恋する「もの」たち ① 『口紅』

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先のフェティッシュ、の記事と関係なくもないのだが、
男の人は、女の人の口紅を、本当のところ、どう思っているのだろう。
同様に、マニキュア、というものをどう感じているのだろう。

好みは人それぞれ。
女の口紅をフェティッシュの対象として、偏愛する男の人もいれば、
口づけを交わすとき、自分の唇に口紅がついたり、油脂の香りがするのは嫌だ、
と嫌う人もいるだろう。
また、一緒に食事をしていて、グラスや箸などにべっとり口紅をつけて平気な
女を見て、百年の恋も冷めた、という殿方もいらっしゃるかもしれない。
が、ともかく、平均的な感情として、男の人は女の人の口紅が好きなのだろうか、
嫌いなのだろうか、それともあまり関心がないのだろうか。

私自身は、と言えば、顔を洗ってから化粧水で肌を整えるだけで、
いわゆる化粧らしい化粧というのは昔から口紅一本だけ。
ファンデーションも塗らなければ、マスカラも頬紅もしないで通してきた。
どちらかというとくどい顔。さらに目の化粧などすると、
狸のようにみえてしまうからで(笑)。
ただ単に化粧が下手だっただけかもしれないが。

そういう私にとって、唯一の化粧道具である口紅は、
そのフォルムといい、色といい、またかすかな香りといい、
子供の頃から憧れを感じるものであったし、今も心魅かれる「もの」の一つである。
私の、口紅に関する悲しくて愉快な思い出を一つ。

彼岸花。実は「故郷の廃家」というブログを、このブログの前にやっていた。
前から私をご存じの方は、「公園沿いの家」というタイトルの、私の思い出の家を
書いた文章をご記憶でいらっしゃるかもしれない。

それは、私が小学校3年生。とある地方都市の大きな公園近くの
小さな家に住んでいた頃のことである。
その頃私は、父と別居して小さな食堂をその町に開いていた母と、
大学を生活のために中退して、少しグレかけていた兄と、
まったくグレてしまって(笑)家に殆ど寄り付かない次姉と、
一応4人でその小さな家に住んでいた。
昭和30年代。もうはるか昔のことである。

母はその当時40代半ば。
今40代、と言えばまだまだ若く美しい女性がほとんどだが、
昭和のその頃の女の人は、生活に疲れていたか、今の40代よりは
ずっと老けていた。とりわけ私の母は、子供のためだけに生きて、
自分の女としての部分を封印したような人で、他の同年代の女性に比しても
さらに老けていたように思う。
髪だけは豊かで美しかったが、顔は全くの化粧っ気なし。
家にある化粧品と言えば、母が洗顔後につける、クリーム一つだけ。
鏡台、というようなものもなく、およそ艶めいたところなどない人であった。

さて、その日は、街の大きな夏祭りの日。
私も早くに銭湯に行って、夕暮れ、友達と誘い合わせて、夜店などを見に
行くことになっていた。
浴衣は母が出しておいてくれた。
この私の浴衣は、我が家がまだ生活が豊かだったころの名残を僅かにとどめるもので、
素材は、夏の絹の代表ともいうべき「絽」であった。
私が小学校1年生の時、姉のと私のと2枚、母が見立ててくれたもので、
姉のは、青の地に大胆な向日葵の柄。私のは白地に赤い大きな井桁模様のもの。
初めは姉の美しい花柄の浴衣の方がいいなと不満な私だったが、
白地にただ井桁、というのも小さな女の子の柄としては珍しく、
その頃は私のお気に入りの浴衣となっていた。
背が急に伸びて、揚げを下ろしても、少しちんちくりんになりかかっていたのは
少し残念だったが。

さて、夕暮れになってこの浴衣を着せてもらった私。
母は夕方の食事客を迎えて、店で忙しくなる時間帯であった。
一緒に夜店に行くはずの友人はまだ迎えに来ない。
柱にかけた小さな鏡をのぞく。
そこには、ふろ上がりに、汗疹よけの天花粉を首筋に白くはたいた
私の顔が映っていた。
何か物足りない。
そうだ!口紅!

子供達のうちのある者は、祭りの日だけ、顔に母親の、いい匂いのする粉白粉を
パフではたきつけてもらって、赤い口紅をちょんと塗ってもらって夜祭りに送り出して
貰える子もいた。
私は常々それをうらやましく思っていた。
そうだ。私もお化粧したい!

しかし、我が家には、口紅はおろか、粉白粉もない。
でも、粉白粉は、汗疹よけの天花粉をはたけばいい。
問題は口紅である。
私は、常々、これはと思う特別な日に一度実行してみよう、と思っていたことを
夕暮れ迫った部屋で実行に移してみた。

「行ってきます。」
友人が誘いに来て、外に出る時には、調理場の横を通っていかねばならない。
私はささっとそこを通りぬけようとした。
が、前掛けで手を拭きながら出てきた母とまともにぶつかってしまった。

母は一瞬何も言わずに私の顔を見ていたが、やがて私の手をつかむと、
奥の部屋に連れて行った。
そこで私は、口紅の代わりに、印鑑の朱肉を唇とそして頬や瞼にもうっすら
縫ったことを白状させられてしまった。

母は笑いをかみ殺していたが、そのまま行かせてほしいと乞い願う
私の想いなど、これっぽっちも斟酌せず、さっさとチリ紙で、それらを
綺麗にふき取ってしまった。
そして何も言わず、私の背を押した。行って来なさい、という合図に。

夜、母がその話をして、私は姉にバカ呼ばわりされた。
優しい兄はただ笑っていた。

ぐれて大人っぽくはあったがまだ18歳になったばかり。
高校時代は陸上の短距離や槍投げなどをやって男っぽい気質で、
その頃はまだまったく化粧っ気なしだったこの次姉は、
後年水商売の道に入った。
切れ長の眼もとにアイラインを入れ、口紅をさして化粧を仕上げ、
夏草を描いた涼しげな絽などの着物を着てきりりと帯を締め、鏡の前で振り返ると、
妹の私でも惚れ惚れとするような、水も滴る粋な姿の「ママさん」の出来上がり。
口が悪く私にも手厳しかった姉は、そんな美しい姉に変身を遂げた。


これが私の、口紅に関する、愉快でちょっぴり悲しい思い出。


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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

私も小さい頃に母の鏡台に座ってナイショで化粧のマネごとしてましたよ。(笑)
今現在、私が化粧している側で甥っ子達が『僕にも塗って』とせがんできますが
小さい子供の興味津々な時代の気持ちとはまた違うんでしょうね。

私は薄い色の口紅(またはグロスだけ)が好きなのですが、そんなメイクでいると
母は『あんた化粧しないで出かけるの?!』と聞いてきます。
よくある会話なのですが、母には紅の色がないと化粧をしてないように見える
らしいです。(笑)
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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