『母の残したもの』

我が家のささやかな庭にある、赤い藪柑子の実。
それが母の形見だと、いくつか前の記事で書いた。

縫物に関連して、こんなものをご紹介。
これも母の形見、と言えるかもしれない。

2010_0226_003820-CIMG1426_convert_20100226235809.jpg

赤い縮緬(ちりめん)の布。

今私は、ある必要があって、赤い布ばかりを集めて縫い合わせるドレスというか、
女性の下着、長いスリップのようなものを何枚も作っている。
着るためではなく、飾るためのもの。

そのために赤い布地を何種類も、10メートルづつくらい買って、それに、家にある
昔の着物の裏地の紅絹や、赤い地模様の着物など、これまでに貯めこんでおいた
布地も総動員して、かなりの数の赤い服を作る予定である。

その中の一枚の布がこれ。
今回集めた生地の中では一番上等の布かもしれない。
しっとりと重みがある、ということは、同じ絹でも上等の糸で
織ってあるということ。
振り袖などを買う時に、ふわあっと軽く、冬の風に裾が翻るようでは、それは
あまりいい絹織物を使った振り袖であるとは言えないようだ。

実はこの、真紅に白い鶴を絞り染めで描き出した縮緬地。
私の一番上の姉の、子供の頃の振り袖だった。
私のブログによく出てくる、フーテンの寅のような次姉ではなく、
故郷の高原の街に住む、長姉。
私とは18歳年の離れた姉が子供の頃、というのだから、今からそう、
75年以上前の布ということになろうか。

最初この絞りの着物地は、小さな姉の晴れ着として買われた。
山奥の村のこと。いったいどうやってこういう布を父母は手に入れたのだろうか。
年に一度大きな荷物をしょってやってくる顔なじみの行商の呉服屋からでも買ったか。
それとも、東京の陸軍士官学校に入っていた若い叔父が、帰省の折にでも
頼まれて買ってきてやったのであったろうか。

さあ、この赤い振り袖を小さな姉は何年間くらい晴れの場に着たであろうか。
いよいよ小さくて着られなくなると、それはおそらく、幼くして亡くなってしまったが、
その下の妹たちが着たであろう。

いよいよ小さくて誰にも着られなくなったとき、母はその振り袖をほどいて、
長姉の長襦袢にした。長襦袢というのは着物の下着のようなもの。
でも、まったくの下着と言うと語弊があって、上の着物の袖口や裾から時折
ちらりとのぞく長襦袢の色を、日本人は長いこと大事に考えてきたのである。
確かにこの緋色。女の白い腕が動くたびに、地味な着物の袖口などから
はらりとのぞいていれば、さぞ鮮やかに美しいことであろう。

襦袢の次に、この縮緬の布は、母の手によって再びほどかれて、
客用の掛け布団に仕立て直された。

そうして、昭和27年ごろ。小さい彼岸花ちゃんの、夏の浴衣になった(笑)。
ただこの縮緬という布。水に濡れるときゅ~っと縮んでしまう。
夏の暑い盛り。汗で縮まなかったのかな、と思うが、何回も仕立て直され、
着られているうちに、布自体もだいぶ薄くなり、縮緬独特の『しぼ』も
だいぶとれて全体が柔らかくくたっとなっているから、少しは水に耐えるように
なったか。
というよりは、母が汗に縮むことを恐れて、あまり着せてくれなかったような気もする(笑)。

さてそれから、この着物がどうなったかと言うと、最後は娘時代の私の『おこし』になった。
『おこし』というのは『腰巻』のこと。
着物の下着。今で言うと、ペチコートのようなものだろうか。

貧しくて、年頃の娘に美しい高価な着物など買いたくても買ってやれない母が、
せめてもと、絣の渋い着物と、美しい洋服地で『道行き』という軽い着物用の
コートのようなものを縫って、東京に出た私に送ってくれた、
その時、この腰巻も一緒に入っていたのである。

淡い黄色の木綿地を足して、その腰巻は、母の手早いが綺麗な針の運びで
縫われていた。
でも私はこのおこしを使っていない。下着にするには勿体なさすぎるからである。
ずうっと着ないまま何十年も、私はそれを引越のたびに持ち歩いてきたが、
去年、思い切ってほどいて、この元の布の形に戻した。

娘の百徳を作ってやるためである。
『百徳』というのは、着物の様々な残り布を、その配色などを
工夫しながら丁寧に縫い合わせて作る美しいつぎはぎの羽織のようなもの。
これも、着るため、というよりは、展示のため。

娘のためとは言いながら、母が私のことを想いながら、
一針一針縫った腰巻の、縫い糸をぷつりぷつりとハサミで切っていくときには
胸がそのたびにちくちくと痛んだ。
母の小さな器用な手の跡を無残に消していっているような気がしたから。

そうして、何より胸がきゅ~っとしたのは、
母が使った糸が、継ぎ足し継ぎ足ししてあったことである。
私などは、縫物をするとき、糸を惜しげもなく使う。
ちょっと短くなって縫いにくくなると、パッと捨てて新しい糸に付け替える。
ましてほどいた糸など、二度と使おうとは思わない。
ところが母は、何か別なものをほどいたときに、その縫い糸をとっておいたらしい。
私の腰巻を縫う時に、その糸を再利用と言うと今風だが、
要するに貧しいので新しい糸を買うのも極力少なくするため、そうやって、
ほどいた糸を使っていたのである。

これをみみっちいというか、つましいというか。なんというか・・・。
その母の手の跡の残る縫い目を惜しげもなくハサミでプツプツ切っていきながら、
私は母のあわれさに涙が出そうになってしまった。

そこでふと思ったのは、これは家族の私のためだからいい。
しかし、ひとさまの着物を縫って生計を立てていた母。
まさか、頼まれものの晴れ着など縫う時にこういうことをしてはいまいな。
ちゃんと糸は新しく買っていただろうな。
思い返してみると、糸を買いに行かされた記憶はある。
だから、基本、新しい糸を使って縫ってはいただろう。
でも、いよいよ糸代にさえこと欠いた時。そう気張らなくていい仕立て直しのものの時、
おそらく母は、こうやって糸を継ぎ足し継ぎ足しして縫っていたかもしれない。
いや、母だけではない。昔の女はそうしていたものなのかもしれない。
つましいことは美徳なのであった。

赤、緑、青、黄、紫、茶、灰色、金色・・・、
同じ赤でも微妙に色の違うものなど、たくさんの色とりどりの美しい糸が
私の糸ケースの中には貯めこまれている。

一枚着物を縫うたびごとに、乏しい前の縫い賃から、次の糸代を工面して
出さねばならなかった母・・・。
あの母が見たら…。この赤い布が何十メートルも広がっている部屋。
さまざまな着物の端切れが絵のように広がっている、この私の部屋を
あの母がまだ生きていてこれを見たら、いったい何と言うだろうか。

「まあまあ、あんた、これはまあ・・・」そう言ったきり絶句するかな。
自分が娘のこの私にしてやれなかった潤沢を、今、私が自分の娘で
果たしていることを、半ばあきれつつも喜んでの「まあまあ!」。
自分もこういうふうに、娘の私にしてやりたかった、そう少し悲しく思うかもしれない。

そうして、想い余ってその先は何も言えず、
その小さな掌で、私の二の腕あたりをただ撫でさするのだろうな。


[追記]

母が縫ってくれた腰巻の、赤い縮緬以外の部分、淡い黄色の木綿の布は、
母の手の跡を残して、今も大事にしまいこまれています。
スポンサーサイト

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

Re:そらまめさんへ

わぁ、こちらこそ勝手に勘違いしてごめんなさい。
?とは思ったんですよ。
そらまめさんのご性格というか、いつもお書きになってらっしゃるものから推して、
お母さまが、お姑さんと子供の間で、ちらとでもお悲しみになってらしたなんてこと、
そらまめさんがお書きになるかなあ、と(笑)。
???と思いつつも、何回読んでも、私にはそうとしか読みとれず。
先入観って怖いですね(笑)。ごめんなさい。ほんとに。

やっぱり、そらまめさんから受ける印象を信じるべきだった(笑)。
どんな印象か、と言われると困るけど、
え~…、愚痴を言わない(笑)。竹を割ったようなご性格。

母方のおばあ様でいらしたんですね。いいおばあ様ですね。
お二人のおばあ様のご性格の違いが面白くて、でも、お二人とも
すてきですねえ。そういうお家でお育ちになるっていいなあ。

私はどちらの祖父母も知らないのです。
娘も、どちらの祖父母もほとんど知りません。
高校の頃、母がある人に私の名前、生年月日を言って運勢を占ってもらったら、
『そのお嬢さんは、家族運が薄い』と言われたそうで…。
た~しかに……。
系類を捨てて生きてきたようなところがありますから。
だから、そらまめさんのおばあさま方のようなすてきなお話を伺うと、
とってもうらやましい気がします。いいなあ。

157センチですか。あ、じゃ、私と同じだ(笑)。
なんとなく背が高い方という印象を、学校の先生とのお話から
受けていました。「容姿が目立つ=背が高い」という図式を
勝手に書いてたみたい。重ねて失礼しました。
え~。157センチだと今はチビっこなんですか。
身長がお母さまと同じなら、着物着れます。
お正月など、ぜひ、お母さまの思い出の着物に袖を通されては?
きっとすてきです。

失礼お許しくださいね。もう~、粗忽者で(笑)。

No title

ああ、ごめんなさい。言葉足らずでした。(汗)

母方の祖母が縫い直してくれたのです。
母方の祖母は編み物でも縫い物でも何でも器用に作るヒト。
そして行動的。
『年寄りだから』と言う様な言い訳などせずに迷惑かけないように
キチンとしていました。
誰に対しても平等で優しく本当に素敵な女性でした。

父方の祖母は逆に何も出来ないヒト。
料理や洗濯はやるヒトでしたが、とにかく外に出るのが嫌い。
理由は日に焼けるから・・・。
そしてお金が好き。ボケても父に小遣いをねだるほど。(笑)
風呂上りには紫のビロードのガウン。毎月の美容室通い。
ちょいと笑えるほど上品な老婆。

そんな家だったから、母方の祖母は気をつかって着物を沢山持たせた
のかもしれませんね・・・。
(逆に母は近所の小姑に気を使って着れなかったのかもしれませんが)
まぁ、いいヒトだったので、父ともとても仲良かったですが。

身長?
私は157cmくらいしかないチビっこなんですよ。(母と同じ)
あと5cmは欲しかったですね。

Re: そらまめさんへ

おばあ様とおっしゃるのは、お父様の方のおばあ様なんですね。
お母さまにしてみれば、それは複雑な想いでいらしたでしょうね。

実家のお母さまが、娘の嫁入りに心をこめて誂えた数多くの着物。
でも、嫁入り先でそうした着物を着て出かけられる人って
実は少ないかもそれませんね。
忙しかったり、姑に気をつかったり。
袖を通さないままにたんすの肥やしになっていく高価な呉服たち。
それは、娘たちに着てほしいですよ~。
でもね。時代が変わって若い人たちは日常で着物なんて着ない。
腕の長さとか着丈が明らかに昔の人と違うから、
仕立て直さないと着れなかったり。
結局、そうやってほどかれて、ハンチャになったりするんですよね。
想い出の着物がほどかれて、切り崩されて、短いハンチャになって、
それを娘たちが喜んで着ている…
お母さまとしては複雑な想いでいらしたかもしれませんね。

ハンチャ…半纏のことでしょうか。
でも、贅沢なハンチャですね(笑)訪問着で作ったハンチャなんて。
ザラリとした肌触りとずっしりとした重さ。ようわかります。
上等な絹ものは重いですからね。

私が中学高校の頃冬の夜などに着ていたハンチャは、ウール地でした。
私が小学校5,6年の時殆ど毎日着ていた、チェックのウールのスカート。
そのオールプリーツのスカートも母が縫ったものでしたが、
さんざ着た後に、ハンチャになりました。
訪問着とウール。だいぶ差がありますね(笑い)。
そらまめさんちのハンチャは綺麗だっただろうなあ。
娘たちもね(笑)。

私のウールのハンチャは、女寅次郎のような姉に貸したらそのまま持っていかれて
無くなってしまいました(笑)。どこかの古着屋さんに売られたのかも。

着物には女たちのいろいろな想いがこもっていますね。
もしまだお母さまのところにお着物残ってらっしゃるのでしたら、
お正月などにお召しになってみては。
ぁ。でもそらまめさんは背が高そうだから、無理なのかなあ。

No title

私の母は他の兄姉達と歳が離れて生まれた末娘。
兄嫁宅で踊りと着付けを教えてもらっていたためか、嫁入りの際には沢山の着物を
もたせて嫁がせたようです。

時代の流れか(仕事が忙しく余裕もなかったので)私の小学校の入学式で着たくらいで、
それらのほとんどに袖を通さずに過ごしてきたことを、時折の虫干しで部屋いっぱい
にかけられた着物達を見つめては寂しげに『もったいないなぁ・・・』とよく呟いておりました。

祖母が健在の頃は、その着物達からシミのついたものや虫喰いにあったものを縫い直し、
綿を入れて冬用のドテラ(我が家ではハンチャ)を私達家族4人分を作ってくれました。

一番気にいっていたのが冬用訪問着で作った無地のサーモンピンク色のハンチャ。
厚手のザラリとした肌触りとずっしりした重さが良かった。
姉はその重さが窮屈だったのか、母の薄手の軽いハンチャを奪って着たり。
逆に私は何年も同じのを着続けました。
寝る時も着たままベットに入ったりするので綿が減ってきたり、ほつれてきたり。
その度にお婆ちゃんに直してもらう。
何回も何回も。
お婆ちゃんはソレをとても喜んでいたように思います。

母は・・・・・・・・・・・複雑だったろうなと思います。
出来ることなら、自分が着れなくても娘達が着てくれればと思っていたに違い
ありません。
自分の母がしてくれたこと、沢山の思いはまた娘達に・・・・。

彼岸花さんの記事を読んで、祖母に対する母の思いを想像してしまいました。

Re:asoboさんへ

asoboさん、母のこと、そう言ってくださってありがとうございます。
このブログで、父のことはだいぶ書いたのですが、
苦労ばかりして亡くなった母のことは、まだほとんどと言っていいくらい
書ききれていません。
18年間、殆ど母子二人の生活の日々が多かったですから
母の声、母の匂い、母の姿はまだ、昨日のことのように鮮やかに思い出せます。
とりわけ、最後に会った時のこと。
『故郷の廃家』の父の葬儀で九州に帰り、その帰りに母が待つ広島に
立ち寄った時が最後でした。今でも別れのとき、広島駅まで私と娘を
見送りに来て、ホームに立って、何も言葉が出ず、
ただ私の手をぎゅ~っと握って、泣き笑いのような顔をした
母の姿と、その小さな手の感触が忘れられません。

asobo さんも早くにお母さまとお別れになられたんですね。
前にお書きくださいましたが、お母さまのお体がご丈夫でいらっしゃらず、
asoboさんはお小さい頃、少しの期間、お母さまと離れてお過ごしになったということ。
その時は、小さくていらっしゃるから仕方ないこととお思いになられて
らしたかもしれないけれど、大人になってから、お母さまと共に過ごされた
短い日々のことをお思いになると、その離れて暮らした期間が、
取り返しのつかない残念な日々に思われることでしょうね。
また、それだけに、一緒に過ごされた日々の、小さな一こま一こまが、
鮮やかで懐かしく思われることでしょう。

お母さまの作ってくださった料理。そのお手伝いをしたこと。
お風呂に入った時のこと。その懐に抱かれた時のお母さまの肌の香り・・・・

私も、18年は短かったなあ、と、あとになって思うのです。

この布。いいでしょう?
今度長姉に会う時に、一部持って帰ってやろうかなと思っています。
本人は忘れているかもしれません。
私は小学生くらいのとき、人形の着物用にこの布が欲しくて欲しくて(笑)。
でも、今になって切り崩さずにいてよかったなあ、と思います。
我が家の何代もの娘たちの想い出の布ですから。
今回もほんの一部を使うつもりなんですよ。

ありがとうございました。

Re:neronekoさんへ

そうなんです。
縫い目の跡というのは、まったく母の息遣いそのものを感じてしまうんですね。
運針をしているその小さな手の動きとか、さかごろうさんがいみじくもお書きに
なったように、母親の手の匂いとか、
そんなものを生々しく思い出させてしまう。

縫物をするとき、女はやはりそれを着る者のことを考えています。
その縫い目をハサミで無造作にぷつんぷつんと切っていく。
ほどく、と言うのでななく『バラしていく』というくらいの感じで。
何か母の想いそのものを切っているような気がしました。
チクリチクリと心が痛い。

neronekoさんがおっしゃる通り、手縫いの跡も、筆跡に似ているかも。
私、骨董市などで昔の着物を買ってきて、こういう時のために
ほどくことがあるんですが、本当に縫い方ってその人の性格が出ますよ。
大胆な人、くどい人、用心深い人・・・・。

私は?私は大雑把、且つくどいです(笑)。
縫い始めと終わり、すごく念を入れちゃう。

幸田露伴の娘の幸田文が随筆に書いてます。
着物を縫う時の縫い目があまり細かくて丁寧だと、
洗って仕立て直しをするときほどくのが大変だと。
幸田露伴から、雑巾の扱い方まで厳しく仕込まれた
幸田文らしい文章でしたが、出典忘れ・・・・・。

Re: さかごろうさんへ

わぁ。さかごろうさんのお母様も、和裁のお仕立てなさってらしたんですね。
『下手の長糸』というところで思わずクスッと笑ってしまいました。
ああ、さかごろうさんは、裁縫がお嫌いとは言いながら、お母さまのおそばに
ついてらして、こういう言葉も教えてお貰いになったんだなあ、と。
私の母もよく、「そういうのを下手の長糸、と言ってね。糸が絡まって
かえって手間がかかるもんだよ。」と言っていたことを懐かしく思い出しました。

『節くれてガサガサの指にはめていた指抜きとか、その手先をじっと見つめていた時に匂ってきた、母の手の匂いとか。』

そうですよね!お母さんって、何か手がいい匂いがするんですよね。
料理の匂いとも石鹸の匂いとも違う。
懐かしい、ほんとにかすかに甘い匂い。
そして指先が丸っこい(笑)。

私の母も、そして私も、手がガサガサです(笑)。
ハンドクリームとかつけると料理に匂いがうつりそうで。
それにどうせすぐに次の水仕事で流れちゃうし。
今回縫っているようなふわふわ柔らかい生地を扱っていると、
手が荒れていると布が引っかかるんです。
さかごろうさんがお書きくださった文章を読んでいて、
母がよく、やはり錦紗という柔らかい絹織物の注文を受けると、
縫っていて手に引っ掛かると嘆いていたのを思い出しました。

ちなみに、私の娘もまったく裁縫が苦手です(笑)。
ありがとうございました。

No title

お母さんのことを思うと胸がキュ~ンとなります。
ぼくは母といっしょに住んだ時が短かったので・・・といっても
母はとてもやさしかったけど、もっと母とたくさんの時を過ごしたかったなぁと
改めて思いました。
この布に、なぜか懐かしさを感じてしまいました。

No title

今はいない人の手の跡を切るというのは、なんだかそれだけで切ないですね。
縫い跡は書き跡と似ているのかもしれないと思いました。

No title

仕立て直してはほどき・・・を繰り返しているにも関わらず、写真で拝見する限り、赤い色が鮮やかですね。

そうそう・・・昔の人は物を大切にしていたんですよね。
私の母も裁縫が好きで、家に編み機などもありましたし、それに和裁の仕事もしていたので母が縫物をする姿は日常茶飯事でした。
それに比べて娘の私は裁縫が大の苦手で、学校の宿題などでしょうがなく縫物をする時も、「あーメンドクサっ!」などと言いながらイヤイヤやってました(笑)
もちろん母に教えられながら(いや・・・手伝ってもらいながら? かな(笑))

彼岸花さんの記事を読んでいたら、母のことを思い出しました。
母が縫った、丁寧で細かい縫い後とか、節くれてガサガサの指にはめていた指抜きとか、その手先をじっと見つめていた時に匂ってきた、母の手の匂いとか。

「メンドクサっ!」なんて言いながら針仕事をしている娘を横目で見て、母は諦めたのでしょうね(笑)
裁縫をきちんと教えられたことは今まで一度もありません。私もその気がなかったし。
お陰で裁縫はいまだにできません。
せいぜいボタン付けと、ちょっとした繕いものと、雑巾を縫うぐらいです(苦笑)
しかも下手の長糸で。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード