられますか?
自分の汚れたからだに湧いたシラミをつぶして食べる老婆…
娘たちの身売りが当たり前であったような貧しい、地味の痩せた土地にしがみついて
生きてきた人々…やませが吹き、稲は実らない。その上満州開拓や
戦後の昭和44年の新全国総合開発計画など、国家の政策に振り回されてきたむつ小川原の人々。
そこに、昭和59年、中曾根康弘氏によって下北半島原子力基地化、の構想が打ち出される。
そして今日の六ヶ所村がある…

青森県六ケ所村、福島県浜通り、そしておおい町…
大都市東京、大阪の繁栄の一方で、経済発展から取り残された過疎地の村や町がある。
そこでは男たちが出稼ぎに出ていかなければ生活が成り立たなかったりしていた。
…その貧しさ、不便さにつけ込むようにして政治と手を組んだ巨大資本が、
人口密集した大都市やその周辺ではとても建てられない原子力関連施設や
巨大石油化学施設などを金の力で立地建設認めさせたのである。

貧しさや不便さから何とか脱却したい人々が誘致に傾く心情…。
私は、九州の貧しい高原の村の出である。少し大きな町に出るには40分も
バスに揺られなければならない。ちいさい頃は塩鯖の切り身がごちそうであった。
盆暮れや祭りなど特別な時にだけ、鶏をつぶす。かしわめしとその地方で読んでいたが、
鶏の炊き込みご飯が大ごちそう、という村。
父と母はその土地にしがみついていては子供たちの教育も出来ない、と考えて、
田畑を売り街に出た。しかしそこで始めた商売にはすぐに失敗。
なけなしの財産は無くなり、やがて家族は父方と母方に分かれて離散。
私は母に連れられて以降十数回も住むところを転々とした。
母がひとさまの着物を縫ってわずかな金を得る。それで細々母子の暮らしが成り立っていた。

…そんな私が、どうして六ヶ所村の人々などの、豊かになりたい、一家揃って
暮らせる、そんな最低限の幸せが欲しい…そう願う気持ちがわからないわけがあろうか!

兄は、わたしたち母子を養うために、全国各地の飯場などを転々とし、
工場労働者や沖仲士(港湾労働者)などをして仕送りをしてくれていた。
その頃原発があったなら、彼は、原発を渡り歩く原発ジプシーと呼ばれる
下請けの下請けの原発労働者にきっとなっていたことであろう!
いま、身をもって福島第一原発の収束作業にあたっている彼らのような……

私はいつだって常に弱者の側に立ってこれまでものを考えてきたつもりである。
そんな私が、どうして原発で働く下級労働者、また原発誘致して豊かになりたいと
願う人々の気持ちがわからないことがあろうか!

しかしながら。
その心情と、原発を認めるかどうか、ということは別である。

さて。そんな私がこの記事で言いたいこと。
それは、原発の問題は、立地自治体個々の問題に帰してはならない問題だ、ということである。
もう、福島の事故で痛いほどわたしたちはそのことを学んだはずである。
誰が原発を誘致したか、誰が原発誘致側の議員に投票したか、などという問題は、
原発過酷事故は一気に超えてしまう。そんなものは一切関係なく、
反対運動を40年もやってきた者の上にも、昨日生まれたばかりの無垢な赤ん坊の上にも
害は及んだ。
そして、もし、あの4基のうち一基でも、もう少し運が悪く水蒸気爆発を起こしていたり、
4号機プールが倒壊していたりしたら、誰も福島原発の敷地にさえ近づけなくなり、
4つの号機のみならず5号、6号、いや、第二原発の4基まで冷却不可能になって
大爆発を起こしていたかもしれないのである!
もしそうなっていたら、被害は日本の半分をひとの住めない場所にしていたかもしれない。
そうならなかったのは、本当に運がよかったのである。
必死になって水をかけ続け何とかそれ以上の悲惨を招かないよう身を賭して
作業にあたってくれた人々がいてくれたからである。

政治家、保安院、原子力安全委員会、原子力委員会、原子力専門のコメンテーター…
そんなひとが今回いったいなんの役に立ったであろうか!!!
誘致に積極的だった歴代首長、議員連、街の実力者…彼らが人々を守り導いてくれただろうか?
政治家の「私が責任を持ちます」などという口約束。電力会社や推進派の評論家の
「安全です」というお墨付き。それらは国民を守ってくれたか?

原発の問題は、いったん過酷事故を起こしてしまったら、ちっぽけな政治家の
口約束や人知などはるかに超えて制御できないものになってしまうということを、
日本人は学んだのではなかったのか!!!???

それなのに、まだ!
まだ、利益共同体である電力会社と一部推進派の政治家と、推進派の首長や議員の
間で原発の稼働再稼働も、存続も決められる構造が変わらないというのはいったいどういうことなのか!
それに私は激しく怒っているのである。
決して、立地自治体の人々を怒って批判しているわけではない。
また、逆に言えば、立地自治体周辺の住民が、「私たちは交付金などの恩恵を
受けていないのに、事故の被害だけは受けるのは不公平だ!」という不満感情を抱くのも
本当はおかしい。なぜなら、私自身を含む彼らは、危険を承知の立地自治体の犠牲の上に
これまで、電気、という恩恵を湯水のごとく使ってきているからだ。

もう一度言う。原発施設は、立地自治体の私有物などではない!政治家のものなどでもない。
誰もその稼働再稼働に単独で決定権などない!
見よ、福島を。
子供も赤ん坊も、草も木も、田畑も山も、海も、すべてが汚染されてしまったのである!
遠く何百キロという土地までも空までも海までも、汚染されてしまったのである。
そしてその被害者を助け、これからの生活を支える費用、汚染を除去(出来るものと仮定してだが)
する費用、原発を廃炉に持って行くまでの費用、高濃度汚染物質を何処かに封じ込める費用……
それにかかるお金はおそらく数十兆ではきかないのではあるまいか。数百兆という
単位になるかもしれないが、それを東電が支払ってくれるか?
…税金と電気料金で皆が支払うのである。
これから何十年と、わたしたち日本人全体が、その汚染と経済的損失とを皆で
引き受けていかねばならないのである…。
お金だけならまだしも。
福島の人々を初め日本人が今回の事故で負うてしまった心の傷と、失われた希望や、
何かに対する信頼の素朴な気持ち…
そして美しい自然。子供たちの未来…

それらの決定権が、一自治体の人々にのみ属すると考える方がおかしいのである。
一部の政治家にあると考える方がおかしいのである。

原発をどうしていくか、この国のエネルギーをどうしていくのか、
そうして、これまでに溜まってしまった核の廃棄物、…一瞬にして即死という
極めて危険なものから、草木を燃やした灰に至るまで…
それらの処分をどうするか…
こういった問題は、原発賛成反対、無関心…そういった心情や立場を越えて
日本人全員が考えていかねばならない問題である。
菅総理が怒鳴ったとか、どこの首長がどう言ったとか、そんな瑣末な問題ではないのである。

おおい町の人々は。そして事故が起きてしまった福島県浜通りの人々は、
もし、原発に変わる産業があり、そこで雇用や商売の見通しが得られて、一家の主が
出稼ぎに出ていかねば生活が成り立たないような事情でなかったとしたら、
原発などという胡散臭いものを誘致しただろうか?
…そこが一番大事なところである。
無論、山口県祝島のように、原発の愚を見抜いて、住民上げて原発建設に
反対している人々もいる…素晴らしいな、と思う。
だが、人間は弱いものである。産業のないところに一大企業が、雇用が、
そして巨額の交付金が!となると、その魅力に抗うのはきっと難しいと思う。
福島、そしておおい町、…、六ヶ所村、・・・・
これら原発や関連施設の立地自治体のその住民を非難し、孤立させること。
それがこの記事の目的などでは絶対にない。
私たち日本人は、力を合わせて、こういう経済の不均衡と、そこの暗部に
すっぽりはまってしまったような地域のことをわが身のこととして考えていかねばならない。

原発は廃すべきである。他に生きる道があるなら、、誰が原発立地自治体などに
なりたいであろうか!
政府は一日も早く、『日本は脱原発にしっかりと舵を切る!』、と決意すべきである。
これほどの事故を起こしてなお、原発推進、原発容認の施策を続ける国…
こんな事故を起こしながらなお、開発途上国に原発を売ろうとする国…
そんな国が世界から敬意を抱いて見られるものであろうか!
日本はその優秀な技術力をこれからもフルに生かして、『脱原発先進国』としての
道を歩むべきである。

世界の発展途上国はこれから原発を持とうとしている。
冷却用の水も乏しい国、紛争地帯、…そんなところに必要なのは原発などではない。
小規模の太陽光発電、小水力発電、地熱発電、風力発電、潮力発電、波力発電、
バイオマス発電…
今こそ、原子力の火という『『神の劫火』でなく、『小さな神々の火』を大事に使うことを
日本は自国内で実践し、発展途上国にもその恩恵を教える立場になるべきである。
そして、福島原発事故を貴重な、これ以上ない貴重な痛い経験として
脱原発の技術…、廃炉や、エネルギー政策の転換のためいろいろな技術開発と実践に
国を挙げて取り組むべきである。
今現在の原発立地自治体はまず、ご紹介した映像でも住民が言っていたように、
まず、『廃炉』で雇用を生む。それだけでは無論足りない。
政治を挙げて、国を挙げて、そういう地域を中心に自然エネルギー開発の一大拠点に
して産業と雇用を生んでいこう。出来ない筈はない。

電力会社と対立構造のままでいる必要もない。
いずれ、有限資源であるウランをつかった原子力発電は限界が来る。
電力会社だって、原子力以外の道を探らねばならない時代がもうすぐそこまで来ている。
協力して新時代の電気エネルギー源を探ろうではないか。

それは実は、政府が脱原発と新エネルギーに思いきって舵を切りさえすれば、
ドイツのように、エネルギー先進国の道を日本も歩くことが出来るのだ。

原発立地自治体とそうでない地域とが、単純な対立構造で語られ、
心情的に分断されるようになるのは避けなければならない。
原発の立地自治体を孤立させてはならない。責めてはならない。

皆でいい知恵を絞ろう!
福島原発事故を、『特定の自治体にたまたま起きた特定の事象』、などとしては決してならない。
エネルギーの問題は、わたしたち国民自身が、皆で考え選択して行こう!!!
おおい町の人々に言いたい。その他の原発立地自治体の人々に言いたい。
今からでも遅くありません、声を上げてください。原発の問題はみんなで考えていくべきです。
応援しています。

国が頼りなくて信じられないのなら、それを信じられるような政府に育てていくのも
われわれ国民である。
無関心で人任せにしていてはならない。
福島を経験して、わたしたちはもう、『知りませんでした。無知でした。
誰も教えてくれませんでした!』とは言えなくなっているのではないだろうか!


『原発のない社会をめざして』ブログのうみそら居士さんに教えていただいたが、
民主党の議員、荒井聰氏議員などを中心にして、大飯再稼働に慎重であるよう政府に提言する
署名を集めていて、117人分が集まっているそうである。
民主党内部からさえこの声。民主党に限らず、こういう先見性を持った議員さんに
次の選挙では一票を投じようではないか。

『緑の党』が正式に発足するようである。中沢新一さんらの『緑の党のようなもの』と
連携出来ないのかな。緑の党準備委員会では、どんな政策を望むか、広く
パブリックコメントを募集しているようである。
http://greensjapan.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

今日6月7日まで、と期日は迫っているが、こんな署名活動もある。
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=15459

7月16日には東京代々木公園に10万人規模の大集会も予定されている。
『7.16さようなら原発10万人集会』

国民の声は政治を動かす。5月5日以来動いている原発がないのも、TPPが動いていないのも、
国民が声を上げ、論壇が頑張り、政治家がその風向きを読んでいるからではないだろうか?
twitterで、ブログで、署名活動で、デモで、あるいは日常の会話で、
わたしたちが挙げている小さな声は、決して無駄になってはいない、と私は思う。


『立派な議会政治を育てるのは、国民がひとりひとりが立派にならなければ…』
と語っていた相馬雪香さん(立憲政治の父、と呼ばれた尾崎行雄氏の娘)の静かな声を
私は忘れない……。











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Re: ハルさんへ

ハルさん、こんばんは。
いま、お返事書くより先にハルさんのブログにちょっと伺ってきました。
そして、野田総理におおい原発再稼働やめるよう陳情する福島の
女性たちの映像見させていただきました。こちらでしっかりお返事書きたかったので、
ハルさんのところには簡単なコメントをとりあえず残させていただきました。

見ていて、また、ふつふつと野田首相はじめとする原発どうしても動かしたい
魑魅魍魎たちへの怒りがこみ上げてき、また、福島の女性たちの、魂の底から
絞り出すような叫びを聞いていて、涙が止まりませんでした。
これ、twitterとブログの両方で紹介させてくださいね。

胸の内にある原発に対する複雑な想いを、率直に語ることが出来ない…
福島に住むがゆえに抱え込んでしまうそうした苦悩、お察しします。
私のこの記事ですが、何回も何回も手を入れています。初稿はもっと強い言葉を
使っていました。
でも、この問題を語る時にどうしても、原発を誘致し積極的に立地に
動いた人々へのなぜ!という想いが胸を去らない。でもそれを書けば、
福島のひとをいっしょくたに批判することになりはしないか…
そうした遠慮がどうしてもあって、それが、筆を停めさせてしまうのです。

私のように、遠い地に住んでいて、なんのしがらみもない者でさえ、
口に出しにくいことが数あります。まして、同じ県内においでであれば、
二重三重の複雑な感情がおありでしょう。事故は、人のこころの分断までもを
生んでしまいました…。

人は、概して、いやなことと向き合うことを避けようとする心性があると思います。
最初共感してくれていても、あまりにそれが長く続くと、それから目をそむけたくなる…
多くの反原発運動も、外部のそういう関心の息の短さやそのあとの
逆になんだか冷たくなったのでは?と思ってしまうような、奇異なものを見る視線…
また内部からは、立脚点の違いや方法論の差異などで少しづつ壊れていく…、
それら両方との長い長い闘いであったのだろうと思います。

浜通りは浜通りで、中通りは中通りで、会津は会津で、またその間同士で
あるいは県外のものと、…その各々に言いにくいこと、してはいけないことのタブーが
いつしかじわじわとはびこって行き、人々の自由を締めあげていきます…
遠慮がさらに空気を重くしていく…
県外の人とは割合率直に話せることも、福島人同士であるがゆえに言えないことが
出てくる…共に闘いたいと思っても、それが厳しくはねつけられたり、
ポロリと一言本音を漏らすことも躊躇われたり…

ハルさんの今お感じになってらっしゃるお気持ち、すっごく良くわかります。

でもね。そうやって去っていく方は仕方ないです…
あまりね、お気になさらなくていいと思うの。
原発以外の理由があるかもしれませんしね。思いやりでそのことに触れない、
などという方もいるかもしれないし。

いつでもね、ここに息抜きにいらしてください!
いや、息抜き、というより、大いに息まきましょうよ!!(笑)
ここには私よりぶれない反原発の方もおみえになられますから(笑)

ハルさんのブログはね、ぜったいに続けてくださいね!
これはもう!お願いです!
ハルさんはね。まだね、引き出しをほんのちょっとしか開けて見せてくださってないのよ(笑)
ハルさんの胸でまだ眠っている言葉たちが、たくさんおありなはず。
それをね、休み休みでもいいですから、見せてください♪

私もね、原発のこと社会の不条理のことはこれからも書いていきたいけれど、
ささやかな歓びや悲しみの記事もね、書きたいことがまだ眠っています。
時々私も、「ええい!もういっそ、やめちゃおか!」と思うことがあるけれど、
自分の内のそうしたささやかなものたちを埋もれさせちゃうのかわいそうだなあ、って
思いなおしては、また、原発の記事に戻っています!(笑)
これから、少し意識してそういうものも書いていこうかなと思っているんですよ。

…それにしても。おんなたちが団結すると強いですね。
ブログというものが、そういう場になるのもいいなあ、と思います。
本音が話せる場。涙を流せる場。ぼ~っとしててもいいところ。
共感の場。ほっとしに来る場…共に闘う場…^^。



思い切って公開でコメントします。

福島の人と福島のことを話せない現実に、最近とても徒労感といいますか、
重いやりきれなさを感じています。
ブログに原発反対の記事を書いたり、動画を載せても、
お考えをお聞かせいただけるのはいつもほとんど、福島以外の方です。
最近は、以前なら原発関連のことを書くと必ずコメントくださった方が、いらっしゃらなくなりました。
考えすぎかもしれませんが、同じ反対でも、言葉が違うのかな、と思ったりもします。
私自身、「今日のこの食事○○シーベルト」などという記事を見るとイヤな気持になり、
そういう表現には拒絶反応が起きてしまいます。
先日、拙ブログを読んでくださっている地元の方と初めてお会いしたのですが、
「原発のことにはコメントできない」と言われ、「何故ですか」と聞けない自分に、
あとでイヤになってしまいました。
こと原発に関しては、そのままでいられないほど切迫した気持なのに相手に対して誤魔化している自分。
やはり、口を閉じている方は、身近に原発関連の方がいらっしゃるのだろうかと思ったり。
それは私もわかりますから、それ以上は何も話せなくなります。
この閉塞感をどうしたらいいのか。。。

彼岸花さんのお書きくださったこと、私も共感します。
うまく言えませんが、最近とても疲れてしまって、ブログもやめようかと思っています。
あ、ごめんなさい、ひとさまのお宅でぐちってしまいました^^;
やめるのはいつでも出来ますから、とりあえずは休むかもしれません。
彼岸花さんの言葉には説得力がありますね。きちんと調べられ、ご自分の言葉にしてくださるから
論理的に考えることのできない私にも伝わってきます。感謝。

Re: ききょうかるかやさんへ

ききょうかるかやさん。おはようございます。

いえいえ。ただあれは、ブログの技術についての事務的な文でしたので。^^
どうかお気になさらないでください。
FC2ブログはまだ私も使いこなせていない機能がたくさんあるようですが、
私は今くらいで目いっぱいです!(笑)
今ごろはもうお出かけでおいでですね。
ききょうかるかやさん。どうか、コメントのお返事など、お気軽に。
ご自分のペースでなさってくださいね。
飛ばし過ぎてお疲れになってもいけません。
…ただ、最初のうちは大変ですよね。
私も、もう一度一からやれってなったら、そのエネルギーないかもです。
私のパソコンがもうずいぶ重くなって、いつ「もう動いてやんないよ!」って
なってもおかしくないくらい調子が悪いので、全部ストップしちゃって
何もかもやり直し、なんてなったらやだなあ!(笑)

どうぞ、こちらへのコメントもお気軽にお考えなさってくださいね♪

No title

彼岸花さん、こんばんは。

そうですか、あれ鍵コメっていうんですか。
私のブログは特に文学的ということにこだわっていませんし、こだわるにしても、彼岸花さんの文章は十分すぎるほど文学的な文章ではありませんか。とても分かりやすくて説得力があります。
教示、とかそういう題でも十分いけます。まあこれは冗談ですか。
それと私は文章修業とかそういったことは何もしていません。ただ文体は子供のころから変わっていませんね。
私をよく知る人が、名前を伏せた私の文章を読んだら気づくのではないかと思うほどそれは変わっていません。実際そういわれたことがあります。
9時からNHKテレビを見ます。明日は法事があって早朝より出かけます。
それであちらの返信明日夜以降にさせて頂きますね。
夕方少し忙しくしてしまい、仕事[片づけ]がたまってしまいました。
テレビ、もう始まったようですので、この辺で。これもまとまりのない文でごめんなさい……

Re: ききょうかるかやさんへ

あ~っ、と!!!!!
私も折角今まで書いてたコメント、消しちゃいました!
気を取り直して書きなおします(笑)

お送りした2つ目のコメントを鍵コメにしたのは、深い意味ではありません。^^
ききょうかるかやさんのブログは、これからも、文学的なブログでいらっしゃると思うんですよ。
テンプレートも調整し、文も推敲なさって。それなのに、2つ目のコメント、
FC2管理画面のこととかの色気のない話だったでしょう?
だから、ブログのお部屋の雰囲気壊したくないなあって思って
鍵のついたコメントにしてみただけです~。公開していただいても全然構わないですぅ。
ただ、あんまり意味ないかも(笑)

知人にブログのこと教えるっていうのは、実は難しいですね。
すごく理解ある人ならいいけれど、知人が読者にいることによって書きにくく
なるということはあると思います。私は家族にも知人にも誰にも教えていません(笑)。
古今の作家などはそうしたモデル問題とも向き合ってきたんでしょうねえ。
ぶつぶつ言ってくる親戚縁者とか、友人知人とか…
フィクションでも、読むひとが読めば、あ、これはあのひとのことだな、とか
すぐわかることもあるでしょうし、逆にまったくの架空の人物なのに、深読みされて
これはうちの家族のことを書いたんでしょう?!なんて、言われることもあるかもしれませんね。

そうですか。ききょうかるかやさんは、やはり本格的に文章修業なさっていらしたんですね。
そうだと思いました。
どうか、ブログの世界で、またお書きになって、それからまた、発表、などということも
なさってらしてください。

『哀愁の花びら』。見たことないですが、シビアそうなお話ですね。
歌を探してみましたが、ディオンヌ・ウォーウィックの歌うやつではないかな…
歌詞が違いそうですね。
…はい。わたし、あんまりあちこち転々と引っ越ししたものですから、
幼な馴染みというものもなければ、同窓会などというものの知らせもなく、
そんなもんで、つい、ひととの交わりと大事にしない癖がついてしまいました。
ものに対する執着もないし、人を追いかけたりもしない…
身一つでどこに行ったっていいや!というような気分で。
自分が発って行く時には、自分の足跡を消し去ってしまう、というようところがありましたね~…

ひとりでも寂しくない代わりに、まあ、傍からいれば変わった寂しい人に見えたかもしれません。
この頃です。それをちょっと悔いるようになったのは。
ブログというもので教わったことかもしれません。ひとのこころの温かさ、というもの・・・・

ききょうかるかやさんもそうでいらっしゃいますか。^^

ブログの細かいことは、わたしもまだわからないことがあります。^^
カテゴリの文字、確かに大きいですよね。リンクの欄の文字などはちょうどいいのにな。
テンプレートの編集、すごい♪ 

No title

彼岸花さん、こんにちは。

コメント書いてくださりありがとうございました。
今夜あちらに返信書かせていただきます。
あと、もう一つのコメントをいただいていますが、あれはアップしてはいけないものですか?
名前が「ききょうかるかや」になっていましたので、不思議に思い、さっきコメントを書きながらちょっと途切れたところで、自分の名前のところにカーソルを当ててみたら、訂正打ち込みできることがわかりました。
それで理解できたのですが、その代わりいそれまで書いた文章が消えてしまいました。それで書き直しています。
いろいろご親切に教えていただきありがとうございます。
私もテンプレートの編集、回らぬ頭ながらやってみました。共有テンプレートは、作者の許可が必要だとか書いてあったりしますのでおっかなびっくりでした。
本文の文字が小さいのはとりあえず色調で対応することにしましたが、一番気になるのはカテゴリの文字が大きく広がってしまうことです。でもこれって普通のことなのかなって思いもします。そんな訳で今一休み、あとでまた教えていただいたことを参考に挑戦してみます。
友達(先日の人とは別の)にブログのことを教えることにしましたが、それに先だって自費出版図書館の記述削除しようと思っているのですが、コメントの削除はやっかいなようですね。
それで管理のほうに来ましたら、そこに彼岸花さんの二番目のコメントに気が付き、こちらに参りました。
もうだいぶ前のことですが同人誌に入って小説を書いていたことがあります。
連載していたのですが、それをきょうだいに見せたら、自分にかかわりのあることが小説の中に感じられて嫌な感じがしたといわれてしまいました。
設定なども変えて書いたつもりだったのですが。その時からもう先を続けることができなくなってしまいました。
話は少しそれますが、いつか、彼岸花さんが書いておられた、過去に出合った人たちとのかかわり方ということ、私はそれを拝見して自分ととてもよく似ていると思いました。
以前『哀愁の花びら』という映画を見たことがあります。三人の女性の生き方を描いたドラマ。
最後、不誠実な恋人と別れてヒロインは故郷に帰るのですが、そこで流れた主題歌の内容は『あなたは私を失った、それがあなたの???』
むくい、というような強い表現だったか、とにかくそれは『損失』というような意味の言葉でした。
その時精一杯相手と向き合って、状況が変わるとき過去の多くのこととは決別するという生き方、これまで私もそのようにして生きてきたことがあります。

――この文章を書きながらまたまた文が滑ってしまいましたので削除しました。長くなりますのでそれもいずれまた。
それで、ああ、小説のことでしたね。コメントの削除のこと。これも今夜頑張ってみます。

そうでした、これも重要。
管理のところにいただいていますコメント、彼岸花さんからと説明してアップしてよろしければさせていただきますし、Noのようでしたらそのままこちらに保存致します。
どうもありがとうございました。まとまらない文で申し訳ありません。

Re: NANTEIさんへ

あああーっ!
またやっちゃいましたか!(笑)
わたしもそれ、ほんとによくやるので、悔しさ、すごくわかります。^^
わたしの場合、指癖でどっかにちょっとさわったとか、でよく一瞬にして消えます!
あと、他の、参照のために開いていたページについうっかり飛んでしまって、
一瞬で消えるとか。

ありがとうございます。いつもお気持ちはもう十二分に伝わってきていますので、
感謝感謝です♪
国会事故調の黒川委員長も言っていましたね。何でそういうものの調査の結果も
待たないんだ!って。
原発の知識もない総理に、いくら安全宣言してもらったって、納得できません。
今朝も、福島市伊達市に住む母子の暮らしをNHKで見ましたが、小学校6年生の
男の子が、もう一年以上も、外で遊べないような暮らしを強いられている。
原発から離れていても線量は高い。
男の子は将来自分たちに被曝の影響が出るかもしれないことを知っているんです。
「しかたないです」って、わずか11や12の子供が、達観というよりはあきらめというか、
そんな寂しい話をする…

こんな原発過酷事故の悲惨を、野田総理など推進派の人々は見て見ぬふりですかね。
経済界の方ばかり向いている。
誰も、ほんとうの数字を出そうとしない。たぶん電気が足りなくなるだろう、
そればかりいってて、夏場の数時間を乗り切るためにどういう方策があるかを
総合的に誰も精査しない。
橋下さんなんかも、停電の責任を負うのが結局怖いと、自分で認めちゃいました。

原発の立地自治体の一部の議員や首長、それと数人の政治家で、
政治判断、それも経済面だけでの政治判断で、これほど大事なことが
民意も無視して決められてしまう。

国民の声が政治に届かない…絶望はそこにありますね。
『政治の受け皿がないのが悲しい』…そんな短歌をご披露したこともありましたっけが、
その記事をそろそろ書かないと、って思っています。

でも、既成政党に頼るのでなく、娘さんがおっしゃられたように、
議会に人を送り込んでおしまい、というのでなく、市民の声をそこに反映させるよう
日常の活動をしていくことが本当に大事ですね。
原発都民投票も、私などは署名活動して、はい、終わり、ですが、
わたしを仲間に加えてくださった市民団体のかたがたは、ひとりひとりの都議会議員さんに
原発について問いかけ、都民投票に賛成してくれるよう、電話、メール、面会、議会傍聴…
あらゆる日常活動をしていらっしゃるようです。
またお嬢さまのような、若いお母さんたちが、勉強会持って、原発のことなど
日本のこと真剣に学ぶ場を広げていってくれていることも力強いですね。^^

下からの力で、この国を変えていきたいものです…

NANTEIさん。いつも応援ありがとうございます♪

No title

あああーっ!
また消えてしまったあ!

何度も読み直し、咀嚼してからコメントをと思って、
メモを取りながら書いていたのですが、そろそろ結びの言葉を・・・
とキイを押したとたん、冷水を浴びたような状態に(泣。

昨日の首相会見は、隣に利権亡者が腹話術師のようにくっついているようで、
不気味でした。
橋本市長の「敗北宣言」も気持ち悪い。

私の娘の話。
「今までなにかと力になってくれた女性議員が、議長になったとたん別人になってしまった」こと。

『立派な国民』になるためには、有権者が選挙後の政治参加を勝ち取らなければ、
中国とたいして変わらないこと。

政治参加の巾を増やすと政治家の旨みが無くなり、政治稼業が成り立たなくなるわけで、それだけでもずいぶん風通しのよい政治になるはず。

ということなどを、書いたつもりですが・・・

最後に、彼岸花さんのこの記事、何度も感激して読み返したこと、
お伝えしておきたかった。

いつも、なさけない感想になり、すみません。

Re: 愛希穂さんへ

愛希穂さん。こんにちは。
実はこれ、もっと長くて、もっと過激だったのよ!(笑)
同じこと書いてるところや、やはり、福島の人々に批判的な箇所は
だいぶカットしました。と言っても私が腹を立てているのは、産業がないところに
札束をちらつかせて、当時の村の有力者たちを手なづけていった、東電や国の
やり方や、また、地元の有力者である、ということで、おそらく誘致反対派の
人々をも否応なしに巻き込んでいったであろう、その誘致に絡む人間関係の
どろどろを批判したかったんですけれどね。

おおい町のこの議決に至るまでも、何やら胡散臭いでしょう。
町民の説明会では立ち上がってはっきり再稼働に不安を訴えている人がいたし、
町民の60%くらいは反対じゃないですか、という実感を抱いている人だっているのに、
議決する権利を持った議員さんは、自分のまわりの人々の印象で「民意は
再稼働にある」とか、「『早うお前ら動かせや』といった声が私の方には伝わって来て
います」、とか、って言ってる!原発のお金に群がる人々の声しか民意と思わないのなら
これは大変です。
『(再稼働を)言える固有の権利は我々が持っているのであって』とかね。
これも、福島事故のことを学べば、こんなこと言えるはずがないのに。

でもまあ、個人を批判するよりも、それより大きな悪をしっかり批判しなくちゃ、ですね!
野田総理は再稼働要請宣言を今夕する。
夏の間の真昼の数時間…そこを何とかみんなで節電すればいい話なのに、
原発再稼働しないと、産業が駄目になる、って理屈がわかりませんね。
需給調整などの計画をしっかり東電と政府で作りあげて、経済界に要請したり
電力カットのための費用を一部負担したり、打つべき手はまだたくさんあったはずなのに、
それはやらずに、『電気が止まる』とそればかり。

どうしても今年が準備不足で乗り切れない、というのであっても、10年後には
全原発を停止します。それまでに自然エネルギーを官民総力挙げて大きな力に
出来るようにします。今年度だけは再稼働させてください、とか、っていうふうに
政府に先の具体的な道筋があるのなら、国民だって納得するでしょうのにね。
その定見がない政府だから、一番困ります。

教育…ほんとに、ほんとにそう。
そういった国の哲学のようなものを持った国にするためにも、また、これから必然的に来る
原子炉の廃炉の技術者や新エネルギーの研究者など、教育はとっても大事ですね。
でも、そういう予算はなぜかカットしようとしゃかりきになる国ですから、
溜め息!です。

ありがとうございます~♪

No title

彼岸花さんの、怒り(と言っていいのでしょうか?)が伝わってきます。

福島前と後では、やはり原発立地自治体の判断決定、それに対する責任は非常に重いと私も思います。
福島原発事故を知った上で、再稼働を決めたのだから、もし原発事故が起こっても、立地を決めたその自治体は一切の損害賠償、補償も要求しないでいただきたいと私は思います。と言うより、その資格はないと思います。あの(表現は悪いですが)むかつく映像を見たらなおさらに・・・(あのような人物が議長だとは信じられませんね)。

原発に替わる新しい産業があるのならば、好きこのんであんな危険なものに頼ろうとする人はいないと思いたいです。

原発があのように危険なものだと身にしみて分かったのだから、ほかの道を探す、考えるのが国のリーダーたちの役目だと思うのですが。
朝日新聞の川柳で「とりあえず次の事故まで再稼働」が選ばれたそうですが、次の事故が起こったらどうなるか、そんなこと誰でも想像がつくことなのに、そういうことさえ見通せない人たちが指導者の座についていることが不幸です。

どうしても、再稼働をしたいというのならば、核を制御できる技術を得てからにしてほしいです。

このおおい町の議長や、どじょうを始めとし、お金のためなら躊躇なく他人の命を犠牲にしてもかまわない、というような人間をもうこれ以上作り出さないために、教育というものを、人を育てるということを考え直すことも急務なのでしょうね。

Re: うみそら居士さんへ

うみそら居士さん。こんばんは。

ちょっと過激すぎるかなあ、と思って、今、多少手直しをするために
パソコン開いたところです(笑)。
これじゃあ、肝心の電力会社や歴代政府への責任追及より、厳しい
書き方になっちゃってますものね。
私が一番腹を立てているのは、なんと言ってもやはり、安全安全と住民を騙していた
電力会社などのそのやり口です。規制する立場にいながら、それを許してきた
保安院などにも激しい怒りを感じます。
それらについてはまた書いていくつもりです。

どこから始まったのか、ということもなかなか難しい。
広島・長崎の原爆、ビキニ環礁での核実験で第五福竜丸、久保山愛吉さんの死を
契機に盛り上がった日本の厳しい反核運動、それの矛先をそらせる意味もあっての
『原子力発電・・・核の平和利用』というアメリカによるキャンペーンが、
そもそもの初めであるように私は思います。
福島に原子力発電所を作ることになったいきさつも、人口密集地から遠く
離れたところ、という条件がすでに意識されて選択されたことから見ても、
電力会社は原発の危険性を十二分に認識していた。
誘致が決まるまでは、関係者ヘの接待漬け。原発の危険性もおそらく充分には
告げぬまま、金の力で立地を承知させていったのでしょう。

おっしゃるように、福島前は『知らなかった』と言えるけれど、ここから先は、
自治体の意志決定、ということになりますね。
批判的にただ任せて見守るのではなく、福島の悲劇を繰り返さないよう、国民が
むしろ積極的に支援していくことが大事だろうと思います。

うみそら居士さん、ありがとうございます。
ご挨拶なしに記事引用させていただいたこと、お詫びいたします。
これからもいろいろ教えてくださいね。

No title

彼岸花さん。気合いの入った記事をありがとうございます。
しばしの休息で、一段と怒りのエネルギーを貯めての復活ですね。

私は、(原子力ムラにだまされていた一面もあるでしょうから)福島以前の立地自治体の罪については、多少控えめにとらえているのですが、でも今度事故があった時は話は別。再稼働を支持した自治体の責任は非常に重いと考えています。
到底…「国や電力会社のせいだ」などと逃げおおせるものではないでしょう。

彼らには、それだけの覚悟が本当にあるのか?あれだけの過酷事故を見ても何も感じず、脳天気に「電源車を用意したのだから、もう事故なんて起きっこない」などと考えているのだとしたら、こんな甘い考えはないですよね。

拙ブログの引用までしてくださって…ありがとうございました。合掌
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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